今夜は、茅場町の日本ペンクラブビルで、「子どもの本委員会」です。
終えたら、新年会。
その前に、早めに私は伺います。
講談社青い鳥文庫の、元編集長だった、高島恒雄さんが、「読みたいラジオ」の収録をしてくださるのです。
もうメンバーの方、かなりの方々が収録済み。
聞いていて、とても面白いです。
仕事がバタバタと忙しく、ペンディング状態にしていたのですが、高島さんに背中を押していただき、収録していただくことにしました。
アナウンサーのような、柔らかで、素敵なお声での、高島さんの進行は、本当にラジオを聴いているようです。
私が取り上げる本は、5刷まで行って、現在は、絶版の本です。
『母と娘が親友になれた日』(加藤純子・かとうりょーこ・ポプラ社)
増刷のずっと続いている本は別にして、大量の在庫を抱えるのは、出版社としては大変なので、ポプラ社、講談社などは、絶版が、割合早いです。(経験から)
ただ、二次使用で、塾などでは、今でもテキストとして使っていただいておりますが。
なぜ、絶版になっていて、売れる見込みもない本を取り上げるか・・・。
それはこの本が持つ、一つのテーマを改めて今日的視点で、見つめ直してみたいと思ったからです。
この本は、娘がまだ大学生だった頃、ポプラ社の亡くなってしまったS社長の指令で、出版した本です。
S社長は、時々、ひらめきだけで、無謀なことをいう人でした。
「息子さんに、「エイズと闘った少年の記録」を、翻訳してくれ」と、大学1年の息子に。
ところが、その本がすごく売れ、増刷をのばし、メディアでも話題になり、取材された息子が雑誌に載ったり・・・。
時は、川田龍平さんたちのHIVウイルスが問題化している時代でしたから。
ですから、翻訳なのに、息子はたくさんの印税を手にしました。
そのお金で、夏休み。
NYで大学のジャズ研の仲間とアパートを借りて、毎晩、ブルーノートに通ったり・・・。
パリ・ベルギーに博士論文のテーマ決めに一ヶ月滞在するのに使ったり、全部、自分で出していたので、親は助かりました。
その後も、最初の本が売れに売れた、勢いの影響から、ポプラ社からは、たくさんの本を出していただきました。
それらはほとんど売れませんでしたが。
そして息子が「もう、そろそろ専門に戻るから」と、児童書から足を洗い始めた頃。
今度は
「じゃあ、大学生になった娘さんと、共著で書いて欲しい」と。
初めて、娘は作品を書きました。
ただ、大学では、「論文の募集」などに応募し、たびたび、賞を受賞したりはしていました。
ですから基本的には、書くことに苦はなかったようです。
そうした論理的なものの方が、書きやすいのかもしれませんが・・・。
それなのに、なかなかの腕前。
ディテールの描き方など、なかなか秀逸でした。
那須正幹さん、西本鶏介さん、S社長と、私。
ポプラ社の応接室にお邪魔した時、娘の筆力を褒めていただきました。
「カトージュンコより、娘の方が、筆が立っている。うまい」
と。プロの方たちに褒めていただけたのです。
親としては、嬉しさいっぱい。
でも、ニタニタもできないので、身を縮めて、コーヒをご馳走になっていたのを覚えています。
それがこの本です。
産経出版文化賞の推薦も受賞しました。
ホテルの授賞式で、二人で、秋篠宮の紀子さんにもお目にかかり、感想を言っていただきました。
でも、娘の話では、子ども時代を思い出しながら、書いていて苦しくて、苦しくて・・・と話していました。
本ができた時、担当編集者が付けてくださったタイトルを見て、
「タイトルと中身、違うよね」と、娘と笑ったことを覚えています。
どう違うか、もう絶版になっている本を、ラジオでなぜ取り上げるのか。
読み直してみて、「時代的感覚」という、そこには、「今」との乖離があるような気がしました。その時は、気づきませんでしたが。
これは今日的テーマです。
親であり大人である私たちは「親は成熟している」と、何も考えずに、自らのことを、大人=成熟という価値観で見ています。
子どもたちに対しては、子どもは親にとっては、あくまでも子ども。
別に人権無視をしているわけではありませんが。
それプラス、子どもへの先走った親としての心配。それら諸々が混在した気持ちで、必死に子どもと向き合っていきます。
それと、いつも親は「親」という意識で、子どもを「ちゃんと、しつけよう」という視点で見下ろしている。
「子どもとは、自分とは異なる社会を生きている主体なのだ」
そういう認識の、希薄な時代でした。
時代性が、大きく、大人を、「子ども=弱きもの」という観念を作り上げていました。
それと、この本の中には、今で言うブラック校則とは違う、学校には、子どもたちへの縛りがありました。
それに誠実に答えようとすれば、するほど、子どもたちは追い詰められていきます。
そうした今とは違う、時代性を、読み返してみて、おもいました。
最新の若い作家たちの本を読んでも、強く、それを感じます。
彼らは、今、読んで、とても共感できる、大人たちを描いています。
親ではなく、周りにいる大人たち。
彼らは、ずっと、そういう大人の姿を、求め続けてきたのかもしれません。
あの時代の親は、「よかれ」と思いつつ、子どもへの、ある種、鈍感さを持っていたのかもしれません。
その辺りの現在の社会的問題と、この本の役割をクロスさせ、お話しできたらと思います。
その後、子どもの本委員会です。
「読みたいラジオ」に収録していただいたら、お聴きになってください。