現代ビジネス12/23(木) 11:02配信
近頃、耳にする機会が少しずつ増えてきた「インターセクショナリティ(Intersectionality)」という言葉(日本語では交差、交差性、交差点性などとも訳される)。
11月末にその言葉を冠する日本では初めての翻訳書『インターセクショナリティ』(パトリシア・ヒル・コリンズ、スルマ・ビルゲ、小原理乃訳、人文書院)が刊行された。
この概念をめぐってこれまで培われてきた社会運動や研究について、世界の様々な地域の事例を取り上げながら解説する教科書であり、この概念を知るためには最適の書の一つだろう。
様々なフェミニズム運動、気候変動、ラップ、アイデンティティ、教育、新自由主義、経済格差、性と生殖に関するイシュー、移民・難民と監獄社会など、取り上げられるテーマは多岐にわたる。
インターセクショナリティとは何か? 著者であるコリンズ(メリーランド大学名誉教授)とビルゲ(モントリオール大学教授)は以下のように説明している。
----------
もし、(様々な立場の)これらの人々に「インターセクショナリティとは何か?」と質問したら、様々な答えが返ってくるだろうし、時には矛盾した答えが返ってくるかもしれない。しかし、大多数の人は、おそらく下記の一般的な説明を受け入れるだろう。
インターセクショナリティとは、交差する権力関係が、様々な社会にまたがる社会的関係や個人の日常的経験にどのように影響を及ぼすのかについて検討する概念である。分析ツールとしてのインターセクショナリティは、とりわけ人種、ジェンダー、セクシュアリティ、階級、ネイション、アビリティ、エスニシティ、そして年齢など数々のカテゴリーを、相互に関係し、形成し合っているものとして捉える。インターセクショナリティは、世界や人々、そして人間関係における複雑さを理解し、説明する方法である。(括弧は下地追記)
----------
「インターセクショナリティという言葉は知っているけれど、日本社会の中でこの概念をどう捉えれば良いのだろう?」という疑問の声も聞かれる。
「インターセクショナリティとは何か?」を説明する論文やウェブ記事はすでに多く存在するため、ここではこの概念を説明したり解説するのではなく、「日本社会におけるインターセクショナルな探求や実践にはどのようなものがあったのか?」というテーマに迫ってみたい。
本におけるインターセクショナリティの現況
「インターセクショナリティ」という言葉そのものも日本社会に浸透してきている。
すでに日本社会におけるインターセクショナリティの意味を理解する上で必須ともいえる文章は、ウェブ記事や論文書籍など様々な形式でいくつも登場している。例えば以下のようなものである。
----------
●Vogue Japan、清水晶子、「フェミニズムに(も)『インターセクショナル』な視点が必要な理由【VOGUEと学ぶフェミニズム Vol.5】」
●SisterleeとNOISIEの共同企画、飯野由里子, 聞き手:Sisterlee編集部・妹、「フェミニズムで必須の概念『インターセクショナリティ』、なぜ日本で知られていないのか」
●ヒューライツ大阪、徐阿貴、「Intersectionality(交差性)の概念をひもとく」
●美術手帖、鈴木みのり×丸山美佳対談、「インターセクショナルな視点と、葛藤を手放さないこと」(特集「女性たちの美術史」)
●The Headline、徳安慧一、「インターセクショナリティとは何か?」
●国連ウィメン日本協会、「インターセクショナル・フェミニズムとは? なぜ今、重要なのか?」
●ローリングストーン・ジャパン、Jamil Smith、「歴史の転換点となったBlack Lives Matter、創始者が語る『人種差別抗議』の真意」
----------
このように、インターセクショナリティを解説する日本語の記事が増加している。また、インターセクショナリティを学ぶ上で日本語論文として必読と言えるもののなかに、熊本理抄、藤高和輝、清水晶子らによる論考があげられる(それぞれ後に取り上げたい)。
とりわけ熊本が詳述しているように、これまでの日本社会のマイノリティ女性たちの社会運動において「複合差別」と「交差性」概念は重要なキーワードであった。
当時から中心的役割を果たしてきた国際人権NGO反差別国際運動(IMADR)の元事務局員であり現在は近畿大学・人権問題研究所教授である熊本自身の活動も含め、一つ一つ積み重ねられてきたマイノリティ女性たちを中心とする批判的探求と批判的実践の蓄積は重要である。
また、冒頭に挙げた書籍『インターセクショナリティ』ではラティニダーズというブラジルの黒人女性たちによるインターセクショナルな複合イベントの事例が示されているが、日本社会でもインターセクショナルなイベントやプロジェクトが開催されている。
フェミニズム講座や調査研究なども実施する団体「ふぇみ・ゼミ」はインターセクショナリティをその活動の中心に据えており、「インターセクショナリティをフェミニズムにとって不可欠の認識とし、差別のない社会を実現するための教育、調査、研究、文化活動、社会運動をおこなって」いるという(ふぇみ・ゼミ公式サイトより)。
また、「インクルーシブ(inclusive)でインターセクショナル(intersectional)なフェミニズムや、クィアの探求をする、様々なアイデンティティを背景に持つフェミニストたちのプロジェクト」として、ZINEやグッズを発信してきた「NEW ERA Ladies」は、2021年3月に複合イベント『プンクトゥム:乱反射のフェミニズム』を主催した。デザイナーの宮越里子による主旨説明文には以下のようにインターセクショナルなアイディアが示されている。
---------
非正規労働とフェミニズム、現代アートと野宿者の生、在日の女性であり学問と文化の発信者たちの対話、複合差別や交差性に耳をすますジェンダーとセクシュアリティの研究者たちの声、移住者の女性がこの社会で生きてきた歴史と現在について当事者と運動家たちの語り合い、セックスワークと女性の自立とは何かをめぐる探求者たち、99%のためのフェミニズムを伝えようとする女性研究者の姿、そして、トランスジェンダーの表象と生をめぐる話。新自由主義に抗するフェミニスト、障害とともに生きるクィア、国を持たないクルド人、帝国主義と戦時性暴力や植民地主義を問う人、性的マイノリティ、労働運動、アナルカ・フェミニスト、仮放免中の非正規滞在者…。ひとりひとりが「パンとバラ」を手に入れられる社会のために、どれほど多くの困難があることでしょうか。けれど、それはきっと、それぞれのシーンでプンクトゥムを生きている私たちが作り出す新しい乱反射であり、幸福な出会いでもありうるのではないか。その展望を探り、各々が抱えている疑問を交換しあい、ほんの少しでも希望を見出せるような企画となることを願っています。
----------
「インターセクショナリティ」を鍵概念とし批判的探求と批判的実践とを往還させるこれらのムーブメントは、日本でも時代を象徴する趨勢を見せている。
しかし、コリンズやビルゲが提起するように、インターセクショナリティという「言葉」そのものではなく、インターセクショナリティの「感性」や「アイディア」や「精神(エートス)」は、最近になって生起した真新しい出来事というわけでは、決してない、ということは何度強調してもし過ぎることはない。
インターセクショナリティといえば、その言葉を論文の中で初めて使用した法学者で人権活動家のキンバリー・クレンショーについて取り上げられ、「そこからインターセクショナリティが始まった」と理解されることが多かったというが、コリンズとビルゲは本書で以下のように明快に指摘している。
----------
(インターセクショナリティという言葉を造語した)クレンショーの研究は極めて重要であるが、私たちは「インターセクショナリティ」と名付けられた時からそれが始まったという見解には問題があると指摘したい。こうした特定の起源を設定することは、この言葉の造語以前の、インターセクショナリティの批判的探求と批判的実践の相乗効果がより顕著であった時期をないものとして扱い、インターセクショナリティが単なる学問分野の一つであるという再定義を促してしまう(中略)1990年代にインターセクショナリティが出現したかのようなナラティブが多いが、それに先立つ数十年との関係において、はじめてその言葉は意味を成すのである。(括弧は下地追記)
----------
日本においても言葉そのものが浸透し始めてからインターセクショナルなアイディアや実践が始まったという認識は誤りであり、これまで歴史的にインターセクショナリティの感性を内包する批判的探求と批判的実践が積み重ねられてきた。
日本社会の中で蓄積されてきた人々の営みについて、ここではその全てを取り上げることはできない。その代わり、ここではとりわけ、マイノリティ女性たちの運動を中心に、日本社会で培われてきた批判的探求と批判的実践の一部を取り上げたい。
インターセクショナリティを重要なコンセプトとしたブラック・フェミニズムやウィメン・オブ・カラーの運動の歴史と同様に、日本におけるマイノリティ女性たちの運動の一つ一つの蓄積の中で培われてきたインターセクショナリティは現在のこの言葉の流通の土台となっており、それらの積み重ねとの関係において日本社会におけるインターセクショナリティもその意味を成すだろう。
日本社会におけるインターセクショナリティの複数のナラティブ
コリンズとビルゲは、インターセクショナリティについて、アフリカン・アメリカン女性にその所有権を認めたくなるが、チカーナやラティーナ、先住民族の女性、そしてアジアン・アメリカン女性などウィメン・オブ・カラーによるインターセクショナリティの実践と探求を取り上げ、これらの連帯関係を強調した。
また、その経験はホワイト・フェミニズムとも異なっており、「自分たちが直面している抑圧に対処するためには、人種だけ、ジェンダーだけ、セクシュアリティだけといった限定的な枠組みでは解決できない」ことを強く認識していた。
インターセクショナリティという言葉自体の起源はクレンショーの論文によるが、日本においても言葉そのものではなく、この言葉が指し示す「アイディア」や「感性」や「精神(エートス)」は、さまざまな立場の女性たちの運動や実践の中で示されてきた。
カリフォルニア大学サンタクルーズ校名誉教授であるアンジェラ・デイヴィスがまさに「インターセクショナリティの先駆者」たちによる「これまでの闘争の豊かな歴史がある」と述べたように、日本にもこの概念の先駆者たちによる日々の積み重ねがある。
特にマイノリティ女性たちによるインターセクショナルな批判的探求と批判的実践をめぐる歴史的経緯については熊本理抄が詳しく、ぜひ参照されたい。ここでは、熊本の議論を参照しながら、実践と理論において日本社会で培われてきたインターセクショナリティについて簡素な記述にとどめる。
例えば、部落女性たちの運動では早い時期からすでに交差性の感性が培われてきた。本書でも、1969年に出版されたフランシス・ビールのエッセイにおける「二重の危険性」概念(レイシズムとセクシズムを指す)や、その後の「三重の危険性」「複数の危険性」の概念を取り上げているが、熊本によると日本では「戦前は一九二〇年代の婦人水平社時代に『二重三重の差別と抑圧』を訴え、戦後は一九五〇年代から『二重三重の差別圧迫』を訴えた部落女性の闘いに『複合差別』概念が導入されたのは一九九〇年代後半である」という。また部落女性の経験をめぐる社会学的実証研究において1989年には部落差別と性差別の「共通性」「差異」「交叉」が論じられ、1990年代以降からは「複合差別」の視点から研究が蓄積されていったという。
インターセクショナリティという語そのものが登場する以前の60年代から80年代における黒人女性やウィメン・オブ・カラーの蓄積してきた実践や探求から影響を受けていた社会学者の鄭暎惠は、在日コリアン女性たちによる運動においても日本社会からの抑圧と在日の男性社会からの抑圧の重なり合いが批判されてきた状況を説明し、例として「在日朝鮮人」の解放概念を鋭く批判し「『人間宣言』のなかに『女』を!」とした梁容子(ヤン・ヨンジャ)を取り上げ、民族差別と性差別への抵抗を訴えた。
----------
「在日朝鮮人」一世の男たちは、日本社会から受けた抑圧を、そのまま自分の妻や子どもたちに振り向けてきた。そのため、「在日朝鮮人」の女性や「子ども」(二世たち)にとっての<解放>とは、日本社会にはびこる民族差別からの<解放>と共に、暴君<父>によって支配されてきた<家>や<民族>からの解放も意味した。
----------
研究においては、例えば東京外国語大学教授の金富子が植民地期の朝鮮人児童の普通学校への就学をめぐって民族、階級、ジェンダーの要因の輻輳性を分析し、その中でもジェンダーをその分析軸(連結環)にすえてこれらを統合的に把握する研究視角を開拓している。
沖縄における女性たちも、27年間におよぶ米軍占領下の影響によって、他の女性運動とは異なる制度的・歴史的文脈から社会運動を展開してきた。ジャーナリストの山城紀子によると、例えば児童福祉法に基づいて設立されるはずの母子寮や児童館は沖縄においては「復帰後」の1972年まで作られず、公立保育園も1963年まで全く設置されていなかった。1960年代の沖縄女性たちの大きな運動の一つとして「公立保育所設置要求運動」が起きた。
1960年代の沖縄では、米兵を相手とするバーやキャバレーで働く女性たちやその子どもたち(当時「混血児」と呼ばれていた)をめぐって、人種、ジェンダー、セクシュアリティ、階級など様々な要素が交差する問題が社会的課題となっていた。
とりわけ問題が集中していた沖縄中部では、戦後の沖縄福祉を語る上で最重要人物の一人である島マスが事務局長を務める中部地区社会福祉協議会を中心に、セックスワーカーとして働く女性たちとその子どもたちをめぐる課題に対処していった。
1962年から1966年までに協議会で検討された議題は、「混血児とその母の生活実態調査について」「幼児の保育問題について」「思春期の女子混血児について」「困窮混血児世帯の病気治療について」など幅広いテーマにわたっており、人種、ジェンダー、セクシュアリティ、職業へのスティグマ、福祉へのアクセス、育児、リプロダクティブ・ヘルスなど、様々な論点が交差するインターセクショナルな探求と実践がなされていたことがわかる。
また沖縄女性の運動は沖縄社会における男性優位の社会慣習にも抵抗した。1980年にはいわゆる「トートーメー(位牌)の男性継承問題」に対しての運動が起き、その年の国際女性デーにはシンポジウム「トートーメーは女でも継げる」が開催され社会的関心を集めた。
1995年に北京で開催された「第四回世界女性会議」には沖縄から71名の女性が参加していたが、那覇市議会議員などをつとめフェミニストとして活動を続けてきた高里鈴代らは会議からの帰国の直後、当時発生した米兵による少女への性暴力事件についての知らせを受けた。
NGOや沖縄県婦人団体連絡協議会なども動き、大きな抗議運動へと発展し、「米軍人による少女暴行事件を糾弾し日米地位協定の見直しを要求する沖縄県民総決起集会」には8万5千の人々が参加した。高里はある集会に参加しようとした際、ある男性から「これは安保の問題だ。女性の問題に矮小化するな」と言われたという。
その男性が持っていたプラカードには「外務大臣よ、沖縄の声を聴け」と書いてあり、「沖縄県民の中には、外務大臣の対応にがっかりしたと言いつつ、声を上げて訴える女性たちには『矮小化するな』と避難する人がいた」と当時を振り返った。
その男性に声をかけられた時、高里は男性を振り返って指差し「これは安保の問題であり、人権問題であり、暴力の問題です。それを認識しないのか」と反論した。日本社会、沖縄の家父長制、米軍という権力関係が複雑に交差する抑圧に抵抗を続けている。
アイヌ女性たちも、民族差別と女性差別を経験してきた。社団法人北海道ウタリ協会の多原良子はアイヌ女性たちが置かれてきた貧困や男性優位な環境的要因を指摘し、アイヌ女性たちの実態調査を2004年から行なっている。
その中には女性たちのDVの問題、パートナーシップにおけるアイヌ差別と女性差別の交差、貧困と家父長制の交差から来る女性たち教育格差などの問題点が提起されてきた。アイヌ女性たちの複合差別に関する実態調査にあたって多原は以下のように語っている。
----------
これまでもウタリ生活実態調査が行われているのですが、アイヌ女性にターゲットを絞った調査は今回が初めてなのです。調査を始めるにあたり調査の範囲は全道を網羅したいということと、こうした運動は一過性で終わらせてはいけない、これを社会運動にしていくためにも、アイヌ女性自身がマイノリティ女性の複合差別の状況がどうなのかということを知って、社会にも知ってもらい、そして差別問題の解決につなげたいと考えた(中略)この調査により、もちろん数字が出てデータ化もできたのですが、途中で一番感じたのは、アイヌ女性の悩みや経験を言葉や文字にすることができて本当に良かったということです。それから、調査に関わった女性はみんなやり遂げたという達成感を感じ、自信もつきました。そして、アイヌ女性差別が民族差別だけでは説明できない複合差別を実感することができました。複合差別を勉強する機会と実態調査を経験して、被害者であり続けたアイヌ女性が差別を見破る力、対処のしかたを学びました。(中略)実際にこうした勉強をすることで、これまで泣くだけだったのが、当たり前のことをきちんと主張できるようになったと何人かの女性が話しました。
----------
障害のある女性たちの運動も続いてきた。例えばDPI女性障害者ネットワークは、障害者差別解消法に障害女性をめぐる複合差別の解消を盛り込むための国会議員への働きかけや、複合差別の実態に関する調査研究などを行なっている。
DPI女性障害者ネットワークの米津知子は、「障害のある女性は、障害者差別と女性差別を合わせて受けていると考えています」と述べ、以下のように説明している。
----------
この(障害者差別と女性差別の)二つの差別が重なって、障害女性の困難をより大きくしますが、女性差別の側面は注目されにくいと感じています。もともと、女性差別は「たいしたことない」と思われがちであるように思います。「他の差別に比べれば軽い」、「解消の取り組みはもっと後からでもいいでしょう」という言葉を、私も何度も聞いてきました。それぞれの属性に対する差別を、どちらが大変かと比較することは意味がないと、私は思います。むしろ、いくつかの差別が複合して強く作用していることに、もっと関心をもって取り組んだほうがいい。障害者と女性も、一緒にその差別の構造に向きあって解消しましょうということを、言いたいです。もっている属性によって人が優劣を付けられる、異なる扱いをされる、結果として生きる上での有利と不利が生じる、こういうことで差別がおこります。たとえば出身地や学歴の違い、障害の有る無しによってなど…。また、性の違いによっても差別は生じます。さまざまな差別と性の違いによる差別が重なると、とくに女性に深刻に作用して、不利益をより多く受ける場合があると思います。そういう場合にも女性差別の側面は、前面に出ている他の属性に対する差別に比べて目立たなくなり、たいしたことではないように見えるようです。目立たなくて問題にされにくいことも、女性差別の特徴かも知れません。でも、受けている人にとっては女性差別も障害者差別も、別々なものではありません。重なって降りかかってくるのです。
----------
さらに、ブラック・フェミニズムやウィメン・オブ・カラーによって蓄積されてきたインターセクショナルな探求や実践から影響を受け、日本においても主流の研究や運動を批判的に問い直す動きが起きてきた。
私の力量不足もあり、その多くをここで網羅的に記述することはできないが、例えば性と生殖にまつわる女性史研究の藤目ゆきは、自らにも批判の目を向け、「欧米白人中産階級のフェミニズムに対する非白人・第三世界の女性たちからの批判は、とりもなおさず日本女性の運動や女性史研究の最も深刻な欠陥をも衝いていることを読みとらねばなるまい」とし、以下のように自らの研究枠組みにインターセクショナルなアイディアを導入している。
----------
階級や民族への視点の欠如は、確かに後から補足し継ぎ足してゆけば埋められるようなたんなる「項目の欠落」ではなく「全体性の欠如」、つまり対象の全体像の把握のために致命的な欠落であろう。近現代日本の性―生殖の統制と社会運動の全体像をとらえるためには、「性」・「階級」・「民族」の統合的把握が不可欠なのである。
----------
また1997年刊行の『現代思想』で萩原弘子はアメリカのフェミニズムの状況を概観し、当時のブラック・フェミニズムやウィメン・オブ・カラーの運動の中で蓄積されてきたインターセクショナルなアイディアを以下のように的確に日本語として解説している。
----------
ヒトはみな、たとえば性的、階級的、人種的といった諸要素にしたがって社会のどこかに位置づけられた存在であって、その位置を離れて「人間一般」となって中空から社会を俯瞰することはできない。だれもが逃れようもなくどこかに位置づけられた、普遍的ならざる偏りある存在である。普遍の僭称に対する批判は、みずからの偏りを自覚していなければできない。そしてヒトは位置づけられたその位置によって、社会で生きていくうえでふるうことのできる決定権に大小があり、財源、政治力、知識などを入手したり使用したりする自由の度合いが異なる。その位置と、位置をつくりだす力の関係とを決める根拠となっている「違い」として、八〇年代からの文化研究のなかで焦点があてられてきたのが性、階級、人種、そして民族、文化、セクシュアリティの違いである。(中略)「性と階級と人種」というように「と」を介して並べられてはいるが、現実にそれらの違いは互いに並列的、加算的な関係にはないからだ。「と」の現実を、みずからの重層的偏りの自覚に立って、複数種類の違いからなる、特権の占有とそれからの排除の重層構造として明らかにすることが必要だろう。
----------
萩原は早い段階から、抑圧構造における交差性のみならず、社会構造における特権的立場への自覚とその重層構造への視点を重視していた。さらに、日本のフェミニズムの状況に対しても以下のように述べている。
----------
最近は日本でも、女たちのあいだにある階級的、人種・民族的な違い、またセクシュアリティの違いが、フェミニズムのとりくむべき重要な問題として議論されるようになってきたものの、「違い」の現実が支配であることを、支配する側から切開するような議論はまだできていない。いや、事態は、欧米では進んでいるけれども日本ではまだ、ということでは決してない。
----------
京都産業大学助教の藤高和輝は「『第三波以降のフェミニズム』を語るとき、その思想的特徴のひとつとして挙げられるのが『インターセクショナリティ(交差点性)』」であるが、「インターセクショナリティという視点や発想は『第二波フェミニズム』の頃にすでに胚胎されていたのである」と説明している。日本においても同様の状況が看取でき、インターセクショナル・フェミニズムがすでに現れていたことがうかがえる。
藤高はブラック・フェミニズムやポストコロニアル理論やクィア理論、そしてトランス・フェミニズムをたどりながらインターセクショナリティを系譜学的に整理し、以下のように解説している。
----------
インターセクショナリティという用語は決して、単なる表面的な「ポリティカル・コレクトネス」のための言葉ではないし、評論家然として世界を俯瞰的に理解するための分析ツールでもない。インターセクショナリティは、差別の複層性・交差性を考えるために、その「交差点」を生きてきた様々な当事者から生まれた概念である。性差別にしろ、人種差別にしろ、あるいは「第三世界」出身の人たちやセクシュアル・マイノリティに対する差別にしろ、それらの差別を別々に切り離して理解していては、それらの「交差点」を生きる者たちの実存は抹消されてしまう。インターセクショナリティはこのような「抹消」に抗する闘いから生まれたのだ。
----------
日本においてもこのような”「抹消」に抗する闘い”の中でインターセクショナルな感性は培われてきた。この同時代的な感性はブラック・フェミニズムやウィメン・オブ・カラーとの関わり合いの中から、あるいはフェミニズムやマイノリティ女性運動などの独自の経験の中から、沸き起こってきたのだ。
「複合差別」とインターセクショナリティ:国連とマイノリティ女性運動
日本においてインターセクショナルな実践と探求の様相を探るために欠かせないのは、国連など国際的に人権が議論される場において日本のマイノリティ女性たちが培ってきた連帯運動と「複合差別」というキーワードである。
ここには大まかにみて、1985年の女子差別撤廃条約批准と「国際女性の10年」ナイロビ会議、1995年に北京で開催された第4回世界女性会議、2001年のダーバンで開催された国連反レイシズム世界会議といった一連の歴史的文脈の中で、マイノリティ女性たちが「複合差別」という概念を日本に導入し、インターセクショナルな批判的実践と批判的探求を進めてきた重要な時期がある。これらの経緯についても熊本が詳細に解説しているが、ここではその軌跡の一部を素描する。
1985年、日本が女性差別撤廃条約を批准し、「国際女性の10年」ナイロビ会議が開催された。ここに影響を受けて日本社会でも女性に対する差別を撤廃するための大きな社会運動が形成されていった。その中でマイノリティ女性たちは自らが活動する反差別運動における性差別の現状にも注目を向けるようになっていった。
1988年には、部落解放同盟が国内外の被差別当事者とともに国際人権NGOである反差別国際運動(International Movement Against All Forms of Discrimination and Racism、IMADR)を結成したが、マイノリティ女性たちの連帯の上でIMADRは非常に重要な歴史的役割を果たしてきた。同団体は国連との折衝を図るための国連事務所を1990年にジュネーブに設置し、1993年には国連経済社会理事会との協議資格を取得した。
日本におけるインターセクショナルな実践と複合差別に基づく社会運動について詳しい熊本も、1996年から事務局員としてIMADRに参加し、自らも批判的実践と探求の最前線に立ってきた。私がこう表現するのも烏滸がましいが、まさにアンジェラ・デイヴィスが表現したように「インターセクショナリティの先駆者」の一人であると言えるだろう。
1994年、IMADRは第一回東アジアフォーラムで「日本のマイノリティ女性の主張」を宣言した。そこで、「アイヌ民族や在日韓国・朝鮮人、外国人労働者、被差別部落、障害をもつ者、沖縄出身者、さらにレズビアンなどに対する根強い差別」を告発し、マジョリティ女性との連帯を訴えた。
その後、1995年に北京で開催された第四回世界女性会議の行動綱領でも、以下のように交差性のアイディアを示す女性の多様性が国際的に宣言された。
----------
女性が人種,年齢,言語,民族,文化,宗教又は障害といった要因のために,先住民女性であるがために,又はその他の事情のために,完全な平等及び地位向上を阻む障害に直面していることを認識する。多くの女性が,特にひとり親などのような家庭状況,また,農村地域,孤立した地域もしくは貧困地域における生活状態を含む自らの社会経済的地位に関連した特別の障害に遭遇している。難民女性,国内避難民女性を含むその他の避難民女性,並びに移民女性及び移住労働者を含む移住女性に対しては,更なる障害が加わる。多くの女性はまた,環境災害,重病及び感染性疾患,並びに女性に対するさまざまな形の暴力によって特別に影響を被っている。(内閣府男女共同参画局ホームページを参照)
----------
このような北京会議や東アジアフォーラムでの議論をふまえて、熊本は1999 年に「マイノリティ女性に対する複合差別ネットワーク」を立ち上げる。
さらにIMADRではアイヌ女性、部落女性、在日コリアン女性らによって「複合差別研究会」が立ち上げられ、批判的実践と批判的探求を往還させていった。
熊本はウィメン・オブ・カラーの連帯と共闘から多くのアイディアを得ており、日本におけるマイノリティ女性たちの連帯について以下のように記している。
----------
複合差別という視点を持って、縦割りの個別反差別運動の弊害を乗り越えて、横断的な反差別運動の理論を構築し、実践していくことが求められている。被差別者がマイノリティ内のジェンダー・バイアスを乗り越えて、「男」と「女」の「対立」ではなく「協働」をいかに構築していくか。また、「マイノリティ」と「マジョリティ」の女性が、いかに真の「シスターフッド」を模索していくか。これが私たちに今、問われていることだ。
----------
2001年、ダーバンで国連が主催した国連反レイシズム世界会議は、書籍『インターセクショナリティ』でも記されている通り、クレンショーが関わることでインターセクショナリティという概念が取り上げられ、最終的な宣言には盛り込まれなかったものの、その言葉を国際的に広める契機となった。IMADRはこの会議のNGOフォーラムで複合差別のワークショップを開催した。
国際的に人権が議論されるこのような場との関わり合いのプロセスの中で、当時IMADRの事務局員であった熊本は、「国連が使用するmultiple discriminationを『複合差別』と訳した言葉の普及に努めた」といい、さらに「2000年に開催された専門家会議でクレンショウが『交差性』概念を提示すると、それまで用いていた『複合差別』と同義の概念として日本の文脈に引っ張り込んだ」と説明している。
この結果、IMADRの活動を通じて、マイノリティ女性たちのフェミニズム運動の中に
「複合差別」という言葉とインターセクショナルなアイディアが浸透するようになっていった。
この言葉を使って自分たちが置かれた立場や社会構造の権力関係を可視化していったのだ。そして、この言葉によってマイノリティ女性たちの間での連帯関係も生まれていったという。
----------
マイノリティ女性が緩やかなネットワークを生み、実態調査、NGOレポート作成、政府交渉、シンポジウム等の取り組みを共同で実施する契機となったのが「複合差別」概念との出会いであった。(中略)女性差別撤廃条約を活用した活動と北京会議への参加により、部落女性は「エンパワメント」概念と「複合差別」概念を獲得し、マイノリティ女性のネットワーク構築を始めた。国際人権言説と国際的な女性運動から受けた影響の成果である。
----------
2002年12月、翌年に開催予定の第29会期女性差別撤廃委員会における日本政府のレポートを見据えて、「国際女性の地位協会」の呼びかけによって日本女性差別撤廃条約NGOネットワークが結成された。
ここではマイノリティ女性だけではなく、婚外子差別や雇用における間接差別の問題なども取り上げられ、日本政府への勧告にこれらの内容を含む成果を果たした。国際的な人権の場を通じて、様々な立場の女性たちの連帯関係が構築されていった。
この一連の運動を通じて、反差別運動内の性差別や日本社会の差別構造への抵抗、日本のフェミニズムへの問題提起、そしてマイノリティ女性たちが自らに対しても批判の目を向けていった。それはウィメン・オブ・カラーの闘争の姿とも重なっていたのだ。熊本は以下のように述べている。
----------
在日コリアンの女性たち、アイヌ民族の女性たち、沖縄の女性たち、部落女性たちについて、内部の性差別を批判する。それだけでは不十分であり、その状況へと追いやっていく日本社会の差別構造に問題があること、そして、日本のフェミニストにマイノリティ女性たちの問題を十分に扱ってこなかったことを批判した。コミュニティ内の性差別、日本社会の抑圧と権力構造、フェミニズム、そしてそういった抑圧構造を内面化してその維持に加担したという意味で、自分たち自身に批判の目を向けてきたのだ。
----------
また、熊本はこれらのプロセスにおいて、自らが「複合差別」という用語を流通させたことの問題点についても鋭い批判を向けている。
熊本は、上野千鶴子が1996年に造語した「複合差別」論から着想を得て、国連の場で議論される「複数の差別multiple discrimination」を「複合差別」と訳し普及させた。
しかし熊本はこの語について、差別の複数性に焦点が集まり、「交差性」や「複合性」が見えづらくなるという点、そして上野の複合差別論自体に問題があるという点を批判的に検証している。
熊本は交差性を論じる上で欠かすことができないブラック・フェミニズムやウィメン・オブ・カラーの運動の蓄積の重要性、そして単なる複数性ではなく国連の場で議論される交差性(intersectionality)と複合性(compound-ness)の語句とその含意の重要性を以下のように強調している。
----------
聞き取りで語った部落女性は、自分が十全に生きたいと望んでいる。しかしそれを阻む要因が複数あり、それらが交差している。阻まれているのは一人の人間である。一人の人間がする被抑圧経験を、部落差別、性差別とカテゴライズすれば、あるいは差別を分割して加算すれば、十全にいきたいとの望みを阻んでいる複雑な構造は見えてこない。結果、部落女性の解放の方向性を見出すことはできない。「複数の差別」を加算的に分析する理論と実践は、主体性形成の追求としては限界がある。しかし、ブラック・フェミニズムと国際人権言説が採用する複数の差別の「交差的」分析と、交差するところに現出する「複合差別」概念を理論と実践に使っていくことには可能性がある。なぜならブラック・フェミニズムと国際人権言説の重要な論点は、差別の複数性(multiplicity)にあるのではなく、交差性(intersectionality)と複合性(compound-ness)にあるからだ。それは、一人の人間に相互に絡み合って立ち現れる抑圧のアマルガム*の解明と、十全に生きたいと望む一人の人間の解放を求める主体性形成の追求を可能にする。
(*広義ではさまざまな要素の混合物を指す。狭義では水銀と他の金属との合金の総称の意)
----------
このように十全に生きたいという思いは社会正義を希求するインターセクショナリティの探求と実践へと結びついている。
その後、マイノリティ女性たちは女性差別撤廃員会からの勧告に答える国内調査を日本政府が執り行っていない問題点を指摘し、日本政府と交渉するデータの基礎になる実態調査を2004年に実施した。
当初は、アイヌ女性、部落女性、在日コリアン女性とIMADRが連携して各々の実態調査に取り組んだ。これらの成果は女子差別撤廃委員会による日本審査へのレポートとして提出され、日本政府に出された最終コメントへ女性たちの経験を反映した。
この実態調査を行った女性たちによって2007年「マイノリティ女性フォーラム」が結成され、日本各地でフォーラムを開催していった。2012年には沖縄女性が、2014年ごろからは障害のある女性たちの団体がフォーラムに参加している。
このようにマイノリティ女性によって培われてきた批判的探求と批判的実践は、国連や日本政府に影響を与えるだけにとどまらなかった。その後、日本社会に広がったインターセクショナルなアイディアは様々な社会運動にも波及していった。
2018年に衣笠総合研究機構客員研究員であった河口尚子によると、障害のある女性についても、これまでのマイノリティ女性たちのインターナショナルな探求と実践などから影響を受け実態調査が進められているという。
その一つとして例えば、2016年からは愛知大学教授の土屋葉が代表を務め、インターセクショナリティの概念を用いて障害女性をめぐるディサビリティとジェンダーの関係を分析する研究プロジェクトが展開されている。
河口によると、これらの調査の中で浮き彫りになっている一つの問題は障害のある女性たちをめぐるリプロダクティブ・ヘルス・ライツであり、婦人科受診・検診の困難(アクセシビリティや介助)や、出産を受け入れる病院の確保、出産に対する否定的な反応、障害のある女性が母親になり子育てすることへの否定的な反応などの問題が指摘されている。
また、認定NPO法人Rebitは2021年5月に「精神・発達障害がある性的マイノリティの求職活動に関する調査」を実施した。
調査結果からは、各企業において性のあり方や障害への理解の有無や安全に就労できる環境に対する不安や、ロールモデルの不在、性のあり方と障害の両方を相談できる場の不足、双方向からの差別やハラスメントへの不安、就職活動で重なる合否への影響などの困難が浮き彫りになった。
ここから、「LGBTQであること、精神・発達障害があることの個別の困難に加え、インターセクショナリティ(交差性)により求職活動における不安・困難が多層化している様子が窺える」とまとめている。
ここまで見てきた通り、インターセクショナリティとは今現在の日本社会に、外から突如降ってきたものでは決してない、ということだ。様々な立場の人々が社会正義にむけて共闘や連帯や批判を積み重ねてきたその歴史の中で、現在、インターセクショナリティという語句そのものが定着していくという大きな転換点に差し掛かっていると言えるだろう。
インターセクショナリティをめぐる軌跡は単線的でも予定調和的なものでもなく、ここで取り上げきれなかった様々な実践と関係性の中で培われてきた。そこには屈折や葛藤や批判や内省を伴いながら相互に連関するトランスナショナルまたはローカル、あるいは集団間・個人間における複雑な関係性の中での概念の相乗的な形成のプロセスが浮かび上がる。
2008年2月に日本を訪れたキンバリー・クレンショーは、「複合差別の実態と理論―アフリカ系アメリカン女性の事例から」というタイトルでセミナーを行った。
このレクチャーに続いて、会場ではアイヌ女性、部落女性、在日コリアン女性、移住女性、セクシュアル・マイノリティの人々などやその支援者や研究者などによる交流会が開かれた。
クレンショーは日本のマイノリティ女性たちの状況や運動に強い興味を示し、「女性差別撤廃委員会にマイノリティ女性の視点を反映したカウンターレポートを出したことは、米国を含めて多くの国の女性運動が見習うべき先進的な活動である」と述べたという。
インターセクショナリティと「連帯」
インターセクショナリティについて、「これから日本に導入していくべきとされる新しい英語圏の独自の価値観だ」という見立て自体が誤りであることがわかるだろう。
むしろこれまでの数々の実践と探求の中でインターセクショナリティのアイディアがいかに存在してきたのかという点を問い続けていくことこそ、日本社会におけるインターセクショナリティの意味において重要であると言える。
その土台の上で、これからの社会正義に向けて連帯と協力関係をいかに築いていくか、そこにこそインターセクショナリティの真価が発揮されるのではないだろうか。
書籍『インターセクショナリティ』においても、欧米圏での研究や概念の蓄積だけではなく、インドやブラジルやバングラデシュなど世界のさまざま地域におけるインターセクショナリティの実践や事例を取り上げている。
また例えば、「男性だが〇〇という弱い属性も持つ」という立場もあるだろうが、そういった言説が社会正義に向けた連帯を志向するものではなく、フェミニズムを攻撃したり無効化しつつセクシズムを擁護するような目的で使用される場合もある。
しかし、そういった言説の使用は、ここで取り上げてきたように社会正義を希求しながらこれまで培われてきたインターセクショナルな探求と実践の蓄積とは全く相反するものである。
攻撃や優先順位の戦いではなく、交差する社会的要素の中で人々がいかなる立場に置かれているのか。そしてどのような連帯関係を構築するのか。さまざまな社会的立場の交差性の中で、社会問題の改善に向けてどのような人々の実践があったのだろうか。これらを知る上で本書はとても役立つだろう。
さらに、インターセクショナリティの精神には、社会構造における権力関係に対する批判のみならず、運動そのものへの批判も内包されている。すなわち社会運動を改善するという潜在的な意義を持っている。そして、複雑な社会問題の現実を把握し抵抗する、その実践と探求の相乗効果の中でインターセクショナリティという概念は培われてきた。
「連帯」といった時に、これまで何がそこから抜け落ちてきたか、誰がその中で抑圧されてきたかについて、私自身自問し続ける必要がある。その点に光を当てるインターセクショナリティによって、連帯の意味を私は考え続けなければならない。
レイシズムやセクシズムや経済的抑圧はそれぞれが別々に作動するのではなく関係性のなかで共構築されている。しかしその一方で差別や抑圧の「交差」や「重なり合い」を分析しようとすると、それぞれの権力関係を分けた軸として設定しなければならない矛盾も生じ、一人の人間の存在もその分析軸によって解体されてしまう。
熊本はその「矛盾」を抜け出す方策として、「生きている人の語りに耳を傾け差別との格闘を聞く、その取り組みの継続が必要」と指摘している。複数の抑圧や差別を比べるように陳列したり、一人の人間を個別の抑圧ごとに分解して理解するのではなく、一人の人間の存在とその生に降りかかる抑圧の交差を捉えるというインターセクショナリティの根本的なアイディアを強く主張している。
生きている人の「声」はまた、さまざまな形で語られる。栗田隆子は『ぼそぼそ声のフェミニズム』においてこれまで十分に語られてはこなかった人々の生き様を伝えようとする。栗田は、反貧困運動とフェミニズムの双方の中で、これまで「なかったこと」にされがちだった貧困の女性の声を、自らが歩んできたこれまでの経験から語っていく。その上でさらに以下のように語る。
----------
でも見ようと思えば見えてくる。私と同じ、いやもっと厳しい立場で働く女性たちが。パン屋で時給八〇〇円のアルバイトをしながら親元で暮らす女性、単発の請負の仕事をしながら一人で暮らす女性、一年ごとに契約を切られる公務員の立場で、地方から出て一人働く女性、グローバリゼーションを推進する企業の工場のラインに立って働く外国人の女性、ずっと企業の正社員で働いてきたけれども激務の末に体を壊し、非常勤の仕事に就く女性……。
----------
「抹消」に抗おうとする一人一人の実践の中から生まれた概念がインターセクショナリティである。そうであるならば、「見ようと思えば見えてくる」、この精神の中にもインターセクショナリティの感性は内在しているだろう。
社会の中で生きる人間一人一人を指し示そうとする場合、無自覚に「日本人」「国民」といった概念が用いられる時にも常に注意が必要だ。その対象とする存在が、人種、ジェンダー、セクシュアリティ、年齢、階級、障害、民族、先住民性、国籍や在留資格の状況などの要素からみて、具体的に何を指し示しているのだろうか。すなわちこれらの概念が用いられるときに、何がそこから除外されているのか常に問うことが必要であるということだ。
インターセクショナリティの枠組みは、この日本社会に生きる市民一人一人の存在を可視化し、その複雑性を把握し理解していくための概念だ。東京大学教授の清水晶子はインターセクショナリティの観点を以下のように明確に解説している。
----------
インターセクショナリティとは、複数の差別が折り重なる、限られた特別な領域への着目を促す観点ではない、ということができるだろう。ここで提唱されているのは、黒人の経験のなかでもとりわけ黒人の女性の経験に、黒人の女性の経験のなかでもとりわけ黒人のレズビアン女性の経験に、黒人のレズビアン女性の経験のなかでもとりわけ黒人のレズビアン障害女性の経験に、という具合に、いわばより周縁化された、より少数派の集団へと焦点を絞り込み続ける作業ではない。そうではなく、黒人の経験というときに視野から外されがちだった黒人女性の経験を、黒人の男性の経験とは異なる、しかしあくまで黒人の経験として扱うことを要請するのが、インターセクショナルな観点である。その意味では、インターセクショナルな分析とは、焦点を絞り込む作業というよりは、これまで注意深く視野から外されてきた部分までを視野に収めるように焦点を絞り直して視野を広げていく作業だ、ともいえるかもしれない。
----------
焦点を絞るのではなく、広げることで、社会的不平等に抵抗し社会正義を求めて連帯するための概念なのである。清水はこのように、共通するカテゴリーであって、同時に、同じではないことに連帯の可能性を見出す。
清水や藤高は、近年日本で展開されるトランスジェンダーの人々への集中的な攻撃と差別を批判し、シスジェンダーのレズビアンでありウィメン・オブ・カラーであるサラ・アーメッドがトランスジェンダー女性との連帯について語った「ハンマーの類縁性」という概念を取り上げている。
アーメッドは私たちの存在を少しずつ削っていくような制度的差別の暴力を「ハンマー」と呼んでおり、シス女性とトランス女性の経験するハンマーが同じではないことを確認し、その上で双方が経験するハンマーの類似性を見出そうと努力する試みこそがインターセクショナリティであると説明している。清水が語る連帯の可能性について以下のように提示している。
----------
連帯は、私たちがお互いの同じではない経験、同じではない壁、同じではない抵抗を互いに認めるところから、複数の「ハンマー」の同一性ではなく類縁性を見いだし獲得するところから、始まる。
----------
インターセクショナリティとわたし
写真:現代ビジネス
インターセクショナルな研究と活動を長年続け先日逝去されたベル・フックスの表現を借りれば、「フェミニズムを支持している」私にとって、フェミニズムもインターセクショナリティという概念も生き延びるために不可欠な概念であった。
フェミニズムを支持する私がすべきことはまずなによりも女性たちの声に耳を傾けることであり、自分自身を語る必要はないと考える。しかしながら、なぜ「わたし」がこの概念と関わるのかについて全く触れないことは不誠実であるとも考え、最後にこの概念と出会った経緯について簡単に共有し、締めくくりとしたい。
「インターセクショナリティ」という概念は、一橋大学大学院に所属していた際、ゼミの指導教員である伊藤るり先生から教えていただいた。伊藤るり先生は移住女性についてジェンダー、階級、民族、国籍などの要素の相互関係から差別構造を分析し、早い段階からインターセクショナルな研究分野を切り開いてきた。
また、先ほど紹介した鄭暎惠先生のティーチング・アシスタントを務めながら、インターセクショナルな研究と実践を間近で学んできた。その後、男女平等参画センターで職員として働き、ジェンダーやフェミニズムをめぐる現場のさまざまな実践から多くを学んだ。
私自身は「ハーフ」や「ミックス」などと呼ばれる人々をめぐる歴史と個々人の経験を専門に調査・研究を進めてきたが、人種のみの単一軸では一人ひとりの多様な経験をとらえることはできなかった。そのため、インターセクショナリティの考えを研究に取り入れ、人種、ジェンダー、セクシュアリティ、文化、階級などさまざまな要素の交差から「ハーフ」をめぐる社会構造の分析を試みてきた。
また、この概念と出会った当時の私は、男性であり、大学院生であり、首都圏に暮らし、健常者であり、日本国籍をもち、日本社会の中で差別と抑圧の構造を維持させている特権的な立場にあった。
そして同時に、クォーターでアメラジアンであるという人種的マイノリティで、沖縄とのつながりがあり、低所得者世帯の経済状況のなかアルバイトを複数掛け持ちしながら学費や生活費を捻出し、異性愛中心主義とジェンダー二元論の社会の中でクィアなジェンダーアイデンティティと立居振る舞いからホモフォビアを幾度と経験していた。
これらの経験や自分自身の社会的立場性を一つの要素だけ切り取ってそれぞれ分離したものとして考えることは決してできず、ジェンダーや人種や階級などの複数の要素の相互関係を分析し説明するインターセクショナリティという概念によって少しずつ受け止め理解していくことができた。家父長制、セクシズム、植民地主義、経済格差、異性愛中心規範、単一人種観念などを解体していくインターセクショナルな実践が自分自身のライフワークとなった。
差別と抑圧の構造と向き合う時、社会正義にむけた連帯について考える時、私が自らの内側にあるレイシズムやセクシズムなどと向き合い、常にインターセクショナリティの観点から自問自答し続けていきたい。
日本社会とインターセクショナリティを考える上で、世界各地のさまざまな社会運動を概観し、蓄積されてきた研究の歴史について考察し(歴史を整理するという行為自体も問い直し)、度重なるさまざまな社会問題(経済格差、不平等、環境問題、性と生殖に関わるイシュー、人種差別や性差別など)をインターセクショナルな分析枠組みで読み解く書籍『インターセクショナリティ』をぜひ手に取っていただければと思う。
----------
【参考文献】
熱田敬子、河庚希、梁・永山聡子, 2020 「インターセクショナリティに開かれた場のために――ゆる・ふぇみカフェとふぇみ・ゼミの実践から」『現代思想 総特集 フェミニズムの現在』(2020年3月臨時増刊号)
アンジェラ・デイヴィス著, フランク・バラット編, 浅沼優子訳, 2021,『アンジェラ・デイヴィスの教え――自由とはたゆみなき闘い』河出書房出版.
伊藤るり, 1995, 「ジェンダー・階級・民族の相互関係―移住女性の状況を一つの手がかりとして―」『ジェンダーの社会学』岩波書店.
上野千鶴子, 1996, 「複合差別論」井上俊・上野千鶴子・大澤真幸・見田宗介・吉見俊哉編『差別と共生の社会学』岩波書店.
沖縄市・浦添市・宜野湾市・具志川市・石川市及び中頭郡老人福祉センター運営協議会, 1988,『中部地区社会福祉の軌跡 第2巻・活動』.
河口尚子, 2018, 「障害女性研究プロジェクト 障害のある女性と差別の交差性」『人間科学のフロント』立命館大学人間科学研究所ホームページ(https://www.ritsumeihuman.com/essay/essay-1607/)
河口尚子, 2019, 「障害女性の生きづらさに向かい合う:講演録」『立命館生存学研究』(Vol.2),113-119.
金富子、2005年『植民地朝鮮期の教育とジェンダー――就学・不就学をめぐる権力関係』世織書房
熊本理抄, 2003, 「『マイノリティ女性に対する複合差別』をめぐる論点整理」『人権問題研究資料』(17), 39-73.
熊本理抄, 2020, 『被差別部落女性の主体形成に関する研究』解放出版社.
栗田隆子, 2019, 『ぼそぼそ声のフェミニズム』作品社.
清水晶子, 2021, 「『同じ女性』ではないことの希望――フェミニズムとインターセクショナリティ」岩渕功一編『多様性との対話――ダイバーシティ推進が見えなくするもの』青弓社.
高里鈴代, 2018, 「国境を越えた女性たちの連帯」『グローバル・コンサーン(第1号)』上智大学グローバル・コンサーン研究所, 65-72.
多原良子, 2007, 「マイノリティ女性の複合差別~アイヌ女性の実態調査を実施して~」『平成18年度普及啓発セミナー報告集』公益財団法人アイヌ民族文化財団(https://www.ff-ainu.or.jp/about/files/sem1809.pdf)
鄭暎惠, 2003, 『<民が代>斉唱 アイデンティティ・国民国家・ジェンダー』岩波書店.
土屋葉, 2016-2020, 『障害女性をめぐる差別構造への「交差性」概念を用いたアプローチ』基盤研究(C).
内閣男女共同参画局, 『第4回世界女性会議 行動綱領(総理府仮訳)』(https://www.gender.go.jp/international/int_norm/int_4th_kodo/index.html)
認定NPO法人Rebit, 2021 「精神・発達障害があるLGBTQの92%が求職活動で困難を経験。また、76%が行政・福祉サービス利用における困難を経験。企業や支援職への理解促進や支援体制構築を求める声も。」FNNプライムオンライン(https://www.fnn.jp/articles/-/199418)
萩原弘子, 1997, 「『違い』の論じ方――『ジェンダーと階級と人種』という問題」『現代思想 特集「女」とは誰か』(1997年12月号)青土社, 50-58.
元百合子, 「セミナー報告:複合差別の実態と理論――アフリカ系アメリカ人女性の事例から」『IMADR-JC通信』(No.154), 14-15.
藤目ゆき, 1997, 『性の歴史学――公娼制度・堕胎罪体制から売春防止法・優生保護法体制へ』不二出版
反差別国際運動日本委員会, 2001, 『マイノリティ女性が世界を変える! ――マイノリティ女性に対する複合差別』解放出版社.
藤高和輝, 2020「インターセクショナル・フェミニズムから/へ」『現代思想 総特集 フェミニズムの現在』(2020年3月臨時増刊号)
(https://mainichi.jp/articles/20200524/k00/00m/040/101000c.amp)
宮越里子, 2021, 『プンクトゥム:乱反射のフェミニズム』BONUS TRACK NEWS(https://note.com/bonustrack_skz/n/ne5705eb8c386)
梁容子, 1985, 「働くなかまのブックレット」共同編集委員会編『指紋押なる拒否! ――差別・分断・管理の外登法体制』新地平社.
山城紀子, 2017, 「性暴力と向き合う女たち――沖縄から考える――」『沖縄にみる性暴力と軍事主義』御茶の水書房.
米津知子, 2021, 「女性差別 わたしの視点2 ダブルマイノリティの立場から~DPI女性障害者ネットワーク・米津知子さんに聞く~」NHK福祉情報サイト・ハートネット(https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/569/)
----------
下地 ローレンス吉孝(社会学者)
https://news.yahoo.co.jp/articles/84be70cc2d224337895bc78ae31596d2aad64322