20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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柿羊羹

2024年10月19日 | Weblog
            


干し柿のような、本物の柿のお味。
柿羊羹というのをいただきました。

竹の筒に入っています。
干し柿を3年ねかして作った羊羹だそうです。

まだ両親が生きていた頃、年に2回。
夏休み、冬休みに、家族で秩父に集まりました。
姉一家、弟一家、両親と、総勢15名が揃いました。

それはそれはにぎやかな数日を、みんなで過ごしました。
その前に、母が、山の近く(とはいえ丘のような山で、歩いていい運動の距離です)の農家にお願いして、冬には干し柿を用意しておいてくれました。

お野菜や、果物や、お料理に使うものは、私が東京から用意し、お正月には、おせち料理も作って、全部、車に詰め込んで、秩父に行きました。
15人分の2日間の用意です。家族4人で車に乗って、足を下に下ろすのも大変くらいな量でした。もちろん、トランクに積み込んだ、クーラーボックスには鶏肉や、豚肉や、冷凍しておかなくてはいけないもので、ぎゅうぎゅう詰め。隙間にお野菜や果物なと、詰めるだけ詰め込んで。
何しろ15人分を丸2日間ですから。量も半端じゃありませんでした。

メインの高級牛肉は、姉が、西武デパートで買って持ってきてくれました。
姉一家がこなかったら、お肉なしのすき焼きです(大雪の暮れ、車が走れないかもしれないと、あわや、そうなりそうなところを、無事セーフ)牛肉係の姉が、夏は焼肉用、冬はすき焼き用の、高級な口の中で、とろけるような牛肉を買ってきてくれました。

その干し柿が、この柿羊羹と同じお味。
とても、とても懐かしいお味でした。

食べながら、ゾロゾロ集まって、翌日は、姉の旦那さんの提案で、車3台で連なり、秩父事件の椋神社に行ったり、さまざまなところを見て歩いたり、夏は、みんなで花火をしたり、おしゃべりをしながら、近くの夜の秩父神社に行ったりと楽しかった、秩父での光景が頭をよぎりました。

その間に、父が亡くなったりして、母一人の家に、姉一家・うちの一家・弟一家で集まりました。

みんなで集まった時間は、うちの子どもたちが、すでに大人になり、結婚する直前まで続きました。
長い長い年月の、秩父での思い出でした。

父が亡くなってからは、お料理が残ると、母が、大きなお皿を持ってきて
「みんなが帰ってからの、私の食事用。数日間、料理作りをサボれる」と、嬉しそうに、笑っていた顔を思い出します。
「この残ったお料理を食べながら、2週間は、楽しかった思い出が、上等なおかずになる」と。

姉弟家族での、ささやかな親孝行の時間だったなと、様々なことを思い出させてくださった、柿羊羹。

あれから20年近くが経ちます。

父や母も生きていれば、110歳近い年齢です。
そんな懐かしい気持ちで、柿羊羹を大切にいただきました。

おまけ。
食べ終えた半分に切られた、竹の筒。キレイに洗って・・・。
足踏み運動で、夫も私も時々、踏んでいます。
程よい痛さで、気持ちいい!
コメント
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