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白老町立図書館、ウポポイ開業効果 アイヌ文化本コーナーが人気 学術書や絵本、2千冊 「精神や生き方知って」

2020-10-20 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/19 18:29

ウポポイ開業後、利用が増えている町立図書館のアイヌ文化と郷土資料のコーナー
 【白老】アイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」の開業効果で、町立図書館(本町1)のアイヌ文化と郷土資料をまとめたコーナーの利用が増えている。学術書や絵本など約2千冊をそろえており、同図書館司書の本間敬子さんは「現代の生活にも通ずるアイヌの人たちの精神や生き方を本を通じて多くの人に知ってほしい」と利用を呼び掛けている。
 コーナーはアイヌ文化への注目の高まりを受け、館内に分散して目立ちにくかった関連資料を集約し、昨年10月に図書館中心部に設けた。同図書館によると幅広い年代から利用が徐々に増え、長年利用していた町民がウポポイ開業をきっかけに初めてアイヌ文化の本を手に取ったり、子どもたちが地域の魅力を学ぶふるさと学習の一環で資料を借りることもあるという。
 コーナーはアイヌ民族に関する歴史の本やアイヌ語辞書、町内のアイヌ語サークルから寄贈されたユカラ(英雄叙事詩)の翻訳本などのほか、アイヌ民族の少女らが活躍する人気漫画「ゴールデンカムイ」(貸し出し不可)やアイヌ民族の物語を題材にした子ども向けの絵本など、アイヌ文化をよく知らない人でも楽しめる本もそろえている。
 毎年数十冊関連の新刊を購入しており、今後はウポポイとの連携や展示イベントなども検討しているという。本間さんは「コーナーを利用して多くの人にアイヌ文化に興味をもってほしい」と話している。図書館は午前10時~午後5時。月曜休館。(斎藤佑樹)
※「ユカラ」の「ラ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/472342

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ウポポイ発信強化 中傷相次ぎHPに解説文 研究者が回答 法的措置検討

2020-10-20 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/19 05:00
 胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」に対し、インターネット上で差別的な投稿が相次いでいることを受け、運営するアイヌ民族文化財団(札幌)は展示について正しく理解してもらうための発信強化などの対策を始めた。中核施設の国立アイヌ民族博物館のホームページ(HP)に、民族の歴史や文化を説明する専用コーナーを新設。職員個人が対象となった投稿には、法的措置も検討する。
 ウポポイを巡っては7月の開業前後から、「偽アイヌの施設」といったいわれのない誹謗(ひぼう)中傷などがネット上に書き込まれ、同様の電話も続いた。中には、批判的な内容とともに職員の写真が投稿された例もあった。
 国立アイヌ民族博物館のHPの新コーナーは「よくある質問―アイヌの歴史・文化の基礎知識」と題し、15項目についてQ&A方式で解説。これまでに寄せられた批判などに答えようと、博物館の研究者ら約30人が内容を考えて作成した。
 そのうちの一つでは「どうして展示資料は『古い』資料ばかりではないのでしょうか」との問いを立て、回答部分で現代に製作、使用されたものなども展示していると説明した。時代の変化に伴いアイヌ民族がさまざまな仕事に従事してきたことを紹介するため、近現代のアイヌ民族の仕事道具としてアルファベット入りの短刀を展示したところ、インターネット上で「これがアイヌ文化?」「展示がでたらめだ」など誤った解釈による批判が拡散したからだ。
 博物館には「アイヌは先住民族ではない」との主張が繰り返し寄せられており、「アイヌ民族はなぜ先住民族と認められているのですか」との問いも用意した。回答部分では、2019年施行のアイヌ施策推進法で先住民族と規定されたと明示。09年に政府のアイヌ政策に関する有識者懇談会がまとめた報告書を基に「近代国家(明治政府)が形成される過程で他民族の支配を受け、それでもなお独自の文化とアイデンティティーを保持していることから『先住民族』と考えることができるとされた」と解説した。
 一方、同財団は職員個人への中傷は弁護士と相談し、実際に被害が生じた場合には法的手段に訴えることも検討する。同博物館の佐々木史郎館長は「Q&Aの項目は必要に応じて増やし、博物館としての考え方を多くの人に理解してもらいたい。個人攻撃には毅然(きぜん)と対応する」と話している。(田鍋里奈、斉藤千絵)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/472086

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阿寒でアイヌ文化を新体験!

2020-10-20 | アイヌ民族関連
NHK 2020年10月19日
ひるまえナマら!北海道
2020年10月20日(火)午前11時30分
地域の話題を伝える「ILOVEJIMOTO北海道」は、札幌から車で4時間の釧路市阿寒町。道内最大のアイヌコタン(集落)があり、アイヌの歴史や文化に触れることのできる街で、新たに始まったガイドツアーをご紹介。自然散策や、ものづくりなどアイヌを身近に感じることができる阿寒町の魅力を探る。▽「わたしの1枚/お便り」番組HP・FAX011-208-1575▽ゲスト:そらさん(絵本作家)
https://www.nhk.or.jp/hokkaido/program/12e1/7e47c6678/

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札幌でアイヌ工芸品の展示販売会

2020-10-20 | アイヌ民族関連
NHK 10月19日 11時56分

マスクや木彫りの置物など、アイヌの工芸作家による作品の販売会が札幌市中心部で始まりました。
販売会はアイヌ文化に触れてもらおうと札幌市が開いたもので、中央区の地下歩行空間には、工芸作家が作ったアクセサリーや巾着袋などおよそ800点が並んでいます。
このうち布製のマスクは、色鮮やかなアイヌ文様があしらわれたもので、新型コロナウイルスの影響でマスクの需要が伸びる中、人気の商品です。
また、作家の早坂賀道さんと雅賀さんが制作したアイヌ語で「コタン・コロ・カムイ」、村を守る神とされているフクロウの木彫りも販売されています。
会場では、通りがかった人たちが作品の前に立ち止まっては、じっくりと眺めたり、手に取ったりしていました。
東京から札幌を訪れているという80代の女性は「日本のほかの模様とは全く違うように見えます。すてきですね」と話していました。
札幌市アイヌ施策課の英悠輝さんは「ひとつひとつ作家が思いを込めてつくっているので、ぜひ多くの人にみてもらいたい」と話していました。
販売会は今月25日まで札幌駅前通地下歩行空間「チ・カ・ホ」で開かれています。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20201019/7000025840.html

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アイヌ民族をめぐる諸問題とヌーヴォー・ロマンと、そして私小説。多層化する語りの中で見事に混合

2020-10-20 | アイヌ民族関連
ニコニコニュース 2020/10/19 15:00ALL REVIEWS

『骨踊り』(幻戯書房) 著者:向井 豊昭
多層化する語りの荒々しさ
向井豊昭という作家をご存じだろうか。2008年に亡くなったが、没後、彼の小説をめぐって複数の批評家が可能性を掘り下げる文章を書いてきた。
本書は、向井の初期の傑作短編『脱穀』(カイセイエと読む)、『鳩笛(はとぶえ)』をはじめ、代表作『BARABARA』へ直接結びつく中編『骨(こつ)踊り』を収録した。それら以外に、フランス文学者・平岡篤頼氏の講演「フランス小説の現在」をも収める。向井が最も影響を受けたと告白しているものだ。
アイヌ民族をめぐる諸問題とヌーヴォー・ロマンと、そして私小説と。意想外の組み合わせであるそれらは、多層化する語りの中で見事に混ぜ合わされ、荒々しいまま小説の中で息づいている。
【書き手】
陣野 俊史
1961年長崎生まれ。文芸評論家、フランス文学者。ロック、ラップなどの音楽・文化論、現代日本文学をめぐる批評活動を行う。最新作に『戦争へ、文学へ 「その後」の戦争小説論』(集英社)。その他の著書に『フランス暴動 - 移民法とラップ・フランセ』『じゃがたら』(共に河出書房新社)、『フットボール・エクスプロージョン』(白水社)、『フットボール都市論』(青土社)など。
【初出メディア】
日本経済新聞 2019/02/21
【書誌情報】
骨踊り
著者:向井 豊昭
出版社:幻戯書房
装丁:単行本(635ページ)
発売日:2019-01-26
ISBN-10:4864881642
ISBN-13:978-4864881647
https://news.nicovideo.jp/watch/nw8310922

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ミラノ トリエンナーレとカルティエ現代美術財団が欧州初の文化協力を締結

2020-10-20 | 先住民族関連
時事通信 2020年10月20日(火)
[カルティエ]

ミラノ トリエンナーレとカルティエ現代美術財団は、8年間にわたるパートナーシップを結び、展覧会とライブショーによる見ごたえある共同プログラムをミラノで催すことになります。このパートナーシップの皮切りとして、両者は2020年10月17日から2021年2月7日まで、ブラジルのアーティスト、クラウディア・アンデュジャール(Claudia Andujar)のたぐい稀な作品を取り上げる『クラウディア・アンデュジャール(Claudia Andujar)展:「The Yanomami Struggle」(ヤノマミ族の闘い)』を開催いたします。アンデュジャールは1970年代から、ブラジル最大級の先住民族であるヤノマミ族の写真撮影と擁護に生涯を捧げてきました。ヤノマミ族は目下、違法な金採掘業者とコロナ禍によってこれまで以上の脅威にさらされています。この画期的なコラボレー
ションは、欧州において、公的機関と民間機関の文化協力の新たなモデルを示すものです。
ミラノ トリエンナーレ内の1,300平方メートル のスペースが、カルティエ財団のプログラムから生まれる展覧会、あるいは
2つの機関の緊密な協力によって企画される展覧会の会場に充てられることになります。ミラノ トリエンナーレとカルティエ財団は、現代アート創作について共通のビジョンを持ち、両者ともに、コンテンポラリーアート、
建築、デザイン、ファッション、映画、科学、哲学といったあらゆる分野に門戸を開き、分野横断的な国際色豊かなプログラムを手がけています。
現代の主要な環境問題に対する両者の関わりが、第22回ミラノ トリエンナーレ国際展の一環である『Broken Nature: Design Takes on Human Survival(壊れた自然:デザインが人類の生き残りを担う)』展の枠組で、バーニー・クラウス(Bernie Krause)とユナイテッド ビジュアル アーティスツ(United Visual Artists)によるカルティエ財団収蔵作品「The Great Animal Orchestra」の上演につながりました。
カルティエ財団はかねてから、イタリアの現代アートシーンと密接なつながりをもっています。とりわけアレッサンドロ・メンディーニ(Alessandro Mendini)、エンツォ・マーリ(Enzo Mari)、アンドレア・ブランツィ(Andrea Branzi)、ジュゼッペ・ペノーネ(Giuseppe Penone)、最近ではフォルマファンタズマ(Formafantasma)との出会いが、彼らの豊かな作品をパリの人々や旅行者たちに紹介する主要な展覧会へとつながっていきました。財団のコレクションには、これらのたぐい稀なクリエイターたちによる作品が多数所蔵されています。
現在、アーティストの支援、作品の宣伝・普及、現代世界に関する有意義な観点の提示において、欧州組織間のアイデア交換、経験共有、文化ネットワーク構築が、これまで以上に重要になっています。それを踏まえ、ミラノ トリエンナーレとカルティエ財団は協力し、国際的な現代アートを支援する新たな対話を生み出していきます。
このパートナーシップは、2020年10月17日に『クラウディア・アンデュジャール(Claudia Andujar)展:ヤノマミ族の闘い』で幕を開け、引き続き2021年には、カルティエ現代美術財団のコレクションの中からギジェルモ・クイッカ(Guillermo Kuitca)が選定・監修にあたる『Les Citoyens」(市民)』展が開催されます。このアルゼンチンのアーティストは、コレクションの作品群の間の新たなつながりを明らかにし、アンサンブルとまとまり、集団と個人といった概念を複数の声を通じて取り上げる旅へと鑑賞者を誘います。この展覧会は、それ自体が一つの創作となり、クイッカならびにそれぞれの出展アーティストの世界に浸ることができます。
ミラノ トリエンナーレ
ミラノ トリエンナーレは、デザイン、建築、ビジュアルアート、パフォーミングアートといった、現代文化に関するあらゆる形態のアートを一堂に集める国際文化機関です。それはアートとデザイン、創造性とテクノロジー、伝統と革新が出会う場です。
ステファノ・ボエリ(Stefano Boeri)が代表を務めるミラノ トリエンナーレは、主要なイタリア国内外の建築家、デザイナー、アーティストの作品を展示します。展覧会、会合、カンファレンス、パフォーマンスなどがプログラムの目玉となり、それらは現代社会の主要な課題について考えるきっかけをつくり、国民的議論のテーマにもなります。
ミラノ トリエンナーレは、国際色豊かで分野横断的なプログラム編成を行う独自のシアターを有するとともに、イタリアンデザインのコレクション、ならびに現代アートに特化した図書館、アーカイヴ、保存研究室を併設しています。
同文化機関は、デザインと建築に的を絞った最重要イベントであるミラノ トリエンナーレ国際展を3年毎に主催しており、次の開催は2022年に予定されています。
2019年4月9日、ミラノ トリエンナーレは、常設コレクションの一部にハイライトをあてるイタリア デザイン博物館(Museo del Design Italiano)をスペース内に開設しました。イタリアンデザインを最も象徴する代表作1,600点近くが集められています。
ミラノ トリエンナーレは、ミラノのパラッツォ デッラルテ(Palazzo dell’Arte)内にあり、1933年に建築家ジョヴァンニ・ムツィオ(Giovanni Muzio)が手掛けたその建物は、イベントや、ミュージアムあるいは演劇にも対応できるフレキシブルなモジュール式スペースとして設計されました。
カルティエ現代美術財団(パリ)
1984年にカルティエによって創設されたカルティエ財団は、世界中のアーティストのために、またあらゆるオーディエンスに作品を広めるために、ユニークかつクリエイティブな環境を提供しています。
パリに位置する、建築家ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)が手掛けたアイコニックな建物にあり、エルベ・シャンデス(Hervé Chandès)が指揮をとるカルティエ財団は、環境問題や社会科学、数学など、美術館で扱われることが珍しいテーマも広く取り上げています。
財団は、現代のあらゆる分野の創作活動を網羅し、アーティスト、哲学者、ミュージシャン、建築家の間の意外な出会いを促進する、多岐にわたる分野横断的な特徴を保っています。
カルティエ財団は、制作依頼から展覧会まで、アーティストを長期にわたって支援し、アーティストと特別なつながりを築きます。時が経つにつれて、こうした交流から、ユニークなコレクションが生まれ育ち、今では、50ヶ国の400人以上のアーティストによる1,600点以上の作品を所蔵するまでになっています。
カルティエ財団の展覧会やコレクションは世界中で光彩を放ちます。欧州では、とりわけミラノ トリエンナーレとのパートナーシップを通して、また欧州以外でも特に中国において、カルティエ財団は上海当代芸術博物館と特別なつながりを保っています。
『クラウディア・アンデュジャール展:ヤノマミ族の闘い』
2020年10月17日 - 2021年2月7日
ミラノ トリエンナーレ
ミラノ トリエンナーレとカルティエ現代美術財団は、ブラジルのアーティスト、クラウディア・アンデュジャールの作品と活動を取り上げる過去最大規模の展覧会を開催いたします。クラウディア・アンデュジャールは50年以上にわたり、ブラジル最大級の先住民族ヤノマミ族の写真撮影と保護に生涯を捧げています。ヤノマミ族の居住地域は現在、違法な金採掘に加えて新型コロナウイルス感染症の蔓延が重なり、これまでにも増して危機にさらされていますが、『クラウディア・アンデュジャール(Claudia Andujar)展:ヤノマミ族の闘い』は、人道および環境危機がコロナ禍によってさらに悪化する中、新たな今日的意義を帯びたものとなっています。
「私は、先住民ヤノマミ族、彼らの土地、彼らの戦いと心でつながっています。そのすべてが私の心を揺さぶります。私にとってそれらすべてが本質的なものです。おそらく私は、この根源的な核の中に、生きる意味への答えを常に求めてきたのでしょう。だからこそアマゾンのジャングルに向かうことになったのです。それが本能であり、探し続けていた私自身なのです。」
クラウディア・アンデュジャール
展覧会内容
ブラジルのモレイラ サレス インスティチュート(Instituto Moreira Salles)の現代写真部 部長であるチアゴ・ノゲイラ(Thyago Nogueira)がキュレーターを務めるこの新しい展覧会は、写真家クラウディア・アンデュジャールのアーカイヴの4年間にわたる研究を基に、この時代の彼女の作品に的を絞り、300点以上の写真、オーディオビジュアル インスタレーション、ならびにヤノマミ族による一連のスケッチと1本の映画を集めています。本展では、写真芸術へのクラウディア・アンデュジャールの並外れた貢献、ならびにヤノマミ族の擁護における人権活動家としての彼女の大きな役割を探ります。アートと人権活動の両方に力を注いできた彼女のキャリアの二面性を反映して、本展は2つのセクションに分けられます。1つ目は、ヤノマミ族と暮らした最初の7年間の写真を展示し、複雑な文化を視覚的に読み解くという難題に彼女がどう取り組んだかを示します。2つ目のセクションでは、写真をとりわけ政治変革のためのツールとして使い始めた人権活動時代に手掛けた作品を展示します。
クラウディア・アンデュジャール
1931年、スイスのヌーシャテル生まれ。現在はサンパウロに在住し活動しています。育ったのはトランシルバニア。そこは当時、長年にわたるハンガリー支配の後、ルーマニアに組み込まれたばかりでした。第2次世界大戦中、ハンガリー系ユダヤ人だったクラウディアの父親と父方の親族はダッハウの強制収容所へ送られ、そこで亡くなりました。クラウディア・アンデュジャールは母親と共にスイスに逃れ、1946年にひとまず米国へ移住。その後1955年にブラジルへ移住して、そこでフォトジャーナリストとしてのキャリアをスタートさせ、やがて活動家となりました。
お問い合わせ先
カルティエ カスタマー サービスセンター 0120-301-757
https://www.cartier.jp
企業プレスリリース詳細へ (2020/10/19-16:16)
https://www.jiji.com/jc/article?k=000000068.000016275&g=prt

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「ゴールデンカムイ」“戦争が終わったら駆け落ちしよう”月島軍曹の願いは…第27話先行カット

2020-10-20 | アイヌ民族関連
アニメアニメ 2020/10/19 18:00
『ゴールデンカムイ』第27話先行カット(C)野田サトル/集英社・ゴールデンカムイ製作委員会
(アニメ!アニメ!)
TVアニメ『ゴールデンカムイ』より、2020年10月19日(月)放送の第27話(第3期第3話)「いご草」のあらすじと先行カットが公開された。
『ゴールデンカムイ』は、「マンガ大賞2016」「第22回手塚治虫文化賞 マンガ大賞」などをこれまでに受賞し、シリーズ累計1,400万部を突破する冒険・歴史・文化・狩猟グルメ・GAG&LOVE和風闇鍋ウエスタン。
第3期では、網走監獄で繰り広げられた激しい攻防戦の末に、離れ離れになってしまった“不死身の杉元”こと杉元佐一とアイヌの少女・アシ(リ)パ、そして両名と旅を共にする谷垣源次郎、鯉登少尉、白石由竹、尾形百之助、キロランケらが、北海道よりさらに北に位置する極寒の地・樺太で繰り広げる新たな生存競争サバイバル「樺太編」が展開される。
第27話では、キロランケたちがかつてウイルクの生まれた村があった場所を訪れていた頃、杉元らと岩息を見送った月島は、ふとしたきっかけから鶴見中尉の部下になった経緯を思い出す。
それは、佐渡の島で疎まれながら育った少年時代と、いご草のような髪の娘との記憶と強く結びついたものだった。その娘と、日清戦争が終わったら駆け落ちをする約束をしていた月島。だが、彼の人生に暗い影を落としてきた父の存在によって願いは打ち砕かれる……。
『ゴールデンカムイ』第27話(第3期第3話)「いご草」は、2020年10月19日(月)23時よりTOKYO MX、読売テレビ、札幌テレビ、BS11ほかにて放送。
●第3期 放送・配信
・TOKYO MX:10月5日より毎週月曜23:00〜
・読売テレビ:10月5日より毎週月曜25:59〜
・札幌テレビ:10月5日より毎週月曜25:44〜
・BS11:10月5日より毎週月曜23:00〜
・時代劇専門チャンネル:10月10日より毎週土曜25:00〜
FODにて独占配信!
・FOD:10月5日より毎週月曜23:00配信
●スタッフ
原作:野田サトル(集英社「週刊ヤングジャンプ」連載)
監督:難波日登志
シリーズ構成:高木登
キャラクターデザイン:大貫健一
プロップ設定:渡辺浩二
動物設定:廣江啓輔
美術監督:森川篤
美術設定:大久保知江
色彩設計:茂木孝浩
撮影監督:長田雄一郎
CGディレクター:宍戸光太郎
編集:定松剛
音響監督:明田川仁
音響制作:マジックカプセル
アイヌ語監修:中川裕
ロシア語監修:Eugenio Uzhinin
音楽:末廣健一郎
第三期オープニングテーマ:FOMARE「Grey」
第三期エンディングテーマ:THE SIXTH LIE「融雪」
アニメーション制作:ジェノスタジオ
製作:ゴールデンカムイ製作委員会
●キャスト
杉元佐一:小林親弘
アシ(リ)パ:白石晴香
白石由竹:伊藤健太郎
鶴見中尉:大塚芳忠
土方歳三:中田譲治
尾形百之助:津田健次郎
谷垣源次郎:細谷佳正
牛山辰馬:乃村健次
永倉新八:菅生隆之
家永カノ:大原さやか
キロランケ:てらそままさき
インカ(ラ)マッ:能登麻美子
二階堂浩平:杉田智和
月島軍曹:竹本英史
鯉登少尉:小西克幸
(C)野田サトル/集英社・ゴールデンカムイ製作委員会
https://news.goo.ne.jp/article/animeanime/entertainment/animeanime-57043.html

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今さら他人に聞けない「アメリカの黒人」の歴史

2020-10-20 | 先住民族関連
PHPオンライン衆知 2020/10/20 12:00
16世紀、カリブ海域を征服したスペインは、アフリカ大陸から黒人奴隷を連行、この地におけるプランテーション(単一作物の大規模農園)の労働力として使役し始めた。
その後、オランダ・イギリス・フランスなどが参入し、多くの黒人たちが南北アメリカに連れてこられた。
そして奴隷制度の是非も争われた、1861年からの南北戦争。その最中にリンカーンが奴隷解放宣言を発し、まもなく、アメリカ合衆国での奴隷制度が廃止された。
しかし、それでもなお、黒人に対する差別は解消されず、いま再び大きな問題になっている。
黒人差別はなぜ生まれたのか。この問題は、なぜいつまでも解決しないのか。その歴史を『アメリカ黒人の歴史 奴隷貿易からオバマ大統領まで』の著者である横浜市立大学名誉教授の上杉忍氏が伝える。
世界でも際立つアメリカの差別意識が根付いてしまった根本原因
ミネアポリスの黒人ジョージ・フロイド氏が、白人警官に首を圧迫され、「息ができない」とうめきながら殺された場面を映した動画が瞬く間に全世界に広がった。その過程で、アメリカでは、白人警官による黒人殺害が頻発していることが、広く知られるようになった。
巷では、「黒人奴隷制が廃止され、その後の法的人種差別が、1960年代の公民権運動を経て撤廃され、2008年には大統領に黒人のオバマが選ばれるほどの変化を遂げた。なのに、なぜ、今また! これからもアメリカは変わらないのだろうか!」と、驚きの声が聞こえる。
白人を含む人種差別に抗議する運動が全米各地のみならず、世界各地に広がり、国連人権理事会は、ほとんど即座に「黒人への差別や警察による暴力解消を求める決議」を全会一致で採択した。
しかし、「問題は全世界共通のもの」との一部の国の主張によって、アメリカの名はこの決議から削除された。
これに対して、全米市民自由連合は、「先進国の中でも特に警察による黒人の殺害が多いアメリカという言葉の削除は非常識だ」と批判した。
黒人に対する差別は全世界に広がっているが、アメリカの「黒人差別」には、黒人差別一般ではくくれない独自性がある。
この国では、公衆の面前でリンチされた黒人は、確認されただけでも数千人に及び、これまで警官に殺害された黒人もおそらく数万に上ると言われている。しかも、殺害に関わった白人の大半は無罪放免とされた。
この国では、数万の黒人が、白人だけの陪審員による「裁判」の結果、処刑されたり、囚人労働キャンプに送られたりしてきた。こんな国は、他にはない。
今、この瞬間にも、アメリカの黒人は、「黒人の命が問われている(Black Lives Matter)」と恐怖を感じているのだ。日本滞在経験のあるアメリカ黒人レジー・ライラさんは、日本では「じろじろ見られたけれど、外国人への好奇心だったと思う」、しかしアメリカでは「どこに出かけるか、どの道、どんな地域を通るのか、そこでいかにふるまうのかを四六時中、考える」と言う。
他の国とは明らかに異質である黒人差別は、なぜアメリカに根付いてしまったのか、その歴史を遡って考えてみよう。
南部の先住民族が駆逐されたのは黒人奴隷制を守るため
アメリカでは「血の一滴のルール」と言われ、一滴でもアフリカ系の血が混じっている者を全て、「黒人」とみなす規則や習慣が存在してきた。
この国では、奴隷制時代はもちろん、その後も白人男性と黒人女性との間に多数の混血が生まれた(その逆の白人女性と黒人男性との間の混血は極めて少ない)。
色が薄く、眼の青い、金髪の者も少なくないが、混血は、全て「黒人」として扱われる。実際に個別に詳しく調べてみると、少しでも白人の血が混じっている「黒人」の比率は、かなり高い。
今日でも、これらの「黒人」はその大半が、黒人居住区に住み、子供たちは「黒人学校」に通っている。一時は、白人居住区の子供と黒人居住区の子供をバス通学によって「人種統合」させる試みも行なわれたが、白人住民の反対にあい、まもなくほとんど停止されてしまった。
白人と黒人の結婚は、今でこそ禁止されてはいないが、庶民の間ではほぼ皆無だ。町で、白人と黒人のカップルを見かけることはまずない。
これに対してカリブ海域では、アメリカのような厳格な人種隔離社会は存在せず、「混血」が多数存在しているし、結婚も珍しくない。色の白い女性と黒い男性が手をつないで街を歩いている姿もよく目にする。
なぜこの違いが生まれたか。その原因には、この2つの地域における黒人奴隷制プランテーションの「安全保障体制」の違いがある。
16世紀から始められた輸出用商品作物栽培を目的とした南北アメリカのプランテーション農業では、アフリカから連行されてきた黒人奴隷を、一種の「強制収容所」であるプランテーションに閉じ込め、逃亡や反抗を抑え込んだ。
しかし、多数の黒人奴隷に労働をしいるこの制度は、奴隷たちの反抗を暴力で抑え込まねばならず、また、プランテーション地域の近隣には、この制度を脅かす勢力(先住民、外国勢力、貧しい白人)がおり、彼らを無力化することが絶対的に重要だった。
北米では、黒人奴隷が導入されたころ、先住民部族はなお強力で、奴隷が先住民地域に逃げ込み、保護されたり奴隷にされたりしたから、彼らは黒人奴隷制にとっての脅威だった。黒人奴隷制を守るためには、彼らを駆逐することがどうしても必要だった。
また、例えば、フロリダがまだスペインの植民地だった時代には、この地域にはセミノール族がおり、逃亡奴隷を受け入れていたし、スペインは、アメリカ領内の黒人奴隷に逃亡を呼びかけ、土地と武器を与えて、フロリダを防衛しようとした。アメリカは、黒人奴隷制を守るために、一刻も早くフロリダをアメリカの領土にする必要があった(1819年に購入)。
しかし、この地域には、白人年季奉公人(主にイギリスの債務者、犯罪者がアメリカにわたり一定期間強制労働に従事し、のちに解放される)が、黒人奴隷の前に導入されていた。
黒人奴隷制の拡大により白人年季奉公人制度は衰退・廃止されたが、奴隷制地域と先住民地域との間には、解放されたこれらの貧しい白人が多数住んでいた。彼らは、先住民征服の先兵の役割を果たし、プランテーションで奴隷監督として雇用されたり、逃亡奴隷狩りに動員されたりした。
南部では、彼らのような奴隷を所有していない白人は全白人人口の3分の2を占め、彼らは、権力を握る大奴隷主や大商人から疎外され、場合によっては、黒人と手を組んで抵抗する可能性があった。
そこで、白人支配層は、「混血」を全て黒人社会に押しやり、貧しい白人たちには武器所有権や参政権を与え、彼らを「〝優秀な人種〟である純粋な白人としての誇り」を共有する白人共同体の一員に取り込んだ。この白人共同体によって奴隷制社会の安全は保障されていた。
カリブ海域では、黒人奴隷が導入されたころ、先住民はすでにほぼ全滅しており、安全保障を脅かす存在ではなかった。ここでは、プランテーションで監督などに雇用される白人はごく少数で、この地域の少数の白人だけでは多数の奴隷を抑え込むことはできなかった。
白人支配層は、白人の血の割合の多い順に「混血」を優遇し、彼らに頼って奴隷の反抗を抑え込んだ。この社会には、白人の血の割合によって細分された階層秩序を持つ混血集団が存在し、混血たちは、少しでも白人の血の割合の多い混血と結婚して、社会的地位を引き上げようと競い合った。
英仏など植民地本国の軍隊は、黒人たちの反抗を抑止するための最後の頼りであり、現地の支配層は、本国から独立して自力で黒人の抵抗を抑圧することが困難だったために、あえて独立の道を選ばなかった。
カリブ海域の植民地本国からの独立が、ハイチなどを除き、南北アメリカ諸国より100年以上も遅れた重要な原因はそこにあった。
黒人をアメリカ社会の底辺に押し込めるための法律
1865年の奴隷制廃止を定めた憲法修正第13条は、「奴隷及び本人の意に反する労役は、犯罪に対する刑罰として当事者が正当に有罪の宣告を受けた場合」以外は認めないとしたが、言いかえれば、「正当に有罪の宣告を受けた者」に対する「意に反する労役」の強制は許されていたのである。
南北戦争(1861〜65年)後の南部では、裁判の陪審員を白人が独占し、放浪罪など軽微な犯罪で裁判所に送られてきた黒人に、次々と有罪判決を下して彼らを刑務所に送り込み、炭鉱等での長期の危険な囚人労働を課した。多くの囚人が苛酷な懲罰と労働で亡くなった。
南北戦争後の南部の鉱山業、林業、鉄道建設、道路建設労働者の多くは黒人囚人だった。黒人たちは、目を付けられて囚人キャンプに送られることを恐れ、白人に対して「従順さを示す仕草・振舞い」(人種エチケット)を身につけねばならなかった。
カリブ海域では、奴隷解放以後、奴隷の自営農民化が進み、プランテーションの解体が進んだが、アメリカ南部では、プランテーションは、刈り分け小作制度という一種の債務奴隷制度によって維持された。
大半の黒人は自分の土地で自立した農業経営ができず、地主・商人の高利貸しに縛られ、債務返済のために小作地を耕作し続けなければならなかった。工業などの他の雇用機会が厳しく抑制されていたために、彼らは、容易にはプランテーション地域から脱出できなかった。
黒人をこの社会の底辺に押し込めるための法律が、南部諸州で制定され、黒人は、アメリカの市民としての権利をほぼ完全に奪われた。
異人種間の結婚禁止、学校や公共施設・公共交通などの人種隔離法(ジム・クロウ法)や、参政権、陪審権の剝奪立法などの法律の網の目が20世紀初頭までに全南部に広がり、北部においても居住区などの人種隔離が進んだ。
1930年代から続いた「長い公民権運動」は多くの犠牲者を出しながら、ついに1964年、公民権法を実現した。南部諸州の「ジム・クロウ法」は無効となり、連邦政府には、全てのアメリカ市民の権利を保護する権限と義務があることが確認された。まもなく黒人の参政権も回復され、南部でも多くの黒人が公職に選ばれ、政治に大きな変化が生じた。
しかし、この公民権法は、人種差別を容認してきた白人の罪の意識に訴えて実現したものでもあり、また、冷戦下で、黒人差別が、第三世界諸国を反米親ソに向かわせる危険性を政府が考慮せざるをえなかった結果、成立した法律でもあった。
そのため、公民権法を支持した白人大衆の多くは、法的平等を約束したこの法律の成立をもって「目的は達せられた」と考えた。彼らは黒人に対するこれ以上の経済的・社会的差別解消は、自らの特権を覆す可能性があると不安に感じ、これ以上進むことに抵抗したのである。
事実上の黒人差別はなお続き、グローバリゼーションに伴う「産業の空洞化」などによって格差が拡大し、1970年代以後、事態はむしろ悪化した。
大半の黒人は黒人居住区で生活せねばならず、学校の人種隔離はむしろ進み、2004年には政府は、1950年代の状況に戻ってしまったと報告している。黒人地域と白人地域の公教育予算の格差は大きく、格差緩和を目的として一時、連邦予算が投ぜられたものの、まもなく「小さな政府」政策によって補助金は大幅に削減された。
当初は、連邦政府の福祉政策の拡大によって、貧困には改善の兆しが見えたが、それもまもなく、ベトナム戦争とその後の戦費拡大によって停滞し、「自己責任」が強調されるようになった。
今日でも、貧困、失業、低学歴、疾病、犯罪、家庭崩壊、劣悪な住環境など、黒人の生活全面にわたる貧しさと、白人とのその格差は明白である。
いわゆる「積極的差別是正」政策によって一部の黒人が地位を向上させたが、まもなくそれも抑制され、全体として黒人は社会の最底辺に沈殿し続けていると言っていい。
多くの黒人が集住している都市中心部の黒人地区では、特に1980年代以後、麻薬ギャングの支配が広がり、麻薬に対する警察の取り締まり強化によって、この地域は事実上、白人警官の「占領地域」となった。
「外見によって取り調べ対象とされる人種捜査(Racial Profiling)」や、黒人が主に使用するクラック(固形コカイン)所持の刑期を極端に長くする法律などにより、麻薬犯罪で収監される黒人やヒスパニックが激増した。
1990年代以後、暴力犯罪は減少したのに、刑務所人口は、1970年以後2020年までに7倍以上、230万人に達し、黒人はその40パーセントを占めている(黒人の全人口に占める比率は、13パーセント)。
20代の黒人男性の10人に1人が刑務所に収監されており、黒人男性の3人に1人は、生涯に一度は収監されると計算されている。人類史上、これほど高い比率で住民が刑務所に収監されている社会は他にない。
1980年代のレーガン政権以来、軍備以外の連邦予算を削減する「小さな政府」政策が続いている中で、警察・裁判所・刑務所関連予算は増加し続けている。警察官・刑務所職員、武器・装備の拡充は言うまでもなく、刑務所建設・運営経費は膨張し続け、多くの雇用を生み出し、関連企業を潤している。
囚人労働による利潤は莫大で、刑務所の民営化も進められ、刑務所関連企業は、高い配当を保障する投資先となっている。
警察・裁判所・刑務所とこれに依存している産業の利権集団は、政治的・経済的複合体(「産獄複合体」)を形成し、彼らの政治的影響力は巨大である。彼らにとっては、囚人は莫大な利潤の源泉なのである。
そのために、最も効率よく麻薬保持者を特定・捕捉できる「外見によって取調べ対象とされる人種捜査」が、横行している。多くの黒人は、警察官にいつでも拘束され、殺害されるかもしれない恐怖の下で生活している。まさに「黒人の命が問われている」のだ。
晩年のキング牧師が示した「解決への道」
全世界に広がる人種差別に対する今日の抗議行動は、人種差別を生み・強化してきた「近代世界」の歴史全体に対する反省を促しており、植民地政策や奴隷制度を推進してきた人物の彫像を撤去するよう要求する、世界各地の民衆の直接行動はそれを象徴している。
アメリカの黒人差別も、その「近代世界」の歴史の一部であることは確かなのだが、ジョージ・フロイド氏殺害事件に象徴されるアメリカ黒人の苦境を、世界中の人種差別一般の問題とひとくくりにしてしまっては、その深刻さを理解することはできないし、その解決の道を見出すこともできないだろう。
最近、警察機構の解体・再編、予算の削減が提案され、話題になっている。
しかし、アメリカ黒人を日常的に苦しめているのは、単なる警察制度だけではなく、人種差別を受容し、それに頼って秩序を維持してきた社会の仕組みであり、警察改革も必要だが、それだけでは、問題解決にはならない。
人々の安心・安全は、全ての人々が、仕事、教育、医療、住宅、娯楽等を享受できる社会構築にその社会の資源を振り向けることによって、より確かなものになる。
黒人差別撤廃を訴えた公民権運動の指導者・キング牧師は晩年、アメリカには、それを可能にするのに十分な経済力があると説いた。キング牧師の主張は、今日なお真面目に議論されるべき道であろう。
https://news.goo.ne.jp/article/phpbiz/nation/phpbiz-20201009180942672.html

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「JALオンライントリップ 釧路編」発売。釧路の特産品を片手におうちで「アイヌ文化」や食文化を体験

2020-10-20 | アイヌ民族関連
インプレスウオッチ 10/19(月) 13:52

 JAL(日本航空)は11月7日、おうちで旅行体験を楽しめる「JALオンライントリップ 釧路編」を実施する。これに先駆け、予約受付を10月19日に開始した。
 東京(羽田)から釧路空港行きのフライトを仮想体験できる「JAL デジタルフライト」と、釧路市の魅力を伝える現地オンライントリップを組み合わせた「JALオンライントリップ」の第3弾。購入すると、専用の乗車券や機内誌などのJALスペシャルアイテムと、いくらの醤油漬けや鮭ルイベなどの釧路の特産品セットが自宅に届く。当日はそれらを手元に用意してビデオをつなぎ、2時間程度のオンライントリップを体験できる。
 現地観光では、「アイヌ文化」の体験として地元のアイヌの人々と一緒に民族楽器である「ムックリ」を演奏したり、「鮭」をテーマとした食文化体験を楽しめる。
 10時30分~12時30分、14時~16時の2回実施し、各回30組限定となる。価格は5800円、6600円、8300円。3種類から好きな商品を選択できる。
トラベル Watch,編集部:大竹菜々子
https://news.yahoo.co.jp/articles/1a6e55d39b69adb77dab2448afecd87f12e8eb3e

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【言葉の贅肉】鉛筆で書いて消してみる

2020-10-20 | アイヌ民族関連
産経新聞 10/19(月) 7:55
 いつだって乱雑な自室の机の上。今日もそこでまた消ゴムを探している。
 消ゴムを探しているということは消ゴムがこの乱雑な机の上のどこかにあるってことだ。消ゴムが必要だってことは消したいものがあるってこと。つまりは消ゴムで消せる文房具を使用しての仕事をしている。それも仕事かと言われれば“仕事のような作業”と言い換えても構わないけど。
 鉛筆。今でも御使用しておりますか。
 その鉛筆を削り、芯を出し、その芯も更に削って細くトンガラせて。
 もしかして、鉛筆とくれば小さな穴に差し込むだけ。電動で芯まできちんと細くトンガッて、いつでも使用可の状態で使用しているのが鉛筆だろうか。
 それとも、消ゴムと似たような大きさの小さなプラスチックの箱。小さな丸い穴があって、そこに鉛筆を差し込みグルグルと数回あるいは数十回まわすと鉛筆の芯まできちんと細くトンガッていつでも綺麗な文字を書くことができる“鉛筆削り”を御使用か。
 電動だろうが手動だろうがいわゆる鉛筆削り器-鉛筆削り機が正しいのだろうか。もう何十年も使っていない。
 鉛筆はいつだって必ず小刀で自分で削る。近頃はその小刀が手に入らない。手に入れづらいが正しいだろうか。とりあえず、鉛筆を売っている文房具売場に鉛筆削り用と明記した“小刀”など見たことがない。つまりは売っていない。
 鉛筆。その芯に使われる“鉛”の正しい成分など知りはしないがその“鉛”を筆のような太さの木でつつんだのか、くるんだのか。芯を出して文字なり絵なりをかこうと思えば外側の木を削らなくてはならない。木を削るとなればナイフ、小刀、包丁、鉈(なた)…いずれ良く切れる刃物が必要で。
 個人的には我が家にあった鉈に鉛筆をあてがって削ったこともあった。面白がって。ノコギリもかなり刃が大きいものであれば削って削れないことはない。面白がって。
 小刀のことを津軽では“マギリ”と呼んでいた。鉛筆は“マギリ”で削るのが当たり前の当たり前。小学生の筆箱、鉛筆箱には鉛筆、消ゴムと一緒に必ずマギリが入っていた。何しろマギリが無ければ鉛筆が削れないのだから当たり前の当たり前。
 のちののち。アイヌ語辞典で知ったこと。アイヌ語で“小刀”のことを“マキリ”と呼ぶのだと。アイヌ語の“マキリ”が津軽訛りで“マギリ”そうかアイヌ語であったと知った時のうれしさたるや。その流れの歴史。
 その昔。弘前。我が家で飼っていた猫の名前はチャペだった。隣りの家で飼っていた猫の名前も偶然か、たまたまか、チャペだった。近所にチャペという名の猫はいっぱい居た。
 これまたのちのちののち。アイヌ語辞典で小刀をマキリと知った時に-チャペとはアイヌ語で“猫”のことだと知った。今でも時に思い出して「津軽では猫に“ネコ”と名付け、猫を猫と呼んでいたのだ」でニンマリ。
 探していた消ゴムから鉛筆。鉛筆から小刀のマギリ。マギリからマキリ。猫を猫。
 不要不急。GO・TO思い出か。
 マギリの代わり。今はカッターナイフ。自分で使う鉛筆は必ず自分の手で削る。気を抜くと刃で指を切る。その痛みもちゃんと忘れていない。刃物で切ると痛いぞ。切ると痛いのだから切られるともっと痛いぞ。今の教育で…無理か。
https://news.yahoo.co.jp/articles/35e43524f941efbc2136976072feaf2df841faf6

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