ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2024-9 街巡り 盛岡城跡公園

2024年01月21日 | 日記
今回は盛岡城跡約1,5キロ 90分
スタートが歴史文化会館。2011年にオープンした。その広場に原敬の記念碑。
何故か、ここはかつての県立図書館。(現図書館は西口のアイーナだが。)
図書館を建設する時、多額の資金を提供したといわれる。もちろん大正時代の建物はないが。

南部の歴史
さて盛岡城は東北の石垣三大名城といわれる。
盛岡城は南部藩の始祖 南部光行が1189年平泉の藤原泰衡との戦いでの功績により
源氏から拝領したことに始まる。
南部は元々山梨の巨摩郡南部の領主。青森の三戸町に城を構え馬産を中心に栄える。

南部藩初代南部信直は北条討伐に参加し秀吉から領地の朱印状を頂く。1590
九戸政実の乱を制定したことで不来方の地を検分、浅野、蒲生が城を築くことを進言。1591
1592 信直、秀吉朝鮮出兵で肥前に滞在中許可を受ける。
1597 2代目利直が鍬初め。しかし北上川氾濫のため完成したのは3代目の重直の時だった。1633

石垣の特徴 自然石を積み上げる、隙間に小さな石を詰める「野面積み」
石の並びが不規則な「乱積み」と規則的に並べる「布積み」
角の強度を強める算木積み(さんぎづみ)長方形の石を交互に積み重ねる。

他に丸い石を重ねる笑い積み、や補強をしたはばき石垣などがある。
本丸には天守櫓が3階建てであった。二の丸、三の丸とあり、今、三の丸の石垣を修復中。
堀は3重にあった、内堀は埋め立てられ鶴の池、亀の池として残っている。

桜山神社は場内に建立。南部家だけの社殿だった。明治に2度の変遷を経て市民に開放された。
城跡を一回りして、この方向はいいなと新たな石垣の美を再認識できた城廻だった。

午後からあんべ光俊コンサート。懐かしい「イーハトーブの歌」を味わった。

明日は1年半ぶりの東京・熱海での友人との再会だ。


コメント
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