唐突ですが、12月14日といえば、忠臣蔵。
赤穂浪士の討ち入りが、12月14日の夜のためです。
が、実はこれは旧暦、つまり当時の暦でのこと。
赤穂浪士の討ち入りは元禄15年12月14日のことなのです。
これを西暦に置き換えると、1703年の1月30日。
ところが、元禄15年というのは、おおむね西暦の1702年に対応するのです。
赤穂浪士の討ち入りは1702年の出来事と言うべきか、1703年の出来事というべきか?
旧暦と現行暦のズレに戸惑います。
さて、先ごろNHKの大河ドラマ『龍馬伝』が最終回を迎えました。
龍馬といえば、誕生日に暗殺された、と、よく言われています。
しかし、これも旧暦の話。
西暦に置き換えると、生まれは1836年1月3日で、殺されたのが1867年12月10日。
あら不思議、という感じですね。
しかし、誕生日に殺された、としたほうがドラマティックではあります。
ただし、この当時、人々には生まれた日付けに対する意識は薄かったはず。
何しろ誕生日を祝う習慣はありませんでしたから。
日本中の人全員が元旦に一斉に年を取るという慣習だったわけです。
このあたりが、今の感覚とまったく違うところでしょう。
西暦ベースで言えば、つい先日、龍馬の暗殺から143年がたったということになります。
大河ドラマのおかげで、京都にも龍馬関係の史跡を巡る方たちが多くこられました。
さて、来年は『江』だそうです。
ちょっと京都とのかかわりは薄そうですが。
金戒光明寺という銀閣寺近くのお寺にお江=崇源院の宝篋印塔があります。
供養等のようなものですから、お参りしてはいかがでしょうか。
再来年の大河ドラマは、平清盛
そちらのほうが京都とのかかわりが深く、期待できそうです。
再来年のことなど言っていると、鬼どころか、悪魔が笑うでしょうか。
”あいらんど”