CINEMORE10/27(金) 19:02配信
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』あらすじ

Apple Original Films『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』大ヒット上映中 配給:東和ピクチャーズ 画像提供 Apple(cinemore)
地元の有力者である叔父のウィリアム・ヘイル(ロバート・デニーロ)を頼ってオクラホマへと移り住んだアーネスト・バークハート(レオナルド・デカプリオ)。アーネストはそこで暮らす先住民族・オセージ族の女性、モリー・カイル(リリー・グラッドストーン)と恋に落ち夫婦となるが、2人の周囲で不可解な連続殺人事件が起き始める。町が混乱と暴力に包まれる中、ワシントンD.C.から派遣された捜査官が調査に乗り出すが、この事件の裏には驚愕の真実が隠されていたーー。
デイヴィッド・グランのベストセラーの映画化
マーティン・スコセッシ監督の最新作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』はデイヴィッド・グランが2017年に発表したノンフィクションの映画化である。
グランはすでに映画化もされている「ロストシティZ 探検史上、最大の謎を追え」(NHK出版)の作者でもあるジャーナリスト。『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』の原作は、日本では2018年に「花殺し月の殺人」(早川書房刊)のタイトルで翻訳されている。まるでミステリー小説でも読んでいるかのようなスリルが体験できるノンフィクションで、アメリカ探偵作家クラブ賞を受賞。<ニューヨーク・タイムズ>では40週に渡ってベストセラーのリストに入り、<ウォール・ストリート・ジャーナル>他、多くの有力媒体がその年の年間ベストブックにもあげている。
クオリティの高い本の映画化はむずかしいが、今回の映画化の監督はスコセッシ、主演がレオナルド・ディカプリオとロバート・デ・ニーロ、脚本がエリック・ロス(『DUNE/デューン 砂の惑星』21)、撮影監督ロドリコ・プリエト(『アイリッシュマン』19)、プロダクション・デザインがジャック・フィスク(『レヴェナント:蘇えりし者』15)、音楽ロビー・ロバートソンと、考えられうる限り最高のメンバーが集められている。
原作は主に3つの構成から成立している。<クロニカル1>(1921~1925年)は1920年代にオクラホマ州の保留地で暮らすアメリカ先住民、オセージ族の物語で、保留地の地下で発見された石油のおかげで、彼らは(一部の白人よりも)裕福な生活を送っている。そんな部族のひとり、モリーが主人公で白人男性アーネストと結婚。その後、周囲の先住民や家族が次々に不審な死をとげ、<オセージの恐慌時代>が始まる。
<クロニカル2>(1925~1971)の主人公は捜査官トム・ホワイトで、オセージ族保留地で起きている謎の連続殺人の解明を上司のフーヴァーに命じられる。ホワイトはテキサスのローン・レンジャー出身で、刑の執行人として正義を貫いた家族のもとで育ち、強い正義感を抱きながら不可解な謎に迫ろうとする。
<クロニカル3>(2012~)では、オセージ地区を訪ねた筆者グランの新たな捜査が描かれ、モリーの孫娘、マージ―・バークハートとも会う。かつてホワイトの捜査は一定の結果を出したが、21世紀になっても解明されていない過去の先住民の殺人事件があり、一連の事件の根深さが伝わる。
今回の映画で焦点が当てられるのは、<クロニカル1>と<クロニカル2>の前半のみで、事実に基づきながらも、映画らしい見せ場が作られていく。
原作と映画版の違い~歴史か、キャラクター研究か
今回の映画化の話が持ち込まれた時、映画好きでもある原作者グランは驚いたという。
「脚本家のエリック・ロスが脚本を書き、やがてマーティン・スコセッシが参加することになった。しかも、主演がレオナルド・ディカプリオ。現代最高の監督が参加することに驚いた。一方、1920年代に実際に起きた事件なので、オセージ族の反応が心配だった。歴史上、特に衝撃的で、残忍な事件に思えたからだ。ただ、スコセッシとチームの様子を見ていて、不安は消えていった。オセージ族が44の役で参加し、コスチュームやセットのスタッフ、言語指導などでも協力し、いいチームワークが組まれていた」
グランは<AOL.com>のインタビューでそう振り返る。彼は製作者チームの真摯な態度に感銘を受け、自身も資料の提供者として付き添ったという。
「映画と本はまったく違うメディアだと思う。私の本はあくまでも歴史書で、すべての文章が事実や資料に忠実に組み立てられている。映画はモリーやアーネストの人物像に焦点が当てられ、それが犯罪の中心に置かれている。本はもっと広いキャンバスで描かれるが、映画はキャラクター研究となっている。それぞれのメディアの特長を生かし、その真実に迫ろうとしている」
本ではオセージ族の歴史や風習が詳細に語られ、モリーの少女時代の話も出てくる。一方、ディカプリオが演じる彼女の夫アーネストは登場が少なく、事件にとって重要な人物でありながらも、脇役的な人物でしかない。本では中盤以降、捜査官ホワイトの比重が大きく、途中からはアーネストの叔父ヘイルとホワイトの対決ともいえる展開になっていく。ホワイトの物語と共にFBIの基礎を作った彼の上司、フーヴァーも登場。そして、本ではホワイトのヘイル裁判後の後日談も描かれる。
映画化の話が出た時、最初はヘイルをデ・ニーロが、ホワイトをディカプリオが演じる予定だったという。原作に忠実な映画化と考えると、確かにその方が自然な流れとなっている。本のおもしろさは、ローン・レンジャー出身のホワイトが独自のやり方で真相を暴いていく点にあり、「アメリカ探偵クラブ賞受賞作品」であることもうなずけるミステリー風の展開になっているからだ。
しかし、スコセッシは途中でシナリオの構成を変更することになる。
歴史の読み直しにこだわるスコセッシ
今回の映画にかかわった経緯をスコセッシは英国の映画雑誌“Sight and Sound”(23年10月発表)のインタビューで明かしている。それによると、先住民を扱った企画に携わるのは今回が初めてではなく、『ミーン・ストリート』(73)の後、19世紀の先住民の歴史を描いたディー・ブラウンのノンフィクション「わが魂を聖地に埋めよ」(日本では草思社文庫)の映像化の話が出たこともあったそうだ(その企画は流れ、結局、2007年に別の監督の手でテレビドラマ化されている)。
そして、今回の新作で遂に先住民の話を撮ることになったが、スコセッシはオクラホマでの歴史的な背景に興味を持ったようだ。近年、アメリカの歴史の読み直しにこだわる監督にとって、今回の題材はアメリカの秘められた歴史を語れる、という点において意義ある企画に思えたのだろう。こちらを『アイリッシュマン』より先に撮る計画もあったが、『アイリッシュマン』は出演予定の俳優たちが高齢であるという理由を考慮し、まずは『アイリッシュマン』を先に撮った。
そして、2017年から2020年にかけて脚本家のロスとじっくり脚本を検討し直した。捜査官ホワイトは、特に欠点のない人物として登場する。そして、ホワイトを演じるレオの演技を思い浮かべ、「これは自分には撮れないウエスタン」と監督は思ったという。また、ホワイトの視点ではオセージ族のある部分しか描けないとも感じた。そんな時、レオに「この映画の核心は?」と聞かれ、そこでスコセッシは考え、「アーネストとモリーの関係」と答えたという。
実は今回の映画の製作のため、スコセッシは、このアーネストとモリーの孫にあたるマージ―・バークハートと会ったが、彼女の証言によれば、実在した夫婦は本当に愛し合っていたという。アーネストはモリーを窮地に陥れるが、モリーはそんな時も、アーネストの側にいる。本ではアーネストの記述が少ないが、それゆえ映画的な想像がふくらませやすい。
その結果、原作に沿った犯人捜しの構成はやめることになり、夫婦の愛を軸にした脚本としてリライトすることになった。当初、映画の製作を引き受けていたパラマウントはこの変更に難色を示し、出資を断ってきた。そんな窮地を救ったのが、配信会社のアップルで、この会社が出資し、最終的にはパラマウントも配給を引き受けるという形で協力し、配信前に劇場での大きな興行も実現した(ホワイト役は『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(21)のジェシー・プレモンスが演じた)。
アーネスト像は映画で大きくふくらんだキャラクターとなったが、そんな彼の中に監督は自身の監督作『沈黙―サイレンス』(16)で描いたキチジロー(窪塚洋介)も重ねて見ていたようだ。「彼と同じように、アーネストの人間的な弱さに興味を抱いた。アーネストは弱くて、危険なところもあるが、愛もある。本当に困った人物だが、それこそが人間なのかもしれない。そんな人間像をレオやモリー役のリリー・グラッドストーンと共に追及したいと思った」
また、スコセッシの祖先はイタリア系で、ヨーロッパからアメリカへと移住して生活を始めた。そんな歴史に対して冷静な視点も抱いていて、「ヨーロッパから白人たちが来て、西洋の文明を持ち込むことでアメリカは開かれたが、そんな過去にも向き合うべきだ。侵略者でもある私たちはみんな殺人者(キラーズ)なのかもしれない」と監督は“Sight and Sound”のインタビューで答えている。
オセージに住む白人たちは組織ぐるみで、犯罪に手を染めていくが、そんな設定は、スコセッシがお得意とする“ギャング映画”と共通している点も認めている。「まるでシカゴやニューヨークでの犯罪組織と同じやり口を彼らは使っている。組織化された犯罪においては、人物の邪悪な部分が浮かび上がる」と彼は語る(“Indie Wire”23年10月20日号)。
前述のモリーの孫、マージ―・バークハートから「悪者と犠牲者のふたつにはっきり分けられるほど、現実は単純ではなかった」と言われ、それがスコセッシの頭の中にずうっとあったようだ。
映画の主人公のアーネストは先住民の妻リリーを愛しながらも、彼女が持つ石油利権をめぐる残忍な事件に手を染めていく。一方、リリーはそんな夫に不信感を感じることはあっても、心のどこかで信じようとする。アーネストは強欲な叔父のヘイルに利用されているが、実はリリーも幼い頃からヘイルを知っていて、信頼を寄せていた時期もあった。
主人公3人の愛と信頼、裏切りがからまった関係は、確かに白黒がはっきりつけられない。そんな人間関係は、スコセッシがかつて『グッドフェローズ』(90)や『カジノ』(95)、『アイリッシュマン』(19)などで描いたギャング同士の複雑な関係をも思わせる。また、後半の“内なるモラル”との葛藤や贖罪というテーマは、『ミーン・ストリート』以降、監督がこだわり続けてきたもので、近年では『沈黙―サイレンス』や『アイリッシュマン』の主人公が抱き続けた思いでもある。そこに人間の矛盾や不可解さが浮かび上がる。途中で脚本を変更することで、むしろ本来のスコセッシ映画に近い作品になったのではないだろうか。
また、30年代のラジオ番組「ザ・ラッキー・ストライク・アワー」では事件の顛末がドラマ化されている。原作によれば、フーヴァーの指示で、捜査官のひとりがシナリオまで手掛け、オセージ連続殺人事件の顛末が放送されたようだ。
スコセッシ映画における男性の描写と女性の視点
今回の作品の大きな話題のひとつは、長年スコセッシ映画を支えてきたふたりの男優、ロバート・デ・ニーロとレオナルド・ディカプリオとのスコセッシ映画での初共演が実現したことだろう。デ・ニーロは70年代の『ミーン・ストリート』以後、10回目のコンビ。ディカプリオは『ギャング・オブ・ニューヨーク』(02)以後、6回目のコンビ作となる。かつて『ボーイズ・ライフ』(93)で共演した子役レオをスコセッシに推薦したのがデ・ニーロで、当初は『ギャング・オブ・ニューヨーク』で共演の噂が出たこともあったが、結局、共演は先送りとなり、遂にこの新作で実現した。
しかも、今回は叔父と甥という関係ゆえ、スコセッシ一家のふたりの結束の強さ(?)も感じさせる設定となっている。原作によると、レオが演じるアーネストは、28歳で、「西部劇のエキストラにでもいそうなハンサムな顔立ち」で、「妻に献身的な夫」として書かれている。一方、デ・ニーロ演じるヘイルは「人にものを頼むようなタイプではない。命令するタイプだった」と記述されている。どちらも原作のイメージを裏切らないキャラクター作りがされている。
スコセッシは今回の演技に関して、「ボブもレオも、これまでのベストワークのひとつになっている」と手離しでほめている。一方、製作にも立ち会った原作者グランも、レオの態度に感銘を受けたようだ。「レオからはひんぱんに電話をもらった。彼は本物のアーティストで、必死に役作りに取り組んでいた。その熱意と敬意にすごく感動した」と<AOL.com>のインタビューで語る。
さらにこの映画の大きな発見となっているのが、アーネストの妻、モリーを演じるリリー・グラッドストーンの好演だろう。前述のインタビューでは、原作者も彼女を絶賛している。「リリーほど見事にモリーを演じられる人物はいなかったと思う。彼女には大きな存在感があり、独特のユーモア感覚も持っている。それまで記録でしか知らなかった人物が、生きた人間として目の前に現れ、すごく驚いた」
スコセッシはキャスティング担当の人物からケリー・ライカートの監督作『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』(16)に出演していたグラッドストーンを推薦され、彼女をモリー役に決めた。パンデミック中の製作ということもあり、最初はズームで顔合わせをしたようだが、そこでこの女優の持つ知性や自信、強さにひきつけられたという。この映画で見事な演技を披露した彼女は、ネイティブ・アメリカン系の実力派女優として大きな注目を浴びた。彼女自身は先住民の祖先を持つが、オセージの出身ではなかった。しかし、今回の映画を通じて、この地域の人々と親交を深めたという。
マーティン・スコセッシの映画は男のドラマが多いが、実は脇であっても、女性は重要な役割を果たしてきた。彼女たちは欲望や野心に突き動かされる男たちに冷静な眼差しを向ける存在だったからだ。どこか時代遅れともいえるマチズモは、今や“有害な男らしさ”と表現されることも多いが、スコセッシのギャング映画には、こうした男らしさを抱えた人物が登場することも多い。『アイリッシュマン』でロバート・デ・ニーロが演じたフランク・シーランも、そんな人物のひとりで、裏街道では殺人にも手を染め、家族のために金を稼いでいる。娘は父親のそんな裏の顔に気づいていて、冷たい眼差しを向ける。
今回の映画では、デ・ニーロ演じるヘイルは、先住民のために公的な貢献をしているが、一方、白人優位主義者でもあり、先住民の女性たちを利用しようと考える。そんなヘイルや彼の言いなりであるアーネストと対峙し、古い男らしさの奥にある怖さや弱点を浮かび上がらせるのがモリーという女性だ。舞台となる1920年代において、先住民も、女性も、マイノリティの存在だ。偏見や差別が横行した時代において、モリーは悲劇に遭遇しながらも、それにつぶされない強さを持っている。
スコセッシ映画の近年の女性像の中でも、モリーはひときわ印象的な役柄だが、これまで女性の内なる強さや賢さを、(世界を牛耳ろうとする)男性の野心や弱さと対比して描き続けたスコセッシだからこそ、実現した女性像ではないだろうか。撮影中に「グラッドストーンの演技から目を離すことはできなかった」とスコセッシも語っている。
近年のアメリカでは<ブラック・ライブズ・マター>で人種問題が浮上し、<#Me Too>以後、女性の主張が注目されるようになり、女性映画や女性監督も力を持つようになった。そんな動きの中で、先住民の女性の生き方に光を当てた作品という意味でも、この新作は現代の映画となりえている。
ロビー・ロバートソンの想い出に捧ぐ
今回の映画を見て、多くの音楽ファンは最後のクレジット、<ロビー・ロバートソンとの想い出に捧げる>の文字に思わず胸を打たれるのではないだろうか。本作はスコセッシ映画を長年、音楽面で支えたロビー・ロバートソンの遺作となっているからだ。
スコセッシとロビーの出会いは70年代にさかのぼる。『ミーン・ストリート』の製作者、ジョナサン・タプリンはザ・バンドのツアーマネージャーで、(当時は)無名に近い若い監督のために製作費を出した。その縁でロビーとスコセッシは最初の挨拶を交わしたようだが、本当に親しくなったのは、ライブ映画の傑作『ラスト・ワルツ』(78)でコンビを組んだ時だ。ふたりはこの作品で意気投合し、一時、ロビーはスコセッシの家に住んでいたこともあった。ふたりは音楽や映画のことを語り合い、知識を深めたという。そんなロビーが、作曲者として最初に参加したスコセッシ映画は『レイジング・ブル』(80)。また、『キング・オブ・コメディ』(83)ではヴァン・モリソンなど、ロビーが親しいミュージシャンを起用して、充実のサントラを作った。『ハスラー2』(86)では、ロビーがソリッドなテーマ曲も作り、エリック・クラプトンと共作の挿入歌「イッツ・イン・ザ・ウェイ・ザッツ・ユー・ユーズ・イット」が人気曲となった。
音楽監修者やコンサルタント、作曲者として、ロビーは10本以上のスコセッシ映画に参加してきた。最初の頃は、お得意のロック寄りのサントラが目立つが、21世紀の『ギャング・オブ・ニューヨーク』あたりからは選曲の幅も広がり、世界の音楽の歴史をたどるサウンドが実現。『シャッター・アイランド』(10)では現代音楽などの選曲も行い、映画の内容に合わせて変幻自在のサントラ作りをしてきた。
ちなみに映画好きでもあったロビーが生前最後にリリースしたソロアルバムのタイトルは「シネマティック」で、まさに映画から抜け出したような音の世界が展開していた。そのうちの一曲「アイ・ヒア・ユー・ペイント・ハウジズ」は、『アイリッシュマン』の主人公のギャング、フランク・シーランにインスパイアされた曲で、ロビーとヴァン・モリソンの軽快なデュエットが印象的。また、現代の才能あるギタリスト、デレク・トラックス(テデスキ・トラックス・バンド)も参加した悲哀感あふれるインスト曲「リメンバランス」は、『アイリッシュマン』のエンドクレジッドでも使われていた。
ロビー自身はカナダの先住民の血をひいたミュージシャンで、先住民たちの音楽の歴史を描いたドキュメンタリー『ランブル 音楽界を揺るがしたインディアンたち』(17)にも出演していた(スコセッシも出演)。そんな彼の先住民としてのルーツは、ザ・バンドの物語をロビー自身の視点で語ったドキュメンタリー『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』(19)でも語られている。
先住民の歴史を描いた今回のスコセッシの新作は、ロビーが自身のルーツも重ねることのできる待望の企画だったはずだ。油田が発見される冒頭場面の曲「Osage Oil Boom」など、いかにもロビー的なリズムが炸裂する曲作り。一方、この映画で何度か使われる「Heartbeat Theme/Ni-U-Kon-Ska」は、『アイリッシュマン』のサントラに収録されたロビーのテーマ曲同様、ハーモニカが印象的で、人間の揺れ動くダークな深層心理が伝わり、スコセッシが描きたかった「白」でも「黒」でもない複雑な心模様が表現される。
ロビーは自分の子供の頃に聞いた先住民の音楽をモチーフにして、ブルースを基調にしたサントラを作り上げた。その音楽は<LAタイムズ><イヴニング・スタンダード>など海外のメディアでも絶賛されている。
ロビーは2023年8月に亡くなり、スコセッシは盟友に対して「彼は親友でいつも側にいてくれた。彼は巨人で、芸術に対して深く普遍的な影響力を持っていた」という公式なメッセージをアメリカの<ビルボード>で発表している。劇映画においても、ドキュメンタリーの分野でも、アメリカの音楽映画の流れを大きく変えてきたスコセッシ。その創造的なパートナーとして、40年以上に渡って彼の側にいたロビー。<ロビー・ロバートソンとの想い出に捧げる>というシンプルな最後のクレジットを見ると、ふたりの長い年月に渡る音楽と映画への思いが読み取れ、深い感慨にとらわれる。
取材・文:大森さわこ
映画ジャーナリスト。著書に「ロスト・シネマ」(河出書房新社)他、訳書に「ウディ」(D・エヴァニアー著、キネマ旬報社)他。雑誌は「ミュージック・マガジン」、「キネマ旬報」等に寄稿。ウエブ連載をもとにした取材本、「ミニシアター再訪」も刊行予定。
Apple Original Films『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』
大ヒット上映中
配給:東和ピクチャーズ
画像提供 Apple
大森さわこ
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