7月28日は、第一次世界大戦勃発の100周年記念日だ。1914年のこの日、オーストリア・ハンガリー帝国はセルビアに宣戦布告し、侵攻を開始した。
ロシアは、オスマン・トルコ帝国からバルカン諸国が独立するのを支援し、セルビアの後ろ盾だったから、オーストリア軍の侵攻を索制するため、7月30日に予備役を招集し、戦争の構えを示した。
これに対し、オーストリアの同盟国だったドイツは、8月1日にロシアに対して、3日にロシアの同盟国フランスに対して宣戦布告。
フランスと協商関係にあった英国は、8月4日、ドイツに宣戦布告した。
当初日本で「墺塞(オーストリア・セルビア)戦争」と報じられた小戦争は1週間で「欧州大戦」に拡大し、やがてイタリア、トルコ、日本、米国などを巻き込む「世界大戦」に発展した。
第一次世界大戦では、軍人の802万人が死亡、2,122万人が負傷した。民間人の死者も664万人に達した。
敗戦国のドイツ、オーストリア、トルコ、ブルガリアのみならず、戦勝国の英国、フランス、イタリアなども大打撃を受け、途中で脱落したロシア帝国は崩壊した。
ちなみに日本も、中国・青島のドイツ要塞攻略などで死者300人、負傷者907人を出した。
敗戦国および戦勝国の双方で3,600万人もの死傷者が出たのは、軍の上層部が近代戦の凄まじさを想定していなかったからだ。
欧州では1870~71年のプロシア対フランスの戦争以後、40年以上、大国間の戦争がなかった。
他方、第二次産業革命(1870年代~)によって世界の鉄鋼生産は100万トン(1870年)から3,000万トン(1890年代末)に急増した。発電機、電灯、電話、内燃機関、化学工業などもこの時期に登場した。
これら機械文明の進歩は、当然兵器に反映され、連発小銃、機関銃、速射砲(毎分20発を発射可)などが造られた。旧来の黒色火薬は白煙を吹き出すため連続発射すると視界を妨げたが、無煙火薬が発明されて機関銃などが真価を発揮。戦場は「殺人工場」と化した。
だが、軍の上層部は技術の進歩を軽視し、ナポレオン戦争の頃と変わらない先方に固執。開戦2年後の第一次ソンム会戦(1916年7~11月)でも英軍は観兵式のように整列し、横隊を組んで独軍陣地に向けて堂々と行進したから、機関銃、速射砲のまたとない標的となり、攻撃初日に死傷者6万人、11月までに42万人の損害を出した。
この戦争では、潜水艦、航空機、毒ガス、戦車などの新兵器が登場したが、死傷者の7割は砲弾による。
終戦(1918年11月)後、
戦死者 94万人
負傷者209万人
乱発した国債の償還に歳入の半分を費やす財政危機に直面
した英国では、「そもそもバルカン半島の戦争になぜわが国が参戦したのか」との疑問が噴出した。
同盟(集団的自衛)には平時の抑止効果はあるものの、一部で戦争が起こると延焼する危険が再認識され、戦争を非合法化し、それに違反した国には他の諸国が共同で制裁を加える「集団的安全保障」論が流行、その考えに基づく国際連盟が生まれた(1919年)。
だが、これも第二次世界大戦を防げなかった。
□田岡俊次(ジャーナリスト)「第一次世界大戦の教訓とは何か 歴史に見る「集団的自衛権」の怖さ」(「週刊金曜日」2014年7月18日号)
↓クリック、プリーズ。↓
ロシアは、オスマン・トルコ帝国からバルカン諸国が独立するのを支援し、セルビアの後ろ盾だったから、オーストリア軍の侵攻を索制するため、7月30日に予備役を招集し、戦争の構えを示した。
これに対し、オーストリアの同盟国だったドイツは、8月1日にロシアに対して、3日にロシアの同盟国フランスに対して宣戦布告。
フランスと協商関係にあった英国は、8月4日、ドイツに宣戦布告した。
当初日本で「墺塞(オーストリア・セルビア)戦争」と報じられた小戦争は1週間で「欧州大戦」に拡大し、やがてイタリア、トルコ、日本、米国などを巻き込む「世界大戦」に発展した。
第一次世界大戦では、軍人の802万人が死亡、2,122万人が負傷した。民間人の死者も664万人に達した。
敗戦国のドイツ、オーストリア、トルコ、ブルガリアのみならず、戦勝国の英国、フランス、イタリアなども大打撃を受け、途中で脱落したロシア帝国は崩壊した。
ちなみに日本も、中国・青島のドイツ要塞攻略などで死者300人、負傷者907人を出した。
敗戦国および戦勝国の双方で3,600万人もの死傷者が出たのは、軍の上層部が近代戦の凄まじさを想定していなかったからだ。
欧州では1870~71年のプロシア対フランスの戦争以後、40年以上、大国間の戦争がなかった。
他方、第二次産業革命(1870年代~)によって世界の鉄鋼生産は100万トン(1870年)から3,000万トン(1890年代末)に急増した。発電機、電灯、電話、内燃機関、化学工業などもこの時期に登場した。
これら機械文明の進歩は、当然兵器に反映され、連発小銃、機関銃、速射砲(毎分20発を発射可)などが造られた。旧来の黒色火薬は白煙を吹き出すため連続発射すると視界を妨げたが、無煙火薬が発明されて機関銃などが真価を発揮。戦場は「殺人工場」と化した。
だが、軍の上層部は技術の進歩を軽視し、ナポレオン戦争の頃と変わらない先方に固執。開戦2年後の第一次ソンム会戦(1916年7~11月)でも英軍は観兵式のように整列し、横隊を組んで独軍陣地に向けて堂々と行進したから、機関銃、速射砲のまたとない標的となり、攻撃初日に死傷者6万人、11月までに42万人の損害を出した。
この戦争では、潜水艦、航空機、毒ガス、戦車などの新兵器が登場したが、死傷者の7割は砲弾による。
終戦(1918年11月)後、
戦死者 94万人
負傷者209万人
乱発した国債の償還に歳入の半分を費やす財政危機に直面
した英国では、「そもそもバルカン半島の戦争になぜわが国が参戦したのか」との疑問が噴出した。
同盟(集団的自衛)には平時の抑止効果はあるものの、一部で戦争が起こると延焼する危険が再認識され、戦争を非合法化し、それに違反した国には他の諸国が共同で制裁を加える「集団的安全保障」論が流行、その考えに基づく国際連盟が生まれた(1919年)。
だが、これも第二次世界大戦を防げなかった。
□田岡俊次(ジャーナリスト)「第一次世界大戦の教訓とは何か 歴史に見る「集団的自衛権」の怖さ」(「週刊金曜日」2014年7月18日号)
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