(承前)
(7)沖縄の基地問題のように複雑な歴史を内包し、利害が錯綜した課題の解決には、大きな構想力と胆力が必要だ。
民主党の政権交代(2009年)が失敗に終わったのも、普天間移設をめぐる迷走が主因だった。鳩山政権の挫折は、この問題を「沖縄の負担軽減」としか捉えきれなかったところに本質がある。
①米国の既得権益確保へのこだわり
②「現状維持こそが国益」という固定観念に凝り固まった日本側の外務・防衛官僚
の羽交い締めによって政権内の結束が崩れ、「米軍は東アジア安定の抑止力」という建て前論での「辺野古移転容認」という腰砕けに終わったことの責任は重い。
真に踏み込むべきは、
・在日米軍基地の在り方を再点検し、
・基地の段階的縮小と、
・地位協定の改定を進める
日米戦略対話の実現だった。
冷戦終結後のドイツが、すべての在独米軍基地の使用目的と必要性を俎上に乗せ、基地の縮小とドイツの主権回復に踏み込んだごときアプローチが必要だった。
世界の多くの政権交代を経験してきた米国は、日本側からのそうした問題提起に一定の覚悟をしていた。ところが、鳩山政権は、「基地問題の歴史的転換を図る」という政権公約を見失い、続く菅・野田政権は「米国の虎の尾を踏んではならない」という怯えと萎縮の中で、「政治的現実主義」の名の下に、「既に決まっていることは今まで通りが良い」という裏切りに堕してしまった。
(8)鳩山政権の「辺野古容認への回帰」から5年、沖縄の基地問題は2つの意味で再考すべき局面を迎えている。
(a)尖閣の緊張の高まりによって、日米同盟の質が明確になった。日本は「日米同盟で中国の脅威と戦う」シナリオを組み立てているつもりで、在沖米軍基地もそのために存在している、と期待しがちだ。しかし、米国の本音が「日中の領土紛争による米中戦争には巻き込まれたくない」ことは明らかだ。米国が「尖閣は日米安保の対象内であり同盟責任を果たす」との原則を繰り返しても、日本を支援して中国と戦う、という単純な意思ではないことは明白だ。その東アジア戦略の基本は、「米国のアジアにおける影響力の最大化」にあり、同盟国日本の期待をつなぎとめるが、21世紀の経済大国中国も重要だ、という「あいまい作戦」なのだ。
(b)2014年県知事選で翁長雄志が当選し、県民の意思が明確になったことだ。前知事は恭しく東京から持ち帰った「国の立派な経済振興策」の見返りに辺野古を認めた。それは沖縄が主体的に基地を受け入れることであった。だから、ウチナーンチュは覚悟を決めて、新たな沖縄の在り方を模索する意思決定をしたのだ(翁長新知事の当選)。
(9)こうした経年変化にもかかわらず、「日米合意があるから、選択肢は辺野古しかない」という思い込みで、巨額の沖縄振興予算との抱き合わせで辺野古移設を強行し、沖縄を沈黙させる政策に突き進んでいるのが現状だ。
最近は、基地と振興予算を結びつけて「カネと利権の構図」に浸ってきた沖縄を指弾する論調が目立つ。
だが、仮に「累積10兆円を超す振興予算と基地の受け入れを差し違えてきた沖縄」という構図が事実だとしても、基地がこのままでいいということにはならない。「反米・反安保・反基地」というかつての「革新」勢力の三大話を蒸し返しているのではない。新たな局面が見えているのに、戦後70年経って外国の軍隊が占領軍のステータスのままに存続していることに問題意識を抱かない国は独立国とは言えない、と言っているのだ。
むろん、東アジアの安定のために日米同盟を賢く「抑止力」に利することも大切だ。そのために日本における全米軍基地を再点検し、21世紀の東アジアの安全保障を睨んで、基地の段階的縮小と地位協定の改定を粘り強く提起し、その中で辺野古の位置づけを議論すべきだ。
(10)日米同盟の容易な「深化」ではなく、「進化」だ。「日米同盟のためには沖縄が犠牲になっても仕方ない」などと容易に考えてはならない。
今なすべきは、筋道の通った情熱で米国と向き合うことだ。確かに短期的利害として、7割の駐留経費を受け入れ国たる日本が負担し、占領軍のステータスに近い地位協定を享受する基地を失うことはペンタゴンの官僚からすれば容易に譲れないだろう。海兵隊は沖縄に集中しており、その基地縮小となれば米軍内の陸・海・空・開閉の力学の調整問題も生じる。
だが、大切なのは日本側の意思と構想力だ。日本の自立自尊とアジアの安定を見据え、21世紀の日米同盟を再構築する視界が問われる。課題は日本自身が冷戦型の思考回路からいかに脱却できるか、なのだ。
(11)沖縄の歴史を振り返れば、常に「日本」によって運命を翻弄されてきたのは間違いない。ただし、同情や贖罪意識で沖縄を論じることは、大江健三郎のいわゆる別次元での「日本中心の中華思想」(『沖縄ノート』)であろう。一方で、日本を振り回し、国境線を超えてファジーに生き抜く知恵を蓄積してきた沖縄に気づくからだ。
歴史の渦に巻き込まれているようで、実はそれを切り返すたくまさを内在させる沖縄が、どう動くのか。翁長県政となり新局面を迎えた沖縄に注目したい。
沖縄はワシントンに事務所を出すことになった。米国と沖縄の歴史的関係を背景にした交流が沖縄人の心に何をもたらすのか。「沖縄独立論」に踏み出す前に、まずは真の「経済的独立」への展望が重要になるはずだ。
(12)「沖縄返還」(1972年)から40年余、本質的な意味で祖国とは言えない日本への「復帰」に期待した沖縄人の心情が、敗戦後苦しみながらも「民主主義と平和主義」に立脚して進もうとする日本への共鳴と連帯にあったことを真剣に受けとめるならば、ヤマトンチュも襟を正さねばならない。
ヤマトンチュは、1993年にNHK大河ドラマで『琉球の嵐』を放映し、小渕恵三・首相が沖縄サミットの開催にこだわった時に比べ、沖縄と真摯に向き合う姿勢を喪失してはいないか。日本と共に歩むことが沖縄の希望となるように努力する、そえが沖縄を翻弄してきた日本が沖縄の問いかけに答えることではないか。
基地問題の解決なくして戦後は終わらない。
□寺島実郎「江戸期の琉球国と東アジア、そして沖縄の今--17世紀オランダからの視界(その28) ~脳力のレッスン【特別篇】連載156~」(「世界」2015年4月号)
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【参考】
「【沖縄】の今(1) ~東アジアの中の琉球~」