ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2024-8 街巡り 賢治と啄木たちの青春

2024年01月15日 | 日記
先日の土曜日、盛岡の街巡りを小雪降る中行った。
知っているようで知らないことが多いことをいつも実感。
新たな気づきの発見が面白いのだ。
例えば
啄木の 盛岡城跡にある石碑に刻まれた有名な歌
「不来方の お城のくさに 寝ころびて 空に吸われし 十五の心」

啄木が盛岡中学で15歳の頃、学校をたびたび抜け出してここで過ごした歌なのだが
このお城の草に注目。
盛岡城は戊辰戦争で幕府側につき、新政府に取り壊しになった城であった。
啄木が入学したのが明治31年明治35年に退学になる。
城が岩手公園として造園されたのが明治39年(1906年)
それまでは草がぼうぼうの城跡だったのだ。

賢治下宿後の賢治清水
賢治は啄木と10歳違い。賢治が盛岡高等農林に入学の際に玉井宅に下宿。
そこが賢治清水となっている。
その井戸が今でも残っている。碑に「ちゃんがちゃがうまこ」4首が刻まれている。
大正6年(1917年)「盛南地区の馬は夜明け前に下の橋を通を走り抜け蒼前神社にお参りした」とあるのだ。
つまり、今のように蒼前神社から八幡宮にパレードしたのではないのだ。
逆に、大正時代はそれぞれの地域から蒼前神社にお参りしていたとらしい。
1930年昭和5年、馬好きな秩父宮殿下が来盛した時、馬ぞろいをご覧に入れ、これが契機に
現在のパレードの原型が出来上がったと伝わっている。

最後の新渡戸稲造の生誕の石碑のところで足を滑らせてしまった。
この像と同じ銅像が多磨霊園にもある。東洋のロダンと称されたのがこの像である。







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