ロンドンオリンピックで日本人が大活躍です。じっくりニュースを観る時間もなく、まして真夜中に観戦する余裕などなく、ロンドンに思いを寄せています。一秒の何分の一を競うスポーツ競技に、人間の能力の素晴らしさを思うと同時に、人の人生のいろいろを思います。
村上和雄先生(筑波大学名誉教授)がおっしゃるには、遺伝子的に人間はほんのわずかな差で能力を競い合っているのだそうです(家族からの聞きかじりですが)。大津市の中学生が同級生にいじめられたことに起因して、自ら命を絶ちました(そのように指摘され、市長が市の対応について謝罪しています)。
島本町の小、中学校において、教育委員会や学校は、生徒間における風紀の実態を把握しているのでしょうか?と、住民の方からお尋ねのメールをいただきました。生徒間の見えにくい風紀を探ることが大事ですとのご意見をいただきました。
子どもは、ときに無邪気に残酷です。同級生や仲間、あるいは上級生による心無い、残酷かつ陰湿ないじめについては、なにかとストレスの多い子どもたちの周囲では、日常的に起こりがちなものとして深刻に受け止めています。
教育の現場において、「いじめ」は人権にかかわる重要問題、場合によっては立派な犯罪であるという認識ができていないように思えてなりません。いじめがあるかと問う手法では、おそらく学校からも教育委員会からも、そのようには認識していないという返答しか期待できないでしょう。
この先生なら相談しても大丈夫、この人なら安心して相談できると思ってもらえる信頼できる大人に出会えるかどうか。信頼できる大人がいるかどうか。過日、町内在住の島田妙子さんが講演会で(お伝えできていませんが、辛い経験に基づく素晴らしいメッセージです)、子ども時代、家庭での長く深刻な虐待から一瞬にして解放されたのは、学校側が親を呼び面談する中、ある若い女性教師の「虐待しているでしょ!言い訳は許さない!」(表現は違うかも)の一言だったとおっしゃいました。
子ども心に「じゃ、今までの先生は、なんやったん」と思われたそうです。
正義ある存在、慈悲深い存在。そういう大人が身近におられたことが、幼い島田さんの救いでした。だから正しく生きられた。しかし、それが流れ星に出会うくらい難しいことであるということを、わたし自身が今日まで生きて、知っています。
「組織」「営利」「保身」というものは、それを構成する者、追求する者の良心や正義をときに踏みにじり、ときに萎えさせてしまうものです。子どもに真剣に向きあって、教師が働ける環境が崩れていると思えます。
教師に対する成果主義、能力主義が教師間の協力を奪う、保護者へ対応、教育委員会の形骸的なあり方(一例:書類はすべて執行部が作成、都合のよいことしか伝えない、役場には委員長の部屋も机もない・・・)など課題は多いです。
そして、わたし自身、頼りになる議員、信頼される人間であるかが問われています。みえにくい風紀を、慈悲深い眼差しで探れる環境、正義をもって対応できる力をつけたいと心から思います。住民のみんさんから「ありがとう」と声がかかる行政、やりがいのある仕事に出会える役場に変えていけるよう、わたしは頑張ります。お力をお貸しください。
画像は、7月に行われた「近畿市民派議員学習・交流会」
浪速生野病院 心療内科医・前大阪府教育委員長の生野照子氏の講演
教育委員会のあり方への提言、人が育つということの意味
すべて心を動かされるお話ばかりで、涙が止まりませんでした
地方議員は謙虚に頑張らなければいけないと痛切に思いました
後日、21日(土)浪速生野病院を訪ねました
医師として浪速生野病院子ども支援チームの責任者として
子どもたちのストレスをテーマに講演され、拝聴しました