20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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ベトナムの刺繍

2019年11月13日 | Weblog

              

 タペストリーとして、数年前、ベトナムのハノイで買ってきたシルク。

 繊細な刺繍と織りで作られています。

 

 そういえば、若い頃、マレーシアで、バティックという布を買ってきたことがあります。

 やはり美しい布でした。

 東南アジアの、少数民族の地方でも、綺麗な布を織っています。

 

 大正時代、若山牧水は、秩父にやってきて、こんな歌を詠みました。

「秩父町 出はづれ 来れば 機をりの うた声つづく 古し家並に」

 

 当時、秩父の郊外にある農家では、みんな、蚕を飼っていました。

 その蚕から絹糸を作り、秩父銘仙を織っていくのです。

 道には、いたるところに桑畑がありました。

 桑が、蚕の餌なのです。

   今はもう、すっかり衰退してしまいましたが。
 
 蚕を飼っている農家は、秩父の郊外にも、もう一軒、あるかないか・・・。
 友人の旦那さんが高校の先生をしていて、その後、写真家になりました。
 蚕農家を探っては、写真に撮っていて、個展で展示していらしたのを拝見していました。
 でも、ある時、
「小鹿野町や吉田町でも、もう蚕農家は、ほとんどいなくなってしまったんですよ」
 と、別の個展の時に、おっしゃっていました。
 
 その頃、機織りは女たちの仕事でした。
 ひとむかし前までの、東南アジアの国々が、まさに、そうした状況だったのかもしれません。

 

 昭和60年代に買って、彼の文章に酔いしれ、何度、読んだか忘れたくらい好きだった、詩人・金子光晴の『マレー蘭印紀行』(中公文庫)。

 日本を逃れ、たどり着いた東南アジアでの、彼の体験が、皮膚感覚で描かれています。

 東南アジアの暮らし、人間を描く見事な描写力。研ぎ澄まされた文章。

 そして折々に挟まれる詩人としての、切ない言葉。

 とにかく、あの頃は日に一度は、金子光晴を読んでいました。

 

 次にハマったのが、藤原新也でした。

『印度放浪』『西藏放浪』なんて、胸をワクワクさせながら読んでいました。

 私は、実生活は出不精で、海外に行っても、マックスで3泊が精一杯。

 それなのに、なぜか、本の中では、「放浪」に憧れがあるようです。

 

 でも、その金子光晴も、ゴム園は描いていますが、女たちの織りについては、触れていませんでした。

コメント
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