TOTOからはじまったイモづる式音楽日記

旧タイトル:TOTOからはじまるLA FUSION CONNECTION~ネタはフュージョンやらAORやら。

松ヶ崎~修学院

2007-12-03 23:50:14 | 旅行記
ということで、TRIX冬のミニツアー@京都RAGついでの、小生のあの頃探し京都旅行記を少々。

12月1日、京都に着いてまず向かったのが、小生が独り立ちの生活を始めた松ヶ崎~修学院方面です。思えば今から23年前になりましょうか、大学に入り京都での下宿生活を始めたのがこの松ヶ崎でした。

地下鉄の松ヶ崎駅の階段を昇るとそこは北山通り。噂には聞いてましたがいろんなおっ洒落~な店がいっぱい立ち並ぶちょっとしたデートスポット?に変貌を遂げていたのです。(ちなみにRAGは当時この北山にありました…もちろん当時の小生が行けるようなとこじゃなかったですけど、カミさんは行ったことあるって言ってたかな)まるで外国のような教会では結婚式をやってたり、ファッションビルみたいな小奇麗なブティックなんかあるかと思えば、ミドリ電化ができてたりしてね。当時ははまだ北山通りが修学院まで整備開通したばっかりで、きれいな道の脇は京都工芸繊維大学の敷地に至るまで一面の畑でしたから。所々にちょこっと残る畑が当時の面影を少しだけ残しています。

さて、目指すは松ヶ崎大黒天、「法」の字のふもとです。北山通りから1本北側の道に入ると…そこは当時と変わらない昔ながらの風景。見覚えのある掲示板の角を曲がると…あったあった!小生が初めて独り暮らしを始めた下宿屋が。(写真がその建物です。小生は2階の写真から見て向こう側の部屋に住んでおりました)京間の6畳一部屋で、風呂なし、トイレ・炊事場共同で家賃は月18,000円でした…。夜中に部屋の中にムカデが現れたり、ときどきイタチが敷地の中を駆け回ってたりしてて、当時からしてもかなり古い建物でしたから。正直残っているとは思いませんでした。とはいえ、さすがに入居者はもういないようで、朽ちている風でもないですが、人の生活の気配は全く感じられませんでしたね。

次に向かったのは叡山電鉄修学院駅。大学入学当初は原チャリもなく、当時の京福電鉄叡山線で出町柳に出て通学してたんで、その通学路をトレース。

下宿は相変わらずでしたが、さすがに駅前の当時の店はほとんど壊滅してましたね。
九条ネギが入れ放題だったラーメン屋はメガネ屋に、夜中に映画館(一乗寺に京一会館という映画館があって、普段は古い映画3本立てとかやってたんですが、土曜の夜はオールナイトでロマンポルノ5本立てとか!)に行った帰りに寄っていた吉野家は建物ごとなくなってスーパーマーケットに、独り暮らしで初めての昼飯を食った王将の修学院店もないし、時折立ち寄っていたレコード屋は朽ち果てていました。これは北山通りにいろんな店ができた影響なのか、それとも学生がこのあたりから減ってしまったからなのか…。やはり店舗は時代の影響を受けやすいもの、残念ですが時は過ぎゆくものなんですな…。

さてそれでは叡山電鉄に乗って、次なる目的地で昼飯を食うことにしよう。
コメント
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