苫小牧から250円区間ゆき 片道乗車券

前回エントリーで小田急電鉄相武台前駅で発行された、「から」を「ゆき」と印刷してしまったと思われる誤植券を御紹介いたしましたが、似たような例が国鉄でも起こっていたようですので御紹介いたしましょう。


   

1980(昭和55)年2月に室蘭本線苫小牧駅で発行された同駅から250円区間ゆきの片道乗車券で、桃色こくてつ地紋のB型金額式大人・小児用券で、札幌印刷場で調製されたものです。

この券の場合は発駅の「から」に相当する部分が矢印になっていますが、本来であれば右向きの矢印「➡」であるところが、左向きの「⬅」になってしまっています。


   

発行駅は異なりますが、札幌印刷場の同じ様式の券になります。
ただし、この券の場合は矢印の向きはきちんと右向きで正解ですが、発駅名が「千歳空港」となるべきところ、「千空歳港」になってしまっている、やはり誤植のミス券になります。

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小田急電鉄 相武台前ゆき170円区間ゆき乗車券?

1974(昭和49)年10月に、小田急電鉄小田原線の相武台前駅で発行された、同駅から170円区間ゆきの片道乗車券です。


   

桃色PJRてつどう地紋のB型金額式大人専用券で、シンコー印刷で調製されたものと思われます。

一見なんの変哲も無い金額式券に見えますが、よく見てみますと、発駅の「相武台前から」の表記が「相武台ゆき」になってしまっている誤植のミス券で、相武台前から170円区間の駅からの復路用乗車券のようになってしまっています。


   

発駅部分を拡大してみました。たまたま入鋏が文字の部分に掛からないように入れられていますのでよく分かりますが、思いっきり「から」の部分が「ゆき」と書かれています。

このような券は購入したときには意外と気づかないもので、電車に乗って何気なく観察した時に気づくものです。購入した時に気づいていれば、何枚かコレクション用に購入していたと思います。
恐らく駅の現場でも、まさかこんなことになっているとは思いませんから、気づかれずに発売されていたのだと思います。ちなみにこの券は券番が0446となっており、同じ印刷のロットが何番から始まっているのかは不明ですが、最低でも過去に46枚は気づかれずに発売されてしまっていたのだろうと推測されます。


   

発行駅は異なりますが、同線参宮橋駅で発行された、同じ様式の券です。きちんと「から」と記載されています。

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東京メトロ 西日暮里駅発行 都区内から都区内ゆき 区間変更券

2022(令和4)年10月に東京メトロ千代田線の西日暮里駅のJR線乗換改札にある出札窓口で発行された(東京)都区内から都区内ゆきの区間変更券です。


   

灰色東京メトロ自社地紋のA型印発機で発券された改札補充券になります。
発駅は西日暮里駅になりますが、券面は「都区内から千代田線経由都区内ゆき」という大変理解に苦しむ区間の乗車券です。
券面の有効区間は「(東京)都区内から千代田線経由、東日本線(東京)都区内ゆき」となっており、西日暮里駅から東京メトロ千代田線を経由して常磐線各駅停車に直通し、JR東日本常磐線の東京都区内の駅である綾瀬・亀有・金町の各駅で下車する内容になっています。

この券はJR東海の新大阪駅で発行された大阪市内から東京都区内ゆきの片道乗車券を原券として、同精算所で西日暮里駅〜北千住駅間を東京メトロ千代田線経由で常磐線の亀有駅までの変更を申告して購入したものです。原券の着駅が東京都区内ゆきであれば、JR東海のように東京メトロ(東京地下鉄)線とは連絡運輸が設定されていない区間からの乗車券でもこの券が発券されます。


   

こちらが当日、原券となった乗車券です。精算の原券になりますので恐らく使用済でも手元に残すことはできないと考え、敢えて記念に戴けるかどうかは聞かずに精算前に携帯で写真を撮っておいたものになりますので、画像が歪んでいます。

原券の乗車券は東京都区内までであり、西日暮里駅のような東京都区内の駅で下車した場合は下車前途無効ですので、同駅で東京メトロ線に乗り換えた時点で下車したことと見なされ、たとえ旅客が亀有駅を最終目的地と考えていても乗車券は前途無効として回収されます。
しかし、常磐線各駅停車のみが停車する駅は上野・日暮里からの快速や普通列車では北千住駅で地下の各駅停車ホームへの乗換えが発生することから、乗換えによる不便を解消するため、西日暮里駅〜北千住駅間の東京メトロ線の運賃を別途精算することで都区内着の乗車券をそのまま使用して東京メトロ千代田線を経由して旅行を継続できるという特殊な取扱いがあるようです。

先ほど、「JR東日本常磐線の東京都区内の駅である綾瀬・亀有・金町の各駅で下車する内容」と申し上げましたが、北千住駅で常磐線の上野方面に乗車して、北千住・綾瀬・亀有・金町以外の東京都区内の各駅で下車することも可能のような気もしますが、一般的にそのようなことをする旅客は皆無でしょう。

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JR北海道 網走から札幌市内ゆき 片道乗車券

1995(平成7)年3月にJR北海道石北本線の網走駅で発行された、札幌市内ゆきの片道乗車券です。


   

青色JR北地紋のA型一般式大人・小児用券で、札幌印刷場で調製されたものです。
経由表記は「石北経由」となっておりますが、網走~(石北本線)~新旭川~(宗谷本線)~旭川~(函館本線)~札幌という経路になり、道内完結になりますが、営業キロが374.5kmにおよびます。

JR北海道はJR旅客鉄道6社のなかでは硬券乗車券を遅くまで常用しており、平成7年になっても御紹介のような長距離乗車券もちょくちょく見かけました。
特に、札幌印刷場の様式は他の5社とは違い、「札幌市内下車前途無効」といった注意書きが表面に印刷されていたのが特徴です。

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JR四国 三原から東京都区内ゆき 片道乗車券

1993(平成5)年2月にJR四国予讃線の今治駅で発行された、JR西日本山陽本線の三原駅から東京都区内ゆきの片道乗車券です。


   

青色JR四地紋のA型一般式大人・小児用券で、高松印刷場で調製されたものです。


   

裏面です。券番の他、東京都区内下車前途無効の注意書きが記載されています。

御紹介の券は今治駅で発行されていますが、発駅が三原駅という他駅発の片道乗車券であり、また、発行駅がJR四国の駅であるのに対し、発駅がJR西日本の駅であるという、かなり特徴のある常備券になります。
今治駅と三原駅の間には瀬戸内海があり、直線距離でも40km程度離れていますが、このような乗車券が設備されていた理由は、当時の付近の交通事情にあったようです。

この券が発売されていた当時、今治駅から約1Km、バスで約5分のところに今治港フェリーターミナルがあり、ここから三原港までの三原・今治国道フェリーという航路がありました。
この航路は昭和海運と瀬戸内海汽船の2社が共同運航していたフェリー航路で、最盛期には従来型のフェリーと高速船がそれぞれ1時間間隔で1日18往復運航されており、航海時間はフェリー1時間45分、高速船60分という利便性がありました。
そのため、今治から大阪・名古屋・東京方面へ行く旅客は、予讃線と本四備讃線・宇野線を経由して山陽本線の岡山駅に出てから新幹線に乗るよりも、フェリーで三原まで海を渡り、そこから新幹線で東京まで行く方が時間的に有利であったために需要が高く、ご紹介のような全く自社線(JR四国)を経由しない片道乗車券の常備券が設備されていたものと思われます。

しかしながら、1999(平成11)年にしまなみ海道が全通すると、いままで船で海を渡っていた旅客は、橋を渡って福山駅まで1時間半、広島まで2時間半で走る高速バスにシフトしてしまうため、三原・今治国道フェリーは航路廃止に追い込まれます。当然ながら、今治駅から三原駅を経由して東京方面へ向かう旅客の需要は皆無になり、御紹介の券の需要はなくなっているものと思われます。

航路廃止になった後も、同航路はせと観光ボートという会社に引き継がれて高速船のみが運航されていましたが、こちらも2007(平成19)年に廃止されているようです。

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「◯委」 草津温泉駅発行 B自由席特急券

1985(昭和60)年11月に「◯委」草津温泉駅で発行された、長野原(現・草津長野原口)駅からの200kmまでのB自由席特急券です。


   

桃色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
御紹介の券は発駅名が空欄になっているもので、発駅が記入式になっている200kmまでの券であることから国鉄内部では「記B◯自特②」と呼ばれていたようです。

この券はこの券が発売された1985年3月のダイヤ改正で、それまで上野から万座・鹿沢口駅間を運転しておりました「急行草津」号が特急列車として格上げされた「新特急草津」号用に発行されたものになります。

「新特急」という愛称は現在では使用されておりませんが、当時の国鉄が1985年3月のダイヤ改正によって、上野発の東北本線や高崎線を走る急行列車を一斉に特急列車に格上げし、そのときに格上げされた列車について付けられた愛称で、特急や急行といった列車種別ではありませんでした。
「新特急」は今までの特急列車のような指定席が基本という列車編成でははく、急行列車のような自由席が基本として列車編成になっており、それまでは定期券では乗車できなかった特急列車にも特急券を購入することによって乗車できるようにし、50kmまでの区間については急行列車と同額の特急料金とされていました。
特急列車を名乗っていても、事実上は急行列車という中途半端な存在の列車ではありましたが、185系などといった従来の考え方では急行列車で充分であった旅客設備の車両を使用して特急料金を徴収できた訳ですから、当時の国鉄としては増収策の一環として捉えられていたものと思われます。
しかしながら、新特急の愛称は2004(平成14)年のダイヤ改正によって廃止されています。

「〇委」草津温泉駅は当時、国鉄バス(現・JRバス関東)志賀草津高原線の自動車駅で、JRバスと鉄道線間の連絡運輸が廃止された現在も「草津温泉バスターミナル」として営業しています。

草津温泉駅は、国鉄バスの他に草軽電気鉄道や西武自動車、上田丸子電鉄(現・上田電鉄)、長野電鉄などのバス路線が、路上にそれぞれ設けていた停留所の一元化を図って利用客の利便性を向上させるために、草津町が中心になって設置されたバスターミナルで、草津町との第3セクターである「草津バスターミナル株式会社」が設立されて開業しています。開業にあたっては、国鉄も約3割弱の出資をしていたようです。

そのため、自動車駅とはなっていますが、国鉄直営の駅ではなく、第3セクターに業務委託された業務委託駅となり、この券の発行箇所名も「〇委」草津温泉駅という標記になっています。

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