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北海道新聞2023年10月6日 19:19
道は6日、芸術や教育、文化向上に貢献した個人・団体に送る本年度の北海道文化賞と北海道文化奨励賞の受賞者6人を発表した。文化賞はアイヌ民族の詩人で古布絵作家の宇梶静江さん(90)=胆振管内白老町=らに贈る。贈呈式は30日に札幌で開く。ほかの受賞者は次の通り。(敬称略)
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北海道新聞2023年10月6日 19:19
道は6日、芸術や教育、文化向上に貢献した個人・団体に送る本年度の北海道文化賞と北海道文化奨励賞の受賞者6人を発表した。文化賞はアイヌ民族の詩人で古布絵作家の宇梶静江さん(90)=胆振管内白老町=らに贈る。贈呈式は30日に札幌で開く。ほかの受賞者は次の通り。(敬称略)
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北海道新聞2023年10月6日 22:16
【平取】クマ目撃のため5日午後から6日まで休業した町二風谷の沙流川歴史館や周辺の施設・広場4カ所は、7日から利用を再開する。町やハンターがパトロールした結果、クマが確認されなかったため。
再開するのは同館と町アイヌ文化情報センター、二風谷アイヌ文化博物館、「カフェ アリキキ」、アイヌ民族の伝統的家屋「チセ」が並ぶ屋外の広場「二風谷コタン」。
・・・・・・(杉崎萌)
毎日新聞 2023/10/6 地方版 有料記事 498文字
真っすぐな地平線が描かれた「スーホの白い馬」のピエゾグラフ=札幌市中央区で2023年9月8日、安味伸一撮影
特別展「『スーホの白い馬』の画家 赤羽末吉」が、道立文学館(札幌市中央区)で開かれている。50歳で絵本画家としてデビューした赤羽末吉(1910~90)が描いた民話の絵本など約250点を展示。足跡をたどりながら、動物や子供らが織り成す、親しみやすい物語の世界に浸ることができる。11月7日まで。
東京生まれの赤羽は32年、旧満州(中国東北部)に渡り、会社勤めの傍ら画家として活躍。戦後引き揚げた。同館によると、旧満州時代に内蒙古(現中国内モンゴル自治区)を取材旅行したときの写真やスケッチが、代表作「スーホの白い馬」に生かされた。
この全ての原画などのピエゾグラフ(超高精細な複製画)37点を展示。絵本は、アイヌの物語「けちんぼおおかみ」、赤羽が文も創作した「おへそがえる・ごん」をはじめ90冊が並ぶ。
日本画の絵の具を固定するための膠(にかわ)(接着剤)を溶かした膠鍋など、多数の愛用品も公開。同館の苫名直子学芸課長は「誰もが知っている優れた作品を数多く生み出した絵本画家の仕事の広がりや、深さを知っていただければ」と話している。月曜休館(9日と11月6日開館、10月10日休館)。【安味伸一】
中日新聞2023年10月6日 16時00分 (10月6日 16時00分更新)
百按司墓を訪れる原告の玉城さん=2019年11月、沖縄県今帰仁村で
琉球王家の子孫という沖縄県民らが、昭和初期に旧京都帝国大(京都大)の研究者によって同県の墓から研究目的で持ち去られた遺骨の返還を求めた訴訟の控訴審判決が、大阪高裁(大島真一裁判長)であった。判決は請求を退けた一審京都地裁を支持し、原告側の控訴を棄却する一方、付言として「持ち出された先住民の遺骨は、ふるさとに帰すべきだ」と断じた。請求を退けながら、付言では返還を強く促した意味とは。 (安藤恭子)
「棄却は残念だったが、琉球民族が先住民族であると明確にされた。遺骨を持ち去った研究者と私たちは、日本国民として同じ立場とはならない。これからは胸を張って先住民としての権利を主張し、墓へ帰す協議を求める...
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アイデアスフォーグット10月 06, 2023 by 仲原 菜月
「この絵にはどんな意味があるのだろう?」
そんな疑問を持ち、美術館で解説を読んだり音声ガイドを聞いたりしたことがある人は多いのではないだろうか。
しかしその解説は、誰が、どんな立場から作成するかによって、内容が異なってくることがある。例えば、これまでの歴史上で権力を持ち続けていた立場や属性の人だけで解説を作成した場合、権力者側にとって都合の悪い内容は採用されにくくなるだろう。その見方が人々の間で固定化されれば、支配・被支配関係にある社会構造はずっと変わらないままになる可能性も指摘される。特定のテーマをどこから見るかというのは、鑑賞する人、そして社会にも影響を与えていくのだ。
その重要な役割に、イギリスのテート・ギャラリーでは、先住民族によるアートの専門家であるKimberley Moulton(キンバリー・モールトン)氏と、生態学者であるMarleen Boschen(マーリーン・ボッシェン)氏が新たに採用された。美術品の歴史に対する新たな視点を探求する活動の一環として2名の採用が決まり、両者はテート・モダンの一部であるThe Hyundai Tate Research Centre: Transnational(ヒュンダイ・テート・リサーチ・センター:トランスナショナル)に配属される。
左から順に、キンバリー・モールトン氏(photo: Eugene Hyland, 2023)と マーリーン・ボッシェン氏(photo: Dominique Russell, 2023)
テート美術館は、2019年7月に「気候および生態学における危機」を宣言。その後、館内で使用するエネルギーや設備において環境負荷を軽減するためのさまざまな取り組みを進めてきた。今回は、施設運営という裏方での取り組みから、アートに対する理解というより表向きで概念的な面に活動の幅が広がったと言える。
テート・モダンのプログラムディレクターを務めるCatherine Wood(キャサリン・ウッド)氏は、2名の採用について“「彼らの経験や専門性は、先住民族によるアートや、アートと生態学の関わりについての知識を広げるのに非常に重要な役割を果たします。また、展示を通してアートに関するより国際的なストーリーを届けるという私たちの望みを推進することになるでしょう」”と、テート公式サイトにて語った。
ひとつの美術品をとっても、文化によって異なる歴史的な背景があり、さまざまな解釈が存在する。多様な専門性を持った人々がアートの展示に携わることで、これまで排除されてしまっていた新たな視点に気付かせてくれるかもしれない。
【関連記事】英博物館、展示品の「民族的背景」を持つキュレーターを採用へ
【参照サイト】Tate appoints two new curators specialising in ecology and First Nations and Indigenous Art
映画•COM2023年10月6日 19:00
「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」
画像提供 Apple/映像提供 Apple
主演レオナルド・ディカプリオ、監督マーティン・スコセッシ、共演ロバート・デ・ニーロの注目作「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」(10月20日から劇場公開)の特別映像が、このほど披露された。
本作は実際に起きた“先住民族への連続殺人事件”を題材に描くサスペンス。「タクシードライバー」「ディパーテッド」などで知られ、世界トップクラスの巨匠であるスコセッシ監督は、なぜこのアメリカの暗部とも言える残酷な事件をテーマに据えたのか? 特別映像では、同監督自身が「語られてこなかった悲劇を伝えたいと思った」と明かす様子や、ディカプリオらのコメントをもとに明らかにしていく。
【作品概要】
デビッド・グランによる同名小説を原作とする、真実の愛と残酷な裏切りが交錯するサスペンス。舞台は1920年代のオクラホマ州。アメリカ先住民族・オセージ族は、石油の発掘によって一夜にして世界でも有数の富を手にした。
白人たちはすぐにその財産に目をつける。すでに町に入り込んでいた彼らは、オセージ族を巧みに操り、脅し、財産を強奪し、やがて殺人に手を染めていく……。事件の過程と結末を、主人公アーネスト・バークハート(レオナルド・ディカプリオ)と、オセージ族のモリー・カイル(リリー・グラッドストーン)の夫婦の愛を通して描いていく。
スコセッシ監督とともに脚本を手掛けたのは、「フォレスト・ガンプ 一期一会」や「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」で知られるエリック・ロス。
【特別映像の内容】「悲劇の壮絶さを伝えたかった」
パラマウント・ピクチャーズ(日本版)
チャンネル登録者数 15.6万人
映画『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』特別映像 語られざる悲劇篇
映像の冒頭には、列車に乗りオクラホマへとやって来た主人公のアーネストが、叔父であるウィリアム・ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)の家に迎え入れられるシーンが。さらにアーネストが、町で見かけたオセージ族の女性モリー・カイルに声をかけ、運転手として交流するという出会いの場面も。アーネストは持ち前のユーモアで、物静かなモリーを笑わせる。
そんな2人に、アーネストの叔父ヘイルが近づいてくる。結婚を勧めつつも、その裏には「石油の受益権のため」という目論見があった。アーネストとモリーはやがて夫婦となるが、町では不可解な殺人事件が発生し始める……。
莫大な富を生む石油の利権をめぐり、恐ろしくも悲しい事件が発生したわけだが、これはアメリカで実際に起きた出来事だ。「語られてこなかった悲劇を伝えたいと思った」と、スコセッシ監督は国の暗部に光を当てたことに言及する。
そのうえで、本作で重要なことは「友情や愛に生きる人々の身に、搾取や殺人が起きたことだ」といい、「彼らを正当に描くことで、悲劇の壮絶さを伝えたかった」と改めて強調する。主演を務めるディカプリオも「彼らの歴史は語るべきテーマだ」と話し、スコセッシ監督との撮影を「誠実に描くことを監督は常に意識していた」と振り返っている。
「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」は、10月20日から劇場公開。
画像提供 Apple/映像提供 Apple
フォーサイト2023年10月6日真野森作
新たな国防相にはクリミア・タタール人のルステム・ウメロフが就任した[議会で演説するウメロフ=2023年9月6日、ウクライナ・キーウ](C)AFP=時事
クリミア半島とその周辺地域に対するウクライナの攻撃が本格化している。2014年にロシアが一方的に併合したクリミアは、スターリンによるクリミア・タタール人の強制移住から始まる現代史と戦略上の重要性の両面で、戦争の行方を確実に左右する要衝だ。13年からウクライナ情勢をウオッチしている筆者が、この半島が持つ重みと展望について現地での取材を基に解説する。
ロシアに対するウクライナの反転攻勢が続く中、侵略の「原点の地」が再び注目されるようになっている。それは、ウクライナ南部クリミア半島だ。2014年3月にロシアが一方的に自国領へ併合した行為は、実態としては武力を用いた侵略だった。このとき国際社会は微温的な態度にとどまり、8年後の全面侵攻につながった。
ロシア軍の要塞と化したクリミアに対し、その奪還を目指すウクライナは今年6月から攻撃を次々と繰り出している。また、同9月上旬には半島の先住民族であるクリミア・タタール人がウクライナ国防相の要職に就いた。
中央アジアに強制移住させられたクリミア・タタール人
そもそもクリミア半島とはどのような土地か。黒海に突き出たひし形をしており、その面積は日本の四国の1.4倍ほどだ。地理的条件からさまざまな民族が住み着き、古代にはギリシャの植民都市もあった。中世に入ると、モンゴル帝国の流れをくむイスラム王朝、クリミア・ハン国が成立。やがて、同じチュルク系の強国オスマン帝国の保護下に入った。
現代につながる大きな転機は18世紀後半に訪れる。露土戦争に勝ったロシア帝国がクリミア進出を開始し、1783年にクリミア・ハン国は滅ぼされた。そして、ロシア人たちの入植が始まり、追いやられたクリミア・タタール人は少数派に。かのヤルタが有名なクリミア南部はロシアきっての保養地となり、ロシア文学の舞台にもなっていく。
帝政ロシア崩壊後、ソ連支配下でクリミア・タタール人はさらなる悲劇に見舞われる。ナチスドイツとソ連が戦っていた第2次大戦中の1944年、ソ連の独裁者スターリンの指導下でクリミア・タタール人は「対敵協力民族」と決めつけられ、中央アジアへ民族まるごと強制移住させられた(帰還は91年のソ連崩壊前後からとなる)。その穴を埋めるように、多くのロシア人、ウクライナ人が半島へ入植した。
クリミア半島は54年、ソ連内でロシア共和国からウクライナ共和国に管轄が移され、ソ連崩壊以降は独立したウクライナの領土となった。こうした歴史的経緯からウクライナの中で特にロシア系住民が多く、一方で、少数民族も暮らす複雑な土地柄となった。
2014年2月、ウクライナでの政変でロシア寄りのヤヌコビッチ政権が倒れると、プーチン露政権はすかさずクリミア半島を露軍の覆面部隊で制圧。現地の親露派勢力と住民投票を強行して、ロシアへの併合の口実にした。ロシアでは「失地回復」に愛国ムードが盛り上がり、政権の支持率は上昇。半島はプーチンにとって虎の子というべき象徴的な土地となった。
クリミア攻撃強化の背景
今年6月上旬にウクライナ軍が反転攻勢を開始して以降、クリミア半島と周辺地域に対する攻撃は徐々に本格化してきた。
6月22日、半島と本土の南部ヘルソン州を結ぶ橋が、ウクライナ軍による攻撃で損傷した。7月17日、半島とロシア南部を結ぶ「クリミア大橋」への攻撃で道路部分の一部が崩落。大橋への攻撃は22年10月に続いて2回目となった。ウクライナ側はのちに、爆発物を搭載した無人艇(水上ドローン)2隻による作戦だったと公表した。
8月5日、半島とロシアの間に位置するケルチ海峡の南方を航行していたロシアのタンカーが水上ドローンによるとみられる攻撃を受け、船体が損傷。翌6日、半島と南部ヘルソン州を結ぶ二つの橋を狙った攻撃があり、橋やガスのパイプラインが損壊。同12日、露国防省は「クリミア大橋へのミサイル攻撃を迎撃した」と発表した。
ウクライナ独立記念日の8月24日には大胆な動きがあった。ウクライナ国防省は、特殊部隊が半島への一時上陸作戦を決行し、ロシア軍の装備を破壊したと公表。報道によると、小型船を用いて半島西端の海岸に上陸して国旗を掲揚した後、引きあげた。
9月に入っても攻撃は止まらず、ロシア海軍・黒海艦隊が拠点を置く半島南部セバストポリが標的に。9月13日、巡航ミサイルや水上ドローンによる同地への攻撃で大型揚陸艦と潜水艦を損傷させた。英国供与の長距離巡航ミサイル「ストームシャドー」も使われたと報じられている。さらに、本丸と言うべき黒海艦隊司令部に対しても、同22日、ウクライナ軍のミサイル攻撃がなされた。ウクライナ側はこの攻撃で露軍黒海艦隊司令官ら幹部が死亡したと主張している。
なぜ、ウクライナはクリミア攻撃を強化しているのか。まずは、昨年5月に取材した現地識者の声を紹介しよう。
「ウクライナを侵攻開始前の状態に戻すだけでは、ドンバスとクリミアの問題が残り、それは戦争が再び繰り返されることを意味する。国民の大多数は、そうならないように敵を国土全てから追い出したいと望んでいる」……
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NBA初の「非白人選手」が日系人だったことを知っていますか?
コスモポリタン2023/10/06 BY AI KOBAYASHI
10月9日は「スポーツの日」。国境や言葉を越えるスポーツの力は、今あらためて見直されています。しかし、かつて人種差別が蔓延していた頃、社会のいたるところで人種的マイノリティが不利益をこうむっていたのと同じように、スポーツ界においても「人種の壁」は厳然たる事実でした。
人種によって分けられたリーグ、特定の人種しか使えない練習場、観客からの露骨な差別発言…。明らかな不平等のなか競技せざるを得ない選手たちが多く存在しました(そして残念ながら、それは過去の話だけではありません。先日、アイルランドの体操競技イベントの表彰式で、黒人の少女だけメダルを授与されなかった様子が映る動画が拡散され、問題となりました)。
そんななか、圧倒的な努力と才能によって人種の壁を打ち破り、後世に語り継がれる功績を残した選手たちがいます。その活躍は、後に続く人種的マイノリティの選手たちのキャリアを切り拓くものとなりました。彼らは単なるアスリートではなく、社会の変革者だったと言えるかもしれません。
ここでは、ジャッキー・ロビンソンやアリシア・ギブソンといった、スポーツ界の人種の壁に立ち向かった15人のアスリートをご紹介。その勇敢な足跡と偉業を辿ります。
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10. キャシー・フリーマン
Lutz BongartsGetty Images
キャシー・フリーマンは、オーストラリアの先住民族であるアボリジニのルーツを持つアスリートとして、初めてオリンピックの金メダルを獲得した陸上選手です。その舞台となったのは、2000年、自国で開催されたシドニー・オリンピック。陸上女子400メートルで、当時シーズン世界最高タイムでゴールし、勝利をつかみ取りました。
実は、一部からこのシドニー大会をボイコットするよう要請されていたというキャシー。彼女自身もオーストラリアのアボリジニに対する人種差別的な政策の影響を受けた人物の1人であり、そんな国を代表して戦うのかという主張があったのです。これに対し、彼女は「白人が先住民の命を奪ったことに抗議すべきだと言う人もいます。なぜ自分の仲間たちにも同じことをしようとするのでしょうか? 誰もが自由であるべきです」と反論し、出場を決めました。
彼女はこのオリンピック開会式において、聖火を灯す大役も務めています。白人社会と先住民の架け橋として、自国開催のオリンピックは相当なプレッシャーだったに違いありません。
そんな注目の一戦で彼女は圧倒的な力を見せ、最後の直線で他の選手を引き離し勝利をつかみました。そして優勝を決めるやいなや、オーストラリアの旗とアボリジニの旗を両方持ってトラックを一周したのです。基本的に国旗以外を持ってのウイニングランは禁止されており、彼女自身もメダルがはく奪される可能性すらあることを理解していたといいます。しかし、彼女が罰則に問われることはありませんでした。アボリジニとオーストラリアの調和を象徴する彼女の姿は、まさに歴史を変えた瞬間でした。
https://www.cosmopolitan.com/jp/trends/society/g45294526/athletes-broke-racial-barriers-231006-hns/
苫小牧民報2023/10/6配信
アイヌ施策や北方対策などを担当する自見英子内閣府特命担当相(47)が5日、就任後初めて白老町の民族共生象徴空間(ウポポイ)を訪れた。視察後に記者会見し、「アイヌの方々の生の声や思いに寄り添い、確実に、着実にアイヌ施策を前進させていく」と語…
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Tech Wire 24 10月 7, 2023ダビデの欠席
パナマ、バホ・チキート(AP通信)-週初めに突然の川の氾濫により、ジャングルの真ん中で移民の通行が一時的に止まった。
しかし、水が引き始めると、水曜午後、妊婦や子供を肩に担いだ男性を含む外国人の集団がジャングルから現れ、腰までの深さの水の中をトゥケーサ川沿いの最後の区間で進み、先住民族の村に到着した。バホ・チキートと呼ばれます。
南米から米国に向かい、危険なダリエン渓谷を越えて到着する移民が絶え間なく続いている。 すでに歴史的な数字に達しており、50万回の旅行で今年を終える可能性がある。
当局や外国人自身によると、移民は数百万ドルを動かすビジネスであると認識し、必要なものはすべて請求するグループが、ジャングルを避けるために、でこぼこの道をより速く、より組織的に移動するようになった。 。 移民たちの話によると、以前は移動に1週間かかったが、今では2、3日で移動する人もいるという。
水曜日だけでベネズエラ人を中心に2,000人以上が、移民たちがジャングルを越えて最初に出会う町であるバホ・チキートに到着したが、川の氾濫により到着者数が600人未満に制限されたわずか1日後に到着した。
「ああ主よ! キンバリー・モラレスさんは、村から30分もかからないところにあることを知り、夫と16歳と8歳の子供たち(全員ベネズエラ人)とともに川岸に到着すると叫んだ。
その町に到着した人々は入国管理官によって登録され、翌日早朝に船外機付きのボートですでにジャングルの外れにあるダリエンの別の受付場所に送られ、そこからバスで国境まで向かうことができるコスタリカと一緒に。
彼らは不定期に到着するが、国境局は彼らの名前を削除し、政府が言うところの制御された流れで彼らを続行させる。 移民は通常、パナマ領土に滞在することはなく、滞在した場合には拘束され国外追放される危険がある。
パナマとコスタリカの政府は、移民の流れが続いており、さらに増加し ているという事実を受け入れ、圧力と蓄積を軽減するために、ダリエンからの移民を乗せたバスがコスタリカ側の避難所に向かう計画を推進している。以前はショッピング観光に専念していた共通の国境にある町の外国人の数。
これにより、彼らはまた、通常の到着地点で活動する人身売買ネットワークと闘いたいと考えています。
国境を接する両国の首脳は金曜日にダリエンの入国審査場を訪問し、ヘリコプターツアーで山中を歩いたり、川を渡ったりする人々を観察する可能性が高い。
米国南部のメキシコ国境に圧力をかけているこの人の流れは、依然としてベネズエラからの移民が大半を占めている。彼らは今年これまでにダリエン川を渡った40万人の60%を占め、次にハイチ人、エクアドル人をはじめとする数十の国籍。
ベネズエラのメリダ州出身のカルリオマール・ペーニャさん(33歳)は、息子のカルロスさんとともに前日に到着したうちの1人だった。 木曜日に彼は6歳になった。 彼女の目標は、入国管理当局に降伏して亡命を申請した後、夫が1年間滞在していた米国に入国することだ。
「それは最善のルートではなかったし、最も安全なルートでもなかったが、これが今のところ我々が持っている唯一の道だ」と移民者は木曜日の夜明け、自分を乗せるボートに乗るために長蛇の列を作りながらAP通信に語った。バホ・チキートのラハス・ブランカス先住民族コミュニティの受け入れ地点に到着した彼女の家族、息子、その他の移民たち。
このルートはトゥケーサ川とチュクナケ川を渡り、所要時間は最大 4 時間です。 木曜日には、前日に到着した人たちのうち2,000人強が100隻以上のボートで輸送された。
ペーニャさんは、他のベネズエラ人移民と同様に、北部国境に行き、米国政府が2023年1月から亡命希望者に義務付けているCBP Oneと呼ばれるオンライン申請を通じて登録する予定だ。彼らは、予告なしに到着したり、無断で入国しようとしたりするのではなく、検査と処理のために入国することになります。
さらに、最長 2 年間の人道的許可を得て、移民および国籍法第 8 編に基づく移民手続きを継続するための扉も開かれます。
ジョー・バイデン大統領の政権は、メキシコと中米諸国の政府に対し、国境に到達する前の段階で移民の流れを規制するよう圧力をかけている。
「すべてのベネズエラ人にとって理想的なのは、任命の申請をすることだ…その任命は、労働の許可を得て、可能な限り合法的に渡米するよう割り当てられている」とペーニャ氏は考え、もう一つの選択肢は、彼らがなけなしの財産を持って降伏することだと述べた。 1つは米国入国管理局に。
しかし、米国が実施した最新の移民対策について誰もが知っていたわけではなく、ルートに沿って進むにつれて情報が得られることを期待していた。 バイデン氏は最近、すでに領土内にいる約50万人のベネズエラ人に一時的な保護ステータスを与えると発表した。
ベネズエラ人の母親が母国から移住したのは、彼女が言うように、ベネズエラでの商人としての仕事では自分自身を養ったり、息子に薬を買ったりするのに十分ではなかったからだという。 ダリエンのジャングルを横断するのに彼女は5日かかったが、これはコロンビア人の「ガイド」が彼女をジャングルに連れて行き、彼女に320ドル、幼い子供に60ドルを請求する約束よりも2日長かった。
そのお金には、コロンビアのウラバ地区ネコクリ市からパナマ国境にあるチョコのアカンディまでのボート旅行費も含まれていた。 そこから、ガイドとバックパックを背負った人が彼女をジャングルを通って、「ロマ・デ・ラス・バンデラス」または「ジョロナ」の丘と呼ばれる場所まで一日連れて行った。パナマ。
「コロンビアは、許容できる範囲だと言えます。 私たちはもっと安全に通過できますが、パナマのルートは厳しく、非常に危険であり、常に命を危険にさらしています」と彼は言いました。 「それは動物の命であり、人間にはふさわしくない」とペーニャさんは説明した。
数年前までは、徒歩で渡るのに最大1週間かそれ以上かかる人が少ないルートであるダリエン峡谷を、移民が3日以内に横断できるなんて考えられなかった。 しかし今では、移民たちから、彼らは2日半でそれを行っているという証言を聞きます。
水曜日に到着した多くの人々のように、川の氾濫でペースが遅くなり、丘や高い岩場を登らざるを得なくなったように、予定の2倍の時間がかかると不満を漏らす人もいる。
友人と一緒に旅行していたガブリエラ・キハーダさん(33)も、横断には予定より2日多い5日かかったと語った。 彼らには旅の最後の行程に必要な食料がもうありませんでした。 バホ・チキートに到着した水曜日、彼女はめまいがして地面に倒れた。
「今日(水曜早朝)、雨が降っていたことを除けば、私たちは川を渡ったので、危うく連れ去られそうになった」と、カリブ海のベネズエラのヌエバ・エスパルタ州マルガリータからの移民は語った。 「私がやったことは、歩いたり泣いたりすることだった。」
「私には給料がありません。私には娘が2人いるのです」と、ベネズエラを出国して北に向かった理由について認めた。 「娘たち(16歳と13歳)が私を励ましてくれました。 一人は来たかったが、危険を冒すつもりはなかった。 私が米国に到着して入国する場合は、合法的に入国することを保証します。」 キハダは、ジャングルのパナマ側に連れて行ってもらうためにコロンビア側に250ドルを支払うと保証した。
多くの移民は、母国を出る前に、コロンビアに到着したときに助けてくれるガイドとすでに連絡を取っていたと述べているが、そこにはギャングや組織化されたグループが存在し(当局の目から見て)、人身売買を産業に変えている。 、当局によると。 パナマは、強力な麻薬密売組織であるクラン・デル・ゴルフォが非正規移民ビジネスの背後にいると述べた。
実際、パナマ政府はダリエンが渡りのルートではないことを明確にするキャンペーンを展開し、地域的に重要な生物学的回廊における環境破壊と汚染について警告している。
しかし同時に当局は、移民の移動が長期化し増加しているため、すでに確立された不規則なルートのようになっていて、通過速度を高めるためのよりしっかりとした標識付きの小道や小道があることを認めている。 移民たちはルートに沿って色付きのリボンを置き、後から来る人々に手がかりを残します。 青と緑は道路が通行可能であることを示します。 赤いものは危険を警告します。
夫のイサイと末っ子2人と一緒に旅行していた34歳の移民、モラレスさんは2日半で旅を終えた。 彼はコロンビア側に一人当たり320ドル(合計1,200ドル以上)を支払い、ジャングルのパナマ側に連れて行かれた。そこで「絶望が始まる場所」であり、彼らは自力で続行しなければならなかった。
「ひどい、誰にもそんなことは望みません。 同氏は交差点について「最悪だ」と語り、道路上で溺死したとみられるハイチ人女性を含む少なくとも3人の移民の死亡を目撃したと述べた。 「少なくとも私たちが望んでいるのは、彼らに与えることができる寝る場所、仕事、生活を手に入れることです。 彼らが病気になったら、薬を買いに行けるよ」と家族の母親は願っています。
木曜日、彼はなんとか家族とともにラハス・ブランカスへ向けて出発した。4人はオレンジ色のベストを着てトゥケーサ川とチュクナケ川を渡り、8歳の息子を除いてそれぞれ25ドルを再度支払った。 出発から数時間後、なんとかジャングルを越えた新たなグループがバホ・チキートに到着し始めた。
ジャミレス
Tech Wire 24 10月 7, 2023ダビデの欠席
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エドモントン女性施設にいるヘレン・ナスランドさん。2022年8月2日、エドモントンで虐待的な夫、マイルズ・ナスランドさんを殺害した罪で服役中。アンバー・ブラッケン/グローブ・アンド・メール
ジャナ・G・プルーデンはグローブ・アンド・メール紙の記者であり、 新しいポッドキャスト 彼女の弁護において、10月10日から始まります。
1911年の夏、アンジェリーナ・ナポリターノは殺人罪で処刑されるかどうかを待っていたとき、女性新聞記者に夫の死の状況について話した。
「怖かったです」とナポリターノさんは語った。 「熱く感じました。 彼は二階に行って寝ました。 それは正午のことでした。 私は怒っていました。 血は熱かった。 私が行く場所はありません。 友達がいない。 私は狂っていました。 私は斧を取りにキッチンに行きます。 上の階に行きます。 もし彼が起きていたら私を殺すと思う。 私は人生にうんざりしていました。 彼は眠っていた。 私は彼を殴りました。 私は彼を殺します。 そうでなければなりませんでした。」
スーセントでピエトロ・ナポリターノが死去。 1911年の復活祭の日曜日にオンタリオ州マリーで起きた事件は、後にカナダで「虐待された女性」事件として知られるようになる事件の最初の文書化された例であり、女性が暴行を加えた男性を、たとえ彼が眠っている間であっても殺害した場合、場合によっては次のように正当化される可能性がある。自己防衛。
当時の一部の報道は、ナポリターノさんが美徳を守ったことに焦点を当てていたが(彼女は妊娠していて、夫が彼女に売春を強要していた)、彼女が過去にナポリターノによる殺害をかろうじて避け、善良な生活を送っていたことは明らかだった。彼が将来的に脅しを実行すると信じる理由。
北米各地の新聞に転載された記事によると、ナポリターノさんはオナー・ファニング記者に対し、「彼は私の頭、腕、顔を9回刺した」と語った。 「時々彼は、私が言うことを聞かなかったら私を殺すと言います。 彼は殺すだろうと思った。」
過去1年半にわたり、私は2011年に虐待する夫を就寝中に射殺したアルバータ州の女性、ヘレン・ナスランドの物語に取り組んできた。ナスランドさんとナポリターノさんの事件 ほぼ正確に100年離れて起こったこの事件には多くの類似点があり、かつて、そして場合によっては現在も男性向けの制度によって女性がどのように判断されるかなど、正義の性質について同じ疑問がいくつか提起されている。
「男性と女性の視点がいかにまったく異なるかは、アンジェリーナ・ナポリターノの事件で十分に示されており、したがって男性だけで構成された陪審には女性を裁く資格が全くないことも明らかだ…」とソニア・リーセスはグローブ紙の女性ページで書いた。 1911年に、コルセットの広告、トマトマカロニのレシピ、夏に女性は手袋を着用すべきかどうかについての質問と並行して彼女の主張を行った。 「男性陪審は女性を裁くことはできないし、許されてはいけない。」
私は 2001 年 1 月に家庭内での殺人事件を初めて取材し、それ以来、法廷記者およびニュース速報記者として、家庭内および親密なパートナーの殺人事件を取材してきました。 ほとんどすべての事件で、主な被害者は女性でした。 殺人者、男性。
時には殺人者がボーイフレンドや夫だった場合もあります。 殺人者と被害者がまだ一緒に住んでいることもありました。 また、被害者が立ち去ったか、立ち去ろうとしている途中だった場合もありました。
女性だけが死ぬこともありました。 時には家族全員、見知らぬ人、警察。
2014年にエドモントンで大人6人と子供2人が殺害されたカナダ最悪の暴力行為と大量殺人事件の一部を取材。 2020年にニューサウスウェールズ州ポータピケで22人が死亡。 2022年にサスカチュワン州のジェームス・スミス・クリー・ネイションで11人が死亡、18人が負傷した。これらの忌まわしい破滅的な行為の根源には、家庭内暴力と強制支配が繰り返し現れている。 「家庭内暴力」の影響は家庭の領域をはるかに超えて及んでいます。
家庭内殺人や親密なパートナーによる暴力の物語に取り組むことで、私自身の人生が多くの点で変わりました。 そのおかげで、私は非常に注意深くなり、危険信号や危険の兆候に気づくようになりました。 私は家庭内暴力があらゆる種類の家族、あらゆる種類の人にどのような影響を与えるかを見てきました。 農村部の女性と先住民族の女性はさらに大きなリスクにさらされています。
私はまた、家庭内暴力がいかに複雑であるか、つまりその厄介なサイクルを見てきました。 私は、家族や友人がどれほど無力に感じているか、自分の人生や家族の中でこのようなことが起こっていることがどれほどの恥と汚名を残しているか、そしてそれを止めるために人々がどれほど無力に感じているかを見てきました。
私自身もそう感じました。 「彼が怖いの?」と尋ねたことがあります。 私は何度もこう言いました。「いつか彼があなたを殺すのではないかと心配です。」
それは私にとって個人的なことです。 しかし、それはあなたにとっても個人的なものです。 たとえ知らなくても。
私はこの暴力の広範囲にわたる波紋、家族や人生を蛇行する長い害の蔓についてよく考えます。 家庭内暴力が原因で死亡または殺害されるすべての女性と子供、そして人が世界に与える計り知れない損失。 非常に多くの人生が永遠に変わり、家族やコミュニティは何世代にもわたって傷を負いました。
ヘレン・ナスランドさんの判決の際、裁判官は彼女と息子を「他の選択肢が開かれているときに反応が悪い」善良な人々に例えた。 ヘレンが当時知っていたことを考えると、他にどのような選択肢が彼女に開かれていたのかについて、私はたくさん考えてきました。 彼女が殺されたり、自ら命を絶ったりすることにならなかった選択肢。 あれから時間が経った今でも、それらが何だったのか分かりません。
私が知っているのは、これらの話を共有し、恥ずかしさや偏見を持たずに家庭内暴力についてオープンに話すことは、命を変え、命を救う可能性があるということです。 そして誰もが自宅で安全であるべきです。
イヴェントバンク2023/10/06 10:00
(C)藤戸ひろ子さん(ミナミナ工房)
アイヌの伝統文化を体験しよう
アイヌの伝統料理であるチェプオハウ(鮭や山菜などを煮込んだ汁物)、シト(じゃがいもの団子)、カバノアナタケ茶の調理実習をする。持ち物はエプロンと三角巾。その後はアイヌ文化の中で伝承されてきたウポポ(歌)とリムセ(輪舞)を体験しながら学ぶ。講師は藤戸ひろ子さん(ミナミナ工房)。どちらか一方のみの参加可能。料理講座は材料費として1,500円必要、ウポポとリムセの体験は参加無料。
開催日時
2023年10月29日(日)
備考
料理講座は10:00~13:00、ウポポとリムセの体験は14:00~15:30
会場
和泉市立人権文化センター(ゆう・ゆうプラザ)5階料理教室
大阪府和泉市伯太町6-1-20
料金
有料
材料費:1,500円
アクセス
公共交通:JR阪和線「信太山」(しのだやま)駅より約200m
車:-
駐車場
あり 80台
無料
お問い合わせ
0725-47-1560(和泉市立人権文化センター(ゆう・ゆうプラザ)資料室)
ホームページ
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イベント備考
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