8月2日、3日で合計4つの研修(講演会)を受けました。テーマは「PTTの地域経済への影響と地域再生・地域づくり」「自然エネルギーによる町づくり(梼原町)」「社会資本の老朽化の危機にどう対応するか」(以上は、NPO法人建設政策研究所関西支所主催・25,000円)。「町村行政の今後と議会の役割について」(大阪府町村議長会主催:公務)。いずれの講演も、納得、感銘、感動の連続で、今後の活動に活かします。
さて、既にお知らせしたように、議会の議決を経て、就労支援型幼稚園の導入が決定されました。8月15日の「広報しまもと」に詳細が掲載されると説明を受けています。7月5日に議員全員協議会で説明を受けて以来、どう判断するか悩み続けた議案でしたが、最終的には迷いなく反対しました。議会に寄せられた保護者(有志)の声に納得したのがその理由です。
4月には就任したばかりの乾副町長が、5月には再任用雇用職員の内、5月から「参与」という立場に位置付けられた3名のベテラン職員が、保育の現場を訪ねています。これは、たいへんなことになっている・・・これ以上この問題を先送りできないという危機感をもったと想像しています。言い換えれば、執行部は、なぜ放置していたのか・・・ということになります。乾副町長の就任前は無為無策だったということです。
たとえ、幼稚園の保護者から受入れられなくとも、保育園の過密状態が今すぐに解決することがなくとも、できることから早急にはじめなければ、いつ、なにが起こるかわからないという思いが今回の対策につながったことは理解しています。過密状態を公に認めたことは大きなことです。
5月10日に第1回めの民生部と教育委員会で協議が行われ、その後7月26日まで12回の協議を重ね(その経過は、議会審議の資料として会派で請求、すべての議員が共有しています)、職員は近隣の先行市、高槻市芥川幼稚園に視察にも行っています。保育士・保護者の正式な参加が少なすぎる協議会のあり方が気になりますが、異例のスピードで精力的に取り組まれた事実については評価しています。
就労支援型幼稚園は、男女を問わず多様な雇用が広がりつつあるなか、多様な子育てのあり方を支えるものとして選択肢のひとつになり得る、多くの保護者に受け入れられるとわたしは考えています。ただ、今回のような強引な導入では現場は大混乱してしまいます。保護者の反発も強く、不安も広がっています。
幼稚園と保育所では保護者の価値観、生活リズムが違います。幼稚園の保護者が培ってこられた保護者会、PTAの活動が変化せざるを得ないという声を、この短い間に複数の方からきいています。自らの子育て経験から、わたしには、このことの意味がよく理解できます。保護者どうしのママ友関係が、子育てに及ぼす影響を見逃してはいけません。
なにより、子どもの視点でみて、受け入れがたいことでした。従来の預かり保育(にこにこキッズというのですね)と就労支援型預かり保育が、同じ指導者(保育担当者を町はこう名づけました)、同じ部屋で行われることが、4才児にとってよい環境のはずがない。気の休まる間がなく、体力的にも疲れてしまう、なんとなくイライラして落ち着かないという事態が想像できます。
今回の就労支援型預かり保育の導入には「志善なれば」あるいは「清濁併せ呑む」という言葉が浮かばないでもないですが、幼稚園の保護者の意見を受け止めれば、賛成できかねました。2元代表制(首長も議員も選挙で直接選ばれる)のもと、首長の提案に疑義があれば、それを質し、町の施策をよりよくするために反対する理由を述べる。これは基礎自治体の議員の本来の仕事です。
これに加えて、議員に政策提案する力が求められるのが地方分権の時代。大企業の取締役を務めているという感覚が必要で、議員定数を減らすという公約を掲げて選挙に臨む感覚がわたしには理解できません。実際には、定数削減を掲げて当選しました!という新人議員に多く出会いますから、危機的状況といえます。
識者はみな同様に定数削減に否定的、批判的で、議員の資質向上こそが最重要課題だからこそ熱心な講演活動を行っておられます。しっかり学んで、さらに頑張ります。
画像は、大阪・肥後橋の里山カフェ
8月2日、議員研修(NPO主催・自主参加)の会場前の土佐堀通り
自転車で信号待ちをしている「外人さん」が、なんと旧知のトルコ人Kさん
レトロな事務所建築を活用したカフェでお茶を飲みました
広い広い大阪で偶然Kさんに会うのはこれで2度目
ああ、どうもという感じで、いつも不思議な感じがします
20代に親交のあったKさんは同い年、当時はシルベスタースターローン似
国費留学生の草分け的存在で、英語、仏語、日本語(漢字も)が堪能な秀才
当時、トルコとの国際交流組織で働いていたわたしは
トルコを知る魅力、知らせる魅力にとりつかれていました
国費留学生・就学生に講師を依頼してトルコ語講座を開き
Kさんは講師の一人で、話題は常に専門の国際政治でした
これを機に、後、40代になってわたしは知的好奇心に目覚めました
異文化との交流、衝突、葛藤が新たな価値観を創造する・・・
このことを身をもって経験できたことが今は財産になっています