武将ジャパン2023/09/30

本稿は『ゴールデンカムイ』21巻(→amazon)の史実解説につきネタバレにご注意ください
この巻のクライマックスにおいて、人生が狂わされていた人物が判明します。
鯉登音之進です。
尾形百之助の一言「満洲鉄道」から、彼は記憶を辿り、自分が騙されていたことを悟るのです。
樺太の旅。一人の青年としての曇りなき青春が終わろうとしている。
そして、大日本帝国陸軍人としての生き方にまで、影が差した一言でした。
満洲鉄道とは何なのか?
その意義を考えてみましょう。
中国大陸を支配する民族とは何者なのか?
悩ましい問題です。
ちょっと世界史の時間を思い出してみましょう。
中国の歴史
夏
殷
周
春秋
戦国
秦
漢
魏晋南北朝
隋
唐
五代十国
宋
元
明
清
中華民国
中華人民共和国
上記のうち「漢民族」の王朝と言い切れるものは、実はそこまで多くありません。
ただそれでも、支配後に漢民族の文化を取り入れているため、そこまで反発するまでもない。
溶け合うややこしい状況があり、これが転換するのが明と清です。
漢民族からすれば、頭髪の一部を剃る髪型は男女ともに受け入れられない。
それが明が滅び、清が成立すると「薙髪令(ちはつれい)」によって辮髪(べんぱつ)が強制されたのですから、誇りが粉砕されました。
清に陰りが見えて来ると、その屈辱が漢民族から湧き上がります。
「太平天国の乱」では、こう掲げられました。
滅満興漢
めつまんこうかん
満州族を滅ぼし、漢族を復興させる
満州族の清ではなく、漢民族の国を建てるべきだ!
そんな怒りが燃え上がり、20世紀まで燻り続けて来ました。
1970年代の香港映画では、清が舞台の作品でも、辮髪が頭髪を剃らないおさげでした。
漫画『刃牙』の烈海王を思い出してください。
それは役者のわがままではなく、漢民族の抵抗のシンボルとされました。
https://www.youtube.com/watch?v=mzPyDqTDOeE
※『少林五祖』
そんな時代の変化を感じるのは、サブカルチャーである中国発のドラマやゲームです。
日本語版ローカライズもされた『アイアム皇帝』。
このゲームは、清が舞台で、イケメンの皇帝も辮髪なのです。
https://www.youtube.com/watch?v=2LSrKkgPbyY
※辮髪だらけです
※辮髪イケメンドラマも大人気です
「はぁ〜辮髪の皇帝に寵愛を受けたい!」
若い女性がそんな風に妄想するようになった。
これは画期的です。中国大陸ではそれだけ時代劇がブームとなっていて、かつ清王朝が屈辱の歴史ではなくなってきたということかもしれません。
今では、やたらと強烈なナショナリズムの持ち主でもなければ、そこまで辮髪を嫌うわけではないとのこと。
※清舞台の『還珠格格』がブームとなってかなり経ちます
https://www.youtube.com/watch?v=1DRK9kZjzXI
※中国を代表するアクションスター・呉京(ウー・ジン)は満州族
軽い話で始めましたが、まずは画期的なことだとご理解いただければと思います。
そして、この満洲こそ、日本の歴史にも大きな関わりがあるのです。
かつて「大陸雄飛」という夢があった
日本は、伝統的に単一民族国家である――。
定期的に炎上するこの発言。『ゴールデンカムイ』読者の皆様なら説明するまでもないでしょう。
「アイヌがいる。琉球は?」
これで反論できます。
もう少し、この話を続けましょう。
実は、この単一民族国家をアイデンティティとする発想は、新しい部類に入ります。具体的に言えば、20世紀の太平洋戦争の後です。
それでは戦前は?
杉元たちの生きていた時代は?
むしろ当時は、日本人のルーツは海外にもあるからには、ルーツを同じくするアジア支配は当然だと見なす考え方がありました。
源義経がモンゴルに渡った。
新選組の原田左之助は、大陸で馬賊になった。
そうした伝説の背景には、願望があるのです。荒唐無稽で片付けられるものでもありません。
願望だけでは終わらず、戦前には「大陸雄飛」を目指す日本人がおりました。そんな彼らは「大陸浪人」という呼び方もあったものです。
嘉納治五郎の愛弟子であり「姿三四郎」のモデルである西郷四郎も、その一人でした。
明治に流行していた大衆小説の類も、海を超えて何かをぶん殴るようなワイルドな夢を吹聴しており、国民は夢を刷り込まれる一方でした。
『ゴールデンカムイ』では、岩息とスヴェトラーナにも、大陸で暴れる将来が示唆されております。
彼らなりの「大陸雄飛」です。
https://www.youtube.com/watch?v=6Tk80iXCspM
※韓国映画『グッド・バッド・ウィアード』は、そうした時代背景の作品です
気ままに大陸を冒険するなら、まぁ、好きにすれば? そういうロマンで済みました。
行くにせよ、身体眼瞼でむしゃくしゃしていて、一発逆転したいワイルドな男性の夢ではあったのです。
日本でくすぶっていてもしょうがねえ。北海道開拓もいいけど、いっそ大陸まで行ってみっか! と、なるわけですね。
なにせ、明治維新以降の日本には閉塞感もありまして。
歴史的に見て、男性だけが移住して暴れ回るのであれば、そこまで影響がありません。
しかし……。
国家がバックアップする
↓
居住地を獲得する
↓
経済活動ができるようになる
↓
女性と家庭を持てる
↓
現地生まれの世代が生じる
こうなると、状況が変わってきます。
新天地、領土として認識されるようになり、満洲鉄道もそこに深く関わっています。
鶴見が語る、先祖の眠る土地を祖国にすること。そのためには、そんな段階が必要なのです。
そしてこのことこそが、日本と周辺国の歴史を変えることとなるのでした。
日露戦争で得た「関東州」と「満洲鉄道」
日清戦争に勝利した日本は、念願のアジアにおける植民地支配に乗り出しました。
しかし「三国干渉」を受け不満が鬱積してゆきます。
その後、英米の協力もあって日露戦争に勝利。
遼東半島の支配圏をロシアから譲り受け、念願の中国大陸への足掛かりを得る。
日露戦争の結果、樺太南部、そして鉄道も獲得たのです。
ロシアが建設した東清鉄道南部支線・長春〜旅順間がその路線でした。
これが「満洲鉄道」となります。
この鉄道のある地域は、「関東州」と呼ばれました。
「関東」とは、
【山海関の東側=満洲】
という意味であり、西側は漢民族の領域という認識が明代にはありました。
明末の将・呉三桂(ごさんけい)は、この関を守備していたにもかかわらず、その守備を明け渡し明の崩壊を決定付けた奸悪な人物として、歴史にその名を残しております。
満洲支配の大義名分が欲しい――。
大日本帝国と『ゴールデンカムイ』の鶴見はその問題に直面するのです。
鶴見の目的とは、日露戦争で死んでいった戦友たちが眠る満洲を日本領とすること。
満洲への進出に慎重な態度を取り、満洲鉄道に反対していた尾形百之助の父・花沢幸次郎は、鶴見の謀略で殺害されています。
結果的に言いますと、花沢幸次郎の懸念には妥当性があったと思えます。
・国策会社である「満洲鉄道」の暴走
・満洲に駐屯する関東軍の独走
・高まる国内政治閉塞感
・日露戦争で高まったプライド
・そんな中、国民が熱狂した満洲バブル
日露戦争は政治的には「勝利」とい言えるものの、日清戦争ほどの華々しい成果を上げたとはいえないものでした。
そのことへの国民の鬱屈が溜まっている状態です。
そんな不満のガス抜きとして、満洲は機能することとなり、大陸へ雄飛する夢と願望は、その後押しをしました。
ただでさえ明治以降、日本は拡張を続けておりました。
江戸時代までであれば、二男以下ともなれば武家でも一生独身でもおかしくはありません。
資源や食料も限られた中では、人口増加も限界がありました。
それが「富国強兵」の掛け声のもと、民意も膨張。日本だけではもはや窮屈になってくる。朝鮮半島、台湾だけではおさまりません。
日露戦争後、日本は危うい方向へ舵を切りつつありました。
その溜まりゆく不満にマッチを投げ込むものがあるとすれば、それは満洲でした。
関東軍の独走と満洲事変
阿片戦争以来、欧米列強に圧倒されつつある中国大陸では、明治維新のような刷新が必要だと望まれてきました。
そして1912年(明治45年)、日露戦争の7年後――。
ついに辛亥革命が起こります。
ここで中華民国が成立せず、軍閥が群雄割拠状態になってしまったのは悩ましいところです。
中華民国内での争いが勃発すると、関東軍は干渉しました。
奉直戦争(第一次1922年・第二次1924年)――直隷派と奉天派の争いです。
この内戦において、関東軍は奉天派に加担。その支援を受けて、奉天派の張作霖(ちょうさくりん)は、馮玉祥(ふうぎょくしょう)らに勝利をおさめるのです。
しかし、この張作霖にしたって、いつまでも関東軍の傀儡でいられるわけでもありません。
いいかげん日本の支配下ではいられない。とはいえ、踏ん切りもつかない。悩ましい状態になります。
孫文の死後、後継者の蒋介石が北伐の準備を整える中、1928年(昭和3年)、張作霖は本拠地の満洲へ戻るべく、特別列車に乗ります。
この列車が爆発し、張作霖は命を落とすのです。
黒幕は誰だったのか?
関東軍幕僚・河本大作大佐らとされております。
Wikipediaには様々な説が記載されておりますが、日本語版のみではない記述、参考文献等を考慮し、最も整合性が高い説としてそう記載させていただきます。ご了承ください。
このあとも、満洲と鉄道は歴史に暗い影を落とす事件の舞台として登場します。
1931年(昭和6年)9月18日、関東軍により南満州鉄道が爆破されました(柳条湖事件)。
板垣征四郎、石原莞爾の関東軍参謀による、満洲領有計画の一手であり、この後、関東軍は満洲を武力制圧。
いわゆる「満州事変」です。
満洲に国を建設するには?
そんな関東軍は、謀略のみならず大義名分も必要でした。明治維新が尊王思想を背景にしたように、目指すべきものはあったのです。
そこへ進む前に、時代背景を考えてみましょう。
脱亜入欧――。
そんな思想のもと、明治政府は日清戦争、日露戦争に勝利しました。
皇族、華族はドレスを着て、馬車に乗り鹿鳴館でステップを踏む。けれども、形だけ真似したところで、ヨーロッパは冷たい反応を返してきます。
「所詮は猿真似じゃないか」
当時のヨーロッパは、王室同士が血縁関係でつながっておりました。
存在感が大きいのが、ヴィクトリア女王のイギリス。かの女王の孫たちが、ヨーロッパ各地にいます。
例外的な大国は、王政を革命で打破したフランスくらいです。
https://www.youtube.com/watch?v=kCEUZ4rFiac
※BBC制作ラップバトルで第一次大戦を説明
日本がここに入ろうとしても、人種の壁もあって婚姻関係を結べない。
アメリカやフランスのように、王室はいらないと振り切ろうにも、今更そういうわけにもいかない。明治維新で天皇を国家の中心にした以上、無理があります。
そこで見出されたのが、アジア人の王室との婚礼関係でした。
ハワイのカイラウニ王女との縁談もあったのですから、単一民族どころの話ではありません。
実際に成立したのは、朝鮮王族と、清朝皇族です。
特に清朝皇族は重要でした。
ラストエンペラー溥儀、その苦難と満洲国
1912年、辛亥革命により、愛新覚羅溥儀は帝位を追われました。
測位から3年目のこと。
およそ三世紀にわたり続いた清王朝の終焉でした。
https://www.youtube.com/watch?v=mTTeE1Lhbkg
※『ラストエンペラー』
中華民国の孫文は溥儀に温情を示し、皇帝の称号保持、宮中居住許可、生活費の支給を許しておりました。
それが1924年、馮玉祥が国民軍の実権を握ると、紫禁城から追われてしまいます。
そんな溥儀に目をつけたのが関東軍でした。
1931年、関東軍は溥儀に接触。
「清朝復辟(しんちょうふくへき・清朝復興)」という大義名分をちらつかせます。
そして1932年に満洲国建国――。
中華民国はこの国を認めず、国際連盟に提訴すると、リットン調査団が派遣されて、報告書がまとまりました。
その「リットン報告書」の内容は?
・中国の提訴通り、これは日本の侵略である
・日本は満洲から撤退すべきである
・ただし、南満州鉄道沿線は除外とする
・日本の満洲に対する権益は認める
国際連盟としても、妥協点を認めた上での内容ではありました。
1933年、日本代表・松岡洋右は満洲国は独立した国家であると主張するものの、賛成42に対して反対1、日本のみという圧倒的な差で可決されてしまいます。
これを受け、日本は翌1934年に国際連盟を脱退してしまうのです。
我が代表堂々と退場す――。そんな新聞の見出しを見たことのある方は多いかと思います。
この秋にはドイツも脱退。
常任理事国2カ国が相次いで脱退し、国際連盟の集団安全保障体制は大きく揺らぎます。
日本とドイツはファシズム(全体主義)国家として、イギリス、フランス、アメリカと緊張関係が高まってゆく――重大な転機でした。
◆時代の転機
【幕末から明治維新まで】
フランス:幕府
イギリス:薩長土肥
【日露戦争まで】
対ロシアに対抗するため、イギリスとアメリカと協力する
イギリスとは1902年に日英同盟を締結
【国際連盟】
1934年に脱退
日本が国際連盟から脱退した1934年、溥儀は満洲国皇帝として即位します。
しかし、この皇帝の座も儚いものでした。
日本の国際連盟脱退から4年後、日中戦争に突入。
さらにその4年後の1941年、太平洋戦争が勃発します。
1945年、日本が敗れると、溥儀はソ連に逮捕されてしまうのでした。
溥儀は、シベリア抑留後に極東国際軍事裁判で証人喚問があり、中国共産党が支配するかつての母国に送還されると、9年間の収容生活を送ります。
一市民として北京に戻ったのは、1959年、53歳でのこと。よき人民となった彼は、1967年に61年の人生を終えるのでした。
彼の後半生は平穏なものでした。
しかし、彼の周囲はそうではありません。
非業の死を遂げた皇后婉容(えんよう)はじめ、彼の周囲で非業の運命を迎えた人々が数多く存在しました。
溥儀の妻に日本人はおりませんが、溥儀の弟・溥傑(ふけつ)は、嵯峨浩と結婚しました。彼女の自伝『流転の王妃』は何度も映像化されております。
https://www.youtube.com/watch?v=X5p-kcAqEHQ
※『流転の王妃』
こうした満洲皇族は、どうしても複雑な評価を受けます。
彼らは運命を狂わせられた存在であるとはいえ、中国を裏切った「漢奸(売国奴)」とされてしまうのはやむをえないこと。
川島芳子(本名・愛新覺羅顯㺭・あいしんかくら けんし)は、日本では男装の麗人として様々な作品に登場します。
しかし、戦犯として処刑されている以上、ネタ的な扱いをすることには慎重になったほうがよいかとは思います。
歴史人物を扱うソーシャルゲームにおいて、彼女をモチーフとしたキャラクターファンアートが投稿され、炎上したことがありました。
日本の政治的思惑で人生を翻弄された人物であり、慎重な扱いが求められます。
彼女は処刑前、自分の実際の行動以上に喧伝されたと漏らしていました。
死後においてまで、あることないことを描かれるとすれば、どれだけ不幸なことか。
https://www.youtube.com/watch?v=Jp_KfMyrC38
※香港映画『川島芳子』、1990年、梅艷芳(アニタ・ムイ)主演
王道楽土、五族共和のまぼろし
苦難の道を辿ったのは、何も溥儀や関東軍だけではありません。
内地(日本本土)ではなく、満洲という新天地で新たな生活を始める――。
そこは王道楽土「五族共和」(和=日・韓・満・蒙・漢=支/5つの民族が協力して平等に暮らす)の新天地であると喧伝されていました。
政府は、新天地として満洲を開拓するよう推奨したのです。
かくして、海を渡る日本人は多数いました。かつての大陸浪人のように野心と行動力があふれる人物のみならず、ごく平穏な日本人までこうした夢を見るようになった。
満洲は米も育たないほど寒冷であり、その開拓は厳しいものです。
積雪は少ないながら、真冬ともなれば零下20度から30度までに低下。大地は凍土と化し、吐いた息がその場で氷の粒となるほど厳しい寒さでした。
春を告げる黄砂が吹き荒れるまで、待つしかないのです。
それでも新天地を夢見て、多くの人々が海を超えました。
しかしそれも、日本の敗戦戦までのことでした。
満洲は、地理的にソ連の侵攻の影響が甚大な地域です。
昭和20年8月15日の玉音放送直前、ソ連軍が南下するという驚異的な報告が襲いかかります。
開拓民を守る関東軍はおりません。対ソ連兵力として温存されていた状況は変貌していました。
終戦間近の7月、満洲にいる男子は「根こそぎ動員」と呼ばれる兵力補充が行われていたのです。南方戦線に送り込まれたものの、精度は弱く装備も貧弱でした。
ともかく満洲の開拓民は地力で逃げるほかありません。
大地を歩き、屋根もない避難列車にすし詰めとなる。ソ連軍や解放された中国人の襲撃もありました。
命を奪われるくらいならばと、中国人に我が子を託す人。中国に残る婦人。こうした人々は、中国残留孤児、中国残留婦人として取り残されることとなります。
集団自決を選ぶ人々。
捕縛され、シベリアへと連行されていく人々。
開拓団を逃すため、ソ連兵に人身御供のように捧げられた女性。
◆ あの地獄を忘れられない…満州で「性接待」を命じられた女たちの嘆き(→link)
命からがら引き揚げ船に乗っても、衰弱し、祖国の土を踏まずに亡くなる人もおりました。
◆平和祈念資料館 海外からの引揚げコーナー(→link)
満洲の歴史を伝える
満洲引き揚げの苦難は、近年の作品でも描かれてきています。
https://www.youtube.com/watch?v=4qoXC0wh6LI
※満洲からの引き揚げ(『めんたいぴりり』)
朝の連続テレビ小説
2018年『半分、青い。』:ヒロイン祖父は満洲帰り。
2019年『なつぞら』:ヒロインの養父であり、ヒロイン実父戦友である柴田剛男は満洲帰り。シベリア抑留を逃れたことが幸運であった設定。
2019年『スカーレット』:草間という、満洲で働いていた人物が重要な役割を果たす。
2020年『エール』:主人公が満洲を旅し、代表的な曲を作る。
https://www.youtube.com/watch?v=gRKy0VcWru8
※『エール』主人公モデル・古関裕而が満洲からの帰りに作曲した『露営の歌』
大河ドラマ
2019年『いだてん』:古今亭志ん生は満洲で慰問。敗戦後、自殺しようとしてウオッカを一気飲みする。
五りんの父は、満洲でソ連兵に射殺される。
かつて、日本人にとって満洲とは、祖父母や父母が味わった苦い経験がある土地でした。
残留孤児のニュースには、胸がしめつけられたものでした。
近頃話題の「町中華」には、満洲時代に習った中華料理を出したことが由来である店も多いのです。
宇都宮と浜松が毎年餃子日本一を争っておりますが、ああした料理も満洲帰りの人が懐かしんで作ったものが始まり。
中国では伝統的に餃子を焼いて食べることはありません。
焼き餃子は、日本人が満洲で味わった中国の味なのです。
しかし、そんな記憶を持つ人々が世を去り、薄れていくようではあります。
満洲がどれほど寒かったか。引き揚げの厳しさ。そうした歴史は、苦いものであれ伝えていく必要があるはずです。
『ゴールデンカムイ』において「満洲鉄道」が登場し、しかもその背景に騙すものと騙されるものがいるということに、興味深いものを感じます。
鶴見の真意は何か?
鯉登の運命は?
それだけではなく、かつて満洲に生き、苦労した人々のことも考えることが必要なのではないでしょうか。
文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
『ゴールデンカムイ』21巻(→amazon)
菊池秀明『中国の歴史10 ラストエンペラーと近代中国』(→amazon)
塚瀬進『満洲国 「民族協和」の実像』(→amazon)
平塚柾緒/太平洋戦争研究会『図説 写真で見る満洲全史』(→amazon)
平和祈念展示資料館『満洲からの引き揚げ 遥かなる紅い夕陽』(国立国会図書館)
『満洲帝国 北辺に消えた“王道楽土”の全貌』(→amazon)
吉岡吉典『日清戦争から盧溝橋事件』(→amazon)
小林泰夫/船曳建夫『知のモラル』(→amazon)
澁谷由里『馬賊で見る「満洲」』(→amazon)
頼壽/杉山文彦『中国の歴史を知るための60章』(→amazon)
他
https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2023/09/30/145452