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米先住民、オオカミ猟めぐりウィスコンシン州を提訴 条約の権利侵害と訴え

2021-09-24 | 先住民族関連
CNN 9/23(木) 17:07配信

(CNN) 米ウィスコンシン州で数十年ぶりに解禁されたオオカミ猟をめぐり、先住民オジブワ族の6部族が条約で守られた権利を侵害されたとして、州を相手取って21日に訴えを起こした。
米国に生息するハイイロオオカミをめぐっては、今年1月に米連邦政府の絶滅危惧種指定が解除されたことを受け、ウィスコンシン州が2月にオオカミ猟を解禁した。割り当て量は200頭とした。
オジブワ族には条約に基づく権利が認められていることから、200頭のうち119頭はウィスコンシン州に、81頭はオジブワ族に割り当てられた。
ところがこの割り当てが守られず、先住民とは無関係のハンターが、3日間で218頭のオオカミを殺した。この時の猟期は当初、1週間を予定していた。
11月には今年2度目の猟期が始まる予定で、ウィスコンシン州天然資源局は130頭の割り当てを勧告したが、州の天然資源委員会は300頭の狩猟を許可した。
先住民側は声明の中で、「条約上の権利に基づき、我々と州は資源を50対50で分け合うはずだったが、2月にオオカミが大量殺りくされたことから、我々は適正な配分を受け取っていないと感じている」「州外のハンターは、資源を守るためではなく、ただ自分たちに猟ができるよう、裁判所に訴えている」と主張した。
天然資源局によると、絶滅危惧種の指定は解除されたものの、州内に生息するオオカミの数は、2020年4月の時点でわずか1057頭だった。
オジブワ族の伝統では、人とオオカミは神聖なパートナーとして創造されたと伝えられている。部族代表は「私たちは共に手と手を取り合って歩く兄弟だと神話や伝承は伝えている」との声明を発表した。
部族間団体の代表は先月発表した声明で、2月のオオカミ猟や11月に予定されているオオカミ猟を「無謀」だとして批判、「オオカミ猟の割り当てを300頭とした自然資源委員会の決定は、科学や管理とは一切関係がない」と指摘していた。
ウィスコンシン州の問題は、全米の状況を反映している。オオカミについては別の部族も保護を訴え、再び絶滅危惧種に指定するよう求めている。
全米の複数の部族が今月に入ってハーランド内相に宛てた書簡で再びハイイロオオカミを保護するよう訴え、「部族への相談なくハイイロオオカミの指定が解除されたことは、あなた方新政権が残しておきたくない汚点となる」と強調していた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e320debf70822f5dc9a4b91b312f11f6798df1b2

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お寺が結ぶ アートの縁 金沢・龍国寺で友禅作家ら展示

2021-09-24 | 先住民族関連
中日新聞 2021/09/23 05:00
コロナ下「出会い生まれる場に」 加賀友禅にゆかりがある金沢市東山の龍国寺で、地元アーティストらによる「龍国祭」が開かれている。加賀友禅作家が企画し、作品展に演奏会にと盛りだくさんのイベント。新型コロナウイルスの影響で芸術に触れる機会が減る中、アートとの出合いを結び直そうとしている。見学無料、二十六日まで。 (高橋雪花)
 長い石段から境内にかけて、作家と学生が共同で手掛けた、小さなテントを思わせるカラフルなオブジェが出迎える。本堂に入れば、郷土玩具「加賀八幡起上り」をモチーフにしたぬいぐるみや、白い鳥を手描きした加賀友禅のミニ額など、作家十一人による約三百点が展示販売されている。
 「文化は人間にとって衣食住と同じか、それ以上に大切なものだろう」と話すのは、実行委の委員長を務める友野雅子さん(71)。加賀友禅の創始者とされる宮崎友禅斎の墓がある同寺に、工房「欒堂(らんどう)」を構える加賀友禅作家だ。コロナ禍で芸術の大切さが再認識されていると考え、さまざまな分野の作家に声を掛けた。
 作品の価格は五百〜八十万円と幅広い。寺の名前にちなんで竜をイメージした水色の陶器カップはワンコインとお手頃。充実の友禅グッズは、菊桜を用いて草木染した訪問着をはじめ、布マスクや名刺入れなど四工房の商品がそろう。
 二十三日は午後四時からフラダンス、二十五日は午後三時からオーストラリア先住民族アボリジニの管楽器「ディジュリドゥ」の演奏も楽しめる。その他、枝や木の実を使って小物を作る有料のワークショップも予定されている。
 友野さんは「お寺は元々にぎわいや交流の場でもあった。いろんな分野の人たちが可能性を広げて、たくさんの出会いが生まれる場所にしたい」と来場を呼びかけている。
 時間は午前十時〜午後五時。(問)友野さん080(9398)4378
https://news.goo.ne.jp/article/chuplus/region/chuplus-334889.html

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復興工事をきっかけに出土 土器や石器の企画展/岩手・宮古市(動画)

2021-09-24 | アイヌ民族関連
IBC岩手放送 9/23(木) 15:50配信

 東日本大震災の復興工事をきっかけに見つかった出土品を展示する企画展が、23日岩手県宮古市で始まりました。
 宮古市民文化会館で始まったこの企画展は、県文化振興事業団が主催したものです。会場には復興工事をする前の発掘調査で出土した石器や土器のうち、宮古市内で見つかった477点が展示されています。
 田老地区の三陸沿岸道路の工事現場でみつかった縄文時代後期の土器は、狩りの成功を祈って作られたとみられていて、弓矢や落とし穴がデザインされています。そのほかアイヌ民族の儀式と関連が深い奈良時代の土器も展示されていて、震災復興をきっかけに明らかになった地域の歴史を学ぶことができます。この企画展は26日まで開催されています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6cda89bebeddc242f7e5c9e686f251a08adfdcb2

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ヒトの本性は利己的(悪)なのか、利他的(善)なのか?【橘玲の日々刻々】

2021-09-24 | 先住民族関連
ダイヤモンド・ザイ 9/23(木) 21:01配信
 オランダの歴史家、ジャーナリストのルトガー・ブレグマンは、広告収入にいっさい頼らないジャーナリストのプラットフォーム「デ・コレスポンデント」の創立にかかわり、2018年の著書”Utopia for Realists(現実主義者のためのユートピア)“で高い評価を得た。『隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働』(文藝春秋)の邦題からわかるように、「機械との競争」による大量失業を避けるには、すべてのひとに無条件で生存と文化的な生活を保障する現金給付(ユニバーサル・ベーシックインカム)を行なうしかないと説いたものだ。
 そのブレグマンは『Humankind 希望の歴史』(文藝春秋)で、進化生物学、進化心理学、社会心理学など「現代の進化論」を向こうに回してきわめて論争的な主張を展開している。その主張を簡潔に述べるならば、「ヒトの本性は利己的(悪)ではなく利他的(善)である」になるだろう。
●イースター島の文明はなぜ崩壊したのか
 ブレグマンは本書で、リチャード・ドーキンス、スティーブン・ピンカー、ジャレド・ダイアモンドなどの大物や、スタンフォード監獄実験(フィリップ・ジンバルドー)、スタンリー・ミルグラムの服従実験など、人間性の暗い部分を暴いたとされる有名な社会心理学の実験を俎上に挙げて、それらがいかに間違っているかを論じている。
 ウィリアム・ゴールディングは『蠅の王』で、南太平洋の無人島に置き去りにされた少年たちが「内面の獣性」に目覚めていく様子を描いてノーベル文学賞を受賞した。だがブレグマンは、1966年に南太平洋のトンガにある寄宿舎を抜け出して釣り船で漂流し、無人島に漂着した6人のイギリス人の少年たちが救出された記事を見つけ出した。そして、オーストラリアでかつての少年の1人(および彼らを救出した船の船長)にインタビューし、少年たちが1年以上にわたって互いに助け合って無人島で生き延びた話を聞いた。
 ここからブレグマンは、人間の本性はゴールディングが描いたような利己的で暴力的なものではなく、危機に際してはお互いに協力する利他的で協調的なものではないかと考え、それを検証しようとした。
 たとえば、ジャレド・ダイアモンドはベストセラーとなった『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの』(草思社)のなかで、巨石文明で有名なイースター島を取り上げ、その崩壊を「孤立した地球」のメタファーだと述べた。イースター島の住民たちはモアイという巨石像を競って建てたが、そのサイズが大きくなることでより多くの労働力、食料、木材が必要になり、その結果、森林破壊で農業が壊滅して島民は飢餓に襲われ、部族対立が激化して人肉食が拡がったのだという。
 だがその後、1722年にイースター島を発見した探検家ヤーコブ・ロッヘフェーンの航海日誌を研究者があらためて読み直すと、そこにはおぞましい殺戮の様子などまったくなく、この島の土壌は「肥沃」で、住民は「筋肉質の体と輝く白い歯を持つ、友好的で、見るからに健康的な人々」で、そこは「地上の楽園」だと書かれていたのだ。
 ダイアモンドによれば、イースター島にはかつて1万5000人の島民がおり、それが長耳族と短耳族に分かれて争った結果、大虐殺によって2000人あまりに人口が減った。だが考古学者らが調べたところ、虐殺の現場とされる場所は木炭の年代が伝承と合わず、遺骨には飢餓の形跡も戦争での損傷もなかった。
 こうした再検証によれば、イースター島の人口はもともと2000人程度で大虐殺などはなく、森林破壊の原因は、最初の移民とともにやってきて、天敵がいないことで繁殖したナンヨウネズミが木々の種を食べたことらしい。もちろん島民がカヌーをつくったり、巨石像を運ぶのに材木を必要としたが、イースターにあったとされる数百万本(最大で1600万本)の木をすべて使い尽くすことはできない。そのうえ、樹木がなくなったことで農地が拡張し、逆に食料生産が増えたと考える研究者もいる。
 ではなぜ、イースター島の文明は崩壊したのか。それは、奴隷商人とウイルス、すなわちヨーロッパ人によって破滅させられたのだ。
 ジャレド・ダイアモンドはいまも現役だから、いずれ自ら反論を行なうのだろうが、イースター島の文明崩壊の経緯についてはブレグマンの批判にかなりの説得力がある。
●「狩猟採集民は「理想社会」、農耕の開始により人類は不幸になった」という左派理想者の歴史観
 進化心理学者のスティーブン・ピンカーは「現代でもっとも影響力のある知識人の一人」で、『暴力の人類史』(青土社)や『21世紀の啓蒙 理性、科学、ヒューマニズム、進歩』(草思社)で、人類の歴史ととともに、平均寿命から幸福度にいたるまであらゆる指標が改善し、未来はどんどんよくなっていくという「合理的な楽観主義」を唱えた。
 実際、産業革命後のさまざまなデータを見るかぎり、世界がより安全でゆたかになっていることは間違いない(日本でも世界でも殺人率は急速に減っている)。だったらなにも問題ないのではないかと思えるが、ここにはブレグマンのような「レフト(左派)」とのあいだに深刻な思想的対立がある。
 ピンカーは、遺跡で見つかった骨の損傷や、いまも狩猟採集生活を続ける8つの部族の調査などから、旧石器時代には戦争(部族抗争)による死亡率ははるかに高く、文明化によって暴力は着実に減ったと主張した。
 これをブレグマン流に解釈すれば、人間の本性はもともと「悪」で、それが文明によって「善」に変わったことになる。ところがブレグマンは、人間の本性は本来「善」で、現代社会(強欲な資本主義)がそれを「悪」に歪めたことでさまざまな社会問題が起きたと主張するのだから、これはものすごく都合が悪いのだ。
 実際、文化人類学者などが『暴力の人類史』を検証し、すでにいくつかの(かなり重要な)批判を加えている。
 ひとつは、ピンカーが「国家以前」の社会としたもののなかに、狩猟採集民だけでなく、園耕社会も加えられていたこと。園耕民はたしかに「国家」を形成していなかったが、集落をつくって定住し、家畜を所有し庭で農作物の栽培を行なっていた。
 もうひとつは人類学者のダグラス・フライが指摘したもので、ピンカーが戦争による死亡としたパラグアイとベネズエラ/コロンビアの先住民族の死因のなかに、開拓者の侵略によって虐殺された者が多数含まれていたこと。これはもちろん、狩猟採集民の「暴力性」を示す証拠にはならない。
 この論争が重要なのは、左派の理想主義者(ブレグマンもその一人だ)のなかに、「狩猟採集民は平等で平和な「理想社会」をつくっていて、それが農耕の開始によって破壊され、人類は不幸になった」という歴史観が広まっているからだ。
[参考記事]●「農耕の開始によって定住が始まり、文明が生まれ国家が誕生した」という従来の歴史観はかんぜんに覆された
 現在の狩猟採集民は数万年前の旧石器時代人と、遺伝的にも暮らしている環境も大きく異なるし、化石をどれほど研究しても当時の生活を再現することはできない。だからこそ、双方が自分に都合のいい「人類の祖先」像を描くことができるともいえる。
 ブレグマンは触れていないが、この論争については人類学者のラウル・オーカが、統計的手法で人類史上の戦闘での死を分析し、「過去と現在で戦闘による死者の割合に変化はない」という結論に達している。
 オーカの指摘は、「現代に至るまでに地球上の人口は着実に増えているが、軍事行動に従事する者の割合は人口増加に比例するわけではない」という、ある種の「コロンブスの卵」だ。旧石器時代の100人のバンド(小集団)では成人男性のほぼ全員(25人以上)が戦闘員になっただろうが、人口100万の社会に25万人の兵士が、1億人の近代国家に2500万人の軍人がいるわけではない(そもそもこのような巨大な軍隊を維持できない)。
 その結果、社会が大きくなるほど、ごく自然に戦争による死亡者の割合は減少する。「相互依存性の増加や平和の便益」などを持ち出さなくても、世界が平和になってきたのは単純なスケーリング効果(人口の指数関数的な増加)で説明できるのだ(アダム・ハート『目的に合わない進化 進化と心身のミスマッチはなぜ起きる』原書房)
●有名な「スタンフォード監獄実験」への批判は正当なのか? 
 ブレグマンは、本来は「善」であるはずの人間の本性が「悪」へと歪曲された事例として、「社会心理学の実験の金字塔」とされる、スタンリー・ミルグラムの服従実験と、フィリップ・ジンバルドーのスタンフォード監獄実験を俎上に挙げている。とりわけ後者は、近年の「再現性の危機(定説となった心理実験のなかに、厳密な方法では再現できないものがある)」の象徴として繰り返し批判されている。
 1971年に行なわれた「監獄実験」では、スタンフォード大学の地下実験室を刑務所に改造し、そこで学生を「看守役」と「囚人役」に割り振ったところ、わずか数日で看守役がきわめて暴力的になり、錯乱する囚人役も出たため実験を中止せざるを得なくなった。実験の詳細はジンバルドー自身が『ルシファー・エフェクト ふつうの人が悪魔に変わるとき』(海と月社)という大部の著作にまとめ、ドイツ映画『es[エス]』、それをリメイクした『エクスペリメント』、ジンバルドーを主人公にした『プリズン・エクスペリメント』など映画化もされたことで世界的に有名になった。
 ところがその後、実験者が看守役に対してもっと荒々しくふるまうよう指示している録音テープが公開されたり、当時の参加者が「看守役は退屈で毎日ぶらぶら歩きまわっていた」「実験に協力するために、映画『暴力脱獄』を思い出して囚人たちを苦しめる演技をした」などの証言をするようになった。2002年にBBCと共同で行なわれた実験でも、「(ふつうのひとが“悪魔”に変わる)ルシファー・エフェクト」は再現できなかった。
 こうした批判を根拠に、ブレグマンはスタンフォード監獄実験は「捏造」だときびしく批判し、ジンバルドーが看守役に徹し、囚人をどのように扱うか指導しているのを読んで「愕然とした」という。
 「我々は欲求不満を生み出すことができる。彼らの恐怖心を生み出すこともできる。……さまざまな方法で彼らの個人としての人格を奪うつもりだ。彼らは制服を着せられ、けっして名前では呼ばれない。数字を与えられ、その数字で呼ばれるのだ。一般的に、こうしたことのすべては、彼らの無力感を生じさせるはずだ」
 これがなぜ問題かというと、「れっきとした科学者が、自分が看守に教え込んだと、公然と述べている」からだ。「囚人を数字で呼ぶ、サングラスをかける、サディスティックなゲームをさせるといった設定は、看守たちが考案したのではなかった。彼らはそうするように命じられていたのだ」。
 だがそもそも、看守の制服を着て、地下室につくられた刑務所らしきところに連れていかれだけで、ふつうの大学生がいきなり本物の看守に豹変するわけがない。それに加えて、囚人役も自分と同じ年齢の大学生なのだから、この条件では看守役と囚人役がなれ合って仲良くなるのは当たり前だ。
 だからこそジンバルドーらは、看守役にいかに振る舞うべきかの圧力を加えなくてはならなかった。たんに軍服を着せて軍隊に入れただけで、一般市民が戦場で敵兵に発砲するようになるわけではないのと同様に、刑務所も新人刑務官にかなりきびしい教育・訓練・同調圧力を加えている。それを考えれば、ジンバルドーが被験者に指導を行なったのは「不正」ではなく、実験の前提条件ではないだろうか。
 BBCの再現実験ではこうした新人教育は行われず、被験者は看守役も囚人役も、「最初から最後まで、のんきに座ってタバコを吸い、雑談する男たちの姿を映しただけだった」。これはたしかにそのとおりだろうが、これだけでは、米軍が運営するグアンタナモ収容所でなぜ「ふつうの兵士」がルシファーに変貌し、数々の虐待を行なったのかを説明できないだろう。
●人間の本性が「善」なら「なぜホロコーストのようなことが起きるのか? 」
 人間の本性が「善」だという主張の弱点は、「だったらなぜホロコーストのようなことが起きるのか? 」という疑問に答えられないことだ。ブレグマンはこの隘路はどのように抜けるのだろうか。
 1961年、弱冠28歳の心理学者スタンリー・ミルグラムは、広告で募集した「ふつうのひとたち」が研究者の指示によって、回答を間違えた生徒役(サクラ)に450ボルトという感電死のおそれがある電気ショックを加えることを示して一躍有名になった。当時はエルサレムで、ナチスの戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判が行なわれており、著名な政治学者のハンナ・アーレントが彼を「悪の陳腐さ」と評してはげしい論争を巻き起こしていた。ミルグラムの実験は、凡庸な人間がなぜ悪魔のような所業を行なうのかの理由を明らかにしたとされたのだ。
 この有名な実験についても、現在の厳密な基準で同じ結果が再現できるのか(被験者は誘導されていたのではないか)との批判があるが、ヒトには強い同調性があるだけでなく、強い圧力を加えられたときは視覚などの認知そのものが変わってしまうことが脳科学のレベルで確認されている。
 そこでブレグマンは、実験結果の解釈の変更を試みる。被験者は権威に服従して「悪」に変貌したのではなく、権威者に協力して(ミルグラムの実験では、被験者は「科学に役立つ貢献をしてほしい」と依頼されていた)「善」を行なおうとしたのだという。こうして、「批判されるべきは服従した被験者でなく、「よいことをしたい」というヒトの善性を悪用したことだ」という話になる。
 ところで、これはブレグマン独自の解釈ではなく、社会心理学においても、ミルグラムの実験の解釈は「権威への服従」から「献身的信奉(engaged followership)」へと変更されている。「指導者の大義と自身を一体化することで、他人を傷つける行動であっても高潔であると信じるようになる」というのだ(アダム・ハート、前掲書)。
 だがこれは、考えてみれば当たり前の話でもある。歴史を振り返るまでもなく、自分たちが「悪」であると認めたうえで「悪」をなすことなどほとんど(あるいはまったく)ない。あらゆる虐殺は神の名の下に正義として行なわれたのだ。
 明らかなヒトの本性があるとしたら、それは「自己正当化」だ。わたしたちは、自分(たち)が正しいと主張するためならどんなことでもする。著名な進化心理学者のロバート・トリヴァースは、意識(理性)の主な機能は「自己正当化」であり、もしかしたらそれがすべてかもしれないと述べた。
 ミルグラムの実験の被験者も、自分が「悪」をなすと考えたうえで致死的な電圧を加えたわけではない(それが「悪」だと思った被験者は実験から離脱しただろう)。彼ら/彼女たちが自分の行為を「善」だと自己正当化したとしても、そのことは(ブレグマンのいうように)ヒトの善性を証明したわけではない。たんに「自己正当化さえできればどんなことでもする」というだけのことで、ホロコーストをはじめとする歴史上の残虐行為はこれで説明できるだろう。
●ヒトは利己的であると同時に利他的でもある
 ブレグマンの主張の問題は、人間の本性を「利己性(善)」と「利他性(悪)」の単純な二元論で説明しようとすることだ。だが「現代の進化論」は、そもそもこのような主張をしていない。
 人類は、哺乳類はもちろん霊長類のなかでも「徹底的に社会的な動物」として特異な進化をとげ、向社会的な感情を発達させてきた。ひとは一人では生きていけないのだから、もともと協調するように「設計」されている。
 そのため無人島でもキャンプ場でも、あるいは模擬刑務所で看守役と囚人役に分かれても、なにもしなければ自然に協調行動をとる。ここまではブレグマンのいうとおりだ。
 だがそれと同時に、利害が対立したときには徒党を組み、「俺たち」と「奴ら」に分かれる強固な「ヒトの本性」がある(これには性差があり、とりわけ男に顕著だ)。こうして、「俺たち」が協調して「奴ら」を殲滅しようとする。
 さらには「俺たち」のなかでも、集団のアイデンティティと一体化して滅私奉公するだけでは、性愛を獲得して自分の遺伝子を後世に残すことができない。共同体のなかでは地位をめぐる熾烈な競争が行なわれており、「協調しつつ権力闘争する」という複雑なゲームが行なわれている(地位をめぐって競争するのは男女とも同じだが、ゲームのルールには性差があるだろう)。
 すなわち、ヒトは利己的であると同時に利他的でもあり、善悪二元論でどちらが「本性」か議論することに意味はない。
 ブレグマンは、獰猛なギンギツネから比較的おとなしい個体を選んで交配させ、人間になつくキツネを生み出したロシアの生物学者ベリャーエフの有名な実験を引き合いに出し、ヒトもまた同じように家畜化された「ホモ・パピー」だという。
 この「自己家畜化」説は近年の進化心理学では主流になっているが、家畜化によって向社会性が増したとしても(そもそも自己家畜化は人類が濃密な共同体をつくるようになったことへの適応だ)、それは(ブレグマンのいうように)善に向かっての進化というわけではない。そればかりか、向社会性は「内集団びいき」を強化し、他の社会(外集団)への警戒心や排外感情、憎悪・敵意を生み出したとされている。
[参考記事]●「人類は見知らぬ敵を殺して楽しむように進化した」「自己家畜化」したヒトの道徳性と邪悪さ
 「現代の進化論」では、自然淘汰の圧力がかかるのは遺伝子であって個体ではないとする。アリやミツバチのような社会性昆虫が利他的な行動をするのは、それが「利己的な遺伝子」にとってメリットがあるからだ(血縁淘汰説)。
 これはヒトも同じで、生存と生殖に有利な協調的(利他的)性質が進化したことは間違いないが、それは利己性を放棄して「善なる存在」になったということではない。自分にとって得だと思えば、わたしたちは(自己正当化によって)どこまでも残酷(利己的)になれるのだ。
 この程度のことはわざわざ進化論(血縁淘汰)を持ち出さなくても、人間社会を観察していれば常識でわかると思うが、だったらなぜブレグマンは「善悪二元論」に固執しなくてはならないのか。それは「プラセボ」と「ノセボ」で説明される。
 プラセボ効果というのは、偽薬にも一定の治療効果があることだ(「病は気から」)。ノセボ効果はこの逆で、呪術のように、不吉だと思うだけでほんとうに具合が悪くなることをいう(場合によっては死んでしまうこともある)。
 ブレグマンは、「ヒトの本性は悪である」との主張はノセボ効果を引き起こし、社会をより悪い方向に変えてしまったという。それに対して、「わたしたちは本来、善である」とみんなが考えるようになれば、プラセボ効果によって、社会はよい方向に向かって動き出すにちがいない。――要約すればこれが本書の結論だ。
 これを説得力があると思うか、バカバカしいと一蹴するかは、読者一人ひとりが判断すればいいことだろう。最後にひと言、私見を述べるなら、ブレグマンは前著『隷属なき道』では、ユニバーサル・ベーシックインカムによって社会制度を変えることで「よりよい未来」をつくることを(まがりなりにも)構想した。それに対して本書では、具体的な改革の提案をするのではなく、気の持ちようを変えようと説く。
 これはレフトの理想主義の「後退」、あるいは「敗北」ではないだろうか。
 橘 玲(たちばな あきら)
作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は、『無理ゲー社会』 (小学館新書)。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/cb72b6619a7cfd8bdd8b7a98da1083aaac5b43d3

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金田一京助とアイヌ語とウポポイ

2021-09-24 | アイヌ民族関連
note 2021年9月23日 16:31

電磁郎の部屋 (Denjiro’s Room)
 金田一耕助と金田一京助は似ていますが、血縁関係はありません。金田一耕助は、小説に出てくる架空の人物ですが、金田一京助は実在の人物です。また、耕助さんは私立探偵ですが、京助さんは言語学者です。金田一京助先生の名前は、古い国語辞典なら、監修者として載っています。これは、私が中学生の時に、国語(社会?)の先生から聞いた金田一京助先生のエピソードです。
 金田一京助は25歳の時、日露戦争の戦果として日本へ割譲された樺太に、アイヌ語調査のために単身で渡りました。彼は、アイヌ語を全く知らないので、どこから手を付けてよいかもわかりません。大人は警戒心が強いので、近づいてきません。もちろん、近づけたところでアイヌ語は話せないわけですから、意味がありません。色々と考えた結果、警戒心の薄い子供達からアイヌ語を教えてもらおうと考えました。
 子供たちが遊んでいるところへ行って、ノートを拡げて絵を描くふりをします。最初は風景画のようなわかりやすい絵を書きました。子供達は興味津々ですが、なかなか近づいてきません。次に、新しいページに出鱈目な線をグチャグチャと描いて、少し様子を見ます。すると、年長の子供が近づいて来て「ヘマタ?」と言いました。そのあとは、他の子供達もやって来て、口々に「ヘマタ?」「ヘマタ?」と叫びます。これで、「ヘマタ?」は「何?」を表わす言葉ではないかと見当が付きました。次に、顔の中央の鼻を指して、自ら「ヘマタ?」と子供たちに聞きました。すると、「シシ」と答えました。こうして若き金田一京助先生は、次々とアイヌ語の単語を収集していきました。
 私の覚えていたエピソードは上記の通りですが、このエピソードは昭和20年代の国語の教科書に載っていたそうです。さすがに、その時には生まれていませんが、教材のもとの話は新潮新書「金田一京助」(藤本英夫著)に、一部が載っています。しかし元ネタには、少し違う話が載っているみたいです。「ヘマタ」までは概ね同じですが、その後が違います。京助青年は、辺りを見回して足元の小石を拾って、「ヘマタ?」と聞きます。子供達は、口々に「スマ!」「スマ!」と叫びました。
 個人的には、石を拾わなくても良い『鼻を指すエピソード』がお気に入りです。でも実際は、拾った石がアイヌ語研究のキッカケだったようです。たぶん、教えてくれた中学の先生はうろ覚えで、自分が話しやすい様に勝手にアレンジしたのだと思います。まあ、肝心なヘマタが合っていれば、問題ありませんが・・・。
 昨年の2020年7月12日に、ウポポイ(民族共生象徴空間)が開業しました。ウポポイのWEBサイトには、その設立趣旨が次のように説明されています。
 『ウポポイは、アイヌ文化を振興するための空間や施設であるだけではなく、我が国の貴重な文化でありながら存立の危機にあるアイヌ文化を復興・発展させる拠点として、また、将来に向けて先住民族の尊厳を尊重し、差別のない多様で豊かな文化を持つ活力ある社会を築いていくための象徴として位置づけられています』
 ウポポイは、『アイヌの歴史・文化を学び伝えるナショナルセンターとして、長い歴史と自然の中で培われてきたアイヌ文化をさまざまな角度から伝承・共有するとともに、人々が互いに尊重し共生する社会のシンボルとして、また、国内外、世代を問わず、アイヌの世界観、自然観等を学ぶことができるよう、必要な機能を備えた空間』となっているそうです。
 まだ行ったことはありませんが、一度は訪れてみたいと思っています。
https://ainu-upopoy.jp/
https://note.com/denjinamazu/n/n260dc7e99d03

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あの人気漫画の舞台「樺太」の戦前、戦中、そして戦後

2021-09-24 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2021年9月23日
真野森作・カイロ特派員
 明治時代後期の北海道などを舞台に、アイヌ民族の少女と元日本軍兵士のコンビが埋蔵金争奪戦で奮闘する野田サトルの冒険漫画「ゴールデンカムイ」(集英社の「週刊ヤングジャンプ」で連載)が高い人気を集めている。コミックスはシリーズ累計発行部数が1700万部を超え、連載は最終章に入った。
 物語では、北海道の北に位置する旧樺太(サハリン)とそこに生きる先住民族、さらには隣り合う帝政ロシアも重要な鍵を握る。
 日露戦争後から第二次世界大戦終結まで、20世紀前半の40年間にわたって北緯50度以南のサハリンは南樺太と呼ばれ、日本領だった。現地には今でも日本の面影が残り、先住民族や日系人、コリアンも暮らす。第二次世界大戦での日ソ戦が終結したのは76年前、1945年9月5日のことだ。日本領時代に中心都市だった旧豊原(現在はサハリン州都ユジノサハリンスク)を訪ね、「樺太」の戦前・戦中・戦後をたどった(登場する各氏の年齢やデータは2015年8~9月の取材当時)。
先住民族ニブフの伝統
 カンカン、コン、カンカン、コン――。丸太をつり下げた素朴な打楽器の奏でるシンプルなリズムが青空へと吸い込まれていく。演奏するのは、サハリンに約2000人強が暮らす先住民族ニブフ(旧称ギリヤーク)の人々だ。州立郷土博物館で彼らが自ら手がけた初の文化紹介イベントでの一幕。観光客が興味深そうに演奏に耳を傾けている。
 「私たちニブフはかつて狩猟と漁労、採集によって暮らしていました。主な食べ物は魚やアザラシの肉。例えば、魚と木の実を混ぜ合わせ、芋とアザラシの脂肪分を加えた伝統料理があります。獣や魚の皮を縫い合わせて衣服や靴を作っていたのです」。唐草のような紋様で縁取った真っ赤な伝統衣装姿で、民族活動家の女性アントニーナ・ナチョートキナさん(67)が説明してくれた。続けて、「ニブフは今も健在と示したい」と力を込めた。
 この博物館は樺太庁博物館として日本領時代に建てられた。その外観は、瓦屋根など一部が日本の城のような形をした和洋折衷の「帝冠様式」。サハリンを代表する歴史的建造物だ。敷地内の庭園には島の歴史を象徴する興味深い屋外展示物が並ぶ。帝政ロシアの流刑者収容施設を再現した丸太小屋、戦前の南樺太で天皇の「御真影」を収めたコンクリート造りの「奉安殿」、北千島の占守(しゅむしゅ)島 から運ばれた日本軍の95式軽戦車――。
 そうした中で、がっしりとした高床式の丸太小屋が目を引く。ニブフの夏用の伝統家屋を再現したものだ。半地下構造の冬用の住居や、サケ・マスを保存食に加工するための干し場もある。信仰と結びついたクマの飼育小屋など、アイヌ民族と共通する文化も見て取れた。
日露に翻弄された先住民族
 アジア大陸のアムール川下流域とサハリンに居住するニブフは、自然と共に生きてきた人々だ。だが、近現代は日本とロシアという大国のはざまで翻弄された。日露戦争後の1905年、ポーツマス条約によってサハリンは北緯50度線で区切られ、南半分は日本へ割譲された。
 「ゴールデンカムイ」でも、主人公たちが国境線を越えてロシア側へ潜入する場面がある。ニブフやウィルタなどの少数民族は南の日本領と北のロシア領(1917年のロシア革命を経てソ連領)とに分断されてしまった。そしてソ連の対日参戦によって第二次世界大戦末期には敵味方に分かれることになり、ニブフの人々は日ソ双方の「スパイ」にもされた。ナチョートキナさんは「私の親戚のおじさんは日本軍の案内人をしたと聞いている。終戦後、『お前は裏切り者だ』と言われた人もいたそうです」と明かした。
 日ソ両国はどちらもその統治下で少数民族に同化政策を押しつけ、文化を奪った。日本は戦前、南樺太の敷香(しすか、現在のポロナイスク)近くに先住民集落「オタスの杜」を造成し、「土人教育所」で日本式の教育を実施した。ナチョートキナさんによると、ソ連側も戦前、先住民族の子供たちを寄宿舎に集め、ロシア語だけで話すよう教育したという。「ニブフ語は家庭内でも使われなくなり、多くの伝統が失われた」と残念がる。
 戦後、ようやく1980年代から一部の学校でニブフ語が教えられるようになり、ニブフ語新聞も発行されるようになった。だが、復興は道半ばだ。ニブフの血を引く女性マリーナ・クラギナさん(50)は魚の皮を使った伝統工芸の技術を数年前に書物で学んだ。ほとんど廃れていた技を身につけようと決めたのは、「先祖の『呼び声』があったから」という。クマやフクロウの紋様を縫い付けた皮の小物を手に載せ、誇らしげに見つめた。
 春、川の氷が解けて最初の漁に向かうとき、ニブフの人々は海の神に供え物をささげた。神の許しをもらってはじめて、船を出したのだという。伝統信仰に基づけば、森にも山にもそれぞれ神がいる。就職や就学のためユジノサハリンスクへやって来る少数民族の若い世代が増えてきた。それでも、サハリン北部に多くの人々が暮らす。クラギナさんは「自然は非常に厳しいけれど、美しいところですよ」と教えてくれた。
漁業に残る日本領時代の足跡
 日本領時代の足跡は、基幹産業である漁業にも残っている。
この記事は有料記事です。
残り5156文字(全文7277文字)
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20210918/pol/00m/010/018000c

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ギャビー・ペティトが行方不明になったと伝えられているワイオミング州で、過去10年間に710人の先住民(主に少女)が行方不明になったと報告された。

2021-09-23 | 先住民族関連
ケルシー・ヴラミ
インサイダー 2021年9月19日 13:21

2020年8月26日、米国保健福祉省の先住民問題担当副次官補ジェニー・ホヴランドは、行方不明で殺害された先住民女性のマスクでポーズをとる。マーク・ティーセン,ファイル/AP通信
ギャビー・ペティートの失踪は、彼女とボーイフレンドのブライアン・ローンドリーがグランドティトン国立公園を訪れると言われたワイオミング州から行方不明になったと報じられていたので、ソーシャルメディアの熱狂とノンストップのメディア報道を開始しました。
しかし、過去10年間にまったく同じ状態で行方不明になったと報告された先住民の何百ものケースは、同じ毛皮で満たされていません。
州の行方不明者と殺害先住民タスクフォースが発表した1月の報告書によると、少なくとも710人の先住民(主に少女)が2011年から2020年にかけてワイオミング州で行方不明になった。大多数の85%が子供で、57%が女性でした。
報告書によると、行方不明の先住民の50%が1週間以内に発見され、21%が30日以上行方不明のままである。報告書によると、白人の11%だけがその間行方不明のままである。
ニューヨーク出身の22歳の白人女性ペティトは、9月11日に行方不明になったと報じられた。彼女の家族は8月24日に彼女と電話で最後に話し、彼女とランドリーはグランドティトンを訪問するためにワイオミング州に向かっていると言いました。
先週彼女の捜索が始まって以来、ウインドリバー・インディアン・リザベーションの北西2時間未満にある国立公園に焦点を当てています。

モンタナ州で行方不明で殺害された先住民女性の家族は、2021年5月5日(水曜日)にモント州ヘレナの州議会議事堂の前に集まります。アイリス・サミュエルズ/AP通信
ウインドリバーは、ショショーニとアラパホインディアンの数千人が住む州で唯一の予約ですが、報告書は先住民が州の23の郡のうち22で行方不明になったと報告されており、州全体の問題となっています。
報告書はまた、メディアの報道を見て、白人犠牲者の51%に対し、先住民の殺人被害者の30%だけがニュースを作った。
先住民の殺害が取り上げられたとき、ニュース報道は白人と比較して「過度にグラフィック」だったと、報告書に取り組んだワイオミング州調査分析研究科学者エミリー・グラントはWPRに語った。
行方不明で殺害された先住民運動は近年注目を集めています。ワイオミング州知事マーク・ゴードンは、この問題に取り組むために支持者から圧力を受けた後、2019年に行方不明者と殺害された先住民タスクフォースを設立しました。
2020年、彼は行方不明者と殺害された人々のデータ収集を改善することを目的とした法律に署名しました。法案はまた、先住民を含む事件に関する訓練を法執行機関に提供することを当局に義務付け、法執行機関間の協力を義務付けた。
https://www.insider.com/710-indigenous-people-missing-in-wyoming-where-gabby-petito-disappeared-2021-9?fbclid=IwAR2h9pP60paVpSQYR4x4TvyaUyJ7ZasAqezTMx-CISqxnZGudU19injsmHI

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日本比較文化学会 北洋大に道支部 奥村学長「アイヌ文化など追究」

2021-09-23 | アイヌ民族関連
北海道新聞 09/22 18:28
 多様な文化の比較研究を通して、多文化間の相互理解に取り組む日本比較文化学会(八尋春海会長)の北海道支部が、北洋大(苫小牧市)で発足した。国内では七つ目の支部で、同学会の会長を務めた経験がある同大の奥村訓代学長が発起人となり設立した。25日に同大で記念講演を予定しており、奥村学長は「アイヌ民族の文化など、北海道らしい分野を追究したい」と話す。
■25日に記念講演、研究発表
 同学会は、北海道以外に関東や関西など国内6支部があるほか、韓国や台湾の大学など海外の5団体とも提携しており、会員は約600人。毎年、各支部や全国大会で研究発表を行っており、日本学術会議(東京)の協力学術研究団体にも認定されている。1979年に前身の東北比較文化学会が設立され、81年に現在の名称に変更した。
 研究テーマは幅広く、「日米のスポーツ文化比較」や「近代日本における中国女性像の考察」など、さまざまな角度から多文化間の理解を深めている。
 北海道支部は、奥村学長を中心に北洋大の教授らが設立の準備を進め、19日の理事会で正式に設立が決まった。初代支部長には奥村学長が就任。同大を事務局に年3回ほど支部会を開き、研究発表の機会を設ける。奥村学長は「まずは若手を育てたい。学生だけでなく一般の人にも、われわれの活動に参加してほしい」と話している。
 同学会は25日午後2時から、同大で北海道支部設立の記念講演と研究発表を行う。講演は「比較文化研究の多様性について」など二つと、研究発表が四つ。参加無料で事前予約が必要。問い合わせ、申し込みは同大(電)0144・61・3111へ。
(竹田菜七)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/591952

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儀式用サケの捕獲【新ひだか】

2021-09-22 | アイヌ民族関連
日高報知新聞 2021.09.21
【新ひだか】町は、アイヌ民族が儀式で使うサケの捕獲許可申請(9月15日~11月15日まで)を道に提出し、許可を得て17日から3日間(予定)、三石アイヌ協会(幌村司会長、会員9人)が儀式用サケを捕獲した。アイヌ伝統文化継承が目的で、今年で2年目となる。
サケを捕獲する前の自然界への感謝の儀式
 17日は、幌村会長ら10人が参加し、三石川の蓬莱橋周辺でアイヌ民族伝統儀式の「アシリチェプノミとチェプ漁」を行った。
 アシリチェプノミはサケを迎える儀式で、神に祈りを捧げたあと、網を使ったチェプ漁でそ上中のサケ30匹(上限)を3日間かけて捕獲する。
 捕獲したサケは、10月3日予定のイチャルパ(先祖供養祭)の儀式などに使われる。
 幌村会長は「アシリチェプノミは新しいサケを迎える感謝の儀式。サケがたくさん帰ってきて、豊漁になることをお祈りした。今後も捕獲を継続していきたい」と話していた。
サケを捕獲する三石アイヌ協会の会員たち
http://www.hokkaido-nl.jp/article/23126

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体験型観光サミット開幕 知事「アジア初開催うれしい」

2021-09-22 | アイヌ民族関連
北海道新聞 09/21 19:00
 体験型観光「アドベンチャートラベル(AT)」の国際サミットが20日夜、道内と海外を結んだオンライン形式で開幕した。同サミットのアジア開催は初めてで、鈴木直道知事は式典で「北海道を舞台に開催されうれしく思う。北海道は四季折々の美しい自然と多様なアクティビティー、アイヌ文化など魅力あるコンテンツが多数存在する」とアピールした。
 式典では赤羽一嘉国土交通相もあいさつし、サミットのテーマが共生であることを踏まえ「先住民族のアイヌ民族は自然との共生を体現してきた。北海道の魅力を少しでも感じていただければ」と語った。
 初日は自然環境をテーマにした基調講演のほか、屈斜路湖のカヌーや知床五湖のハイキングなど道内の体験観光メニューを紹介する動画の放映を行った。
 サミットは24日まで開かれ、海外の観光関係者ら最大800人が参加予定。道は新型コロナウイルス収束後の訪日客の回復戦略としてAT推進を掲げており、動画や商談会などを通して道内のATコースやアイヌ文化、食文化などを発信して売り込む。(小宮実秋)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/591559

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きっかけは東日本大震災。6年で750箇所の博物館を取材したフリーエンジニアが出会った多様な生き方

2021-09-22 | アイヌ民族関連
Book Bang 9/21(火) 8:00
「博物館は知ることの喜びにあふれている」
そう話すのは『世にも奇妙な博物館』を出版した博物館マニアの丹治俊樹さん。
彼の本は、読む人が思わず「そうだったんだ!」と声を出してしまうほど、驚きと発見がつまっています。
「そろばん」や「トイレ」などコアな世界に焦点を当てた全55箇所の面白博物館。
今回は、そんな博物館を巡り全国各地を旅する彼に、現在に至るまでの経緯や出版に対する思いを聞いてみました。
ニッチな場所をあえて選ぶ
――丹治さんが全国各地の博物館を巡るようになったきっかけは何だったのですか? 
もともと珍スポットを巡るのが好きで、本を書くまでは、博物館だけではなく、お店や公園、遊郭などジャンルにこだわらず色々な場所を訪ねていたのですが、1年半前くらいにあるテレビ番組のディレクターさんから博物館がテーマの番組の出演依頼をいただいて。結局、その番組出演の話はなくなってしまったのですが、そこから自然と興味や行き先が博物館に絞られるようになりました。
――多くの博物館を巡られていますが、どうやって見つけているんですか? 
すごく現代的な方法なのですが、行きたいエリアを決めたらGoogleマップで「博物館」と検索して、面白そうだなと思った場所に行っています。口コミに「館長さんがフレンドリー」って書いてあるとさらに興味が湧いて。ユニークな館長さんだと、すごくたくさん話してくれるんです。レコードがたくさん展示されている長崎の音浴博物館では、開館直後から閉館の時間までずっと滞在していました。あとは現地で人と話して、おすすめの博物館を教えてもらったりもしています。
知られていない真実を求めて
――今まで訪れた博物館は750箇所もあるそうですね。そこから本に掲載する55箇所を選ぶ上で、意識した点は? 
館長さんの熱やユニークさも含めて、とにかく自分が面白いと思ったところを集めました。
――本のタイトルやデザインから、奇抜な博物館ばかり紹介する本かと思っていたのですが、単純に面白いだけではなく、アイヌ、震災、ハンセン病、戦争などシリアスなテーマを扱った博物館も紹介されていて、勉強になりました。
掲載した場所の半分以上は本の制作に取りかかる前から知っていたり、すでに訪れたことのあった場所なのですが、世間に知られていない真実を紹介している博物館も意識して選びました。
岡山県の長島愛生園歴史館に行ったとき、僕は初めてハンセン病を知ったんです。難しい内容に感じるかもしれませんが、本では普段使わない言葉はわかりやすく書き換えたり、砕けた表現をしているので読みやすくなっているかとは思います。
――本について、博物館の方から何かリアクションはありましたか? 
それぞれの博物館の館長さんや学芸員さんには、本を出す前に原稿確認をお願いして、完成した本も送りました。「面白かった」とか「よくこれだけ巡りましたね!」とか色々な反応をいただけてうれしかったです。愛生園もTwitterで本を紹介してくれました。
博物館を開く理由って、やっぱり知ってほしいという想いからなんですよね。ハンセン病への差別や偏見が生まれてしまったのも、正しい情報がちゃんと伝わらなかったから。博物館の方たちと話すと、もっと多くの人に来てほしい、知ってほしい、という想いを感じることが多いです。この本をきっかけに、実際に足を運ぶ人が増えたらいいなと思います。
――特に、訪れて欲しい博物館はありますか? 
行く度にいろいろな感動があるので順位がつけられないのですが、衝撃度が高かったのは群馬県の重監房資料館ですかね。
小さい頃からよく父親に群馬に連れて行ってもらったり、大学時代には草津でスキーのインストラクターをしていたりしたので群馬にはよく行っていたのですが、資料館の存在を知らなかった上に、内容も驚きだったんです。
全国の療養所にいるハンセン病患者のなかで特に反抗的だとみなされた方が送られる「特別病室」だった場所なのですが、実際は病棟というより収容所のような様子だったらしいです。部屋は8部屋あるのですが、一時期はそこに10人ほど入っていたらしくて。窓もない布団しかない4畳半の部屋にですよ。
――ということは、1部屋に2人で入っていたこともあったということですよね。
そうなんです。食事も粗末なものしか出なかったようで、2人入っている部屋では、どちらかが亡くなったときに、死体を隠して2人分の食事をとっていた人もいたそうです。最終的に死体の臭いに耐えられなくて報告したらしいのですが、それだけ食事も大変だったんだと衝撃を受けました。
こうじゃなきゃいけないなんて決まりはない
――話を聞いていると、丹治さんの行動力と探究心には本当に驚かされます。何かきっかけがあって、身についたものなのでしょうか? 
きっかけは、東日本大震災ですね。当時、僕は大学生で、スキーの大会中だったので群馬県にいたんです。そこで、宿に帰った時に津波の映像を見ました。同じサークルのメンバーが電車が動いていなくて東京からこっちに来られないからと車で迎えに行った時に、ガソリンの給油が追いついていないということがあって。ニュースで見たことが自分に降りかかるってこういうことなんだと実感しました。
ただ、僕は今までニュースを全く見てこなかったので、過去の災害や事件の話を例に出されても前知識がなくて全然頭に入ってこなかったんです。そこで、過去の出来事や歴史を自分で調べるようになりました。物事を知る習慣はそこから培われたと思っています。
――好奇心の赴くままに全国を巡るというのは、周囲の人に珍しがられることもあると思います。周りの目はあまり気にならないのですか? 
僕自身、まだ気にしてしまうところはあるのですが、だんだん気にならなくなってきました。
好きなことをするためには、犠牲にしなければいけないこともあって。平日は仕事して夜はブログ書いて、休みの日に珍スポットや博物館を巡っていると、それ以外の時間がないので、今までいろいろな誘いを断ってきました。
今回、半年間仕事を休んで本の制作に取りかかったのですが、はたから見ると大丈夫なの? って思われることもあるんです。旅の途中、うまくいかなかったらどうしよう、もし自分がホームレスになったら…とか色々考えたのですが、結局、それはそれで楽しめるんじゃないかと思ったんです。そうすると、徐々に周りの目を気にしなくなってきたんですよね。好きなことができたらいいって。無理やりそう思おうとするのではなく、自然と。
好きなことに没頭することが、周りの目や世間体を気にしなくなる近道なのかもしれません。
それと、もうひとつ。博物館を巡る前に、風俗街について調べていたことがあって、夜のお店の客引きや店長をしている方たちと知り合いました。ブログをはじめる前は、周りには自分と同じような生活や考え方の人ばかりだったのですが、自分と全く違う人たちと出会うようになったんです。
世の中には色々な人がいると情報として知っているのと、実際に出会うのとでは全然見え方が違います。こんな生き方もあるんだ、と思うと、僕も好きなように生きようと思えるんですよね。
足を運んで得る発見
――若者のあいだで今「昭和レトロ」が流行っていますが、それについてはどう思いますか? 
そうみたいですね。僕のSNSでも、レトロな写真っていいねがつきやすいんですよ。昭和レトロの展示をしている場所は全国にたくさんあるので、最初のきっかけは「映え」でもいいから、そこからさらに興味を持って調べるようになってくれたら嬉しいですね。マイナーな博物館とかだと、自分から面白さを探しにいかないといけないので、少しハードルが高いと思うのですが、そういった親しみやすいところから入って、どんどんのめり込んでいって欲しいです。
――最後に、読者の方へメッセージをお願いします。
読むだけじゃなくて、実際に足を運んで欲しいと思っています。
僕の活動に対して、時々、「直接行かなくてもネットで調べるだけで十分じゃない?」と言われることがあるんです。足を運ぶとなると、時間もお金もかかるしコスパが悪いと。でも僕は、行くことに意味があると思うんです。
例えば、山梨県のポール・ラッシュ記念館は北杜市にあって少し行きづらいのですが、癒されるためにわざわざ行く人たちがいるんですよ。行くと気持ちがリフレッシュできるそうで。
やっぱりそれってネットでは感じられないことですし、自分で見て聞いて感じることが大切なんだと思うんです。
この本には僕が見て感じたこと、伝えたいことが詰まっているのですが、実際に行くと、見る人にとって違った見え方ができると思うので。それをぜひ実感して欲しいですね。
――お話を聞かせていただき、ありがとうございました! 
話を聞いた人:丹治俊樹(たんじ・としき)さん
博物館マニア・日本再発掘ブロガー
1987年神奈川生まれ。フリーエンジニアのかたわら、日本の知られざる場所を発掘して取材・調査をまとめたブログ「知の冒険」を運営。本業でうつ病を患うも、博物館が好きすぎて、本業以外の時間を全て日本全国の博物館取材に費やす。ブログを始めてからの6年間で訪問した博物館は、約750箇所にのぼる。東洋経済オンラインなどのwebメディアに取り上げられるほかラジオ番組へも出演しつつ、日々博物館の魅力を発信している。https://chinobouken.com/
[文]みらいパブリッシング
取材・文:ゆのきうりこ/写真:f.m.portrait/取材協力:新宿区立新宿歴史博物館
みらいパブリッシング 2021年9月16日 掲載
みらいパブリッシング
https://news.yahoo.co.jp/articles/d8ca6cf078cd9071ae8ea909ccde6624b4e55da0

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東京都写真美術館で開催中の『リバーシブルな未来 日本・オーストラリアの現代写真』は見ごたえあり

2021-09-22 | アイヌ民族関連
Pen Online 9/21(火) 19:34配信
「逆にできる」や「元へ戻せる」を意味し、裏表兼用の衣服を指す「リバーシブル」。写真は過去と密接に結びついているメディアだが、裏表にある未来の輪郭も見え隠れしているのではないだろうか? そうした観点から日本とオーストラリアの現代写真家を紹介する展覧会が、東京都写真美術館にて開かれている。両国4名づつ、計8名のアーティストによって構成され、作品数は76点と見応えのある内容だ。
あまり見る機会の多くないオーストラリアの写真家に着目したい。ブリスベン生まれのローズマリー・ラングの『effort and rush #1』は、幻想的な風景が魅惑的な作品だ。動と静、重みと軽快さといった相反する要素を1枚の写真に落とし込むラングは、有機的に溶け合うような風景のイメージを作り上げている。ブレて揺れ動くような木立はまるでターナーの絵画のようだ。また4つの部族の先住民族の血を引くマレイ・クラークは、『ロング・ジャーニー・ホーム2』において、伝統的なポッサムの毛皮のマントを身につけた作家の家族をモデルとしている。同国では1967年に憲法が変わるまで、アボリジナルは元の土地を離れて、悲惨な条件で生活することを余儀なくされていた。そうした先住民族の苦難の歴史に目を向けながら、クラークは自らのルーツを未来へと受け継ぐために写真を撮っている。
一方で日本からは石内都、片山真理、畠山直哉、横溝静が出品している。そのうち目立っているのが、自らの身体をモチーフにしたセルフポートレイトで知られる片山真理だ。9歳の時に先天性脛骨欠損症のために両足を切断した片山は、手縫いのファブリックを背景に自身を撮影することで、体の美しさや官能性を表現している。また自らの故郷である陸前高田を撮影した畠山直哉のシリーズも見過ごせない。畠山は同地を東日本大震災の直後から現在まで撮り続けているが、その写真を2020年から2011年へと時間を遡るように展示している。過去を見つめながら、道半ばである復興への未来を考えさせられる作品だ。
過去に東京都写真美術館では、『世界は歪んでいる。─Supernatural Artificial』展(2004年)や『オーストラリア現代作家 デスティニー・ディーコン』展(2006年)を開催し、オーストラリアの現代写真表現を文化交流の一環として紹介してきた。以来15年。同国の現代写真を新たにリサーチしただけでなく、日本の作家とあわせ見ることで、それぞれの国の歴史やアイデンティティをはじめ、環境や災害といった地球規模の課題なども可視化されているのではないだろうか。過去や現実を捉え、さまざまな問いを投げかける写真家の制作と向き合いながら、リバーシブルな関係にある未来に希望を見出したい。
『リバーシブルな未来 日本・オーストラリアの現代写真』
開催期間:2021年8月24日(火)~10月31日(日)
開催場所:東京都写真美術館 3階展示室
東京都目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内
TEL:03-3280-0099
開館時間:10時~18時 ※入場は閉館の30分前まで
休館日:月、9/21 ※但し8/30、9/20は開館
入場料:一般¥700(税込)
※オンラインによる日時予約を推奨。臨時休館や展覧会会期の変更、また入場制限などが行われる場合があります。事前にお確かめください。
https://topmuseum.jp
文:はろるど
https://news.yahoo.co.jp/articles/8323f9d936143350c7cbfa6c4030f28b338e9a80

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アイヌ伝統の弦楽器「トンコリ」 温かみのある音色で観客魅了 阿南で演奏会

2021-09-21 | アイヌ民族関連
徳島新聞 9/20 19:30
トンコリを演奏しながら歌うOKIさん=阿南市富岡町の市文化会館夢ホール
 樺太(サハリン)アイヌの伝統弦楽器トンコリ奏者「OKI(オキ)」さんの演奏会(阿南市文化会館、徳島新聞社主催)が20日、同市富岡町の市文化会館夢ホールであり、温かみのある音色で市民ら220人を魅了した。
 旭川アイヌの血を引くOKIさんは、懐かしい旋律が心地良い「カラス泳ぐ曲」や、サハリンを旅した直後に作った「サハリン旅情」など計10曲をアイヌ語で歌いながら演奏した。アイヌの歴史やトンコリとの出合いを語ったほか、「アイヌでカラスは未来を告げるとされ、良い意味で表現される」などと紹介。アンコール曲では観客の手拍子に合わせて力強く歌い上げた。
 演奏を聴くのは2回目という児島久美子さん(47)=石井町高川原、自営業=は「古典的にならずに常に新しい音楽を追い求める姿勢に感動し、共感できる」と話した。
https://www.topics.or.jp/articles/-/593503

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アイヌ神話や音楽披露 前橋で語り部ら

2021-09-21 | アイヌ民族関連
上毛新聞[2021/09/20 09:00]

アイヌ文化の語り部、アシリ・レラ(本名・山道康子、北海道平取町)さんらが19日、群馬県前橋市粕川町の「遊民谷」でアイヌの神話や民俗音楽などを披露した=写真。参加者約20人が熱心に聞き入った。
 自身の生い立ちのほか、病気の父親のために木イチゴを探す兄弟のアイヌ神話を優しい口調で語った。その後、他のメンバーがゆう琴や笛などの楽器を披露した。(丸山仁見)
https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/culture/326815

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#181 先住民考古学からアイヌ文化に歩み寄る~アイヌ文化の移り変わり~

2021-09-21 | アイヌ民族関連
いいね!Hokudai 2021.09.20
(加藤さんへのインタビューはオンラインで行われました。最下段右が加藤さん。)
まず初めに、先住民考古学とはどのような学問なのか教えてください。
先住民考古学というのは先住民族の人たちがたくさん暮らしている地域で1960年代以降に生まれた学問なんです。一番メジャーな定義は、「先住民考古学というのは先住民族のために先住民族と共に、先住民族によって研究される考古学である」というものです。
これは先住民について研究する考古学とは対照的な考え方です。ある歴史の段階で外から人が入植してきて前にそこに住んでいた人たちを自分たちと同じ生活の仕方、言語、教育制度に巻き込んでいきます。そのことに影響を受ける側の人たちが納得していなければそれは受容ではなく「同化」と言います。
近代化の気運の高まりとともに同化が進められてきました。その見直しがカナダ、アメリカ、オーストラリアなどで行われ、抑圧されていた人が解放され、自分たちの文化を自分たちの考え方で評価しようという動きがでてきます。考古学の世界でも、自分たちの考え方で、自分たちの文化、歴史を語ろうという考えがでてきました。これが先住民考古学です。

1960年代に先住民考古学が生まれた背景は何なのでしょうか。
1960年代はアメリカで公民権運動が起きた時代です。アフリカ系アメリカ人の運動、ブラックパワーに加えて、アメリカ先住民の運動、レッドパワーというのがありました。多様な民族集団構成の中で、アメリカ先住民も1960年代に権利回復運動を行っていたんです。その中で、文化や歴史は誰ものなのかという問いかけが始まりました。更に、1960年はアフリカの年と呼ばれてアフリカの国がたくさん独立しています。今まで抑圧されてきた人が権利を主張し始めたのがちょうどこの時代なんです。

数ある先住民族の中でアイヌを研究することを選んだ理由は何でしょうか。
私は幼少期を北海道で過ごしましたが、アイヌの事をほとんど知りませんでした。私が大学院で考古学を学んだときは人類がアフリカからどのように世界中に広がり、文化多様性を開いたのかに関心を持っていました。北大に着任した当初は北方考古学というテーマでシベリアなど北方圏の人類の歴史の研究し、教えていました。
しかし、2003年に当時の中村総長がアイヌに対する植民地政策を牽引してき北大、その前身である札幌農学校とアイヌとの関係性を見直す目的で、アイヌ民族と先住民の研究をするためにアイヌ・先住民研究センターを設立しました。その研究センターで考古学が先住民族とどのように関われるかを考えた時、北海道出身でもアイヌや北海道についてよく知らないという事に気づいてアイヌ、先住民族との関係を考え始めました。
ですから、学生時代から関心があったわけではないんです。北大に着任しなければアイヌ民族の歴史や文化についての研究をしなかったかもしれません。

同化を強要されることでアイヌの文化にどのような変化があったのですか。
江戸時代、日本は外国との交流を組織的には停止し鎖国状態にありましたが、完全に外国との交流がなかったわけではなく、「四つの口」が開かれていました。その一つがアイヌ民族と交流を持っていた北海道の松前口です。また、アイヌ民族は北の沿岸部をつたって樺太、さらには大陸を渡って交易をおこなっていました。このように、アイヌの人たちの文化は大陸と本州の接触を持ちながら育まれ、形作られてきたんです。
江戸時代には当初は対等に、もしくは松前藩が譲歩していたアイヌと松前藩の関係も300年近い時代の中で変化し、最終的にはアイヌが松前藩に支配されるようになりました。そして、明治維新を境にアイヌ民族の生活や文化の一番大きく変化しました。近代化の枠の中で、今までの山や川で資源を採取したり、狩を行うといった独自の文化が停止され、学校ではアイヌ語ではなく日本語を学ぶことを強要されるようになり、アイヌ文化を次の世代へ継承することが難しくなっていきました。

アイヌ文化が復興する兆しが現れたきっかけはありますか。
1997年にアイヌ文化振興法が制定されたことです。この法律の下、アイヌの伝統や文化の保護に国からの助成金が出るようになり、アイヌ語の復興運動やアイヌの伝統的な歌や踊りの保存会の活動が盛んになりました。しかし、この段階ではまだ政府はアイヌを先住民族として公式には認めていませんでした。その後、2019年にアイヌ施策推進法が制定され、法律文書にアイヌ民族が日本の先住民であることが明記されました。また、この延長で2020年に設立されたのが民族共生象徴空間ウポポイです。そしてこの施設は日本で初めて作られたアイヌ民族をテーマとした国立の博物館です。

加藤さんはアイヌ文化のどのようなところに興味を持っているのでしょうか。
アイヌ文化を構成する要素や世界観、精神性が今私たちが住んでいる北海道の生活空間であるこの大地とどのように関係しているのか、考えていくことに興味を持っています。
アイヌの人たちの精神文化や世界観には独自のものがあります。例えば、「カムイ」神様とも日本語に訳されますが、この「カムイ」という存在を中心として、自分たちが関わるあらゆる自然界の資源や動植物、山や川に「カムイ」を見出します。あらゆるものが自然界からの贈り物と理解し、一方的な搾取はなく、贈り物に対しての対価を丁寧に返さないといけません。このような考え方を互酬性と言い、それは熊送り¹だったり、色々な贈りの概念に結び付くのです。
一方で、アイヌ文化からは、周辺と隔絶して成立する文化は存在しないということが理解できます。私たちは他の文化を説明する際に、独自の要素を抜き出したいと思いますよね。しかし、アイヌ文化で言えば首飾りを飾る青いガラス玉は大陸から、儀式に必要な酒は本州から持ち込まれたものなのです。ここからも一つの文化がいかに周辺の社会や文化と交流をしながら、必要なものを入手し組み合わせながら成り立っているが分かります。そういった見方は、私たちの日本文化に置き換えてみても参考になります。

最後に、アイヌ文化を存続させるために一番大切なことは何だと思いますか。
これはすごく本質的な問題ですね。
アイヌ文化を次の世代に継承していくためには、一番大事なのはアイヌの人たちが自分たちの祖先から受け継いできた言語であるアイヌ語を学ぶ機会を確保することです。理想的なのは、アイヌ民族出身の子どもたちが自分の言葉を学校教育で学ぶ機会を確保することですが、今の学校教育の中でアイヌ語を教えられる先生はほとんどいません。ですから、まずアイヌ語の先生の育成し、最終的には少なくとも北海道において、アイヌ語が公的に使える言語になっていくことが将来の一つのゴールだと思います。

もう一つ大事なことは、アイヌ民族の出身の人がなんの恐れもなく、「自分はアイヌ民族である」と言える社会を作ることなんです。実は現在、日本で暮らすアイヌの人たちの人口は正確にはわかりません。北海道庁は定期的にアイヌ民族人口を調べる生活実態調査を行っていますが、それに回答しているのは自身のアイデンティティーを積極的に証明した人だけで、差別を恐れて出自を明かしていない人たちは含まれてません。彼らがなんの恐れもなく自身のアイデンティティーを主張できる社会を作っていくことが、とても大事なことだと思います。《後半に続く》
https://costep.open-ed.hokudai.ac.jp/like_hokudai/article/23504?fbclid=IwAR3KkPoxSziSZrOR_swT2xlB6_o47m3cQlHVDQjUXppAJe1s6J0Mshg76Tk

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