20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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他者への想像力

2019年11月16日 | Weblog

            

 お花屋さんで、ダイナミックなお花を見つけました。

 日本原産ではないかもしれません。

 

 昨年暮れ30日の夜、「交通事故レベル」(先生曰く)の大怪我をして、3週間入院しました。

 その怪我も、おかげさまで、現在は8割か9割、元どおりになりました。

 退院して、2月のひと月間だけは整形外科クリニックに歩いて腕のリハビリで通院。あとはデパートなどにお買い物にお出かけするくらいで、公的な仕事はお休みさせていただきました。

 3月初めから創作教室や会議など、いろいろに参加しました。

 杖をついたことはありませんでしたが、足と腕の骨折の怪我をして実質2ヶ月のその頃は、まだ自分の体に自信がなく、ちゃんと歩けるか、はずしたばかりの三角筋をしていた腕を、元どおりに動かせる様にできるか。

 そんな惨めな自分の体と向き合い、歯を食いしばって生きる、戦いのような日々でした。

 

 でも「待ってくださっている人たちがいる」と言うのは、力になるものだなと思いました。

 歯を食いしばってでも、神楽坂まで行かなくてはならない。

 その一念で、地下鉄の階段を登ったり、降りたりしました。

 

 でも3月はじめの、その頃は、原稿に集中しながらも、まだ手や足が気になり、長時間、椅子に座っていると、足や腰が痛くなったり・・・。

「受講生の名前を忘れてしまったり、同じことをなんども言ったりしていたんですよ」

 あとから、皆さんが、私のことを、飲みながら、そう批評していた、と言う話を聞きました。

「あはは、怪我して、認知症になりかけてるって、思われてるのね」と、その話を聞いた時は、笑いました。笑うことしかできなかったので。

 

「早く元気になってください」とお見舞いの品々を下さった、受講生の皆さんもいました。

 また、その後、メールなどをくださった受講生もいて、その人に私は、「酔って軽ぐちをみんなで言い合わないほうがいい。どこでどう、その本人に伝わり、傷つくかわからないのだから」と返信の、最後に書いた記憶があります。 

 そういう人たちや、現在、私の通信講座を受講している人。今でもずっとつながりあっている人たちも数人います。

 FBのメッセンジャーに近況報告をしてくださる方など、そうした繋がりを持っている人も、数人います。

 そのほかの人たちとは、まったく繋がりはありませんが。

 

 でもちょっと、ショックでした。

 自分としては、必死に原稿に取り組み、講座時間をオーバーしながらも、体当たりで向き合ってきたつもりだったのですが。

 飲みながらの、何気ない言葉だったのかもしれませんが、怪我が治っていず、無理して頑張っていたのに、私のいないところで、私はそんなふうに批評されていたんだなと思ったら、そんな話、聞きたくなかったと思いました。

 残酷だなと思いました。

 名前を忘れたり、同じことを何度も言ったりしたかもしれません。

   だからと言って、後ろ指を指されるような、おかしな批評などしていないと、今でも胸を張って言えます。

 

 でも、その言葉が、喉に突き刺さっている小骨のように、ずっと気になっていました。

 そこで、毎年クリニックで検査をしていただいている頸動脈エコーの時、認知症の話をしたら

「カトーさんは、大丈夫ですよ。動脈硬化にもなっていないし、血管も若くて、血液もサラサラ流れているから」と。

 おまけにアルツハイマー病の原因の一つと言われている、歯周病チェックも、この10年、3ヶ月に一度は歯科クリニックでしていますし。

 

 体というのは不思議なものです。

 どこか不安なところがあると、人から見ると、先入観から、潜在的におかしく見えるのですから。

 それが弱者への差別にならないよう、願うばかりです。

 それにしても、あの頃は、思い通りに動かない、足や手と向き合い、何度、泣きながら、必死に筋トレを繰り返したことか。

 

 この先、仕事仲間も、年齢的に、外科的か、内科的かは、わかりませんが、体調が悪くなったりする人たちが増えてくるかもしれません。

 その時に、どうやって、そういう友人たちを応援したらいいか、私はその時、考えました。

 

「病気の人間は、おとなしくしていろ」と、思う人もいるのかもしれません。

 変にパワーなんか出さなくてもいい、と。

 相手の苦しんでいる苦悩など、気づきもせず、表面だけで安易に、相手に判断を下す。

 そうした小さな言葉に、傷ついていたことに、気づかなかった人もいたかもしれません。

 私も逆の立場だったら、そうだったかもしれません。

 

 でも、相手と同じ気持ちになって、前を向けるよう、励ます。

 これがものを書く人間の、人間を見つめる眼差しだと思います。

 誰だって、いつ、どんなことがとつぜん、起こるかわからないのですから。年齢など、関係なく。

 

 幸い、私は、そうした想像力豊かな、さりげなくサポートしてくれた、素晴らしい、多くの友人たちに囲まれていたので、そうした傷ついた気持ちも、すぐにほぐしてもらえましたが。

 

 人の気持ちを想像する。

 それが我々が、書くときに、大切なことだと言うのを忘れずにいたいものです。

 

 長くなってしまいました。

 

 先日の、ペンクラブの会合あとの飲み会で「もう怪我のことなんか、blogに書かないほうがいいよ。前向きにね」と、やさしく諭してくださる男性作家の友人がいました。

 本当に、日本ペンクラブ・子どもの本委員会のお仲間たちは、人間を見つめる眼差しの深さゆえ、やさしくて、大好きです。

 早く元気になるようにと、むせかえるような香りの新鮮な、元気カラーのお花をた〜くさん、送ってくださったり。

 講演先の土佐から「骨が早くつくように」と、鰹のタタキを送ってくださったり・・。

 新幹線に無料で乗れたのに、京都でのシンポジウムの時、お隣に座って、日帰りの京都を行き帰り、ずっとご一緒してくださったり・・・。

 深い思いやりを持って、他者をみてくださる。ありがたいと思っています。感謝しています。怪我で不安がある時は、なおさら身にしみました。

 

 これでもう、怪我話はおしまいにしようと、思って書いていたら、グチ話になってしまいました。ごめんなさい。

コメント
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