20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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言葉と言葉・・・。

2015年07月22日 | Weblog

             

             

 子どもの頃から、ガラスの食器というより、ぎやまんの器といわれた方が、馴染みがありました。

 父や母が、そう呼んでいたからです。

 詳しいことは知りませんが、その違いはきっと、さほどのものではないのだと思います。

 

 秩父を離れて気づいたのは、ガラスの食器は、だれにとってもガラスの食器だと言うことです。

 なかには、カットの方法で「切り子」などと、言われるガラス食器もありますが・・・。

 そのうち、「ぎやまん」などという言葉は、忘れかけていきました。

 

 でもときに、うつくしいガラスの器を見つけたりすると、ふいに、あの子どもの頃の、「ぎやまん」と言う、なんとも幻想的な響きが脳裏をかすめます。

 そんなとき、もうひとつ思い出すのが「おてしょう」という言葉です。

 おてしょうというのは、いわゆる、小皿、お取り皿のことです。

 

 結婚したばかりの頃、牛込の夫の両親の家に遊びにいって、義母がお夕食のしたくをしてくれていました。

 そばで私が、「そろそろ、おてしょうを並べておきますか?」

 義母にそう尋ねました。

 すると東京生まれの義母は、くすりと笑い、

「おてしょうなんて、久しぶりに聞いたわ」と。

 

 私の母は、いつもそうした小皿のことを、おてしょうと、呼んでいました。

 母の里は商家でした。そしてその血筋は、近江の商人につながるそうです。

 そのあたりから、流れてきている言葉なのかもしれません。

 

 久しぶりに、ふとした言葉から、父や母を思い出した夏の日です。

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