先住民族関連ニュース

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鷹栖の魅力、町民が再確認 宿泊観光客増へツアー実施 農業や開拓の歴史学ぶ

2023-10-18 | アイヌ民族関連

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北海道新聞2023年10月17日 19:58

農耕で発展した鷹栖町の歴史について学ぶモニターツアーの参加者ら

 【鷹栖】観光地としての魅力をアピールし、町内に宿泊する観光客を増やそうと、町民有志の組織が1泊2日のモニターツアーを9月下旬に実施した。ツアー参加者は観光による地域活性化に関心のある町民で、農業などで発展した鷹栖の魅力を再確認した。今後、町の観光資源としてブランド化を目指し、検討していくという。

■24年2月に2回目

 ツアーは観光コンテンツ造成事業「鷹栖秋ツアー2023」で9月28、29の両日に実施した。主催したのは有志でつくる「たかすてきツーリズム推進協議会」で、「開拓と農業の歴史、時代を感じる生活体験」をテーマとした。

 協議会メンバーで、事務局長を務める町地域おこし協力隊の落合亮さん(30)がツアーを考案した。5月に観光庁の「インバウンド(訪日客)の地方誘客や消費拡大に向けた観光コンテンツ造成支援事業」に採択され、補助金を活用した。町でモニターツアーは初めてという。

 参加したのは、日帰りも含めて町民ら21人。初日は「アイヌ文化の森 伝承のコタン」を見学し、嵐山展望台までトレッキングした。昼食に鹿肉料理を味わった。午後は協議会会長で町在住の歴史家側彰(がわあきら)さん(73)が町の農耕文化や開拓の歴史を説明。町郷土資料館では、馬を使って田んぼを耕した米作りの歴史を学んだ。

・・・・・・

(東桜子)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/926492/


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アイヌ民族伝統のサケ漁体験 平取でアシリチェプノミ

2023-10-18 | アイヌ民族関連

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北海道新聞2023年10月17日 19:09(10月17日 19:14更新)

伝統漁具を使ってサケを捕獲する参加者

 【平取】カムイチェプ(サケ)を迎えるアイヌ民族の伝統儀式「アシリチェプノミ」が町二風谷オサツ沢で行われ、参加者が伝統漁具を使ってサケを捕獲する体験をし、アイヌ文化への理解を深めた。

 町などがアイヌ民族の精神文化や伝統漁法の継承を目的に毎年実施しており、14回目の今年は9月30日に行った。サケが遡上(そじょう)してきたことをカムイフチ(火の神)やワッカウシカムイ(水の神)に感謝し、豊漁を願うカムイノミ(神への祈り)が行われた後、伝統漁具のマレプ(自在もり)やアプ(かぎ針)を使ってサケを捕獲する体験会が開かれた。

・・・・・・・・・・・ 

(杉崎萌)

※「カムイチェプ」のプ、「アシリチェプノミ」のリとプ、「ワッカウシカムイ」のシ、「マレプ」「アプ」のプは、いずれも小さい字

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/926449/


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美幌博物館が大幅リニューアル 懐かしいマチの光景数多く 旧小学校写真、1964年の給食レプリカも

2023-10-18 | アイヌ民族関連

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北海道新聞2023年10月17日 18:41

町内にかつてあった数々の小学校について、写真パネルを集めた展示コーナー

 【美幌】美幌博物館(町美禽)は、常設展示としている3種類の展示室のうち、町の歴史や自然史をテーマとする第1展示室「川とともに」の大規模リニューアルを行い、公開を始めた。外国人観光客の増加を見越し、説明文に英語の表記を加えたほか、新たな展示物も。同博物館では細かい展示の修正を行うことはあったが、大規模なリニューアルは1987年の開館以降初めて。

 今年が町制施行100周年に当たることからリニューアルを実施し、1日から公開している。同博物館は今後、町内に住む生物などを集めた第2展示室「農業と身近な自然」、美術作品を中心とした第3展示室「アートに触れる」についてもリニューアルを進める。

 第1展示室では、約480平方メートルの展示スペースに今まで通り「屈斜路湖のなりたち」「太古の人々」「アイヌのくらし」「初夏の自然」「幕末の美幌」「開拓の始まり」の計6テーマに分けて展示する。

・・・・・

(青山秀行)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/926406/


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<シロカニぺ 銀の滴 知里幸恵「アイヌ神謡集」刊行100年>情念滲む“もう一人の幸恵” 作家・富樫利一さん

2023-10-18 | アイヌ民族関連

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北海道新聞2023年10月17日 10:31

富樫利一さん

 「幸恵さんの短い生涯は実に露にぬれた真紅(しんく)の花びらのように見えます。(中略)感謝と祈りとの殉教的生活であったのです」。知里幸恵に「アイヌ神謡集」の出版を勧めた言語学者金田一京助の讃辞(さんじ)は幸恵の死から101年後の今日でも多くの幸恵ファンの心を占めているのだろう。だが「アイヌ神謡集」の序文、小さな2冊の手帳「おもひのまま」「日誌帳」には金田一の礼讃(らいさん)を受け止めるには危さを覚える文言が数多く見られ、もう一人の知里幸恵像が浮かんで来る。

 アイヌ語をローマ字で書いた「神謡集」の本文よりもよく知られる序文には、アイヌ以外の日本人にも読んで欲しいという出版する決意が語られているのだ。だから序文は完璧な日本語で書かれたのであり、後世の日本人から、「名文、声に出して読みたい文」と絶賛された。異民族である自身が日本語を使って書く文章は絶対に誹(そし)りを受けてはならずと、全知を絞り細心の神経を使ったものだろう。

 先祖の生きた時代の四季の描写、屈辱的な生き方の同族からも強いリーダーの出現を願い、その日が必ず来るとの強い期待も書いているのである。確認しておこう。幸恵はアイヌ語の本文を読んで欲しかったのである。

 「おもひのまま」は上京後の1922年(大正11年)6月1日から持病の心臓の調子が悪化した7月28日までの記録であり、いわゆる日記である。書き始めは「輝かしい朝」、最後は「列車への投身自殺」である。この時亡くなったのは金田一の妻の縁戚の娘だった。

 恋人の村井宗太郎への恋慕の情は東京と北海道の名寄、遠い空間を越えて強い。上京したが、離れて知る強い恋心、切ない女心が随所に見える。「私の心に真剣な愛があるか」「たゞ貴郎を愛します」「私はあなたの為(ため)に生きます」「子供が欲しい。またしてもこの望みが出てくるのだ」とある。早く2人での家庭生活が来る事を望んでいるのがわかる。手帳の紙面に一途な愛の告白をしているのだ。東京は異郷の都であったのである。

 もう一つ見逃せないのが金田一のことばである。「アイヌは見るもの、目の前のものがすべて呪はしい状態にあるのだよ」。旭川の友人が身売りされ性病を移され治療代がかかるから実家で治して来いと帰された揚(あ)げ句(く)、下半身が腐ったようになって死んだとの便りに泣き崩れた幸恵に浴びせたのだ。この日の日記には「試練! 試練!! 胸に燃ゆる烈火の焔(ほのお)に我身(わがみ)をやききたへ、泉とほとばしる熱血の涙に我身を洗ふ…」という激しい文言もある。

 もう一冊の「日誌帳」では、アイヌ語や詩らしきもの、心の中の深い想(おも)いを自由に書きなぐっている(中井三好著「知里幸恵 十九歳の遺言」と石村博子著「ピリカチカッポ」を参照)。

 ・・・・・

◆「ピリカチカッポ」のリは小さい字

<略歴>とがし・としかず 1932年、空知管内栗山町生まれ。同町などの中学校教員を経て登別市職員になる。「北方文芸」同人、「知里真志保を語る会」(登別)所属。「せせらぎへの挽歌」「銀のしずく『思いのまま』」「維新のアイヌ金成太郎」「息吹(いぶき)よふたたび アイヌの人と共に」など著作多数。登別市在住。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/926086/


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アイヌと自然の関わり伝えるパネル展

2023-10-18 | アイヌ民族関連

NHK10月17日 20時07分

北海道の豊かな自然の恵みを取り入れたアイヌの人たちの暮らしや文化を紹介するパネル展が帯広市で開かれています。
この展示会は、アイヌの人たちの生活と関わりが深い野生の動植物を多くの人たちに知ってもらおうと、帯広市の帯広百年記念館が開き、会場には、30点余りのパネルと写真が展示されています。
このうちアイヌ語で「ユク」と呼ばれるエゾシカについて、食料だけでなく、ぼうこうから食用油の保存袋を作っていたことなどが紹介され、アイヌの人々の暮らしに欠かせない存在だったことが分かります。
またアイヌの人々が「ラウラウ」と呼ぶ毒があるサトイモ科の植物「コウライテンナンショウ」について、球根は季節によって安全に食べることができたり、歯の痛みをおさえる薬に使われていたりしたことなどを紹介し、自然の恵みを生活にうまく取り入れてきたアイヌの人たちの知恵を学ぶことができます。
帯広百年記念館の池田亨嘉学芸員は「私たちも日々の暮らしの中でどうしたら自然に優しくできるか、考えるきっかけになればと思います」と話していました。
このパネル展は10月29日まで無料で開かれています。

https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20231017/7000061737.html


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自見 はなこ ブログ アイヌ施策担当大臣としてウポポイを訪ねました。

2023-10-18 | アイヌ民族関連

選挙ドットコム2023/10/6

昨日、アイヌ施策担当大臣としてウポポイを訪ねました。先に小高い丘にある慰霊施設を訪ね献花させていただき、北海道アイヌ協会三役と加藤前理事長から歴史や現状の課題をお伺いし、今までの労苦や貧窮に想いをいたしました。

その後にウポポイの中核区域にある体験交流ホールでアイヌ舞踊を拝見し、国立アイヌ民族博物館を視察し、アイヌ民族文化財団や学芸員の皆さまと意見交換をいたしました。管理等を行なっている公益財団法人アイヌ民族文化財団(常本照樹理事長)は、アイヌ施策推進法に基づく国交省と文科省からの指定法人です。

ウポポイは、ポロト湖の麓の息を呑む雄大で、美しい風景の中にあり、国立アイヌ民族博物館の常設展では、学芸員の方々の素晴らしい働きで、アイヌの文化のみならず幅広く交易を和人と行っていたことも知ることができました。木彫りや織物の美しさには魅入りました。特別展「考古学と歴史学からみるアイヌ史展 ― 19世紀までの軌跡 ―」では、北九州市立自然史・歴史博物館や九州国立博物館からの展示品もありました。

ウポポイには、修学旅行の学生さんも沢山来場され、賑わっていました。関係の皆様のおかげで、アイヌ文化やアイヌ語に触れ、アイヌ民族が、山や川や海などの自然と一体的に過ごしてきたことも直に学ぶことができました。

新千歳空港から車で50分で、最寄駅から徒歩10分です。ポロト湖の湖畔にはリゾートホテルもあり、登別温泉も近くです。最近までは、夜のウポポイと題して、アイヌの物語などを映像、光、音などを使い大好評だったとのこと。秋から冬には、紅葉や雪で一段と違った魅力も感じていただけると思いました。

開設後にコロナ禍に見舞われましたが、これからより多くの方々にウポポイの魅力を体験していただけたらと思いました。是非、皆様もお越しください!

ウポポイ

https://ainu-upopoy.jp/

ウポポイ 子どもたちに寄り添う学校教育に即した学習プログラム

https://ainu-upopoy.jp/education/summary/

ウポポイ 旅行事業者のみなさまへ

https://ainu-upopoy.jp/for-agent/

自見アイヌ担当相、ウポポイ初視察

北海道新聞

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/920506/

NHK

自見沖縄・北方相 ”ウポポイ 年間100万人を目指す”

https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20231005/7000061453.html

https://go2senkyo.com/seijika/163357/posts/790336


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アイヌの埋蔵金をめぐって死闘を繰り広げる模様を収録!映画『ゴールデンカムイ』の最新予告映像が解禁

2023-10-18 | アイヌ民族関連

梅子役の高畑充希と寅次役の泉澤祐希の追加キャスト情報も公開

IGNJapan2023年10月17日12:39片岡龍一 

https://www.youtube.com/watch?v=2loIAVv7GYQ

野田サトルによる漫画を原作にした映画『ゴールデンカムイ』。日露戦争直後の北海道を舞台に、アイヌが隠したという莫大な埋蔵金をめぐる戦いを描く。「不死身の杉元」の異名で日露戦争を生き抜いた杉元は、アイヌの少女アシㇼパと協力して埋蔵金を探す。帝国陸軍第七師団を率いる鶴見や新選組の土方などのさまざまな勢力によるサバイバルの要素も強い。

梅子(高畑充希)と寅次(泉澤祐希)のキャスト情報も明らかになった。2人は夫婦で杉元の幼馴染だ。杉元と寅次は日露戦争に出兵したが、寅次は戦死してしまった。目を悪くした梅子の治療費を捻出するため、杉元は北海道で埋蔵金を巡る戦いに身を投じる。

そのほかのキャスト情報については、こちらの記事をチェックしてほしい。公式サイトで本作のポスタービジュアルが解禁された。映画『ゴールデンカムイ』は、2024年1月19日公開予定となっている。

映画『ゴールデンカムイ』ポスタービジュアル。画像は公式サイトより。

https://jp.ign.com/golden-kamuy-movie/71264/news/


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危機的方言を次世代へ サミットで改善策など討論

2023-10-18 | ウチナー・沖縄

八重山毎日新聞2023年10月17日 

方言の聞き比べをする各地の話者ら=14日、久部良小学校体育館(提供)

与那国島大会

 【与那国】危機的な状況にある方言を次世代への継承を目指す「危機的な状況にある言語・方言サミット与那国島大会」(文化庁主催、沖縄県、与那国町など共催)が14、15日の2日間、久部良小学校体育館で開かれ、言葉の役割や価値について考え危機的な状況を改善する討論や協議を行った。国内には消滅危機にある言語・方言が八カ所余あり、与那国方言もその一つ。会場には延べ200人余の人たちが詰めかけた。

 サミットはアイヌ語、八丈方言、奄美方言、国頭方言、沖縄方言、宮古方言、八重山方言、与那国方言の地域におかれた状況、普及に係る取り組み事例の紹介や聞き比べ、講演、協議などを通して問題意識を共有し状況の改善を図ることを目的としている。

 糸数健一町長は「町民の意識は多様化している言葉は文化を支える財産、消滅すると多くの文化も失う方言復興の実現を願う」とあいさつ。言語・方言について遠くは北海道などから研究者らが集い、かつて地域の生活、文化を支えた方言の魅力を解説し紹介した。

 祖納青年会ダーナラシ(座ならし)、棒踊りのほか民俗芸能伝承保存会の舞踊でオープニング。

 信州大学の中澤光平氏が「どぅなんむぬい辞典から考えた言語継承と研究者の役割」で基調講演。国立国語研究所の山田真寛氏が危機方言の現況を報告した。

 方言の聞き比べでは奄美大島など各地の話者が登壇し地元の言葉を紹介。初対面の際「始めまして」を「イランカラプテ」(アイヌ語)、「ハディミティドゥアンスヤ」(与那国祖納)、「ハディミティドゥワルンディサー」(同比川)、「ハディミティヤ」(同久部良)など場に応じた言い回しを披露。またアイヌの唄・語り、津軽の二人芝居、与那国の狂言劇を方言で演じた。フロアの各地のブースでは普及活動する方言パンフなどが並べられ会場は方言一色に包まれた。

 共催の与那国方言辞典編集委員会事務局は「予想を上回る来場者に各島々との縁ができた方言の継承に弾みがつく」と期待した。 

 会場を訪れた男性は「方言の衰退はさびしい。文化の多様性を考えるきっかけにしたい」と腕を組んだ。(田頭政英通信員)

https://www.y-mainichi.co.jp/news/39937


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《JST共催》アカデミアの現場からグローバリズムについて考える「サイエンスアゴラin京都」で白熱トーク

2023-10-18 | アイヌ民族関連

サイエンスポータル2023.10.17

宇佐見靖子 / SDGsライター

 京都市の中心地、買い物客で賑わう御池通の地下街「ゼスト御池」の一角が、市民と研究者が対話する興味あふれる知的空間に様変わりした。科学技術振興機構(JST)は9月24日、「京都大学アカデミックデイ」との共催で、「サイエンスアゴラin京都 アカデミアの現場からみたグローバリズム」と題したセッションを行った。

 日本をはじめ世界の多くの国がグローバリズムの恩恵を受けていたが、新型コロナウイルスのパンデミックなどを機にサプライチェーン(供給網)や人々の往来がとだえ、さまざまな産業が打撃を受け、グローバル化した社会の脆弱性が露呈した。私たちはこれから新しい社会の在り方を模索するなか、グローバリズムをどのように捉えていけばいいのか。ユニークな視点を持つ研究者らと一緒に考えた。

グローバル化した社会の中で「日本が見えていない日本の姿」がある

 まず開口一番、ファシリテーターを務める京都大学学際融合教育研究推進センター准教授の宮野公樹氏が「会場の皆さんからの質問に登壇者の先生たちが答える形でこのセッションを進めます」と参加者からの質問を募った。宮野氏は大学にまつわる政策を軸とした学問論や大学論といった哲学を専門とする。「さあ、ガチで先生方に聞いていきます!」といった宮野氏の軽快なトークや、どんな質問が飛び出すかわからないライブ感に参加者は引き込まれていった。

 最初の質問は「グローバル化した社会の中で、『多くの日本人には見えていない日本(人)の姿』とは何だろうか」というもの。

 今回の登壇者のトップバッターは、京都精華大学全学研究機構長(前学長)で京都在住32年、マリ共和国生まれのウスビ・サコ氏。アフリカ出身者として日本で初めて大学の学長に就任した空間人類学の専門家だ。

 サコ氏はまず、「自分の当たり前と他者の当たり前が異なっていることに気付いていない日本人が多い。他者と違うことを責められると捉えられている」と口火を切った。自らの経験から「『肌色のあれ取ってきて』と言われた時、どの肌色に合わせたらいいか、わからなかった」と話し、日本人が持っている当たり前が、他の国の人にとってはそうではないことを指摘した。また、建築学部出身で日本の住宅の研究をしていると、地域ごとにさまざまな暮らしがあり多様性があるのに、日本では集団に外国人が混ざっていることを多様性と認識しているところがある、と述べた。

「お弁当」「個人と集団のあいだ」への気付きを

 次に登場したのは、上智大学地球環境学研究科教授のあん・まくどなるど氏だ。カナダ出身で、1982年、16歳の時に交換留学生として来日、その後1988年に再来日した際、日本の急激な西欧化を体験した。グローバル化によって日本は何を失ったのか。現在、環境学の専門家として日本の農漁村を巡りながら、その問いを追求し、島国ならではの環境問題を研究している。

 あん氏の答えは、なんと「お弁当」。「日本に来て学んだのは、有限な資源の中でうまく暮らしていること。特に江戸時代の資源管理は素晴らしい。そして、島国の日本は小さな面積の中にいろんなものが万華鏡のように詰まっている」と語る。その比喩としてお弁当(箱)と表現した。約10年かけて日本の約2000か所の漁村を巡った経験から、暮らしや食文化をみても地域によって特色があり異なっているとし、日本人はそんな日本ならではの多様性に気付いていない、との見方だ。

 次に「個人と集団のあいだ」と答えたのは、北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授の石原真衣氏だ。社会の中で不可視化され、沈黙せざるを得ないマイノリティに寄り添った研究を続けている。自らもアイヌのルーツを持つマイノリティの当事者だ。

 「母方の祖母がアイヌで、私自身4分の1だけがアイヌだが、他の人からはアイヌだと決めつけられる。私の4分の3はどこに行ったのか。日本は、出自が混ざっている人に全く慣れていない。マルチレイシャル(複数の人種的背景を持つ人)という言葉も使えない」と述べた。個人としてもみられない、集団からもはじかれるという経験から、個人でも集団でもないその間があることを指摘した。

北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授の石原真衣氏(京都大学アカデミックデイ事務局提供)

日本人は多様性の意識が低い? 島国を言い訳にしない

 日本人の多様性への意識が低いと指摘する三人に対し、その理由として「日本は島国だから?」という宮野氏の問いかけに、サコ氏は即座に「島国を言い訳にしすぎ」と反論する。2025年国際博覧会(大阪・関西万博)の運営主体である日本国際博覧会協会の副会長を務めるが、「現在、毎日30カ国以上の担当者と話すなか、島国の人たちほど自分たちの多様性を打ち出したいと言っている。自然環境も厳しく、さまざまな人々が移り住み、お互いを受け入れ、共存して暮らしている。多様性を認めない限り、島国は成り立たない」との考えだ。

 石原氏は、日本が明治以降、急激に西洋化せざるを得ず、一丸となって必死になるなか、マイノリティに目を向ける余裕がなかったことも要因の一つ、と日本がたどってきた歴史からその理由を紐解いた。

 サコ氏は、「多様性の意識が高いか、低いかは、個人の問題ではない。社会が作った構造が変わらない限り、意識を高く持とうと思ってもできない」と問題点を挙げる。「日本では、周囲と一緒だという方が評価される。みんなと違うのに、一緒だと見せかけようとする。だから違いをタブーにしないことが大事」と述べた。

 小学校を訪問し子どもたちと交わるなか、日本の教育にも問題があると指摘。「早く答えを見つけた方が賢い、答えにたどりつくまで考えさせない、質問する時間を与えない、といった状況。好奇心を持つことで多様性の意識が高くなるのに、そんな経験もなしで、子どもたちにいきなり多様性を持てといっても無理」と断言する。あん氏も環境学習といった体験が子どもたちの多様性を育んでいくことにつながるとうなずいた。

グローカリズムの視点も同時に考え、次の社会に生かす

 私たちが今直面しているグローバリズムのひずみをどう捉えていくか―。その問いに対し、あん氏は、「これからはグローバリズムとグローカリズムを同時に考える必要がある」と言う。グローバルな問題の解決は一つではないとし、その地域に根ざした視点(グローカリズム)も大切だと述べた。石原氏は、マイノリティの側からみると、グローバル化によって、先住民の間で情報が行き交うようになった利点を踏まえ、だからこそ社会の中で見えなくなっているマイノリティをインクルーシブ(包括)する形でこれからの社会をデザインしていくことが重要との見方を示した。

 「グローバル化は選択肢じゃない。これはもう嫌でも直面する世界の問題。それに対してローカルでどう対応していくか、この地球課題を解決する自分の役割は何なのか、それぞれが考える必要がある」と言うのはサコ氏だ。人やモノもすべて国境をこえて行き来しているなか、自分の国さえよければ、という考えではもう何も解決できない。ローカルで取り組みながら、地球規模の研究者たちの協働が必要になってくる、と強調した。

 「今日のセッションは結論を求めるものではない」というファシリテーターを務めた宮野氏の言葉の通り、登壇者をはじめ、会場に集まった参加者誰もが、これからの社会の在り方を模索するための新たな視点を持ったのではないだろうか。なかでも、サコ氏が述べた「多様性は好奇心から」という言葉が胸に刺さった。

https://scienceportal.jst.go.jp/explore/reports/20231017_e01/


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【連載 列島を掘る!】 直近の成果が凝縮された『発掘された日本列島2023』を超解説~遺跡から読み解く多様な歴史文化:オホーツク海沿岸・琉球列島

2023-10-18 | アイヌ民族関連

グノシー2023/10/17

【動画】『発掘された日本列島2023』~遺跡から読み解く多様な歴史文化

日本国内で行われている数多くの発掘調査の成果を国民に知らせ、埋蔵文化財の保護について理解を深める目的で文化庁が開催している「発掘された日本列島展」。今年で29回目だ。同展の図録の編集を担当した文化財調査官の大澤正吾さんが中身を詳しく解説してくれた。

遺跡から読み解く多様な歴史文化:オホーツク海沿岸・琉球列島

日本列島の歴史文化の多様さについて、遺跡を細かい視点で見ていくことで浮き彫りにしていく新企画。初年度には、北海道のオホーツク海沿岸の地域と琉球列島という日本列島の北端と南端を取り上げている。

●北海道のオホーツク海沿岸の歴史文化

縄文時代の後には農耕社会の弥生時代が始まった。これが日本列島全体の歴史だと思われてきたが、実は違う。北海道地域は、本州とは違った考古学系の文化の歩みをしてきた。「狩猟採集の文化」が本州よりも長く続いた北海道地域では、時代区分も異なる。続縄文(ぞくじょうもん)時代、オホーツク文化期、擦文(さつもん)時代、擦文とオホーツクが融合したトビニタイ文化期があって、これらが少しずつ並行しながら最後にアイヌ文化期へと移行していく。

今回注目したのは、アイヌ文化期以前まで人々が生活を続けていた竪穴建物だ。竪穴建物といえば、現在の地面からかなり下がったところから掘り込みが見えるのが一般的。しかし、北海道においては「竪穴建物の“くぼみ”が埋まり切らずに今でもそのまま残っている」という。

加えて、竪穴建物の時期が、調査を待たずに「あらかた時期が想定できる」のも面白いところだ。「竪穴建物のくぼみの形、住居の形が時期ごとで異なっている。縄文・縄文続時期は円形や楕円(だえん)形、オホーツク文化期は六角形や五角形で大型、擦文時代は四角形でカマドが取り付くのでカマドの痕跡がある。それらを手掛かりにして、どういう風にアイヌ文化期まで歩んでいくのかが研究されています。他ではなかなかない調査研究方法です」

●琉球列島の歴史文化 双方向的な交易の拠点と防御施設のグスク

奄美諸島や鹿児島県側の島々も、北海道と同じように、本州が農耕社会になっても農耕をしなかった。それが変化し始めたのが、9~12世紀ごろ。農耕化と時期を同じにして、南北の双方向的な交易の拠点であったことがこの地域の大きな特徴だ。「この地域では、交易の拠点として大規模な集落が出てくる。交易の拠点となる遺跡には、北の本州から、あるいは逆の南の中国や沖縄といったさまざまな地域から、交易のために持ち運ばれた遺物が入ってきました」

交易が活発化してくると、それと共に防御的な施設も整えられていく。これがいわゆる“グスク”と呼ばれているものだ。「防御的なものが備えられていく11~15世紀ぐらいまで」をこの地域では“グスク時代”と呼ぶ。
グスクのあり方にも双方向的な影響が見られる。本州の中世の山城の影響を受けて成立した「本州系グスク」と沖縄のグスクの影響が強い「沖縄系グスク」があり、沖縄系グスクのあり方は「琉球王国の版図と関わる」ともいわれている。「説明を聞いていて話が複雑だなと思われると思うんですが、この複雑さこそが、琉球列島の大きな特徴。いろんなところの影響を受けて、いろんなものがあるという点では一つにまとめられるが、それぞれの内容を見ると個々に異なっているんです」

北海道と同様に、写真で見るだけでも素晴らしい景観ばかりだ。「行ってみたいなと、一人でも多くの方が思っていただければ、私どもも遺跡も、地元の人もうれしいと思います」

https://gunosy.com/articles/aIZco


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金田一京助の人生を描く、wonder×works「未踏」

2023-10-18 | アイヌ民族関連

ステージナタリー2023年10月17日 17:40 

wonder×works 日本劇作家教会プログラム 座・高円寺 秋の劇場17「未踏」が11月1日から5日まで東京の座・高円寺1にて上演される。

wonder×works 日本劇作家教会プログラム 座・高円寺 秋の劇場17「未踏」チラシ表

これは八鍬健之介が作・演出を手がける作品。明治から昭和にかけて、言語学、国語学の発展に尽力し、さらにアイヌ語研究の世界へと足を踏み入れた金田一京助の人生を描く。出演者には炭谷征之、鎌野紗惠子、助川嘉隆、保可南、山田茉亜紗、朝日奈寛、桑野晃輔、飯嶋啓介、串間太持、金沢映実、天宮良が名を連ねた。

wonder×works 日本劇作家教会プログラム 座・高円寺 秋の劇場17「未踏」

2023年11月1日(水)~5日(日)
東京都 座・高円寺1
作・演出:八鍬健之介
出演:炭谷征之、鎌野紗惠子 / 助川嘉隆、保可南、山田茉亜紗、朝日奈寛、桑野晃輔、飯嶋啓介、串間太持、金沢映実、天宮良

https://natalie.mu/stage/news/545323


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“日中両属”だった琉球が日本に帰属…「沖縄」となった理由【歴史】

2023-10-18 | ウチナー・沖縄

 THE GOLD ONLINE2023年10月17日 17時0分

明治初期の日本では領域(主権が及ぶ範囲)の画定が進むなか、日中両属であった「琉球」の帰属が問題化しました。明治政府は「琉球奪還」のため、いったいどのような手段を用いたのでしょうか。有名予備校講師で『大人の教養 面白いほどわかる日本史』(KADOKAWA)著者の山中裕典氏が、明治初期(1870年代)の外交について解説します。

明治初期の外交(1870年代)

対欧米関係~不平等条約の改正は、どのように始まったのか?

明治政府は、不平等条約の改正による欧米と対等な地位の獲得をめざしました。廃藩()置県()で国内統一を達成した直後、公家出身の右大臣岩倉()()視()を大使、木戸()()()(長州)・大久保()利通()(薩摩)・伊藤()博文()(長州)らを副使とし、総勢100名を超える岩倉使節団(1871~73)を派遣しました。

しかし、アメリカとの交渉は手続きの不備もあって失敗し、情勢視察による日本の国家像の模索に目標を変更して、使節団はヨーロッパへ巡回しました。

使節団には、アメリカに留学した津田()梅子()(のち女子英学()塾()を開く)や、フランスに留学した中江()()((ルソーの思想を紹介し自由民権運動に影響を与える)も同行しました。

対東アジア関係

[図表1]明治初期の東アジアと日本(概念図)出所:『大人の教養 面白いほどわかる日本史』(KADOKAWA)より抜粋

当時の清はアヘン戦争以来の列強進出に対抗するため、朝貢()国への()主権()を主張してこれを属国扱いし、介入を強めつつありました。

日本は、この動きに近代の論理で臨み、「近代国家の三要素」の一つである領域(主権が及ぶ範囲)の画定を進めました。

(1)琉球帰属問題をめぐって、清とはどのような関係にあったのか?

日本は清()国との間で対等な日清()修好()条規()(1871)を結びましたが、日中両属であった琉球の帰属が問題化しました。

日本は琉球を領域に組み入れる方針を固めるとともに、当時台湾で発生した琉球漂流民殺害事件を利用し、「琉球民=日本国民」とみなして殺害の責任を清国に負わせようとしました。そして、琉球藩(1872)を設置して琉球を直轄化し、琉球国王尚泰(しょうたい)を藩王としましたが、清国は琉球への宗主権を主張して日本へ抗議し、これを認めませんでした。

その後、琉球漂流民殺害事件に対する報復として、近代日本初の海外出兵となる台湾出兵(1874)を断行しました(木戸()孝()允()は出兵に反対して政府を辞職)。イギリスの調停もあり、清国はこの出兵を正当な行動と認め、事実上の賠償金を日本へ支払いました。

「琉球民=日本国民」を清が承認したと見なした日本は、琉球藩廃止と沖縄県設置を強行しました(1879琉球処分)。政府は沖縄県の統治にあたって旧慣温存策をとり、沖縄の近代化は遅れました。

()()昇(じゃはなのぼる)による参政権獲得運動などが起きたものの、沖縄県での衆議院議員選挙の実施は、本土の1890年から遅れた1912年(大正元年)のことでした。

一枚岩ではなかった…“征韓”、北海道帰属をめぐる明治政府

(2)朝鮮に対し、日本はどのような姿勢で臨んだのか?

朝鮮外交を担った対馬藩が消滅したのち、日本の国交要求を朝鮮が拒否すると、軍事力を用いてでも朝鮮を開国させる()韓論()が政府内で唱えられました。

しかし、帰国した岩倉使節団メンバーが「内治()優先」を唱えて反対し、征韓が中止されると、敗れた征韓派の西郷()隆盛()(薩摩)・板垣退)助()(土佐)・後藤()象()二郎()(土佐)・江藤)新平()(肥前)は辞職しました(1873明治六年の政変)。

ところが、その後の日本は朝鮮へ軍艦を派遣して挑発行為を行い、朝鮮からの反撃を口実に江()華()島()を占領して開国を迫り(1875江()華()島()事件)、朝鮮と日()朝()修好()条規(1876)を結びました。朝鮮は「自主ノ邦(くに)」「日本国ト平等ノ権ヲ保有」と規定され、建前では独立・対等な近代国家同士の条約を日朝間で結ぶことで、清の宗主権を朝鮮に否定させたのです。

一方、領事裁判権を朝鮮に承認させ、関税免除の特権も得るなど、実際は日本に有利な不平等条約だったので、その後の日本は朝鮮への政治的・経済的進出を強めていきました。

(3)政府は、北海道をどのように統治したのか?

政府は、蝦夷地()を北海道と改称して開拓使()を設置し、アメリカ式の大農場経営方式を採用し、開拓と対ロシア防衛のため屯田兵制度も設けました(士族授産の一環)。さらに、札幌農学校を設立し、アメリカからクラーク(“Boys,be ambitious!”)を招きました。

しかし、政府がアイヌの「日本人への同化」を基調に日本語教育や農業奨励を推進したことで、伝統的な文化や生活が失われていき、その傾向は北海道旧土人保護法が制定されて拍車がかかりました。

国境の画定~北方と南方とで、どのように国境が画定したのか?

[図表2]明治初期におけるロシアとの国境(略地図)出所:『大人の教養 面白いほどわかる日本史』(KADOKAWA)より抜粋

北方では、日露間で樺()太()・千島()交換()条約()(1875)が結ばれ、国境を定めていなかった樺太がロシアに譲られる代わりに、ロシア領だった得撫島から先の千島列島を全て日本領としました。

南方では、小笠原諸島の領有を各国に通告して内務省が管轄し、のち東京府に編入されました。

山中 裕典

河合塾/東進ハイスクール・東進衛星予備校講師

https://news.livedoor.com/article/detail/25183927/


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森に「答え」を探しにいく

2023-10-18 | 先住民族関連

TABI LABO2023/10/17

カナダ北西に浮かぶハイダグワイ━━。

そこは、1万年以上前から先住民ハイダ族の暮らす離島。文明から一歩距離を置いた手付かずの自然が残るこの土地に写真家・イラストレーター上村幸平さんは移住を決意しました。

「自然との関わりの中での人間らしい営み」をテーマにZ世代の価値観で捉える最果ての地。自然とともに生きる人々を追う連載企画です。

森というのは雄弁な“語り手”である。

その地に息づく文化を、通り過ぎてきた歴史を、生を営んできた人々や動物たちのことを、どうしようもなく語りかけてくる。

ここはカナダ北西に浮かぶ離島、ハイダグワイ(Haida Guwaii)の森。カナダとアラスカの国境付近に位置する、人口5千人に満たない小さな島である。1万年以上も前から先住民のハイダ族が文明を築き上げてきたこの島には、言葉では言い表せない呪術的な雰囲気をまとった原生林が今もなお残されている。

 日本から大きく北回りをして流れてくる黒潮がもたらす豊かな降水量と、遡上するサケを中心とした潤沢な窒素循環こそが、ハイダグワイの温帯雨林をつくりあげている。トウヒが、ヒノキが一面に苔むした地面から空高くそびえている。

その寿命を終え、静かに横たえる樹木は次の生命のベッドとなり、幼い木々が所狭しと肩を寄せ合う。最終氷期でも氷河に覆われなかったこの地では、森の命のリレーが有史以前の時代から続いているのだ。

気が遠くなるような時間の堆積を、ふわふわと包み込むような命の積層を足の裏で確かめながら森を歩いていると、そこかしこに気配を感じる。なんだろう、この感覚は。うっそうと広がるレインフォレストの中に、“誰か”がいる。

 やがてヒーレンという村に着く。かつて、ハイダ族が貝やカニを取るべく夏の住居にしていたという場所だ。村にそそり立つ一本の比較的新しいトーテム・ポールを仰ぎ見て、森で感じたあの気配の正体を半ば直感的に理解した。あの感覚はこの場所に生きた人々の、積層された気配だったのだ、と。

悠久の歴史のなか、ハイダの子どもたちは森でベリー摘みに興じ、若者は鹿やムースを狩りに草木を分け入った。職人たちはカヌーやトーテム・ポールに理想の木材を探して林道を練り歩き、老人は薬草を籠に詰め込んで家路を歩いた。そんな彼らの気配が、森にはそこかしこに満ちていた。

©Kohei Uemura

ところで、ハイダの文明は「森」と切っても切り離せない。

半永久的に保存される「石」の文明ではなく、やがて自然に還る「木」の文明を築きあげたハイダの人々にとって、森というのは彼らのアイデンティティそのものだ。

今でも森、海、風とのつながりに重きを置き、世界の創造者としてワタリガラスを仰ぐ神話体系を語り継ぐ彼らは、「スピリチュアル」なんて言葉では簡単に形容できない形而上的な世界を生きている。文字も記録媒体も持たなかったハイダ族にとって、神話やトーテム・ポールは一族の知恵や歴史を繋ぐための重要な役割を果たしてきた。

***

「どうしてハイダグワイなんですか?」

ハイダの土地に一年間移住するということを話すと、日本人であれカナダ人であれ、ほぼすべての人が僕に尋ねてくる。こう問われる度に、僕は答えに窮してしまう。この地に行き着くことになった奇跡とも偶然とも言える道程は、僕のこれまでのささやかな人生におけるひとつひとつの選択を噛み砕いてしか、完全には説明できないのだから。

 様々なものに憧れを抱き、様々なものに失望してきた。東京に居心地悪さを感じ、キャリアというものに拒否反応を覚えた。学んでいた開発学に失望し、ジャーナリズムには肌が合わなかった。東京とスウェーデンを舞台にした学生生活の間、僕は社会のあらゆる角に頭を強く打ち付けながら、目の前に広がる道を少しずつ軌道修正していった。

去年の春に大学から放り出されて手元に残ったのは、数冊の本とカメラ。これでもかと失望を重ねてきたのに、本と写真はいつでも僕を「何かを知りたい」「誰かに会いたい」という欲望に駆り立ててくれた。

そして、いつしか太平洋の向こうの小さな島の存在を知ることになる。

「森がなくなれば、僕たちは普通の人間になってしまうだろうな」

とあるドキュメンタリーを観た。森林伐採と戦うハイダの若者が「森」の存在について問われた時、おもむろにこう答えていた。

「普通の人間になってしまう」とはどういうことなのだろう。彼らは自分たちをどういう人間だと位置付けているのだろうか。その言葉の真意に思いを馳せていると、自分の向かうべき方向が自然と定まっていくように感じられた。

先住民ハイダ族が島の各地に残した朽ちゆくトーテム・ポールや、今もなお受け継がれる芸術や神話に触れたい。それらを写真と言葉でドキュメントしたい──形式的な回答はこうなるだろう。ただ、この一節は僕の旅の一片をとらえて必要条件を満たしてはいるけれど、完全というには程遠い。

ハイダグワイという島の持つ稀有な自然環境、人々が潜り抜けてきた歴史と築き上げてきた文化。偶然僕の前を通り過ぎていった本や写真、人々を繋いでいくと、ハイダグワイに導かれているような気がした。そして半ば直感的に、僕たちが生きていくヒントが転がっているに違いない、と確信したのだ。

この場所にくる選択をした理由を挙げろと言われれば、この感覚がひとつだろう。

気候変動、人口爆発、格差、紛争、インフレ、AIの台頭――僕たちは薄暗く見通しの悪い道を、地図もコンパスもなしに突き進んでいる。現代社会は疲弊し、「人間らしさ」はじわじわと失われつつある昨今。

 僕の恩師は今の日本を「心の難民化が進んでいる」と語ったが、言い得て妙だと思う。僕たちは日本経済が活況を見ていたあの時期、金銭的豊かさを享受していたあの時代に、金銭的なもの以外の豊かさを見つけるべきだったのだ。

時間、自然、そして世代を超えた他者との交歓。僕が生き得なかったあの時代、もし日本人が別の選択をできていたなら、誰もが拠り所を無くして彷徨い、全体として疲弊に向かうような現代社会を回避することができたのかもしれない。

こんな世界において、僕たちはまだ顔もわからない次世代のために、どうすれば社会を癒して人間らしさを取り戻すことができるのだろう。

ハイダグワイの地において、ものは失われど、魂は失われない。語り手は移り変わり、トテーム・ポールはいつしか朽ち果てていく。それでも自然の循環、歴史の循環の中で、ハイダの人々は大切なことを受け継いでいく。

 すべてはひとつながりに循環しているのだということ。いつか失われてしまうことを肯定すること。次世代に引き継ぐことは、自分たちの世代の責任だと受け入れること。

彼らの知恵には、僕たち日本人が次の世代に、あくまで「人間らしい」世界を繋ぐための示唆がふんだんに含まれているに違いない。それらを僕なりにドキュメントし、何かを伝えることができたなら……。

うっそうとした森の中を歩いていると、時間の感覚が失われる。気がついたらもう21時をとっくに過ぎている。極北の8月、まだまだ日は長い。それでも、太陽が光り輝き命が躍る夏は終わりを迎えようとし、来る冬に向けて日没時間は日に日に早くなってきている。真っ暗になってしまう前に家路を急ごう。

舗装路に戻ると、アスファルトの硬さがいやに衝撃的だった。

https://tabi-labo.com/307874/adventures-of-raven01


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ラクロスの歴史、日本代表はメダル狙える?2028年ロサンゼルス五輪で120年ぶり復活

2023-10-18 | 先住民族関連

スパイア2023 10/17 11:00田村崇仁

競技の起源は17世紀、歴史あるカナダの国技

2028年ロサンゼルス五輪の追加競技としてラクロスが正式決定した。
日本では先端に網がついたスティックを持った大学生を街中で時々見かける程度で世の中のなじみは薄い印象だが、五輪では戦前の1904年セントルイス大会と1908年ロンドン大会で2度実施されており、実に120年ぶりの復活。公開競技としても1928年アムステルダム大会、1932年ロス大会、1948年ロンドン大会まで3度行われた。
日本ラクロス協会の資料によると、競技の起源は17世紀までさかのぼり、北米の先住民族が祭事や鍛錬のために行っていたものを入植したフランス系の移民が発見し、スポーツに発展させたものが始まりといわれる。
またその当時使用していた道具が、僧侶が持つ杖(Crosse)に似ていたことから「La-Crosse」と呼ばれるようになったという。語源はフランス語。名付け親はイエズス会のフランス人宣教師だとされている。
19世紀後半にカナダの国技となり、各国へと普及。現在はアメリカとカナダを中心に86カ国・地域が国際競技連盟である「ワールドラクロス」に加盟。世界の競技人口は約90万人に上る。
日本では1986年に慶應大学の男子学生が駐日アメリカ大使館に問い合わせ、最初にチームを結成したのが始まりとされる。

米国ではプロリーグも、五輪ルールは6人制

競技の主なルールはクロスと呼ばれる先端に網が付いたスティックで直径約6cmの硬質ゴム製のボールを操り、ゴールを狙って得点を競う。開催国となる米国はプロリーグの人気も高く、2028年ロス五輪は参加男女各6チームによる6人制で提案された。
シュート・スピードは時速150kmを超えることもあり「地上最速の格闘球技」とも呼ばれる。
通常、ラクロスは10人対10人の15分×4クオーター制で行われ、アメリカンフットボールの要素も色濃く反映されている。ただ五輪で採用された6人制は70m×36mのピッチで行われ、8分間の4クオーターで試合が行われるという。
ボディーコンタクトも激しく、選手はヘルメットやグローブなどの防具を装着。ポジションはAT(アタッカー)、MF(ミッドフィールダー)、DF(ディフェンダー)、G(ゴーリー)。FO(フェイスオファー)と呼ばれるラクロス特有のポジションもあり、クオーターの開始と得点後、コートの中心で笛の音と同時にボールを取り合う。
国際オリンピック委員会(IOC)は「米国内だけでなく世界的にも目覚ましい発展を遂げ、世界ランキングのトップ10に4つの大陸が名を連ねている」と人気の広さをアピールした。

日本代表は世界選手権5位、表彰台狙える位置

過去2度の五輪ではカナダがともに金メダル。日本代表の男子は世界選手権に1994年から正式参加し、メダルを狙える位置につけている。
2023年6~7月に米国カリフォルニア州サンディエゴで開催された世界選手権では30か国中5位。女子も2022年世界選手権で5位に入っており、五輪でも躍進が期待されそうだ。
2022年に米国アラバマ州で行われた国際総合大会、ワールドゲームズ(WG)は6人制で行われ、女子が6位、男子は3位でメダルを獲得。日本協会によると、競技人口(協会登録)は男子約5,800人、女子約7,300人、合計約13,100人。
華やかな大学スポーツも盛んで早稲田、慶應、関西学院が強く、近年は女子中高生や小学生(ジュニアラクロス)にも愛好者は増えている。

https://spaia.jp/column/lacrosse/23991


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レオナルド・ディカプリオ再度オスカー受賞か? スコセッシ監督×名優デニーロとの最強トリオで贈る『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』

2023-10-18 | 先住民族関連

スクリーン2023-10-17

30年前、『ギルバート・グレイプ』(日本公開は翌1994年)であっという間に日本でもアイドル的人気が爆発したレオナルド・ディカプリオ。2023年10月20日公開の最新作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』やレオの「ロマンス最新情報」についてお届けします。(文・米崎明宏/デジタル編集・スクリーン編集部)

日本デビュー30周年レオナルド・ディカプリオ

今から30年前の1993年10月。ハリウッドの将来を担うと目されていた若手俳優の一人、リヴァー・フェニックスが23歳の若さで急死し、全米のみならず日本でも多くのファンが悲しみに暮れた。

そんな衝撃的な出来事と時をほぼ同じくして、もう一人の未来を嘱望されたティーンエイジ俳優の初主演映画が日本公開された。演技派ロバート・デ・ニーロと共演し、そのデ・ニーロから才能を称賛されたレオナルド・ディカプリオの『ボーイズ・ライフ』(1993)である。

初々しくも確かなスター性を感じさせたレオは早くもその時点で注目された。さらに同年出演した『ギルバート・グレイプ』(日本公開は翌1994年)で、ジョニー・デップと共演し、いきなりアカデミー賞助演男優賞候補になったレオはあっという間に日本でもアイドル的人気が爆発。

その後映画史に残る『タイタニック』(1997)によって世界的スーパースターとなったことから一挙手一投足が注目されるセレブになったレオは、やがて現代の名匠マーティン・スコセッシ監督とのコンビ作に何度も主演するようになり、『レヴェナント:蘇えりし者』(2015)でついにアカデミー賞主演男優賞を獲得して、人気実力を備えた俳優として大成功を収めた。

アメリカ映画界を代表するアクターの一人となったレオが、久々に恩人デ・ニーロと共演する最新作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』の劇場公開を控えた今、彼のこの30年の道のりをあらためて振り返ってみよう。

スコセッシ監督×名優デニーロとの最強トリオで贈る最新作
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』

レオナルド・ディカプリオの40代最後を飾る最新作は、デヴィッド・グランによるノンフィクション(「花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」)を、マーティン・スコセッシ監督が映画化したサスペンス大作。

さらに『アイリッシュマン』(2019)のロバート・デ・ニーロが共演するほか、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(2021)のジェシー・プレモンス、『ザ・ホエール』(2022)のブレンダン・フレイザー、『スキャンダル』(2019)のジョン・リスゴーといった実力派たち、『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』(2016)の新星リリー・グラッドストーンらが出演する。

脚本は『DUNE/デューン 砂の惑星』(2021)のエリック・ロスとスコセッシの共同。レオは製作総指揮(共同)にも名を連ねている。

20世紀初頭。アメリカ、オクラホマ州の先住民オセージ族は石油の発掘によって、一夜にして世界でも有数の富を手に入れる。その財産を狙って、すでに彼らの間に入り込んでいた白人たちは早速オセージ族に取り入り、一族を巧みに操り、脅し、奪えるだけのものを強奪する。

それはやがて謎の連続殺人にまで発展していき、その真相をめぐって後のFBIとなる捜査局の下、大規模な捜査が開始されるが……。

白人のアーネスト・バークハートと先住民のモーリー・カイルの思いもよらぬロマンスを通して、恐ろしい事件の真実、真実の愛、残酷な裏切りが描かれていく本作で、アーネスト役を熱望したレオは、次期アカデミー賞の主演男優賞候補として最有力とも囁かれている。

レオと言えば、こちらも気になる「ロマンス最新情報」

まもなく49歳になる(1974年11月11日生れ)レオナルド・ディカプリオ。常にモテモテの彼はこれまでいくつもの華麗なるロマンスを生み出し、そのたびにお相手が話題を呼ぶこともおなじみだ。

近年では女優のカミラ・モローネと4年半にわたり交際していたものの、彼女が25歳になる直前に破局したこともあって、「25歳以上の女性とは交際しない男」という妙な公式も話題になったレオには、この夏、またもや複数のロマンス・ゴシップが浮上している。

その中で本命視されているのは、モデルのジジ・ハディッド。彼女は元“ワン・ダイレクション”のゼイン・マリクとの以前の結婚で娘が一人おり、28歳とレオのお相手の中では年上の方だが、この夏もニューヨークのパーティなどで一緒にいるところを何度か目撃されている。

ただし、正式に付き合っているわけではなく、それは今後の成り行き次第というところらしい。なのでジジだけに留まらず、今夏のレオはあちこちで他の女性とのバカンスやパーティでの仲睦まじい姿を見かけられおり、アメリカのモデルのメーガン・ロッシュ、インフルエンサーのアラベラ・チー、英国のモデルのニーラム・ギル、そして正体不明の謎の女性まで引く手あまた。

ほかにも最新のところではイタリア出身のモデル、ヴィットリア・チェレッティとサンタバーバラでデートしているところをキャッチされている。25歳のヴィットリアには夫マッテオがいるが、すでに破局しているとか。

これまで独身貴族の華々しい生活を続けてきたレオ。現在も連絡を取り合っているジジとは、互いをリスペクトし、彼女も今の暮らしを楽しんでいるので、すぐにゴールインすることはなさそう。まだまだレオの恋愛遍歴は続いていくのかもしれない。

『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』
2023年10月20日(金)公開
アメリカ/2023/3時間26分/配給:東和ピクチャーズ
監督:マーティン・スコセッシ
出演:レオナルド・ディカプリオ、ロバート・デ・ニーロ、リリー・グラッドストーン、ジェシー・プレモンス、ブレンダン・フレイザー、ジョン・リスゴー

https://screenonline.jp/_ct/17661447


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