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サケ漁先住権訴訟 権利「やっと語れる」 各地で連帯の動き

2020-10-10 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/10 05:00
 アイヌ民族にはサケ漁を行う先住権があるとして、確認を求めた訴訟の第1回口頭弁論で、原告のアイヌ民族団体ラポロアイヌネイション(十勝管内浦幌町)は9日、儀式など文化的な理由でしか捕獲ができない現行制度の規制は、アイヌ民族には適用されないと強調した。各地のアイヌ民族団体も先住権の確認を求める国内初の訴訟を注視。連帯する動きも広がっている。
 「生活に結びつく生業としてサケをとり、経済的に自立することを目標にしている」。9日の弁論後、札幌市内で開かれた報告会で、ラポロアイヌネイションの差間正樹名誉会長は、訴訟の意義をこう強調した。
 明治以降、河川でのサケ漁は開拓使によって規制され、1951年制定の水産資源保護法で全面禁止になった。道も64年、道内水面漁業調整規則を制定し禁止措置を明文化。86年から許可申請を条件に道が同規則上の特別採捕を認めるが、目的は文化や伝統儀式の継承に限られ、経済活動としてのサケ漁はできない。
 訴状のなかで、浦幌十勝川流域のアイヌ民族が江戸時代、集団(コタン)ごとに独占的にサケ漁をしていたとした主張は、新北海道史の総編集長も務めた研究者、高倉新一郎の文献などが根拠だ。原告代理人の市川守弘弁護士(旭川)は「いわば外国だった北海道を明治政府が不当に国有地化しており、規制は当たらない」とする。
 同日の弁論を傍聴した静内アイヌ協会(日高管内新ひだか町)の葛野次雄会長は「ようやくこうした問題を語る場ができた」と歓迎する。「原告の主張は多くのエカシ(長老)やフチ(おばあさん)が言いたくても言えなかったこと。これからもっと声を出していきたい」と力を込める。
 サケ漁を巡っては、道の許可を得ずに河川でサケを捕獲したとして今年2月、紋別アイヌ協会長らが水産資源保護法(サケの採捕禁止)違反などの疑いで道警に書類送検された。
 会長らはその後不起訴処分となったが、この事態に危機感を強めたアイヌ民族らが3月、市民団体「アイヌ(=ひと)の権利をめざす会」を発足。紋別アイヌ協会の主催で9月、紋別市内で行われた儀式「カムイチェプノミ」には、めざす会の呼び掛けでラポロアイヌネイションの会員ら15人のアイヌ民族が集まり、権利回復を求めることを確認した。
 めざす会はサケ漁の権利回復を求める署名運動も行い、すでに約3千筆が集まった。早ければ年度内に国や道に提出する方針。貝澤耕一共同代表(日高管内平取町)は「裁判所がアイヌの権利をいかに検証するか注目している」。先住権を明記し、国連が2007年に採択した先住民族権利宣言は日本政府も賛成票を投じており、「政府は宣言に沿って権利を認めるべきだ」と話す。(斉藤千絵、田鍋里奈)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/469275

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国と道、請求棄却求める アイヌ民族サケ漁先住権訴訟

2020-10-10 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/09 23:57 更新
 アイヌ民族には地元の川でサケ漁を行う先住権があるのに不当に漁を禁止されているとして、十勝管内浦幌町のアイヌ民族団体「ラポロアイヌネイション」(旧浦幌アイヌ協会)が国と道を相手取り、同町の浦幌十勝川でサケ漁を行う権利の確認を求めた訴訟の第1回口頭弁論が9日、札幌地裁(高木勝己裁判長)であった。国と道は請求棄却を求め、争う姿勢を示した。
 訴状によると、浦幌十勝川流域のアイヌ民族は江戸時代、集団(コタン)ごとに独占的にサケ漁をしていたと指摘。国による漁規制に対し「正当な理由がなく、漁業権は今もある」と訴え、河口から4キロまでの漁業権は各集団の子孫でつくる原告が引き継いだとしている。
 河川でのサケの捕獲は水産資源保護法などで原則禁止されている。道は伝統儀式の継承などの目的に限り例外的に認めているが、原告は経済活動として漁業を営む権利を主張。国、道側は次回以降の弁論で具体的に反論するとした。
 先住権は先住民族が伝統的に持っていた土地、資源に対する権利や自決権を差し、国連が2007年に採択した先住民族権利宣言に明記された。国は昨年5月施行のアイヌ施策推進法でアイヌ民族を先住民族と明示したが、先住権には触れていない。アイヌ民族の先住権の確認を求める訴訟は国内で初めて。(角田悠馬)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/469164

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アイヌ先住権訴訟、国側争う姿勢 民族団体のサケ捕獲巡り

2020-10-10 | アイヌ民族関連
東京新聞 2020年10月9日 19時04分 (共同通信)
 北海道浦幌町のアイヌ民族の団体「ラポロアイヌネイション」(旧・浦幌アイヌ協会)が、河川での経済的なサケ捕獲は先住民族が持つ権利「先住権」だとして、法や規則で禁止されないことの確認を国と道に求めた訴訟の第1回口頭弁論が9日、札幌地裁(高木勝己裁判長)で開かれ、国と道は請求棄却を求めた。
 訴状などによるとラポロアイヌネイションの構成員の先祖は、明治政府がサケ漁を禁止するまで同町を流れる浦幌十勝川でサケなどを捕獲していた。明治政府がアイヌの漁猟の土地を奪ったのは不当だとして、ラポロアイヌネイションが今もサケ捕獲権を引き継いでいると主張している。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/60869

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サケをとる権利を求めアイヌ団体が提訴 札幌地裁で裁判始まる 北海道(動画)

2020-10-10 | アイヌ民族関連
HBC 2020/10/09 18:40

サケをとる権利を求めアイヌ団体が提訴 札幌地裁で裁判始まる 北海道
(HBC北海道放送ニュース)
 十勝の浦幌町のアイヌ団体が、サケを取るのは、先住民族に認められている権利だとして、国や道を訴えた裁判が、9日、札幌地裁で始まりました。
 訴えを起こしたのは、浦幌町のアイヌ団体・ラポロアイヌネイションです。
 法令で禁じられている十勝川下流でのサケの捕獲について、アイヌ民族が持つ「先住権」に基づき、規制は適用されないとし、漁業権を訴えています。
 「文化の継承にもなるんですけど、サケをとって、それを売買して、私たちの生計を立てるのを目標としています」(ラポロアイヌネイション・差間正樹名誉会長)
 被告の国と道は、請求の棄却を求め、12月17日の第2回の口頭弁論で反論するとしています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d5a71e02b4adeaf7ddfa320c0578275fbe02ac2a

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サケ捕獲は「先住民の権利」アイヌ団体が権利確認求め初弁論 先住権求める裁判は国内初

2020-10-10 | アイヌ民族関連
STV 10/9(金) 21:29
北海道・浦幌町のアイヌ団体「ラポロアイヌネイション」がサケを捕獲することは先住権で認められていることの確認を、国や道に求める裁判が9日、札幌地裁で始まった。先住権を求める裁判は国内初。訴状によると明治初期に国がサケ漁を禁止するまで、アイヌにとってはサケの刺し網漁が重要な経済活動の資源になっていたという。現在、道内の河川ではアイヌ文化の継承や保存を目的とした場合に限り、道知事の許可を受ければ例外的にサケ漁が認められている。しかし、原告側は経済的に自立し、行政による福祉対策に頼らず生活していくために、経済活動としての漁業権を求めている。訴えに対し国と道は棄却を求め、争う姿勢を示したが、具体的な主張は次回以降の審理であきらかにするとしている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/736d20242cd2e29ded5bf9ff4c90b2603bb71d3e


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北海道で「核のごみ処分場」に続々手が挙がる訳

2020-10-10 | アイヌ民族関連
東洋オンライン 10/9(金) 14:11
 「核のごみ」(高レベル放射性廃棄物)の最終処分場選定を巡る北海道内の動きが大きく進んだ。8月に片岡春雄町長(71)が国の選定プロセスの第一段階である文献調査応募検討の方針を表明していた寿都町(すっつちょう)は、8日午後に開いた町議会全員協議会後に、応募することを正式に発表した。片岡町長は9日、東京港区の原子力発電環境整備機構を訪れ、応募書類を提出した。
 一方、北に約40キロ離れた神恵内(かもえない)村では、8日午前中に開かれた村議会で商工会が提出した文献調査受け入れを求める請願を賛成多数(賛成5、反対2)で採択した。その後、記者会見した高橋昌幸村長(70)は「少し時間をいただき近いうちに表明したい」と語り、表明は9日以降となった。経済産業省の職員が9日に同村を訪れ調査を申し入れる予定で、それを受けて村長が受け入れを表明するものと見られている。
 【2020年10月9日16時追記】初出時、方角について事実と異なる部分がありましたので、上記のように修正しました。
 寿都町、神恵内村は深刻な人口減に悩み、過疎化が止まらず、財政も厳しい。文献調査応募によって得られる国からの20億円の交付金は、過疎化対策にとって魅力的なのだろう。
 全国各地の自治体が同じような苦悩を抱えているだけに、両自治体の動きに追随する自治体が出てきてもおかしくない。今、過疎の実態はどうなっているのか。寿都町、神恵内村の現状を探った。
■寿都町は漁業と水産加工業の町
 江戸時代から大正時代にかけニシン漁でにぎわった寿都町。現在も主要産業はホッケなどの漁業と水産加工業だ。北海道南西部の日本海に面した町で、札幌からは約150キロメートル、車で3時間かかる。
 1920(大正9)年には寿都町と国鉄函館本線の駅がある黒松内町間に寿都鉄道(私鉄)が開通し、ニシンや鉱産物などの輸送にあたったが、鉱山は廃鉱となりニシン漁も衰退し、1972年に廃止となった。
 1950(昭和25)年当時の人口は1万1468人もあったが、現在(9月末時点)は2905人と最盛期の4分の1に減ってしまった。1990年の4858人と比べるとこの30年間で4割減。人口減が止まらない。
 少子高齢化も加速するばかり。2020年1月1日現在の住民基本台帳によると、子ども人口(0~14歳)は256人で全体の8.7%。老年人口(65歳以上)は1170人で40%となっている。ちなみに全国平均は子ども人口比率が12.21%、老年人口比率は27.91%だから、深刻だ。
 町には小学校2校、中学校1校、高校1校(すべて公立)があるが、生徒数の減少が著しい。1985(昭和60)年の生徒数は小学校468人、中学校275人、高校336人だった。
 それが2020年は小学校121人、中学校58人、高校81人と大幅減だ。年間の出生者数は2017年が11人、2018年が10人、2019年が16人。少子化に歯止めがかからない状況だ。
 町の年間予算は一般会計(令和2年度)が51億8200万円。このうち町税は2億2000万円あまりで、構成比は4.2%にとどまる。ふるさと納税による寄附金が約10億円で19.3%を占める。自主財源は全体の44.5%だ。
 一般会計とは別の事業収入もある。全国有数の強風が吹く寿都町では全11基の風車が稼働し、風力発電事業を行っている。その売電収入が年間5億4000万円あり、1億6000万円ほどの利益が出ているという。財政状況は、平成30年度決算で財政力指数が0.14と、全国平均の0.51を大きく下回っている(日本一の愛知県飛島村は2.18)。
 寿都町は「第8次総合振興計画」策定にあたり町の将来像を「地域の資源を地域の活力とした、賑わいあふれるまち」と掲げ、10年後の人口を2600人と想定している。今よりもさらに300人以上減ると見込んでいるのだ。賑わいあふれるまちを目指しながらも人口増は打ち出せない。それが厳しい現実だ。
■北海道で2番目に人口の少ない村は泊原発と共存関係
 神恵内村はアイヌ語の「カムイ・ナイ」(美しい神の沢)が村名の由来。9月30日現在の人口は818人(外国人1人)で、北海道で2番目に少ない。この村も大正時代までは、ニシン漁でにぎわった。
 戸長設置120年記念の歌「積丹半島」(作詞・石本美由紀 作曲・岡千秋 編曲・前田俊明 唄・天童よしみ)には、♪漁師冥利は荒波勝負 船は鰊の宝の山だ といった一節がある。豊かな海に恵まれていた時期があったのだ。村の記念誌には、大正元年(1912)ニシン未曽有の大々漁、イカ大々漁といった記述も見られる。昭和半ばには人口が3000人を超えていたという。
 村の基幹産業は漁業だ。かつて神恵内の海は磯焼けに苦しみ、コンブやワカメが消滅し、漁獲高が落ち込んだ。そんな窮地に陥ったなか、高橋村長が音頭取りとなって、平成22(2010)年から地元企業などから協賛金を集めて「藻場LANDプロジェクト」を実施し、海の生態系の回復に努めた。少しずつだが、海藻が復活し、ウニやアワビの実入りもよくなったという。
 海の生態系は再生してきているが、村の人口減は止まらない。平成2(1990)年に1596人だった人口は、30年間で818人まで減った。中でも深刻なのは村の将来を担う子ども人口の少なさ。15歳未満の子ども人口は72人、村全体の8.6%しかいない(2020年1月1日現在)。
 さらに、2019年の年間出生者数は3人しかいなかった(2018年は2人、2017年は6人)。逆に老年人口は全国平均を大きく上回る44%。国立社会保障・人口問題研究所が2018年にまとめた将来推計では、2045年には現在の半分以下の391人に減るとの見通しが示されている。
■村の人口減は止まらない
 村にある学校は小学校1校と中学校1校。今年の新入生は小学校6人、中学校6人。小・中、共に1学年の生徒数が10人以下という超少人数教育である。財政も厳しい。令和2年度の一般会計予算は35億4600万円。村税収入は7380万円しかない。
 その財源不足を地方交付税9億円、道支出金3億3741万円、そして村債13億6340万円などで賄っている。財政力指数はわずか0.09だ。
 一方、泊原発との関わりは深い。村の記念誌を見ると、下記のような記述がある。
1978年 北海道電力が原発建設位置を共和町から泊村に変更すると発表。
1979年 神恵内村議会が北電の変更案を承認。
1982年 神恵内村漁協と北電が漁業振興資金6億8000万円を本調印。
1983年 泊原発建設準備工事着手。
1984年 泊原発着工。泊原発にかかる地域振興資金調印5億円。電源三法交付金事業が開始。交付金総額12億2575万8000円。
1989年 泊原発一号機営業運転開始(6月22日)。
1991年 泊原発二号機営業運転開始。
 商工会が提出した請願書にある「原子力と共存共栄の精神を持つ」という件は、こうした歴史を踏まえてのものだろう。
 寿都町、神恵内村が文献調査受け入れに向けて一歩踏み出したことで、この先、状況はどうなっていくのか。まだまだすったもんだがありそうだ。
 反対派の動きが強いのは寿都町だ。反対派の団体が片岡町長に応募を取りやめるよう求める署名活動を展開し、署名は800人を超えた。団体側は町長の解職請求(リコール)も視野に入れながら、応募の是非を問う住民投票の実施を目指して新たな署名活動を始め、7日に約200人分の署名を町に提出した。これに対し、町長は住民投票に否定的で、「大半が賛成で、やる必要がない」(1日)などと語っていた。
 そうした中、8日未明には、片岡町長宅に火炎瓶のようなものが投げ込まれ、玄関横の窓が割られ、周辺が焦げるという事件があり、町内に住む77歳の男が現住建造物等放火未遂の疑いで逮捕された。警察の調べに対し「“核のごみ”最終処分場に反対していた」という趣旨の話をしていると報じられている。
 一方、神恵内村で行われた住民説明会では「村の人口がどんどん減っていて将来が心配。将来を考えると文献調査をやるのは1つの選択だと思う」「隣の泊村に原発が建っている以上、村も何か考えなくては。文献調査は受け入れてもいいという気持ちになっている」など理解を示す意見が相次いだと報じられている。
 とはいえ、賛成ばかりというわけではなく、村民の間からは「負の遺産を子どもに残せない」という反対論や請願や議論の進め方への疑問の声も出ていた。
■最近はトーンダウン気味の知事
 前のめりになる自治体に対し、核のごみの道内持ち込みを「受け入れがたい」とする❝核抜き条例❞がある北海道の鈴木直道知事はどう対処するのか。
 8月に片岡町長の応募検討意向が明らかになった直後は「寿都町は拙速」と強く牽制し、20億円の交付金を提示して文献調査の候補を募る国のやり方にも「頬を札束でたたくやり方」と批判していたが、最近はどうもトーンダウン気味だ。
 9月30日の道議会では、寿都町の動きに対し「慎重な判断を」と言うばかりで、応募への反対を求めた野党議員の質問には「文献調査は条例の趣旨と相容れない」とつれない回答。当初の歯切れのよさが失われている。
 鈴木知事のトーンダウンについては、「知事が市町村に口出しをするのは地方自治に対する侵害」といった道議会自民党の反発や、梶山弘志経産相との会談で「調査では核のごみは持ち込まない。条例には反しない」と言われたことがネックとなり、踏み込んだ発言ができないとの見方がある。さらには、❝後ろ盾❞ともいわれる菅首相の存在が大きいという指摘もある。
 「鈴木知事は菅首相と同じ法政大OBで、そもそもはOBの会合で知り合い親交を深めていった。東京都の職員時代に財政破綻した夕張市に送り込まれ、その後市長となって財政再建に当たったのですが、相談相手になったのが当時総務相だった菅首相なのです。
 知事選に出馬した際にも強力な後押しを受けた。9月の総裁選の最中、鈴木知事は菅事務所を訪れ、陣中見舞いと報じられました。菅氏が首相となったことで、鈴木知事も正面から反対しにくくなったのではないか」(政界関係者)
 文献調査応募の段階では、知事の意向は何も反映されない。鈴木知事は7日に神恵内村の高橋村長と会談したが、道の条例を順守し、慎重に対応するよう理解を求めるにとどまった。
 文献調査に手を挙げざるをえない過疎地の自治体の窮状と、政治のしがらみが絡んだこの問題に、誰もが納得のいく解決策を見いだすのは至難の業だ。
■背景には過疎の実態もある
 今回、北海道の2つの自治体の動きが国民に突き付けたのは、核のごみの処分地選定問題の難しさだけではない。その背景にある地方の自治体の過疎の実態と、遅々として進まない地方創生のあり方、ひいては地方自治のあり方そのものが密接に絡んでいることを浮き彫りにした。
 この問題は、原発によって生み出された電力の恩恵を受けている都会の住民にとっても、他人事ではないはずだ。文献調査の次には概要調査がある。目先の利害関係にとらわれず、子どもや孫たちの将来に向け、30年後、50年後を視野に入れた解決策を、自治体判断にゆだねるのではなく国全体で模索していくべきだろう。
山田 稔 :ジャーナリスト
https://news.yahoo.co.jp/articles/006f19017904ff38896d164568a33aae893e2a3e

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“イオマンテ”はアイヌの文化や精神世界の集大成

2020-10-10 | アイヌ民族関連
映画ログブラス 2020/10/09 20:01
映画『アイヌモシㇼ』外国特派員協会記者会見レポート
10月8日(木)、映画『アイヌモシㇼ』監督・脚本をつとめた福永壮志監督が外国特派員協会記者会見に登壇しました。さらに出演者であり本作の指南役ともいえる、アイヌ出身の秋辺デボ氏もオンラインで参加しました。
トライベッカ映画祭国際 コンペティション部門 審査員特別賞を受賞し、先日グアナファト国際映画祭 長編作品部門最優秀作品賞の受賞ニュースが飛び込んだ話題作『アイヌモシㇼ 』は、前作『リベリアの白い血』が国内外で高く評価された、新鋭・福永壮志監督が5年をかけて作り上げた作品。
北海道阿寒湖・アイヌコタンを舞台に少年の成長を通して現代のアイヌ民族のリアルな姿を瑞々しく描き、地球に生きる私たちが生きていく中で本来大切なことや、命の尊さを考えさせてくれる傑作です。さらに、アイヌの血を引く下倉幹人が主人公・カント役を演じ、アイデンティティーにゆれる等身大の役どころを見事に演じきっています。
本作上映後に行われた記者会見で、長年行われていない熊送りの儀式“イオマンテ”の復活について賛成派・反対派が議論をする印象的なシーンについて、非常にセンシティブな問題だと思うがどのように取り組んだのか質問を受けた福永監督は「まず、阿寒で最後に儀式が行われたのは1975年でした。“イオマンテ”を描くかどうかは凄く悩みました。色んな方々の話を聞いて、デボさんをはじめまだ復活させたいと思っている方がいるし、反対の人もいる。それぞれ色々な理由があるわけです。勿論、繊細なことではあるのですが、“イオマンテ”はアイヌの文化や精神世界の集大成であり、そこまで色んなものを含んだものは他にはなかったので、映画の中で描くことによって、それを通して現代を生きるアイヌの皆さんの様々な考え方や想いを描くことが出来ると思いました。会議のシーンで賛成派は本当に賛成している方、反対派は本当に反対派の方です」と、本作で“イオマンテ”を描いた意図を明かしてくれました。
https://news.goo.ne.jp/article/eiga_log/entertainment/eiga_log-20201009200200386.html

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江戸から昭和のアイヌ民具展示

2020-10-10 | アイヌ民族関連
NHK 10月09日 20時11分
江戸時代から昭和にかけて、今の室蘭周辺でアイヌの人たちが実際に使っていた道具などの展示が室蘭市で行われています。
この展示は、室蘭市民俗資料館が地元で受け継がれていたアイヌ文化について知ってもらおうと企画しました。
江戸時代から昭和にかけて実際に使われていた衣服や道具などおよそ30点が展示されています。
この中には、昭和初期まで実際に使われていた漆器や、布を貼り合わせ糸で刺しゅうして模様を作る切伏という手法を使った衣服のほか、明治5年ごろに今の室蘭市崎守地区を撮影した写真も展示されています。
写真にはアイヌの伝統的な家「チセ」が写っていて、和人とは別の集落を作っていたこともうかがえるということです。
展示を企画した学芸員の谷中聖治さんは「室蘭で実際に使われ、受け継がれてきた貴重な資料なので、実際に見ていろんなことを感じてほしいです」と話していました。
この展示は来月8日まで行われています。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20201009/7000025552.html

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アイヌ政策概算要求は61億円余

2020-10-10 | アイヌ民族関連
NHK 10月08日 20時16分
国の来年度予算案で各省庁がアイヌ政策に関連して提出した概算要求は61億円あまりで、今年度の当初予算に比べて9%増えました。
内閣官房アイヌ総合政策室によりますと、アイヌ政策に関連して各省庁が提出した来年度・令和3年度予算案の概算要求は、一般会計の総額で61億3800万円となり、今年度の当初予算に比べて5億2900万円、率にして9%増えました。
このうち、▼ことし7月、白老町にオープンした民族共生象徴空間=「ウポポイ」にある博物館や公園の管理運営費が31億2300万円、▼アイヌ文化を生かした地域振興策を後押しするアイヌ政策推進交付金が23億300万円となっています。
また、▼アイヌの人たちの生活向上に向けた支援策として大学で学ぶための奨学金や集会所の運営費などに3億6200万円、▼アイヌの人たちへの偏見や差別をなくすためインターネットに掲載する広告費に400万円を要求しています。
内閣官房アイヌ総合政策室は「アイヌ政策推進交付金は今年度の当初予算よりおよそ3億円多く要求している。アイヌの人たちの尊厳ある社会が実現できるよう要求額をしっかり調整したい」としています。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20201008/7000025485.html


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【アイヌと神々の物語】いじめられている子を助けたヘビはどうなったか?

2020-10-10 | アイヌ民族関連
yamakei 2020年10月09日
アイヌと神々の物語、アイヌと神々の謡
アイヌ語研究の第一人者、故・萱野茂氏が、祖母や村のフチから聞き集めたアイヌと神々の38の話を収録した名著『アイヌと神々の物語』。発刊後、増刷が相次ぎ同ジャンルとしては異例の話題書となっています。北海道の白老町に「ウポポイ(民族共生象徴空間)」もオープンし、アイヌについて関心が高まる今、本書からおすすめの話をご紹介していきます。第2回は、子どもと遊んだ神の話です。

子どもと遊んだ神
私は、広い広い砂利(じゃり)原の中ほどを守るために天国から降ろされている、ヘビの神でありました。私が守っている砂利原は広いので、近くにあるアイヌのコタン(村)から毎日のように大勢の子どもたちが遊びに来ます。
大勢来る子どもたちに交じって、身形(みなり)の貧しそうな男の子が一人います。みんなが来たあと、その子が一足おくれで来ると、先に来ていた子どもたちが、その子を目がけていっせいに石を投げたり、流木の端をぶつけるなどしていじめます。
その子の着ているものは、破れたり裂けたりした刺し子で、それも垢だらけのうえに、さらに垢びかりしているような着物です。子どもたちは石や木端(こっぱ)を投げつけるばかりでなく、しまいにはその子をめちゃくちゃに殴ります。殴られた男の子は、大声をあげて泣きながら神である私の近くまで来ては、一人でしょんぼりとし、夕方近くなるとどこかへ帰っていきます。
それを見ていたヘビの神の私は、次の日から毎日その子の来るのを待っては、一緒に遊んでやりました。私と一緒に遊ぶようになってからは、その子はコタンの子どもたちにいじめられることもなく、毎日毎日楽しく過ごしては、日暮れ近くなるとどこかへ帰っていきました。
そうしていたある日のこと、その子が赤いお膳に薄いお椀を二つ並べ、一つのお椀にはおいしそうな団子を山盛りに入れ、もう一つのお椀にはおいしい肉、それも脂身のものを山盛りに入れて持ってきてくれました。
いや、その団子や肉のおいしかったこと。神である私も初めて食べるようないい味で、二つのお椀に入っていたものを一度に全部食べてしまいました。持ってきたものを食べ終わった私は、その子をうんと褒めたりお礼をいいながら、赤いお膳に、私が持っていたカムイイコロ(宝刀)を一本入れてあげました。それを受け取った男の子は本当にうれしそうに、何度も何度も、上へ下へと押しいただき、オンカミ(礼拝)を重ね、カムイイコロを持って帰りました。
それから二、三日過ぎたある日のこと、人声がするので見てみると、立派な風采(ふうさい)をした二人の男が私の方へ近づいてきます。一人は何やら大きいトックリ(瓶)のようなものを背負っています。もう一人の方はイナウ(木を削って作った御幣〔ごへい〕)を削る材料などを背負い、私の前まで来て、それらを背中から下ろしました。二人は私の前にどっかと座り、いろいろなイナウをたくさん削り、私のためにと一そろいの祭壇をこしらえました。
祭壇の前には、先ほど背負ってきたトックリの中から酒を出して供えるなど、荷物の中から次々とおいしい団子や肉や魚を出して並べました。それらを並べ終わってから、初めて年上らしい男が私の方へ向き、次のようにいいました。
「ヘビの神よ、お聞きください。私はオキクルミという者で、ここにいる者は私の弟のサマユンクルという者です。毎日あなたが一緒に遊んでくれていた子どもは、私の子であったのです。
兄弟がいないためか遊び相手を欲しがるので、毎日アイヌの子どもらと遊ばせましたが、昼間は遊びに来ていても、夜になるとどこかへ行って見えなくなるので、子どもたちにいじめられてばかりいました。
それと着ている着物も、実はいいものを着せてあるのですが、それをそのまま見られると、神の子どもであることがわかり遊んでもらえません。それで、わざとあのように垢だらけの破れたり裂けたりした刺し子に見せてあったのです。
そのため、なおさらアイヌの子どもたちに嫌われ、遊んでもらえなかったのです。それを神であるあなたが、汚(きたな)がりもせずに一緒に遊んでくださり、本当にありがとうございました。遊んでくださっただけでもありがたいのに、そのうえあの子に宝物までくださいました。あの宝物は神の国でもめったに見ることのできない珍しいものでした。
今日は神であるあなたに、私の子どもと遊んでくれたお礼と、宝物をくださったお礼に、私ども二人でここへやって来たのです。ここへそろえたイナウ、それと酒や食べ物をお受け取りください」。
と言いながら、私にそれらのものをくれました。私は丁寧に礼拝をしながらそれを受け取ると、オキクルミとサマユンクルの二人も礼拝して帰っていきました。
二人が帰ったあとで考えてみると、この砂利原を守るために天国から降りてきてから、長い時間がたったことに気づきました。そこで、アイヌの国の神々からもらったものを土産に、神の国へ帰ることにしました。
私は、仲間を集めてそのことを話して聞かせ、次にこの砂利原を守る者を決め、私がしたのと同じように、その者にこの広い砂利原の上端から下端までを守るようにいい聞かせました。
そして、私はオキクルミとサマユンクルがくれたイナウや酒、それに肉や魚、たくさんの土産を持って、天の上、神の国へ帰ってきました。
神の国へ帰ってきた私は、大勢の神々を招待し、土産にもらってきたものを神々にも分けあたえました。それらは大変に喜ばれ、私はもう一段高い位の神になることができました。
だから、今アイヌの国土にいるヘビたちよ、どんなやり方でもいいから、アイヌたち、そしてアイヌの国にいる神たちの役に立つようなことをしなさい、と位の高いヘビの神が語りました。
語り手 平取町荷負本村 木村こぬまたん
(昭和36年10月29日採録)
解説
ヘビはたいていの場合嫌われますが、この話では子どもと遊んでいます。それもオキクルミという、アイヌに生活や文化を教えてくれた神様の子どもとです。オキクルミは、天国から沙流(さる)川のほとりに荷負(におい)へ降臨し、アイヌたちに魚の捕り方、家の建て方、毒矢の作り方などを教えてくれた神として尊敬されている伝説上の神です。ヘビはその神の子どもと遊んでイナウをもらい、酒をもらって神の国へ帰ることができたわけです。
アイヌの社会では、人間が死んだ場合でも、神の国へ持ち帰る土産物がなければ先祖の所へ帰れないと信じられています。
神はアイヌの所へ何回も来て、酒やイナウをもらって帰り、それらを神の国にいる別の神々に分けあたえるたびに、仲間うちで神としての位が上がるものだといいます。オキクルミは神の国からアイヌの所へ来て生活に必要なことを教えてから、もう一度神の国へ戻った神で、別名アイヌラックル(人間の味がする神)ともいわれます。
語り手の木村こぬまたんフチ(おばあさん)は荷負本村に生まれ、手の甲から肘まで入れ墨をした上品なフチでした。トゥス(呪術)のできる方で、よく当たると評判でしたが、私の持っている録音テープには、そのトゥスの声もあります。この方の託宣に従ってつくったアユシニカムイ(とげのある神)が、二風谷アイヌ文化資料館に保存・展示してあります。
トゥスは、それぞれの人にはトゥレンパ(憑き神)がついていて、その憑き神が人間の口を通して託宣を出し、それにしたがって、いろいろまじないをします。憑き神はヘビであったり、キツネあるいは海の精であるルルコシンプというものなど、その人によってすべて違う憑き神がついているということです。
(本記事は『アイヌと神々の物語~炉端で聞いたウウェペケレ~』からの抜粋です)
『アイヌと神々の物語~炉端で聞いたウウェペケレ~』
アイヌ語研究の第一人者である著者が、祖母や村のフチから聞き集めたアイヌと神々の38の物語を読みやすく情感豊かな文章で収録。主人公が受ける苦難や試練、幸福なエンディングなど、ドラマチックな物語を選りすぐった名著、初の文庫化。​
著者:萱野 茂
発売日:2020年3月16日
価格:本体価格1100円(税別)
仕様:文庫544ページ
ISBNコード:978-4635048781
詳細URL:http://www.yamakei.co.jp/products/2820490450.html
https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=1206

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「アイヌモシリ」監督が伝統儀式への思い語る、「アイヌ文化の集大成」

2020-10-10 | アイヌ民族関連
映画ナタリー 2020年10月8日 23:10
「アイヌモシリ」の記者会見が本日10月8日に東京・日本外国特派員協会で行われ、監督の福永壮志が出席し、キャストの秋辺デボがリモートで参加した。
北海道・阿寒湖畔アイヌコタンを舞台にした本作では、アイヌの血を引く少年の成長を通して現代のアイヌ民族のリアルな姿がみずみずしく描かれる。自身もアイヌの血を引く下倉幹人が14歳の少年カント役で参加し、下倉の実の母である下倉絵美がカントの母役、阿寒に暮らす秋辺がアイヌの伝統を重んじるデボ役で出演した。
当初の脚本上では、主人公は青年にしていたと話す福永。「アイヌ役はアイヌの方に演じてもらうことと、阿寒で撮ることは決めていた。阿寒では絵美さんを通していろんな人を紹介してもらっていたので、幹人くんには早いうちから会っていました。なので、特別な感性を持っている少年だとは思っていました」と振り返る。「脚本を1回白紙に戻して、少年の話にするとなったときは迷わず彼しかいないと思った。特別な存在ですし、関係性がすでにあったというのも大きい。彼も演技にすごく興味を持っていたので、こういう形になってよかったです」とキャスティングの経緯を明かした。
本作ではアイヌ伝統の儀式である“イオマンテ”がテーマの1つとして描かれている。飼っていた動物“カムイ”を殺し、その魂を神の世界に送るもので、熊送りの儀式が有名だ。現在は行われておらず、それぞれの理由で復活を望む人と反対する人がいると前置いた福永。「イオマンテを描くか悩んだ」と述べつつも「ただ、それを映画の中で描くことによって現代を生きるアイヌの方々の思いの違いを映すことができる。さらにイオマンテはアイヌの文化や精神世界の集大成のようなもの。そういうものをイオマンテほど含んでいるものはほかにはなかった」と強い思い入れを口にした。
イオマンテについての会議シーンでは、演者たちは実際に思っている意見を述べていたという。イオマンテに賛成する秋辺は「参加者は本音で話していました。イオマンテをやることに、ここまで反対している人が多いことにびっくりしました」と回想する。10年ほど前、実際に儀式を行うために“チビちゃん”という子熊を飼っていたと話し、「賛成してくれる人が結局1人もいなくて。『かわいいチビちゃんを殺して食べるというなら、家を出ていく』と妻に言われたのであきらめました」とこぼして会場の笑いを誘う。しかし真剣な面持ちを見せ、「生き物を殺すということの重さ、生命に対する人々の関心の深さや大切に思う心を、(儀式に)反対する人から強く感じました。伝統文化を復活させることがすべて正義だと簡単には言えないと、撮影を通じて心から感じました」とも述懐していた。
「北海道出身ですが、なかなかアイヌについて学ぶ機会がなかった」と話した福永は、「和人がアイヌを題材にするにあたって、自分の作為やアイヌを美化しすぎていないかについて、いくら気を付けても気を付けすぎることはない」と語る。そのためのアプローチとして、キャストは本人役で出演してもらい、台本のセリフは暗記までせずに自分の言葉で話してもらうようにしたと述べた。
秋辺は「世界中の先住民と同じように、アイヌはこの160年ひどい目に遭っています。その中には和人に対する不信感や恨みが消えない人もたくさんいます。でも私の村では30年ほど前から和人に対する恨みや攻撃的な言動をする人はほとんどいなくなり、共存しようという空気ができあがっている」と説明。「福永さんが真剣に映画を作りたいという気持ちを村の人に伝えれば、これはうまくいくなと思った」と続け、「私からお願いしたのはこの映画を決して160年のアイヌからの仕返し、とはしないでほしいということ。フェアな、バランスの取れた目線で考えてほしいと監督に言ったことを覚えています。だからこの映画が人々の感動を呼ぶだろうと思っています」と思いを伝えた。
三浦透子、リリー・フランキーらもゲスト出演した「アイヌモシリ」は、10月17日より東京・ユーロスペースほか全国で順次公開。本作は第19回トライベッカ映画祭のインターナショナル・ナラティブ・コンペティション部門で審査員特別賞を受賞している。
※「アイヌモシリ」の「リ」は小文字が正式表記
https://natalie.mu/eiga/news/399796

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『問いかけるアイヌ・アート』=橋本麻里

2020-10-10 | アイヌ民族関連
会員限定有料記事 毎日新聞2020年10月10日 東京朝刊
 7月12日、北海道白老郡白老町に、「国立アイヌ民族博物館」「国立民族共生公園」「慰霊施設」を主要な施設として構成されるナショナルセンター、通称「ウポポイ(民族共生象徴空間)」がオープンした。アイヌの人々の現状や歴史、文化について、通り一遍の知識しか持たない、そしてそのことに少なからぬ居心地の悪さを感じている和人の一人として、この問題と正面から向かい合う機会が巡ってきた、とも言える。
 まずその手がかりとしたのが、アイヌにルーツを持つ表現者、アイヌ語研究と話者育成に携わってきた研究者、あるいは自治体職員として地域のコミュニティと共に、造形表現を支える場(自然/社会)の整備と再生を進めてきた学芸員など、さまざまな背景を持つ8人の著者が、アイヌの造形とその母胎であるアイヌ文化の来し方と未来を論じる『問いかけるアイヌ・アート』(池田忍編・岩波書店・3080円)だ。
この記事は有料記事です。
残り456文字(全文839文字)
https://mainichi.jp/articles/20201010/ddm/015/070/009000c

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