「春は名のみの風の寒さや..♪」で始まる唱歌「早春賦」
遅い安曇野の春を待ちわびる思いを詩にしたと言われている。
安曇野とその以北の田園を北アルプスの山並みを見ながらの「そぞろ旅」です。
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「拾ヶ堰(じっかせぎ)」です。
拾ヶ堰は、文化13年(1816年 )扇状地の中央を約570m の等高線に沿って横切り、
約1000haの水田を潤す総延長約15kmの安曇野一の用水路 である。
長さ約15km 勾配は約3000分の1で、近代的水準器や望遠鏡もない時代、
クワやモッコだけによる手堀りの水路である。
拾ケ堰によって、安曇野は長野県下でも1、2位を競う米どころへと変貌したのである。
無論、現在もこの堰は、大用水路として安曇野の田畑を潤し続けている。