ということで、TRIX冬のミニツアー@京都RAGついでの、小生のあの頃探し京都旅行記の最終回。
京都市営バス59番系統で三条京阪へ…。と思いきや、バスのルートが変わってたんですね。当時は河原町三条からそのまま三条京阪に向かいましたが、京阪京津線の地上部分の廃止に伴い、四条河原町を経て三条京阪に戻る経路になったようです。
めちゃ混みの四条河原町ではバスも動きやしませんので、四条河原町で下車してまたひたすら歩いて向かったのが知恩院前。
小生実は松ヶ崎に住んでいたのは最初の1年間だけで、学校の新校舎開設に伴いこの知恩院前のアパートに移り、残る3年間を過ごしたのでありました。
よくそんなとこに住むな~などと地元衆に言われながらも、便利な場所であることは間違いなく、サンダル履きにちゃんちゃんこで祇園から河原町方面をうろうろしたこともありましたな~。祇園から東山三条にかけてのいわば観光の中心地あたりが生活圏という、今思えばなんと無謀な3年間であったことか…。
で、ありましたありました、当時住んでいたアパート。古門前東大路をちょっと入ったところに、当時と変わらぬたたずまいで。こちらは未だ現役のようです。やっぱり立地からして需要はあるようで。アパート名の看板がずり落ちていたのはご愛嬌でしたけど。
そしてそして、当時の小生の胃袋を満たしてくれていた店もかなり残ってます。東山三条をちょこっと下がったところの「マルシン飯店」という中華、店のオヤジとオカンが客の目の前であろうがしょっちゅうケンカしていた「はやし食堂」。建物も建て替えられて代替わりしてるのかな。そして祇園にほど近い「天下一品」とかね、週に数回は通ってました。
ただこの辺りでちょっと異様な雰囲気を醸し出していたのが…知る人ぞ知る有名なかばん製造会社「一澤帆布」。当時は古いその辺りの住宅とマッチした、薄いガラス引戸の素朴な雰囲気の店構えでしたが、すっかりお洒落~な雰囲気の店になっていたのはいいんですけど…そのはす向かいに行列をなしている店があり、その名も「一澤信三郎帆布」!いやいやお家騒動があったとは聞いてましたが、まっさかはす向かいに店を出しているとは知らなんだ。しかも…行列は店の前だけでなく、裏通りまで続いています。もの凄い人気。小生がその辺りに住んでいた当時、京都市内では「一澤帆布」のタグを付けたカバンを至るところで見かけたものですが、店の前に行列まで出来ているのは見たことなかったです。それが今や全国的なブランドになっているんでしょうかね、「一澤信三郎帆布」として。(結局お家騒動で、職人が全員一澤信三郎帆布に移ってしまったということで、本当の意味での一澤帆布は「一澤信三郎帆布」が承継し、現在の「一澤帆布」はいわばもぬけの空の状態のようですな。客の入りがそれを証明しているようです。)
ちなみに「一澤帆布」の隣にある異様な住宅。(ブレててちとわかりにくいですが写真の建物です。)一応「道具」という看板を掲げているので古道具屋のようではありますが、二階部分に雑多なガラクタがこれでもかと積み上げられています。観光客も足を止めて指さしてはニヤニヤしながら見上げてますが、これ一体何なのでしょうね…。当時からその異様さは変わってません。(ただ、当時一番目立っていた埴輪がなくなってたりして、のっかってるものがだいぶ減っているようには思いますが…)古道具屋にしても店として開いていたのを見た覚えがありませぬ。だけど…この妙な風景が変わっていないのが実は一番懐かしく思えたりするものです。
さて、そんなこんなで東大路をふらふらしているうちに雲行きがだんだん怪しくなってきました。これはやばい、そろそろ目的地に向かわなくてはと、知恩院前から三条京阪まで歩いているうちに雨も本降りに。天気予報は雨降るなんて言うてへんかったやん。(にわかに関西弁に戻る)
京阪京津線の駅跡地あたりにあったこれまたやけにお洒落なレストランスペースや、三条京阪の地下駅スペースでしばし雨宿り。
時計はそろそろ17時半を回ろうかとするところ。
本当はちょこっと足を伸ばして南禅寺~哲学の道あたりも行きたかったんですけどね、さすがにもう時間はない。
さて…と。それでは最終目的地であるRAGに向かうことにしよう。
京都市営バス59番系統で三条京阪へ…。と思いきや、バスのルートが変わってたんですね。当時は河原町三条からそのまま三条京阪に向かいましたが、京阪京津線の地上部分の廃止に伴い、四条河原町を経て三条京阪に戻る経路になったようです。
めちゃ混みの四条河原町ではバスも動きやしませんので、四条河原町で下車してまたひたすら歩いて向かったのが知恩院前。
小生実は松ヶ崎に住んでいたのは最初の1年間だけで、学校の新校舎開設に伴いこの知恩院前のアパートに移り、残る3年間を過ごしたのでありました。
よくそんなとこに住むな~などと地元衆に言われながらも、便利な場所であることは間違いなく、サンダル履きにちゃんちゃんこで祇園から河原町方面をうろうろしたこともありましたな~。祇園から東山三条にかけてのいわば観光の中心地あたりが生活圏という、今思えばなんと無謀な3年間であったことか…。
で、ありましたありました、当時住んでいたアパート。古門前東大路をちょっと入ったところに、当時と変わらぬたたずまいで。こちらは未だ現役のようです。やっぱり立地からして需要はあるようで。アパート名の看板がずり落ちていたのはご愛嬌でしたけど。
そしてそして、当時の小生の胃袋を満たしてくれていた店もかなり残ってます。東山三条をちょこっと下がったところの「マルシン飯店」という中華、店のオヤジとオカンが客の目の前であろうがしょっちゅうケンカしていた「はやし食堂」。建物も建て替えられて代替わりしてるのかな。そして祇園にほど近い「天下一品」とかね、週に数回は通ってました。
ただこの辺りでちょっと異様な雰囲気を醸し出していたのが…知る人ぞ知る有名なかばん製造会社「一澤帆布」。当時は古いその辺りの住宅とマッチした、薄いガラス引戸の素朴な雰囲気の店構えでしたが、すっかりお洒落~な雰囲気の店になっていたのはいいんですけど…そのはす向かいに行列をなしている店があり、その名も「一澤信三郎帆布」!いやいやお家騒動があったとは聞いてましたが、まっさかはす向かいに店を出しているとは知らなんだ。しかも…行列は店の前だけでなく、裏通りまで続いています。もの凄い人気。小生がその辺りに住んでいた当時、京都市内では「一澤帆布」のタグを付けたカバンを至るところで見かけたものですが、店の前に行列まで出来ているのは見たことなかったです。それが今や全国的なブランドになっているんでしょうかね、「一澤信三郎帆布」として。(結局お家騒動で、職人が全員一澤信三郎帆布に移ってしまったということで、本当の意味での一澤帆布は「一澤信三郎帆布」が承継し、現在の「一澤帆布」はいわばもぬけの空の状態のようですな。客の入りがそれを証明しているようです。)
ちなみに「一澤帆布」の隣にある異様な住宅。(ブレててちとわかりにくいですが写真の建物です。)一応「道具」という看板を掲げているので古道具屋のようではありますが、二階部分に雑多なガラクタがこれでもかと積み上げられています。観光客も足を止めて指さしてはニヤニヤしながら見上げてますが、これ一体何なのでしょうね…。当時からその異様さは変わってません。(ただ、当時一番目立っていた埴輪がなくなってたりして、のっかってるものがだいぶ減っているようには思いますが…)古道具屋にしても店として開いていたのを見た覚えがありませぬ。だけど…この妙な風景が変わっていないのが実は一番懐かしく思えたりするものです。
さて、そんなこんなで東大路をふらふらしているうちに雲行きがだんだん怪しくなってきました。これはやばい、そろそろ目的地に向かわなくてはと、知恩院前から三条京阪まで歩いているうちに雨も本降りに。天気予報は雨降るなんて言うてへんかったやん。(にわかに関西弁に戻る)
京阪京津線の駅跡地あたりにあったこれまたやけにお洒落なレストランスペースや、三条京阪の地下駅スペースでしばし雨宿り。
時計はそろそろ17時半を回ろうかとするところ。
本当はちょこっと足を伸ばして南禅寺~哲学の道あたりも行きたかったんですけどね、さすがにもう時間はない。
さて…と。それでは最終目的地であるRAGに向かうことにしよう。