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夜空彩る大輪の花火 しらおい港まつり盛況、3万5500人が来場

2019-07-30 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2019/7/29配信

豪華な仕掛け花火を楽しむ来場客ら=27日夜
 白老町の夏のビッグイベント「2019元気まち しらおい港まつり」(実行委員会主催)が27、28の両日、白老港インカルミンタル前広場を会場に開かれた。2日間で町内外から3万5500人が来場し、多彩なステージプログラムや港の夜空を彩る打ち上げ花火などを楽しんだ。
 今年で21回目となる港まつりは、民族共生象徴空間(ウポポイ)の開業1年前記念事業の位置付けで開催。初日の27日は、出店がずらりと並ぶ会場のメインストリートで伝統芸能・虎杖浜越後踊り、しらおい元気まち音頭パレードなどを華やかに繰り広げ、2日間にわたるまつりの開幕を飾った。
 ステージでは熊谷威二実行委員長の開会あいさつに続き、白老民族芸能保存会がムックリ演奏や伝統舞踊を披露。港では大小5000発を打ち上げるメインプログラムの花火大会を行い、夜空に咲く大輪の光やダイナミックな仕掛け花火が来場者を沸かせた。
 2日目の28日も引き続き、舞台で歌謡ショーやアイドルグループのライブ、ダンスショーなど多彩なイベントを展開し、白老牛や海鮮の炭火焼きを味わいながらステージを楽しむ光景が広がった。
 地元海産物の販売コーナーや、白老アイヌ協会による伝統料理オハウ(サケの汁物)の無料提供も大人気。ウポポイのPRブースでは、アイヌ民族の衣装を試着して記念撮影する来場者の姿も見られた。
 家族で訪れた札幌市の山田和夫さん(30)は「天気も良くて最高。白老牛の炭火焼きもおいしいし、また来年も来たいですね」とまつりを満喫していた。
 今回は2日間とも天候に恵まれたため、来場者数が昨年より6100人増えた。
https://www.tomamin.co.jp/news/main/16818/

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アイヌ新法成立、日本の「消えゆく民族」とは

2019-07-29 | アイヌ民族関連
CNN 2019.07.28 Sun posted at 10:19 JST

Photo Illustration/ Masataka Ishida, Getty
(CNN) 日本で生まれ育ったミュージシャンの加納沖(OKI)氏(62)は以前、自分がアイヌ民族であることを知らなかった。
アイヌの男性と離婚した日本人の母が、加納氏の実父がアイヌであることを伝えなかったのだ。加納氏がその事実を知ったのは二十歳の時だった。
北海道大学の研究者ジェフリー・ゲーマン氏によると、研究者や日本の保守政治家らは数十年にわたり、アイヌを「消えゆく民族」と表現してきたという。
しかし、アイヌの血を引きながらアイヌとして数えられていない人の数が数万人に上る可能性がある、とゲーマン氏は指摘する。アイヌに対する差別により、多くのアイヌの人々は何年も前に自分たちの素性を隠し、日本人と同化する道を選んだため、若いアイヌの人々は自分がアイヌであることを知らぬまま生きているという。
今年4月に成立したアイヌ新法には、北海道のアイヌ民族が日本の「先住民族」であると初めて明記された。同法には、アイヌの人々が受け入れられやすい社会作り、アイヌの地域経済の強化、さらにアイヌ文化の可視化のための施策が盛り込まれている。
根無し草
神奈川県で育った加納氏は、ジャマイカのレゲエに魅了された。当時、加納氏は自分がアイヌであることすら知らなかったが、レゲエの歌詞に込められた政治的メッセージに感銘を受けた。
ジャマイカのレゲエミュージシャン、ボブ・マーリーの歌に、祖先を忘れた人々は根無し草と同じようなものといった歌詞がある。加納氏がこの歌詞を知ったのは10代の頃だが、大人になってからの方がより深く歌詞の意味が理解できるという。
自分がアイヌと知った加納氏は、アイヌについてより深く学ぶ決意をする。実父に会うために北海道北部に向かった加納氏は、反体制的なスタンスで知られる現地のアイヌコミュニティーにすぐに親近感を抱いた。
しかし、加納氏のコミュニティーへの帰属感は長続きしなかった。アイヌの人々の中には、コミュニティーの外で育った加納氏は、日本の統治下で彼らが味わった苦しみを完全に理解することはできないとし、受け入れを拒否する者もいた。
北海道で育ったアイヌの清水裕二氏(78)も露骨な差別を受けた。他の子どもたちから犬と呼ばれ、見た目が違うという理由でいじめを受けたという。
清水氏の両親は、偏見を避けるため、清水氏にアイヌの慣習やアイヌ語を一切教えなかった。清水氏は母から、成功したければアイヌであることを忘れ、日本人のように生きよと言われたという。
アイヌモシリ
アイヌやアイヌ語の起源については諸説あるが、依然としてはっきりしない。
アイヌは、北海道とロシア東岸沖の千島列島、樺太を居住圏とする先住民で、熊やオオカミ、さらに水、火、風といった自然の要素に具現化された神を崇拝していた。
15世紀に和人が交易のために、さまざまなアイヌの集団が支配する領土に進出したが、間もなく紛争が勃発した。1457年から1789年にかけて多くの紛争が起こり、1789年のクナシリ・メナシの戦いの後、和人がアイヌを制圧した。
1800年代中頃、日本では近代化とともにナショナリズムが高まり、政府は1899年に北海道旧土人保護法を制定し、アイヌを同化しようとした。
同法に基づき、北海道で日本の義務教育制度が施行され、さらに土地の権利や主張に関するアイヌの従来の制度が撤廃された。その後、アイヌは土地を没収され、政府の一連の計画を通じて日本の慣習の適用を余儀なくされた。
絶滅の危機に瀕した言語の保護を目的とした先住民族と研究者の組織、絶滅危機言語プロジェクト(ELP)によると、現在、アイヌ語を母語とする人は世界でわずか2人しか存在しないという。
また高い貧困率と失業率がアイヌの社会発展を阻んでいる。アイヌの高校や大学の進学率は、北海道の平均を大幅に下回っている。
アイヌの人口も減少しているようだ。2013年の北海道のアイヌ人口は、公式の数字で約1万7000人とされ、北海道の総人口の約2%を占めていた。しかし、2017年の最新の記録では、約1万3000人に減っている。
しかし、アイヌの研究者であるゲーマン氏は、アイヌの人口は最大で政府の調査結果の10倍に上る可能性があると指摘する。多くのアイヌの人々が、自分がアイヌであることを隠したり、自分の祖先を忘れたり、知らない人もいるためだ。
新法で開ける新しい未来?
日本を拠点に活動する先住権の専門家マーク・ジョン・ウィンチェスター氏は、アイヌ新法について、アイヌに対する認知の向上や差別禁止の点で「わずかな前進」と一定の評価をしながらも、アイヌの人々に真の権利を与えるという意味では不十分との見方を示す。先住民保護策の策定において最も重要な柱となるべき自己決定権が同法には反映されていない、とウィンチェスター氏は指摘する。
またウィンチェスター氏とゲーマン氏は、日本政府は法案を起草する際、すべてのアイヌの意見聴取をしなかったと批判する。
一方、アイヌの清水氏は、新法には政府からの謝罪の言葉が欠けているとし、日本人が過去の過ちを認めれば、われわれは前に進めると述べた。
また清水、加納両氏は、新法によってアイヌの人々の教育振興が図られるべきだと訴える。
現在、アイヌの若者には、数校の私立大学でアイヌの言語や文化を学ぶための奨学金や助成金が支給されているが、加納氏は、政府の資金提供の対象をアイヌの伝統保護だけでなく、アイヌの人々の支援にまで拡大すべきと指摘する。
加納氏は、より多くのアイヌの人々が、より高度な教育を受け、弁護士、映画監督、大学教授などの職に就く必要があるとし、さもなければアイヌの文化は常に日本に支配されてしまう、と述べた。
https://www.cnn.co.jp/world/35138465.html

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義経像 220年前の姿に 平取・義経神社で公開

2019-07-28 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/27 17:29 更新
 【平取】源義経の渡来伝説の残る日高管内平取町の義経神社で、修復作業を終えた義経の木像が一般公開されている。像が安置された220年前に近い姿で、参拝者が見入っている。
 木像は高さ約40センチ。修復前は欠けていた弓矢や太刀を携え、金箔(きんぱく)が施された甲冑(かっちゅう)に身を包んでいる。
 1799年(寛政11年)に江戸幕府の調査隊として択捉島に渡った探検家近藤重蔵(じゅうぞう)が、義経をあがめていた平取のアイヌ民族のために現在の町内に安置したとされ、神像としてまつられてきた。昨夏、142年ぶりに一般公開された後、完成当時の姿を記録した資料を基に、京都市の仏具店で約1年かけて修復が進められていた。
 宮司の◆田美浩(にれた・よしひろ)さん(42)は「御神像はアイヌ民族との友好の象徴で、町にとって貴重。地域住民が守ってきた思いを新たにし、今後もより一層親しんでほしい」と話した。
 一般公開は、9月1日までの午前10時~午後4時。町外の拝観者は千円が必要。今後は5年に1度、公開する予定。(川崎博之)
※◆は木へんに「諭」のつくり部分
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/329432

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ニコライ・ドミートリエフさん(函館ハリストス正教会の長司祭)6月13日死去 59歳 先人の信仰 初の教会史に

2019-07-28 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/27 17:00
 神戸から函館に赴任したのが2008年。幕末期の函館に着任し、日本正教会を創建したニコライ大主教の来日から150年という大きな節目を3年後に控え、初の函館正教会史刊行に挑んだ。
 創建時は禁教時代。日露戦争中は函館山に軍の要塞(ようさい)があったことから神父らが退去を命じられ、1907年(明治40年)には函館大火で聖堂を焼失した。史料が限られる中、編集作業は難航。それでも「先人たちの辛苦と信仰、忍耐を知れば知るほど、いいかげんなことができなくなった」と自身を叱咤(しった)し、編集・執筆陣を励ましながら完成にこぎ着けた。
 モスクワ生まれで、函館では115年ぶりのロシア人司祭。ロシア極東大函館校の大渡涼子総務課長は「公開講座の講師や『FMいるか』のゲストを引き受けるなど、ニコライさんが来てから市民がロシア文化に触れる機会が増えた。盲学校の生徒たちが来校した折には点字の日本語聖書をわざわざ東京から取り寄せてくれるなど、人柄の温かさを感じた」と悼む。
 教会史編集を通じて新たな使命も見いだした。ロシア帝国に支配され、正教に改宗したのち、日本領に編入されて色丹島に移住させられた北千島アイヌの慰霊。45年のソ連軍侵攻で道内に逃避し、散り散りになった子孫を妻のひとみさん(59)とともに捜し出し、道南や道東の墓前に自ら赴いた。取材などで子孫と接点があった私とは、この過程で情報を交換してきた。
 狭心症で急逝。「先人を記憶することに熱心だった」(ひとみさん)という司祭が函館で刻んだ軌跡は、接した人々に長く記憶されるに違いない。(編集委員 小坂洋右)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/329380

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北大の埋もれた歴史を紹介する 小田博志(おだ・ひろし)さん

2019-07-28 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/27 09:17
 6月下旬に出版された「北海道大学もうひとつのキャンパスマップ」(寿郎社)を書いた北大有志の中心メンバーで、人類学が専門の北大大学院文学研究院教授。「見慣れた風景を1枚めくると埋もれた歴史がある」と話す。
 本には観光名所のポプラ並木やクラーク博士像は出てこない。北大構内にあったアイヌ民族のコタン(集落)や、今も遺骨が眠る納骨堂など隠れた風景を紹介する。植民地主義を正当化する植民学の拠点でもあった負の歴史も取り上げている。
 本の基になった地図を2年前に同僚と作り、北大で開いた日本平和学会で配った。「平和を絵に描いた餅で終わらせないために、キャンパスと植民地主義との関係を認識する必要があった」という。
 香川県出身。大阪大を卒業した春、各駅停車で道内を回った。釧路の古書店で見つけたアイヌ民族の本を手に日高管内平取町二風谷を訪れた。出会った人も風景も「印象が強烈だった」。阪大で修士、ドイツの大学で博士号を取り2001年に北大へ。
 大好きな北海道には「一抹の居心地の悪さ」もある。先住民の土地や権利を奪った上にあるからだ。「歴史を隠したり、見て見ぬふりをするのではなく、直視しないといけない。事実を知り、なぜ歴史の裏面に置かれていたのかを振り返りたい」
 15年には安全保障関連法に反対する北大教員有志の声明を起草した。52歳。(関口裕士)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/329351

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北の果ての小さな村で

2019-07-28 | 先住民族関連
映画.com 07/27
劇場公開日 2019年7月27日
生きる
デンマークで7代続く農家の一人息子がグリーンランドでデンマーク語を教える教師として応募し、人口80人の村に赴任する話。
候補地は首都、人口2000人の町、人口80人の村とある中で、最も小さく現在も狩猟を主な生業としている先住民族の村を選ぶ主人公。
進学するには村の外に出なければならないが、出たことのない年配の村民と当然外の世界を知らない子供達の将来の夢等、文化の違いにぶつかりながら、興味を示し、理解し、打ち解けていく流れで、ストーリーそのものや語られることに物珍しさはないけれど面白かった。
ただ、紀行番組をみている様なつくりで映画のストーリーというより、ドキュメンタリー的な要素に惹かれたところが大きく、ドラマとしての面白さはぼちぼちかな。
https://eiga.com/movie/91210/review/02131108/

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さいはての大地を進むローカル列車の旅 2

2019-07-28 | アイヌ民族関連
ベストタイムス 7/27(土) 18:00配信
 稚内を出てほぼ2時間、特急停車駅でもある天塩中川あたりから車窓右手に天塩川が見えてきた。蛇行する川の流れに沿って列車はゆっくりと進む。佐久駅あたりで大きく左に曲がり、東へと向きを変えたのちも地形に逆らわずに左へ右へと車体をくねらせて走る。筬島駅の手前で天塩川が大きく曲がっているところがある。対岸には「北海道命名之地碑」が立っているが、車窓から確認するのは至難の業である。幕末から明治にかけて蝦夷地を探検した松浦武四郎が、このあたりでアイヌの古老に教えられたカイという言葉にヒントを得て北加伊道という名を思いついたと言われている。それから150年、2019年は北海道にとって節目の年となったのである。
 天塩川に沿ってしばらく進むと、宗谷本線全線のほぼ中間地点に当たる音威子府に到着。列車が遅れていたので、運転士が交代すると、慌ただしく発車した。
 咲来(さっくる)の次は、天塩川温泉駅。といっても温泉の最寄り駅らしい賑わいなど全くなく、短い板張りのホームと小さな待合室があるのみの淋しい駅だ。温泉は駅から何とか歩いて行けるところにあるけれど、音威子府駅からバスで行く方が便利とのこと。1日4往復の列車が停まるだけだし、使い勝手がよい列車ダイヤでもないのでまともな利用者は皆無だろう。温泉の知名度を上げるために駅名としたみたいだ。
 豊清水、恩根内(おんねない)と小ざっぱりした三角屋根の駅舎が続き、紋穂内(もんぽない)では、久しぶりに現われた車掌車の車体利用の駅舎が目に留まったが、朽ち果てる寸前みたいで悲しい。初野(はつの)を過ぎると周囲が開けてきて、農業倉庫の前を通り過ぎると特急停車駅の美深に到着した。周辺にある温泉や湿原などの観光スポットの看板が目立つけれど、その中に「走る森林浴トロッコ王国」というのがあった。かつて美深駅から分岐していて「日本一の赤字線」として名を馳せた美幸線というローカル線の廃線跡を利用した観光施設だ。
 美深からは、山間部を脱して、ひろびろとした田園地帯を走る。といっても人家は疎らだ。日進駅に停まり、名寄川を渡ると名寄に到着。稚内発の列車はここが終点だ。運転士さんの予告通り、いつの間にか遅れを回復していて、定時にホームに滑り込んだ。同じホームの反対側で待っていた旭川行きの快速「なよろ」には余裕で間に合った。稚内からほぼ4時間乗り通した各駅停車の旅は終わったけれど、休む間もなく、次の旅が待っていた。
 快速「なよろ」は、北海道のローカル列車ではお馴染のキハ40系ディーゼルカー。快速だから2両くらいはつないでいるのかなと思ったら単行(1両のみ)だった。名寄まで乗ってきたキハ54とは異なり、普通の4人向かい合わせのボックス席。すでに半分くらい席が埋まっていて、好きな場所を選べる状況ではなかったけれど、2つほど空いていたボックス席のひとつを確保。ラッキーなことに進行方向窓側を選ぶことができた。
 稚内行きの特急列車が発車すると同時に、旭川行き快速「なよろ」は出発。冷房のない車両なので、窓を開けると心地よい風が入って来る。
 発車してすぐに進行方向左に注目すると、少し離れたところに黒々とした編成の列車が停まっている。現役ではなくて保存された車両で、蒸気機関車2両の間にマックレー車、ロータリー車という2種類の除雪車をはさんだ面白い編成だ。車両の頭文字を取ってキマロキ編成という。後部にはおまけで車掌車がつながっている。宗谷本線から分岐していたが、30年以上前に廃止となった名寄本線の線路上に鎮座している。北国博物館の敷地内で、列車は野外展示品なのだ。
 名寄の次の東風連駅を通過したので、一瞬、あれっと思ったのも無理はない。これまで律儀に各駅に停まっていたので、駅が見えると減速して停車するのが当然だったのだが、今乗っているのは快速列車なのだ。風連に停まると、3つの駅を通過。名もない小さな駅の様子を観察できないのはちょっと淋しい。
 楽しげな羊のイラスト入り看板が立っている士別に停車。羊のまちだそうだ。駅からクルマで10分程のところには「羊と雲の丘」があり、珍しい種類の羊を見ることもできる。
 士別と剣淵の間には、線路に沿って林が続いている。これは厳しい吹雪から線路を守るための鉄道防雪林だ。このあたりは過湿泥炭地のため植林には適さず、試行錯誤の末、ドイツトウヒを植栽して成功した。立役者である林業技手深川冬至の名を取って深川林地と呼ばれ、選奨土木遺産となっている。
 特急停車駅でもある和寒を出ると、列車は勾配に挑む。宗谷本線では有数の難所塩狩峠だ。列車はエンジンを唸らせながら力強く上って行く。塩狩駅の近くには慰霊碑が立っている。20世紀初頭に起きた列車暴走事故を、自らの体を張って防いだ鉄道員を称えるもので、この話は三浦綾子が小説「塩狩峠」として発表している。
 塩狩駅を通過し、山越えが終わると比布に停車。「ぴっぷ」とは珍しい駅名だ。40年ほど前に、ピップエレキバンという肩こりや腰痛を和らげる医療器具のCM撮影が行われて一躍有名になった駅だが、今でも覚えている人はどれくらいいるのだろうか? 駅舎は近年建て替えられたやや大きな建物である。
 列車は川を渡る。石狩川と知って驚く。もっと別の地域を流れていると思っていたからだ。下りの普通列車とすれ違う永山を出ると、まわりには貨物駅や車両基地が広がる。札幌と旭川を結ぶ電車特急の姿も見える。この電車を旭川駅まで回送するために、ここからは何と電化区間となっている。しかし、宗谷本線の列車はすべてディーゼルカーなので、架線は宗谷本線にとっては無縁の施設だ。
 最後は、複線電化の高架線を走り、旭川駅に到着。しばらく来ないうちに近代的な高架駅に生まれ変わっていた。稚内から各駅停車と快速列車を乗り継いでの旅は、所要時間5時間30分。気の遠くなるような数字だが、見ごたえのある車窓が連続し、決して飽きることがなく、実時間よりもはるかに短く感じられた。やはり、北海道の列車の旅は魅力的だ。それも普通列車に乗るほうが、特急列車で通り過ぎるよりも何倍も充実した旅となると思った。
文/野田 隆
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190727-00010466-besttimes-life

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アイヌ民族にルーツ 宇梶剛士 8月初日の舞台へ連日稽古中「何か感じて持ち帰っていただければ」

2019-07-27 | アイヌ民族関連
スポニチ [ 2019年7月27日 05:30 ]
8月8日に「永遠の矢=トワノアイ」が初日を迎える宇梶剛士(中央)。右は金井良信、左は平野貴
 俳優宇梶剛士(56)が主宰する劇団「PATHOS PACK」の舞台「永遠の矢=トワノアイ」が8月8日、東京・高円寺の「座・高円寺1」で初日を迎える。
 作と演出は宇梶が担当。自身と同じくアイヌ民族にルーツを持つ青年を主役に据える意欲作だ。
 本番へ向け、都内で連日稽古中。稽古の合間に取材に応じた宇梶は「永遠に問い続けなければならないことを、見てくださった方が何か感じて持ち帰っていただければ」と語った。
 宇梶がアイヌ民族を描いたのは、1993年の作品「偽エカシの筏」以来26年ぶり。今作は準備を一層徹底して進め、アイヌ語をはじめ、料理、文化を劇中内で紹介。アイヌゆかりの舞踊や楽器も披露されるという。
 出演する金井良信(56)は「アイヌのことをここまで知らなかった。(宇梶の)思いの強い作品になっていると思います」と話す。平野貴大(46)は「民族に別の価値を押しつけていく行為はどうなのかと考えさせられた。これまで“天下統一”はいいことだと思っていたけれど、どうなのかなあと思った」と語った。
 宇梶自身も北海道に住む男として登場する。劇団員へ向け「セリフや役を噛みしめて初日の舞台に立ってほしい」と呼び掛けた。
 12日まで「座・高円寺1」で上演。21、22の両日は静岡公演(清水文化会館)が行われる。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/07/27/kiji/20190727s00041000067000c.html

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コロンビアの伝統と文化が生み出すバッグ&雑貨〈WAYUU STYLE ™〉が渋谷ヒカリエ ShinQsに期間限定店舗をオープ

2019-07-27 | 先住民族関連
ン! ピープルビヨンド株式会社
プレスリリース 2019年7月25日 10時
コロンビア最北端ラ・グアヒーラに生活する先住民族ワユー族の主に女性たちが、ひとつひとつ手作業で生み出すワユーバッグ・雑貨「WAYUU STYLE ™」が、2019年8月1日〜2019年8月15日、渋谷ヒカリエ ShinQsに期間限定店舗をオープン!

コロンビア最北端ラ・グアヒーラに生活する先住民族ワユー族の主に女性たちが、ひとつひとつ手作業で生み出すワユーバッグ・雑貨「WAYUU STYLE ™」が、2019年8月1日(木)〜2019年8月15日(木)、渋谷ヒカリエ ShinQsに期間限定店舗をオープンいたします!
色鮮やかで手の込んだ美しい柄が特徴のアイテムは、そのデザイン性の高さから、「装いを華やかにさせる!」と海外セレブからも注目が集まっています。
ご紹介するバッグや雑貨はすべて一点もの。世界にたったひとつの”オンリーワン”をお楽しみください。
皆様のご来店を、心よりお待ちしています。
■ 出店概要
期間:2019年8月1日~2019年8月15日
時間:AM 10:00 - PM 21:00
場所:渋谷ヒカリエ ShinQs 5F ザ・マーケットプレイス
(https://www.tokyu-dept.co.jp/shinqs/index.html)
東京都渋谷区渋谷2-21-1
TEL. 03-6434-1635(ザ・マーケットプレイス)
https://www.value-press.com/pressrelease/225313

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松本潤が演じた「松浦武四郎」ってどんな人? 北海道とアイヌを愛した「がいなもん」

2019-07-27 | アイヌ民族関連
ブックバン 7/24(水) 16:00配信
 いろんなことがあるけれど笑顔は消えはしない皆さんこんにちは。ジャニーズ出演ドラマ/映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は髷潤を堪能した「永遠のニシパ」(「シ」は正式には小文字)がもっとよくわかる、こちらの小説を紹介するよ。
■松本潤(嵐)・主演! 「永遠のニシパ 北海道と名付けた男 松浦武四郎」(2019年、NHK)
 北海道150年記念ドラマとして放送された「永遠のニシパ 北海道と名付けた男 松浦武四郎」。幕末から蝦夷地を調査すること6回、明治になって「北海道」という名前を提言した探検家の物語である。
 90分の単発ドラマという性質上、放映されたのは松浦武四郎の人生の一部分、1845年の第1回蝦夷地調査から、明治3年の開拓判官辞職直前までだった。28歳から53歳までの25年間だ。蝦夷地調査で地図を作り、和人に搾取されているアイヌの現実を知り、アイヌの人々に受け入れられて交流を持つ。武四郎の著した書物のせいで松前藩に命を狙われたり、時の幕府から出版の許可が出なかったりという話も登場した。
 だがその功績が明治新政府に認められ、函館府判事に任ぜられて蝦夷地の地名選定に尽力。「北加伊道」という名前を提言し、北海道とアイヌのために頑張るぞと思ったものの、方針が折り合わず政府と袂を別つ。以降、武四郎は一度も北海道の地を踏むことはなかった──というのがドラマの大筋である。
 ドラマの冒頭で「このドラマは『北海道』の命名を提言した松浦武四郎を主人公としたフィクションです」と字幕が出たように、短い時間で主題をわかりやすくするためだろう、史料にはない架空のエピソードが多く含まれていた。たとえば熊に襲われてアイヌの青年がケガをした話や、アイヌの女性・リセとのロマンス、彼女の息子を江戸に連れてくるくだりなどがそうだ。
 武四郎が北海道調査の最前線にいた時期だけに話を絞っていたため、そもそもなぜ彼が探検家を目指したのかとか、政府の役人を辞してからどうしていたのかといった話は描かれなかった。そこで、武四郎の生涯を描いた小説を紹介しよう。河治和香『がいなもん 松浦武四郎一代』(小学館)だ。ドラマは脚本家の大石静さんオリジナルで原作は存在しないのだが、『がいなもん』を読むと、松潤が演じた松浦武四郎という人がどんな人物だったかもっとよくわかる。──というか、めちゃくちゃ面白いのよこの人! 
■松潤が演じた松浦武四郎はこんな人
 小説は明治16年、絵師・河鍋暁斎の娘・豊(とよ)に、66歳になった武四郎が自分の人生を語って聞かせるという形式になっている。話を聞く豊は武四郎が探検家だった時代を知らないので、ごく普通の娘らしい感想を抱いたり質問したり。詳しい知識がなくてもすんなり入っていけるよう工夫されている。
 ドラマの武四郎はシリアスな部分が前面に出ていたが、小説では歳を取ってもすこぶる元気で、ユーモラスで、変わり者で、飄々としていて、とってもチャーミングなおじいちゃんだ。しかもかなり多趣味。古銭マニアで勾玉収集家。絵も好きだし、書斎にはあちこちで集めた雑多なコレクションが溢れている。一方、脚も衰えず、ちょいと九州まで西郷隆盛の墓参りに出かけたりする。スペック盛りすぎだろうと思うが事実だから仕方ない。武四郎の出身地である伊勢の言葉で「途方もない、とんでもない」を意味する「がいなもん」をタイトルにつけた理由がよくわかる。
 たとえば、ドラマの冒頭で武四郎が羅針盤(方位磁石)を持っていたのをご記憶だろうか。小説を読むと、若い頃に骨董屋で3両の羅針盤を見つけ、矢も盾もたまらず買ってしまったという話が出てくる。その金がどこから出たかというのが問題で、若き武四郎、実はとんでもないことをしでかしたのである。しかもそれがきっかけで家出し、江戸へ向かった。これが彼の初めての〈旅〉で、そこから旅に魅入られるようになる。松潤が持っていたあの羅針盤には、〈探検家・松浦武四郎〉を生んだ最初の一歩を表す物語が隠されていたのだ。
 また、ドラマでは武四郎がリセや市助に篆刻でハンコを作ってやる場面があった。彼が篆刻を得意としていたのは事実だが、なぜそんな技術を持っているのかが小説で語られるのだ。また、旅の途中でハンコを作って売って路銀にしていたなんていう話も出てくる。熊に出会った話も登場するがその顛末はドラマとはかなり違い、小説の武四郎はそのことを朗らかに語る。いやはや、やることなすことどうにも桁外れで、まさに「がいなもん」なのだ。
 シリアスな面が強調されていたドラマの武四郎を見たあとで、小説の飄々とした面白い武四郎を読むと、その違いに驚くかもしれない。けれど彼がとても魅力的な人物だというのは伝わるはずだ。ドラマで描かれなかった武四郎の冒険譚の数々を、松潤を思い浮かべながら読んでほしい。楽しい気分になるぞ。
■『がいなもん』でわかる、ドラマの〈裏付け〉と〈意外な事実〉
 こんなふうに、『がいなもん』を読むとドラマに出てきたエピソードの〈裏付け〉と〈意外な事実〉がわかって、一風変わった読書体験ができる。他にも、リセが架空の人物であるのに対し、市助という少年は実在し、彼がドラマで言ったのと同じセリフが小説に出てきたりするのだ。同じ史料を下敷きにしたのだな、ということがわかる。だがやはり、物語の中心になるのはアイヌが直面した悲劇と、「北海道」の命名だ。
 小説『がいなもん』で語られる武四郎の過去はダイナミックでユーモラスだが、アイヌのくだりだけは弁舌がシビアになる。ドラマでも描かれた搾取の様子は、小説ではより細かく、より具体的に、史料に残された数字なども含めて紹介される。アイヌの現実については、ドラマではリセに象徴させる手法をとったが、小説にはソンという別の人物を登場させ、ドラマよりももっと長いスパンでアイヌが背負ったものを描き出している。このくだりは本書の白眉と言っていい。
 何より注目していただきたい〈裏付け〉と〈意外な事実〉は、「北海道」の命名だ。道、という行政区分は決まっていたので、アイヌの言葉で「そこに住む人」「この国に住む者」という意味の「カイ」を当てた──と一般に言われているし、ドラマでもそう描かれた。けれど小説を読んで驚いたね。もちろん間違いではないのだが、実はそれだけではなく、その裏に武四郎のちょっとした企みがあったことが綴られているのである。「えっ、そうだったの?」という驚きとともに、「やるなぁ」とニヤニヤしてしまうこと間違いなしだ。具体的には小説をお読みいただきたいが、一節だけ引こう。
「かくして松浦老人は〈北海道の名付け親〉と呼ばれるようになった。だが、それは単に〈北海道〉という名を考えついた人、という意味ではなく、〈北海道〉が〈東海道〉などとはまったく違う成り立ちであるということを……きちんと後世に残そうとした人、ということであるのかもしれない」
 それにしても、なぜ武四郎はアイヌをこれほどまで大事に思ったのだろう。それも『がいなもん』に出てくる。実は若いころ、旅の途中で病を得たとき……いや、そこも読んでいただこう。とまれ『がいなもん』はドラマの原作ではないにせよ、松浦武四郎の人物と功績と魅力を知るにはうってつけの物語なのである。ぜひ、ドラマと併せてどうぞ。
新潮社
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190724-00000814-bookbang-ent

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宇梶剛士、ルーツのアイヌに触れる 舞台「永遠ノ矢-」公開稽古

2019-07-26 | アイヌ民族関連
中日スポーツ 2019年7月26日

宇梶剛士(中央)と俳優陣=東京都内で
 俳優の宇梶剛士(56)が25日、東京都内で主宰劇団「PATHOS PACK(パトスパック)」の舞台「永遠ノ矢=トワノアイ」公開稽古と会見を行った。
 アイヌ民族にルーツを持つ主人公の青年を通じて、宇梶自身のルーツを描いた渾身(こんしん)の作品。約9年前から関心を寄せていた沖縄をテーマにした舞台を昨年上演できたこともきっかけとなり、脚本・演出・出演を通じてアイヌと向き合った宇梶は「本当にあったことも含まれているので迷いなく書けた部分も多い」と手応えを感じている様子。「永遠に問い続けなければいけないことを(観客に)何かしら感じて持ち帰ってもらえれば」と話した。
 稽古では個性あふれる俳優陣に細かい指導を繰り返し「セリフや役をかみしめて舞台に立ってほしい」と期待した。東京公演は座・高円寺1で8月8~12日。
https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2019072602000185.html

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「土地の記憶へのアースダイブ」

2019-07-26 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2019/7/26配信

伝説や物語が多く残る白老町のアヨロ付近を散策するアースダイブ参加者(写真家・川尻亮一撮影)
 知らない土地を歩くのは楽しい。地図を開くのも大好きだ。私はこの数年でずいぶんと白老の土地を歩いてきた。
 北海道内の地名の約8割がアイヌ語由来とされる。松浦武四郎が蝦夷地探索を詳細に記録した「東西蝦夷山川地理取調図」は有名な地図だ。アイヌ語地名研究家の山田秀三や、幌別、白老にもゆかりのある知里真志保が残した地図や研究書物を眺めているうちに、その当時の散策リサーチの状況なんかを想像してしまう。
 私たちは去年夏、古い地図を手に実際に土地を歩いて、その地勢や産業、植生などを実感することで、アイヌ語地名が息づいていた時代へのバーチャルなダイビングを試みる企画「白老アースダイブ」を実施した。いわば、地名を用いてきた人々の息吹やその暮らし、かつての”シラヲイ”の土地の記憶に触れることを目指すフィールド・ワークだ。
 定員は15人、「地域学」と「植生学」の2分野を各2回ずつ散策地を変えて実施した。来年4月に白老町に開館する国立アイヌ民族博物館(ミュージアム)の「館の外」に地域文化が根付いていることを意識し、この企画にはあえて「シラオイ・フィールド・ミュージアム」と副題を付けた。
 白老アースダイブでは、最初に座学で基礎を学んだ後に土地を歩いた。1800年代の文献には、例えばシキウ(敷生川河口付近)の前浜では、サケやニシン、タラなどが水揚げされたほか、ナマコを捕るために室蘭のエトモからアイヌが「出稼ぎ漁夫」としてやって来ていたことや、シイタケ、チョウザメ、ネマガリダケなどの交易品も記録に残っている。シイタケは一つ銭2文で和人と取り引きされていたそうだ。2文とは一体どのくらいの価値で、どんな相場感だったのだろう。
 アヨロ(虎杖浜付近)の散策の際には、アイヌが伝え残した「アヨロ村で病が流行ったので、それを人々に伝えて戒める歌」を参加者全員で輪唱した。
 土地を歩くことは、体感であり、歴史をさかのぼってかつての生活風景を想像する楽しさがある。今年も秋にこのアースダイブを計画している。参加者と共に時間軸を超え、土地の記憶にダイビングしたいと思う。(文化芸術事業プロデューサー・木野哲也)
 ※「土地と人と」は毎月第2・第4金曜日に掲載します。
https://www.tomamin.co.jp/feature/tochi/1654/

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道産ワインや観光、シンガポールPR 知事、初の海外トップセールス

2019-07-26 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/26 05:00
 【シンガポール森奈津子】鈴木直道知事は25日、新千歳―シンガポール直行便の増便要請や、海外3店目となる道産品アンテナショップ「北海道どさんこプラザ・シンガポール2号店」の開設記念行事に出席するため、シンガポールを訪れた。4月に就任した知事による海外でのトップセールスは初めて。初日は、北海道の魅力を現地の観光業者らに伝えるセミナーや「北海道食とワインの夕べ」を開いた。
 セミナーには、現地の旅行会社やメディア関係者ら約60人が参加。知事はプロジェクターを使って、日高管内平取町に今春開業したアイヌ工芸伝承館「ウレシパ」など新たなスポットや、礼文島をカヤックで巡る旅など約50カ所の魅力を紹介した。
 食とワインの夕べはシンガポールの経済関係者や、現地に進出した道内企業の代表者ら約120人を招き、道産のワインやチーズ、果物などを振る舞った。知事は「シンガポールでは、どさんこプラザ1号店の売り上げが順調で、北海道ブランドが確実に浸透している。2号店開店を機に、北海道の奥深い食の魅力をさらに知ってもらいたい」とあいさつした。
 26日はシンガポール航空本社を訪問。来春から新千歳空港の日中の1時間当たりの発着枠が2割増えることから、同社が冬期間のみ運航する直行便の増便と通年化を要請する。その後、6月27日に開業したどさんこプラザシンガポール2号店の開設記念行事に参加し、帰国する。
☆「ウレシパ」のシは小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/328941

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白老でアパート建設急増 象徴空間職員の需要見越す

2019-07-26 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/25 05:00
 【白老】胆振管内白老町でアパート建設が急増している。来年4月に開業するアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」で働く職員の需要を見越して、町外の不動産業者などが相次いで整備。今年4~6月末の集合住宅の建築確認申請件数は7棟と、過去5年間の合計の6棟を上回った。町内からは「職員の定住につながれば」と歓迎する声が上がっている。
 町によると、本年度に申請があった新築物件は、7棟計60戸。いずれもウポポイから1・5キロ圏内の町中心部に立地しており、札幌や苫小牧の業者が着工する。1LDKなど単身者向けの間取りが多い。
 苫小牧市の住宅リフォーム業「トマト」は、6月上旬から町中心部で木造2階建て計8戸のアパートの建設に着手した。間取りは1LDKで、11月の完成を予定する。同社は「新聞報道で職員向けの住宅が足りないことを知った。中心部では建設用地の取り合いになっており、需要があると判断した」と語る。
 町によると、6月1日現在、ウポポイを運営するアイヌ民族文化財団(札幌)の職員数は、約110人。既に約60人が町内の事務所に勤務しており、残りは札幌の本部で働く。ウポポイの中核施設「国立アイヌ民族博物館」の施設自体は11月に完成予定で、今後札幌の職員も一定数が町内に勤務する見通しだ。またウポポイ全体ではパートを含め約260人の雇用が想定されており、住宅需要はさらに高まりそうだ。
 白老建設協会の清水尚昭会長は「本来は町内の業者でアパートを用意したかったが、人手不足などで難しかった」とした上で、「ウポポイの職員が町内に住んで町の活性化に結びつけば大変ありがたい」と話している。(金子文太郎)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/328512

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札幌国際芸術祭 12~2月に開催 20年

2019-07-26 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/25 05:00
 札幌国際芸術祭(SIAF(サイアフ))実行委員会は24日、2020年度芸術祭の開催期間を20年12月19日から21年2月14日までの58日間、テーマは「Of Roots and Clouds(オブ ルーツ アンド クラウズ):ここで生きようとする」に決まったと発表した。
 英語の意味は根、先祖(Roots)と雲(Clouds)。アイヌ語表記「シンリッ/ニシクル」(根、先祖/雲)も使用する。札幌や北方圏の歴史、風土を関連させ、現代社会を考える作品や企画を市内各所で展開する。
 24日、同市内で開かれた記者会見で、秋元克広市長(実行委員会会長)は「(初の)冬季開催で、全国各地の芸術祭と差別化を図りたい。さっぽろ雪まつりと芸術祭、アートを、うまく組み合わせていきたいとの思いもある」と話した。
 参加アーティストなどは来年2月に発表する予定。(久才秀樹)
※「ニシクル」の「シ」と「ル」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/328508

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