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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

ロシアの大学生、日本語すらすら ユジノで交流年事業の弁論大会

2020-10-18 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/18 05:00
 【ユジノサハリンスク仁科裕章】日本語を学ぶロシア極東などの大学生による「ロシア極東・東シベリア日本語弁論大会」が17日、サハリン州ユジノサハリンスクのサハリン国立総合大を審査会場にオンラインで開かれた。
 日ロ両政府が2020年から21年にかけて行う「日ロ地域交流年」の認定事業。東シベリアのイルクーツク州以東の男女12人が日本文化などを題材に流ちょうな日本語でスピーチした。
 優勝はウラジオストクの極東連邦大3年アナスタシア・スベトロフスカヤさんで「幸せは好みの問題」をテーマに発表。大学で好きなアイヌ文化を研究していることをけなされた経験から「他人の好きなものも自分の好きなものも認めて敬うことが大切」と語った。
 地域交流年は新型コロナウイルスの感染拡大で、5月に札幌市で予定していた開会式を延期。行事はオンライン開催が続いている。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/471874

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新星・下倉幹人、初演技&初主演作に「想像もつかなかった」

2020-10-18 | アイヌ民族関連
シネマトゥデイ 10/17(土) 13:35
 アイヌの集落アイヌコタンを舞台にした映画『アイヌモシリ』の初日舞台あいさつが17日、都内で行われ、出演する下倉幹人、秋辺デボ、下倉絵美、メガホンを取った福永壮志監督が登壇した。演技初挑戦にして主演を担った下倉幹人は、「監督から話をいただいた時はこんなことになるなんて想像もつかなかった」とふり返った。
 北海道阿寒湖・アイヌコタンを舞台に、アイヌ文化と距離を置くようになっていた集落の少年が、亡き父の友人とのやり取りを通じて民族のアイデンティティーを強く意識していく様を描く本作。壇上では主人公の母役の下倉絵美がアイヌの伝統楽器のムックリを演奏するパフォーマンスも行われた。
 その下倉絵美の実の息子でもある下倉幹人は、アイヌの血を引く新星。本作で初演技にして映画初主演。感想を問われると、「監督から話をいただいた時はこんなことになるなんて想像もつかなかった。興味本位でやってみたいと言ったんですけど、今、こうしてここに立っていることに感動しています」と恥ずかしそうな表情で述べる。
 撮影中は「撮っている映像を観て『俺、こんな風に撮られているんだ』って緊張しました」というが、「アイヌ民族のことは自分のルーツとしてはあるけど、普段からずっと考えているわけではない。でもそれを前面に出して撮影するようになって、アイヌの文化のことや伝えられてきたことを改めて考えるようになった」とこの作品に参加する意義について深く考えるようになったとのこと。「どんな人でも自分が何なのかということはあると思う。口で言うのが難しいことを映像で撮ってもらって、観てもらえることは幸せ」と語った。
 また、下倉幹人は10月15日が16歳の誕生日だったといい、壇上で監督からバルーンブーケをプレゼントされた。突然の演出で驚いたのか、これに感激の表情で、監督とハグをしあってブーケを受け取ると、「今年はすでに最高。これは忘れられないですね」とにっこり。
 福永監督はそんな下倉幹人について「目が印象的で特別な雰囲気を持っていた。この映画を撮るにあたって主人公は彼しかいないと思った」とオファーの理由を振り返り、「(実際撮影して)すごいところはたくさんあった。演技初挑戦なんだけど、元の性格がとっても素直。カメラを向けたら緊張したり、テイクを重ねるうちに演技が変わってしまうこともなかった。常に新しくなっていく。すばらしかった」と絶賛していた。(取材・文:名鹿祥史)
https://news.yahoo.co.jp/articles/78013f673dec224f33066add5557e2d5cdc92ba5

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『アイヌモシリ』福永壮志監督 少年の成長とアイヌ文化を交錯させ、エンターテインメントとして昇華させる【Director’s

2020-10-18 | アイヌ民族関連
Interview Vol.86】
シネモア 10/17(土) 7:07
北海道阿寒湖畔のアイヌコミュニティに暮らす少年、カントの成長譚『アイヌモシリ』は不思議な吸引力で観客を作品世界に引き込んでいく。
アイヌを題材にした映画というと差別問題や複雑な歴史的背景を扱う、とっつきにくい作品と思われるかもしれない。しかし本作は北海道に暮らす少年が、自らの出自と向き合いながら、大人へと成長していく過程を瑞々しく切り取った青春映画として楽しむことができる。さらに、現代社会に暮らすアイヌの人々の独特の世界観を、コミュニティの内側からの視点のみで描き切ることで作品に鮮烈な感覚と奥行きを与えている。
本作の新鮮な鑑賞体験には、キャスティングも大きく寄与している。主要キャストを阿寒に暮らすアイヌの人々が演じており、しかも彼らは役名も含め、そこに暮らす自分自身を演じているのだ。
このようなユニークなアプローチは一体どのようにして生まれたのか。監督2作目となる新鋭、福永壮志は5年の歳月をかけ本作の完成にこぎつけた。彼がアイヌ文化と少年の成長ストーリーを融合させ、阿寒の人々に演じてもらった意図は何だったのか?
「現代に生きるアイヌの人々」を映画に
『アイヌモシリ』 10月17日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開 (c)AINU MOSIR LLC/Booster Project
Q:アイヌを題材にした作品と聞いて、差別問題や和人との軋轢などが描かれるのかと想像し、少し身構えて鑑賞しました。でも少年の目を通して、アイヌ共同体の中でストーリーが展開し完結していくのが非常に新鮮でした。このようなアプローチをした狙いは何だったんですか。 
福永:自分がアイヌについて魅力を感じ、色々学びたくて題材に選んだんですが、不特定多数に向けて作品を作るからには、差別や偏見が少しでも薄まる方向に持っていくような良い影響のあるものじゃないと、意味がないと思っていました。
そう考えた時、差別問題に焦点を当てるのではなく、アイヌの人たちの現代人としての自然な姿を映画という形に落とし込む方が良いだろうと。そうすることが、偏見をなくすことにも繋がると思うし、今までそういう映画が無かったので、自分が作る意味があると思いました。
Q:過去にアイヌ文化をメインの題材にした劇映画では、成瀬巳喜男監督の『コタンの口笛』(59)などがありますが、数は少ないですね。
福永:数が少ないですし、過去作ではアイヌ役を和人が演じてきています。それはアイヌの方にプロの役者さんがいないので仕方ない側面もあったと思いますが、やはり今アイヌを題材にした映画を撮るのに、それをやってしまうのは違うと思いました。
少し前にハリウッド映画で、芸者を題材にしたものがありましたが、中国人の女優が全編英語で芸者を演じていました。それに違和感をおぼえる日本人は絶対いると思うんです。アイヌを和人が演じるというのは、それと大差ないことですから。
役者でない人々の「表現力」を引き出すための設定
『アイヌモシリ』 10月17日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開 (c)AINU MOSIR LLC/Booster Project
Q:主人公の少年を演じた幹人さん、そのお母さんの絵美さん、そして幹人さんを導くデボさんはすべて、実名と役名が同じで、しかも幹人さんと絵美さんは実生活でも親子です。皆さんの出演はどのように決まったんですか?
福永:アイヌ文化をリサーチする中で、阿寒で撮影しようと決めた理由の一つは、そこに暮らす皆さんの存在です。みなさんに出演してもらって映画が成立するという確信がありました。特にデボさんや絵美さんは、アイヌであるかどうかを抜きにして、人としての魅力に溢れる特別な方々です。なので、そういった元からあるものをどれだけ脚色せずに自然に映画という形に落とし込むかを、何より最優先にして、色んなことを決めていきました。
お二人とも演技経験はないですが、歌や踊りなどいろんな表現をやってきた方達だったので下地は既にある。あとは自然体でいられるように、「本人」という設定で出てもらうとか、台詞を暗記することをお願いせずにできるだけ自分の言葉で話してもらうとか、色々な方法で実際の出来事や人物に寄り添って映画を作りました。
Q:思春期の少年を言葉少なに演じた幹人さんも本当に素晴らしいと思いました。
福永:自分は、絵美さんを通じて阿寒に通いだしたので、その息子の幹人くんともいつも接していたんです。すごく特別な子だなと思っていて、実際も口数はそんなに多くないけど、すごく感受性が豊かで、いろんなことを考えて感じている子なんです。主役は彼意外考えられませんでしたね。
Q:アイヌの少年を主人公にしたストーリーというのは最初からの構想ですか?
福永:いえ、途中からなんです。当初は青年の話で、その主人公候補は色々な場所で探したんですが、適役が見つからない。阿寒で撮るというのは決めていて、主人公もやはりそこに住んでいる人でキャスティングすることにしました。阿寒にいる大抵の方は、中学生以下か40代以上という状況の中、少年の話にすることに決めました。
でも、そのほうが、アイヌかどうか関係なく、誰もが抱える思春期のもやもやした気持ちだったり、自分の世界と大人の世界とのギャップだったりを通して、もっと共感しやすい物語が伝えられると思いました。
Q:ドキュメンタリーと劇映画、2つの視点の虚実が入り混じるのがユニークだと思いますが、撮影の仕方で工夫されたことは?
福永:まずクルーの人数を最小限にしました。撮影・照明のスタッフは3人しかいません。撮影監督もアメリカ人で、アイヌに対して先入観のない人にお願いしました。そういうのがあると絶対に画に出ますし、カメラが回ってない状態でも、遠慮や気遣いみたいなものが伝わってしまうので。そうなると距離が一向に縮まらないし、良いものは撮れない。
現場の雰囲気も、体育会系のカチっとした緊張感のあるものだと、目指す方向とズレてしまうので、大きな声をあげたりもしません。段取りの確認はしますけど、リハーサルもやっていません。出演者には割と自由に動いてもらって、台詞を覚えることをお願いせずにアドリブを積極的に入れてもらいました。そういう環境にして、カメラも臨機応変に対応できる姿勢で臨みました。
アイヌの精神世界の集大成「イオマンテ」を描く
『アイヌモシリ』 10月17日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開 (c)AINU MOSIR LLC/Booster Project
Q:アイヌの伝統行事、イオマンテ(※)が物語の核となっていますが、イオマンテをストーリーに盛り込むかどうか、監督はかなり迷われたそうですね。
※イオマンテ:「熊送り」の儀式。捕獲した小熊をアイヌの共同体の中で1~2年育て、「熊の中に宿る神」をもてなす。熊は儀式の中でされるが、宿った神は、神の国に帰るとされる。
福永:イオマンテがインパクトがあるからという理由で題材として選んだわけではなく、それが内包しているものを通すことで、色々なものを描けると思ったので選びました。イオマンテについてはアイヌの中でも賛否両論あるし、また外部からの反対もある。いろんな理由があってずっと行われていない行事なんです。
Q:現在、イオマンテは全く行われていないんですか?
福永:ないです。記録として残っているのは30年前に行われたものが最後です。ただイオマンテはアイヌ文化、精神世界の集大成と言われているとても大事な儀式で、本当にいろんなものが凝縮されています。
現代のアイヌを描く中で、様々な考え方や想いだとか、世代間のギャップとか、過去と現在の差とか、そういうものを本当に凝縮して描ける題材が他に見当たらなかったというのが正直なところです。ただすごく繊細なことなので、描写の仕方にはすごく気をつけました。
「今まで作られていないけど、作られるべきと思える題材」への挑戦
『アイヌモシリ』 10月17日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開 (c)AINU MOSIR LLC/Booster Project
Q:劇中ではあからさまな差別は描かれませんが、観光客が土産物店を経営する絵美さんに「あなたアイヌなの?」とか、「日本語上手ですね」などと言うシーンがあります。一歩間違えれば自分も同じことをやりかねない恐怖もあって、すごく胸に刺さりました。
福永:アイヌの映画を作っていると言うと、「本当にまだ森の奥に住んでいる人がいるのか」、「アイヌ語喋っている人は何人ぐらいいるんだ」とか「純潔なアイヌってまだいるのか」とか、そういうことを悪意無く言う人はたくさんいます。それはやっぱり無知から来ているわけで、「知る」事によって回避できる。映画がそこに少しでも近づけるきっかけになればいいなと思います。
Q:監督は題材を選ぶ時、常にマイノリティに視線を向けることを意識しているのでしょうか。
福永:それだけとは思わないですけど、やっぱりそこに特別な思いはあります。海外で生活をしたことで、アジア人として、日本人として差別や偏見も受けたし、それでマイノリティという意識がすごく強くなったというのもあります。
映画はもちろん好きでやっているんですが、僕の場合は自己表現とか、そういうモチベーションで作っていなくて、それより自分を超える何かしらの価値と言うか、その作品が作られることで、少しでも良い影響があるんじゃないかと信じられるもの。そういう題材を、できるだけ見つけてやりたいし、そう思えるから頑張れるという所があります。
そうすると、これまで数え切れないほど作られてきた題材、例えばラブコメでもなんでもいいですが、そういったものを敢えて自分が労力を使ってやろうとは思わないんです。
それより今まで作られていないけど、作られるべきなんじゃないか、と思える題材をできるだけ選んで行こうと。するとどうしてもマイノリティに意識が向いていきますね。
「芸術性もあって大衆性もあるのが映画として理想」
(c)CINEMORE
Q:全体にテンポよく、かなりコンパクトにまとまっていて見やすい印象でした。普通だと監督自身でシーンやショットをカットしづらいと思うのですが。
福永:僕、そういうのないんですよ。仕事で編集もやってきているので、その影響かもしれませんが。もちろん思い入れがあって残したいショットはいっぱいあるんですけど、わりと一歩引いて客観的にバッサリ切れるので。
Q:非常にオーソドックスなエンターテインメントを志向する意識を感じました。
福永:映画ってギャラリーで見せるものではなく、映画館で見せる大衆芸術なので、やっぱり間口は広ければ広いほどいい。芸術性もあって大衆性もあるのが映画として理想だと思うんです。
キューブリックにしてもポール・トーマス・アンダーソンにしても、芸術性も素晴らしいけど、ちゃんと大衆の方を向いていて、エンターテインメントとしても素晴らしい。僕はできるだけ、そういう作品作りを目指したい。テーマとか、もちろんやりたいことはやりますけど。その中で出来るだけ外に広げて作りたいなと。自己満足に陥っては映画でやる意味はないと思うので。
Q:本作を未見の方には、アイヌを題材にした固い映画だと思ってほしくないですね。
福永:アイヌという題材だと、「知識がないと見ちゃいけないのかな」とか「重い話なのかな」って身構えちゃう人もいると思うんです。でもそうじゃなく、つまるところ少年の成長していく物語なので、誰しも共感しながら見られると思います。アイヌの映画とか、そういうのを意識せず気軽に見てもらえたら嬉しいですね。
監督・脚本:福永壮志
北海道出身。2003 年に渡米、映像制作を学ぶ。ニューヨークを拠点に活動後、2019年に東京に拠点を移す。初長編映画『リベリアの白い血』(原題:Out of My Hand)は、2015年にベルリン国際映画祭のパノラマ部門に正式出品され、ロサンゼルス映画祭メインコンペティション部門で最優秀作品賞を受賞、サンディエゴ・アジアン・アメリカン映画祭で新人監督賞を受賞する。その後同作は、映画監督のエイヴァ・デュヴァーネイによる配給会社 ARRAY からアメリカで劇場公開され、2016 年にインディペンデント・スピリットアワードのジョン・カサヴェテス賞にノミネートする。日本では 2017 年に劇場公開。長編映画二作目となる本作は、カンヌ国際映画祭主催のシネフォンダシオン・レジデンス等に選出された後、トライベッカ映画祭で審査員特別賞、グアナファト映画祭で最優秀作品賞を受賞。アメリカのThe Gersh Agencyと、イギリスの42 Management and Productionに監督/脚本家として所属。
取材・文:稲垣哲也
TVディレクター。マンガや映画のクリエイターの妄執を描くドキュメンタリー企画の実現が個人的テーマ。過去に演出した番組には『劇画ゴッドファーザー マンガに革命を起こした男』(WOWOW)『たけし誕生 オイラの師匠と浅草』(NHK)『師弟物語~人生を変えた出会い~【田中将大×野村克也】』(NHK BSプレミアム)。
『アイヌモシリ』
10月17日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開
(c)AINU MOSIR LLC/Booster Project
公式HP: ainumosir-movie.jp
稲垣哲也
https://news.yahoo.co.jp/articles/8b29b8714d2b436f864c4f65d2b7edf569bc03f8

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岡田光世「トランプのアメリカ」で暮らす人たち 「コロンブスの日」めぐる祝意と抗議の現場

2020-10-18 | 先住民族関連
Jキャストニュース 10/17(土) 17:00
「ああやって警官が始終、あのくそコロンブスの像を子守りしてるから、何もできやしない」――(抗議デモのリーダー)。ニューヨーク市では警官が毎日24時間、市内にある複数のコロンブス像を見守っている。
 1492年にイタリア人探検家クリストファー・コロンバスがカリブ海の島に上陸した10月12日を記念する「コロンブスの日」を前に、トランプ大統領は「国民がこの日を祝うべき」との宣言文を発表した。今回のこの連載では、私が見た今年の「コロンブスの日」を、コロンブスを巡る全米の動きとともに伝える。
■「今日は 先住民の日)」
 2020年のその日は、朝から冷たい雨が降っていた。ニューヨークの「コロンバス・サークル」で抗議運動があると知って私が駆けつけると、25メートルほどの高さにそびえ立つコロンブス像の周辺を、大型車を含むパトカー16台がぐるりと囲み、普段よりさらに厳重な警備体制が敷かれていた。
 抗議デモの多くは市の許可を取らずに行われるが、警官は常に情報を入手し、事前に待機している。
 雨風が強かったこともあり、ほとんどの警官は車内に待機していたが、実際に数えてみると、約90人。そのすぐそばにある「トランプ・インターナショナル・ホテル」の前後には、少なくともパトカー10台が待機していた。
 5月以降、黒人男性の白人警官による死亡事件を機に、人種差別抗議デモが大きなうねりを見せると、全米各地でコロンブス像の破壊が相次いだ。中西部ミネソタ州セントポールでは台座から引きずり下ろされ、南部バージニア州リッチモンドなどでは水の中に投げ込まれた。東部マサチューセッツ州ボストンでは、コロンブス像の頭部が切り落とされた。市が自ら、像を撤去したところもある。
 トランプ氏は6月、像や記念碑を損壊・撤去する行為に禁錮刑を科す大統領令に署名した。また、地方の法機関や警察がこうした暴力を看過した場合、連邦政府の補助金を停止するとした。
 しばらくすると、抗議デモの参加者が集まり始めた。これまでも彼らは大人数で自転車に乗り、デモを繰り広げている。20代の若者が多い中で、60代くらいの白人男性クレッグに声をかけた。
「今日は 『Indigenous People's Day(先住民の日)』だから、ここに来たんだよ。白人が侵略し、先住民の虐殺を始めた日だ。子供の頃、コロンブスは僕の英雄だった。でも数十年前に、彼と一緒に航海に出た人の記録を読み、彼らがいかに残虐に先住民を抑圧し、虐殺したかを知って、大きなショックを受けたよ」
 20代の女性は母親が黒人で、父親がアメリカ・インディアンのルーツを持つエクアドル出身だった。
 「『学校の歴史の授業でコロンブスについて教えていることは、間違っている』と両親に言われて育った」と話す。
13州はこの日を祝わず
 私たち日本人の多くも長年、「アメリカ大陸を発見」したと教えられてきたコロンブス。彼がアメリカ大陸周辺諸島に到達したことは、ヨーロッパ側から見れば「新世界発見」だったことから、そう語られてきた。
 彼にちなんで名付けられた都市や道、公園などが、全米に数多くある。私が大学時代に留学したのは、中西部オハイオ州コロンバスのすぐそば。南西部ジョージア州コロンバスにも、長く滞在したことがある。私が今これを書いているのは、ニューヨーク市コロンバス・アベニューから1ブロックの場所だ。
 「コロンブスの日」は、1937年に連邦政府公式の祝日となり、その後、10月第2月曜日に変更された。全米で大規模なパレードが行われるが、今年は新型コロナウイルス感染防止のために中止となったところが多い。
 コロンブス到着以前のはるか昔から、アメリカ大陸には先住民族が住んでいた。それを「発見」と表現するのは、ヨーロッパを視点としたものだ。しかも、住民以外でアメリカ大陸を最初に訪れたのは、コロンバスではないとされている。また彼はこれをアジアだと勘違いしたうえ、大陸本土の存在に気づかなかったばかりか、上陸もしていない。
 コロンブスはカリブ諸島で先住民を弾圧し、大虐殺を指揮した。十分な黄金を差し出さない場合には、手首を斬り落としたとも言われる。奴隷商人だった彼は、大陸でも奴隷を売買した。
 今では「コロンブスの日」の代わりに、「先住民の日」を祝う州や都市が増えている。サウスダコタ、アラスカ、アイダホなど少なくとも13州では、「コロンブスの日」を祝っていない。コロンブスを自分たちの「遺産」と見なすイタリア系アメリカ人の多くは、こうした動きに反発している。
 イタリア系アメリカ人のアントニオ(64)は、「負の遺産もわかるが、コロンブスの功績があるから、今のアメリカがある。コロンブス像は、僕らイタリア系移民の遺産や貢献の証でもあるんだ」と、近年の動きを嘆く。
 「名誉あるイタリア系やイタリア人」は他にもいるとの議論は、前々からあった。
 ニューヨークでは今年のこの日、1889年にイタリアから米国に渡り、移民や貧しい人たちのために奉仕した聖フランチェスカ・ザベリオ・カブリーニ修道女の像の除幕式が行われた。
「警官が始終、あのくそコロンブスを子守りしてる」
 デモ参加者たちは激しい雨と風の中、1時間ほど待ったが、悪天候のせいだろう、最終的に集まったのは30人弱だった。リーダーのオーランド(28)によれば、彼らのデモに反対するデモも予定されていたが、悪天候のためか、現れなかった。
 オーランドが皆に呼びかける。
「ああやって警官が始終、あのくそコロンブスを子守りしてるから、ここじゃ何もできやしない。今日は50人集まれば、予定どおり自転車のデモ行進をしようと思っていたけれど、この人数では危ない。危ないというのは、雨だけが理由じゃない。
  警察はすでにバンを用意している。僕らがやっているのは、長い戦いだ。逮捕されたら、明日のデモに参加できなくなる。だから、逮捕は避けたい。今日は自転車デモは中止にして、代わりに黒人やヒスパニックが経営する店で、みんなで飲み食いするっていうのはどうだろうか。彼らを支援する方法は、デモだけじゃない」
と呼びかけた。
 普段のデモでは、数多くの自転車で車道を占拠し、正義を訴えながら行進していく。自転車を使うようになったのは、コロナ感染予防のために公共の交通機関が閉鎖したのがきっかけだった。デモに反対する勢力や警察から、自転車を盾に身を守ることもできるし、逮捕されそうになった時に逃げ切ることもできるという。
 オーランドはもともとシェフだったが、コロナの影響で失業。今は「抗議活動が自分の使命」だという。カリスマ性のある彼の眼差しとほほ笑みは、優しさを感じさせる。彼が先導し、一堂は雨の中を自転車で消えていった。
大統領が「公の建物では星条旗を掲げるように」
 10月9日、トランプ大統領は1934年の法令に従い、国民に対して宣言文を発。ツイートで、「コロンブスの日」をきちんと祝い、「公の建物では星条旗を掲げるように」と呼びかけた。
 また、「近年、過激派らがコロンブスの遺産を傷つけようとしていることは嘆かわしい」と訴えた。
 宣言文に対して、賛否両論のコメントが多数、寄せられた。その中に、興味深い動画があった。実際に起きたことではなく、創作したものかもしれない。
 車の運転席に座る男性に「この車を盗まれたと通報があった」と警官らしき人が伝える。
「盗んだだって? 発見したんだ。誰もいなくて、この車は俺が発見したから、俺のものだ。今日は何の日だ?」
 警官らしき人が答える。「コロンブスの日だ」
 コロンブスの「新世界発見」を皮肉っているのだろう。
 オハイオ州コロンバスでは、市が像を撤去した。市の名前を変更する提案も、なされている。
 同州にある大学で私がお世話になり、今もコロンバスの近くに住む元教授は、「一連のコロンブス騒動」をどう捉えているのか知りたくて、電話してみた。
 彼女はいつも、「トランプはジョークだ」と言っている人だ。
「すべてがばかげている。あんなに乱暴なやり方で像を撤去する方も、それにムキになって反対する方も。過去のことを今の事情に照らし合わせて批判し、像を撤去することに、どんな意味があるの? ほとんどの人は、像のことなんか、どうでもいいと思っているわ」
 私が「像を街中から撤去して、史実を添えて博物館に設置すべき、という意見もありますけれど」と聞いた。
「博物館にコロンブス像を展示? それこそ滑稽だわ。アメリカ人のやることなすこと、すべてがいかにばかげているかを書いて、日本の人たちに教えてあげてちょうだい」
 そう、答えが返ってきた。(随時掲載)
++ 岡田光世プロフィール
おかだ・みつよ 作家・エッセイスト
東京都出身。青山学院大卒、ニューヨーク大学大学院修士号取得。日本の大手新聞社のアメリカ現地紙記者を経て、日本と米国を行き来しながら、米国市民の日常と哀歓を描いている。米中西部で暮らした経験もある。文春文庫のエッセイ「ニューヨークの魔法」シリーズは2007年の第1弾から累計40万部。2019年5月9日刊行のシリーズ第9弾「ニューヨークの魔法は終わらない」で、シリーズが完結。著書はほかに「アメリカの家族」「ニューヨーク日本人教育事情」(ともに岩波新書)などがある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/37a979afc92a3e659e5220755a28642e7bf067aa

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『スーホの白い馬』は悲し過ぎる 日本の子供たちに勇気と冒険の物語を

2020-10-18 | 先住民族関連
ニューズウィーク 10/14(水) 17:26
<読む人の感情を揺さぶる素晴らしい文学作品には違いないが......>
実は私は『スーホの白い馬』の物語がちょっと苦手だ。あらすじは日本で小学校に通った多くの方ならご存じだと思う。モンゴルの少年と固い絆で結ばれた白い馬の物語だ。足の速い白い馬は殿様に気に入られ少年から奪われるが、馬は少年のもとへと逃げ出す。しかし兵士たちに矢で射られ、少年の腕の中で息を引き取る。少年は死んだ馬の体を使って楽器「馬頭琴」を作った。
この話を最初に聞いたのは、当時小学2年だった長女が、宿題で声を出して教科書を読む「音読」をしたときだった。その衝撃は今でも忘れられない。「こんな悲しい話があるだろうか」と、聞きながら思わず涙が出てしまった。
『スーホの白い馬』は、それだけ読む人の感情を揺さぶる素晴らしい文学作品だと思う。実際、当時一緒に住んでいた私の母も、この話に感動して本を買って韓国に持って帰ったほどだ。ただ、正直に言って、音読の宿題が次のお話へと移ったときにはほっとした。あまりに悲し過ぎるからだ。
それから8年後、次女が小学2年となり、すっかり忘れていた『スーホ』の音読の季節が再びやって来た。長女はそれほどでもなかったのだが、次女は私に似たのか、かなり衝撃を受けたようだ。教科書を見てみると、白い馬が矢に刺され、死にそうになる場面の横に「死なないで! 死なないで!」と鉛筆で書き込んでいた。それを見て、また私は涙がこぼれそうになった。
2年前の話を思い出したのは、小学4年となった次女が、こんどは『ごんぎつね』を音読しているからだ。これも日本の皆さんはご存じの話だと思う。いたずらのおわびに栗やマツタケを届けたきつねが、銃で撃ち殺されてしまう物語だ。これも何とも悲しい。
<「死」について考える意義はあるが>
いずれも名作であることに疑いはなく、動物の死を通して、全ての人間にとって避けられない問題である「死」を考えるという意義もあるのだと思う。
しかし、アメリカで小学校に通った私にとって、印象に残る物語の多くはどちらかというと勇気と冒険、挑戦と希望に焦点が当たっていた。女性が主人公の話が特に記憶に残る。19世紀初期に米西部を初めて横断したルイスとクラークの探検を成功に導いたアメリカ先住民族の少女サカジャウェアの物語や、奴隷だった女性ハリエット・タブマンが奴隷制度に立ち向かう話、当時のさまざまなタブーを乗り越えて女性初の大西洋単独横断飛行に成功したアメリア・エアハートの活躍などだ。いずれの話も初めて読んだときの、わくわくする感じは今も忘れることができない。
<困難に立ち向かう物語を>
最近、ディズニー公式動画配信サービスで中国古代の女性兵士を描いた映画『ムーラン』の実写版が公開された。中国の人権問題に関連した批判も出ているようだが、物語の主題そのものは女性の活躍だ。中国の子供たちはこの物語に小さい頃から親しんでおり、中学校ではムーランに関する詩を暗唱するそうだ。
「日本の教科書でも、もっと勇気や希望にあふれたロールモデルになるようなヒーロー、ヒロインを登場させればいいのに」と言うと、夫は「日本の子供は勇気や友情、冒険は漫画で学ぶからいいんだよ」と言い返す。確かに娘たちも大好きな『ドラえもん』や『名探偵コナン』など、冒険や勇気を描いたアニメは多い。しかし、ロールモデルとはちょっと違う。
言うまでもなく今の日本の子供たちが立ち向かわなければいけない課題は少子高齢化、地球温暖化、今回の新型コロナウイルスのような感染症を含め、多様で複雑だ。名作は名作でそのまま載せるとして、もう少しあらゆる困難に勇気と粘り強さで立ち向かい、勝利する人たちの物語を増やしてもいいのではないか、と感じている。
<本誌2020年10月13日号掲載>
https://news.yahoo.co.jp/articles/093453c897a649b08681cab6c27211db59e616a9

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『アイヌモシリ』レビュー:民族のアイデンティティと対峙する少年の想いとは?

2020-10-18 | アイヌ民族関連
シネマズ PLUS 2020/10/17 07:00

『鬼滅の刃』の一大ブームもそうですが、漫画やアニメーション、即ち文化の力とは恐ろしい(=面白い)もので、野田さとる原作のコミック&アニメ『ゴールデンカムイ』の大ヒットもまた、若い世代に北海道の先住民アイヌの存在や魅力などを幅広く知らしめることになったような気もしています。
小説でも実話を基に、明治から第2次世界大戦に懸けての樺太(サハリン)アイヌ男性とポーランド人民俗学者の運命を描いた『熱源』が直木賞を受賞。
私のような昭和世代としては、忍びとして育てられたアイヌの青年が蝦夷から北極海、アメリカ西部、そして幕末の維新戦争まで一気に駆け抜ける矢野徹の同名小説をアニメーション映画化したりんたろう監督の『カムイの剣』(85)が、今も伝説的な存在です。
アイヌ差別と和解を描いた石森延男の『コタンの口笛』も名匠・成瀬巳喜男監督のメガホンで1959年に実写映画化されていますね(北海道出身・伊福部昭の音楽も素晴らしいものがありました)。
そういえば「冒険コロボックル」(73〜74)というTVアニメがありましたが、佐藤まさる&村上勉の原作童話の基となったアイヌの伝承コロボックルと、西洋の『白雪姫』に出てくる7人の小人たちの相似性を記した論文を読んだことがあります。
またアイヌ文化と沖縄文化も相似性があるなど、小さな地域の文化伝承を語ることで、ワールドワイドな興味にまで広がっていく歓びみたいなものが、“アイヌ”というキーワードには大いに秘められている感もあります。
今回ご紹介する映画『アイヌモシリ』も、ワールドワイドな視線による企画とワールドワイドなスタッフ編成によって作られ、ワールドワイドな高評価を得た作品です。
そう、この作品には……
《キネマニア共和国〜レインボー通りの映画街512》
世界中の少数民族が独自の文化をいかに継承していくか? といった問題を通して、現代社会を生きていく上での民族のアイデンティティを、14歳のアイヌ少年の目線で問いかけていく意欲作なのでした!
アイヌの少年が見据える思春期と文化の伝承
本作の舞台はとなるのは、北海道阿寒湖畔のアイヌコタンです。
14歳の少年カント(下倉幹人)は幼い頃からアイヌ文化に触れながら暮らしていましたが、1年前に父を亡くしてからそういった活動から遠ざかるようになり、今ではすっかりバンド活動に没頭する毎日。
中学を卒業したら、高校進学のために地元を離れる予定でいます。
そういった彼を、アイヌ民芸品を営む母(下倉絵美)はいつも優しい眼差しで見守っています。
あるとき、父の友人でアイヌコタンの中心的存在でもあるデボ(秋辺デボ)はカントを自給自足のキャンプへ誘い、そこで改めてアイヌの精神や文化への興味を持たせようとしていきます。
そしてデボは、ひそかに育てていた子熊の世話をカントに託します。
世話を続けるうちに、どんどん子熊に対する愛着が沸いていくカント。
しかし、その子熊は長年行われていなかった熊送りの儀式“イオマンテ”を復活させるために飼育されていたものでした……。
“アイヌモシリ”とは“人間の世界”を意味する
映画『アイヌモシリ』の主人公は、バンド活動に明け暮れつつ、進学に悩む、どこにでもいる普通の少年です。
アイヌの血を引いていることに、一体どれほどの意味があるのか?
しかし一方では、だんだん廃れていきがちな独自の文化を、いかに継承していくかに腐心している大人たちの思惑から逃れるのも困難なようです。
大人たちは大人たちで、いくら古くからの習わしとはいえ、今の時代に生贄を必要とするような儀式をわざわざ復活させる必要があるのか? と賛否の議論が白熱していきます。
こういった問題はアイヌに限らず、独自の文化を抱く世界中の民族の人々に共通のものなのでしょう。
かくして本作は、『CUT』『Ryuichi Sakamoto:CODA』などのエリック・ニアリと『あの日のオルガン』『閉鎖病棟』などの三宅はるえがプロデュース、撮影監督は『神様なんかくそくらえ』『グッドタイム』のショーン・プライス・ウイリアムズ、音楽はヨハン・ヨハンソンやマックス・リヒターと共作してきたクラリス・ジェンセン&アイヌ音楽家でトンコリ奏者でもあるOKIが務めています。
まさにワールドワイドなスタッフ編成に支えられながら、監督を務めたのは北海道出身でNYに渡米して映画活動を続ける福永壮志。
初の長編映画『リベリアの白い血』が第21回ロサンゼルス映画祭最高賞受賞など高い評価を受けた彼ですが、たとえばアメリカではネイティヴ・アメリカンに対する国民の意識が高く、また世界中で移民や民族を扱った映画灘が多いのに比べて、日本ではなかなかアイヌに対する理解度が低いことを痛感させられたのを機に本作の企画を立ち上げ、およそ5年の月日を得て完成させました。
こういったワールドワイドな視線で貫かれた映画であることを鑑みれば、第19回トライベッカ映画祭国際コンペティション部門審査員特別賞を、第23回グアナファト国際映画祭国際長編部門最優秀作品賞を受賞したのも当然の帰結といえるでしょう。
また、そういった民族のアイデンティティの問題以外でも、本作は亡き父への少年の想いを通して、親と子の絆といった、これまた世界共通のモチーフを巧みに描出しているのも美徳のひとつです。
主人公のカント少年を演じる下倉幹人をはじめ、多くの出演者は実際のアイヌの人々で、それゆえか時折ドキュメンタリーを見ているかのような味わいもあり、それがまた虚実相まみえた映画ならではの魅惑を増大させてくれています。
アイヌを題材にしながら、その実、出自にまつわるアイデンティティや、独自の文化や伝承といかに対峙していくべきかといった問題、さらには思春期の悩みと心の揺れ、親と子の絆など、実にどの国どの世代にも共有できる普遍的な要素を多々内包し得た作品です。
タイトルの『アイヌモシリ』とは「アイヌ=人間」「モシリ=大地」の組み合わせ。
即ち「人間の世界」といった意味を成す言葉なのでした。
(文:増當竜也)
https://news.goo.ne.jp/article/cinema/entertainment/cinema-123952.html

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