JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
横浜駅発行 硬券式印発機券
見本券ですが、昭和40年8月に横浜駅の印発機で発券された印発機券です。
当時はまだ軟券式の印発機は開発されておらず、窓口では硬券の常備券が主流の時代でありましたが、試験的に印発機が導入されたようです。これが国鉄初の印発機券ということになります。
A型無地紋の硬券用紙に印板で印字されているもので、後に登場する軟券式印発機の硬券版といった感じです。日付と券番は機械についている文字板によって印字され、券面はゴム版の印板で印字されています。
裏面です。
裏面は何も印字されておらず、券紙には裏表がなかったものと思われます。
このような料金券も発行することができたようです。
当然ながらまだ試験段階ですので万能ではありませんが、硬券に印字する方式では券紙が硬すぎて印板の摩耗が早く、硬券式の印発機は普及しなかったと聞きます。
私がまだ小学生のころ、東京駅の国鉄本社に併設されていた「国鉄PRコーナー」にこの印発機が展示されていましたが、同館の閉鎖後、それらの展示品がどこに行ってしまったのか分かりません。大宮の鉄道博物館にも所蔵されている気配がありません。
初の印発機ではありますが、普及しなかったために資料的価値が見出されず、もう廃棄されてしまって現存しない可能性が高いと思われます。
富山地方鉄道 越中舟橋駅発行小児専用券
平成21年10月に富山地方鉄道越中舟橋駅で発行された、小児専用券です。
A型富山地方鉄道自社地紋の千切り式軟券で、電鉄富山・不二越・中加積・釜ヶ淵の各駅ゆきの両矢印式券となっています。
富山地方鉄道の有人駅には千切り式の軟券乗車券が設備されていますが、意外にも小児用券がないことに気付きます。小児断片を切れば小児用として発売することができる大人・小児用だけ設備しておけば充分であることがその理由であると思われます。
しかし、越中舟橋駅には小児専用券が設備されています。
同駅は平日のみ駅員配置の委託駅となっていますが、舟橋村立図書館に隣接するために小学生の需要が多いという事情があるのかもしれません。
82年前の乗車券
ちょうど82年前の昭和5(1930)年12月7日に万世橋駅で発行された、御茶ノ水・飯田橋間ゆきの片道乗車券です。
桃色GJRてつだうしやう地紋のB型券で、駅名が四角で囲まれた縦型表記の矢印式券となっており、当時の首都圏省線電車区間内では一般的な様式の券です。
万世橋駅は神田~御茶ノ水間のかつて交通博物館のあった位置にあった駅で、現在もホームが残されていますが、かつて駅があったとは思えない風景になっています。
同駅は明治45(1912)年に中央線の都心延伸のために開設されたターミナル駅として開業しましたが、開業7年後の大正8(1919)年には中央線は東京駅まで延伸され、途中駅となってしまいます。
途中駅となってしまった同駅は縮小されて鉄道博物館(のちの交通博物館)が併設されましたが、昭和18(1943)年11月には不要不急駅として休止され、事実上は廃止されているようなものですが、書類上は休止されたまま現在に至っています。
興亜海上火災運送保険 簡易交通傷害保険申込書
頂きものですが、興亜海上火災運送保険(現・日本興亜損害保険)の簡易交通傷害保険申込書です。
JPRてつどう地紋のC型券で、印刷会社が不明ですが、地紋や活字の字体から山口証券印刷で印刷されたものではないかと推測されます。
切取点線で上下に分かれており、上の片が申込書・下の片が保険契約者の受付票(控え)となっています。詳細はわかりませんが、申込書に保険契約者氏名と被保険者氏名・年齢、投入月日・時間を記入するようになっています。駅に申込のスタンドのようなものがあり、記入後スタンドにあるポストへ投入することにより傷害保険契約が締結される仕組みになっていたものと思われます。
申込書および受付票の表記の右側に「〇東」の符号があることから、東京鉄道管理局管内の駅に置かれていたものと推測できます。
現在でも空港に交通傷害保険の自動契約機が設置されていますので、その原型のようなものでしょう。
券の裏面です。
表面の申込書に必要事項を記入の上、申込書と受付票を切り離して申込書を投入した時間から168時間(満7日間)、旅行中に何らかの事故によって傷害を被った場合に保険金が支払われるようになっていたようです。
保険引受会社であります興亜海上火災運送保険株式会社は現在の日本興亜損害保険の前身で昭和19年に大北火災保険以下4社が合併して発足しましたが、昭和29年に興亜火災海上保険株式会社に改称され、平成13年に現社名となっています。
以上の経緯からして、この申込書は昭和20年代に印刷されたものと思われます。
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