JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
常陸太田駅発行 東京山手線内ゆき 乗車券・急行券連綴券
1977(昭和52)年1月に水郡線の常陸太田駅で発行された、東京山手線内ゆきの乗車券・急行券の連綴券です。
青色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
連綴券は乗車券と急行券類の2枚が同時に発券される機会が多い駅において、2枚を同時発券していちいち計算をする手間を省略するために1枚に纏めてしまったもので、全国各地に設備例がありました。
これらの連綴券は各印刷場ごとにスタイルが異なっており、東京印刷場のものはA型券となっており、表面の様式が何となく急行券類のスタイルに準じています。
裏面です。券番の他、経由表記などの乗車券に記載されているようなことは裏面に記載されています。
水郡線には今では優等列車の運転がありませんが、当時は上野駅から常磐線・水郡線を経由して常陸大子・郡山方面へ直通した急行列車の「奥久慈」が運転されていました。この列車は常磐線内では同じく急行列車の「ときわ」と併結になっていたため、「奥久慈」と併結されていた「ときわ」は気動車急行として運転されていました。
管理人が高校時代に常磐線の南柏駅で撮影した、「奥久慈」「ときわ」の併結列車です。上野口の気動車急行は非冷房車が多かったのですが、常磐線系統の「奥久慈」「ときわ」に使用された水戸機関区には冷房車の配置が多く、同じ上野口の気動車急行ではありましたが、東北線系統の「おが」「いいで」や「ざおう」といった急行列車は非冷房車が中心でしたので、かなり格差があったような気がします。
また、常磐線内では快速列車の間を駆け抜けることからスピードが求められていたためか、出力の大きなキハ58が多く編成に組み込まれていたように思います。
末期の「奥久慈」は常磐線内のみが急行で、水戸から先の水郡線内は普通列車という運転形態に変わり、昭和60年3月改正で廃止されてしまっています。