前号の続き
雨が久しぶりに降ったのでしばしの休息タイム
通院などに当てた貴重な1日。
さて旧松尾鉱山跡地。
明治15年 1882年 近くの兄弟が赤川を発見。
その後 大正3年、1914年松尾工業設立
硫黄の本格採掘。
大正末には国内需要の半分を生産。
昭和10年代は国内の8割。
東洋1の硫黄鉱山に成長。
雲上の楽園と呼ばれ従業員4500人、山の人口は13000人に達した。
最盛期の昭和20年~30年代は病院、小、中、高校、郵便局 文化会館など設置された。
なぜここまで発展したかというと
火薬、肥料、ゴム、マッチなどの原料となったからであった。
しかし、その後石油精製でできる回収硫黄に押され、昭和47年、1972年に廃山となってしまう。
60年の発展の歴史とその後の大量の酸性水。
北上川の中和処理の歴史。
今回は研修ということで
観光では入れない敷地に入って詳しく説明を伺った。
貴重な研修であった。
雨が久しぶりに降ったのでしばしの休息タイム
通院などに当てた貴重な1日。
さて旧松尾鉱山跡地。
明治15年 1882年 近くの兄弟が赤川を発見。
その後 大正3年、1914年松尾工業設立
硫黄の本格採掘。
大正末には国内需要の半分を生産。
昭和10年代は国内の8割。
東洋1の硫黄鉱山に成長。
雲上の楽園と呼ばれ従業員4500人、山の人口は13000人に達した。
最盛期の昭和20年~30年代は病院、小、中、高校、郵便局 文化会館など設置された。
なぜここまで発展したかというと
火薬、肥料、ゴム、マッチなどの原料となったからであった。
しかし、その後石油精製でできる回収硫黄に押され、昭和47年、1972年に廃山となってしまう。
60年の発展の歴史とその後の大量の酸性水。
北上川の中和処理の歴史。
今回は研修ということで
観光では入れない敷地に入って詳しく説明を伺った。
貴重な研修であった。