20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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広瀬恒子さんを偲ぶ会

2024年10月20日 | Weblog
                   

長い、お付き合いをしていただいた、大先輩の広瀬恒子さんが、今年の3月にお亡くなりになりました。
92歳でした。
そのお知らせをいただいた時は、とてもショックを受けました。
でもご葬儀は、すでにお身内でなさった後でした。

5月の日本児童文学者協会の総会で、その年度にご逝去された会員の方々のお名前が読み上げられ、1分間の黙祷を捧げます。
でもそれでおしまい?
ずっと胸の中が、宙に浮いているような空っぽな感じがありました。

思えば、広瀬さんとお会いしたのは、私が、児文協の理事になって間もない頃。
40代初めです。
当時は、児童文学の世界も、いろいろな会合があって、読書運動の中心にいらした広瀬さんとは、たびたびお会いする機会がありました。

当時、成城学園にお住まいだった広瀬さんは、
「今度、親子読書地域文庫全国連絡会の事務局長をやることになっちゃったの。カトーさん、一度お会いできません?」と電話がありました。
場所は、昔の神楽坂の出版クラブだったか・・・。

行ってみたら、もう一人の方が座っていました。
「このかた、同じ成城学園にお住まいで、映画監督の山田洋次さんの奥さんの、よし恵さん」と。

「山田さんも、読書運動にとても熱心に加わってくださって、片棒を担いでくださっているの」
と、3人でいろいろおしゃべりをしたことがあります。

そのよし恵さんが、お亡くなりになったというお話を伺ったのが、確か、2010年あたり。
「癌だったのよ。しばらく闘病してらして」
後日、広瀬さんから伺いました。
その後も、広瀬さんとは、いろいろな会設立のお話をしたり、つながりがありました。

ある時、「黒魔女さん」シリーズ(講談社青い鳥文庫)で有名な、石崎洋司さんから
「カトーさん、共同通信社で、絵本ムックを作ってくれと言われているんだけど、手伝ってもらえない?」という連絡が。

「絵本だったら、読書運動の中心的な存在の広瀬恒子さんにも入っていただきましょうよ。広瀬さんに入っていただいたら、鬼に金棒だから」と、すぐに広瀬さんにご連絡しました。

もちろん、すぐにOKを出してくださり、中身の検討など話し合いました。
その中に、学校の先生などを中心にした日本中の人たちが集まっている、「この本だいすきの会」の代表の小松崎先生にも、インタビューさせていただくスペースも作りたいですね」という話になり、いろいろがまとまり、出版となりました。(写真。上の本)

広瀬さんは、読書運動のリーダーでした。
お話を始めると実にシャープです。
語る言葉に、無駄がありません。
児童文学の分析・作品評価など、彼女の話を伺うたび、必ず新しい何かを気づかせてくれました。

でも日頃はいつもニコニコしていて、照れ屋さんで、リーダーなのに、後ろに引っ込んでいるような方でした。
無駄口は叩かない。
そう、ご自身を戒めているようなところがありました。
その謙虚さが、多くの人たちに慕われるところだったのかもしれません。

思い出はたくさんあります。その広瀬さんの今日は、偲ぶ会です。
神保町の「出版クラブ」で、主催は「親子読書地域文庫全国連絡会」、共催として「子どもの本研究会」です。

思えば、親地連の皆さん、子どもの本研の皆さん、たくさんの読書運動の皆さんとも、長いおつき合いです。

今日は、広瀬さんを偲ぶ会を企画してくださってありがとうございます。
これで、きちんと広瀬さんにご挨拶することができます。
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