趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
沼津駅発行 荻窪駅ゆき片道乗車券
1957(昭和32)年4月に東海道本線沼津駅で発行された、中央本線荻窪駅ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のA型一般式大人・小児用券で、名古屋印刷場で調製されたものと思われます。
経由欄には「熱海経由」と記載されており、御殿場線を経由せずに東海道線が経路になっていることは分かりますが、その先については相模線・横浜線・南武線と経由の選択肢があるものの、特段記載がありません。ただし、普通に考えれば品川駅もしくは東京駅を経由し、中央本線に至るというルートが設定されているルートなのでは無いかと思われます。
着駅の表記部分を拡大してみました。「荻窪ゆき」と1駅表示になっていますが、「荻」と「窪」の活字の大きさが異様に異なっており、バランスの悪い印刷になってしまっています。
京成電鉄 センター競馬場前駅発行 京成津田沼駅接続 新京成線100円区間ゆき 片道連絡乗車券
年月に京成電鉄本線のセンター競馬場前(現・船橋競馬場)駅で発行された、同駅から京成津田沼駅接続、新京成線100円区間ゆきの片道連絡乗車券です。
鼠色JPRてつどう地紋のB型金額式大人・小児用券で、山口証券印刷で調製されたものです。
発駅であるセンター競馬場前から接続駅である京成津田沼駅までは途中1駅の初乗り区間(100円区間)になり、京成船橋からの新京成線の100円区間の初乗り区間になることから、御紹介の券は初乗り区間を乗り継ぐ連絡乗車券となっており、運賃は双方100円区間の合計200円であるところ、10円割引の190円になっています。
裏面です。券番の他、「発売当日限り有効 下車前途無効」の文言と、発行駅名の記載があります。
新京成電鉄は京成電鉄の完全子会社であり、グループ企業ですが、会社としては別会社になっていることから、両線を乗り継ぐ場合は連絡運輸の扱いになります。
しかしながら、利用者の側から見れば「同じ会社」に見えないこともなく、単なる乗換駅で同じ会社の別路線に乗換える感覚であり、それなのに乗換の都度初乗り運賃を収受されることに、若干の抵抗がある利用者も少なからずいるかと思われます。
藤沢駅発行 ◯企 平塚七夕まつり記念往復乗車券
いまから41年前の1982(昭和57)年7月7日に、東海道本線藤沢駅で発行された、平塚七夕まつり記念往復乗車券という企画乗車券です。
当時は一般的であった、左側に記念図柄、右側に乗車券というオーソドックスな様式です。
裏面です。
御紹介の企画乗車券は、平塚駅周辺で行われている平塚七夕まつり(現在は湘南ひらつか七夕まつり)期間中に発売されていたもので、平塚駅出改札の混雑を緩和させるため、平塚駅で出場する際は改札掛に見せるだけ、平塚駅での復路の乗車券購入の必要のない往復乗車券として企画されたものです。その他にも、往復分の運賃収入を確保したいという発行駅側の理由や、帰路に路線バスやマイカーなどを利用されてしまうことを防ぐための増収策という大人の事情もあったと思われます。
乗車券部分を拡大しました。青色こくてつ地紋、横赤一条のA型券スタイルで、矢印式の前売り券になっており、発行日付は 57-7-7 になっていますが、イベント期間中の7月11日(2023年は9日)まで、このままの日付で発売されています。
「57-7.11までの間に1回限り有効」とありますので、7日に往路分を使用し、現地で宿泊して翌8日以降11日までの間に帰路分を使用しても問題はないものと解釈します。
同区間の営業キロは12.7kmで、当時の国鉄運賃が180円でしたので、180円x2回分で360円であり、割引の要素はない企画乗車券であることになります。
乗車券部分の裏面です。途中下車および区間変更はできない旨と、平塚駅では係員に見せるだけである旨が記載されています。
東京都交通局 電車乗継券
昭和40年代中頃と思いますが、東京都交通局がかつて運行していた都電の乗継券です。
都電の一乗車単位の乗切り制運賃を採用していますが、目的地によっては一つの系統だけでは行けず、他の系統に乗換をしなければならないことがありますため、そのような場合には乗継券が発行されました。
乗継券には発行した日と時間が入鋏されて発行されるため、発行当日以外や、当日でもやたらに時間が経過した場合には効力がありません。
御紹介の券は27系統と32系統間の乗継券です。
27系統は赤羽駅から王子駅前を経由して三ノ輪橋まで、32系統は早稲田から大塚駅・王子駅前を経由して荒川車庫までとなっており、例えば32系統早稲田から27系統三ノ輪橋まで行く旅客は、27系統と32系統が共有で運転されている王子駅前~荒川車庫間のどこかで乗換える必要がありました。その際、先の電車を降りる時に乗換える旨を車掌さんに告げると、このような乗継券が発行されました。
このような場合の他、車両故障等で後続の電車に乗換えて貰う時にも発行されたようです。
現在、都電の27系統は赤羽駅から王子駅前間が部分廃止されて王子駅前から三ノ輪橋間のみとなり、2つの路線は「荒川線」として一つの路線にまとめられ、「さくらトラム」の愛称で運転されています。
そのため、今でも都電は一乗車単位の乗切り制運賃を採用しておりますが、早稲田から荒川車庫前ゆきに乗車して、その先の三ノ輪橋まで行く場合には「一つの路線」になりますため、乗継券は発行されず、再度運賃を支払って乗車することになります。
東京都交通局 無軌条電車片道乗車券
発行された日の特定ができませんが、昭和40年代初頭に発行された、東京都交通局無軌条電車の片道乗車券です。
無軌条電車は文字通り軌条(レール)のない電車のことで、一般的にはトロリーバスと呼ばれています。
東京都交通局にはかつて無軌条電車の路線が4系統ありました。
御紹介の券は無軌条電車末期のころの乗車券で、乗車すると車掌さんが回って来て運賃の20円と引き換えに乗車券を手渡されました。
このやり方は都電と同じスタイルでした。同時期の都電にも同じような乗車券がありましたが、レールのある都電の運賃が15円なのに、レールのない無軌条電車の運賃が20円と、何だか不思議な感じです。
都電の乗車券については、拙ブログ2014年6月2日エントリーの「東京都交通局 電車片道乗車券」で御紹介していますのでよろしければご覧下さい。
無軌条電車が運転される上空には架線が張りめぐらされ、ときどき火花が飛んだり、ポールの先についている滑車が架線から外れてしまうことがありました。そういうときには車掌さんが降りてきて、架線から外れたポールを戻す作業をしていました。
また、路線によっては東武線の踏切を渡るところがあり、そのようなところでは一旦ポールを下ろして格納し、搭載されているディーゼルエンジンをかけて踏切をノロノロ渡り、渡り終えたら再度ポールを架線に戻すという作業もありました。
そのような力仕事が多かったからか、都電同様に車掌さんは男性だったような気がします。
小田原駅発行 270円区間ゆき 印刷発行機券
年月に東海道本線小田原駅で発行された、小田原から270円区間ゆきの片道乗車券です。
若草色特殊用KOKUTETSU地紋用紙を使用した印刷発行機券で、キレート式時代のものです。
国鉄の印刷発行機で発券される乗車券は殆どが一般式の記載になっていますが、近距離券については相互式など、様式が異なるものが散見されており、小田原駅では金額式のものが存在していました。
デザイン的には当時一般的であった国鉄の金額式券売機券に準じておりますが、印発機券となると少々違和感があります。
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