池上電気鉄道 池上駅発行 蓮沼・蒲田駅ゆき 片道乗車券

保存状態が良くありませんが、1934(昭和9)年4月に池上電気鉄道(目黒蒲田電鉄⇒現・東急電鉄池上線)池上駅で発行された、蓮沼・蒲田駅ゆきの片道乗車券です。


   

ヤケが酷く地紋が不明ですが、B型矢印式大人・小児用券になっています。


   

裏面です。社名は「池上電気鉄道」ではなく「池上電鐵(鉄)」と略して記載されています。

池上電気鉄道は池上本門寺への参詣輸送のために開業した路線で、1922(大正11)年に蒲田駅から池上駅までの区間が開業し、その後1928(昭和3)年に池上駅から五反田駅間の全線が開業していますが、御紹介の券が発行されてから約5ヶ月後の1934(昭和9)年10月に目黒蒲田電鉄に合併され、会社が消滅しています。

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目黒蒲田電鉄 戸越銀座駅発行 桐ヶ谷・五反田間ゆき 片道乗車券

1935(昭和10)年9月に目黒蒲田電鉄(現・東急電鉄池上線)の戸越銀座駅で発行された、桐ヶ谷・五反田駅間ゆきの片道乗車券です。

   

桃色PJRてつだう地紋のB型矢印式大人・小児用券になっています。

   

裏面です。券番の他、社名である「目黑(黒)蒲田電鐵(鉄)」と発行駅名である「(戸越銀座驛(駅)發(発)行)」が印刷され、上には循環符号と思われる「(や)」の表記があります。

目黒蒲田電鉄は東京急行電鉄の前身で、(旧)東京横浜電鉄を吸収合併して(新)東京横浜電鉄という会社になり、現在の東急電鉄になっています。

発駅である戸越銀座駅および着駅である桐ヶ谷駅~五反田駅はもともと池上電気鉄道が開通させた路線ですが、1934(昭和9)年10月に目黒蒲田電鉄に吸収され、同社の路線である池上線の駅になっています。

桐ヶ谷駅は戸越銀座駅と大崎広小路駅の間にあった駅でしたが、太平洋戦争中の1945(昭和20)年5月に起きた米軍の空襲によって駅舎とホームが大きな被害を受け、空襲の激化により2ヶ月後の7月に営業休止になっています。営業休止後も駅施設は残されていたようですが、営業を再開することなく1953(昭和28)8月、正式に廃止されています。

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京成電鉄 京成成田から京成上野ゆき 片道乗車券 ~その2

前回エントリーで京成電鉄京成本線の京成成田駅で発行された、同駅から京成上野駅ゆきの片道乗車券を御紹介いたしました。
当日は同行者がもう1名居りまして、乗車券も別々の窓口で購入いたしておりましたので、今回はもう1枚の同区間の乗車券を御紹介いたしましょう。


   

前回エントリーと同じ1974(昭和49)年1月3日に京成成田駅で発行された、京成上野駅ゆきの片道乗車券です。
こちらは鼠色JPRてつどう地紋のA型一般式大人・小児用券となっており、「 月 日から有効」という前売用の欄か設けてあります。


   

前回御紹介いたしました券を再掲いたしますが、大きさや様式が全く異なっておりますが、同じ日・同じ区間の金額も同じ乗車券になります。

前回御紹介いたしましたB型券(2枚目の券)はごく一般的な乗車券用として設備されていたもので、今回御紹介のA型券(1枚目の券)は、前売用としても発売できるもので、前売の特急券と同時に発売することを想定して設備されていたようです。


   

裏面です。券番の他、「発売当日限り有効 下車前途無効」の文言と、発行駅名が記載されています。また、「⑫」の循環番号がありますように、特急券との同時発売用として使用されていたからと思われますが、かなりの枚数が発売されていたようです。

ちなみに、今回御紹介のA型券は「◯A」窓口、前回御紹介のB型券は「◯D」窓口という窓口であったようです。

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京成電鉄 京成成田から京成上野ゆき 片道乗車券 ~その1

1974(昭和49)年1月に、京成電鉄本線の京成成田駅で発行された、京成上野駅ゆきの片道乗車券です。


   

青色JPRてつどう地紋のB型相互式大人・小児用券で、山口証券印刷で調製されたものと思われます。

当時の同社社線内完結の相互式券は特徴的で、発着駅名が縦書きになっており、矢印のあたりが間の抜けたイメージがありました。


   

裏面です。券番の他、発行駅名、「発売当日限り有効 下車前途無効」の文言が記載されています。
また、発行駅名の右にあります「(47.2)」という表記は、この券が印刷された納入された時期と思われます。

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福井鉄道 越前武生駅から北府ゆき 片道乗車券

2015(平成27)年10月に、福井鉄道福武線の越前武生(現・たけふ新)駅で発行された北府(きたご)駅ゆきの片道乗車券です。


   

薄緑色福井鉄道自社地紋のA型矢印式券で、窓口端末で発券されたものになります。

前回エントリーいたしました通り、越前武生駅は北陸新幹線敦賀延伸によって越前たけふ駅が開業したため、混乱を避ける意味合いで「たけふ新駅」に駅名が改称されています。

また、着駅である北府駅は「きたご」と読む難読駅ですが、2010(平成22)年に西武生駅から駅名改称されています。

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西武鉄道 西武新宿駅から30円区間ゆき 片道乗車券

前回エントリーで、西武鉄道新宿線の西武新宿駅で発行された、同駅から40円区間ゆきの単能式券売機券を御紹介いたしましたので、同時期の多能式券売機券を御紹介いたしたいと思います。


   

1972(昭和47)年2月に西武新宿線の西武新宿駅で発行された、同駅から30円区間ゆきの片道乗車券です。
黄色せいぶてつどう自社地紋の金額式A型券で、単能式券売機で発行されたスミインク式券になります。

様式的には現在でも使用されておりますサーマル式の券売機券と同じになりますが、大人運賃が30円に対し、小児運賃が5円刻みの15円であるところに時代を感じさせます。

単能式券売機はお金を入れれば乗車券が発券されるという利点がある反面、大人用1種類の券しか発売できないという欠点がありますが、単能式券売機はお金を入れてから、乗客自身が求めている金額および券種のボタンを押して選択するという一手間が必要になりますが、その代わり、複数の金額や券種の乗車券類が1台の券売機で発売でき、さらには小児用券も発売できることから、単能式券売機はだんだん数を減らしてゆき、現在は多能式券売機が殆どになっています。

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西武鉄道 西武新宿駅から40円区間ゆき 片道乗車券

1974(昭和49)年11月に西武鉄道新宿線の西武新宿駅で発行された、同駅から40円区間ゆきの片道乗車券です。


   

黄色せいぶてつどう自社地紋のA型金額式券売機券で、単能式のスミインク券です。

当時の同社の券売機券は、単能式券については硬券に準じた様式の金額式券になっておりました。
そのため、単能式の券売機が淘汰されていく毎にご紹介の様式が無くなっていき、昭和50年代後半には消滅しています。

記憶では、国分寺駅の国鉄管理出札口にあった券売機が、一番最後まで残っていた単能式であったような気がしますが、当該機は国鉄管理であったためか桃色PJRてつどう地紋のキレート式券になっており、ご紹介のような黄色自社地紋のスミインク式券がいつ頃消滅したか、定かではありません。

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土佐電気鉄道 野市駅発行 東京都区内ゆき 片道連絡乗車券

1963(昭和38)年8月に土佐電気鉄道(現・とさでん交通)安芸線の野市駅で発行された、東京都区内ゆきの片道連絡乗車券です。


   

灰色RTCてつどうじょうしゃけん地紋のA型一般式大人・小児用券で、シンコー印刷で調製されたものではないかと思われます。
経由欄を見ますと「多・高・宇・陽・東海経由」とかなり略されていますが、「多」は多度津駅、「高」は高松駅、「宇」は宇野駅もしくは宇野線、「陽」は山陽本線、「東海」は東海道本線を示しており、乗車経路は、野市~(土佐電気鉄道安芸線)~後免町(後免)駅~(土讃線)~多度津~(予讃線)~高松~(宇高航路)~宇野~(宇野線)~岡山~(山陽本線)~神戸~(東海道本線)~東京という経路になります。

この券が発行された野市駅は土佐電気鉄道がかつて運営していた安芸線の駅でしたが、同線は国鉄新路線である阿佐線の計画線と並行していたことから、用地の転用を理由として1974(昭和49)年3月末の営業を以て全線廃止されてしまっています。
しかし、国鉄は阿佐線を開通させることはなく、土佐くろしお鉄道が後免駅~奈半利駅間の建設を引き継ぎ、ごめん・なはり線として開業しています。
同線は安芸線時代の路盤を利用した関係でほぼ同じルートを辿っており、安芸線の野市駅があった付近にはごめん・なはり線のいち駅があります。

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帝都高速度交通営団 永田町から80円区間ゆき片道乗車券

1980(昭和55)年8月に、帝都高速度交通営団(営団地下鉄。現・東京メトロ)有楽町線の永田町駅で発行された、80円区間ゆきの片道乗車券です。


   

緑色JPRてつどう地紋のB型金額式大人・小児用券で、山口証券印刷系列の帝都交通印刷で調製されたものです。
同駅では通常時での硬券による乗車券の発売は行われておりませんが、近隣にある国立劇場の催事による混雑時などに、硬券による臨発がおこなわれたことがありました。

本日は2月26日です。
いまから88年前の1936(昭和11)年2月26日未明、国家改造思想に影響をうけた陸軍皇道派青年将校20名が、陸軍の兵約1,500名を率いて重臣を襲撃し、首相官邸・陸軍省・参謀本部・警視庁・国会など永田町一帯を占拠した、歴史的な事件が勃発しています。 これが二・二六事件と言われるものでした。
このとき、斎藤實内大臣・高橋是清大蔵大臣・渡辺錠太郎教育総監がこの襲撃にあって殺害され、鈴木貫太郎侍従長は瀕死の重傷を負い、岡田啓介首相・牧野伸顕前内大臣は危うく難を逃れました。 青年将校達は陸軍大臣に面会を求め決起趣意を伝えるとともに、陸軍首脳に「国家改造」・「昭和維新」の断行を迫りました。
陸軍内では具体的な収拾策がまとめられなかったと言われていますが、昭和天皇は当初より武力鎮圧を命じ、海軍も決起軍に対して対決姿勢をとりました。
翌々の28日午後には決起軍を「反乱軍」と規定し、様々な方法で投降を勧告し、天皇の「奉勅命令」をたてに帰順を迫りました。青年将校達は1名が自決、残り全員が下士官・兵を原隊に復帰させたあと、帰順しました。 事件の首謀者は戒厳状態が続く中で弁護人なしの特設軍法会議の裁判によって死刑判決を受け、処刑されています。

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東京急行電鉄 多摩川園駅発行 渋谷駅接続JR東日本線120円区間ゆき 片道連絡乗車券

1989(平成元)年9月に、東京急行電鉄(東急電鉄)の多摩川園(現・多摩川)駅で発行された、渋谷駅接続のJR東日本線120円区間ゆきの片道連絡乗車券です。


   

桃色PJRてつどう地紋のA型金額式スミインク式券売機券で、自動改札機対応の磁気券になっています。


   

裏面です。磁気券初期のもので、茶色の磁気が塗られています。茶色の磁気券は現在の黒色の磁気券と比べて、記憶できる磁気情報のデータ量はあまり多くないとのことです。

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