タペストリーとして、数年前、ベトナムのハノイで買ってきたシルク。
繊細な刺繍と織りで作られています。
そういえば、若い頃、マレーシアで、バティックという布を買ってきたことがあります。
やはり美しい布でした。
東南アジアの、少数民族の地方でも、綺麗な布を織っています。
大正時代、若山牧水は、秩父にやってきて、こんな歌を詠みました。
「秩父町 出はづれ 来れば 機をりの うた声つづく 古し家並に」
当時、秩父の郊外にある農家では、みんな、蚕を飼っていました。
その蚕から絹糸を作り、秩父銘仙を織っていくのです。
道には、いたるところに桑畑がありました。
桑が、蚕の餌なのです。
今はもう、すっかり衰退してしまいましたが。
蚕を飼っている農家は、秩父の郊外にも、もう一軒、あるかないか・・・。
友人の旦那さんが高校の先生をしていて、その後、写真家になりました。
蚕農家を探っては、写真に撮っていて、個展で展示していらしたのを拝見していました。
でも、ある時、
「小鹿野町や吉田町でも、もう蚕農家は、ほとんどいなくなってしまったんですよ」
と、別の個展の時に、おっしゃっていました。
その頃、機織りは女たちの仕事でした。
ひとむかし前までの、東南アジアの国々が、まさに、そうした状況だったのかもしれません。
昭和60年代に買って、彼の文章に酔いしれ、何度、読んだか忘れたくらい好きだった、詩人・金子光晴の『マレー蘭印紀行』(中公文庫)。
日本を逃れ、たどり着いた東南アジアでの、彼の体験が、皮膚感覚で描かれています。
東南アジアの暮らし、人間を描く見事な描写力。研ぎ澄まされた文章。
そして折々に挟まれる詩人としての、切ない言葉。
とにかく、あの頃は日に一度は、金子光晴を読んでいました。
次にハマったのが、藤原新也でした。
『印度放浪』『西藏放浪』なんて、胸をワクワクさせながら読んでいました。
私は、実生活は出不精で、海外に行っても、マックスで3泊が精一杯。
それなのに、なぜか、本の中では、「放浪」に憧れがあるようです。
でも、その金子光晴も、ゴム園は描いていますが、女たちの織りについては、触れていませんでした。