昨年の秋に鬼婆の声「私をおいてどこへ行くの!」の声。
「四国へ行ってくる!」「もう帰って来なくても良い!」の声を背中に受けて四国へ
ここは愛媛県・新居浜市・立川町です。
東洋のマチュピチュと呼ばれる「別子銅山」です。
駐車場から見下ろすこの景色、ここがまさに東洋のマチュピチュとして有名な東平(とうなる)貯鉱庫跡です。
なんとこの「東洋のマチュピチュ」という名前は本家マチュピチュ公認らしく、駐日大使も来日されたそうです。
重厚な花崗岩造りの貯鉱庫で、運ばれてきた鉱石と、新太平坑(しんたいへいこう)と東平を結ぶ太東索道から運ばれてきた鉱石を一時的に貯蔵するものでした。
別子銅山は、新居浜市の山麓部にあった銅山です。
1690年(元禄3年)に発見され、1973年(昭和48年)までに約280年間に銅を産出し、日本の貿易や近代化に寄与しました。
一貫して住友家が経営し、住友が日本を代表する巨大財閥となる礎となった。
思えば、小学校の教科書に「別子銅山」の記述がありました。