JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
駿豆鉄道 三島から伊豆長岡ゆき 片道乗車券
1957(昭和32)年4月に駿豆鉄道(現・伊豆箱根鉄道)三島駅で発行された、伊豆長岡駅ゆきの片道乗車券です。
桃色JPRてつどう地紋のB型一般式大人・小児用券で、山口証券印刷で調整されたものと思われます。
ここでまず、現在の三島駅の構造を確認しましょう。
三島駅の現在の駅構内図です。伊豆箱根鉄道ののりばは南口側にあり、いかにも同じ駅構内のように見えますが、JR東海の三島駅と伊豆箱根鉄道の三島駅は通路で繋がってはいるものの独立しており、北口から伊豆箱根鉄道の乗車券でJR構内に入ることは一部の例外を除いてできません。これは「三島駅北口、伊豆箱根鉄道乗れない問題」です。
ここでの「一部の例外」とは、三島駅から修善寺ゆきの踊り子号に乗車する時と、修善寺方面から来た踊り子号から下車する時だけなのです。しかも、乗車するときはその旨を改札口で申告すれば「例外として」入場できるようですが、下車する時はJRの改札口から出場することはできず、一旦連絡改札口を通ったうえで、伊豆箱根鉄道の改札口から出場しなければならないのです。
「三島駅北口、伊豆箱根鉄道乗れない問題」から戻りますが、御紹介の券を見るとあることに気づきます。
発駅の表記が「〇靜(=静)〇A 三島」となっています。「〇A」というのは窓口番号であるとは思いますが、気になるのは「〇靜」の符号です。これは旧国鉄の静岡鉄道管理局を示しているものと思われますが、普通、このような符号のある社線発の乗車券は、国鉄側で発売されたものに印字されるケースが殆どで、そうであれば、この券は国鉄三島駅の窓口で発行されたということになります。
しかし、南口は国鉄と駿豆鉄道の窓口および改札口が並んでいるのですから国鉄側で乗車券を発売する必要はないわけであり、なぜ、国鉄側でも駿豆鉄道の乗車券を扱っていたかが理解できません。となると、当時はまだ東海道新幹線が開業してはいませんでしたので駅構内の構造は現在とは違っていたはずなので北口の存在自体が明らかではありませんが、仮に北口が存在していたとして考えた場合、当時は北口側の国鉄の窓口で駿豆鉄道の乗車券が発売されていたという仮説を考えることができます。(断っておきますが、あくまでも仮説です。あしからず・・・)