語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『ピープス氏の秘められた日記』 ~政治とカネ、むかしも今も~

2010年09月15日 | 小説・戯曲
 政治とカネは、古今東西、ある種の政治家につきまとう関係だ。
 事は政治家に限らない。高級官僚と賄賂の関係は、古来、猫とマタタビの関係であった。
 本書の主人公も、清濁あわせ飲む高級官僚の一人であり政治家である。

 サミュエル・ピープスは、チャールズ2世の時代に生きた。海軍省書記官を振り出しに、海軍大臣まで昇りつめた。後に国会議員となる。
 ここまでは、よくある立志伝の一人にすぎない。
 ピープスを歴史の闇に埋もれた者たちと区別するのは、1660年から1669年までの10年間に記された克明な日記である。邦訳で全9巻(国文社)。

 かかる膨大な日記から、年代順の変化に留意し、主な話題ごとにさわりを抜きだしたのが本書である。
 引用された日記に著者のコメントがついているのだが、これがいささか辛辣なのだ。
 たしかに、ピープスの鉄面皮ぶりを目の当たりにすると、政治家でも高級官吏でもない読者は、揶揄したくなる。
 袖の下を頂戴すると、なんのかんのと屁理屈をつけて正当化している。しかし、金の受け渡しを余人に見られないように気を配っているから、後ろ暗いことをしているという自覚はあったのだ。

 職務に関しては勤勉だったらしく、現場に出かけて生産地別の縄の強度を調べてまわったり、深夜まで残業している。
 そつなく書類を整えておいたおかげで、議会の追求を上手に切り抜けた。勤勉は、身を守るのである。
 要するに、ピープスは有能なテクノクラートで、出世したのもそれだけの理由があったわけだ。
 国王のために力をつくすことと自分の懐を肥やすこととの間に矛盾をすこしも感じていない。国民のための政治を公言することと、自分の懐を肥やすこととの間にちっとも矛盾を感じない我が国の政治家によく似ている。

 わが国の政治家と異なる点は、数々の浮気についてこまめに書いていることだ。猥雑きわまりないが、本人はむろん、自分の秘めたる日記を後世の日本人が読むなどとは思っていなかった。
 奇観である。おぼこから有夫の婦人まで、とにかく手がはやかった。彼のほうにもそれなりに魅力があったのだろう。賄賂代わりに妻を差し出す御仁もいたらしく、賄賂たる彼女のほうも心得たもので、ピープスを相手に丁々発止の駆け引きをしている。

 容易に予想されるように、ピープスはしまり屋であった。
 当然、散財したい細君との間にすったもんだが起きた。
 とはいえ、細君が悋気するだけのことをピープスはやらかしているのだから、細君の気をそらすためにピープスは大枚をはたいてダンス教師を雇ったりする。そして、こんどは自分がそのダンス教師を嫉妬して愚痴りまくるのだ。まことに喜劇と悲劇は紙一重である。
 二人の間に子どもはなかった。細君を裏切りつづけていたピープスだが、彼なりに愛していたらしい。

 日記には、私事のほか、職務上の保護者、同僚、金もうけ、ロンドンを襲ったペストや大火・・・・と、ピープスにとって気になる一切合切が記される。
 これらの史料的価値を評価する人は評価しているが、本人はむろん、後世に残る価値なぞ念頭においていなかった。
 書くことで、見聞した出来事を忘却から救い、あるいは、してくやったことの満足感を反芻し、そしておそらく不満や不安を解消して精神のバランスをとっていた気配である。ひとが日記を書く理由は、こんなものなのだ。
 当時は大航海時代である。冒険者たちは死を賭して海外へ進出していった。その頃、ピープスのような能吏にして怪しからぬ人物が本国を動かしていたのである。

□臼田昭『ピープス氏の秘められた日記 -17世紀イギリス紳士の生活-』(岩波新書、1982)
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【読書余滴】野口悠紀雄の経済成長戦略 ~「超」整理日記No.528~

2010年09月14日 | ●野口悠紀雄
(1)内需主導経済反対論
 内需に依存するだけでは外貨を稼ぐことはできない。
 経済活動を行うには輸入が必要である。輸入品を購入するには外貨を獲得する必要がある。よって、輸出が必要だ。

(2)内需主導経済反対論批判
 加工貿易的な生産活動が減れば、原材料などの輸入も減る(原油の輸入量もかなり減る.)。よって、外貨が不要になる。
 外貨がまったく必要なくなるのではないが、従来と同じような輸入は不要になる。

(3)外需依存経済から内需主導経済への転換
 純輸出【注1】の対GDPを減らし、他の需要項目の比重を増加させる。
 消費支出はGDPの6割を占めるから、これが5%増えればGDPの3%となり、純輸出の落ちこみは確保できる。
 国際収支においては、経常収支の黒字をあまり減らさずに維持するのだ。内需主導経済への転換に伴って、貿易収支の黒字【注2】が減る。減った分を所得収支【注3】の黒字で補うことができれば、経常収支の黒字は前と同じレベルに維持することができる。
 これまでの経常収支黒字は大きすぎた。この水準を将来も維持する必要はない。経常収支が将来にわたって赤字にならなければよい。
 所得収支黒字のGDP比を高めれば、内需主導経済への転換によって経常収支を大きく減少することはない。簡単にはできないが、不可能ではない。
 貿易収支の黒字が大きい構造から、所得収支の黒字の大きい構造に転換するのが「成熟国」としての国際収支構造だ。

 【注1】財・サービスの輸出と輸入の差。
 【注2】GDP統計の純輸出とほぼ同じもの。
 【注3】対外資産が生んだ収益と対外負債のための利子支払いなど。

(4)成長戦略の基本
 日本は巨額の対外資産を有している。資産大国としての経済構造への転換を成長戦略の基本に据える必要がある。
 所得収支黒字によって貿易収支赤字をカバーしている国の代表例はアメリカだ。アメリカの運用利回り【注4】は、調達利回り【注5】を常に上まわっている。2004年の利ザヤは2.6%である。アメリカの対外資産収益率が高いのは、第二次世界大戦後に行った投資が高い収益率を実現しているからだ。
 日本も2004年以降、所得収支黒字が貿易収支赤字をカバーするようになっている。ただ、収益率は低い。アメリカ短期国債(TB)への運用が多いからだ。資金調達を変えずとも資金運用利回りをアメリカ並みの水準に上げれば、所得収支黒字のGDP比は1.6%上昇する。
 金利が世界的に低下しているので、運用利回りを従来より高めるのは容易ではない。しかし、調達金利も下がるはずだから、利ザヤを拡大させるのは不可能ではない。

 【注4】受け取り所得を対外資産で割った値。
 【注5】支払い所得を対外負債で割った値。

(5)新興国への直接投資拡大
 さらに重要なのは、これまでの投資戦略からの大転換だ。
 日本の対外投資の収益率が低いのは、受け身の証券投資が大部分を占めているからである。受け身の証券投資から脱却し、積極的な投資活動(直接投資をふくむ)の展開が必要だ。
 特に新興国への直接投資が重要だ。成長の利益を享受するには、株式投資でもよいが、直接投資のほうが望ましい。新興国の成長には、「モノを売る」のではなく、「投資」によって対応するのだ。円高が要求しているのは、「外国に売る」ことではなく、「外国に投資する」ことだ。
 これまでの運用は適切でなかった。これを改善すれば、対外資産の運用利回り1%ポイント上昇を実現できる。他方、製造業などの成長を促進して成長率を1%ポイント高めるのはきわめて難しい。
 対外資産の運用利回り1%ポイント上昇は、GDP成長率1%ポイント引き上げと同じことだ。対外資産とGDPがほぼ同程度の規模なのだから。
 「成長戦略」の議論において、この認識がきわめて不十分だ。

(6)新興国への直接投資拡大の条件
 市場で客観的な価格付けがなされている証券投資に比べると、直接投資はリスクが高く、評価も難しい。現状では体制が不十分だ。
 現地経済の十分な知識と情報が必要だ。ODA供与などに関連して育成してきた専門家を、こうした目的のために動員するべきだ。
 また、リスクコントロールのため、ファイナンスの専門家が大量に必要である。そのために教育が必要だ。育成には時間がかかるから、海外から人材を招いてもよい。

【参考】野口悠紀雄「内需主導経済における所得収支の重要な役割 ~「超」整理日記No.528~」(「週刊ダイヤモンド」2010年9月18日号所収)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、緊急対策はもう限界、基本構造の改革が必要 ~「超」整理日記No.527~

2010年09月13日 | ●野口悠紀雄
(1)経済回復の行き詰まり
 日本経済は、世界経済危機による輸出急減の打撃で、2008年4~6月期からマイナス成長に陥り、2009年1~3月期まで続いた。
 その後、中国に対する輸出の増加や政府による購入支援策に支えられて、回復傾向に転じた。
 しかし、この傾向は、2010年4~6月期にはすでに終わってしまった。
 今後は、経済活動を下押しする要因が顕在化されてくる。
 こういた状況変化は、日経平均株価にも表れている。
 ●実質GDPの対前期比成長率(年率換算):200910~12月期:4.1%、2010年1~3月期:4.4%、2010年4~6月期0.4%
 ●日経平均株価:2010年4月頃に11,000円超、以後下落

(2)経済回復の行き詰まりの原因
 (ア)購入支援策の頭打ち
 実質GDPの需要項目をみると、自動車・家電製品の購入支援策の効果が限界にきたことを示している。

 (イ)中国への輸出の鈍化
 2009年上半期に急激な伸びを示した中国への輸出が鈍化した。
 背景・・・・ドルやユーロに対して円高が進行しているため、中国市場における日本の比重が低下し、ドイツなどのユーロ圏諸国の比重が上昇した。

(3)予測
 今後は、いっそう円高の影響が加わるため、輸出の減少が続くだろう。
 また、これまで自動車や家電製品の生産を支えてきた購入支援策が終了すれば、民間消費支出はマイナスに転じる可能性が高い。
 これらのいずれもが、経済に大きなマイナスの影響をもたらす可能性がある。

(4)日本経済の構造的欠陥
 近い将来の日本経済の状況を表すのに「踊り場」とか「二番底」といった景気循環上の表現が使われることが多い。確かに、今年初めまでの回復基調は、ここにきて変調した。
 しかし、重要なのは、循環的な動きの変化ではない。日本経済が構造的に袋小路に入りこんで抜け出せないことである。

 2010年4~6月期の日本の実質GDPは、危機前のピーク(2008年1~3月期)に比べると4.6%ほど低い水準だ。
 アメリカで同じ期間を比べると、すでに99%の水準になっている。これからも、日本の遅れがよくわかる。

(5)経済政策の問題点
 (ア)緊急対応策
 2008年に日本の経済が落ちこんでから取られてきた経済政策は、(1)雇用調整金(過剰労働力を企業内に押さえこんで失業を顕在化させるのを防ぐ)、(2)自動車や家電製品の購入支援策・・・・であった。
 これらは、いずれも短期的な緊急対応策にすぎない。日本経済の構造を改革するものではない。
 これらの政策が行き詰まっている現在、経済政策の基本方向を大きく変える必要がある。

 (イ)円高対応策
 現在の世界経済の条件(特に先進諸国の金利が低下したこと)を考えると、為替介入をおこなったところで効果はない。
 むしろ、損失が発生するだけの結果に終わるだろう【注】。

  【注】スイス中央銀行は、ユーロ買い介入を積極的に実施したが、ユーロ安が進んだため、2010年1~6月期に1兆円を超える損失を被った。同行は、現在では為替介入を休止している(「超」整理日記No.526)。  

 (ウ)法人税減税
 日本の法人税の実効税率が諸外国に比べて高いため、この引き下げが必要と論じられることが多い。
 しかし、日本共産党の資料によると、エレクトニクスなど研究開発費が多い産業では、法人税の実効税率は10%台である。さらに、経済危機後は赤字が拡大したため、製造業では法人税を負担していない企業が多くなっている。損失は将来に繰り延べできるため、この状態は今後数年間は続くだろう。
 したがって、法人税の税率を引き下げたところで、日本企業の状態にはなんの変化もないだろう。

(6)必要とされる政策 ~雇用の確保~
 日本経済は、手術が必要であるにもかかわらず、放置し続けてきた。1990年代後半から、15年間も続いている。
 外需に依存する産業は、今後は生産拠点を海外に移転することによって、対応しようとするだろう。これが進めば、日本国内の雇用に深刻な問題が生じる。

 したがって、今必要とされる経済対策として必要なのは、第一に雇用の確保である。
 介護分野の求人倍率は1を超えている。現在の日本において、大量の雇用を創出できるほぼ唯一の分野だ。
 ここに人が集まらないのは、規制のために賃金が低く抑えられているからである。
 だから、雇用を量的に確保するには、介護部門での規制緩和を図り、ここに大量の雇用機会をつくることが必要だ。

 長期的にみた場合は、むろん、これだけでは十分ではない。先端金融など、生産性の高いサービス産業の成長環境を整えることが重要だ。
 そのために必要なのは、高度な専門能力をもった人材の育成である。こうした政策の効果はすぐに表れるわけではない。しかし、日本経済の構造改革には、もっとも重要な戦略的手段だ。
 これまでおこなわれてきた緊急避難的需要追加策から脱却し、こうした方向へ経済政策を転換することが必要だ。

【参考】野口悠紀雄「円高に金融政策は無効 産業構造の改革が必要 ~「超」整理日記No.527~」(「週刊ダイヤモンド」2010年9月11日号所収)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、雇用・賃金構造の変化と経済政策 ~ニッポンの選択第30回~

2010年09月12日 | ●野口悠紀雄
(1)賃金の変化
 「毎月勤労統計調査」によって、1995年、2000年、2007年の5人以上事業所の現金給与総額の指数をみると、全産業では1990年代後半はほぼ不変、2000年以降に下落した。
 ただし、給与の動向は業によってかなりの差がある。概していえば、小売業、飲食店、運輸業、建設業など生産性が低い産業で下落し、製造業、金融・保険業など生産性が高い産業で上昇している。

(2)雇用の変化  
 上記調査によって、上記年の上記事業所の常用雇用指数をみると、全体としての雇用は、ほぼ一定で変化していない。
 ただし、建設業では製造業と同様に減少したが、サービス業では軒並みに増加している。卸売・小売業では全体の雇用は減少したが、パートタイム労働者は増加した。

(3)雇用・賃金の構造変化
 全体でみると、日本の雇用は1995年以降ほとんど一定で増えなかった。
 ただし、製造業は雇用を減少させた。
 製造業の雇用減少分を引き受けたのがサービス業であり、特にパートタイム労働であった。
 パートタイム労働は低賃金労働である。パートタイム労働の増加は サービス業の賃金を引き下げた。これに伴って、経済全体の賃金水準も低下した。
 ただし、この間に、製造業の賃金水準は(緩やかにではあるが)上昇している。

(4)雇用・賃金構造変化の背後にあるもの
 1990年代以降、中国工業化の影響が顕著になり、世界経済の中での日本の地位が脅かされるに至った。中国の比重が上昇し、日本の比重が低下した。
 これに伴い、日本の製造業は頭打ちとなった。1990年代以降の鉱工業生産指数は、増減をくりかえすだけで、長期的に上昇することはなくなった。
 従来の日本の製造業は、特に大企業において年功序列敵な賃金慣行が強かった。ゆえに、このような生産頭打ちに対して雇用条件を柔軟に調整して対処することができなかった。賃金を下げることができなかったので、自然減を中心として雇用量を減らすことで対応した。
 これによってあふれた労働供給が、サービス産業のパートタイム労働となった。
 そこでの賃金が低水準なので、全体の賃金が下落した。

(5)問題の根源
 中国工業化という世界経済の大きな変化に対して、日本が前向きの積極的な対応をできず、製造業に代わる雇用を国内に創出できなかった点にある。
 多くの経済論議は、こうした事情を正確に把握しているとは言いがたい。
 経済政策も、問題に適切に対応するものになっていない。

(6)経済政策 ~雇用~
 民主党は、労働者派遣法を改正,し、「登録型」や製造業への派遣を原則禁止した。
 しかし、全体としての雇用が増えない中で、こうした規制をおこなえば、労働需要は減少し、底辺労働の条件はかえって悪化するだろう。
 派遣労働規制強化は「派遣切り」防止とされているが、経済危機で減少したのはパートタイム労働ではない。パートタイムの常勤雇用指数は、むしろ増加しているのである。製造業のパートタイムもしかり。
 その半面で、製造業の正規労働者は、減少している。
 非正規労働差に対する規制を強めれば、企業は正規労働者をさらに切らざるをえない立場に追いこまれるだろう。
 労働者の立場から何が望ましいか、正しく判断する必要がある。

【参考】野口悠紀雄「「失われた15年間」の雇用と賃金構造の変化 ~ニッポンの選択第30回~」(「週刊東洋経済」2010年9月11日号所収)
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【読書余滴】佐野眞一&福田和也の、小沢神話のバケの皮

2010年09月11日 | 社会
(1)追いつめられた小沢
 小沢一郎前幹事長は、今回、代表戦に出なければならないほど追いつめられた。本音は、総理なんてなりたくないだろう。
 菅直人が総理に選ばれた前の選挙では、原口一博、海江田万里、田中真紀子にまで声をかけて全部断られた。ついに自分が出ざるをえなくなった時点で、小沢は終わっている。
 小沢は、自民党時代の終わり頃から、小選挙区制などの政治制度改革に意欲を燃やしてきた。なかでも最大の改革は政党助成金。この仕組みで絶大な権力を握るようになったのが幹事長というポストだ。国から政党にわたったカネを一手に握り、好きなように党内で配る。それによって党内での生殺与奪権を得る。これこそ、まさに小沢政治そのものだった。
 ところが、鳩山政権の崩壊で幹事長を降りたら、自分がやってきたことをそのまま菅、仙谷由人官房長官、枝野幸男幹事長のチームにやられてしまった。小沢は、自分が作りあげたシステムで自分の首を絞めてしまった。
 代表戦前に小沢が要求した挙党態勢とは、要するに「幹事長をこっちに寄こせ」ということだ。党のカネを握れば、あとはどうでもいい。それを菅に拒まれ、もう持たないから、出馬せざるをえなくなった。

(2)人目を避ける小沢
 総理になること自体が、小沢の命取りになる可能性がある。
 小沢が総理になると検察との関係がネックになると言われるが、それだけではない。そもそも、小沢はメディア、ひいては国民の注視にさらされることに耐えられないらしい。早速「記者のぶら下がり取材を廃止して、月に一度か二度の記者会見にしたい」と発言しているが、ことほど左様に人目にさらされることを怖がる総理は、今の時代、とても持たない。
 国会答弁が嫌だから大臣にならない、という話もある。つまり、まともな対話ができない。彼の演説を聞いていると、大人数を前に政策を語ったことがないのがよくわかる。
 小沢の手法は、典型的な「ひきこもり」政治だ。小沢はしばしば姿をくらますが、総理になったら、首相動静に「首相、行方不明」と記されるかも。

(3)「政策に強い小沢」という虚像
 (ア)経済政策
 「政策に強い」が虚像であることも露呈してしまった。
 例えば、「円高だから断固介入しなきゃいけない」といった直後に、「円高だから海外に投資して資源を取らなきゃいけない」と言い出す。円を上げたいのか下げたいのか、さっぱりわからない。
 無利子国債や地方一括交付金も同じ。総理になったとき、責任が持てるのか。
 消費税を批判しているが、細川政権時代、当時の大蔵次官、斎藤次郎と組んで、国民福祉税を導入したのは、小沢だった。しかも、その斎藤は、日本郵政の社長に就いているから、何をか言わんや。

 (イ)普天間問題
 「第七艦隊だけあれば、海兵隊は要らない」という持論を繰り返しているが、総理になってオバマ大統領にそれを突きつけられるのか。
 野党の感覚だ。一国の総理として、それを口にするにはどれだけの裏付けを必要とするかの重みがない。

 (ウ)「脱官僚・政治主導」
 旗印に掲げている「脱官僚・政治主導」にしても、これまで官僚に頼りまくっていたくせに、よくもまあ、と言いたくなる。

 (エ)検察審査会
 一番すごいのは、検察審査会批判。「一般の素人がいいとか悪いとかいう仕組みがいいのか」と、制度の根幹を否定することを平気で言ってしまう。一般の国民が検察をチェックするための制度なのに。小沢には、「国民」ではなく、「取り巻き」と「選挙民」がいるだけなのだろう。
 しかも、再審査で起訴議決となったら受けて立つと言っている。前代未聞だ。総理の尊厳を守る、という発想が小沢にはない。

 (オ)小沢政治とカネ
 経歴からして、47歳で自民党幹事長になりながら、閣僚経験は中曽根内閣の自治大臣兼国家公安委員長だけだ。あとは竹下内閣の官房副長官くらい。実際の行政に責任を負ったことがほとんどない。
 カネとポストをばら撒くことに専念してきたから、閣僚としての実績も、政策上の理念もない。
 小沢の自慢話は「いついつの政局で、誰にいくらカネを突っこんだ」とか、人に言えない話ばかりだ。

(4)人材のいない小沢派
 小沢のもとに集まる人材は質が悪い。小沢内閣で山岡賢次とか松木謙公が主要な地位を占めるかと思うと、暗澹たる気持ちになる。
 後藤新平に、「カネを残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ」という名言がある。小沢は、カネは残したが、仕事は最後に崩壊し、人はまったく残さなかった。船田元、熊谷弘、二階俊博と、みんな切り捨ててきた。
 小沢は、実社会で働いてカネを稼いだ経験がない。多様な人間と交わった経験がない。上司、取引先、友人などといった多様な関係の中で人間をみる修行をしていない。だから、コイツは使えるか使えないか、裏切るか裏切らないか、という水準でしか人間を見られない。
 この点、世の中には家族、使用人、敵の三種類しかいない、と考えている田中真紀子に通じる。

(5)本当の問題
 小沢が代表戦で負ければ、菅はこれまで以上に小沢を干しあげるだろう。
 小沢が勝てば、国会答弁でつまずく可能性が高い。新たな疑惑が出てくるとか。不思議に、総理になると今まで口をつぐんできた人が話しだしたりするものだ。
 小沢が勝った場合に狙っているのは、解散総選挙だろう。いまの議席を減らしても、過半数さえ維持できれば総理として信任を得た、という言い分が成り立つ。しかし、世論調査をみるかぎり、小沢代表では、次の国政選挙では負ける。
 本当の問題は、今回の代表戦でどちらが勝つか、ではない。それよりも、早晩崩壊する小沢政治の後に何が来るか、だ。

【参考】佐野眞一/福田和也「『豪腕神話』バケの皮を剥ぐ!」(週刊文春2010年9月16日号所収)
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【読書余滴】新人に仕事をさせる心理学的技術 ~戦争の心理学~

2010年09月10日 | 心理
 当然ながら、兵士には同類である人間を殺すことには大きな抵抗感がある。第二次世界大戦中、75~80%のライフル銃手は、敵にまともに銃を向けようとしなかった。兵士の発砲者が15~20%ということは、校正者のなかに読み書きのできるものが15~20%しかいないようなもので、「仕事」にならない。
 上層部は問題に気づき、新しい訓練法が導入された。この結果、朝鮮戦争では発砲率が55%、ベトナム戦争では90~95%が発砲した。
 この驚くべき殺傷率の上昇をもたらしたのは、脱感作、条件つけ、否認防衛機制の3方法の組合わせだった。

(1)脱感作
 昔から兵士は、敵は自分とは異質の人間なのだ、家族もいないし、それどころか人間でさえない、と言い聞かせてきた。敵をジャップ、クラウト、グック、スロープ(東洋人)、ディンク(ベトナム人)、コミー(共産党員)と呼ぶとき、敵は自分たちとは違う人間だとみているのである。
 殺人の神聖視は、第一次世界大戦ではまず例はなく、第二次世界大戦でも稀れで、朝鮮戦争で増加し、ベトナム戦争時は完全に制度化されていた。
 アメリカで兵士が訓練されるところでは、「殺人の喜びを表すのに使われることばは、その響きの凄まじさに反して、たいていは無意味な駄法螺にすぎない。面白がって口にしているときでさえ、新兵たちはそのことに気づいている。それでもやはり、<敵>の痛みに対して新兵たちを<脱感作>するのに役立っているのだ。それと同時に、(これは先の世代にはなかったことだが)新兵たちはきわめて明示的にたたき込まれる--たんに勇敢であるだけでは、よく戦うだけではだめだ。目的は人を殺すことなのだと」。
 ・・・・このくだり、スタンリー・キューブリック監督映画『フルメタル・ジャケット』(1987年)を想起すればわかりやすい。
 
(2)条件つけ--考えられないことをする
 ふつうの人が抱いている殺人に対する根深い抵抗感を克服するには、脱感作のみでは不十分だ。
 (a)パブロフ派の古典的条件づけと、(b)スキナー派のオペラント条件づけが現代式訓練にとって重要だ。
 反射的かつ瞬間的に射撃する訓練は、まさに条件づけそのものだ。当たれば的はばったり倒れる。命中すれば、即座にフィードバックされるのである。他方、標的をすばやく正確に「とらえる」のに失敗すると、軽い懲罰(再教育、同僚の圧力、基礎訓練キャンプを卒業できないなど)が待っている。
 行動学的にいえば、射撃場に飛び出す人型は<条件刺激>であり、命中すれば的が倒れて即座にフィードバックが与えられ、<正の強化>が与えられる。命中分は後に二級射手記章に交換されるが、これは一種の<トークンエコノミー>(報酬として物品と交換できるトークンを与える療法)である。また、二級射手記章は、なんらかの特権や報酬(賞賛、公式の顕彰、3日間の外出許可など)を伴うのが通常である。
 <条件刺激>がいっそうリアルになると、兵士には訓練がますます面白くなる。訓練を積むことで、環境がどんなに変わっても条件づけられた反応が確実に引き出せるようになる。
 狙撃兵は、こうした技術を広く用いる。ベトナムでは敵兵をひとり殺すのに平均5万発の弾薬が使われた。しかし、同じベトナムで、アメリカ陸軍と海兵隊の狙撃兵は、ひとり殺すのにわずか1.39発しか使っていない。
 イスラエル国防軍の対テロリスト狙撃兵コースの訓練では、標的はできるだけ人間らしくしている。

(3)否認防衛機制
 基本的に、兵士は殺人のプロセスをなんどもくりかえし練習している。そのため、戦闘で人を殺しても、自分が実際に殺人を犯しているという事実をある程度まで否認できるのだ。
 現代式訓練を受けたフォークランド帰還兵は、「敵は第二型(人型)標的としか思えなかった」と語っている。
 アメリカの兵士も同じことをいう。いま撃っているのはE型標的(人型で緑褐色の的)であって、人間ではない・・・・そう自分に言い聞かせることができるのである。
 敵は人間ではなく、ただの的と考えるのだ。人間的なものを頭から締め出すことで、自責を感じないようにする。法執行官に武器をもって抵抗するような輩は、まっとうな人間の従う法規制や規則など屁とも思っていない連中だ。後悔を感じる必要はないのだ・・・・。
 ジョーダンは、このプロセスを「軽蔑の製造」と呼んでいる。犠牲者の社会的役割の否認および軽蔑(脱感作)、それに犠牲者の人間性に対する心理的な否認と軽蔑(否認防衛機制の発達)を組合わせた心理過程である。

(4)条件づけの効果
 フォークランド紛争では、英軍とアルゼンチン軍との間には、接近戦における殺傷率に歴然たる差があった。現代式訓練を受けた英軍には非発砲者はみられなかったが、第二次世界大戦式訓練を受けたアルゼンチン軍は、狙撃兵と機関銃手は効果的に発砲していたものの、一般のライフル銃手は無能だった。
 アメリカにも同様の例がある。ソマリアで、国連が追っていたモハメド・アイディド将軍をアメリカ陸軍レンジャー部隊が逮捕しようとしたとき、罠にはめられた。砲撃や空襲はおこなわれず、戦車や装甲車など重火器も米軍は持っていなかった。「これは現代の小火器訓練技術の有効性を比較する絶好の評価例である。さてその結果であるが、アメリカ側の死者は18名にたいし、ソマリア軍がその夜失った兵士の数は364名と見積もられている」。・・・・この事件、マーク・ボウデンによる詳細な報告があり、『ブラックホーク・ダウン』のタイトルで映画化されている。

    *

 以上、『戦争における「人殺し」の心理学』第33章は「ベトナムでの脱感作と条件づけ」、副題「殺人への抵抗感の克服」に拠る。

【参考】デーヴ・グロスマン(安原和見訳)『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫、2004)
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書評:『101歳、人生っていいもんだ』 ~シンプル・ライフ、その自由な精神~

2010年09月09日 | ノンフィクション
 リチャード・グローブマン聞き書きによるジョージ・ドーソンの自伝である。
 ジョージは、1898年、テキサス州マーシャルに生まれた。貧農の子として、8歳から働きはじめた。父の営農を助け、あるいは近在の農場に出稼ぎし、また自宅から製材所に通って現金収入を得た。
 1919年、21歳のとき、世界を知るため旅立つ。北はカナダから南はメキシコまで、働きながら彷徨した。
 1928年に帰郷し、コーフマンに移っていた一家と合流。鉄道会社に就職後、家庭をもち、ダラスに定住した。一時ダラス市の道路工夫となったが、1938年に乳製品工場に転職してからは、25年近く、65歳の定年までここで働いた。工場を辞めてからは、庭師として88歳まで現役を通した。

 日本でいえば生活保護適用すれすれの生活水準に終始したらしい。訳書の帯にいわく「株--なし。銀行預金--なし。カード類--なし。持っているもの--何枚かのシャツとスーツ1着、帽子1個」。
 4回結婚し、7人の子をもうけている。妻はいずれも先立ち、老いてから一人暮らしとなった。
 幼少期から労働し、就学してない。目に一丁字もなかった。98歳にして、初めて学校に、成年クラスに通いはじめた。小学校の課程である。2001年1月18日には、同級生がジョージ103歳の誕生日を祝ってくれた。

 と、まあ、表面的な行動だけを辿ると、働きづめの惨めな一生が想像されるにちがいない。ジョージがアフリカ系アメリカ人であることを知れば、なおさらだ。
 ところが、全編を貫くのは、「人生っていいもんだ」という楽天性である。
 この人、すこし足りなんじゃないかしら・・・・。
 ところが、どうしてどうして。ジョージは聡明で分別に満ち、抜け目ないとさえ言える。たとえば、セミプロ野球で捕手をつとめた頃を回想していう。「あまり知られていないことだけれど、捕手はずいぶんと頭を働かせなくてはならないんだよ」
 生涯一捕手野村克也の論理的で明快な批評を先取りしていると言えないだろうか。
 注意深く読めば、こうした洞察が本書のいたるところで発見できる。

 では、ジョージは人種差別に鈍感だったのか。
 これも否である。
 10歳のとき、幼なじみがリンチを受けた。「黒んぼ」なるがゆえに無実の身で断罪されたのである。首吊り縄にぶら下がった彼の姿は、その後いくたびもジョージの胸によみがえる。以後、権力者としての白人には慎重に接し、白人社会が押しつけた規範(人種別の車輌や宿)をはみ出さないよう注意し、低賃金に苦情を漏らさなかった。これもまた、ひとつの積極的な処世術である。

 差別を是認していたわけではない。
 勤勉な庭師として引く手あまたの頃、ある大邸宅で昼食が出た。犬と同じ場所で、犬と同じ食事が提供された。ジョージはいつもどおり仕事を片づけ、そして昼食には一切手をつけなかった。
 別れしなに雇用主に言った。「わしは人間なんです」
 そう口にすることができる年齢にジョージは達していたし、時代も変化していた。
 それでも、彼女は激怒した。「飼い犬」に手を噛まれる思いだったのだろう。しかし、ジョージは飼い犬ではなかった。

 こうした事例はあるものの、回想のうちに登場する白人の多くがジョージに対して公平に接している(かのように読める)。12歳のときから4年間雇用されたリトル家の人々をはじめ、製材所の主人、旅先の雇用主たちは、単なる雇用関係を越えた配慮をしている。
 ジョージがみずから語るように日々ベストを尽くしたからだろう。生活のために働き、毎日できるかぎりよい仕事をした。どんな仕事でも、報酬がいくらでも、全力投球した。勤勉さは、肌の色のちがいを越えて共感を呼ぶのである。

 芯のとおった生き方は、他人の思惑を気にしない自由な精神を育む。
 「彼女たちが公正に払ってくれたなら、それはそれで結構。公正でないとしたら、そいつは私の問題というより、彼女たちの問題だった」
 ここには、見せかけの従順さと裏腹に、独立不羈な精神がある。剛毅な、と付け加えてもよい。王侯に、その人となりを評価したからではなくてその身分ゆえに頭をさげたパスカルのように。
 このあたり、公民権運動に命をはった人々には物足りないかもしれない。ジョージの知性は世の矛盾を看過しない程度に鋭く、その心は反逆者たるには柔らかすぎた。

 シンプル・ライフ、楽天性、勤勉、矜持・・・・これはほとんど米国の開拓期の精神と重なる。
 ハックルベリー・フィンのように放浪した青春期がじつに生きいきと回想され、読んで楽しいのも当然ではある。

□ジョージ・ドーソン、リチャード・グローブマン(忠平美幸訳)『101歳、人生っていいもんだ』(飛鳥新社、2001)
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【読書余滴】リーダーの条件 ~ミルグラム実験と組織~

2010年09月08日 | 心理
 『戦争における「人殺し」の心理学』とは、ショッキングなタイトルだ。原題は“ON KILLING”とそっけないが、これはまたこれでショッキングである。
 だが、なかみは扇情的なものではなく、真摯な学術書である。
 著者デーヴ・グロスマンは、陸軍中佐。米国陸軍に23年間奉し、レンジャー部隊・落下傘部隊資格所得、ウエスト・ポイント陸軍士官学校心理学・軍事社会学教授、アーカンソー州立大学軍事学教授を歴任後、研究執筆活動に入った。
 本書は、2010年に邦訳された『「戦争」の心理学』ともども、軍人、対テロ要員、警察官などによく読まれているらしい。

 本書第20章は、「権威者の要求」と題し、「ミルグラムと軍隊」の副題がつく。
 スタンレー・ミルグラムのいわゆる「アイヒマン実験」について、このブログでは権威に盲従しない者という観点からアプローチしたが、これは市民社会における市民の務めを念頭においていた。
 グロスマンは逆に、軍隊という市民社会から独立した軍隊(とは言い切れないと思うが、細かい議論はここでは略す)という組織の効率的運営の観点からミルグラムの実験を引く。

 グロスマンが注目するのは、白衣を着た実験者=権威者=命令者が被験者を操作するときの、操作しやすさの要因である。
 権威者の近接度、権威者への敬意度、権威者の要求の強度、権威者の正当性・・・・の4要因が挙げられている。戦闘環境にも当てはめることができるからだ。

(1)被験者に対する権威者の近接度
 第二次世界大戦中、指揮官が見ていて激励している間は全員が発砲するが、指揮官がその場を離れると発砲率はたちまち15~20%に低下した。

(2)権威者に対する殺人者の主観的な敬意度
 兵士に戦闘意欲をもたせる第一要因は、直属の上官に対する同一化である。みんなに認められ、尊敬される指揮官に比べると、未知の指揮官や信頼されていない指揮官は、戦闘の際、兵士から服従されにくい。

(3)権威者による殺人行動要求の強度
 ミライ村の女子ども集団を殺害するべく最初に命じたときにカリー中尉は、「どうすればいいのか、わかっているな」とだけ言ってその場を離れた。
 戻ってきた中尉は、尋ねた。「なぜ殺していないんだ」
 「殺せと言われた、とは思わなかったので」と、兵士は答えた。
 すると、カリーは言った。「殺せとは言ってない。生かしておくな、と言ったんだ」
 そして、自ら発砲しはじめた。兵士たちは、これに倣った。

(4)権威者の権威と要求の正当性
 権威が社会的に認められた正当な指揮官は、そうでない指揮官より影響力が大きい。
 また、正統的で合法な要求は、非合法または思いがけない要求より従いやすい。
 軍の将校は、ギャングの頭目や傭兵の指揮官とちがって、正統的な権威を背負っているから、兵士に非常に大きな影響力をおよぼすことができる。

 これ以上部下に犠牲を強いることはできない、と指揮官が感じたとき、敗北につながる究極の歯車がまわりはじめる。部下を犠牲にする度胸/意思が指揮官から消えたとき、彼の指揮する軍は敗北するのだ。
 他方、栄光の炎に包まれて、部下とともに全滅する道を選ぶ指揮官もいる。すみやかに、きれいさっぱり部下と一緒に死ねるなら、そして自分の行いを背負ってその後の人生を生きていかなくて済むならば、指揮官にとって、そのほうが多くの意味で楽なのだ。

 第一次世界大戦の<失われた大隊>は、指揮官の意志によって部隊が持ちこたえた名高い例である。
 第77師団に属するこの大隊は、攻撃中に本隊から切り離され、ドイツ軍に包囲された。彼らは何日間も戦いつづけた。食糧も弾薬も切れた。手当されないまま恐ろしい傷に苦しむ戦友や仲間に、生存者は囲まれていた。ドイツ軍は火炎放射器で焼き殺そうとしてきたが、指揮官は降伏しようとはしなかった。
 この大隊は、州軍師団の民兵からなる、寄せ集めの歩兵大隊でしかなかった。にもかかわらず、軍事史に燦然と輝く不滅の偉業をなしとげたのである。
 5日後、大隊は救出され、指揮官のホイットルーシー少佐は名誉勲章(軍人に与えられる最高の勲章)を授与された。

 ・・・・そうグロスマンは伝えたあと、次のように続けて、この章を締めくくる。
 「ここまではよく知られた話だ。だが、戦後まもなくホイットルーシーが自殺して果てたことを知る人は少ない」

【参考】デーヴ・グロスマン(安原和見訳)『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫、2004)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、貧富格差の拡大に経済政策は無対応 ~ニッポンの選択第29回~

2010年09月08日 | ●野口悠紀雄
(1)低所得世帯/非正規労働者の増加
 世帯所得の絶対数の変化をみると、1995年から2007年の間に、総世帯数は728万世帯増えた。増加世帯のうち8割の600万世帯は、年間所得300万円以下の世帯だ。この階層の世帯が、全世帯の3分の1(1,500万世帯)を占めるに至った。職業的には、非正規・パートタイム労働だと推定できる。単身なら最低賃金の150万円前後、夫婦とも非正規なら300万円程度の世帯が多いだろう。
 年間所得が300万円(月収25万円)以下だと、大都市では住宅を購入できない。この所得階層の世帯は、最低レベルの生活を余儀なくされている(病気・失業に対処する余裕がない)。
 低所得階層世帯の絶対数に比べると、生活保護受給世帯数は(増加してきたものの)少ない。
 ●生活保護世帯の推移:1960年代/50~60万世帯→1970年代/除々に増加して80万世帯近く→1980年代後半から減少→1992・93年/58万世帯まで減少(その後増加)→2005年/104万世帯(その後毎年3~4万世帯増加)→2009.12/130万世帯超

 低所得階層世帯の圧倒的部分は、生活保護を受給していない低賃金労働者によって構成されていると推定される。
 つまり、過去十余年間の変化は、低賃金労働者の増加である。そして、この傾向は非正規労働者の増加傾向とほぼ同じである。1990年代中頃以降の日本の雇用者の増加は、ほぼ非正規労働者の増加によって実現してきた。
 低所得世帯構成員を2人の非正規労働者と考えると、1990年代中頃から400万世帯ほど増えたことになる。最近にみた所得300万円未満世帯の3分の2程度は非正規労働者で構成されていると推定できる。なお、最近では、5,472万人の雇用者のうち、正規雇用者が3,386万人で、約3分の2を占め、非正規の雇用者が1,699万人で約3分の1となっている。
 ●正規雇用者数:1990年代前半まで/増加→1990年代中頃/3,800万人程度→1990年代後半から減少→最近/1980年代中頃とほぼ同水準(3,300万人程度)
 ●非正規労働者数:1980年代中頃/600万人程度(その後傾向的に増加)→1990年代中頃/1,000万人超→2003年/1,500万人超→2008年秋/1,800万人近く

(2)格差の固定
 豊かな人が減っているのは事実である。所得1,000万円以上では、各階層の世帯数が2割減少している(ひとつ下の階層にシフト)。しかし、この階層では、所得が100万円減ったところで10%未満の低下でしかなく、贅沢を減らす程度で対応できる。
 その半面、貧困階層に落ちこむと、子どもの教育が十分にできなくなる。ために、階級の固定化が生じる危険性がある。そして、格差が拡大するのだから、300万円未満の世帯が1,000万円以上になるチャンスはほとんど失われてしまっている。

 高度成長期には、社会全体が豊かになるだけではなく、貧困層が富裕層になる可能性も開けていた。夢のある社会とはそうしたものだ。
 閉鎖的な社会とは、社会全体が成長しないだけでなく、貧困と富裕の間の壁を越えることができなくなった社会である。

(3)経済政策の無策
 経済政策は、日本社会の構造的変化に対応していない。これが問題だ。
 (ア)民主党のマニフェストには、貧困社会への対処という問題意識が欠落している。高校無償化や子ども手当に所得制限がない。
 (イ)税制改革は、格差拡大の方向へ進もうとしている。資産所得は分離課税だし、法人税も減税しようとしている。
 (ウ)金融緩和や為替介入をおこなったところで、企業は助かるだろうが、低賃金労働者に福音がおよぶわけではない。

(4)非正規雇用者数増加の真因
 民主党が雇用確保の観点から非正規労働者に否定的な態度をとっているのは、見当違いだ。
 この規制は、労働者にとってかえって酷だ。深刻な問題に直面しているのは、正規労働者ではなく、組合の保護がおよばない非正規労働者だ。派遣が禁止されたら雇用そのものが消滅する。製造業の生産拠点の海外移転が進めば、雇用の総量はますます縮小するだろう。

 最近の雇用調整では、正規雇用者の減少率も、非正規労働者の減少率に近い水準となっている。
 だから、「非正規労働者は、雇用調整をしやすいから増えた」というのは俗説だ。
 より大きな要因は、社会保険料の雇用主負担だ。特に厚生年金保険料の雇用主負担は、賃金コストを引き上げる大きな要因になっている。
 新興国の工業化→低賃金労働による安価な製造業製品の増加→これに対抗するために賃金コストの引き下げが必要→その手段として社会保険料の雇用主負担の低い非正規労働者に頼った・・・・というのが実態だろう。

(5)日本経済全体の構造的変化
 現在日本がかかえる貧困問題、格差問題は、救貧対策で対応できない。対症療法で改善できるものもはない。
 1990年代後半以降の貧困の増加の問題は、日本経済全体の構造の問題としてとらえるべきものだ。
 日本の経済構造を、基本から見直すべきときにきているのである。 

【参考】野口悠紀雄「貧富格差の拡大に経済政策は無対応 ~ニッポンの選択第29回~」(「週刊東洋経済」2010年9月4日号所収)
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【本】不屈のジョン・ブルたち ~『エンデュアランス号漂流』~

2010年09月07日 | ノンフィクション
 英国は、探検家を輩出した。ロバート・F・スコットもその一人である。1912年1月に南極点に到達した。
 しかし、世界で初めて南極点に立つ栄誉は、わずか34日の僅差で、ノルウェーの探検家ロアルド・アムンゼンに奪われた。帰路、スコットたちは遭難し、ふたたび故国の地を踏むことはなかった。
 ジョン・ブルは、スコット隊の悲劇から間をおかず、ふたたび南極へ挑戦する。
 名乗りをあげたのはアーネスト・シャクルトン卿であった。折しも第一次世界大戦が勃発したが、当時の海軍大臣、ウィンストン・チャーチルの激励を受けて、一行28名は旅立った。
 1914年12月5日、南極にもっとも近い捕鯨基地サウスジョージア島を背後にして南進を試みた。しかし、ウェッデル海を1年近くさまようだけで終わった。
 1915年11月21日、エンデュアランス号は沈没した。

 本書は、母船の沈没からはじまる。
 極度の寒気に強風、よって立つ流氷の崩壊、といった自然の猛威に加えて食糧が不足した。さらに燃料が不足した。隊員の体力は消耗していった。
 この危機に、シャクルトンはよく指導力を発揮し、一行をエレファント島に導く。ひとまず安堵の吐息をつけた。
 とはいうものの、このまま無為無策ですごせば全滅が待っている。
 1916年4月24日、シャクルトンは5人の仲間とともに全長6.7メートルの小艇で出発した。めざすはサウスジョージア島、800マイルのかなたである。
 風と波に翻弄される苦難のはて、5月10日、目的地に着いた。
 そして、悪天候に再三阻まれながらも、シャクルトンはついにエレファント島へ救助船を送りこんだ。8月30日のことである。隊員は全員生還した。
 島に残った隊員の気質と行動はさまざまだった。独善的で要領のよい者がいたし、気むずかしくて同僚と折りあいのよくない者もいいて、小さな波乱はあった。しかし、隊員たちは、物資が乏しいなかで創意工夫をこらし、ともかく力をあわせて生きのびたのである。

 『エンデュアランス号漂流』は、史上初の南極大陸横断、という目的を達することができなかった。
 この点で、敗者の記録である。しかし、勝者の記録よりも貴重である。逆境にあって、人間性の最良の部分が発揮されているからだ。『アナバシス』のクセノフォンとギリシア傭兵がそうであったように。
 かれらに共通する最良の部分とは、ひと言でいえば「不屈」である。

□アルフレッド・ランシング(山本光伸訳)『エンデュアランス号漂流』(新潮文庫、2001/(木村義昌・谷口善也・訳)中公文庫、2003)
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【読書余滴】小沢一郎に流れた36億円のカネ

2010年09月06日 | 社会
 小沢一郎前幹事長が、民主党の第6代代表に就任した2006年の9月25日、臨時党大会で代表に再選されると、党の組織が再編された。財務委員長のポストが新たに設置された。それまでは経理委員長が党の支出をチェックしていたが、その役目はあくまでチェックにすぎなかった。
 初代財務委員長に就いたのは、小沢の側近、山岡賢次衆院議員であった。

 山岡がまず6,800万円を引き出したのは、2006年の9月25日、小沢が党代表に再選された日である。この日以降、2007年だけで12回にわたり、計16億3,210万円を山岡は引き出している。
 山岡の後任は、これまた小沢の側近、佐藤泰介前参院議員であった(2010年7月の参院選で落選、引退)。佐藤は、2008年だけで5億3,000万円、トータルで19億円以上を引き出した。
 2007年から2010、全体の約97%を占める年5月18日まで、民主党の「組織対策費」の総額は36億5,710万円。そのうち、山岡、佐藤泰介両財務委員長に渡った分だけで35億4,210万円、全体の約97%を占める【注2】。

 「財務委員長というポストを作り、子飼いの人物に党のカネをどんどん渡すという手法は、小沢氏が民主党に持ち込んだ手法と見て間違いない」
 小沢は、同じ手法を何度もくりかえしている。
 新進党党首時代には西岡武雄幹事長(現参院議長)に35億円近くの「組織対策費」が支払われ、自由党党首時代にも藤井裕久幹事長(元財務相)らに41億円以上の「組織対策費」が支払われた。

(2)税金の私腹化
 「組織対策費」は、政党における「官房機密費」ともいわれる。受け取った議員の領収書があれば、その使途を明らかにしなくても違法性はない、というのが(2001年の)東京地検の見解であった。ただし、2001年当時の自民党には、幹事長が年間7~10億円、国対委員長が1~2億円、一般議員がモチ代として500万円から1,000万円くらいという暗黙のルールがあった。
 小沢隷下の民主党の場合、山岡のような特定の個人に渡っている。しかも、それを政治資金収支報告書に記載しなくてもよいことになっている。

 「組織対策費」は、使途を明らかにしなくとも法的には問題ない・・・・が、一般会計の「立法事務委託費(立法事務費)」が「組織対策費」に流用されている(2007年)。「立法事務委託費」は、国民が税金によって負担している。各院内会派の議員数に応じて、一人当たり月額65万円が支払われる。これを「組織対策費」に流用するのは、明らかに目的外流用である。
 換言すれば、小沢一派の議員に、税金が本来の主旨から逸れた形で渡っている。

 さらに、調査の過程で不可解な口座移動も見つかった。
 2006年12月27日(山岡財務委員長時代)、従前のりそな銀行衆議院支店の「財務委員長口座」とは別に、新たに同支店に「財務委員長口口座」が開設された。翌日には、この新口座に、旧口座から10億円移された。その2日後、この10億円は党本部の財務委員長金庫に運びこまれた。

 一連の陸山会事件の際、4億円の現金を銀行に預けたうえで同額の融資を受けていたように、小沢の周辺では不可解な資金移動がおこなわれている。

 小沢派に渡った36億円は、いったい何に、どう遣われたのか。 
 ある民主党の1年生議員いわく、2009年の「総選挙のとき、党からの交付金は受け取りました。また私はもらっていませんが、小沢さんから手渡しで500万円、または1,000万円以上もらった新人候補者もいます。資金の出所はわかりませんが、小沢さんにはとても感謝していましたね」
 政党のカネ(税金が含まれる)を、あたかも自分のカネであるかのようにバラ撒いて“私兵”を増やすシステムである。

(3)この親分にこの子分
 8月17日夕刻のニュース番組「news every」(日本テレビ系列)を見ていた民主党本部職員たちは、びっくりした。「なんで、あの人がこんなところに同席しているんだ?」
 同番組は、8月14日に京都は鴨川べりの料亭で会合する小沢たちを独占映像として報じていた。先の参院選で引退した側近、高嶋良充前参院幹事長、佐藤、そして「あの人」、西尾利逸民主党財務・経理担当事務局長・・・・事実上の金庫番である。
 映像は、小沢が頭を下げながら西尾の手を握るシーンもとらえていた。
 「週刊現代」誌が民主党本部の西尾のデスクに架電したところ、狼狽した声が返ってきた。「この電話番号、どこでわかったんですか。直接は電話は受けられません」「とにかく代表(電話)からお願いします」
 この後、言われたとおり代表宛に架電し、西尾を呼び出してもらったが、「西尾は離席しています」と女性職員が答えるばかりなのであった。

 西尾のこの行動、金丸信5億円献金事件で行方をくらませた小沢の行動ととてもよく似ている。「肝心の小沢一郎は9月に入ると外部との連絡を一切断ち隠密行動。派の重鎮である梶山さんが電話を掛けても電話口にも出ない状態だった」(野中広務『私は闘う』
 親分が隠密行動をとれば、子分は居留守を使うのである。

    *

 以上は、「週刊現代」の「スクープ」に拠る。 

 【注1】記事「小沢側近の簿外口座『民主党マル秘報告書』をスッパ抜く」(週刊文春2010年9月16日号所収)によれば、「民主党政治資金に関する特殊調査報告書」、A4版30ページ以上。
 【注2】前掲記事によれば、2005年に民主党が計上した「組織対策費」は、弁護士費用など642万円にすぎない。2006年に小沢が民主党代表に就任して以降、2010年6月までに総額36億5,700万円が輿石東ら小沢に近い5人の議員に支払われた。使途は不明だが、おそらく選挙対策、しかも小沢系の議員に多く流れた、と前掲記事は推定する。「党のカネで自分の派閥つくった」わけだ。

【参考】記事「スクープ その薄汚れた体で総理をやるつもりか 菅の参謀・仙谷が掴んだ小沢の『急所』」(「週刊現代」2010年9月11日号所収)

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【読書余滴】小沢と鳩山「ゾンビの大暴走」 ~政治とカネ~

2010年09月05日 | 社会
 8月24日夜、小沢一郎前幹事長の最終決断に向けた動きが表面化した【注1】。
 この夜、小沢は鳩山悠紀夫前首相に架電したのである。「今すぐお会いできないか」
 ホテルニューオータニの一室で、小沢、その側近の樋高剛衆院議員、鳩山、平野博文前官房長官が集い、「小鳩会談」が始まった。
 鳩山は、挙党態勢の確立を条件に、「現時点では菅さんに頑張ってもらいたいと思う」と、菅支持を伝えた。しかし、小沢は、代表戦不出馬の条件として、仙谷由人官房長官らの更迭を提示した。
 25日、鳩山は、首相官邸で、小沢の意向を菅直人首相へ直接伝達した。だが、菅は、参院選直後に小沢が会談を拒否したことなどを楯に、首を縦にふらなかった。
 26日朝、小沢は、鳩山事務所で、鳩山の支援を条件に出馬を伝えた。老獪にも、仲介役を応援団に取りこんだのである【注2】。

 8月30日夜、菅・鳩山は、記者団の前で芝居を打った。その共同会見のシナリオ・・・・会見前に輿石東党参院議員会長から菅に提案があった。「トロイカ体制を大事にすると記者たちの前で言ってほしい。そしたら人事は好きにやってよいから」云々。もう一つ、菅が6月に小沢に「静かにしていただきたい」と言ったことに詫びをいれること。
 それだけの条件で小沢に人事権を与えなくてもよいなら、菅には好条件である。
 ところが、翌日、鳩山は翻意した。
 31日の昼間、議員会館で、小沢・鳩山・輿石の三者が会談。その席で鳩山は菅に架電し、談合を持ちかけたのである。菅が断ると、輿石が電話をかけ、鳩山と同じ話をした。人事の話をしないなら4人で会ってもよい、と菅が答えると、「じゃあ、選挙をするしかないな」と輿石は電話を切った。

 鳩山、急に小沢支持へと舵をきった理由を記者団に語っていわく、、「小沢さんは私を首相へと導いた。その恩に対して恩返しをするべきだ」。
 鳩山の側近、牧野聖修衆院議員は、ガクッときた、と言う。「国民ですよ、鳩山さんを総理にしたのは! 自民党政権から一度、民主党に任せようと支持してくれたのは国民で、小沢さんじゃない」
 はたして、8月最後の週末に地元に帰った民主党議員たちは、全国津々浦々で有権者から罵声を浴びた。
 神奈川では横灸勝仁衆院議員がこんな体験をしている。「道を歩いていると、『軽井沢の研修会には行ったの?』と聞かれます。参加していないと言うと、『ああ、よかった』と。グループの人数を見せつけて、他のグループを圧勝しようとする動きには、辟易していると言われるんです」

 鳩山は、6月2日の辞任表明演説で「政界引退」を明言している。小沢も、「政治とカネ」の問題の責任を問われて、「クリーンな民主党を作りあげるため」幹事長を辞任した(はずだ)。
 わずか3か月で復権・・・・民主党のある議員いわく、「これではまるでゾンビです」。
 ゾンビのコンビ・・・・。

 「もともと小沢には代表戦に出馬する選択肢そのものがなかった。小沢がこの“戦い”挑むに当たって二つの条件が必須だった。一つは出馬に大義名分があること。そして勝算があることだ。
 今回の代表戦のタイミングを考えれば、どうひいき目に見ても小沢に大義名分はない。つい2ヵ月前に『政治とカネ』の問題で幹事長を辞任、『とことんクリーンな民主党にしてください』とダブル辞任した2人が相携えて『菅倒し』に向かうのはいかにもおかしい。
 しかも、政治資金規正法違反事件をめぐる2度目の検察審査会の審議が継続中で、代表戦への出馬は『検察審査会つぶし』【注3】と言われかねない」【注4】

 それでも小沢派の議員は、鼻息が荒い。「世論調査で、菅支持が7割といっても、それは外の世論の話だ」
 国民に選出された国会議員は、世論を形成する国民とは別世界に棲息しているらしい。

 国民のみならず、国会議員のなかでも別世界を形成しているらしい。「選対が作成した小沢支持の名簿には、約200人の議員の名前が記載されている。しかし、菅支持議員の名前を勝手に使用している。明らかに先走っていて、勢力を誇張している」(小沢派選対関係者)【注5】
 小沢派の動きに冷ややかな新人議員もいる。柴橋正直衆院議員は、小沢政治塾出身だが、菅支持を表明。次のように語る。
 「小沢さんの政治家としての手腕には期待しています。でも、小沢支配の問題は、異を差し挟むことを許さないグループの体質です。側近が虎の威を借りる狐になっている。取り巻きが大臣になり、権力を握ると危険です」

 2009年5月、小沢が西松建設の違法献金事件で代表を辞任するのでは、と騒がれた時、当時浪人中だった柴崎は地元有権者の声を要望書にまとめて、小沢に手渡した。「代表を退かれた方が、この国のためだと思います」
 そう進言する柴崎に、握手しながら小沢はこう言った。「お前のような人間が小選挙区で勝ち上がることが、政権交代につながる。全力で頑張れ」
 ところが、翌日、小沢側近から電話があり、「お前、余計なことを言ったらしいな」と早くも苦言。「あいつは許せない」という側近たちの声が伝わってきて、それ以降、小沢派の一新会倶楽部の会合には一切呼ばれなくなった。

 こうした小沢のペースにまんまと乗せられ、「伝書鳩」として振る舞ったのが鳩山なのであった。
 ベテラン政治記者いわく・・・・小沢の手法は、経世会時代からまったく変わっていない。交渉するとき、必ず使者をたてる。今回も、前首相を使って、ハッキリと具体的な要求は口にせず、あたかもポストを要求したり党を割るように思わせて圧力をかけたのだ。小沢が出ざるを得なくなった最大の理由はカネだ。党代表、幹事長時代に抑えていた政党助成金約170億円【注6】が菅政権になってから意のままに使えなくなり、官房機密費約14億円【注7】もまわってこない【注8】。このままでは150人近くいる(らしい)小沢グループの運営が難しくなってきたのである【注9】。

   *

 以上、資料1に拠る。

 【注1】資料5によれば、8月19日、軽井沢町の鳩山の別荘で開催された研修会において、小沢は出馬を伝えていない。
 【注2】このパラフラフは、資料7に拠る。
 【注3】資料4によれば、小沢の資金管理団体「陸山会」の土地取引事件で東京第5検察審査会が2度目の審査に入っていて、起訴議決となれば強制起訴される。しかし、憲法第75条の定めるところによれば、国務大臣は在任中内閣総理大臣の同意がなくては訴追されない。
 【注4】このパラグラフは、前掲資料7から引用した。
 【注5】資料6によれば、今回の立候補表明の「直後には側近議員が1年制議員を集めて現金を配っている。その際、口約束では足りず支持者にサインさせている」。
 【注6】【注7】金額は、前掲資料6に拠る。
 【注8】資料3によれば、民主党財務委員長の小宮山洋子衆院議員が担当して公認会計士とともに党内のカネの流れを調査したところ、小沢が代表に就任し、7月に参院選挙が行われた2007年、党の「組織対策費」16億3,210万円が山岡賢次財務委員長(当時)に流れていた。「子飼いの人物に党のカネをどんどん渡すという手法」である。2007年から2010年5月までの「組織対策費」の総額は36億5,710万円。そのうち、山岡、佐藤泰介両財務委員長(当時)に渡った分だけで全体の約97%にあたる35億4,210万円を占める。
 【注9】資料2によれば、ある民主党秘書いわく、「参院選の際、小沢氏は独自に秘書や配下の議員を、肝煎り候補のもとに派遣してテコ入れをしていました。ただ、党費がまったく使えなくなったため金穴に陥り、『応援のための旅費や経費は自腹を切れ』という話になり、一部でかなり揉めたそうです」。

<資料1>記事「小沢と鳩山『ゾンビの大暴走』 恥ずべき内幕」(「週刊文春」2010年9月9日号所収)
<資料2>記事「小沢一郎『総理』の可能性大」(「週刊現代」2010年9月11日号所収)
<資料3>記事「菅の参謀・仙谷が掴んだ小沢の『急所』」(「週刊現代」前掲誌所収)
<資料4>記事「呵々大笑『小沢一郎前幹事長完全勝利でも喉に突き刺さった骨」(「週刊新潮」2010年9月9日号所収)
<資料5>記事「総理就任後の『日本改造計画』の全貌 小沢総理で日本はこうなる」(「週刊朝日」2010年9月10日号所収)
<資料6>上杉隆「菅VS.小沢の民主党代表選は アンシャンレジームと破壊者との最終決戦だ」(「週刊朝日」前掲誌所収)
<資料7>後藤謙次「急転直下で出馬表明した小沢前幹事長の胸の内 ~永田町ライブ! No.12~」(「週刊ダイヤモンド」2010年9月4日号所収)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、円高に金融政策は無効 ~「超」整理日記No.526~

2010年09月04日 | ●野口悠紀雄
 為替レートが円高に動いている。これを反映して株価も下落している。「政府や日銀は、これを静観せず、積極的な対応をせよ」という論議がマスメディアで高まっている。・・・・1年前とほぼ同じ状況だ。日本の経済論議は、この1年、なにも変わっていない。

(1)「積極的な対応」といったところで、金融政策や為替政策の範囲内では打つ手はない。これまでの高金利国で、金利が低下してしまったからだ。
 ●米国の国債利回り:3.59%(2009年8月)→2.6%(2010年8月19日)
 日本は、国債利回りをこれ以上下げることはできない。金利差が縮小したので、為替介入を行っても為替動向に影響を与えることはできず、損失を被るだけの結果に終わる。
 日本は、1990年代後半から、為替介入を繰り返してきた。とくに2003年から2004年には巨額の介入を行った。→円キャリー取引を誘発した。→異常な円安が進んだ。→日本の輸出が増大した。→米国のサブプライムバブルを増長した。→金融危機を招来した。
 こうしたことは、2007年頃までの世界経済情勢の下でこそ可能だったが、現在の状況はこれと違う。
 現在、「円が有利だから投資が集まる」というよりは、「これまでドルが有利で部一句に世界の投資が集まっていたが、それが変わった」ということだ。

(2)物価との関係に注意を要する。
 貿易に影響するのは、名目の円ドルレートではなく、実質為替レート(各国間のインフレ率の違いを調整)だ。
 ●米国の消費者物価:152.4→214.5(1995年~2009年)・・・・40.7%上昇
 ●日本の消費者物価:100.7→100.3(1995年~2009年)・・・・0.4%下落

 <例:車>日本で850万円=米国で10万ドル(1995年、1ドル=85円)
     → 日本で850万円=米国で14万ドル(2009年、1ドル=【後述】)
        ※車も消費者物価平均値と同率で変化したと仮定、簡単化のため日本の消費者物価は無視。 
     ⇒ 10万ドルで販売するなら、圧倒的な競争力。
        10万ドル以上14万ドル以下で販売しても売れるし、多額の利益を稼げる。

 競争条件を1995年と同じにするには、為替レートは、1ドル=60.4円にならなければならない。
 1990年代なかばまで顕著な円安介入はなかったので、当時のレートは市場実勢を反映した正常なレートだった。現時点での正常な円ドルレートは、1ドル=60.4円程度ということになる。 
 つまり、実質レートでみれば、現在のレートは適正なレートに比べてまだかなり円安なのだ。
 本来円安であるにもかかわらず、「これでは採算がとれない」というのであれば、日本の輸出産業の競争力が1990年代中頃に比べて格段に落ちてしまったからだ。

 ちなみに、「財政危機進展→インフレ→円安→輸出増加」・・・・という意見は、誤りである。
 国内インフレの結果円安になっても、実質レートが下がるとはかぎらない。為替レートの調整が遅れたら、実質レートで円高になり、輸出産業は大打撃を受けるだろう。

(3)現在の日本で有効需要を増やす短期的政策は、国債を増発して財政支出を増やすことだ。
 金利が低水準に落ちこむと、金融政策が利かなくなり、金融緩和をしても有効需要を増やすことができない(「流動性トラップ」)。
 こうした経済においては、財政政策しか有効需要を増やす手だてはない(ケインズ)。国債で財源を調達し、都市基盤整備を行うのだ。
 この政策で増えるのは、建設国債である。子ども手当のような移転支出ではない(現状では貯蓄にまわり、有効需要を増やさない可能性が高い)。直接有効需要となる。日本の大都市で、社会資本投資によって経済環境を改善できる余地はまだ大きい。こうした投資は、将来の生産性を高め、国債の償還財源をつくるので、財政再建には逆行しない。また、長期国債金利がきわめて低水準になっているので、国債を増発しても消化に問題が生じることはない。
 現実には、経済成長が必要とされながら、公共事業は縮小し続けている。
 ●公的固定資本形成の季節調整済み対前期成長率:マイナス12.9%(2010年4~6月期、2009年7~9月期以降連続マイナス)

 短期的政策と並行して必要なのは、産業構造を変え、1ドル=60円でもびくともしない経済をつくることだ。
 製造業であれば、生産拠点を海外に移し、また世界のさまざまなメーカーから水平分業で部品を調達するようなものだ。そして、これによって減少する国内の雇用を、別の産業で補う必要がある。
 いずれにせよ、日本の経済構造は大きく変わらなければならない。円高をはじめとするさまざまな経済指標が発している基本的なメッセージは、「現在の経済構造を継続することはできない」ということだ。

【参考】野口悠紀雄「円高に金融政策は無効、産業構造の改革が必要 ~「超」整理日記No.526~」(「週刊ダイヤモンド」2010年9月4日号所収)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、「デフレが停滞の原因」という邪教批判

2010年09月03日 | ●野口悠紀雄
(1)「デフレスパイラル」論
 「デフレスパイラル」論の内容は論者によって違うし、整合的に秩序だてて述べられているわけではないが、概要次のとおりだ。
 ①製品価格が下落する。→企業利益が伸びない。
 ②利益が伸びない。→賃金を引き下げざるをえない。→消費者の所得が伸びない。
 ③将来はもっと安く買えると消費者が予測する。→購入を延期する。
 ④需要が②と③のために減少する。→受給ギャップが拡大し、さらに製品価格が下落する。→①からの過程がさらに拡大されて進行する。
 ⑤受給ギャップを埋めるため、需要を拡大する必要がある。そのためには、いっそうの金融緩和が必要である。

(2)「デフレスパイラル」論のウソ
 批判①:じつは賃金の下落より製品価格のほうが大きく下落しているため、製造業の利益が減少しているのだ。
 批判②:じつは新興国との競争のため賃金が下落しているのだ。
 批判③:単純な誤り。購入を延期しても、実質購入量は物価上昇率に関わりなく一定である。
 批判④:工業製品価格は、世界経済の条件(とくに新興工業国の供給条件)によって外生的に決まる側面が強い。
 批判⑤:(3)を参照。

(3)諸悪の根源である「流動性のトラップ」
 現在の日本では、金利が著しく低いために金融政策が利かない。
 貨幣(定期預金をふくむ)すなわち流動性に対する需要が無限に大きくなっている。→金融緩和をおこなって貨幣量を増やしても、無限に大きい需要に吸い込まれてしまう。→金利が低下しない(ケインズのいわゆる「流動性のトラップ」)。 
 この状況で有効需要を増大させるためには、金融緩和しても需要は増大しない。財政支出を増大させるしか方法がない。
 「流動性のトラップ」に陥っていない経済では、海外要因で物価が下落した場合、貨幣の実質残高が増大する。→利子率が低下する。→投資支出が増大する。→経済が拡大する(以上を「リアルバランス効果」という)。経済が拡大するので、実際の物価下落は、当初のショックよりも緩和される。
 しかし、「流動性のトラップ」の下では、リアルバランス効果が働かない。物価下落が経済を拡大しない。このため、外生的要因による物価下落圧力がそのまま実現してしまう。
 新興国工業化による供給条件の変化が世界共通であるにもかかわらず、日本における物価下落が激しいゆえんである(日本で製造業の比率が高いことも一因)。諸悪の根源はデフレではなくて、「流動性のトラップ」(金利が低すぎること)なのである。
 物価と賃金の下落から脱却するには、企業がビジネスモデルを転換し、新興国とは直接競合しない分野に進出する必要がある。または、製品の企画段階に集中して、実際の生産は新興国の低賃金労働を活用するべきである(例:アップル)。
 こうした転換には大きな摩擦が伴う。だから、企業はこれまでのビジネスモデルや産業構造を維持しようと、「原因はデフレだ」と責任転嫁したいのだ。
 かくして、産業構造はいつまでたっても転換しない。「デフレスパイラル」論は、かかる怠慢を正当化する邪教にすぎない。邪教の信者によって、日本経済は15年間停滞させられた。

(4)デフレ(デフレーション)という言葉
 ①経済学の教科書的議論において、すべての物価が一様に下落する減少をさす。さまざまな財・サービスの間の相対的価格が変化することはない(物価水準=絶対価格の下落)。
 ②しかし、日本の現状は、こうした一様な価格下落ではない。工業製品とサービスの価格動向には著しい差異がみられる(相対価格の変化)。したがって、この現象を「デフレ」と呼ぶのは、厳密には誤りである。
 ①と②では、対応が異なる。
 ①に対処するには、貨幣供給量の増大などのマクロ政策が必要だ。
 ②に対処するには、産業構造や経済行動を変える必要がある。

   *

 以上、『日本を破滅から救うための経済学』第1章「1 デフレが諸悪の根源とされている」に拠る。

【参考】野口悠紀雄『日本を破滅から救うための経済学 -再活性化に向けて、いまなすべきこと-』(ダイヤモンド社、2010)
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【読書余滴】野中広務の、小沢一郎批判

2010年09月02日 | 批評・思想
 私は昭和58年(1983年)の初当選以来、自民党の田中派に属し、竹下元総理が経世会を旗揚げした時から小沢さんのことを見てきた。その政治家が本物の政治家かどうかは、少なくとも、ここ五年間その人が何を言い、どう行動してきたかを見ればわかる。そのように小沢一郎のことを俯瞰してみると、小沢一郎の言いだした「政治改革」と、実は、自分の身を守る便法にすぎなかったことがわかってくる。(文庫版p.81、以下同じ)

 この時の経世会は派閥の会長の金丸さんの庇護をバックに小沢さんのグループが、経世会自体を乗っ取ろうとしていた。それに対抗していたのが、梶山静六さんであり、私であった。金丸さんを自民党本部に連れてきた派閥事務総長の佐藤守良さんは、小沢さんの一の側近で、あれこれと経世会を分断しようと様々な工作をしていた。(p.83)

 小沢さんは金丸問題の処理を独占するためにあらゆる手段を遣った。金丸邸に来ては「私に任せてください」と言いながらさめざめと泣いたり、号泣したりした。大の大人が本当にこれをやったのである。(中略)
 小沢さんは金丸問題の処理を独占していくことによって派内の抗争を勝ち抜こうとしていた。突然の「五億円授受を認め、副総裁を辞任する金丸会見」も、経世会の反小沢派がすべて出払っている夏休みの時期をねらって、強行したのである。(中略)
 この金丸副総裁辞任は、小沢派が主導権を派内で握っていくという意味でも重要だったが、世論、検察、国会の佐川急便疑惑の追及をかわそうという狙いもあった。つまりあの時佐川急便の献金名簿を公表するかいなかが、大きな焦点になっていた。おそらく、佐川急便側の献金名簿には沢山の議員の名前があったはずだ。そこを金丸さん一人で事態を収めようとしたと私は見ている。(中略)
 小沢さんは、宇野政権までは、権力を掌握し、得意の絶頂にいたと思う。総裁候補の宮澤、渡部、三塚の各氏を十全ビルの個人事務所に呼びつけ、個々面接を行う。その映像を見ながら、私は小沢一郎という政治家の恐ろしい一面を見せつけられたと思った。と同時にその思いあがりに強い憤りを感じていた。(pp.84-87)

 「あんたほどの人が弁護士の名前を知らんて、どういうことですか」と言ったら、金丸さんは「それは小沢にみんな任せている。だから、知らん」と言うだけだった。しかし、肝心の小沢一郎は9月に入ると外部との連絡を一切断ち隠密行動。派の重鎮である梶山さんが電話を掛けても電話口にも出ない状態だった。(pp.88-89)

 小沢さんたちのグループは自民党内でもたいへんな批判をうけた。われわれ竹下派の小沢さんグループ以外の人間はもちろん、他派閥を横断する広範な反小沢連合ができた。その広範な反小沢連合が、それまで実権を握ってきた小沢さんの責任を追及しようとしていた。
 世間の批判と竹下派内、いや自民党内の批判、この包囲網の中、小沢一郎のグループが持ち出してきたのが「政治改革」だった。(中略)
 つまり、自分たちのやってきたことの責任をシステムの問題にすり替えようとしたのである。(pp.95-96)

 小沢一郎という政治家を端倪すべからざる人物だと思い、一時期は彼の力量を買っていたこともある。ところが、そうではなくて全く逆の油断ならない政治家だと思うようになったのは平成3年(1991年)12月末のある出来事がきっかけだった。
 熱海の知人の別荘で静養している経世会会長の金丸自民党副総裁を訪ねた時に、金丸さんが打ち明けてくれた。
 金丸さんによると、伊豆の旅館・三養荘に小沢さんが、当時小沢側近と呼ばれた熊谷弘さんと杉山憲夫さん(いずれも後に新進党)を伴い訪ねてきて「何とか小沢を天下人にしてください」と懇願して帰ったのだという。手にした派閥の議員名簿の上には「○×△」の印がついていたのを見たと言っていた。○は小沢支持、×は反小沢、△は中間派という意味だったようだ。ある意味では疑い深い、猜疑心の強い人なのだろう。
 さすがの金丸さんも、「お前ら今からこんなことをしていていいのか」とたしなめたらしい。(中略)
 金丸問題の途中でも小沢さんが会長代行の辞表を出したことがあった。本人は「行動する時に瑕疵なし」と立派なことを言っていたようだが、その実、側近で経世会事務総長だった佐藤守良さんは、マスコミに包囲されて家から出られない金丸邸に来てはこんな言を繰り返していた。
 「経世会の会長だけは小沢に譲ってほしい」
 さすがの金丸さんも、
 「もう辞めていく人間が、その後の会長まで俺が指名することはできない。できる話ではない」
 と答えた。(pp.98-99)
  
 「新進党の姿勢や責任がはっきりしてええ」
 平成7年(1995年)の暮れに新進党の党首選で小沢一郎さんが党首に選ばれた時の私のマスコミ取材に対するコメントだ。
 本当の意味で政治家同士の争いができると思ったので、こうコメントしたのである。1月の通常国会召集前に開いた自民党の全国幹事長会議でも私は出席者に檄を飛ばしておいた。
 「小沢さんが党首になったことについては、いささかも怖がっていないし、恐れてもいない。小沢神話に怯えるな、そんな幻に怯えたらあかん」
 この気持ちは今も全く変わっていない。小沢一郎は常に陰に隠れ、後ろからあれこれ指図して政治を動かしてきた。しかし、外から見ても新進党内では小沢一郎が表に出なくてはならないところまで追い詰められたと私は理解しているからだ。(p.107)
 新進党でも船田元・元経済企画庁長官は、経世会分裂の時には小沢さんと一緒にトップ会談に臨んで、橋本龍太郎さんや小淵恵三さんと渡り合い、さらに小沢調査会で国際貢献についての考えをまとめた小沢さんにとっては大恩人の一人だった。その船田さんが今や新進党内の「反小沢」の急先鋒らしい。
 小沢さんと二人で細川政権を牛耳り、「一・一コンビ」と言われてきた元公明党の市川雄一さんとの関係はこんと聞こえてこなくなった。現在は私たちの仲間になっている村岡兼造国対委員長や中村喜四郎元建設大臣もかつては小沢さんの側近中の側近だった。
 毎晩のように付き合い、支えになった人が離れていく。
 党首選が終わって一カ月足らずで羽田孜さんを中心にした新しい派閥が新進党内にできたというのも、結局みな同じ流れなのである。
 経世会分裂の時は私らと激しくやりあった「小沢側近」の熊谷弘さん(元官房長官)、杉山憲夫さん、北村直人さんらも羽田グループに入ってしまっている。
 「小沢さんのためによかれ」と思って進言し、忠告しても、素直に受け入れない。疑心暗鬼になり、ある日突然、排除される。私も過去にそういう経験があるが、これはある意味で小沢一郎が政治家として危険な体質を持っていることでもある。(p.107-108)

 宗教法人法の改正法案を平成7年(1995年)9月29日に召集された臨時国会に提出すると、こちらが想像してもいなかったような反応を新進党は示した。
 「宗教法人法をぶっ潰してやる」
 と小沢さんはぶち上げたのである。
 つまり、いきなり「廃案でいくぞ」と来たのだ。
 この小沢発言がなければ、政府・与党の基本方針は慎重審議だった。つまり、「人の心」に関わる問題だから、地方公聴会、中央公聴会を開いて粛々、厳正な審議を行うというのがスタート時点の考えだった。平たく言えば、次の通常国会に継続審議になってもやむをえないということだ。実際に衆議院で慎重審議をやっていたら、改正法案は通常国会に先送りされていたのは間違いなかったし、成立できたかどうかも分からない。
 つまり、先に送ってそこで勝負しようという考えだったわけだ。
 ところが、相手が「廃案」を言ってくると、こちらも構えが違ってくる。つまり一度廃案になった法案は、二度と浮かびあがれないのが普通だ。
 ○か×か、今国会で勝負を決しなければならなったのである。
 その結果、衆院の公聴会での参考人事情聴取などすべての手続きを外して11月13日に法案は衆院を通過してしまった。さらに会期も延長して、衆院でやれなかったものは参議院でやってもらうことになった。
 つまり、ここで改正法案を通したくないという学会の希望はひとつ潰れたのである。(中略)
 そのあと、元公明党の市川雄衆議院議員が、小沢さんに食ってかかったのは、こうした背景があったのだ。市川さんにしたら、「なぜ、こんな馬鹿なことをしたんだ」という思いだったのだろう。それにたいして小沢さんは涙を流しながら、「それなら元に戻そうか」と言い返したと報道される。
 これはあの金丸切りの時の構図とそっくりなのである。(pp.117-120)

 とりわけ村山総理の「小沢一郎嫌い」は一年余り側で仕事をさせてもらって、私と同様、筋金入りだ。村山さんの「反小沢」の原点は言うまでもなく細川連立時代の国民福祉税構想などに代表される小沢さんの「独断専行・秘密主義」「唯我独尊・側近政治」、さらに強権的な行動だった。
 だから、総理大臣になっても、それは徹底していた。新進党と創価学会の関係でも世間一般の見方は小沢一郎さんは創価学会に利用されているということだろうが、村山さんは逆だ。「創価学会という宗教団体を手玉に取るような政治家とは一緒になれない」
 これが村山さんの真意だ。何度か裏切られた話、何も知らされないままボーンと国民福祉税のようにやられた話。そんなことが雑談の中で胸中からこぼれ出してきた。(p.122)

 小沢さんは選挙の神様だと思われている。「あの人だから万事怠りない」とか「あの人のやる選挙は必ず勝つ」とか言われている。いわゆる「小沢神話」である。
 が、こうした「神話」は常に小沢さんが、海部さんなり、羽田さんなりを前面に押し出して、自分が幹事長として陰に隠れていたからこそ作られたものだ。
 彼が党首になった今、果たしてかつてのような神通力が通じるものか。
 私は「小沢神話」は幻にしかすぎないと思っている。小沢さんが新進党のトップに立ったことで、やがてそれは明らかになってくると思う。
 小沢一郎という政治家は非常に優れた感覚と政策を持っている。しかし、その半面、その手法に陰湿なものがあるのは見てきたとおりである。(pp.129-130)

 小沢さんのやり方は、実はこうした官僚の考え方と非常に良く似ている。一種の愚民思想である。リーダシップ、決断する政治家と言えば聞こえがいいが、その実態は、一部の人間が前衛として国家の施策を決めていくという方法だ。これは共産主義と似ている。側近と呼ばれていた人々が小沢さんの疑心暗鬼のなか、次々と切られていくというのも組織のあり方として大変似ている。(p.159)

【参考】野中広義『私は闘う』(文藝春秋、1996。後に文春文庫、1999)
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