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映画「アイヌモシリ」来月上映会 伊達出身・福永監督のトークも

2020-10-13 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/12 21:14
【伊達】伊達市出身の福永壮志監督(38)が、阿寒湖のアイヌコタンに生きるアイヌ民族を描いた映画「アイヌモシリ」の完成披露上映会が11月1日午後4時から、だて歴史の杜カルチャーセンターで開かれる。
 映画はアイヌ民族の血を引く14歳の少年の成長を描いた物語で、2018年に釧路市の阿寒湖で撮影を開始。伝統儀式の「イオマンテ(熊の霊送り)」を取り上げ、アイヌ民族の文化や精神世界も紹介しており、地元住民も出演した。
 作品は米ニューヨークのトライベッカ映画祭で審査員特別賞、メキシコのグアナフアト国際映画祭で最優秀作品賞を受賞した。
 映画は東京で17日から公開され、道内の常設館では11月14日から札幌・シアターキノで上映されるが、それ以外では道内初上映となる。伊達での上映会後の午後5時55分からは、福永監督と主演の下倉幹人さんによるトークも行われる。
 主催する伊達メセナ協会によると、新型コロナ対策のため大ホールの定員1044人に対し入場を428人に制限する。一般1000円、高校生以下500円。カルチャーセンターで10月12日からメセナ会員先行予約を始めており、一般予約は20日から。問い合わせは同協会(電)0142・22・1515へ。(和田年正)
※「アイヌモシリ」のリは小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/469964

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大正時代の郵便逓送人 吉良平治郎の慰霊祭10年ぶり開催 釧路町

2020-10-13 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/12 20:29 更新
吉良平治郎の殉職記念碑の前で踊りを披露する阿寒アイヌ民族文化保存会
 【釧路町】大正時代に釧路管内釧路町で、配達中に猛吹雪で殉職しながら郵便物を守ったアイヌ民族の郵便逓送(ていそう)人・吉良平治郎(きらへいじろう)の慰霊祭が12日、町内で10年ぶりに開かれ、出席者が遺徳をしのんだ。
 主催する釧路町アイヌ協会の会員が3人にまで減り、2010年を最後に開くことができなかった。平治郎の親戚の子孫も住む阿寒湖アイヌコタンの住人が協力し、開催にこぎつけた。
 平治郎は1922年(大正11年)1月、現在の釧路市内から配達中に釧路町宿徳内(しゅくとくない)で猛吹雪に遭遇。郵便物をマントで覆い、自らの命を守るため近くの家を目指す途中で亡くなった。
 仕事への責任感と、アイヌ民族の考えに基づき命を大切にしようとした行為をたたえ、宿徳内の殉職記念碑前での慰霊祭には約70人が参加。神への祈りの儀式「カムイノミ」に続き、平治郎ら先祖を供養するイチャルパを行った。阿寒アイヌ民族文化保存会が伝統舞踊を奉納し、最後は出席者全員で輪踊りをした。
 祖父が平治郎のまたいとこという阿寒アイヌ協会の広野洋会長(55)は「毎年開催できるよう協力したい」。釧路町アイヌ協会の小室守正会長(67)は「関係者の協力で10年ぶりに慰霊祭を開催でき、感謝の気持ちでいっぱいだ」と話した。(今井裕紀、写真も)
※「イチャルパ」の「ル」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/469925

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現代を生きるアイヌを映し出す『アイヌモシㇼ』が伝える多様性と寛容の大切さ

2020-10-13 | アイヌ民族関連
ルーツトップ 2020.10.12

 昨年、日本の法律で初めてアイヌ民族を〈先住民族〉と明記した《アイヌ新法》が成立し、今年は北海道白老町に《ウポポイ》というアイヌの文化施設が開業するなど、近年またアイヌが注目を集めているなか、現代を生きるアイヌに焦点を当てた劇映画『アイヌモシㇼ』が10月17日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国の劇場で順次公開される。
 阿寒湖畔のアイヌコタンを舞台に、アイヌの血を引く14歳の少年カントが自身のアイデンティティや父親を亡くした喪失感と向き合いながら成長していく物語。彼が反発していたアイヌの精神と文化をアイヌコタンの中心人物であるデボから教え込まれ、それをどう受容するのかが一つの見所だ。また、イオマンテという伝統儀式に対する認識と価値観にはアイヌの中でも個々人や世代間で相違があり、現代のアイヌが抱える葛藤と苦悩を浮き彫りにもしている。あくまでフィクションという体でありながらも、演技経験のない現地のアイヌがアイヌ役を演じることでドキュメンタリー映画のように生々しいタッチの作品となっているのが実にユニークで、前作『リベリアの白い血』(2017年)でもキャスト起用で同様の手法を用いた福永壮志監督の面目躍如といえるだろう。
 アイヌという非常に繊細な題材をあえて選び、近くて遠い存在であるアイヌの現況を掘り下げつつもしっかりと娯楽作品として完成させた福永監督に本作の制作意図、作品に込めた思い、多様性と寛容の重要性について語ってもらった。(interview:椎名宗之)
アイヌの役を実際のアイヌに演じてもらうのが前提
──監督がアイヌに関心を持ったのは20歳で渡米した後、ネイティブアメリカンに興味を抱いた頃だったそうですね。
福永:生まれが北海道で高校卒業まで住んでいたんですけど、アイヌについてちゃんと学ぶ機会がなかったんです。アイヌの同級生もいたけどそのことについて聞いちゃいけないような気がして、知りたいけど知れない悶々とした思春期を過ごしました。その後、アメリカに留学してミネソタ州に2年いた後に、映画を学ぶためにニューヨークへ移り住んだのですが、ミネソタ州ではネイティブアメリカンの存在感が強かった。地域によって差はあれど、もともとネイティブアメリカンがいた土地を奪って今の自分たちがいるという認識がアメリカ人には総じてあるし、ネイティブアメリカンに関することに対して意識が高いんです。アメリカの先住民族がどういう考え方を持っていたのかとか、そういうことを少しずつ知るうちに彼らの文化に惹かれていきました。そこでふと思ったんです。自分が生まれ育った北海道にもアイヌという先住民族がいるじゃないかと。それなのにずっと何も知らないままでいたことを恥ずかしく感じたんですね。今でこそ『ゴールデンカムイ』のようなコミックがあったり、メディアがアイヌを取り上げる機会も増えてきましたけど、当時は海外はもちろん日本でもアイヌに対する理解と認識がとても低かったので、自分ももっと学びたいと思ったし、アイヌを題材に映画を作ることには意味があるんじゃないかと思い始めたんです。それから具体的に企画を立ち上げるまで時間がかかりましたけど、ようやく形にすることができました。
──二風谷、白老、屈斜路、阿寒とアイヌの代表的なゆかりの地がある中で、阿寒町を舞台に選んだのはなぜですか。
福永:阿寒にはしっかりとコミュニティがあると感じたのが大きいです。阿寒以外の町にも訪れてアイヌの方々にいろいろと話を聞いたんですけど、白老は博物館を中心として各地のアイヌが集っているイメージで、二風谷はアイヌの人口密度は高いけど、自分たちの生活をそれぞれ営んでいるような印象を受けました。それに対して阿寒は観光の仕事を通してコミュニティの結束も強いし、生活の中にアイヌ文化が息づいている。その一方で、観光で見せる姿と実生活の差もあったりします。映画の舞台としてコミュニティはすごく大事だったし、現代のアイヌを映画で描く上で、物語になる要素が阿寒にはたくさんあったんです。

──ということは、阿寒を選んだのはキャストに起用した下倉親子が暮らしていたことが大きかった?
福永:それも一つの理由ですね。最初は主人公を青年にした脚本を書いていたんですが、カント君(下倉幹人)と出会ったこともあって少年の成長の話にすることにしたんです。阿寒にはデボさん(秋辺デボ)やエミさん(下倉絵美)といった役者が揃っていました。映画の中のアイヌの役を実際のアイヌの方に演じてもらうのが前提だったので、舞台のリサーチはキャスティングを兼ねていました。各地で話を聞きながら出演者を探していて、実際の本人役ではあるんだけど、演じるというよりも自分の違うバージョンを映画の中で出してもらう。またそれが自然でいられる環境作りやアプローチが大事だったし、その人物や設定、そこで起きる出来事をそのまま映画に持ってくる手法を考えたときに、阿寒に住む人たちを阿寒で撮るのが一番スムーズだったんですよね。

予定調和じゃないサプライズが生まれるのが面白い
──劇映画だけどすごくリアリティがありますよね。まるでドキュメンタリーを観ているような錯覚に陥るところもあるし、主人公であるカント君の佇まいがとにかく素晴らしい。普段は寡黙だけど目力が雄弁で、何度も引き込まれそうになります。
福永:彼は映画に出ている通りに口数は少ないけど感受性の豊かな子で、何事も自分なりに考えたり感じたりする下地がしっかりあるし、あの目がとても印象に残るのはそういうことの表れだと思います。
──主人公に起用したのもそういったことが理由だったんですか。
福永:最初はエミさんを介して阿寒へ行くようになって、その都度カント君とも会っていたんですけど、会うたびにちょっと特別な子だなと感じていました。とても印象的な目をしていたし、彼もまたアイヌをルーツに持つ少年だし、エミさんとは実際の親子だからそのままの設定でいけるし、いろんなことが必然性を持ってつながっていたんですよね。
──前作の長編デビュー作『リベリアの白い血』でも演技経験のない方を役者として起用していましたが、それは劇映画の中にドキュメンタリーの要素を入れておきたいからですか。
福永:ドキュメンタリー的要素でいえば前作より本作のほうが結果的に大きくなりましたが、理由はいくつかあります。まず大きいのは、自分のように外から来た人間がこういう繊細な題材を扱うときに自分が持つイメージに押しこむようなやり方をしてはいけないと考えているから。そのためにすでにあるもの、実在する人物に作品を近づけるというプロセスを踏まなければいけない。そうなると、アイヌの役は実際のアイヌの方に演じてもらうのがベストなんです。それと、自分の頭の中で思い描いていたものがそのまま形になってもあまり面白くないんですよ。想像をそのまま具現化するのではなく、それにもっとリアリティを持たせながら想像を超えるものを作品に落とし込ませたいという自分の姿勢もありますね。
──想定外の化学変化が生まれたほうが面白いと。
福永:そうです。パーフェクトじゃなくてもいいから「これを観るだけでも価値がある」というものを何かしら撮れたら作品としては成功なんじゃないかと思うので、細部にわたって緻密に画コンテを作り込んで演者やスタッフを駒のように動かすよりも、予定調和じゃないサプライズが生まれる環境に身を置いたほうが今は面白いと感じます。

──本作におけるキャストの皆さんの芝居があまりに自然なんですが、脚本は一応あるんですよね?
福永:あります。出演者の皆さんと事前にいろいろ話をしてその人となりを知った上で、できるだけ本人に近づけた脚本を書きました。セリフももちろんあるし、内容を分かってもらうためにあらかじめ読んでもらいましたけど、セリフを暗記することはお願いしませんでした。現場で緻密なリハーサルをやることもなく、だいたいの内容を伝えて「ここからここまで話を進めます」と説明して、あとはテイクごとに微調整をしていきました。セリフはできるだけ自分の言葉で話してもらうようにお願いしました。脚本上、ポイントとして必ず言わなくちゃいけない言葉がいくつかありましたけど、それも別にこういう言い方じゃなければいけないという決まりはありませんでした。そういう余白を持たせた進め方だったし、顔馴染みの人たちとの共演なので、ポンと出るアドリブのほうがよっぽど生きた言葉だったり、自分では絶対に書けない言葉だったんですよ。そうやってみなさんが自然体で演じられる環境作りを意識しましたし、その中で出た生きた言葉を映画にたくさん入れてあります。
──監督の意図するところが功を奏したわけですね。本作のキーパーソンであるデボさんがセリフをちゃんと覚えてくるようには思えませんし(笑)。
福永:覚えてくださいとお願いしても無理でしょうね(笑)。
──デボさんが新聞記者役のリリー・フランキーさんに「シャモ(和人のこと)ならそう言うべな」と言い放つのもアドリブですか?
福永:あれはセリフにありました。「シャモ」はちょっと蔑視的なニュアンスがありますが、興味本位に詮索する新聞記者に対してデボさんが敵対心を持つシーンなので、あえて使いました。映画の中でその言葉の意味は説明していませんが、歴史上で和人がアイヌにしてきた過ちを知るきっかけになればいいと思います。

なぜイオマンテを物語の核に据えたのか
──商工会の席でイオマンテ(飼育したクマを殺すことによって神であるカムイをクマという仮の姿から解放し、神の世界へ帰す儀礼)をめぐって論議が交わされるシーンはとても生々しくて、現代を生きるアイヌの中でもさまざまな見解があることを如実に伝えていますね。
福永:あのシーンでイオマンテについて賛成の人は本当に賛成の人で、反対の人は本当に反対の人なんです。リサーチの段階で阿寒を訪れたときにイオマンテについて伺って、そのときされた議論をベースに脚本にして、撮影の際には物語上必要な内容以外はできるだけ実際に思っていることを話してもらったんです。そのときにハッとするような素晴らしい言葉がいっぱいあって、編集でまとめるのに苦労しました。たとえばイオマンテに反対するみんなから「時代が違うよ」と言われたデボさんが「いつになったら時代が来るのよ?」「俺たちアイヌはこのまま変わっちまうのか?」と言い返すのは完全にデボさんの言葉なんです。
 この映画を作るにあたって、差別や偏見を助長させるようなものを作ってはいけないというのが意識としてあったので、現代を生きるアイヌの姿を美化せずにできるだけ自然な形で映画の中で描きたかった。アイヌはもちろん一つの大きなテーマなんですけど、今を生きる人間の話にするということを意識しました。デボさんがカラオケを唄っているシーンや、台本を読みながらお祈りをしている姿を入れることは、そういう意味で大事でした。ただそうやって作り上げてもこれはあくまでも阿寒に住むアイヌの話で、決してアイヌ全体の話ではないですし、一口にアイヌといっても実に多種多様な考え方と価値観がある。この映画がアイヌに対するさらなる理解につながれば嬉しいです。
──たとえばカント君が自身のルーツを否定したり、親を含めた大人に対して不信感を抱くのは誰しも一度は経験する思春期特有の通過儀礼ですよね。だから映画の中で描写されるカント君の心情と行動はアイヌでも和人でも共感できると思うんです。
福永:そうですね。どんな人種であれ共感できる部分があると思います。

──現代を生きる同じアイヌの中でも個々人の価値観は相違があるし、世代間でその相違はさらに広がるでしょうし、その差異や葛藤を際立たせる上でイオマンテは格好のテーマですよね。アイヌと和人の見解の相違も浮かび上がるでしょうし。
福永:映画の題材として取り上げるべきかどうか迷ったところはあったんですけど、イオマンテを通してアイヌの世代間のギャップや、それぞれの内面を描けると思いました。アイヌの文化と精神世界の集大成でもあるし、そこまでいろんなことが凝縮されているものが他に見当たらなかったんです。儀式にインパクトがあるから取り上げたわけではなく、そこに内包されたものを通じて、アイヌ独特の文化と精神世界や、現代のアイヌの様々な考え方や思いを描けると思ったので、最終的に題材にすることにしました。
──死者の住む村へとつながる洞穴(アフンポル)が作品の冒頭から出てきて劇中でも重要な役割を果たしていますが、阿寒には実際にああいう場所があるのでしょうか。
福永:あの洞穴は道内の各地に点在しているんですけど、映画で使った洞穴はそういったものではなく、ロケーション時に画になると思って選んだ場所です。穴の向こうに先祖が住んでいるというのはアイヌの死生観につながるもので、穴を境にして生きている人と死んだ人がそれぞれ生活しているという考え方なんです。生と死が上と下ではなく、あの世とこの世でもなく、平行線で同じ軸上にあるという。イオマンテはクマの中に神がいて、その命を奪うことで霊を神の国に送り帰す、そしてまた違う姿で人間の国へやってくるという考え方ですが、それと相通ずる独特の死生観だと思うんですよね。

ドキュメンタリータッチでありながらフィクションである理由
──終盤にその洞穴の前でカント君は《ある劇的な体験》をして物語は結末へと向かうわけですが、あの落としどころは見事ですね。意外ではあるものの非常に説得力がありますし。
福永:あの場面の意図するところを理解してもらえると嬉しいですね。脚本を書いていた段階で、感想を聞いた一人から「話がつながっていないのではないか?」という指摘を受けたこともあったんですけど、あの場面はすごく大事だったんです。カント君が洞穴の前であの体験をすることで、もしかしたらデボさんの言うことは間違っていないのかもしれないと思うことで彼の中で心境の変化が訪れるわけなので。平たく言えば思春期の少年が父親の死と自分のルーツに向き合い、最終的に折り合いをつけながら新しい岐路に立つ物語なので、あのシーンは重要なんです。
──あの場面にこそ劇映画の良さが出ていると思いますし、ドキュメンタリー映画では決して撮れないものですよね。
福永:「なぜフィクションにしたのか?」と訊かれることがありますけど、大きな理由はそういうところなんです。あの場面を挿入することが「これはフィクションですよ」というリマインドでもあって、一つのアイヌコタンの物語が一つの映画に落とし込まれてもこれがアイヌのすべてではないし、現実のすべてでもないし、ドキュメンタリータッチではあるけれども一つのフィクションとして、一つの映画として捉えてほしいんです。アイヌとは何なのか、時代が移りゆく中で伝統を守る意味とは何なのか、自身のアイデンティティと文化のつながりとは何なのかという問いかけをする一つの映画として。
──結果的にカント君が成長したと思しき対比もちゃんと見せていますよね。冒頭と終盤に朝ご飯を食べるシーンがそれぞれありますが、顔つきや仕草から変化が訪れたことが窺えますし。
福永:最初と最後では違いますよね。一つひとつの所作から彼がどことなく変わったことが分かると思います。

──かつての『北の国から』のように、数年ごとにカント君と阿寒のアイヌコタンに暮らす人たちのその後を追うシリーズものになれば面白いなと思ったのですが。
福永:現実の彼は高校にあがって、阿寒には高校がないので下宿しながら釧路の高校に通っているんです。映画の通りに音楽が好きで、ミュージシャンの表現に興味があるようです。今後は音楽をやるのか、また演技をする機会が訪れるのか分かりませんけど、何らかの表現をしていくんじゃないですかね。
──劇中、カント君が通う阿寒中学校の階段の踊り場に「カント オㇿワ ヤク サㇰノ アランケプ シネプ カ イサム」(天から役割なくおろされたものは一つもない)という言葉が掲示されていますが、あの言葉に物語全体を通じたメッセージが込められているようにも思えますね。
福永:あの標語は実際に中学校に貼り出されていたものなんです。カント君がデボさんとキャンプに行って雨に降られるシーンで、デボさんが「よく降る雨だけど、こんな雨にも都合があって降ってるからな」と話していますが、あれは「天から役割なくおろされたものは一つもない」ということのくだけた表現なんです。あの言葉はデボさんが撮影の現場で話してくれたことで、僕が書いた言葉ではないんです。でもそれはデボさんが作品の意図を汲んでくれたというか、中学校にそういう標語が貼ってあるという脚本を読んでくれた上で話してくれた言葉だと思うんですよ。デボさんは本当に類い稀な表現者だと思います。
──デボさんは役者としてだけでなく、作品全体の精神的支柱であるように思えますね。
福永:絶対に欠かせない、大きな存在でしたね。「こういうシーンをどう思いますか?」とか随時意見を求めましたし、アイヌの文化や劇中でのアイヌの描き方などいろいろな場面でたくさんのアドバイスをいただきました。
多様性と向き合い、互いを認めることが大事
──アイヌを主題にした劇映画を撮り終えて、アイヌ文化に対して感じるのはどんなことですか。
福永:アイヌのことを知るというのは日本および日本人を知ることとつながっていると思うんです。日本の教育でアイヌについて知る機会が少ないのはとても残念なことですね。中国大陸や朝鮮半島から稲作文化を持って流れてきた人たちの影響で、縄文時代から弥生時代へと移行し、やがて日本の国家が形成されていったわけですよね。一方で、アイヌはそれらの人や文化とほとんど交わらずに独自の発展を遂げた。つまりアイヌは日本と日本人の起源である縄文の流れを色濃く受け継いでいるし、アイヌを知ることは自分たちのルーツを見つめ直すことにつながると思います。だから壁を作ってアイヌと接するのではなく、アイヌに関する問題も自分たちの問題として捉えるべきだと思うし、そのためにはまず僕らがアイヌのことを知るのが大事なんです。
──現世と来世が平行線であるというアイヌの死生観のように、アイヌと日本人の関係性も同じ軸上にあるという考えがもっと浸透するといいですよね。
福永:日本のルーツにはもともと多様性がありますからね。その多様性と向き合い、互いを認めることでもっと寛容な社会に向かえると思うんです。

──劇中でエミさんが営む民芸品店を訪れた日本人の観光客が「日本語お上手ですね」とエミさんに語りかけるシーンがありますね。その対比としてエミさんがアイヌ語を学ぶシーンがあったり。現代のアイヌが日本語を喋れないという誤解は残念ながら今も日本人の多くがしてしまうのでしょうし、この映画がアイヌを知るきっかけになればいいですよね。
福永:「日本語お上手ですね」という声をかけられるのは、阿寒のアイヌコタンではよくあることなんです。言った本人に悪気はないんでしょうけど、それもアイヌに対する無知からくるものですよね。そういう実話に基づいた話を今回の映画にできるだけ盛り込みましたし、この映画を観てアイヌに対する差別や偏見が少しでも薄れて、アイヌを身近な存在に感じてもらえたら嬉しいですね。
──今後もアイヌに関する活動をライフワークにしていく考えはありますか。
福永:はい、映画に限らず今後も何か自分にできることがあればしていきたいと思っています。
──劇映画としては今後どういった作品を構想していますか。
福永:まだ詳細は明かせませんが、いま取り組んでいるのは東北を舞台にした話で、これまでと共通しているのは土地と人間や、ルーツとしてあるもの、個人対組織などのテーマで、他にも日本独特のアニミズムといった要素を織り込んでいます。しかも時代物なので、思いきり振りきってフィクションに徹したものにしようと考えています。どうぞご期待ください。
https://rooftop.cc/interview/201012123030.php


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安倍政権最大の功績は“アイヌ博物館”だった? 200億円をブチ込んだ「ウポポイ」の虚実

2020-10-13 | アイヌ民族関連
文春オンライン 10/13
──本当にあれでいいんだろうか?
 帰路、雨の道央道をレンタカーでひた走りながら、そんな思いが消えなかった。この日、私が行ったのは、今年7月12日に開業したばかりのウポポイ(民族共生象徴空間)である。
 ウポポイとはアイヌ語で「(大勢で)歌うこと」を意味する。北海道白老町のポロト湖畔に新設された国立アイヌ民族博物館を核とする「アイヌ文化の復興・発展の拠点」だ。
盛大にオープンした北海道の“目玉施設”
 盛んにテレビCMが流れているので、名前くらいは聞いたことがある人も多いだろう。新型コロナ流行の影響で、4月のオープンが7月にズレ込んだものの、今年の北海道にとっては最大の話題のひとつである。
 私は中華圏が専門のライターであり、アイヌの知識は通り一遍の範囲にとどまる。ただ、仕事柄、ウイグルやチベットといった中国の少数民族問題に直面することは多い。学生時代の専門分野の関係もあって、先住民や少数民族への興味関心は高いほうだ。
TV CM「ウポポイ登場」篇(30秒ver.)
https://www.youtube.com/watch?v=Hd4FFOPTTFQ&feature=emb_logo
 ゆえに私はウポポイを見学したかった。そこで現地に行った……のだが、その感想が大変モヤモヤしたものだったのである。
 違和感の正体は追って述べたい。まずはウポポイという施設について、ざっくりと観覧レポートを書いておこう。
博物館の入場はネットで「予約×2回」
 ウポポイは札幌市から自動車で片道約65分の日帰り圏内にある。現在、コロナ流行の影響もあって入場は事前予約が必須で、1200円のチケットを購入してから全体入場ゲートをくぐる。感染予防の観点からネット予約のみに切り替えたのは英断だろう。
 ただし、敷地内にある国立アイヌ民族博物館でも、上記とは別途にネットで事前予約を取る必要があるのは大変ややこしい(入場自体は無料)。博物館は1時間に200人までの入場制限があり、入場者枠が学校遠足や修学旅行生でほぼ埋まってしまうことも珍しくないので注意が必要だ。
 博物館の建物2階がメインの展示室だ。広いホール内はアイヌの言語(イタㇰ)・世界観(イノミ)・生活(ウレㇱパ)・歴史(ウパㇱクマ)・仕事(ネㇷ゚キ)・交流(ウコアㇷ゚カㇱ)の6パートに分かれている。各パートの日本語は「私たちのことば」「私たちの世界」と、アイヌを主語にした書き方になっている。
 もっとも、巨大な建物と垢抜けたインテリアの割に、全体的に展示物も展示説明もややボリューム不足な印象だ。隣の特別展示室を含めても、情報量はそれほど多くない。
“消滅危機言語”の書き言葉であふれる
 アイヌ語は極めて深刻な消滅危機に直面している言語だ。明治以来の同化政策や和人(大和民族)の北海道開拓の結果、いまやアイヌ語を母語とする人はほとんどいない。
 ウポポイはこのアイヌ語を、将来的には施設内での共通語にするという画期的な目標を掲げ、従業員たちは和人系・アイヌ系を問わずアイヌ語の名札を付けている。トイレなどの施設や博物館内の一部の解説文も、アイヌ語の下に日本語を併記する形を取る。
 アイヌ語には沙流・静内・樺太・白老など12の方言があるため、博物館内では展示パートごとに別の方言が使い分けられるという複雑な方法が採用されている。これだけ各地のアイヌ語の書き言葉が溢れている場所は日本でもここだけだろう。
 とはいえ、園内マップのパンフレット、ショップの商品説明やメニュー、博物館内の一部の展示解説など、日本語のみの場所も多い。現時点では、実用よりも一種の装飾や象徴としてアイヌ語表記がおこなわれているとみてよさそうだ。
コンセント付きのアイヌ家屋
 博物館外には、巨大な体験交流ホールや体験学習館、屋外ステージなどがある。ほかに工房では工芸家による実演を見ることができ、さらにアイヌの伝統的な集落「コタン」を再現したアイヌ家屋「チセ」が何軒かある。
 もっとも、ウポポイのチセは実際は現代的な建築技術で作った壁にアシが貼られており、屋内には普通にコンセントの差し口がある(札幌市郊外にあるアイヌ文化交流センター「サッポロピリカコタン」で復元されたチセのほうが、実物に近い姿だと思われる)。
 工房の実演も、作務衣のような服を着た(少なくとも外見上は普通の)公務員顔のお兄さんが、中学校の技術家庭科室のような部屋で淡々と解説や作業をおこなう様子を見学するだけなので、見ていてあまり面白くない。
 オープン当初なので仕方ない部分もあるが、現時点のウポポイは各方面になんとなく上滑り感があり、「ハコ」に対して内実が伴いきれていない印象を感じさせた。
再訪させるほどの魅力は……
 もちろん、個人的には学びも非常に多かった。私はメディアの立場で訪問したので、地元出身のアイヌの女性学芸員の方に展示室を案内してもらえたからだ。家族や生い立ちの話まで聞かせてもらい(なんと展示コーナーの20世紀初頭の写真にご先祖様が写っている)、アイヌ語やアイヌ史の質問にも丁寧に対応してもらえたので、ご厚意にとても感謝している。
 ただ、アイヌの学芸員からマンツーマンでレクチャーしてもらえるわけではない一般の観覧客が、同様の魅力を感じられるかは疑問だった。上野公園の博物館・美術館群や大阪の国立民族学博物館などと比較すると、現時点でのウポポイは一度だけの見学ならよくても、リピーターになって来ようと思えるほどの魅力はない気がする──。
 とまあ、以上が参観の感想だ。ちょっと厳しく書いたが、ここまではあくまでも施設のクオリティに対する建設的批判である。たとえ「見せ方」が拙かったとしても、先住民族であるアイヌをテーマにした初の国立施設が作られたことが持つ大きな意義は、本来なら決して揺るがないはずだ。
 私が覚えたモヤモヤした感覚は、これらとは別の部分にこそあった。
「いまの時代」の日本でなぜアイヌ施設が?
 近年、アイヌは「在日コリアン」や「沖縄」などと並んで、いわゆる「愛国者」的なマインドを持つ識者やネットユーザーたちから攻撃されやすいテーマのひとつになっている。
 アイヌが北海道や東北地方の先住民で、その民族的なアイデンティティを持つ人たちが現在も存在することは、学問的にも明らかな話であり議論の余地がない。だが、おそらくこの記事についても、「Yahoo!ニュース」あたりに転載された後は、コメント欄に「アイヌは存在しない」「捏造だ」といった演説をぶつ人が何人も登場するだろう。2014年には当時の札幌市議がそうした意見を明言した例もある。
 彼らのように露骨な言葉を口にしないまでも、「日本は単一民族国家だ」という認識に違和感を持たない程度にはアイヌの存在を気にせず暮らしている人は、むしろ現代の日本社会の多数派を占めているかと思われる。
 加えて昨今は、日本の素晴らしさを強調することや日本国民の一体感を確認することが好まれる時代だ。日本に和風文化とは異なる伝統を持つ民族が存在することや、往年の日本が近代化の過程で「犠牲者も出した」ことを積極的に認めるような歴史観は、ともすれば自国をおとしめる反日的な言説として批判の対象になる。
 そんなご時世に、近代日本が同化政策を進めた先住民であるアイヌの存在に肯定的なメッセージを示す「民族共生象徴空間」が、政府主導で建設されたのはかなり意外だ。
 さらに驚かされるのは、ウポポイがなんと(リベラル寄りの民主党政権の遺産ではなく)ほぼ完全に安倍政権の手で作られたことだ。正直、国内のマイノリティに対して興味が薄そうなイメージがあった前政権が、アイヌ分野でこれだけ目に見える「業績」を残したのは珍事とさえ言っていい。
旗振り役は菅義偉現総理だった
 日本のアイヌ政策が大きく転換した契機は、2007年9月に国連総会で「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択されたことだ。そこで翌年6月、国内でも福田康夫政権下の衆参両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で採択される。
 そして、この決議をもとに「民族共生の象徴となる空間」を北海道白老町に建設することが閣議決定されたのは、第二次安倍政権成立後の2014年6月だった。当然、その後のさまざまな決定もすべて安倍政権下で進められた。
 2019年4月にはアイヌを先住民族として明確に定義づけた「アイヌ新法」(アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律)も成立する。一連の政策の旗振り役は、安倍政権下で官房長官を務めていた菅義偉現総理だった。
建設費200億円、補正予算案で追加38億円……
 では、ウポポイ建設に政府側から携わった人たちは、この施設にいかなる役割を期待していたのか。菅氏は2013年夏、自身が座長を務める政府のアイヌ政策推進会議でこう発言している。
「オリンピック・パラリンピックの前にウポポイを完成させることで、アイヌ文化の素晴らしさを世界に発信することができる」
 より具体的なのは、同会議の委員を務める石森秀三・北海道大学観光学高等研究センター特別招聘教授の発言だ。2019年8月9日付け『観光経済新聞』から引用しよう。
「インバウンドの隆盛化に伴って、世界から数多くの外国人ビジターの来訪が予想される。ウポポイにおいて、アイヌ文化の復興・創造が飛躍的に進展し、世界のさまざまなビジターが楽しく“歓交”できるならば北海道観光は新たなステージに入ることになる。そのためには、民産官学の協働によるウポポイの盛り立てが不可欠になる」
 つまり主たる目的として強調されたのは、東京五輪にともなう日本経済の活性化とインバウンド誘致だったのだ。
 ゆえに、総建設費には約200億円の税金が投入された。さらに2019年末の閣議で決定した同年度補正予算案では、ウポポイのPR費用などとして38億1600万円が確保され、年間来場者数100万人を目指す方針がぶち上げられた(その後のコロナ禍によって目標達成は難しい状況だ)。
 このように「マシマシ」で多額の税金がブチ込まれるいっぽう、ウポポイの建設方針が軌道に乗るや、本来は政府のアイヌ政策にアイヌ自身の意見を反映させる場だったアイヌ政策推進会議は2018年12月を最後に開催されなくなった。そして、完成したウポポイからは、インバウンド誘致と経済活性化という目的にそぐわない要素が削ぎ落とされることになる。
「アイヌ差別」は表に出すな
「国立アイヌ民族博物館の展示方針については『差別などの暗い部分をピンポイントで取り上げないでほしい』という要望が、展示検討委員会から出されていた」
 私が取材した博物館関係者はこう話す。この展示検討委員会とは、文化庁が2015年7月に設置した有識者委員会だ。「第三者」を集めたとはいえ、実質的には政府や文化庁の意を体した機関とみていい。
 事実、ウポポイ敷地内のアイヌ民族博物館の展示からは、ある内容がごっそりと抜け落ちている。それは明治時代以降に近代日本が進めたアイヌ同化政策と、長年にわたり官民問わず存在したアイヌ差別についての明確な言及だ。
 たとえば、1899年(明治32年)に制定され、結果的にアイヌの和人への同化を後押しした「北海道旧土人保護法」や、アイヌ児童向けに設けられた「旧土人学校」などについては、私が見た範囲では一切言及されていない。
「旧土人」という呼称は、戦時中の1942年に当時の東条英機内閣が「一種ノ侮蔑感ヲ聯想」すると改善を閣議決定したほど、ごく早期から問題視されていたのだが(ただし旧土人保護法は1997年まで残る)、ウポポイでは存在しない歴史になってしまった。
インバウンド外国人客には隠される情報
 また、戦前に北海道大学医学部の教授が勝手にアイヌの墓を掘り返して1000体以上の遺骨を収集した行為への言及もわずかしかない(慰霊碑はウポポイの一施設として、博物館から1.2キロ離れた場所に存在するが、遠足などでプログラムに組み込まれない限り、わざわざ行く個人旅行者は少ないだろう)。
 1903年(明治36年)の第5回内国勧業博覧会で、沖縄の琉球人や北海道のアイヌが生身の見世物として「展示」された人類館事件も、近代アイヌ史では重要な事件だったはずだが、詳しい言及はなされていない(展示内容では「博覧会に出た」ことだけが書かれている)。
 当然、現在でも一部の地域では厳然と存在する結婚や就職の際のアイヌ差別も言及されない。アイヌ語の話者がほとんどいなくなった理由も明確に説明されていない。
 より正確に言うなら、館内展示物である昭和期のアイヌ知識人が発行した新聞や雑誌をガラスごしによく読めば、差別や迫害の存在を知ることはできる。また、博物館の館長挨拶でも言及されている。ただ、これらはかなり注意深い人以外は気づかないはずだ。
 バイリンガル表記がなされた館長挨拶をのぞけば、ウポポイを訪問した日本語を母語としない人が、歴史の負の面についての情報を得ることはほぼ不可能な展示内容になっている。
歴史の勝者は目をそらすことを選んだ
 仮に予備知識がない人が展示を見た場合、アイヌは前近代まで立派な文化を残していたが、近代以降は原因不明の理由で自然減少した民族である──、という奇妙な認識を持ってしまいそうだ。
 ピンとこない人は、白人の土地侵略や差別に言及しないインディアンやアボリジニの博物館や、中国共産党の経済侵略と文化弾圧に言及しないウイグル人やチベット人の博物館をイメージしてほしい。ウポポイにおけるアイヌの歴史は、まさにそういうグロテスクな語られ方がなされている。
 どこの国でも、強力な近代国民国家が成立する過程では辺境の征服と同化がおこなわれ、征服者から見て「野蛮」とされた先住民が不利益を被る負の歴史が生まれる。日本に限らず、列強や主要国と呼ばれる国家は等しく血塗られた過去を持ち、ゆえに強くて豊かな国として発展してきた。
 なので、先進国が過去の自国内における征服の歴史を認めて向き合うことは、国際的に見れば国家の恥にはなりにくい(他国も似たようなものであり、近年はむしろ積極的に向き合ったほうが評価されるくらいだ)。
 これは歴史の勝者の子孫が、被征服者に対して最低限抱くべき仁義だろうとも思えるのだが、ウポポイの建設を決めた人たちは、そこから目をそらすことを選んだようである。
 アイヌ民族博物館の展示のブースのタイトルは「私たちの歴史(ウパㇱクマ)」だ。とはいえ、アイヌ自身が、自分たちが滅びた本当の理由を和人のために隠蔽してあげようと考えるわけはあるまい。
 私がウポポイから覚えたモヤモヤ感の正体は、まさにこれなのであった。
最後に中国の話をしよう
 さて、私の本業は中国ライターなので、最後に中国の話を書く。中国広東省の深圳市には、1988年に建設された「錦繍中華民俗文化村」という、中国国内のさまざまな少数民族の文化を体験できるテーマパークがある。
 この民俗文化村では、中国共産党政府の少数民族に対する言語・文化・宗教の弾圧と同化政策、言論統制と監視社会化、経済侵略政策といった諸問題への言及は一切なされない。施設内では、もっぱら観光客のオリエンタリズムを満足させる目的で、歌や踊りのショーが魅惑のアトラクションとして開催されている。
 観客はこうした少数民族たちの見世物を見て、雑な考証のもとで適当に再現された伝統家屋をバックにした自撮り画像をSNSに投稿し、偉大なる中華人民共和国の諸民族の友好と団結を再確認する。これが中国式のマイノリティの取り扱い方である。
 ──もちろん、わが日本には、そのような施設はたぶん存在しないはずであろう。
撮影=安田峰俊
https://bunshun.jp/articles/-/40841

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▶11「イタオマチプ」  アイヌの先人たち 遠くは大陸へ航海

2020-10-13 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2020/10/12配信
 イランカラプテ(こんにちは)。ふと、目の前にぼう漠と広がる海を眺めていると、海の向こうにいったいどのような世界が広がっているのか?。渡り鳥の季節になると必ず渡って来るのを見て、きっと海の向こうに自分の知らない世界があるに違いない。だから海…
この続き:816文字
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https://www.tomamin.co.jp/article/feature/chikisani/31199/

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アイヌの衣裳、刀下げ帯 祈りと生活、生んだ美

2020-10-13 | アイヌ民族関連
会員限定有料記事 毎日新聞2020年10月12日 東京夕刊
 1941年9月2日、東京・駒場の日本民芸館。図案家・杉山寿栄男のコレクションを中心に約600点を披露する「アイヌ工芸文化展」が始まった。連日多くの人が訪れ、杉山や言語学者の金田一京助の講演会は立ち見が出る盛況ぶり。要望に応えて、展覧会期を延長するほどだった。
 「民俗学や考古学ではなく、美術的観点から紹介した画期的な展覧会でした」。同館学芸員の古屋真弓さんは話す。
 79年後に開かれた同館の「アイヌの美しき手仕事」展では、戦災で焼失した杉山コレクションに代わり初代館長の柳宗悦(やなぎむねよし)と染色家・芹沢銈介(けいすけ)が収集した品を紹介、当時の展示を一部再現している。壁にリズムよく並ぶのは、植物繊維から作った糸や和人から手に入れた木綿を用いて作った衣裳(いしょう)、そして男性が正装の際身につける太刀を下げるための帯。展示ケースには、木製の儀礼具イクパスイ…
この記事は有料記事です。
残り558文字(全文941文字)
https://mainichi.jp/articles/20201012/dde/012/040/006000c

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「ゴールデンカムイ」刺青の脱獄囚・岩息舞治と遭遇! “スチェンカ”で勝負するが... 第26話先行カット

2020-10-13 | アイヌ民族関連
アニメアニメ 2020/10/12 19:00
TVアニメ『ゴールデンカムイ』より、2020年10月12日(月)放送の第26話(第3期第2話)「スチェンカ」のあらすじと先行カットが公開された。
『ゴールデンカムイ』は、「マンガ大賞2016」「第22回手塚治虫文化賞 マンガ大賞」などをこれまでに受賞し、シリーズ累計1,400万部を突破する冒険・歴史・文化・狩猟グルメ・GAG&LOVE和風闇鍋ウエスタン。
第3期では、網走監獄で繰り広げられた激しい攻防戦の末に、離れ離れになってしまった“不死身の杉元”こと杉元佐一とアイヌの少女・アシ(リ)パ、そして両名と旅を共にする谷垣源次郎、鯉登少尉、白石由竹、尾形百之助、キロランケらが、北海道よりさらに北に位置する極寒の地・樺太で繰り広げる新たな生存競争サバイバル「樺太編」が展開される。
第26話のタイトルは「スチェンカ」。
スチェンカに勝利後、杉元は会場で見かけた大柄な日本人に声をかける。岩息舞治と名乗った男と握手を交わしたその瞬間、互いの強さを本能的に感じ取るのだった。
後日、杉元たちは再び試合に出ることになり、対戦相手として姿を現した岩息が刺青の脱獄囚だと知る。岩息の強さは凄まじく、杉元たちが4人がかりで殴りかかっても倒れない。そのうち殴られすぎた杉元が正気を失ってしまい……。

『ゴールデンカムイ』第26話「スチェンカ」は、2020年10月12日23時よりTOKYO MX、読売テレビ、札幌テレビ、BS11ほかにて放送。

■TVアニメ『ゴールデンカムイ』放送・配信情報

[第三期 放送・配信]
10月5日より毎週月曜 TOKYO MX、読売テレビ、札幌テレビ、BS11ほかにて放送開始
FODにて独占配信

TOKYO MX:10月5日より毎週月曜23:00〜
読売テレビ:10月5日より毎週月曜25:59〜
札幌テレビ:10月5日より毎週月曜25:44〜
BS11:10月5日より毎週月曜23:00〜
時代劇専門チャンネル:10月10日より毎週土曜25:00〜
FOD:10月5日より毎週月曜23:00配信

【スタッフ】
原作:野田サトル(集英社「週刊ヤングジャンプ」連載)
監督:難波日登志
シリーズ構成:高木登
キャラクターデザイン:大貫健一
プロップ設定:渡辺浩二
動物設定:廣江啓輔
美術監督:森川篤
美術設定:大久保知江
色彩設計:茂木孝浩
撮影監督:長田雄一郎
CGディレクター:宍戸光太郎
編集:定松剛
音響監督:明田川仁
音響制作:マジックカプセル
アイヌ語監修:中川裕
ロシア語監修:Eugenio Uzhinin
音楽:末廣健一郎
第三期オープニングテーマ:FOMARE「Grey」
第三期エンディングテーマ:THE SIXTH LIE「融雪」
アニメーション制作:ジェノスタジオ
製作:ゴールデンカムイ製作委員会

【キャスト】
杉元佐一:小林親弘
アシ(リ)パ:白石晴香
白石由竹:伊藤健太郎
鶴見中尉:大塚芳忠
土方歳三:中田譲治
尾形百之助:津田健次郎
谷垣源次郎:細谷佳正
牛山辰馬:乃村健次
永倉新八:菅生隆之
家永カノ:大原さやか
キロランケ:てらそままさき
インカ(ラ)マッ:能登麻美子
二階堂浩平:杉田智和
月島軍曹:竹本英史
鯉登少尉:小西克幸
(C)野田サトル/集英社・ゴールデンカムイ製作委員会
https://news.goo.ne.jp/article/animeanime/entertainment/animeanime-56886.html


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Portugal. The Man、パロディ音楽の第一人者アル・ヤンコビックをフィーチャーした新曲をリリース!

2020-10-13 | 先住民族関連
indienative 10/12
https://www.youtube.com/watch?time_continue=187&v=qTdgxhQwaVQ&feature=emb_logo
アラスカ州出身のロックバンド Portugal. The Man、パロディ音楽の第一人者 “Weird Al” Yankovic (アル・ヤンコビック) をフィーチャーしたニューシングル「Who’s Gonna Stop Me」をリリース!この曲は 10/12 の先住民の日を記念してリリースされた。Portugal. The Man は Navajo Water Project を支援し、ナバホ・ネイションにきれいな水を供給するための取り組みを行っています。バンドのPTM財団を通じて、彼らは最大20,000ドルの寄付金を寄付します。バンドは声明で「このキャンペーンは、私たちの意識を高め、先住民族のアーティストや活動家にスポットライトを当て、非先住民族に比べて水道がある可能性が19倍も低い先住民族のコミュニティに水を供給するための資金調達を支援する機会となります。200万人以上のアメリカ人が水道水を利用できません。私たちが行動を起こしているのは、政府がそうしないからです。私たちはただ座っていることはできませんし、私たちの友人が病気になって死ぬのを見ていることはできません。もう十分です。」とコメントしています。
https://www.indienative.com/2020/10/whos-gonna-stop-me

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