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杉田水脈議員「差別していない」 過去の言動を正当化か

2023-10-30 | アイヌ民族関連

有料記事

北海道新聞2023年10月29日 16:34(10月29日 18:42更新)

 自民党の杉田水脈衆院議員は29日までに、性的少数者、女性、特定民族への差別だと批判された過去の発言を巡り「差別がなくなっては困る人たちと戦ってきた。私は差別をしていない」と言明した。ユーチューブへの投稿動画で語った。自身の言動を正当化したとも受け取れる発言。さらなる差別助長を招く恐れがある。

 杉田氏は「チマ・チョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場」などと侮辱した投稿を巡り、今月までに札幌と大阪の法務局から人権侵犯だと認定された。このほかにもLGBTを含む性的少数者を「生産性がない」、性暴力に関連し「女性はいくらでもうそをつけますから」とやゆし、問題化した経緯がある。

 動画で杉田氏は「逆差別、えせ、それに伴う利権。差別を利用して日本をおとしめる人たちがいる」と主張した。自身の発言は「日本をおとしめる人たち」に向けたものであり、非難される筋合いはないとの趣旨とみられる。その上で、差別発言をした事実はないとの認識を強調した。

 同時に「マスコミでいろいろと騒がれているが、アイヌや在日(コリアン)の方々に対する差別は、あってはならないと思う。LGBTや女性に対する差別も当然だ」と指摘。自身への差別批判は当たらないとの見方をにじませた。

 杉田氏は人権侵犯認定を巡っても、非公開を前提とした法務局の措置を口外したとして申立人に不快感を示し、責任転嫁だと批判された。一連の杉田氏問題は、今月始まった臨時国会でも取り上げられている。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/932940/


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北の大地から全国、世界へ 第77回北海道新聞文化賞(一部)

2023-10-30 | アイヌ民族関連

北海道新聞2023年10月29日 04:00

 第77回北海道新聞文化賞の受賞者が決まった。社会部門は木版画絵本の第一人者として国際的にも高く評価される版画家・絵本作家の手島圭三郎さん(江別市)、学術部門は動くがんを正確に狙い撃つ放射線・陽子線治療装置を世界で初めて開発した白土博樹さん(札幌市)、経済部門は水稲の「特A」3品種を開発した「道立総合研究機構農業研究本部」(空知管内長沼町)。贈呈式は11月28日、北海道新聞本社で行い、賞金100万円が贈られる。受賞者のこれまでの歩みと喜びの声を紹介する。

【社会部門】野生生物、アイヌ民話描く版画・絵本作家 手島圭三郎さん(江別市)

 ■迫力と繊細さ 魂込めて

 シマフクロウやキタキツネ、オオハクチョウなど道内の過酷な自然の中でたくましく生きる野生動物や、アイヌ民話の世界などを迫力と繊細さを込めて描き、40冊もの絵本を発表してきた。「1本の黒い線を表現するには、その周囲を彫り込んで浮き立たせないといけない。修正の効かない木版画は、自然と作者の魂が入り込む。その厳しさが、物語のテーマに合っていると思います」。絵本からは緊張感がほとばしり、手に取った幼稚園児も食い入るように集中して読むと評判だ。

 オホーツク管内で生まれ育った。「親の転勤先は寂しい田舎が多く、自然が近かった。静かな家の中で飛行機や軍艦の図鑑、物語の挿絵を熱心に模写する子供でした」。孤独に耐えて制作に打ち込む集中力が養われ、絵のうまさを認めた高校の恩師の勧めで道学芸大(現・道教大)へ進んだ。

 木版画を始めたのは中学教諭時代。「北海道の自然を表現するのに向いた、原始的な技法。これに賭けた」。個展を鑑賞に来た彫刻家の本郷新に「代表作が作れる50代までに作家として独立すべきだ」と助言され、42歳で退職。さらに5年後、編集者の依頼を機に絵本作家としてのキャリアが加わった。道内に根ざした自称“ローカル派”の作品群は、国内外で数多くの賞を受けている。

 江別の自宅兼アトリエに近い野幌自然公園へ50~60代のころは季節を問わず出かけ、木々や生き物など3千枚ものスケッチを描きためた。昨夏に前立腺がん手術をしたが「その蓄積があるから、創作を続けられる。木版画のモチーフにしています」と語り、今も意欲がみなぎる。(渡部淳)

<沿革>

1935年 紋別生まれ

  57年 道学芸大札幌分校(現・道教大札幌校)卒。中学の美術教諭に

  71年 更科源蔵の北海道新聞連載「アイヌ文学を探る」挿絵版画担当

  77年 教員を退職し、木版画家として独立

  82年 初の絵本「しまふくろうのみずうみ」で絵本にっぽん賞受賞

  86年 絵本「きたきつねのゆめ」でイタリア・ボローニャ国際児童図書展グラフィック賞受賞。翌87年に米紙ニューヨーク・タイムズ「世界の絵本ベストテン」に選出

  92年 国連開発計画(UNDP)の環境ポスターに採用される

2021年 40冊目の絵本「きたきつねとはるのいのち」出版

【学術部門】動くがん狙い撃つ放射線治療装置開発 白土博樹さん(札幌市)

・・・・・・・

【経済部門】開発した水稲3品種の食味「特A」評価 道立総合研究機構農業研究本部(長沼町)

・・・・・

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/931994/


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アイヌ儀式 「貝送り」遺構発見 礼文島 大量のアワビ殻 /北海道

2023-10-30 | アイヌ民族関連

毎日新聞 2023/10/30 地方版 有料記事 480文字

 礼文島でアイヌ民族がアワビの魂を神の国に返す「貝送り」の儀式を行ったとみられる江戸時代の遺構が見つかった。貝送りに関する具体的な証拠が確認されたのは初めてで、調査団を率いる北海道大アイヌ・先住民研究センター長の加藤博文教授は「アワビは重要な交易品として特別な存在だったのではないか」と話す。

 アイヌ民族には自然の恵みを神からの贈り物と考え、神の国に魂を送り返して再訪を願う儀式「イオマンテ」がある。地域によって儀式の対象に違いがあり「クマ送り」が広く知られている。

 加藤教授によると、遺構は8月、礼文島北部の砂丘にある遺跡で発掘。地表から深さ50センチほどの場所で、直径1・5メートルの範囲に大量のアワビの殻が集中していた。クジラの骨を削ったへらや曲げられた小刀のほか、江戸時代の貨幣である寛永通宝も見つかった。

 ・・・・・

https://mainichi.jp/articles/20231030/ddl/k01/040/036000c


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石田三成の次男が逃れた北辺津軽。 弘前城内に祀られた秀吉像。戦国のミステリーを追う【どうする家康 満喫リポート】戦国秘史秘伝編

2023-10-30 | アイヌ民族関連

サライ2023/10/29

ライターI(以下I):『どうする家康』では、石田三成(演・中村七之助)の政務復帰を望む徳川家康(演・松本潤)に対して、三成が「天下簒奪」だと断罪する展開になりました。

編集者A(以下A):いよいよ天下分け目の関ケ原に突入するわけですね。さて、今週は、本編をより楽しむための「裏設定」的な歴史ネタを紹介しましょう。

I:前週は、豊臣政権の実情を鋭く観察した津軽為信が、政権中枢の人物として急成長した石田三成と太いパイプを結ぶことで、津軽の独立を勝ち取り、その後、弘前藩と三成との縁(えにし)は、徳川の世になっても紡がれていくことになる、ということに触れました。今週もその続編を紹介します。三重大学の藤田達生教授の著書『戦国秘史秘伝』から適宜引用します。

弘前藩においては秀吉はもとより、様々な支援を得た三成に対する恩義は格別のものとされたのは当然であった。それは、慶長五年(1600)年9月の関ヶ原の戦いの後の三成の子どもたちへの処遇からもうかがわれる。
三成の次男重成は、豊臣秀頼に小姓として仕えていた。同僚だった津軽信建(為信長男)の指示をうけて、なんと若狭から日本海ルートで津軽まで逃れたのである。さすがに姓名はそのままとはいかず、杉山源吾と称した。
その長男吉成は、二代藩主津軽信枚(のぶひら)(為信三男)の娘を妻として家老となり、杉山家は代々藩重臣として存続する。これは津軽藩において、いかに三成に対する恩義を意識していたのかを示す史実である。なお、吉成は寛文九年(1669)に勃発したシャクシャインの戦い(松前藩に対するアイヌ民族シブチャリの首長シャクシャインの武力抵抗)で、弘前藩の侍大将として総勢七〇〇名を率いて蝦夷地に出陣している。
革秀寺(弘前市)の霊屋には、重成がもたらしたとされる秀吉像が安置されていた。ありがたいことに、私たち一行はご住職の計らいで漆が多用された美しい霊屋の内部に入ることを許され、金箔漆塗りの豪華な厨子に入った小型の中年期と思われる立派な秀吉像に対面することができた。
それは、金箔の唐冠に桐紋付きの束帯姿で、金箔の杓を持ち、いささか伏し目がちの座像で、有名な秀吉像(宇和島伊達家所蔵)とは異なる趣があった。元は、弘前城内の「北の郭(くるわ)」の南東に附属する隠し曲輪というべき場所に建立された館神内に安置されたたもので、そこにはごく限られた者しか出入りが許されなかったという。
江戸時代を通じて、秀吉像が弘前城内で守護神として祭られていたのだ。津軽藩においては、三成子息がもたらした秀吉神像を崇拝し、三成の血統が藩重臣として藩政を預かっていたと考えてみただけで、なにやらワクワクするではないか。
ところが、これは弘前藩に関するミステリーの序の口だった。杉山家に興味を持った私たちは、その墓所宗徳寺(弘前市)を訪れてみた。探しあてた代々の墓には、すべて「豊臣」姓が刻まれているのである。津軽藩では、なんと杉山家が堂々と豊臣を名乗ることが許されていたのだ。
もちろん、石田氏には豊臣の血は流れていないし、豊臣姓も下賜されていなかった。しかし、秀吉と格別な関係にあった家という認識が浸透していたから、これが許されたと推測する。

A:今週の『どうする家康』の劇中では大谷刑部(演・忍成修吾)が三成三男を出陣させるという考えを持っていたことが描かれました。この三男というのは後に僧籍になった人物ですね。弘前藩に逃れたのは次男というわけです。

I:江戸時代に秀吉の像を城内で祀っていたとは公儀に知れたら大問題だったと思うのですが、津軽家もまた思い切ったことをしたものですね。

A:公儀の目よりも豊臣家、三成に受けた恩義を優先させたのでしょう。津軽のじょっぱり気質と受け取っていいと思います。

I:三成と津軽家、そして徳川家の間で繰り広げられた人間模様は、ドラマにしても面白そうですよね。

●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。歴史作家・安部龍太郎氏の『日本はこうしてつくられた3 徳川家康 戦国争乱と王道政治』などを担当。『信長全史』を編集した際に、採算を無視して信長、秀吉、家康を中心に戦国関連の史跡をまとめて取材した。

●ライターI:三河生まれの文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2023年2月号 徳川家康特集の取材・執筆も担当。好きな戦国史跡は「一乗谷朝倉氏遺跡」。猫が好き。

https://serai.jp/hobby/1159787


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根室海峡で国境越えない「ボーダーツアー」 見えない壁、学ぶ旅

2023-10-30 | アイヌ民族関連

毎日新聞 2023/10/29 10:00(最終更新 10/29 10:00) 有料記事 2110文字

北方領土・国後島の島影を眺めながら根室海峡に面した北海道本土最東端の海岸線を北上するユニークなツアーが21、22の両日、行われた。その名も「国境を越えないボーダーツアー」。ロシアによるウクライナ侵攻でビザなし交流などの四島交流が止まり、冷戦期同様、事実上の「見えない壁」が立ちはだかる海峡をどのように旅するのか。ツアーに参加してみた。【本間浩昭】

 澄み切った青空の下、30人余りを乗せた大型バスは、標津町を出発。78年前の旧ソ連軍侵攻で奪われた国後島を右に見ながら、海岸線を北上した。

 羅臼町郷土資料館では、5~13世紀に海獣狩猟を営んだ「オホーツク文化」の遺跡分布について、天方博章学芸員が解説。「羅臼と根室、国後島にはこの時代の遺跡がたくさんあるのに、同じ根室海峡に面した標津、別海に遺跡は1カ所しかない。彼らは羅臼から対岸の国後島に渡って根室に至ったと推定されます」と説明を受け、人々が自由に根室海峡を行き来していた時代に思いを巡らせた。

 道内では当時、擦文文化が栄えていた。天方さんは「二つの異なる民族が接触すると、どのようなことが起きると思いますか」と疑問を投げかけた。「この質問を子供たちに投げかけると、たいてい『戦った』という答えが返ってきますが、実際には大きな戦いは起きなかったようで、オホーツク文化は次第に擦文文化に融合されていきます。その過程が土器の形や文様に融合に残されています」と説明した。

 戦わずして融合したとみられる証拠は、吸収された側のオホーツク文化の精神世界「クマ送り儀礼」が、擦文文化に伝えられたことからもうかがえる。後のアイヌ文化にも引き継がれたイオマンテ(飼育ヒグマの霊送り)だ。参加者の女性は「とても良い解説でした」と評価した。

 斜里町の知床博物館では、江戸後期の帝政ロシアの南下で幕命を受けて1807(文化4)年、蝦夷地警備のため斜里に派兵され、厳寒のため命を落とした津軽藩士72人の殉難関係資料なども見た。前日には国後と択捉を結ぶ海底電信基地として97(明治30)年に建てられ、「ポー川史跡自然公園」に移設復元されたレンガ製の建物も見学。流氷や潮流による断線が多かったため、基地は3年後に根室に移された(根室国後間海底電信線陸揚施設は2021年、国の登録有形文化財に登録)。

知床横断道では、知床峠の頂上付近で道路を横断して茂みに入っていく親子のヒグマにも遭遇し、参加者からは「まさか昼間に出合えるなんて」との声も上がった。ヒグマは、対岸の国後島や択捉島にも生息しており、陸橋でつながっていた氷河期に移動したものとみられている。

 今回のツアーは「境界地域研究ネットワークJAPAN(JIBSN)」の標津セミナーのオプショナルツアーとして開催された。移住と観光をテーマに開かれたセミナーには日本のボーダーに位置する自治体関係者ら約50人が参加した。「一足飛びに移住するケースは少なく、観光から始まり、お試し暮らしがある」など、活発な議論が交わされた。

 名古屋外国語大の地田徹朗准教授(ソ連史)は「北上するにつれて海の向こうの国後島の島影がどんどん奥に広がっていった。沖縄より広い面積の島だと分かっていたが、島影を右に見ながら移動してみると、実感の度合いがケタ外れに違う」と話した。その上で、海岸線を北上して大きさを実感することで、多くの国民に「未画定の国境の存在を意識させられるのでは」とボーダーツアーの魅力を語った。

今回のボーダーツアーでは、国後島出身で元羅臼町長、千島歯舞諸島居住者連盟前理事長の脇紀美夫さん(82)の話を羅臼国後展望塔で聞く特別プログラムもあった。

・・・・・・

https://mainichi.jp/articles/20231028/k00/00m/040/401000c


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ヘイトスピーチとの闘いを映画に ジャーナリスト・李信恵を追う 11月上旬に伊那市・松本市・飯田市で上映

2023-10-30 | アイヌ民族関連

信濃毎日新聞2023/10/29 11:34

李信恵さんのドキュメンタリー映画上映を企画した久保田さん

 在日コリアンへのヘイトスピーチ(憎悪表現)に対し、裁判で闘ったフリージャーナリスト李信恵(リシネ)さんを追ったドキュメンタリー映画「もっと真ん中で」(オ・ソヨン監督)が11月1~4日に伊那市で、同5日には松本市と飯田市で上映される。オ監督の友人で、県内在住の映像作家久保田桂子さんが上映を企画。「どこでも起きうる差別について問題提起した作品」とし、来場を呼びかけている。

 李さんは大阪府出身。ヘイトスピーチに批判的な記事を書いたことで、インターネット上などで激しい攻撃を受けた。2014年8月、精神的な苦痛を受けたとして、損害賠償を求めてネット掲示板運営者と在日特権を許さない市民の会(在特会)を提訴。両者への賠償命令が確定した。

 オ監督は大阪の在日社会の食文化を取材に訪れた14年、大阪市役所前でヘイトスピーチに遭遇。李さんの裁判を知り、3年余りにわたった裁判を記録した本作を昨年完成させた。オ監督は、李さんへのヘイトスピーチについて、在日コリアンと女性への差別が絡み合った「複合差別」と指摘。深刻な状況に直面しつつ「明るく乗り越えようとする李さんらの姿に学ぶことが多かった」と話す。

 11月1~4日は伊那市の赤石商店で午前10時からと午後1時半から上映(電話090・5705・7217で要予約)。5日は松本シネマセレクト(電話0263・98・4928)が午前10時から松本市のまつもと市民芸術館で上映(前売り券あり)。同日午後3時からは飯田市のライブハウスCANVASで上映(予約不要)する。3日午後と松本市、飯田市での上映後にはオ監督によるトークがある。

https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2023102900144


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海底ガス管敷設に「待った」 先住民が遺跡保護要求―豪

2023-10-30 | 先住民族関連

時事通信2023年10月29日20時32分

【図解】豪ティウィ諸島とガス田

 【シドニー時事】オーストラリア北部沖の海底にガスパイプラインを敷設する計画に「待った」がかかった。遺跡を破壊する恐れがあるとして、ルートに近いティウィ諸島の先住民が政府に中止を求めたためだ。プリバセック環境相が文化遺産保護法に基づき審査しており、遺跡保護が必要と判断すれば、計画は見直しを迫られる。

香港船舶が原因か ガスパイプライン破損―フィンランド警察

 パイプラインは、石油ガス大手のサントスが北部沖のガス田で採掘する予定のガスを、約300キロ南にあるダーウィンの処理施設まで運ぶために計画された。ガス田開発費用は総額約57億豪ドル(約5400億円)で、2025年前半の稼働を目指している。

 ところが、中間にあるティウィ諸島の周辺の海底には、先住民の埋葬地を含む多数の遺跡があるとされ、島に住む子孫や考古学者らが保護を訴えている。島周辺は約1万5000年前まで陸地で、豪本土ともつながっていたが、海面上昇で水没したという。

 サントスは今月、「ルート沿いの海中に遺跡はない」とする委託調査の結果を発表し、着工の構えを示した。これに対し先住民側は「全く信用できない」と反発。文化遺産保護法に基づいて中止の緊急申請に踏み切った。先住民の長老モリー・ムンカラ氏は「先祖から受け継いだ神聖な場所が破壊される」と訴える。

 豪州では14日の国民投票で、先住民の代表機関創設などを定めた憲法改正案が否決されたばかり。パイプライン問題は、政府による先住民支援策の見直し作業にも影響を与えそうだ。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2023102900282&g=int


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イヌイット伝統のイッカク狩り、クルーズ船で危機に

2023-10-30 | 先住民族関連

 AFPBB News10/29(日) 8:07配信

デンマーク領グリーンランドのイトコルトルミットを訪れた観光客(2023年8月20日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News

【AFP=時事】中世神話のユニコーンのような長い牙を持つイッカクの狩りでは、完全なる静寂が求められる。デンマーク領グリーンランド(Greenland)東海岸のスコアズビー湾(Scoresby Sound)の先住民はイッカクを怖がらせないように、子どもたちに水中に小石を投げるのを禁止しているほどだ。

【写真15枚】イトコルトルミットの暮らし

 祖父から狩りを学んだピーター・アルケハンメケンさん(37)は、北極圏の短い夏の間イッカク狩りをしている。

 しかし、イッカクは年々見つけにくくなっている。

 手遅れになる前に先住民イヌイット(Inuit)の文化を一目見ようと観光客がクルーズ船で押し寄せ、狩りに必要な静寂が破られている。

 今年の夏は約60隻が、世界最大のフィヨルドの河口にあるイトコルトルミット(Ittoqqortoormiit)村にやって来た。

 観光をめぐっては、最寄りの集落から500キロ離れたこの村を再び活性化させると考える人もいれば、イヌイット最後の狩猟社会を破壊する可能性もあると心配する人もいる。

 北極圏では温暖化が急速に進んでいる。気温は世界平均の4倍の速さで上昇しており、イヌイットは絶えず脅威にさらされている。

■失われゆく狩猟場

「狩人はここで狩りをして暮らしている。子どももいる」と、イトコルトルミットで生まれ育ったアルケハンメケンさんは語った。イッカクの肉が重要な位置を占める伝統的な生活が脅かされることを懸念している。

 教師で元村長のヨルゲン・ユールト・ダニエルセンさんは、伝統的な珍味であるイッカクの皮と脂肪を切り取った「マクタック」など「イッカクはコミュニティーにとって非常に重要だ」と話す。

 だが、気候変動によりイッカクの生息地は縮小している。科学者らは狩猟が禁止されなければ、グリーンランド東部からイッカクが完全にいなくなってしまうと警告している。

 温暖化により氷が溶けやすくなったことは、もう一つの伝統的食であるアザラシ猟にも陰を落としている。

「以前は1年を通じて氷があったが、今はそうではない」と、アルケハンメケンさんは海を眺めながら話した。

 祖父は、村のすぐ外でアザラシを捕まえた話を聞かせてくれた。だが、今はアザラシを狩るにはフィヨルドの奥まで行かなければならないという。

「30年前には狩人がたくさんいた。今では10人か12人ほどしかいない」

■最後のチャンス、観光

 かつては閑静だった通りは、クルーズ船の観光客であふれかえっている。家々に掛けられたホッキョクグマの毛皮の写真を撮ったりしている。

 ドイツからの観光客は、ここの人たちがどのように暮らしているのか知りたかったと話した。

 ガイドをしたり、観光客向け犬ぞり体験などを提供したりする狩人も多い。

「狩人にとって、観光収入は大きな助けになる」と、現地で旅行会社を営むメッテ・パイク・バーセライセンさんは指摘する。

 一方で、クルーズ船のせいで狩猟ができなくなると懸念する人もいる。

 元村長のダニエルセンさんは、観光を歓迎する人と、観光が先住民の文化、特にイッカク狩りを衰退させるのではないかと懸念する人との間に対立があると認める。

 フィンランド・オウル大学(University of Oulu)で地理学を専門とするマリアナ・レオニ(Marianna Leoni)氏は「観光業は間違いなく、イトコルトルミットの伝統的な狩猟や漁業の脅威となっている」と指摘した。

 観光客はクルーズ船観光に最大で2万ユーロ(約320万円)を支払う。だが、その大半が外資系企業の利益となる。これを受け、グリーンランド当局は、地元に収入が入るようクルーズ客に課税している。

 しかし、1人当たり7ユーロ(約1100円)未満で、イヌイットに「十分に還元」されていないと指摘した。【翻訳編集】 AFPBB News

https://news.yahoo.co.jp/articles/6bd965d3ad80b58c6ac89ddc9749108b0affefbc


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台湾のソウルデザート「愛玉」は日本でブームが起きるか

2023-10-30 | 先住民族関連

Nippon.com2023.10.29

一青 妙 【Profile】

台湾ではおなじみの独特のぷるぷる食感のデザート「愛玉」が、NHKの連続テレビ小説『らんまん』(2023年9月末に放送終了)に登場して、一躍話題となった。日本には戦前に伝わり、浅草や神田神保町に店があったようだが、戦後は影が薄くなり、いつの間にか姿を消していた。植物学者・牧野富太郎への注目とともに、再び、日本にも定着するだろうか?

NHK連続テレビ小説に登場した台湾名物

「先生、この植物の名前は何です?」
「愛玉子。わしは、台湾の人らあとこの植物に、命を救うてもろうたがじゃ」

『らんまん』のワンシーンだ。この下りは台湾でも放送され、大きな話題を呼んだ。

日本の植物学の父と呼ばれる高知県出身の植物学者・牧野富太郎は、東京帝国大学で助手をしていた1896年、清から割譲された台湾に学術調査団の一員として派遣された。

牧野は台湾の植物を採集しながら次々と興味深い発見をするが、山中で体調を崩してしまう。高熱にうなされる牧野の口元に運ばれたのが、先住民が植物の果実から作ったゼリー状の食べ物だった。

後に牧野は、自身の命を救ったこの新種の植物に「Ficus aukeotsang Makino」の学名を付けた。「Ficus」はイチヂクを意味し、「aukeotsang」は「愛玉子」の台湾語読み「オーギョーチー」から取った。日本では植物もデザートも区別せずに「愛玉子」と呼んできたが、台湾では植物の「愛玉子」と食べ物の「愛玉」を分けて呼ぶ。本稿ではデザートとしての愛玉を取り上げるので統一して「愛玉」を使いたい。

台湾にのみ自生する愛玉の正体は?

愛玉子の外観は緑色で、小ぶりのマンゴーによく似た楕円形をしており、すっぽりと手のひらに収まるくらいの大きさだ。学術的には、クワ科イチジク属のつる性に分類され、海抜1000メートル以上の高地に生育する台湾の固有種とされる。特徴的なのは、雌雄異株で、イチジクコバチによって受粉した花が果実となる。気温が低い日本では、イチジクコバチが生息できないため、栽培できない。

1921年、高雄州の技師・福田要が刊行した『臺灣の資源と其經濟的價値/台湾の資源と経済的価値』の林業の章に「此果實を布に包み水を容れたる器の中にて揉み二、三十分間放置する時は淡黄色にして半透明なる寒天狀となるを以て砂糖を混じて食用に供す若くはジエリー製造の原料に供することを得」との記載もある。

先住民の間で食べられてきた愛玉の名は、一般にも広く知れ渡っていたことがうかがえる。

ゼリーのように固まるのは、食物繊維で凝固作用のあるペクチンを大量に含んでいるからだ。腸の蠕動(ぜんどう)運動が促進され、便秘に効果があるだけでなく、満腹感も得ることができる。美白や体脂肪を減らす効果もあるので、うれしいことばかり。体温を下げる作用もあり、熱を出した牧野が愛玉で命拾いをしたのは、偶然ではなく、先住民の知恵によるものだった。

ところで、可愛らしい「愛玉」の名前の由来については、1921年に、詩人で文学者の連雅堂が執筆した『台湾通史』に記述がある。清朝時代に中国大陸の福建省から台湾にやってきた商人は喉が渇き、嘉義を流れる渓流の水をすくって飲むと、とても冷たく爽やかな気分になった。水面に植物の種が浮いていて、揉み出すとゼリー状に固まり始めた。商人は果実を持ち帰り、15歳の娘・愛玉にゼリーを売らせたところ、評判を呼び、娘の名前から愛玉ゼリーと呼ばれるようになったそうだ。

愛玉は台湾人の国民的デザート

愛玉については、台湾に滞在した教員の堀川安市が1942年に出版した『臺灣の植物』で以下のように描かれていた。

暑い台湾には冷たい飲食物が多いのは当然だが、その中に台湾特種なものがある。それは仙草と愛玉子であろう。(中略)以前は樹陰や城門の脇には必ずそれを売る露店を見ることができたものである。店頭をのぞけば黒や黄色の寒天様ものが器に盛られている。注文をすると、それを方形に切って碗に入れ、砂糖水をかけて出す。(中略)いずれも特種の風味があって、熱帯地の冷たい飲食物としては好適のものである。(後略)(注 : 常用漢字・現代仮名遣いに改めて引用している)

私が暮らしていた1970年代の台湾を思い起こす。夏になると市場に必ず愛玉が並んでいた。水を少し張った金だらいの中に、琥珀色の四角い塊がある。欲しい分だけ切り分けてもらい、ビニール袋に入れてよく持ち帰ったものだ。砂糖やハチミツ水に氷と愛玉を入れたものをおやつに食べた記憶を多くの台湾人が持っているだろう。その場で愛玉を食べられる屋台も多かった。

昔も今も、台湾人の共通の記憶として愛玉は存在している。

近年、健康志向の高まりと共に、愛玉の効能が見直されている。成分のほとんどが水分の愛玉は、100グラムでわずか2キロカロリーしかない。味やにおいがなく、どんなものにも合い、喉越しがよく、ストローでちゅっと容易に吸い上げられる。そのため、ドリンクスタンドやかき氷店のトッピングの定番にもなっている。

100%愛玉子から作った本物の愛玉は、一定時間放置していると、愛玉の酵素の働きで水分が流れ出し(離水)、凝固部分が徐々に小さくなってしまう。愛玉の希少価値は年々上がっており、高価になっているという。値段や手間を考え、寒天やゼラチンを加えて作っている店も少なくないが、本物の独特な食感にはかなわない。

屋台や市場、夜市には愛玉専門店があり、一杯わずか40元(約200円)。人気店には行列ができることも珍しくない。コンビニでも手に入る。一番のお勧めは、ゼリーとシロップだけのシンプルな食べ方だ。黒糖や上白糖、ハチミツによって味わいが異なり、レモンの有無によっても違うので、いくつかの店で食べ比べて、好みの愛玉をぜひ見つけてもらいたい。

日本でも愛されていた愛玉

私がまだ小さかった頃、日本で愛玉を食べたり見たりした覚えはないが、日本進出は早かったようだ。

1941年刊行の『趣味の台湾』(宮川次郎著)に、愛玉について興味深い記述を見つけた。

(前略)内地は広いが、東京の浅草公園で十数年前からこの専門店ができており、いつの間にか二軒となり、更に神田神保町にもできた模様だが、浅草のそれは冬季でも一本調子で開店を続けているのは、寧ろ壮観というのほかない。これは台湾でも夏季に限るもので、専ら労働者相手の飲料で、大道で売っている類いだから、内地人の永い在住初でも知らぬ人が多い。(注 : 常用漢字・現代仮名遣いに改めて引用している)

事実だとすれば、1930年代にはすでに日本に入っており、専門店があったことになる。

池波正太郎の『銀座日記』にも愛玉が登場する。

(前略)道を歩いているとB社の女性編集者に声をかけられたので、谷中警察署のとなりの店で、むかしなつかしい〔愛玉只〕(オーギョーチー)を食べる。

〔オーギョーチー〕は台湾特産の蔓茎植物で、これを寒天のようにして、独特のシロップをかけて食べる。

私が子供のころは、浅草六区の松竹座の横町にあった店で、よく食べたものだが、いまは、この店だけだ。ほんとうに五十年ぶりで〔オーギョーチー〕を食べたことになる。

さらに、漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の第64巻(1990年刊行)に、主人公の両さんが「愛玉子」という店に入り、お土産に愛玉子を3つ買って帰るシーンがある。上野谷中の同店は現在も営業しており、おそらく現存する日本唯一の愛玉専門店ではないだろうか。

しかし、一部を除いて愛玉の食習慣は日本には根付くことはなく、デザートなどで提供する店もごく少数にとどまってきた。

ポストタピオカブームとなるか

ドラマでは、牧野が日本に持ち帰った愛玉を食べた家族が「わらび餅みたいね」「水ようかんに並んで夏の名物になったのに」と驚き、感嘆する様子が映しだされていた。愛玉は人の記憶に残り、家族を結びつける素敵なデザートなのかもしれない。

牧野富太郎の名を『らんまん』で知った人は多い。旅行代理店やホテルには、『牧野富太郎ゆかりの地めぐりマップ』などが並べられブームが起きている。牧野が命名し、戦前の日本でも広く食べられてきた愛玉は、戦後に影が薄くなり、いつの間にか姿を消してしまっていた。台湾食のブームで、以前より増えたとはいえ、愛玉が食べられる場所はまだ日本では限られている。『らんまん』をきっかけに、愛玉だけでなく、材料の愛玉子も手軽に手に入るようになることを期待したい。そうなることで、台湾と日本の食を巡る共通の記憶が思い出される日が近いかもしれない。

写真は全て筆者撮影提供

https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02345/


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東京にもアイヌが住んでいる。田房永子さんのマンガで知る「アイヌもやもや」

2023-10-30 | アイヌ民族関連

ブックウォッチ2023/10/29

  マンガ『ゴールデンカムイ』を読んで、アイヌ民族の文化や伝統に興味を持った人も多いだろう。とはいえ、まだまだアイヌが抱える差別や生きづらさは解消されていない。

   2023年12月12日『アイヌもやもや 見えない化されている「わたしたち」と、そこにふれてはいけない気がしてしまう「わたしたち」の。』(303BOOKS)が発売される。

  著者は東京都杉並区生まれのアイヌ、北原モコットゥナシさん。アイヌをとりまく無知・無理解や差別の構造、そしてマイノリティとマジョリティの関係などを考えていくと、女性やLGBTQ+、障がい者など他のマイノリティに重なる部分も見いだされる。

   アイヌについて「とても重要なことだけど、正面から議論するには勇気がいる」「深く考えたいと思っても、漠然とした知識しかないので難しい」と考えてしまう方に、マンガでやさしく解説してくれる。

  マンガを担当したのは、母からの過干渉への葛藤や男性を中心に回る社会への疎外感を描いてきた田房永子さん。本作では、アイヌにルーツをもつ東京在住の高校生を主人公に、彼をとりまく人々を描く。持ち前の鋭い視点で、アイヌが日常の中で会う「もやもや」を伝えていく。

   アイヌ民族を取り巻く問題は難しい話ではある。しかし、目をそらして見えない存在としてはいけない。まず、漫画で知ることから始めてみよう。

■北原モコットゥナシさんプロフィール

きたはら・もこっとぅなし/1976年東京都杉並区生まれ。北海道大学アイヌ・先住民研究センター教授。アイヌ民族組織「関東ウタリ会」の結成に両親が関わったことで、文化復興や復権運動をはだで感じながら育つ。13歳のころ、北海道に暮らす祖母、小田トーニンテマハの影響でアイヌ語樺太方言や樺太アイヌの文化に関心をもつ。和名は北原次郎太。著書に『アイヌの祭具 イナウの研究』(北大出版会)『ミンタㇻ1 アイヌ民族27の昔話』(小笠原小夜氏と共著、北海道新聞社)など。

■田房永子 さんプロフィール

たぶさ・えいこ/1978年東京都千代田区生まれ。漫画家、エッセイスト。2001年、アックスマンガ新人賞佳作受賞。母からの過干渉に悩み、その確執と葛藤を描いたコミックエッセイ『母がしんどい』(KADOKAWA/中経出版)を2012年に発行。大きな反響を呼ぶ。他にも『キレる私をやめたい』(竹書房)、『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』(上野千鶴子氏と共著、大和書房)など著書多数。

※画像提供:303BOOKS株式会社

https://books.j-cast.com/topics/2023/10/29022175.html


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