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現代を生きるアイヌの人々をキャスティング「アイヌモシリ」 福永壮志監督が描いたアイヌの生活と世界観

2020-10-17 | アイヌ民族関連
映画.com 10月16日(金)
 日本人として初めて第19回トライベッカ映画祭審査員特別賞を受賞した福永壮志監督の長編映画第2作「アイヌモシリ」が10月17日から公開される。北海道阿寒湖のアイヌコタンを舞台に、アイヌの血を引く14歳の少年の目線から、現在のアイヌの人々の暮らしや継承される文化を描いた物語だ。自身も北海道出身の福永監督に話を聞いた。
 2003年に渡米して映像制作を学び、ニョーヨークへ活動の拠点を移して発表した長編映画第1作「リベリアの白い血」が世界で高い評価を受けた。「日本にいた時は芸術の敷居が高いというか、才能がある人だけがやること、というイメージがあって、自分が映画監督になることは想像できませんでした。しかし、アメリカで皆自由に表現したり、発言したりするのを見て、自分も一番好きな映画を勉強してみようと思ったのが始まりです」とキャリアのスタートを振り返る。
 デビュー作では、ニューヨークで暮らすアフリカ系移民の物語をドキュメンタリータッチのフィクションで撮り上げた。作品に社会問題を組込んだ理由は、監督自身もマイノリティとして生活した体験からだ。
 「自分もアジア人というマイノリティでした。ニューヨークはいろんな立場の人がそれぞれ声を上げて、世の中を変えようとしていて。そういったことを目の当たりにしてから、たくさんの人達の時間と労力やお金をかけて映画を作るのであれば、社会に良い影響があると思えるものを題材に選びたいという気持ちが強くなりました。自分が撮りたいというだけではなくて、今まで撮られていなくて、撮られるべきもの、撮られることで、何か少しでも良い作用が起こるのではないかと信じられるものであれば、自分もより一層頑張れると思ったんです」
 そして、2作目の題材として、日本の先住民族として知られるアイヌを選んだ。「僕は北海道西胆振地方の伊達市という小さい町で生まれ育ちました。アイヌのことに興味はあった けれど、誰に聞いてよいのかもわからないし、何か触れてはいけないタブーのような存在、という印象がありました」
 「その後アメリカで過ごして、ネイティブアメリカンのことにに対する問題意識の高さを目の当たりにして。白人たちも自分達の先祖がネイティブアメリカンから土地を奪った 歴史を理解しています。そして、自分のことを振り返って、自分の生まれ育った場所に、アイヌという先住民族がいたのに、何も知らなかったことに恥ずかしいと思ったんです。ちゃんと学びたいと思ったし、それからアイヌを題材とした映画を撮りたい、と考え始めました」
 今作では、アイヌの人々が多数出演しており、音楽や舞踊など表現活動をするキャストもいるが、基本的には誰一人演技経験がなかった。主人公カントとして、思春期の繊細な心の動きと強い眼差しをスクリーンに焼き付けた下倉幹人くんも、今作で演技に初挑戦した。福永監督にとって、まずはアイヌの方たちに、この企画に賛同してもらうことが、本作のスタートだった。
 「現代を生きるアイヌの人たちの物語を映画にしたかったのです。しかし、演技をやったことがない方々に出演をお願いすることも含め、僕が想像している作品作りをすぐには理解してもらえなくて。少しずつ理解していただこうと、時間をかけて信頼関係を築きました。企画に取り組みだしてから最初はとにかく人に会って話を聞く時間でした」
 劇中では、現在行われなくなっているアイヌの伝統儀式「イオマンテ」を再現した。実際の儀式を知る人の証言やアドバイスを基に撮影を進めた。
 「アイヌの文化、精神世界の集大成と言われている儀式ですが、時代の変化もあるし、法律で禁止されていたこともあるし、行われなくなった理由は色々あります。繊細なことなので、映画に入れるべきか迷いましたが、イオマンテを通してアイヌのみなさんの様々な考え方や想い、過去と現在、世代間のギャップ等を描けると思いました。また、儀式の核には命をいただくことに対する感謝の気持ちがあるので、現代社会に生きる僕たちにとっても考えさせられる部分があると思います。でも、残酷な部分を強調したり、偏見を助長するようには描いてはいけないと思いました。主人公の少年カントの物語から焦点をずらさず、問いを投げかけながらも、答えは押し付けないで観客にゆだねる描き方を心がけました。(出演者の)秋辺デボさんは実際にイオマンテをやろうとして、クマを飼っていたこともあったそうです」
 トライベッカ映画祭で審査員の反応は「日本にも先住民族がいたのだ、と驚かれる方も多かったそうです。そういう意味でも映画という形で広く世に届けることに意味があると実感しました」と手ごたえを感じたそう。満を持して日本での劇場公開を迎え、「この映画をアイヌのことをあまり知らなかった皆さんに見てもらって、更なる理解のきっかけになればいいと思っています。もちろん、これがアイヌの全てでは決してなく、阿寒に住んでいるアイヌのみなさんを描いたひとつの映画です」「僕自身、様々な国の映画を観て感銘を受けてきました。映画には言葉や文化を超える力がある」と力を込めて語った。
 「アイヌモシリ」は、10月17日から、渋谷ユーロスペースほか全国順次公開。
【作品情報】
・アイヌモシリ
https://news.ameba.jp/entry/20201016-847/

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(評・映画)「アイヌモシリ」 共同体の内側、臨場感あふれ

2020-10-17 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2020年10月16日 16時30分
 思春期の揺らぎと危うさ、透明な眼差(まなざ)し。無防備な輝きに「誰も知らない」の柳楽優弥を思い出した。
 少年の名はカント(下倉幹人)、バンド活動に励む中学生。民芸品店で働く母と暮らすが、卒業後は阿寒湖アイヌコタンを離れるつもりだ。大人は伝統儀式イオマンテ(熊の霊送り)を復活させるか協議中。亡き父の友人デボおじさん(秋辺デボ)は、カントを森へ連れ出し「一緒に子熊の世話をしよう」と声かける。
 アイヌ民族の人々が本人役を担った稀有(けう)な作品。共同体の内側から、瑞々(みずみず)しい臨場感でドラマが立ち上がる様に目を見張る。“自然っぽさ”の演出のため、素人がアリバイ的に登場する作品ではない。主要キャストはくっきりとした存在感で、プロの俳優以上に俳優らしい佇(たたず)まい。リリー・フランキーら経験豊かな役者は脇に回り、アイヌモシリ(人間の静かな大地)の空気に溶け込んでいる。
 物言わぬほどに雄弁な大自然は、カントを丸ごと包み込む。成長には痛みも伴うが、守り神のような動植物、亡き父、周囲の大人が彼に注ぐ視線は温かだ。
 伝統文化は観光アイテムと化し消費される。そんな現実を粛々と受け入れながらも誇りを失わず、丁寧に生活をする人々。個人、そして共同体がアイデンティティーに向き合うドラマで、国境を超え誰もが共振できる普遍性を持つ。すでに米トライベッカなど、海外の映画祭で受賞が続く。
 監督はNYを拠点に活動してきた福永壮志。久々に故郷の北海道に戻って撮った長編2作目だ。対象に深い共感を寄せながらも、世界をニュートラルに俯瞰(ふかん)する視座の高さが頼もしい。
 (林瑞絵・映画ジャーナリスト)
 ◇東京で17日、大阪で23日公開。順次各地で
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14660802.html?pn=2


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「ネット差別」素案に明記 道のアイヌ政策推進方策

2020-10-17 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/16 18:26
 道は16日、有識者らによる「新たなアイヌの人たちの総合的な推進方策検討会議」の第4回会合で、2021年度から5カ年で進める「北海道アイヌ政策推進方策」の素案を示した。アイヌ民族の歴史や文化に対する理解が不十分なことから「近年ではインターネット上で心ない投稿が見受けられ、偏見や差別が残っている」との現状認識を示した上で、教育の充実などの施策を盛り込んだ。
 素案は、目指す姿を「民族の誇りが尊重される社会」などと定め、《1》理解の促進《2》生活の向上《3》文化の振興《4》地域、産業及び観光の振興《5》多様な文化との交流促進―の五つの分野の施策を列挙。「理解の促進」では、アイヌ関連教材の作成・活用、アイヌ文化の講演会の開催、博物館や資料館での展示・イベントの充実などを挙げた。
 検討会議では「先住民族とはという定義をすべきだ」といった意見や、今年1月に政府高官が「日本は一つの民族が続いている」とした発言について問題事例として紹介するよう求める声もあった。
 道は、国や市町村、道内各地のアイヌ民族から意見聴取した上で、来年2月にも意見公募(パブリックコメント)を実施。3月にも方策を決定する。(村田亮)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/471520

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【アイヌと神々の物語】親思いの娘を幸せに導いたものは何だったのか?アイヌと神々の物語、アイヌと神々の謡

2020-10-17 | アイヌ民族関連
山と渓谷 2020年10月16日

アイヌ語研究の第一人者、故・萱野茂氏が、祖母や村のフチから聞き集めたアイヌと神々の38の話を収録した名著『アイヌと神々の物語』。発刊後、増刷が相次ぎ同ジャンルとしては異例の話題書となっています。北海道の白老町に「ウポポイ(民族共生象徴空間)」もオープンし、アイヌについて関心が高まる今、本書からおすすめの話をご紹介していきます。第3回は、孝行娘とカツラの木の女神の話です。
カツラの木の女神
私は一人の娘で、父がいて母がいて、大きい兄がいて、小さい兄もいますが、二人の兄は父たちや私と別に暮らしています。兄たちはクマを捕りシカを捕っても、肉のいい所を私たちにはくれようともしないで、肉の切れ端や魚の切れ端を少しずつくれるだけです。
その肉の切れ端や魚の切れ端を煮て父たちに食べさせると、父は、「あの者たちは、子どもの時にあれほどかわいがって育てて大きくしたのに」と少しだけ愚痴を言いながら暮らしていました。
それにしても、あんなにたくさん捕れるシカの肉を、もう少し多くくれてもよさそうなものを、どうしてあのように食い根性が悪いのだろうと、父や母は嘆いています。
ある日のこと、父がいうのには、「私たちが住んでいる所のこの川を上流へ行くと、右の方へ別の小さな沢が入っているので、その沢を登りつめると別の川が見える。
その川を少し降りると大勢の人が住んでいるコタン(村)があるので、そのコタンへ行って干し肉や干し魚を分けてもらってきてくれないかい」と私に言いました。
「行ってきてもいいですよ」と私が返事をすると、もっと丁寧に道順を教えてくれながら、食べ物と取りかえる宝物を出してくれました。それはイコロ(宝刀)ですが、何本かまとめて縛って背負いやすくしていると、それを見ていた母が、「兄たちも、お前が行こうとしているコタンへ行く準備をしていた」と聞かせてくれました。
兄たちは兄たちで、私は別に行くのだと思いながら荷物をまとめて、それを背負い、父が教えてくれた道順どおりに歩きはじめました。しばらく行って、山越えのために少し斜面を登りはじめると、一本のカツラの木が立っていて、その立ち姿の美しいこと。枝は四方に広がり、見るからに神々しい感じです。
そのカツラの木の周りには、いかにも私たちはこの木の子どもですよというように、背丈の低いカツラの木がたくさん生えていました。それを見た私は、背負っていた荷物を下ろし、腰に下げていたタシロ(山刀)を抜き、辺りに生えていた柴(しば)を切って片(かた)屋根の小屋を造りました。
造った小屋のそばで焚火をたき、たくさん生えているカツラの木のうち、姿のいい木を一本、私と同じ背丈に切りました。そして、顔の面になる部分をさっと削って白くしてから、自分のマタンプシ(鉢巻き)の半分を裂き、削った木にマタンプシをさせました。
マタンプシをさせた棒を小屋の前へ立て、私は、「これから山の向こうのコタンへ、食料を分けてもらいに行ってきたいと思っています。それについては、初めて行くコタンであり、大変に心細く思うので、カツラの木の女神の娘であるあなたに、マタンプシの半分を差し上げてお願いをします。私が行く道筋(みちすじ)を守ってくださることや、神の力でたくさんの食料を手に入れることができるようにしてほしいのです。
思うように食料が手に入ったら、家へ帰り、父に話をしてイナウ(木を削って作った
御幣〔ごへい〕)とお酒でお礼をしたいと思います。カツラの木の女神の娘よ、どうぞ私を守ってください」
そのようにお願いをしてから荷物を背負って山を登り、別の方の沢を下っていきました。そうすると、遠くの方で犬のほえる声が聞こえ、その声がだんだん近くなりました。目の前がパッと明るくなると大きなコタンが見え、そのコタンの中ほどには島ほどもある大きい家がありました。
私がその家の前へ行って荷物を下ろし、「エヘン、エヘン」とせきばらいをすると、家の中から美しい娘が出てきて、私の顔をちらっと見てから家へ入りました。
そしてその娘がいうのには、「外へきれいな娘が一人来ているけれど、何を思いわずらってか、顔の面に憂うれいの色が出ている娘です」と家の者に言ったのが聞こえました。すると、「いらんことをいわなくてもよい。家の前へ来た方は、男でも女でもさっさと入ってもらいなさい」と老人の声で言うのが聞こえました。
すると娘はもう一度出てきて、「どうぞお入りください」と言いながら、片方の手で私の荷物を持ち、もう片方の手で私の手を引いて家の中へ入りました。
家の中へ入ってみると、上品な老夫婦 、それに若者が二人ぐらいいるらしく、私を迎え入れてくれた人は一人娘のように見えました。家の外側でもそうでしたが、家の中の屋根裏まで、シカの肉やクマの肉がたくさん掛けて干してあります。
私の顔を見た老人は丁寧にあいさつをしてから、「どちらから、何の用事で来られたのですか」と聞いてくれました。
そう聞かれた私は、「このコタンの西側の山の向こうの沢尻(さわじり)に、コタンをもっている私の父の使いで来た者です。私には年老いた父と母、兄が二人いますが、兄たちは別々に家をもっていて、私たちにはシカの肉などもあまり持ってきてくれないのです。
それで父はこのようなものを私に持たせて、山の向こうのコタンへ行き、食べ物と取りかえてくるようにといったので、ここへ来たのです」と私は言いながら、父が持たせてよこしたイコロを出しました。
私の話を聞いた老人は、「それはそれはご苦労なことだ。親不孝というものは、世の中でいちばんよくないことなのに、どうしてそうなのだろうか」と大変同情してくれました。
老人は自分の娘に、「急いで夕食の仕度をして、この娘に食べさせてあげなさい」と言いつけると、娘はさっそく夕食の準備にとりかかりました。
そのうち外で人の気配がして、シカを背負った若者たちが狩りから帰ってきた様子です。母親が肉を家の中へ入れるために外へ出ながら、私が来ていることをいったらしく、二人の若者は狩り用の装束(しょうぞく)を外で解(と)いて入ってきました。
見ると、一人はようやくひげが生えたぐらいで、もう一人はまだ顎ひげもない若者でした。座り直した若者のうち、兄の方が、「どこから来た娘なのですか。何か聞かれたのですか」と父親へ尋ねました。
「話を聞いて驚いたところだが、この人は前々からお前たちにも話を聞かせたことのある方で、山の向こう側の村おさで私も知っている方の娘だそうだ。兄が二人いるが、シカを捕っても、父や母、そしてこの娘に肉をほとんどくれないので食べ物に困って、食べ物を分けてもらいたいと来たのだ」
それを聞いた二人の若者はあきれながら、「それはそれは、気の毒なことだ」と言って、「さあ食べなさい」と、おいしい肉をたくさん出して私に食べさせてくれました。父や母が腹をすかせていることを思うと、一人で腹いっぱい食べるのがもったいないような気がして、お椀の中の肉を父たちに残そうと、こっそり別にしました。それを見た家の人々は、「そのようなことをしなくても、たくさん持たせるので食べなさい」と言ってくれるなどしながら、次の朝になりました。
朝になると、若者たちは山の向こうの下り坂になる所まで送ってあげようといいながら、干し肉や干し魚を束にして縛ってくれています。そうしながらいうことには、「昨日山から帰る途中で、あなたの兄らしい二人連れがこのコタンの下隣(しもどなり)のコタンへ行ったのが見えました」と私に聞かせてくれました。
二人の若者は肉の束を重ねては縛って、男が二人背負う荷物を作り、私には軽く背負える分を作ってくれました。また、二人の若者は私を送ってくれることになり、私は老夫婦や家の娘に丁寧にお礼をいってから、三人でその家を出ました。
昨日来た沢の中を三人で歩き、私のコタンの方へ流れている沢まで来ました。
そこで私は、昨日来る途中の、カツラの木で神をつくったあの場所を見られるのが嫌で、若者たちに、「ここまで来たらコタンは近いので、あとは一人で帰ることができます」と言いました。すると、二人の若者は「そうだ、そうだ」と言いながら荷物を下ろし、二人で背負ってきた干し肉の荷物と、私が背負った分を合わせて、きっちりと縛ってくれました。
若者たちがこのように簡単に戻る気になったのは、たぶん神様がそのように思わせたのでしょう。若者たちにお礼をいった私は、荷物を背負って坂を下り、二人は斜面を登って帰っていきました。
ゆっくりゆっくり下っていくと、昨日小屋を造った辺りに家が一軒見え、その家からは煙が出ています。近づいてみると、私と同じくらいの美しい娘が黒いマタンプシをして、笑顔で私を迎えてくれました。そしていうことには、
「昨日は本当にありがとうございました。神の国で、娘たちがいちばん欲しがっているものは、人間の娘が頭に巻いている黒いマタンプシなのです。
それをあなたは知っていたかのように、自分が大事にしている黒いマタンプシを惜しげもなく半分に裂いて、私にくれました。それを見ていた父神や母神から私は、『大変にありがたいことだ。さあ早く、ありったけの呪術を使ってあの娘を守りなさい』といわれました。
それで私は人間の姿になって、あなたの行く手を見守り、老人や若者たちが特別あなたを大事にするように仕向けたのです。ここまで来て、二人が一緒にいるのを見られるのが嫌だったので、近くから戻るように思わせたのです」
と聞かせてくれました。
それを聞いた私は荷物をほどいて、干し肉や干し魚をたくさん出して、神様にお世話になったお礼にといいながらカツラの木の根元へ置きました。その様子を見ながら、女神の娘は、「これから一生あなたの守り神になってあげます」と言ってくれました。
そして、「神である私が、精神のいい若者をあなたの夫にさせるためにあなたのもとへ行かせるので、ためらうことなく結婚しなさい。それから、二人の兄は生まれながらに悪い憑(つ)き神がついていて、親不孝をしているので仕方がありません。兄たちを恨むことなくあなた一人で親孝行をするように」と聞かされました。
女神に何度もお礼をいった私は、「家へ帰って父に一部始終を聞かせて、イナウだけでもお礼をさせます」と言いました。すると女神は、「さあさあお帰りなさい。私があとを見守っているので、荷物も重くはないでしょう」と言いました。
私は女神にお礼をいってその場を立ち去り、しばらく歩いて振り返ってみると、家も煙もまったく見えません。そこで改めて、その女が神であったことを知り、オンカミ(礼拝)をしながら家へ帰ってきました。
父や母へは、行きながらのことや、行った先の家族が親切にしてくれたこと、カツラの木の女神がいろいろと私のためになるように、人間の若者たちへ仕向けてくれたことを細かく聞かせました。
背負って来た荷物をほどくと、ぐっと増えて横座(よこざ)いっぱいに、干し肉や干し魚の山ができました。父や母やそれを見て涙を流して喜び、何回も何回も礼拝を繰り返しています。
そして、持っていったイコロも向こうの老人は受け取らず、荷物の中からふたたび出たのを見て、なおさら父は感謝している様子です。さっそく父はイナウを削って、カツラの木の女神へそれを贈ってくれました。
私が背負ってきた干し肉を食べ終わらないうちに、どこからか立派な若者が来て、わが家へ住みつき、毎日毎日私たちのために狩りに行き、たくさんのシカやクマを捕ってきます。カツラの木の女神が聞かせてくれてあったことなので、私はその若者と結婚しました。
夫は狩りの名人なので、何を欲しいとも何を食べたいとも思わないで暮らしているうちに、私も大勢の子どもを産み、父も母も年を取って世を去りました。そのうちに兄たちは、だんだんと狩りが下手になってきたのか、シカもクマも捕ることができず、ひどく貧しい暮らしをしています。
私もすっかり年を取ってしまったので、子どもたちにカツラの木の女神へお酒やイナウを贈ることを忘れないように頼みました。
だから、今いるアイヌよ、親孝行をしなければいけませんよ、と一人の老女が語りながら世を去りました。
語り手 平取町二風谷 貝沢とぅるしの
(昭和40年1月18日採録)
解説
上の兄二人が親不孝をするので、娘が親孝行のために食料を求めにいく途中で、自分の頭に巻いているマタンプシ(鉢巻き)の半分を神の娘に贈ります。それをもらった神の娘は、かねてから欲しいと思っていたものを贈られて大喜びをし、人間の娘を助けます。
古い時代の女のマタンプシには、ししゅうはしてないものばかり、ただの黒布だけでした。
この話の中では食い根性の悪い兄たちのことを、神様が、あの人間が悪いのではなしに憑き神が悪いと教えて、目に見える人間を恨うらむものではないよ、と聞かせています。
その辺りが、アイヌのウウェペケレ(昔話)らしいおおらかさを感じさせます。どんなことがあっても、なるべく人間が人間を憎むことのないように、というわけです。
娘がおいしい肉を出されると、父や母のためにそっとお椀から取り出して別へ置くくだりは、いかにも孝行娘という感じのするところです。
なお、アイヌでは、食べ物を残して持ち帰ることをコメカレといいます。
親犬は山へ行ってウサギなどを殺し、その肉を腹いっぱい食い、飼われている家へ帰ってきて子犬の前で吐き、それを子犬に食わせます。これもコ(それ)、メカレ(残す)といいます。
食い根性の悪いことを、イペウナラというのですが、「イペウナラ アナッネ チヌカㇻ アイヌパテッ アコエウナラㇷ゚ソモネ カムイカ アコイペウナラㇷ゚ ネクス アシトマㇷ゚ネ(食い根性の悪いことは、目に見える人間にだけではなしに、神へも食わせないことになるので恐ろしいものだ)」というわけで、食い根性の悪いということは皆に嫌われるものですから、アイヌは、とっても食い根性のいい人が多いものです。

(本記事は『アイヌと神々の物語~炉端で聞いたウウェペケレ~』からの抜粋です)
『アイヌと神々の物語~炉端で聞いたウウェペケレ~』
アイヌ語研究の第一人者である著者が、祖母や村のフチから聞き集めたアイヌと神々の38の物語を読みやすく情感豊かな文章で収録。主人公が受ける苦難や試練、幸福なエンディングなど、ドラマチックな物語を選りすぐった名著、初の文庫化。​
著者:萱野 茂
発売日:2020年3月16日
価格:本体価格1100円(税別)
仕様:文庫544ページ
ISBNコード:978-4635048781
詳細URL:http://www.yamakei.co.jp/products/2820490450.html
https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=1212

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「アイヌはタブーではない」世界から注目を集める新鋭監督が訴える思い

2020-10-17 | アイヌ民族関連
ananweb 2020.10.16
ここ数年で「多様性」という言葉が頻繁に使われるようになっているものの、言葉だけがひとり歩きしているように感じることがあるのも事実。そこで、日本国内に存在する文化の多様性を映し出した注目作をご紹介します。それは……。
【映画、ときどき私】 vol. 330
北海道阿寒湖畔のアイヌコタンでアイヌ民芸品店を営む母親のエミと暮らしている14歳の少年カント。アイヌ文化に触れながら育っていたが、1年前に父親を亡くしたことがきっかけとなり、アイヌの活動から距離を置いていた。
アイヌコタンの中心人物で父親の友人でもあったデボは、来年には高校進学で故郷を離れることになっていたカントに、アイヌの精神や文化を教え込もうと試みる。徐々に理解を示すカントの姿に喜ぶデボは、密かに育てていた子熊の世話をカントに任せることに。しかし、実はこの子熊は“イオマンテ”と呼ばれる熊送りの儀式のために飼育していたのだった……。
ニューヨーク・トライベッカ映画祭の国際コンペティション部門において、長編日本映画史上初となる審査員特別賞を受賞した本作。タイトルの『アイヌモシㇼ』とは、「神の国」という意味を持つカムイモシㇼと対をなす言葉で「人間の国」という意味があります。そこで、作品に込めた思いについて、こちらの方にお話をうかがってきました。
福永壮志監督
長編2作目となる本作は、国内外で注目を集める福永監督が5年もの歳月をかけて完成させた意欲作。今回は、北海道で生まれ育った監督だからこその経験や長年の海外生活で得た視点ついて語っていただきました。
―アイヌという題材は繊細なことなので、批判されるかもしれないという不安が当初はあったそうですが、実際周りの反応はどうでしたか?
監督 最初は、各映画制作会社からはまったく興味を持ってもらえなかったですね。「おもしろいね」と言ってくれる人がいても、現実的にお金を集めて映画にするということに対して可能性を見てくれる人はなかなかいませんでした。特に、僕は俳優ではなく、現地の人に出演をお願いしようと考えていましたから。制作のパートナーを見つけることもそうですし、一時は撮れるかわからない状況に陥るほど資金集めには苦労しました。
―なかなか厳しいスタートだったんですね。では、アイヌのみなさんのリアクションはいかがでしたか?
監督 現地に直接行ってお話を聞いてみると、過去に「アイヌのことを記事にしたい」とか「写真を撮りたい」と言った人たちのなかに失礼な態度を取った人がいたことがあり、そこに対する警戒心を抱いている方もいらっしゃいました。そんなふうに人によって反応はさまざまでしたが、きちんと作品の真意を伝えることで、ひとりずつ徐々に信用してもらっていったという感じですね。本当に、ひとつひとつの積み重ねでした。
―今回は、阿寒湖のアイヌコタンに暮らすみなさんが実際に出演されていますが、説得にも時間がかかったのでしょうか?
監督 海外のインディペンデント作品では、俳優ではない人に出演してもらって撮ることはわりとありますが、日本ではそういった作品はまだまだ少ないので、最初はあまりわかってもらえないところもあったと思います。でも、「アイヌの役をアイヌの人で撮ることに意味があるんだ」という僕の思いを伝えて、理解してもらうことができました。
内面の下地があるおもしろい子だと感じた
―その結果、アイヌの方々のいまがリアルに映し出されていたと思いますが、なかでも初めての演技にして見事な存在感を放っている主演の下倉幹人くんが素晴らしかったです。彼との出会いについて教えていただけますか?
監督 はじめは彼のお母さんであり、本作に母親役でも出演している下倉絵美さんと知り合い、阿寒湖へ行くたびに幹人くんとも会っていました。そのときから口数は少ないけど、考えていることや感じていることはたくさんあって、内面の下地がすごくある子なんじゃないかなと。幹人くんは特に目が印象的なんですが、それはきっと彼の繊細で感受性豊かな心の表れなんだろうと思います。
―ということは、幹人くんありきでこの脚本を書かれたところもありましたか?
監督 実は、最初に脚本を書いていたときの主人公は青年だったんです。それを途中で少年の設定を変えたんですが、そのときにこの役は幹人くんしかいないなと。そこから彼と遊んだり、話をしたりするなかで距離を縮めていきました。カメラの前で彼がどれだけ自然な状態でいられるかを最優先事項にしていたので、それを基準にすべてを決めていきましたし、スタッフの人数も最小限で撮影しています。
―そのなかで新聞記者役と先生役だけは、リリー・フランキーさんと女優の三浦透子さんを起用されています。このキャスティングの意図を教えてください。
監督 観光客の役などは釧路の市民劇団の方々にお願いしたんですが、この2つの役に関しては、“外からの視点”を持ちながら中の人間と接するという少し違う役割があったので、そこで求められているものを表現できるのはプロの役者さんしかいないと思い、おふたりにお願いしました。
役者ではない人たちのなかにスッと入り込むのは簡単なことではありませんが、おふたりとも現地の方々との距離を縮めながら自然に演じてくださったので、適役だったと思っています。
アイヌと距離があることはもったいないこと
―監督は北海道のご出身ですが、「アイヌ」という言葉をタブーのように感じながら思春期を過ごしたとか。北海道の方々にとってもアイヌは、近いようで遠い存在なのでしょうか?
監督 そうですね。地域差もあるとは思いますが、僕が学生時代だったころは、“聞きたくても聞いてはいけないこと”のような印象があり、距離がありました。
ただ、いまでは学校でもアイヌのことについてももう少しきちんと取り上げていると聞きましたし、マンガや国立博物館もできたりして、最近は「アイヌ」という言葉を聞く機会が以前に比べると増えているとは思います。
―この作品を作る過程でさまざまなリサーチもされたと思いますが、ご自身が抱いていたアイヌに対するイメージは大きく変わりましたか?
監督 それはだいぶ変わりましたね。少なからず、前は彼らの現実の姿とは違うイメージをどこかで持っていたとは思うので。でも、そういった先入観はこの作品の制作を通して、なくなりました。
これまではいろいろな理由からアイヌに対して距離がありましたが、それはなんてもったいないことなんだろうと感じましたし、本当にたくさんのことを学ぶことができました。とはいえ、知った気になってしまってはいけないと思いますし、映画に出演していただいたみなさんとの関係性もできたので、アイヌのことはこれからも少しずつ学び続けたいと思っています。
何も知らずに来てしまったことに気づかされた
―そのなかでも、新たに得た気づきとは何ですか?
監督 まずは自分の文化やルーツとどう向き合うかという葛藤や悩みは、誰にでも共通して言えることなのではないかということですね。ただ、アイヌの場合は他の多くの民族に対して人数が少ないので、「自分がやらないとその文化がなくなっていってしまう」という危機感の感じ方は違うと思います。
それに比べると、アイヌ以外の日本人である僕たち和人(わじん)はたとえ着物の着方を知らなくても、能や歌舞伎といった伝統芸能ができなくても、それを継承している人が他にいるということがわかっていて、そういった危機感を感じることはなかなかないですから。
―確かにそうですね。監督がアイヌを撮りたいと思われたのは、アメリカに渡ったあと、ネイティブアメリカンについて興味を持たれたときだそうですが、アメリカ人とネイティブアメリカンとの関係性に惹かれるものがあったのでしょうか?
監督 まずアメリカではネイティブアメリカンの存在がもっと身近にあり、そもそも彼らの土地を奪っていまの自分たちがいるという認識がしっかりとあるのを感じました。アメリカ人のネイティブアメリカンに対する向き合い方や意識の高さは、日本におけるアイヌの状況とはまったく違うんだなと。
そして、ネイティブアメリカンの精神世界や考え方について興味を持つうちに、自分が生まれ育った北海道にも先住民のアイヌがいるのに、何も知らずに来てしまったことにもふと気づかされ、恥ずかしいと思いました。そこで、もっとアイヌのことを学びたいと思いましたし、これまでアイヌについてきちんと撮られた映画がなかったので、アイヌの人がアイヌを演じる映画を作ることに意味があると感じて、いつか作りたいと考えるようになりました。
自分が経験したマイノリティの差別が作品に繋がっている
―アメリカに行ったことで、日本人とアイヌのことやご自身のことについて改めて考えるきっかけになったんですね。
監督 そうですね。もし、アメリカに行っていなかったら、この作品は撮っていなかったかもしれません。去年日本に拠点を移すまで、16年間向こうで活動していましたが、そのなかでアジア人としてマイノリティであることでの差別や偏見を受けたこともありました。そういった経験を通して感じた気持ちや憤りが、1本目の『リベリアの白い血』でも今回の作品でもマイノリティを題材に選ぶということに通じていると感じています。
―なるほど。そういったご自身の経験が作品の根底と繋がっているんですね。
監督 僕は普遍的な人の姿や本質をきちんと描いた作品なら、観る人のバックグラウンドに関係なく感動を与えられると思っています。そうすることで差別や偏見をなくすことにも繋がるのではないかなと考えていて、それはなぜかというと、登場人物に感情移入して映画を鑑賞する体験は思いやりの気持ちを育むと思うからです。
僕自身、自分とは全く違う世界の物語なのに感動できる作品に触れてきたので、今度は逆の立場から映画を通じてそういうことが少しでもできたらいいなと願っています。
―それでは、いままであまり身近なことと受け止めてこなかったアイヌ以外の日本人が、これからアイヌの方々とどのように向き合えばいいのか、ご意見をお聞かせください。
監督 やはりまだまだ歴史認識が浅いと思うので、まずはアイヌの土地を奪っていまがあるということを理解し、それを心にとどめたうえで一緒に何ができるかを考える必要があるのかなと思っています。いまアイヌの人たちが置かれている現状を変えようとしたときに、彼らだけでは解決できない問題も多いと思うので、僕たち和人も一緒に向き合っていけたらと。
だからといって「政治活動をしましょう」とかといったことではなく、日本の問題のひとつとして身近に考えてほしいということを伝えたいです。知ったうえで何をするかは個人の選択なので、まずは知ることから始めるのが大事だと思っています。
知られざるアイヌの世界に触れる!
これまで教科書やニュースのなかでしか目にすることがなく、どこか遠いものとしてとらえられていたアイヌ。彼らの多様性に満ちた文化や自然の美しさ、そして「アイデンティティとは何か?」に触れることで、同じ日本人として守るべきものの大切さに気づかされるはずです。まずは、この作品で“知る”という一歩を踏み出してみては?
琴線に触れる予告編はこちら!
https://www.youtube.com/watch?v=hH1nIFL3zxk&feature=emb_logo
作品情報
『アイヌモシㇼ』
10月17日(土)より、渋谷ユーロスペースほか全国順次公開
配給:太秦
©AINU MOSIR LLC/Booster Project http://ainumosir-movie.jp/
https://ananweb.jp/anew/313167/

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アイヌ語伝承にAI活用 音声を自動で文字起こし 京大

2020-10-17 | アイヌ民族関連
産経新聞 2020年10月15日 07時00分 公開
 アイヌ語を人工知能(AI)に学習させ、音声を自動的に認識したり再現したりするシステムを開発したと、京都大の河原達也教授(知能情報学)の研究グループが発表した。存続が危ぶまれているアイヌ語の保存・継承に貢献すると期待される。
 北海道を中心に居住するアイヌ民族は、日本語とは系統が異なるアイヌ語を用い、文化の多くを口頭で伝承してきた。しかし、明治時代以降、使用人口は減少。2009年には、国連教育科学文化機関(ユネスコ)によって「極めて深刻な」消滅危機言語に認定された。
 戦後、アイヌ語の口頭伝承を録音し、片仮名やローマ字で書き起こす活動が行われてきたが、膨大な時間と知識を必要とし、多くが手つかずのまま残っているという。
 グループは、国立アイヌ民族博物館(北海道)などから提供を受けた、アイヌ語を話す計10人による約40時間分の音声データを分析。アイヌ語の特徴的な音節に着目しながら学習させることで、AIが約8割の単語を認識することに成功した。システムはすでに、同館で保管する音声をローマ字で文字起こしするために活用されているという。
 また、学習したデータを基にAIがアイヌ語の音声を再現することにも成功。この音声を使うことで、音源がなく、ローマ字での音表記などでしか残っていない言葉がどのように発音されていたかを知るための参考になるという。
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2010/15/news043.html

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AIをアイヌ語の継承に活用 1日かかる作業をほぼ完全に自動化、京都大学

2020-10-17 | アイヌ民族関連
Ledge 2020/10/16

京都大学は10月15日、消滅危機言語に認定されているアイヌ語の音声を自動で認識し、合成する人工知能(AI)を研究・開発したと発表。河原達也 情報学研究科教授、松浦孝平 同修士課程学生、三村正人 同研究員らの研究グループによるもの。なお、本研究成果は9月9日の日本音響学会で報告し、10月12日に公表した。
北海道のアイヌ文化は多くが口頭で継承されてきたが、アイヌ語は2009年に国連教育科学文化機関(UNESCO)により「極めて深刻な」消滅危機言語に認定された。以前から口頭伝承を録音・記録する活動が実施されてきたものの、書き起こし・アーカイブ化には膨大な手間とアイヌ語の知識を必要とするため、多くが未整備のままだったという。
京都大学の研究グループは、アイヌ民族博物館と平取町立二風谷アイヌ文化博物館から提供してもらった計10名・約40時間の民話(ウエペケㇾ)の音声データを用いて、音声認識の単位・構成・学習法についてさまざまな検討を実施した。
その結果、音節(子音-母音または子音-母音-子音)を単位として用いることで、深層学習に基づくエンドツーエンド(End-to-End)モデルにより、94%の音素認識率、80%の単語認識率を実現できることを明らかにした。また、音声データのうち、1人当たり10時間以上ある話者について、同モデルにより音声合成を構築している。
実際、アイヌ民族博物館において音声と書き起こし同期のための対応付けに同AIを活用したところ、1時間のデータに対して、人手で1日必要な作業をほぼ完全に自動化できたという。京都大学は本研究により、アイヌ語のアーカイブ構築の効率化への寄与が期待されるとする。
>>京都大学「人工知能によるアイヌ語の自動音声認識・合成に成功(AINU語AI)」
https://ledge.ai/kyoto-university%ef%bd%b0ainu/

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ウポポイでアイヌ供養の伝統儀式

2020-10-17 | アイヌ民族関連
NHK 10月14日 19時26分
胆振の白老町にあるアイヌ文化の発信拠点「ウポポイ」の慰霊施設で、アイヌの人たちの先祖を供養する伝統の儀式が行われました。
白老町の民族共生象徴空間、ウポポイにある国の慰霊施設で行われた式には、北海道アイヌ協会や北海道大学の関係者などおよそ50人が参列しました。
このなかで北海道アイヌ協会の大川勝理事長が「ここに眠る先祖のみたまに鎮魂の誠をささげたい。全道から同胞が集い、先祖供養を実施し、哀悼の念を祈りつつ、この施設を次の世代に守り続けていきたい」とあいさつしました。
このあと先祖を供養する「イチャルパ」と呼ばれる儀式が行われ、民族衣装を身にまとったアイヌの人たちが、木を削って作ったささげ物に食べ物を供えたり、酒をかけたりして、慰霊施設に安置されている遺骨を供養しました。
アイヌの人たちの遺骨は明治から昭和にかけて研究目的で各地の墓地から掘り出され、全国の大学で1500体以上が保管されてきましたが、遺骨の適切な管理と慰霊を行うため、去年、大部分がウポポイの施設に集められました。
式に参列した北海道大学の山本文彦副学長は「アイヌの方々が民族としての誇りをもって生活することができ、尊重される社会を実現するために何ができるかを考え、寄り添っていきたい」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20201014/7000025687.html

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東大、都道府県レベルでみた日本人の遺伝的集団構造の調査結果を発表

2020-10-17 | アイヌ民族関連
マイナビニュース – 2020年10月15日(木)
東京大学は10月14日、47都道府県に居住する日本人約1万1000名の全ゲノムSNP遺伝子型データを用いて、都道府県レベルで日本人の遺伝的集団構造の調査を実施した結果を発表した。そしてクラスター分析により、47都道府県は沖縄県とそれ以外の都道府県に分かれ、沖縄県以外は九州・中国地方、東北・北海道地方、近畿・四国地方の3つのクラスターに大別され、関東地方や中部地方の各県はひとつのクラスター内に収まらなかったとした。また同時に、主成分分析の結果、第1主成分は沖縄県との遺伝的距離と関連しており、第2主成分は緯度・経度と関連していたことも判明した。
同成果は、同大学大学院理学系研究科の渡部裕介 大学院生、一色真理子 大学院生(ふたりとも研究当時)、大橋順 准教授らの研究チームによるもの。詳細は、ヒトの遺伝子を扱った学術誌「Journal of Human Genetics」に掲載された。
現代の日本人(アイヌ人、琉球人、本土人)は、これまでの研究から、縄文人の系統と、渡来人の系統が混血した集団の子孫であると示唆されている。しかし、日本の7つの地域間の遺伝的異質性を指摘した先行研究があるが、中国地方や四国地方の県は含まれておらず、7つの地域に分けることの妥当性を含め、日本人集団の詳細な遺伝的集団構造やかかる構造を生じさせた要因がよく理解されていなかったという。
また、地域間の遺伝的異質性が不明なため、日本人を対象とする疾患遺伝子関連研究において、集団階層化によるバイアスを避けた検体の収集が困難という課題もあった。
そうした中、研究チームはヤフー株式会社が提供するゲノム解析サービス「HealthData Lab」の顧客1万1069名の13万8688か所の常染色体SNP遺伝子型データを用いて、日本人の遺伝的集団構造の調査を実施した。SNP(single nucleotide polymorphism)とは、単塩基多型のことだ。A/T/G/Cの4種類によるヒトのDNAの塩基配列を比較すると、個人間で0.1%程度の違いがある。その塩基配列の違いを多型といい、単塩基多型とは、ひとつの塩基の違いによる多型のことをいう。
まず、個人レベルでの主成分分析が行われ、琉球人(主に沖縄県)と本土人(主に沖縄県以外の46都道府県)が遺伝的に明瞭に分かれることが確認された。なお、今回の研究に用いられたデータには、アイヌ人は含まれていないと考えられるという。
ちなみに主成分分析とは、多数の変数(多次元データ)から全体のばらつきをよく表す順に互いに直行する変数(主成分)を合成する多変量解析手法のひとつである。主成分分析によって次元を削減することで、データ点を可視化することが可能という特徴を持つ。今回の研究では、個人単位の解析では遺伝子型が、都道府県単位での解析では「アリル頻度」が変数として用いられた。アリル頻度とは、ある集団において特定のSNPが出現する頻度のことを指す。
次に、47都道府県のそれぞれから50名ずつ無作為抽出して、各SNPのアリル頻度を計算し、中国・北京の漢民族も含めて、組み合わせ技法のひとつであるペアワイズ法に「f2統計量」を求めてのクラスター分析が実施された。またf2統計量とは、ふたつの集団間の遺伝距離を測る尺度のひとつのことだ。SNPデータに対するf2統計量は、SNPごとにアリル頻度の集団間差の2乗を計算し、それらの平均値として与えられる。
47都道府県を分類すると、沖縄地方、東北・北海道地方、近畿・四国地方、九州・中国地方の4つのクラスターに大別されたという。それに対し、関東地方や中部地方の各都県はひとつのクラスター内に収まらなかった。このことは、関東地方もしくは中部地方の都県を遺伝的に近縁な集団とみなすことはできないとする。また、そのような単位で日本人集団の遺伝的構造を論じることや、疾患遺伝子関連研究の対象検体を収集することは適切ではないことを示しているとした。
47都道府県を対象にした主成分分析も行われ、第1主成分は沖縄県と各都道府県の遺伝的距離が反映されたものだった。沖縄県に遺伝的に最も近いのは、距離的に最も近い鹿児島県と判明。画像2でクラスターを形成した地方に着目すると、九州地方と東北地方が沖縄県に遺伝的に近く、近畿地方と四国地方が遺伝的に遠いことも確認された。さらにf2統計量の解析から、近畿地方や四国地方は中国・北京の漢民族に遺伝的に近いことも確認された。第2主成分は都道府県の緯度および経度と有意に相関していることもわかったという。
今回の研究成果は、各都道府県の縄文人と大陸から来た渡来人との混血の程度の違いと地理的位置関係が、本土人の遺伝的地域差を形成した主要因であることを示唆しているという。
大部分の渡来人は、朝鮮半島経由で日本列島に到達したと考えられるが、朝鮮半島から地理的に近い九州北部ではなく、近畿地方や四国地方の人々に渡来人の遺伝的構成成分がより多く残っていることは、日本列島における縄文人と渡来人の混血過程を考えるうえで興味深いこととしている。本土人のゲノム成分の80%程度は渡来人由来であると推定されているが、近畿地方や四国地方には、さらに多くの割合の渡来人が流入したことも考えられるという。
また、地理的位置も遺伝的構造に影響していることや、沖縄県に遺伝的に近い九州地方と東北地方が互いには近縁でないことから、渡来人との混血時に縄文人は遺伝的に分化していたと考えられるとした。
今回の研究により、都道府県レベルで本土日本人の遺伝的集団構造が初めて明らかにされた。47都道府県の遺伝的近縁関係がわかったことで、日本列島全域での縄文人と渡来人の混血過程の理解が進むと期待されるという。また、日本人集団を対象にした疾患遺伝子関連研究において、集団階層化によるバイアスを極力避けた、適切な検体収集地域の選定が可能になると期待されるとしている。
https://news.goo.ne.jp/article/mycom/world/mycom_2140090.html

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地方別に見た縄文人の影響は? 高めなのは九州・東北

2020-10-17 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2020/10/14 15:00
 日本人約1万1千人の遺伝情報をもとに、47都道府県の人々が縄文人と渡来人の遺伝的影響をどの程度受けているかを、東京大学理学系研究科の大橋順准教授(人類遺伝学)らが調べたところ、縄文人の影響が高めに残るのは沖縄県と九州や東北の各県で、低めなのは近畿と四国だった。
 現代の日本人は、1万6千年前から日本列島にいた縄文人と、約3千年前以降に大陸から移住した渡来人とによって、形成されたと考えられる。だが、今に至るまでの過程で、人々がどのように混じり合ったかははっきりしない。
 大橋さんらは民間のゲノム解析サービスで集まった顧客データの提供を受け、DNA配列の違いをもとに各都道府県にいる人たちの遺伝構造を比較した。データ提供者に縄文人の寄与が高いとされるアイヌの人は含まれていなかった。
https://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/ASNBG3HLFNBFULBJ00P.html

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堀内昭彦「アイヌの祈り」 祈りや仕事、日常をモノクロ写真で

2020-10-17 | アイヌ民族関連
好書好日 – 2020年10月14日(水)

堀内昭彦「アイヌの祈り」 祈りや仕事、日常をモノクロ写真で
(好書好日)
 『アイヌの祈り』(堀内昭彦写真・著、求龍堂・3300円)は、「歌と踊り」「神への祈り」「先祖供養」「仕事」といったアイヌ民族の暮らしの場面をモノクロ写真で切り取った一冊。巻末でアイヌ語の一部を紹介し、7月に開業した民族共生象徴空間(ウポポイ)はじめ北海道内のアイヌ関連施設の案内も載せている。=朝日新聞2020年10月10日掲載
https://news.goo.ne.jp/article/book_asahi/trend/book_asahi-13810100.html

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2015年より取り組んできた新作、佐藤祐治「水が立つ」展

2020-10-17 | アイヌ民族関連
IMA 10/16(金) 10:00
佐藤祐治「水が立つ」展が、10月31日(土)までKanzan galleryで開催中。
本作は、佐藤が暮らす札幌市南区にある祠に祀られている半龍半人の観音像から始まった。「祈ることで病気が治った」と話す人もあり、「そもそも龍神とは何か」という疑問を起点にリサーチを進めると、道内に200余の龍神信仰にまつわる場所が確認(2020年8月現在)された。
佐藤はその場を実際に訪れ、目に入ったものをカメラに収め、文献を調べ、現地の人たちの話に耳を傾けてきた。そこから見えてきたのは、日本各地から北海道に渡り、厳しい自然と闘い、また寄り添いながらこの地を切り開いてきた開拓民や先住するアイヌの「祈り」の痕跡であり、「河原を歩き、岩床を進み、滝を上り、林道を走って」、さまざまな地の多様な龍神を巡る佐藤の眼前には、これまでとは異なる北海道の「風景」が立ち現れてきた。
「龍神とは何か?」という佐藤の素朴な問いが、「風景とは何か?」という問いを引き出し、いま、さらなる問いを生成し続けている。本展は、佐藤が見出した「風景」と「風景写真」への新たな視座を本格的に発表する初の個展となる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/45cc564cccff768a6de3a1fb68fa9d3101b8504a

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尾瀬の秋 空から望む“非日常の絶景”

2020-10-17 | アイヌ民族関連
新潟放送 10/15(木) 12:08
ドローンを使って撮影した秋の絶景です。新潟と福島、群馬、栃木の4県にまたがる「尾瀬国立公園」。秋色に輝いています。
新潟県魚沼市の奥只見シルバーラインを越えた先が、尾瀬の入口・沼山峠です。尾瀬に入るルートはいくつかありますが、こちらの登山道はアップダウンが少なく、年齢を問わず気軽に楽しめます。
【大阪から】「ずごく空気が気持ちいい。草の香りとかいろいろします」
この辺りの標高は1700メートル。木々が色づき始めていました。歩くこと1時間。薄暗い森の先に、トンネルの出口のような明るさが。目の前に広がったのは「大江湿原」です。太陽の光を浴びて、湿原一帯が黄金色に輝いています。これが、尾瀬の秋の風物詩「草紅葉」です。湿原の高山植物が木々の紅葉より一足早く、赤や黄色に「衣替え」するのです。
【茨城から】
「モネの絵のような、色とりどりで素晴らしい」
「黄金に輝いていてなかなかいいですよね。ここでしか見られない」
大江湿原の名物「三本カラマツ」の先に見えてきたのが尾瀬沼です。周囲がおよそ9キロもある巨大な高山湖で、今から35万年ほど前、燧ヶ岳の噴火でできたと言われています。学術的にも貴重な生態系をもつ尾瀬は、国の特別天然記念物に指定されています。
そして、秋の尾瀬で一番のオススメスポットが尾瀬ヶ原。東西6キロ、南北2キロにもわたり、広大な湿原が広がっています。6000年以上という長い年月をかけて出来上がった貴重な自然環境を守るため、ほぼ全域に木道が整備されていて、湿原には決して足を踏み入れないことがルールになっています。
【東京から】「今年はあまり外に出られなかったので、いっぱい歩けたからすごくリフレッシュになった」
尾瀬には山小屋が20軒近くありますが、今年は新型コロナウイルスの影響で休業しているところもあり、休憩所も少し静か。
【静岡から】「今はもう80(歳)なんだけど、ここでコーヒーを飲みながら、あの至仏山を見るのが死ぬまでにやりたいと思っていて、きょうやっとそれが実現した。最高だね」
【京都から】「こんな所でビールが飲めるなんて考えられない。何十年ぶりにお盆に来て、1か月半後にまた来た」
【鐘を鳴らす人】「ついさっき子グマがあっちの方にいた。近付いて親が下りてきたら大変なことになるので、みんなで立ち止まって見守っていた」
この鐘は、尾瀬に立ち入る人間が、クマに存在を教える合図なんです。
「ヨッピ吊り橋」です。「ヨッピ」という変わった響きの名前は、アイヌ語の「呼び」「集まる」「別れ」に由来していて、ヨッピ川はこの先で二つの川と合流し、新潟・福島・群馬の同時に3つの県の県境となります。
今夜の宿は「東電小屋」。尾瀬で唯一、新潟県に建つ山小屋です。
【東電小屋支配人 出口勝康さん】
ーいつからあるんですか? 「昭和2年です」
昭和の初め、当時の電力会社が調査のために小屋を建て、その後、東京電力に引き継がれて今に至るそうです。実は、尾瀬特別保護地区のおよそ7割が東京電力の社有地です。
【東京電力リニューアブルパワー 白石剛士さん】「東京電力は、尾瀬は『皆さんの尾瀬』と考えています。土地の所有者として自然保護を50年以上にわたって取り組んでいます」
65キロの木道のうち、およそ3分の1は東電が整備したそうです。
水が豊富な尾瀬では、山小屋としては珍しくお風呂にも入れます。そして、夕食も豪華なんです。
【利用者】「おいしいです。山小屋ってカレーのイメージだったが、甘いものまで用意してくれて、おいしい」
朝5時、小屋の外は霧に覆われ一面真っ白です。太陽が昇ると、少しずつ白い霧が晴れ、湿原が姿をあらわします。早朝しか見られない幻想的な景色です。
【東電小屋支配人 出口勝康さん】「ここは囲まれている湿原ですから、朝もやが特別きれい。もう22年になるが、毎朝違うのが魅力」
秋の尾瀬には、非日常の絶景が広がっています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/500296d18f428c45d08755f260494bae9fa497df

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東京ドキュメンタリー映画祭のラインナップ解禁、香港民主化運動の最前線捉えた作品も

2020-10-17 | アイヌ民族関連
映画ナタリー 10/14(水) 22:00
東京ドキュメンタリー映画祭2020の全ラインナップが明らかに。12月5日から11日にかけて東京・K's cinemaで開催される。
映画、テレビ、Web動画の垣根を超えたドキュメンタリー作品をまとめて上映する本映画祭。メインのコンペティション部門には、3年目にして過去最高の150作品以上の応募があり、今年は長編10本、短編30本が上映される。戦争、原発、トランスジェンダー、東京オリンピック、コロナ禍などをテーマにした作品が並んだ。
「民族映像詩」と題した特集プログラムでは、アイヌなど少数民族を捉えた9作品を上映。また特別プログラムでは民主化運動に揺れる香港を捉えた2作品がスクリーンに。ジャーナリストの堀潤が警察の弾圧に向き合う香港の若者たちにカメラを向けた「STAND WITH HK」、2019年11月に香港中文大学で起きた警察の不法侵入事件の一部始終を地元の映像作家が記録した「中大防衛戦」が上映される。
審査員は長編を映像ジャーナリストの綿井健陽と東京国際映画祭プログラミングディレクターの矢田部吉彦、短編を映画作家の代島治彦と映画プロデューサーの川井田博幸が担当。観客賞の選出も行われる。詳細なラインナップは下記で確認を。
■ 東京ドキュメンタリー映画祭2020
2020年12月5日(土)~11日(金)東京都 K's cinema
□ 長編コンペティション
「東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート」
「焼け跡ダイアリー ~ツインカレンダー双子暦記~」
「40年 紅どうだん咲く村で」
「パンデモニウム DieAter2」
「きりむすぶ」
「なれのはて」
「傍観者あるいは偶然のテロリスト」
「私はおぼえている」
「大月語」
「白根紙鳶見聞録 凧ノ国」
□ 短編コンペティション
短編1 日本とアジア、民主主義の問い
「Punk Save the Queen」
「東京2018 プノンペン」
「ヤジと民主主義」
短編2 石垣島の基地問題
「ウーマンラッシュアワー村本大輔がアメリカに行くまでドキュメンタリーvol.10 赤ちゃんになりたい / vol.11 嫌われることは無駄じゃない」
「沖縄と本土 一緒に闘う」
短編3 原子力と人間
「被爆死した米兵を追って」
「我が友・原子力~放射能の世紀」
短編4 “当事者たち”の告白
「あなたの瞳に話せたら」
「I Am Here ―私たちはともに生きている―」
短編5 日本発ダイレクトシネマ
「炉」
「有酸素ナンパ」
「想像」
短編6 障がいと表現、生の軌跡
「ベジタブル・バスケット」
「ハンセン病を生きて」
「ピアノが私にくれたもの」
短編7 いのちの神秘、からだの不思議
「Birth―めぐるいのち―」
「LOOKING FOR THAT―アレを探して―」
短編8 赤裸々!家族ドキュメント
「二ヵ月」
「Bye Bye Daddy」
「Queen Hisako」
「プロポーズ」
短編9 自然との共生
「多摩川の野良猫写真家」
「私たちの山」
「THE LIMIT」
「セーブ・ザ・リーフ~行動するとき~」
短編10 カメラは踊る
「時と場の彫刻」
「メランコリア」
「大野一雄三部作 光への四つの道」
短編11 文化映画レボリューション
「その先に、火を灯して」
「剣術 La Voix Du Sabre」
□ 特集 民族映像詩
「カムイチェプ サケ漁と先住権」
「カナルタ ―螺旋状の夢―」
「からむしのこえ」
「アッパ・オリの一日」
「プティー ジャライ族の墓放棄祭」
「デヴォキ~神に捧げられた女たち~」
「説経浄瑠璃三代目・若松若太夫 一声二節のわざ」
「ナガのドラム」
「アルナチャール人類博覧会」
□ 特別 香港クライシス
「STAND WITH HK」
「中大防衛戦」
https://news.yahoo.co.jp/articles/47a0f7d261b40c451c6c9972f3a257b94c895e0e

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