20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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卯の花くたしと、エトセトラ。

2019年06月01日 | Weblog

             

 今日から、水無月。

 風を感じる、風待月という異名もあります。

 

 蒸し暑い日が続くと、風が恋しくなります。

 ささやかな風を待ちながら・・・。

 6月は梅雨に入る季節でもありますから、ムシムシした鬱陶しさを想像しただけで、この異名の言葉に惹かれます。

 

 梅雨の、この季節の、好きな季語。

「卯の花くたし」

 卯の花は、空木(ウツギ)のことです。(写真、下、ネットでお借りしました)

            

 でも、卯の花と聞くと、お豆腐のおからを連想する人もいるかもしれません。

 空木のことを、卯の花といい、その花が腐ってしまうくらい続く、長雨のことを「卯の花くたし」といいます。

 

 それから、この季節、聞きたくなる歌。さだまさしの「つゆのあとさき」

 https://www.youtube.com/watch?v=1DIJ8ZGs5jc

(コピペして、お聴きください)

 

『つゆのあとさき』は、ご存知『濹東綺譚』の永井荷風の作品名です。

「つゆのあとさき」という言葉の、その美しさに惹かれ、作り上げたと思われる、別れの歌です。

 彼の歌の詩は、そうした過去の名作からヒントを得て、生み出したものが多いです。

『檸檬』は、梶井基次郎の有名な名作の作品名です。ただ舞台は、京都・丸善ではなく、神保町・三省堂近くの聖橋です。

「サナトリウム」という曲は、堀辰雄の『風立ちぬ』に出てくる「サナトリウム」という言葉から連想した世界ですし、「晩鐘」はミレーの絵画。

 

 そんな、彼の創作の手法に、30代初め、とても刺激を受けたものです。さだまさしの『時のほとりで』という新潮文庫から出た作詞集を買って読んだくらいですから。

 ちなみに、もう昔のことなどで、いろいろバラしちゃいますが、さだの『時のほとりで』の次には、『中島みゆき歌集 1975~1986』(朝日文庫)も買って研究しました。

 ちょうどその頃、登場してきたのが、竹田青嗣の『陽水の快楽―井上陽水論』(河出書房新社)です。

 文藝評論家の竹田青嗣が、井上陽水を論じるという、新しい評論の到来に、胸をワクワクさせたものです。

 陽水の、あの分裂した、ありえない言葉の連なりに、逆に、ある種、哲学性を感じたりしたものです。

 「たとえば彼が描くのは、耳当たりのいい、頽落した都会のエロス的幻影だ。しかしその底には、かすかな不幸を孕んだ「めまい」が聴こえる」(陽水の快楽、より)

 評論家の視点から、さだまさしは論じても面白くないが、陽水はどうにも気にかかる・・・。

 そんな竹田青嗣の思いが、よくわかります。

 さだまさしの、美しい日本語から選びとられた言葉とは違った、新しさがそこにはありましたから。

 

 とはいえ、音楽です。

 歌詞の、深いストーリー探しはせず、言葉の美しさとメロディーの豊かさだけに身をまかす・・・。

 それが、さだまさしを聴く流儀です(笑)。

 30代初め、さだまさしの、そんな、言葉のセンスが好きでした。

 

 でもまさか、あんなおじさんになるとはね(笑)。

 私も「まさか、あんなおばさんになるとはね」と言われているかもしれませんから、人のことは言えませんが(笑)。 

コメント
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