20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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フレディ・ストーリー

2018年12月03日 | Weblog

       

 三越本店の一階、お化粧品売り場。

 幻想的な天井になりました。

 

 過日、今、評判の映画、「ボヘミアン・ラプソディー」を観てきました。

 それ以来、夜、寝る前になると、クイーンの音楽が聴きたくなって、リビングの大型テレビでクイーンの音楽を聴いていました。

 フレディ・マーキュリーという天才ロッカーの人生の光と影、栄光と孤独が映画では描かれていました。

 

 フレディの歌に、私はものすごく惹きつけられました。歌うときの彼の一生懸命さ、かっこよさにも。

 上半身裸だったり、タンクトップだけの、およそセンスの良さとは、かけ離れたスタイルをみながら、それでも惹きつけられていました。

 昨晩、友人の作家のUさんが、オペラ歌手のモンセラ・カバリエとフレディが、「バルセロナ」をオペラで歌っているユーチューブを添付で送ってくださいました。

 それを観ていて、さらに興味が増し、テレビでユーチューブを検索しました。

 

 それで見つけたのが、彼がなくなった数年後、彼の最後の恋人や、一生の友人であった(映画にも出てくる彼の元恋人の女性)や、バンド仲間、お母様や妹さん、たくさんの人たちからの彼へのコメントが語られている、BS・2で放映された番組でした。

 そこには映画「ボヘミアン・ラプソディ」では語られなかった、フレディの生い立ちや、少年時代や、さまざまな人生が、つまびらかに語られていました。折々にクイーンの音楽を挟みながら。

   なぜ、彼がHIVに感染したかなども含めて。

 

 フレディのこの名前が、本名ではないことをご存知の方は多いと思います。

 彼は息苦しいイギリスでの生活を逃れるように、たびたびNYを訪れ、そのNYの文化に興じていたようです。

 70年代から80年代にかけてのNYは、まさに「退廃」という言葉が、アーティストたちにとっては、勲章であり、栄光のように感じられる時代だったようです。

 フレディが、乱痴気騒ぎの中で、仮装して踊りまくるお誕生日パーティのビデオが流れます。

 ビデオでは友人が、「彼は一線を、軽く飛び越えていく人だ」と語っていました。

 そこで彼は、HIVに感染したのです。

 

 映画では語られなかった、もう一つの彼の真実がそこには出てきます。

 ロッカーになる前の彼が、素晴らしいい才能を持ったグラフィックデザイナーだったということも。

   ご興味を持たれた方は、ぜひユーチューブを探してください。

 

 1時間あまりの番組でしたが、ラスト、涙がこぼれてなりませんでした。

 オペラ歌手、モンセラ・カバリエとの友情についての箇所も。

 その番組を見て思ったのは、彼は決して孤独などではなかった。

 彼を愛し、最後まで彼のそばにいた最後の恋人(男性)との、心穏やかな暮らしも、その昔、恋人だった女性との(映画に出てきますが)生涯を通じての友情も、天才で、変人奇人の彼の、自由さ、偏屈さを、全て受け入れ、愛していた、たくさんの友人たちがいたということを知り、ホッとしました。

 

 体調が悪くなってからの彼は、化粧し、やせ細った体に、何枚もの下着や洋服を着込み、それでも寒さに震えていたと、スタイリストは語っていました。

 でも歌声は、あのフレディそのものの艶と、力強さに満ちていました。

 

 亡くなる前日、彼は下の声明を出します。そしてその翌日息を引き取ります。 

「私はHIVテストで陽性と診断され、AIDS患者であることが確認されました。しかし私の身の回りの人々のプライバシーを守るため、この事実を隠しておくことが適当だと考えておりました。 しかし今、世界中の友人たちとファンの皆様に真実をお伝えする時が来ました。これからはこの恐ろしい病気に対して、私と私の医師団と世界中で私と同じように苦しんでいる人々と一緒に戦って下さい。」

 

 ぜひ、ユーチューブで、この番組を探してごらんになってください。

コメント (4)
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