20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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雑感

2010年01月16日 | Weblog
 先日、朝日新聞夕刊で、批評家の東浩紀氏がインタビューにこう答えていました。「ゼロ年代の思想・批評はスカスカだった」
 さらに彼はこうも語っています。
「思想・批評の凋落ぶりは出版不況どころじゃない。もっとずっと急速な動きだと思う」

 2001年『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)で批評家として世間をあっと言わしめた彼は、90年代後半からゼロ年代にかけての、批評の若きオピニオンリーダーでした。
 そしてゼロ年代にはもうひとり、批評の世界に台頭してきた若き批評家がいます。
『ゼロ年代の想像力』(早川書房)の宇野常寛です。
 郊外化、引きこもり、格差社会。グローバリゼーション・・・。
 そこから生まれる物語の想像力は、何を描き、語ってきたのか。
「池袋ウエストゲートパーク」「犬夜叉」「蹴りたい背中」「宮藤官九郎」「涼宮ハルヒの憂鬱」「野ブタ。をプロディーズ」「バナナフィッシュ」などなど、時代を切り拓くサブ・カルチャー批評が、ここにはてんこ盛りです。
 無論、ここには「動物化するポストモダン」批評もでてきます。
 いわば東の理論と拮抗するスタンスで。
 
 こうしたゼロ年代分析を、ここで一度きちんとやっておかないと、これだけ混迷している文学状況の中で方向性を見失ってしまいそうな気がして、暮れにアマゾンで買って読んでいました。
 読んでいて、久しぶりにぞくぞくしました。
 この膨大なサブ・カルチャー分析も見事ですが、目から鱗の分析がたくさんありました。
 特に宮台真司の「漂白された郊外論」から、いまや「宮藤官九郎の捉える郊外論」に変容しているところへ分析など見事でした。

 他にはゼロ年代を、YAとファンタジーの側面から捉えた『越境する児童文学ー世紀末からゼロ年代へー』(野上暁 長崎出版)も、一緒にアマゾンで買って読みました。

 さて、朝日新聞の夕刊にもどりましょう。東浩紀のインタビューを読んでいると、宇野常寛の爽快さをなぜか感じません。
 それは宇野常寛の視点である「決断主義」と、東浩紀の支持する混迷する「セカイ系」との違いからくるものかもしれませんが。
 次の時代を捉える困難さを、ただこちらに印象づけただけで終わっていました。鬼才な彼の「今」を捉える困惑が伝わってくるようです。
 あるいは単に、彼の頭のよさに凡庸なこちらがついていけなかっただけなのでしょうか?

『ゼロ年代の想像力』の、ひとつひとつの対象を丁寧に読み尽くしている「わかりやすさ」と、そこから導き出される方向性。
 それこそが私たち書き手にとっては、創作の方法へのひとつの手がかりになっていくような気がするのですが。
 
 
コメント
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