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池田の聖地で神々へ祈り 十勝のアイヌ民族が儀式 伝統舞踊奉納も

2023-10-23 | アイヌ民族関連

会員限定記事

北海道新聞2023年10月22日 20:21

祭壇の前で伝統舞踊を奉納する十勝のアイヌ民族

 【池田】十勝管内池田町の山中にあるアイヌ民族の聖地「カムイエロキ(カムイエロキヒの表記もある)」で22日、帯広など十勝のアイヌ民族18人がカムイノミ(神へ祈る儀式)を行った。祭壇に立てたイナウ(木幣)にトノト(神酒)を振りかけ、人々の安全で幸運な暮らしを祈った。

 カムイエロキは神々が集い鎮座する場所の意味。十勝の神々が年に1度宴に集まり、情報交換や安否確認を行うと伝わる。少なくとも1980年代までは帯広の山川弘エカシ(長老)の指導で祈りが続いたが、山川エカシ亡き後途絶え、場所も分からなくなっていた。

 このため実行委が文献などで場所を突き止め、昨年秋、復活させた。

 この日はカムイノミに続き、クリムセ(弓の舞)や参加者が輪になって踊るポロリムセなどの伝統舞踊も祭壇前で奉納された。

 カムイエロキでの祈りについて小川哲也実行委員長は「今後も継続する。かつては春も行われていたので、どうするか皆と考えたい」と述べた。(椎名宏智)

※「クリムセ」と「ポロリムセ」の「ム」は小さい字。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/929199/


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強制移住→疫病で400人犠牲…杉田水脈氏が人権侵害したアイヌ 悲しい歴史は本当に共有されているのか

2023-10-23 | アイヌ民族関連

東京新聞2023年10月22日 12時00分

 日本の先住民族アイヌの民族衣装を「コスプレ」と表現した現職国会議員が、いまだ党の要職を務めている。人権侵害は論外だが、そもそもアイヌ民族の歴史を社会は本当に理解できているだろうか。どれだけ知ろうとしただろうか。明治期に強制移住させられた「樺太アイヌ」や、ダム建設で集落を分断された「北海道アイヌ」の地を巡りながら、歴史の負の遺産をどう乗り越えられるか考えた。(木原育子)

◆寂しげな河川敷「かつてここに集落」

 「かつてここに集落があったと想像できますか」。9月上旬、樺太アイヌの遠戚

えんせき

で、郷土史研究家の本田和義さん(71)=札幌市在住=が指さした。視線の先には石狩川。人気

ひとけ

のない河川敷が広がっていた。横なぐりの風が吹き下ろし、何だか少し寂しげだ。

 札幌中心部から北東へ車で30分。本田さんらに案内してもらったのは、石狩川河口から約20キロ地点の北海道江別市の対雁

ついしかり

地区だ。今から150年ほど前、明治政府によって人工的につくられた樺太アイヌの一大集落があったと伝わる場所だ。

 なぜここに樺太アイヌが暮らしていたのか。背景にはロシアとの関係がある。1875(明治8)年、日本政府は樺太千島交換条約を締結。それまで樺太は両国の「雑居地」として国境が画定できずにいたが、条約で千島列島は日本、樺太はロシア領になった。

◆勝手に線引きされ「移住しない限り日本人と認めない」

 両国が勝手に引いた線引きなわけだが、樺太アイヌはどちらの国籍を持つか決めるよう強いられた。猶予は3年以内。だが日本の開拓使は樺太南部のアニワ(亜庭)湾の樺太アイヌらとわずか3カ月の話し合いで、翌76年に道北の宗谷地域に移住させた。江別市郷土資料館の寺井貫生

みきお

・文化財係長は「日本へ移住しない限り日本人と認めないとする布告が出たことも大きい」と説明する。

 その数、計108戸、総勢841人。この他に、唯一「和人」として移住した人もいる。それが、本田さんの高祖父(曽祖母の父)にあたる千徳瀬兵衛さんだ。妻が樺太アイヌで、瀬兵衛さんは後に対雁・江別両村の初代戸長になった。

 本田さんは「内地からの移民も少なく、囚人が道路を造った時代。当時の政府は農業立国を目指し、北海道開拓に樺太アイヌを投入しようと最初から計画していたようだ」と説明する。

◆武力で威嚇、嫌々連れてこられ…

 樺太アイヌたちは故郷が見える宗谷を離れることを嫌がったが、農業や炭鉱での労働を担わせるため、武力で威嚇しながら連れてこられた。それが、冒頭の対雁地区だった。

樺太アイヌが対雁から移った石狩川河口の来札地区の集落=国会図書館デジタルコレクション提供

 悲劇は続く。対雁を疫病が襲ったのだ。3年後の79年にコレラで約30人が死亡、86年からのコレラ・天然痘で約320人が亡くなった。他の病も含めて移住者の半数の約400人が、慣れないこの地で世を去った。結局、農業は続かず漁業で生計をたてるため、約20キロ離れた石狩川河口の来札

らいさつ

地区へ移住していった。1905年に日露戦争で南樺太が日本領になると、ほとんどの樺太アイヌは帰島した。

 本田さんは65歳の定年後、自身の親族に樺太アイヌがいることを知り、祖先がどう歴史に関わってきたのか調べるようになった。

 かつて対雁の集落があった付近には、現在「榎本公園」が整備されている。樺太千島交換条約を締結し、この地に農場を開いた榎本武揚の功績をたたえるためだ。本田さんは声を落とす。「何という皮肉なのか。たたえられる歴史がある一方、刻まれることなく忘れられ、消されていった歴史もある」

◆「知る努力、受け継ぐ努力を放棄してはいけない」

 樺太アイヌ集落がかつてあった江別市内の市営墓地を訪れた。片隅には二つの碑があり、「樺太移住旧土人先祖之墓」「乗仏本願生彼国」と刻まれていた。傍らには、アイヌ民族の祭祀

さいし

に使われたイナウ(木幣)が残っていた。

1891(明治24)年8月に真願寺で初めて行われた「対雁の碑」(左奥)の建立法要=真願寺提供

 「1979年の前住職の時代から、毎年6月に『対雁の碑』の前で墓前祭を開いてきた」と語るのは真願寺の石堂了正住職(60)。寺院の前身が対雁地区にあり供養を続けてきた。

 石堂住職は東京都調布市の寺院出身。30年前に結婚と同時に入寺し移り住んだが「樺太アイヌの歴史をほとんど知らなかった」と話す。今は公開講演会を開いており「樺太アイヌの歴史は世界で起きている難民問題に通じる。国は歴史を残す努力をし、私たちも知る努力、受け継ぐ努力を放棄してはいけない」とする。

◆アイヌの土地を分断した「違法ダム」今も稼働

 苦渋の歴史を背負うのは、樺太アイヌだけではなく北海道アイヌもだ。象徴的なのが97年の二風谷ダム(平取町)訴訟判決だ。道収用委員会を相手に、土地強制収用などの裁決取り消しなどを求めた。

 ダムは完成しており請求自体は棄却されたが、判決は収用委の裁決を違法と認定。「少数民族にとって民族固有の文化は多数民族に同化せず、その民族性を維持する本質的なものである」と言及し、「民族固有の文化を享有する権利は、自己の人格的生存に必要な権利ともいい得る重要なもの」と、アイヌ民族の文化享有権を初めて認めた。

 だが、アイヌ民族の土地を分断して造られた沙流川

さるがわ

の「違法ダム」は今も稼働し、広大な緑の地に不自然な人工物はそびえ立ったままだ。法律でアイヌ民族を先住民族と明記したのも、東京五輪前に突貫工事で制定された2019年のアイヌ施策推進法を待たねばならなかった。その上、今年9月には、自民党の杉田水脈衆院議員がSNSにアイヌ民族の衣装を「コスプレ」と投稿した事実が人権侵犯と認定されるなど、放置しかねる問題が山積する。

◆「結局国は何も変わらなかった」

 原告の1人でアイヌ民族の貝沢耕一さん(77)は「当時は画期的な判決だと思ったが…」と言葉少な。「結局国は何も変わらなかった。遠くから、しかと見てきたが、アイヌ民族の復権について何も解決していない。取り繕うことだけが実に上手な国になった」

 翻って世界はどうか。

 オーストラリアでは14日、先住民族の地位を憲法に明文化するかの是非を問う国民投票を実施。アボリジニやトレス海峡諸島民などの先住民族を「最初のオーストラリア人」とし、先住民族の全国的な代表機関を憲法上に設置することへの賛否が問われた。

◆豪州TVが紹介、先住民族同士で連帯

 恵泉女学園大の上村英明名誉教授(国際人権法)は「歴史や国家制度の根幹に関わる、非常に重要な国民投票だった。結果として否決されたが、現政権は国民に問い、若い世代にも賛成は多かった。その意味では豪州は次の機会にまた期待できる」と指摘。「日本政府にはこの動きの本質的な意味を理解できる人は少ないかもしれないが、アイヌ民族が豪州のテレビで取り上げられ、先住民族同士が連帯を示す動きも深まっている。世界の潮流との連携を広げてほしい」と話す。

 アイヌ民族の歴史とどう向き合っていけばいいか。

 室蘭工業大の丸山博名誉教授は「先住民族は土地と一体だ。土地を意識せずに先住民族を理解することはできない」と切り出し、「北海道各地でアイヌ民族の強制移住は行われ、サケ漁やシカ猟の禁止とともに民族の集団性を失い、入植者社会に消えたアイヌは多い。後から来た入植者が社会制度などを塗り替え正当化するセトラー・コロニアリズム(入植者植民地主義)を自覚しなければならない」と説く。そのうえで、「同化に抵抗するアイヌもいる。謙虚に耳を傾け、歴史を先住民族など少数者の視点で捉え直し、歴史観を転換する必要がある」と訴える。

◆デスクメモ

 広がる大地や珍しい動植物。海、山の幸に、スキー、温泉…。北海道旅行で先住民族のアイヌを意識する人はどれほどいるのだろう。私たちが魅了される観光のほとんどは、奪われた人たちの犠牲の上に成り立っているのに。歴史に目を向け、より深く北海道のことを知らなければ。(本)

【関連記事】杉田水脈氏、アイヌ民族への差別との認識「全くない」 ブログが人権侵犯と認定

【関連記事】持ち去られたアイヌの遺骨が子孫に返還されない 「一刻も早く土に」を阻む背景とは

https://www.tokyo-np.co.jp/article/285228


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アイヌ文化伝承者、知里幸恵の功績伝える 北海道・銀のしずく記念館

2023-10-23 | アイヌ民族関連

毎日新聞10/22(日) 15:00配信

記念館にある知里幸恵の木像の横でほほえむ木原さん=北海道登別市内で2023年9月18日、平山公崇撮影

 ◇友の一言支えに 亡母の思い継ぐ

 アイヌ文化の伝承者、知里(ちり)幸恵(1903~22年)が生まれた北海道登別市に建つ「知里幸恵 銀のしずく記念館」。昨年、地元の熱い要望を受けて3代目館長に就任したのが、幸恵と血縁のある木原仁美さん(49)=千葉県佐倉市=だ。多感な時期、心ない声に悩んだこともあったが、奏でたムックリ(口琴)の音色に感動した友人の一言が支えとなり、幸恵の功績を伝える今の活動にもつながっている。【平山公崇】

【写真まとめ】静江さんの息子、宇梶剛士さん

 登別市に生まれ、幼いころ両親と東京に移った。母の横山むつみさん(故人)は幸恵のめい。自宅が関東ウタリ会(東京)の事務局を兼ねていたため、アイヌの人たちに囲まれて育ち、自分がアイヌであるという自覚はあった。

 小学生から中学生にかけて、容姿から「外国人みたい」と言われた。「アイヌという単語は使われなくても、疎外感はあった。今でもくせ毛を矯正して髪の毛をまっすぐにしちゃうのは、そのころのトラウマがあるからかな」。真顔になると、「はぁー」とひとつ、ため息をついた。

 合唱が好きで、高校では音楽部に入った。1年の時、混声合唱組曲「カムイの森で」を歌うことになった。「シマリスのうた」(カスエクルクル)や「シマフクロウのうた」(コタンクルカムイ)など5曲からなる。「アイヌのことだ」と複雑な気持ちになったが、誰にも言えなかった。

 だがある日、家に泊まりに来た友人に思い切って「わたしはアイヌなの」と打ち明け、得意のムックリを演奏した。目の前で響く不思議な音色に友人は驚き、「なにそれ! かっこいいじゃん!」。アイヌであることへの肯定的な反応は、初めてだった。それから、「アイヌの自分を隠さなくていいんだ」と気持ちが変わった。

 子どものころからムックリやトンコリ(弦楽器)を覚え、アイヌ語も学んだ。しかし、心のどこかに「やらされている感」があった。大学を卒業して民間会社に就職した後、母むつみさんからの勧めで、アイヌ民族文化財団の職員になった。それも、「アイヌの仕事をしたいというより、『母が見つけてくれたからやってみようか』という感覚だった」。

 そんな気持ちに転機が訪れる。アイヌ文化交流センター(東京)で働いていた2000年11月。昭和初期に平取町の二風谷で暮らし、多くのアイヌと交流した英国の考古学・人類学者のニール・ゴードン・マンローが集めたアイヌ民族の工芸品や衣装などを調べるため、スコットランド博物館と大英博物館を訪問した時だ。

 「アットゥシ(樹皮の繊維を使った織物)の反物がありました。表面は色あせていたけれど、しっかり巻かれていて、伸ばすと藍染めの糸の色が鮮明なまま。『100年前のものでも、適切な保管をすればその時代のまま保つことができるんだ』と深く感動しました」。文化の継承に意欲が高まった。

 両親は登別に戻った。幸恵の功績を後世に伝えようと、むつみさんは草の根活動で寄付を募り、2010年に記念館を開設した。登別川のほとりで、遺品や書き残した手紙、日記帳などを展示する。むつみさんは初代の館長を務め、16年に亡くなった。

 近年、登別では木原さんの館長就任への期待が高まっていた。アイヌ民族が代表になることで、アイヌ文化の発信力が増すとの理由だ。アイヌ文化交流センター所長代理の仕事もあり、登別に来られるのは年に数回。それでも就任が決まると、「やっと仁美さんになったんだね」などと喜ばれたという。

 今年、アイヌ神謡集の刊行から100年、幸恵の生誕から120年を迎えた。アイヌ神謡集の序文は「その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました」という一文から始まる。そこには、日本が近代化を進める中で失われようとしているアイヌ民族が育んだ豊かな文化や伝統、言葉を残したいという幸恵の強い思いが込められている。

 今、各地でこの序文を紹介している。「まず言葉の美しさを感じてほしい。アイヌ神謡集はアイヌ全体を知るための入り口の一つ。そこからアイヌ文化への関心を深めてもらいたい」。母の思いを引き継ぎ、血縁者の一人として幸恵の功績を伝え続けることへの使命感は高まっている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/27706d156592fa2ffc8574cbf1262c5de89ab7df


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彼女が民族衣装を着てそこにいた理由=牧野宏美(デジタル編集本部)

2023-10-23 | アイヌ民族関連

毎日新聞 2023/10/22 06:00(最終更新 10/22 10:38) 有料記事 2148文字

 自民党の杉田水脈衆院議員がブログでアイヌ民族や在日コリアンに対し差別的投稿をしたとして、9月以降、札幌、大阪の法務局から相次ぎ「人権侵犯」と認定され、発言に注意するよう「啓発」を受けた。

 <※事実関係の説明のため、差別文言をそのまま記載している箇所がありますのでご注意ください>

 札幌法務局での認定が明らかになった直後、杉田氏は自民の環境部会長代理という要職に起用された。今月11日には記者団に、差別や侮辱をしたという意識は「全くない」と述べ、議員辞職も否定した。

 差別的言動を繰り返す杉田氏も、重用する自民にもあきれるばかりだが、今回問題になった投稿に関し、気になることがあった。

 ブログなどには、2016年にスイス・ジュネーブで開かれた国連の女性差別撤廃委員会に参加した、アイヌの民族衣装に身を包んだ女性たちの写真が掲載され、こう投稿されていた。

 「国連の会議室では小汚い格好に加え、チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場。完全に品格に問題があります」

 そもそも、杉田氏の攻撃対象にされた女性たちは、なぜスイスの国連委員会の会場にいて、民族衣装を着ていたのだろう。その背景には何があるのか。

「杉田氏の投稿が公的に『差別』と認められたことは意味がありますが、それだけに注目せず、私たちが置かれた状況にも、もっと目を向けてほしいと思います」

 自身の写真が投稿され、今回人権救済を申し立てた札幌アイヌ協会の多原良子さん(「先住民族アイヌの声実現!実行委員会」代表)はこう語る。

「複合差別」に苦しんできた女性たち

北方領土・色丹島の斜古丹墓地でアイヌの先祖供養儀式をする札幌アイヌ協会の多原良子さん=同行記者団撮影

 アイヌ民族などマイノリティーの女性は、少数派としての民族差別などに加え、女性差別を受けることがある。このように複数の差別が重なり合って起きることを「複合差別」と呼ぶ。

 多原さんが複合差別という概念を知ったのは、約20年前。国際的にその概念が注目され始めた頃で、国際NGOの呼びかけでマイノリティー女性の複合差別に関する会合に参加したのがきっかけだった。アイヌ民族の権利回復のための運動を続けていたが、女性としてずっと抱いてきた違和感が説明された気がした。

 02年、札幌でアイヌ女性が集まり、複合差別について話し合う会合を初めて開いた。学校で「アイヌ」といじめられたこと、身体的特徴をからかわれ泣いたこと、結婚を考えた相手に出自を告げるか悩んだこと――女性たちは、涙を流しながら自身の体験や思いを次々に語った。

 中でも多原さんがショックを受けたのは、夫から長年名前を呼ばれたことがなく、「こらアイヌ」などと侮蔑され続けているという女性の話だった。

 「それまで『差別をされる方が恥ずかしい』と自分を卑下し、家族を傷つけまいとずっと胸にしまってきた人が多かった。女性たちが共感し、自分たちは差別される必要はないんだ、と確認しあう貴重な機会だったと思います」

民族衣装で国連委員会に参加する理由

 翌年、多原さんはニューヨークの国連本部にいた。そこで開かれた女性差別撤廃委員会で、十分な教育を受けられていないといった、マイノリティー女性が直面する問題を訴えるためだった。

 日本は女性差別撤廃条約の締約国であり、委員会に問題を訴えることで政府に取り組むよう促してもらおうと考えた。最初はリポートを提出するだけのつもりだったが、周囲から「当事者が直接伝えることが大事」と勧められ、参加を決心した。

 スーツケースには民族衣装も詰めた。「まさか自分が国連に行くことになるとは思いませんでしたが、委員に日本の先住民族の存在を知ってもらい、そこに潜む複合差別の問題を認識してもらうために民族衣装を着て訴えようと思いました」

 会場では、委員に個別に声をかけ、説明を重ねた。その結果、日本の報告書を委員が審議する場で、委員から初めてマイノリティー女性に関する質問が出た時は涙が止まらなかった。

 04~05年には、在日コリアン、被差別部落の女性とも連携し、自分たちの手で実態調査を行った。

 アイヌ女性(回答数241)については、その約半数が最終学歴が中学と答え、約3割が読み書きに不自由しているなど、アイヌ民族の中でも教育状況が悪い傾向が分かった。低収入で非正規雇用の割合が高い、4割近くがDV被害を受けたが公的機関に相談した人は少ない、といった課題も浮かんだ。

杉田氏言及の国連委員会の勧告とは

 多原さんはその後も女性差別撤廃委員会に参加し、実態調査の結果を携えて委員たちに課題を訴え続けた。16年の委員会では、日本に対する勧告の中にマイノリティー女性への言及が増え、多原さんたちが提案した内容も盛り込まれた。

 勧告の一つが、マイノリティー女性らへの「民族的優越性または憎悪を主張する性差別的な発言や宣伝を禁止し、制裁を課す法整備を行う」よう求めるものだった。

 杉田氏の投稿は、まさにこうした勧告が出された委員会で、ロビイング活動をする多原さんたちをターゲットにしたものだった。

 多原さんたちがその場にいた意味を知れば、いかにひどい「人権侵犯」であるかが分かる。「啓発」ですむ問題ではない。【デジタル編集本部・牧野宏美】

https://mainichi.jp/articles/20231019/k00/00m/040/161000c


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貪欲すぎる主人公…ディカプリオが『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』アーネスト役を語る

2023-10-23 | 先住民族関連

シネマトゥデイ10/22(日) 6:16配信

 レオナルド・ディカプリオが映画『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』(公開中)で演じたアーネストを語る特別映像が公開された。

【動画】貪欲すぎる…レオが演じたアーネスト

 巨匠マーティン・スコセッシ監督が、デイヴィッド・グランの犯罪ノンフィクションを映画化した本作。石油利権によって世界有数の富を手にしたアメリカ先住民族・オセージ族の財産に目をつけ、彼らを巧みに操り、脅し、奪える限りの財産を強奪し、殺人にすら簡単に手を染める白人たちの姿を映し出している。

 レオはアーネストという男について、「とても複雑で、とても暗く、人物の観点からもとても魅力的だった」とコメント。オセージ族の文化に同化して「カメレオンのよう」になった彼を演じるため、オセージ・コミュニティの人々と何度も話し合い、人物像を深く掘り下げていったのだという。特別映像の中でもレオはアーネストについて、「当時の貪欲さをリアルに表している」と語っている。(編集部・市川遥)

https://news.yahoo.co.jp/articles/9d3fe6fcedb53c96a91d6a468b79afda465e0674


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2023/11/20 アイヌ民族の遺骨をコタン(郷里)に返せ!アイヌ民族連帯!関西集会(11/20 18:30~ 大阪市)

2023-10-23 | アイヌ民族関連

レイバーネット10/22(日) 

案内→http://www17.plala.or.jp/kyodo/annaiframe.html

チラシ→https://www.ne.jp/asahi/info/nowar/kyodo/20231120.pdf

 「第42回全国豊かな海づくり大会」に天皇が出席し、9月16日・17日にアイヌモシリの厚岸でおこなわれました。

  その基本構想では「明治時代には、全国各地からの入植者によって数々の苦難を乗り越えながら開拓が行われたほか・・・先人たちの勇気と知恵によって近代化を進め、今日の生活の礎を築いてきました」とアイヌ民族の存在を消し去り、開拓史観に基づく内容に終始しています。

 政府は、アイヌ民族を「先住民族」と認めたと言いつつ、なんら変わらない侵略思想を貫いているのです。

 1869年に「皇国の北門であり・・・高山辺境の隅にまで開拓し、人の生活を充満させなくてはならない」というアイヌモシリを植民地化する命令を行なったのは明治天皇です。

 その結果、アイヌ民族は豊かな漁場から追い出され、農業を強制されることで、コタン(共同生活を作り上げていた村)は破壊され、死にいたる困窮を強いられ続けました。

 天皇出席の「全国豊かな海づくり大会」が持つ意味は、そのようなアイヌモシリ侵略・アイヌ民族差別の歴史を、漁業権をはじめとする民族自決権・先住権をアイヌ民族から奪ったことを、正当化するものです。

 アイヌモシリ植民地化の役割を大きく担った旧帝国大学は、盗み出したアイヌ民族の遺骨を侵略の正当化を目的とした差別研究のために利用し続けてきました。

 それを反省するどころか、遺骨を返せというアイヌ民族の要求を拒否し、政府と共謀し、その多くを「民族共生象徴空間」の「慰霊・研究施設」に集骨することや、大学に保持し続けることで、再度、研究を継続しようと画策しています。

 日本労働者・人民は、このような問題を解決すべき責任を負っているのではないでしょうか。

 30年近くになるこれまでの集会の中で、「『アイヌ問題』は、アイヌ民族の問題ではなく、和人の問題だ」という言葉が、くり返し語られました。

 その意味をもう一度、考えるためにも、アイヌ民族の声に耳を傾けたいと思います。

 今年もアイヌ民族の宇佐照代さんを招いて、お話をうかがうとともに、参加者が一緒にアイヌ民族の歌や踊りに触れる時間を持ちたいと思います。

 みなさんの参加をよびかけます。

 アイヌ民族が遺骨の返還を求めている京都大学と大阪大学に対する抗議申し入れ行動にも取り組みます。

 これらの行動への参加もよびかけます。

 先住権・民族自決権明記のアイヌ民族法を!

 京大はアイヌ民族、琉球民族、奄美人の遺骨を郷里に返せ!

アイヌ民族の遺骨をコタン(郷里)に返せ!アイヌ民族連帯!関西集会

日 時:2023年11月20日(月)18:30~20:30

場 所:国労大阪会館 1F 多目的ホール

    〒530-0034 大阪府大阪市北区錦町2-2

    JR環状線「天満駅」出口から徒歩約2分

    地下鉄堺筋線「扇町駅」4出口から徒歩約3分

    地図→https://loco.yahoo.co.jp/place/g-1hwEthTP5Ko/map/

お 話:宇佐照代さん(ムックリ演奏、うたと踊りの指導)

問題提起:三木ひかるさん(ピリカ全国実会員)

     日本労働者の立場から問題提起

参加費:1000円(経済的に厳しい方は受付でご相談ください)

主 催:「北方領土の日」反対!「アイヌ新法」実現!全国実行委員会・関西

    (ピリカ全国実・関西)

連絡先:労働者共闘

    電話・FAX 06-6304-8431

    木村敬 電話・FAX 06-6706-2147

宇佐照代さん

 北海道釧路市生まれ。

 アイヌ料理店「ハルコロ」(新宿・大久保)店主。

 アイヌ伝承舞踊や木彫り、刺繍、トンコリ(弦楽器)などに取り組まれています。

 また、小・中・高学校生などに向けて、人権問題体験学習会などの講師をされています。

2023年、関西でのアイヌ民族交流会スケジュール

11月20日(月)午後6時30分~ ピリカ全国実関西主催交流会

   21日(火)午前10時30分~ 阪大本部抗議申し入れ行動

         午後3時~ ゆうとおん ゆうとおんホープ

               072-927-1300

   22日(水)午前及び午後 アサンプション国際

         中学1年生 高校2年生

   23日(木)午後1時~ 京大・アイヌ民族交流会実行委員会主催

         吉田寮食堂 料理教室、お話とうたとおどりの交流

         090-7475-8483

   24日(金)午前11時~ 京大抗議申し入れ行動

         京大本部及び京大博物館

http://www.labornetjp.org/EventItem/1697955439618matuzawa


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マルチステークホルダー経営は「ダブル・マテリアリティ」観点で

2023-10-23 | 先住民族関連

アテルナ10/22(日) 10:43配信

記事のポイント ①自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)が9月に最終提言を公表した ②企業が環境・社会に与えるインパクトも見るダブル・マテリアリティを採用 ③開示だけでなく、経営そのものにもダブル・マテリアリティ観点が必要に

自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)は9月18日、自然資本や生物多様性に関する開示枠組み(TNFDフレームワーク)の最終提言を米ニューヨーク証券取引所で公表しました。気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)がシングルマテリアリティであるのに対し、TNFDはダブル・マテリアリティを採用しています。(オルタナ編集委員/サステナビリティ経営研究家=遠藤 直見)

■TCFDとTNFD、マテリアリティの違い

TNFDフレームワークは、企業がバリューチェーン全体で自然に与える影響、リスクと機会を評価・報告するための枠組みです。自然資本や生物多様性に配慮する経営に投融資を呼び込むことを狙っています。2022年から試作版(β版)を4回発表し、改良を重ねてきました。

既に日本企業でもキリンホールディングス、アセットマネジメントOne、三井住友フィナンシャルグループ、花王、KDDI、NECなどが試作版に基づくTNFDレポートを発行しています(環境報告書などでの報告を含む)。

TCFDとTNFDは、枠組みの構成(「ガバナンス」「戦略」「リスク管理*TNFDでは、リスクと影響の管理」「指標と目標」の4つの柱)や用語については多くの類似点があります。一方、幾つかの点で違いがあります。最大の違いの一つと言えるのが「マテリアリティ(重要課題)」です。

マテリアリティの考え方には「シングルマテリアリティ」と「ダブル・マテリアリティ」があります。シングルマテリアリティは「財務的マテリアリティ」とも呼ばれます。環境・社会の課題が企業活動やビジネスモデルに及ぼすリスクと機会を重視する投資家視点の考え方です。

ダブル・マテリアリティは「財務的マテリアリティ」と「環境・社会的マテリアリティ(インパクトマテリアリティ)」を合わせたものです。

シングルの視点に加えて、企業活動やビジネスモデルが環境・社会に与える影響(インパクト)も重視する考え方です。投資家視点に加えて、顧客・消費者、従業員、取引先、NPO/NGO、地域社会、行政などマルチステークホルダー視点を統合したものです。

TCFDは、気候変動が企業に及ぼすリスクと機会を重視するシングルマテリアリティの観点です。それに対しTNFDは、自然が企業に及ぼすリスクと機会だけでなく、企業の自然との依存関係や自然への影響も重視するダブルマテリアリティの観点を採用しています。

TNFDの開示推奨項目には、企業が水や土地などの自然資本を利用することで影響を受けると考えられるステークホルダー(先住民族や地域コミュニティ含む)に関する企業の人権方針とエンゲージメント活動、それらに対する取締役会による監督が含まれています。これはダブルマテリアリティの観点での重要なポイントです。

TNFDに基づく開示では、企業がいくらリスク管理と機会創出に優れていても、自然やステークホルダーに対してネガティブな影響を与え続ける場合は低い評価を受けます。反対に、ネガティブな影響の抑制やポジティブな影響の創出に取り組む企業は高い評価を得ることになります。

*オルタナオンラインに10月20日に掲載した「経営そのものにも『ダブル・マテリアリティ』観点を」では、ダブル・マテリアリティに基づくサステナ経営を実践するための方法を解説しています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/bac34527befbbfb660e131d80a5b6f9aed848192


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【台湾マニア憧れの地】台湾で最も行きにくい離島・蘭嶼に行ってみた

2023-10-23 | 先住民族関連

 タビジンOct 22nd, 2023.

Posted by: 松田義人 

台湾の離島の中で最も行きにくいと言われる蘭嶼(ランユー、ランユイとも)は、フィリピンのパタン諸島から移り住んだと言われる台湾原住民・タオ族が暮らす周囲40キロの島。主な産業は豊富に採れるトビウオなどの漁業や養豚などと自然を生かした観光業ですが、ただし、冬場は周囲の海が荒れることからおおむね4~10月でないと観光ができません。また、アクセスが難しいことから、台湾マニアの間では憧れの地とされる離島でもあります。

アクセスは飛行機かフェリー。しかし出航はキャンセルも多い

蘭嶼までのアクセスは、主に台湾本島の東部・台東からの飛行機かフェリー、あるいは台湾南部・墾丁からのフェリーです。飛行機の座席は島の住民を優先させるため、もともと販売席数が少なく、さらに気候次第では飛ばないこともあります。もちろんフェリーも同様で、冬場でなくとも海が荒れている際は出航中止になるか、仮に出たとしても、本来は片道約2時間ほどの航海が、その倍ほどとなり、この間ずっと揺れっぱなし……なんてことも。

このため、筆者は今から15年ほど前に取材で蘭嶼に訪れて以来、何度か渡航をトライしていましたが、飛行機またはフェリーが現地で出航しなかったなどで、都合6回ほどフラれていました。それくらい天候に最優されやすい離島ということでもあります。しかし、今回は天候に恵まれ、まさに15年ぶりの再訪を果たすことができました。

言葉に不慣れなら、観光チケッティングサイトの利用がベスト

今回、筆者が蘭嶼にアクセスしたのは、台湾本島屈指のリゾート地の南部・墾丁の後壁湖という港からのフェリーでした。

中国語で事前に台湾現地のフェリー会社にオーダーしましたが、言葉が苦手な方は日本語での予約や決済が可能な台湾発の観光チケッティングサイト「KKday」などを利用すれば、より便宜的にチケットを購入することができます。あるいは、台湾現地でのパックツアーなどに参加するのもよいでしょう。こういったパックツアーの多くはフェリー乗り場までのアクセス、現地での移動の手配なども一括で手配してくれるところもあるので、何かと便利だと思います。

さて、前の晩まで不安だった蘭嶼のフェリーは、翌朝7時に無事出港しました。15年前に行ったときよりも海は穏やかで、スイスイ進み気づけば予定よりも早い1時間半ほどで蘭嶼に到着することができました。

島内の移動はバイク、自転車、運転手チャーターの3択が現実的

蘭嶼に着いたら、まずは移動手段をゲットする必要があります。島内にはバスも走っていますが、1日の本数が少なく細かく停まるわけではなく島内の移動としては現実的ではありません。そのため、台湾人観光客の多くはレンタルバイクをゲットするわけですが、筆者もならってバイクを借りました。港には複数の業者の手配師が待ち構えており、特に予約をしなくとも、そういった人に声をかければすぐ借りることができます。言葉に不慣れでも向こうからガンガン話をしてくれるので、意思疎通はできます。

また、バイクの免許がない人は、同じく手配師に声をかけ、レンタル自転車か「現地の運転手」を1日単位でチャーターすることになるでしょう。

台湾でよく見る黄色いタクシーは走っていないため、「現地の運転手」はおおむね個人にタクシー代わりをお願いすることになります。金額は交渉次第ですが、1日チャーターで3000~5000元(15000円~25000円ほど。時期によって変動)だと思います。いずれにしてもアクセス困難な離島でもあり、総じて物価は高めであることも理解しておきましょう。

さて、筆者は1日500元(約2500円ほど)でレンタルバイクを借りることにしました。かなり使い古されているスクーターで、真っ直ぐ走ってくれない、ミラーはグニャッと曲がっているなどのボロボロマシンでしたが、贅沢は言っていられません。このスクーターを相棒に、蘭嶼を巡ることにしました。

海岸沿いの冷泉に魚と一緒に浸かり、絶品トビウオ炒飯を食べる

この日は気温が35度ほどで日差しが強く風もないため、とにかく暑いのですが、ボロボロマシンで蘭嶼ののどかな海岸線を走ると、風が抜けて心地よいです。また、海岸線沿いの山の裾野には、放牧されている山羊が日陰を頼りに集っていました。
さらに海岸線を進み、自然から湧き出た冷泉が見えてきました。火照った体を冷やすべく立ち寄りましたが、冷泉に足を入れると熱帯ならではのカラフルな小さな魚たちがドクターフィッシュのごとく、筆者の足をつついてきます。くすぐったいですが、これもまたなかなかできない体験です。

しばし休んだところで、朝から何も食べていないことに気づき、食事をとることに。たまたま通りがかった小さな食堂に立ち寄りました。せっかくの蘭嶼なので、ここは名産でもあるトビウオの卵(いわゆるとびっこ)を使った炒飯をいただくことにしたわけですが……これが激うま! たっぷり入ったとびっこと、台湾醤油のうっすら味が絶妙にマッチしており、バクバク食べてしまいました。あまりにおいしかったので、日本に帰ってから再現してみたりもしました。

地面に埋まっているようにも映る蘭嶼ならではの「半地下の家屋」

午後は、蘭嶼ならではの「半地下の家屋」を見学しに行きました。「半地下の家屋」とは、一見、家が地面に埋まっているようにも見えますが、中国語で「地下屋(ディジャーウー)」と呼ばれる独特のもので、蘭嶼に頻発する台風への対策として考案されたと言います。現在では数少なくなったそうですが、今も一部にその家屋があります。背をかがめないと入れない作りですが、石を重ねた土台に重厚な真っ黒い屋根は実にしっかりとしたもの。蘭嶼の風土と、この地で暮らす人々の知恵が詰まった象徴的な家屋です。

ところで、筆者はその筋に疎いですが、綺麗な海に囲まれた蘭嶼ではシュノーケリングやダイビングといったアクティビティももちろん楽しむことができます。島の散策だけでなく、こういったアクティビティも含めて考えれば、数日間の滞在も含めてプランするとよいかもしれません。

シュノーケリングやダイビングのツアーも、前述の「KKday」や台湾本島の旅行代理店、あるいは現地の業者に申し込めば、必要な器具のレンタルも含めて楽しむことができます。

予約していた宿は、ごく普通の人ん家だった

さて、そんなこんなで蘭嶼の周囲約40キロを走り抜け、事前にアゴダで予約していた宿にチェックインすることにしました。宿は総じて高めで大半は1泊2500元(1万円)オーバー。その中でも探しに探しまくって比較的安い1泊1800元(9千円)ほどを予約していました。

しかし、その宿のある住所に行っても民宿らしき建物が全く見当たりません。近所にいた人に宿の名を尋ねたところ「ああ! この宿ならあそこの家だよ」と教えてくれました。その人が指差す先は……宿というより、普通の民家の勝手口。

この勝手口を開けてみると、さらに普通の「人ん家」で居間でくつろぎテレビを見ているオジサンに筆者の名を告げたところ、「ああ。2階に上がって。部屋あるから」とだけ言い、オジサンの視線はまたテレビへ。

なんちゅーユルさ! しかもこれで1泊1800元(9千円)!? ……と思いつつも定型のホテルではなく、このローカルな感じがかえって嬉しくもありました。日本の地方を巡る外国人が、地元の人たちに溶け込むことを喜ぶのと同じで、筆者も定型のサービスよりも地元の生活感をより強く感じたいからです。部屋もまさしくこの家の子ども部屋を改装したようなところでしたが、この雰囲気も楽しく、地元の空気をより生々しく感じることができました。

複数の店で見かけた「勝手にお金を置いていけ」方式

また、蘭嶼の複数の店で見たことでかなり感動したものもありました。それは「勝手にお金を置いていけ」方式。蘭嶼にはコンビニが2軒しかなく、また大型商店も港付近にしかありません。蘭嶼の各所には小さな商店が点在していますが、そういった店でたとえば冷蔵庫からドリンクを購入する際、写真のような貼り紙があります。

意味は「うちは誠実商店だ。買うなら勝手にお金を置いていけ」といったもので、客は冷蔵庫から目当てのドリンクを取り出し、冷蔵庫の内部に剥き出しになっている小銭が入ったカゴの中にチョリンと代金を入れていくという仕組みです。

悪意があればドリンクのタダ飲みやチョロまかしはもちろん、その小銭のカゴの小銭を奪えなくはないのですが、ここ蘭嶼ではそんな汚い人はいないことを表しているように思いました。そして、蘭嶼を訪れる旅行者に対しても同じ思いで迎え入れてくれているのだろうと。また、島中を巡る間、気になるものを見つけ立ち寄ると親身に相談にのってくれる人が多く、蘭嶼には人間らしい優しい空気が流れているのだとも感じました。

たまたま出会った台湾人観光客の団体の晩酌に混ぜてもらう

前述の宿(というより民家)では夕飯はないため、日が落ちてから例のスクーターにまたがり、食堂を探すことにしました。蘭嶼の夜は早く、多くの店は20時にはラストオーダーになるため、早めに出発。ある一角に複数の食堂や居酒屋が集まるエリアがあり、そのうちの店でご飯を食べました。おかずはやっぱりトビウオ。丸ごと揚げたトビウオでご飯を食べました。近くでは路上、防波堤、はたまたトラックの荷台で宴会をする人たちがいて、なんだか楽しそうです。

こういうとき、一人旅はかえって寂しく感じるものですが、台湾ではこういうときこそ声をかけるべきだ、と筆者は思っています。日本のお花見などでも、気づくと全然知らない隣の団体と会話するようになることがありますが、台湾ではそれ以上に「すぐ友達になれる」ことが多いからです。

さっそく観光客とおぼしきある団体に「どこから来たんですか?」と尋ねると、「台中だ」と言い、筆者が日本人だと知るとすぐに輪の中に混ぜてくれ、お酒をすすめてくれました。スクーターで来ているためお酒は遠慮しましたが、言葉が不慣れな僕に対し、ある人はおかずを勧めてくれ、またある人はどういうわけか懇親の記念にと、自慢のカラオケを披露してくれました。ちなみにその歌は全然知らない台湾の歌謡曲でした。

お礼を言い連絡先を交換して分かれましたが、こんなふうに気持ちよい時間を過ごすことができたのも蘭嶼の空気のおかげかもしれません。

台湾にことさらハマる人に「どうして何度も台湾に行くのか」と聞いても、うまく答えてもらえないものです。しかし、その多くが台湾人の人情や温かい民族性、そして風土に惹かれ、それをきっかけに台湾にどっぷりハマっていくのではないかと思います。そして、ここ蘭嶼にはこういった台湾人の人間らしさ、そして風土の素晴らしさがいっぱい詰まっているようにも思いました。15年ぶりにやっと再訪できた蘭嶼。さらにまた何度も渡航のトライをすることになりそうだなと思いました。

※本記事では、台湾本国での呼称にならって「原住民」として表記しています

https://tabizine.jp/article/554173/


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ネイティブアメリカン俳優のリリー・グラッドストーンが語る、『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』撮影の舞台裏

2023-10-23 | 先住民族関連

VOGUE2023年10月22日

マーティン・スコセッシ監督の新作映画『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』で堂々たる演技を披露し、インディーズ俳優から一躍、賞レースの有力候補に躍り出たリリー・グラッドストーン。ヒロインを演じることになったきっかけや、レオナルド・ディカプリオロバート・デ・ニーロとの共演エピソード、ネイティブアメリカンの俳優として心に留めていることを明かしてくれた。

BY RADHIKA SETH

TRANSLATED AND ADAPTED BY MOTOKO FUJITA

混沌としたカンヌのクロワゼット通りを見下ろす、ル・マジェスティック・ホテルのスイートルーム。外の世界とは対照的な静寂に包まれたこの部屋で、リリー・グラッドストーンはアールグレイをいれていた。ハリのある白いスーツに身を包み、低い声で静かに言葉を紡ぐ彼女は、至って平然とした様子だ。比較的無名のインディーズ俳優から一夜にしてアカデミー賞最有力候補に躍り出た人物にしては、あまりにも落ち着いている。

アメリカ先住民の謎の死をめぐるクライムサスペンス小説、『花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』をマーティン・スコセッシ監督が映画化した『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』で、堂々たる演技を見せつけたグラッドストーン。ロバート・デ・ニーロレオナルド・ディカプリオが相手であったことを考えれば、並大抵のことではない。

彼女が演じたのは、石油利権によって巨万の富を得たオセージ族の未婚女性、モリー・カイル。地元の有力者であるビル・ヘイル(デ・ニーロ)と、その甥っ子のアーネスト・バークハート(ディカプリオ)が陥れようとする人物だ。しかし彼女はアーネストを自分の世界へと招き入れ、オセージ語を教え、一族のように装う手伝いまでする。そして二人が結婚すると、彼女は家族を何人も続けて失った傷心と、アーネストに打たれるインスリン注射によって著しく悪化していく糖尿病から、徐々に衰弱していく。

このアーネストとビルが侵した罪を暴くのは、FBI捜査官のトム・ホワイト(ジェシー・プレモンス)。脚本の初期バージョンでは、モリーとアーネストの関係ではなく、彼に焦点が当てられていた。しかし完成した映画で誰よりもパワフルな存在感を放っているのは、ほかでもないモリーだ。グラッドストーンが表現する彼女の凛とした姿勢、穏やかな所作、そしてどこか物憂げな眼差しは、オセージ族の誇りと苦痛のすべてを宿しているように映る。

現在36歳のグラッドストーンは、モンタナ州ブラックフット族の出身。これまでにケリー・ライヒャルト監督の『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』(2016)や、スターリン・ハージョとタイカ・ワイティティ監督の「レザベーション・ドッグス」(2021)などで頭角を現してきた彼女だが、この新作が俳優人生を一変させたのは間違いない。

彼女への注目度が急速に高まる今、モリーを演じることになったきっかけや、ディカプリオとデ・ニーロという二人の大物俳優との初共演エピソード、そしてネイティブアメリカンの俳優としての想いを語ってくれた。

モリーという、一人の勇敢な女性の心情描写について

──まず、この大役を演じることになった経緯を聞かせてください。

オーディション用にセルフテープを送って、それから(キャスティング・ディレクターの)エレン・ルイスとのコールバック(第二次選考)がありました。パンデミックの前で、脚本が書き直される前のことでした。

てっきりオーデションは進んでしまって、私は受からなかったと思い込んでいたんですが、ロックダウンが明けると、この映画の内容ががらりと変わっていました。すると一本の電話がかかってきて、マーティ(・スコセッシ監督)と台本読みをすることになったんです。とにかく不安になって、怖気づきました。でも、その頃はまだパンデミックの真っ只中だったので、Zoom上でのオーディションとなり、自分の寝室からできたのはありがたかったですね。リビングにいた両親に、オーディションが終わってすぐにどうだったかを報告しました(笑)。それからレオ(・ディカプリオ)とミーティングをした後、また電話があったんです。私はもう一度コールバックがあると思っていたのですが、それはオファーが決まったことを知らせる電話でした。モリー・バークハートの誕生日(12月1日)のことだったので、不思議な気分になったのを覚えています。モリーと私は100年違いで、彼女は1886年、私は1986年に生まれているのです。

──脚本の初期バージョンでは、モリーはもっと脇役的な存在だったと思います。それについてはどう思われましたか?

トム・ホワイトが主人公だった初期のバージョンで、モリーがどのようなウェイトを占めていたのか、私には見当がつきません。でも、違ったものだったと思います。オーディションで読んだ初期のバージョンを覚えていますが、モリーとアーネストのシーンはとても重みがあったように感じましたし、説明部分も多く面白いものでした。だから、モリーがこのストーリーにおいて、大きな意味を持つキャラクターでなくなってしまうのではないかと少し心配していました。そして新しい脚本を手にしたとき、大々的な変更があったことがすぐにわかりました。そこには、この映画で私ができること、つまり、セリフに頼りすぎることなく、観る人に何が起こっているのかを伝え、状況に応じて対応するためのスペースが与えられていました。そのとき、「これなら監督に真の実力を見せられる」と思ったんです。

──実際のモリーは魅力的な人です。彼女のどんなところに一番惹かれましたか?

私にとってこの作品は、「無条件に愛情を注ぐことができるがゆえに、搾取されてしまう女性」の探求となりました。誰もがそういう女性を知っているはずですし、私たちはそういう世界に住んでいます。この壮大な物語と、なぜこの映画を作るのかについて話しているときに、そういったことが話題に上りました。気候危機にある今、西洋の工業化以前の社会が、地球をどのように見ていたかを考える必要があると思います。人間の利益のために地球の資源は採取され、そしてその資源は底なしであるかのように扱われていたんです。

※以下【ネタバレ】注意
モリーはこの映画の中で非常に重要な役であり、オセージ族にとっても重要な存在です。彼女の写真を見ると、その目には生命力が漲っていて、信じられないほどの力強さと意志があります。彼女は、(オセージ族の窮状について)カルビン・クーリッジ大統領に直談判をしに行った代表団の一人でした。そして、この映画では語られないのですが、モリーがアーネストと離婚した後、ただ逃げるのではなく、彼が横領した金を奪い返したということを、ぜひ人々に知ってもらいたいと思います。当時、多くの人が打たれていたインスリン注射によって彼女は衰弱していき、50歳の若さで亡くなりましたが、それでもアーネストから12,000ドルから13,000ドルを取り返しました。彼女がいかに、最後まで諦めなかったかという証拠です。彼女は負けなかった。そして、想像しうるすべての困難を乗り越えたのです。

──ネイティブアメリカンの当事者であるあなたは、オセージ族のこの歴史をどの程度知っていたのでしょうか?

私が初めて知ったのは、10歳で小学5年生のときでした。ホームスクーリングを受けていた年で(笑)、学校で習ったわけではありません。私はモンタナ州にあるブラックフット族の居留地で育ったのですが、幼稚園から中学2年生まで、60人ほどの子どもたちが通う4、5部屋ほどある学校で過ごしました。居留地の学校の多くがそうであるように、私たちも多くのリソースがなかったので、5年生のときには乳幼児発達学の学位を持っている母が、私のためにカリキュラムを作ってくれたんです。私はバレエが好きだったので、母はオセージ族出身でアメリカ初のプリマ・バレリーナであるマリア・トールチーフのことを教えてくれました。そのとき父から、オイルマネーのためにオセージ族が殺されたことを聞かされ、とても怖くなった記憶があります。でも、この物語が持つ深い意味合いは、デヴィッド・グランの本が出版された後に、より大きな形で表面化しました。

──オクラホマ州でのオセージ族の俳優たちとの撮影で、大変だったことはありますか? 例えば、オセージ語を習得するのは?

(オセージ語の記録保存・継承に取り組む)オセージ・ネーション・ランゲージ・デパートメントは素晴らしくてとても役に立ちましたし、アプリも活用しました。早めにダウンロードして、講師によるレッスンを受ける前に可能な限り、正書法を覚えました。この言語を保存し、維持させるために働いている人たちの存在を知り、とても感動しました。撮影に入る前に4カ月間レッスンを受け、その後は常にブラッシュアップし続けました。今はもう話せなくなってしまったけど、撮影が終わる頃には、オセージ語で文章を組み立てられるようになっていました。ブラックフット語の断片を聞いて育ちましたが、それよりもずっと話せるようになっていたんですから、おかしな話ですよね。

レオナルド・ディカプリオとロバート・デ・ニーロ、二人の大物俳優との初共演を振り返って

──レオナルド・ディカプリオとロバート・デ・ニーロ、二人のトップスターとの共演で、手が震える場面もあったとお聞きしました。どのように緊張に対処し、落ち着きと冷静さを保ったのでしょうか?

私が誰かのことを知ろうとするとき、その人が無口でいたり無関心でいる姿からのほうが、ずっと多くを学ぶことができます。レオと私が初めて一緒に撮影したのは、モリーとアーネストが夕食をとるために座るシーンなのですが、暴風雨が吹き荒れるカットで終わるんです。それを作り上げるには長い時間が必要だったし、モリーがその瞬間、その空間をいかにコントロールしているかを感じ取るのにも長い時間が必要だった。オセージ族の文化や社会では、女性は家も財政も、すべてを有するのです。だから私は、自分の家で一人の男性を吟味し、見定める女性になりきらなければならなかった。

でも、カメラが回っていないときは緊張してしまって。なぜなら、それはもちろん、レオが目の前に座っているから。手が震えていましたね。それを周知するかのように、みんなの前で手をテーブルにのせたりもしました。するとレオはアーネストとして手を重ね、「大丈夫」と言ってくれました。それからレオの前での緊張は解けたのですが、ボブ(デ・ニーロ)と初めて食事をしたときにも同じことが起こったんです。豆をのせたスプーンを持つ手が震えてしまって(笑)。でもそのことを彼に打ち明けたら、その後は問題なかった。彼らはとてつもないアーティストなので、そうなってしまうのは理解できますが、緊張を一度解き放ってしまえばよいのだと学びました。蝶になる前のサナギのような感じですね。

──そして最後に、カンヌ国際映画祭はどのようなものでしたか? また、あなたとこの映画に大きな関心が向けられるであろうアワードシーズンについて、どのような心境ですか?

カンヌは同窓会のようなものでした。この映画の代表として来場した人の多くは、オクラホマでの撮影をともにして以来、顔を合わせていなかった人たちだったので。賞の(有力候補としての)注目度という点では、語られる必要があったこの物語にさらに関心が集まるという意味において、本当に感謝しています。

ただ、私がもどかしいと感じているのは、一人の人間がグループ全体の代弁者になれるわけではないということ。私はオセージ族の一員ですらありません。私はそのコミュニティに、とても寛大に、愛情深く、配慮を持って接していただきましたし、アメリカ先住民政府のオセージ・ネーションの方々とも関係を築いています。そうした方々を心から愛してもいます。ですので、この仕事をする上で、オセージ族の想いをできるだけ届けていけたらと思っています。私にはオセージ族を代表してその歴史を語ることはできません。モリーを演じた経験を通じてのみしか語ることはできないのです。それでも、役を演じきったと思いたいですし、このジェットコースターのようなキャリアを歩んでいく上で、これからもモリーという存在を胸に留めていくつもりです。

Text: Radhika Seth Adaptation: Motoko Fujita
From VOGUE.CO.UK

https://www.vogue.co.jp/article/uk-vogue-lily-gladstone-killers-of-the-flower-moon-interview


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日本聖公会 アル・アハリ病院の爆撃受け声明「人質の即時解放、即時停戦を」

2023-10-23 | 先住民族関連

キリスト新聞2023.10.22

 日本聖公会(武藤謙一首座主教)は10月20日の声明で、エルサレムおよび中東聖公会が運営するガザのアル・アハリ病院が爆撃を受けたことによる緊急要請に連帯を表明した。

「アル・アハリ聖公会病院の爆撃に強く抗議し、イスラエルとハマスの即時停戦を求め、犠牲となった人々の魂の平安と平和のために祈りと連帯を求めます」と題する声明は、隔離壁の中に閉じ込められたガザ地区が「天井のない監獄」「世界最大の監獄」と言われるに至る歴史的経緯に触れ、日本聖公会も支援してきたアル・アハリ病院が攻撃されたことに強く抗議し、「イスラエル、ハマスの爆撃により犠牲となった人々の魂の平安を祈り、人質となっている人々の即時解放、即時停戦」を求めている。

エルサレム教区への支援については、アングリカン・コミュニオン・ニュースサービス(ACNS)のページで受け付けている。オーストラリア、カナダ、英国、米国の団体を介して支援することも可能。

声明の全文は以下の通り。

<アル・アハリ聖公会病院の爆撃に強く抗議し、イスラエルとハマスの即時停戦を求め、犠牲となった人々の魂の平安と平和のために祈りと連帯を求めます>

 「わたしは神が宣言なさるのを聞きます。主は平和を宣言されます/御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に/彼らが愚かなふるまいに戻らないように」(詩編85:9)

 パレスチナでハマスとイスラエルの間で戦争が起こりました。とても悲しいことです。イスラエルとパレスチナの戦闘は、イスラエルがパレスチナに建国した時に始まります。第2次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺に世界は同情し、1948年、国連はイスラエル建国を認めました。イスラエル建国では、先住民であるパレスチナ人を戦争、暴力、法律で迫害、虐待し、多くの国内難民が出ました。

 その後、イスラエルは自ら生み出したパレスチナ人国内難民への圧政を強めてきました。それがパレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区へのイスラエル人入植であり、ガザ地区を取り巻く高い隔離壁です。イスラエルによりガザ地区の住民は隔離壁の中に閉じ込められ、食料、燃料、医薬品などの搬入も制限され、外の世界と自由に往来が出来ません。隔離壁が、「天井のない監獄」だとか「世界最大の監獄」だと言われる所以です。

 今、ハマスのイスラエル攻撃が起こり、それに対してイスラエルからガザ地区への爆撃が繰り返されています。その中でアル・アハリ聖公会病院が爆撃され、大勢の犠牲者を出しました。アル・アハリ聖公会病院は日本聖公会も支援をしてきた病院です。犠牲者の中には、女性や子ども、老人など、直接に戦争に加担していない一般住民も含まれます。

 イスラエルがガザ地区へ侵攻すれば、何万人もの犠牲者が出ると予想されています。10月18日には国連は安全保障会議を開き、イスラエルとハマスとのガザ地区での紛争を一時停止し、ガザ地区避難民の人道支援を求める決議案の採択を求めました。しかし、イスラエル支持をしているアメリカが拒否権を行使したために採択できませんでした。本当に悲しいこと、残念なことです。

 日本聖公会は、戦後50年目の1995年に宣教協議会を開き、過去の戦争に加担してきた過ちを告白し、翌年の第49(定期)総会において「聖公会の戦争責任に関する宣言」を決議しました。以来、世界のあらゆる戦争や争いに反対し、平和を願い求めてきました。戦争で犠牲となるのは、力のない女性、子ども、老人、障碍者など弱く小さくされている人たちです。

 イエスさまは、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25:40)と仰っておられます。私たちの立ち位置は明らかです。小さく弱くされている人々の所、そこにイエスさまがおられます。その所に、私たちも心を寄せていくのです。

 私たちは、アル・アルハリ病院の爆撃に強く抗議し、イスラエル、ハマスの爆撃により犠牲となった人々の魂の平安を祈り、人質となっている人々の即時解放、即時停戦を求めます。私たちは連帯して戦争へ反対し、平和と正義の実現を求めて共に祈りましょう。

2023年10月20日

日本聖公会・首座主教
主教 武藤謙一
日本聖公会・正義と平和委員長
主教 上原榮正

https://christianpress.jp/62933/


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<Q&A>杉田水脈衆院議員も…「人権侵害」認定の手続きって? どういう措置が取られる?

2023-10-23 | アイヌ民族関連

東京新聞2023年10月22日

 自民党の杉田水脈衆院議員が、アイヌや朝鮮民族への侮辱的な投稿をしていた問題で、札幌に続いて、大阪の法務局からも人権侵害の認定を受けました。どのような手続きで認定が行われ、どれほどの効果があるのでしょうか。

◆全国の法務局に無料で相談できる

 Q 人権が侵害される事案があった場合、どこに被害を申告するのですか。  A 全国の都道府県にある法務局内の相談窓口に直接、無料で相談できます。電話やオンライン相談もあり、法務省人権擁護局のサイトに連絡先が掲載されています。

 Q 申告後の対応は。  A 法務局の職員と一定の知見があるボランティアが相談を受け、人権を侵犯する事件に該当すると判断した場合は、調査に着手します。職場でのパワハラ被害の場合、労働局の窓口など他機関を紹介することもあります。

 Q 認定のやり方は。  A 警察のような強制力はありませんが、人権を侵害したとみられる相手側にも話を聞き、関係法令・指針を根拠に判断します。

 Q 調査の結果は。  A 認定、不認定、いずれの場合も申告者に伝えます。プライバシーに配慮し、法務局自体は公表していません。

◆認定されたら? 悪質な場合は…

 Q 認定した場合、どういう措置が取られるの。  A 被害救済や予防の対応を要請したり、人権侵害をやめるよう文書で勧告したりします。悪質な場合は、刑事告発することもあります。

 Q 杉田氏に対する札幌、大阪両法務局の措置は「啓発」でした。

<Q&A>杉田水脈衆院議員も…「人権侵害」認定の手続きって? どういう措置が取られる?© 東京新聞 提供

 A 啓発は人権侵害が認定できない場合でもとりうる措置で、「あなたの行為は正しくない。理解が間違っている」と伝えます。反省を促し善処を求める「説示」よりは軽い措置です。相手に処罰や賠償金を求める場合は、刑事告発や民事提訴の方が強力と言えます。

 Q セクハラ被害などの場合、匿名申告は可能ですか。  A 相談は匿名でもできますが、法務省人権擁護局は「(事実認定の過程で)申告者の名前を相手方に伝えないとは約束できない」と話しています。

 Q 人権侵犯事件の年間件数は。  A 2022年の手続き開始件数は7859件でした。ブログやツイッター(現X)上で問題発言をした杉田氏のようなネットを通じた人権侵害は1721件で、全体の2割超です。

https://www.msn.com/ja-jp/money/other/q-a-杉田水脈衆院議員も-人権侵害-認定の手続きって-どういう措置が取られる/ar-AA1iDoLV


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千原ジュニア 自民・杉田水脈議員の〝笑顔〟に不快感あらわ「すっごい面の皮ですね」

2023-10-23 | アイヌ民族関連

東スポ2023年10月22日 19:40

 お笑い芸人の千原ジュニアが22日、報道番組「ABEMA的ニュースショー」(ABEMA TV)に出演。人権侵犯と認定された自民党の杉田水脈衆院議員に不快感をあらわにした。

 杉田氏は、2016年に「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさん」とフェイスブックに写真付きで投稿したしたことについて、大阪法務局が人権侵犯と認定されたことが先日、分かった。9月には札幌法務局もアイヌ民族への人権侵犯と認定しており、今回で2例目となる。

 番組では杉田議員が過去も差別発言など数々の問題で追及されるたびに、カメラ前で笑顔を見せていることに着目。心理学者は番組の取材に、自分のやったことに距離を取って向き合わない、緊張を逃すような笑いである「攻撃的失笑」ではないかと分析した。

 VTRを受け、ジュニアは「杉田議員の笑顔は心理学的には攻撃的失笑ということでしたけども、いかがですか」とパネラーのでか美ちゃんに意見を求めた。

 でか美ちゃんは「腹立たしいですよね。印象としても最悪だし、攻撃的失笑という現象を知って〝なるほど〟とは思ったんですけど、そもそも杉田議員だけの問題じゃないというか、この人を党においておくっていうのが、自民党がどういう層に支持されていいのかとか、どう考えてたらおいておくのかな?って思っちゃいますよね」と首をかしげた。

 さらにジュニアは弁護士の中川みち子氏に人権侵犯について質問。中川氏は法務省が人権を守るために作った制度で、人権侵害を受けた側が法務局に申し立てをすると、法務局がそれを調査し、そして人権侵害かそうでないかを認定して、当事者に勧告したり、当事者間を調整したりする制度と説明し「ただ、何か強制力というものがないので、笑っておられるのかなという気はしますね」と言及した。

 これを受け、ジュニアは「すっごい面の皮ですね」と嫌悪感を丸出しにしていた。

https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/280436


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