20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
毎日更新。児童文学情報・日々の暮らし・超高層からの眺望などニュース満載。

明治の絵本

2009年09月10日 | Weblog
 愛知県にお住まいのSさんという方から、昨日、メールをいただきました。
 どうやら私のblogをご覧下さった方らしいです。

 その方の情報ですが、写真は明治30年頃に描かれた絵本だそうです。
 Sさんが、ひょんなことから手に入れたとか。
 文章もなく、絵もとても不思議な作風で、ところどころに唱歌のようなものや俳句などがいくつか載っている絵本だそうです。
 おまけに、印刷ではなく肉筆だとか。
 本のタイトルは「風の子」だそうです。
 奥付の名前も不明らしいです。
 明治30年くらいにこんな絵本を作った方がいらしたのですね。
 作者の子どもに対する熱い思いが伝わってくるようです。
 
 我が国初めての創作童話叢書というのが、大正3年に野上弥生子さんが書かれた「人形の望」(愛子叢書刊)という本らしいです。
 また、日本で最初の子ども向けマンガ雑誌が、明治42年に出た「少年パック」(東京少年パック社刊)というマンガだそうです。(大阪府立国際児童文学館資料より)
 けれどその資料には、日本ではじめての絵本の情報は記されておりませんでした。
 いずれにしても、明治30年代というのはかなり初期の初期、古い絵本といえそうです。
 今度、児童文化研究家のKさんにお目にかかったとき、この絵本に関する情報をお持ちかどうか伺ってみようと思っております。
 また、このblogをご覧下さっている方で、この絵本に関してなにか情報をお知りの方はご連絡下さい。

 貴重な情報をご提供下さいました岡崎市のSさん、ありがとうございました。
 それにしても、よく手に入れられましたね。
 
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コスモス

2009年09月09日 | Weblog
 道ばたにコスモスが咲いていました。
 母たちが大好きだった花です。

 お仏壇には、ありし日の夫の両親の写真が飾ってあります。
 お仏壇にお線香を上げにいくたび、父と母がやさしい笑顔をむけてくれています。

 仕事部屋の書棚には、私の両親の写真が飾ってあります。
 ふりむくと、いつも父と母がいます。
 背中越しに、「がんばってね!」と、書くことをずっと励まし続けてくれていた、あのときの笑顔でこっちを見ています。

 母たちとコスモスの花。
 夫の父は桜の花でしょうか。満開の桜をみるたびに、亡くなる数日前の病室の父を思い出します。
 私の父は萩の花。
 父がこよなく愛した花です。亡くなるちょっと前、姉と庭の萩を手折り、病室の父に持っていってあげたことを思い出します。
 花を見るたび折々に、父をそして母を思いうかべます。
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イチロー2000本安打

2009年09月08日 | Weblog
 スポーツオンチの私がblogにイチローのことを書くなんて、自分でも驚きです。
 あのイチローがアメリカに渡り9年目で、昨日2000本安打を達成したと夕刊やTVのニュースなどで伝えていました。
 スポーツのまったくわからない私が、なぜこのニュースに触手を動かされたかといいますと、ひとえに「努力の人・イチロー」のコメントに揺り動かされたからです。

「偉大な記録と言ってくれるなら、うれしいですが、謹んでお受けいたします、という感じではないですよね」
 彼にとっては記録が大切というより、記録を出したあと次を打つことが大事と考えているらしいです。
「これで満足」と留まっていないということです。
 そんなストイックなイチローの姿を見るたびに、私はミスチルの桜井くんの詩を思いうかべます。

「僕が僕であるために」
 僕が僕であるために
 勝ち続けなきゃならない
 正しいものは何なのか
 それがこの胸にわかるまで
 僕は街にのまれて
 少し心許しながら
 この冷たい街の風に歌い続ける

 努力の人であるイチローは、内面ではきっとこんなふうにすごい重荷を課しているのでしょうに、スタンスはいつも軽やかです。
「努力」という言葉の重たさを感じさせない彼の軽やかな人生の処し方は、私にとってはあこがれ以外のなにものでもありません。
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東京タワー「ダイヤモンドヴェール」

2009年09月07日 | Weblog
 昨晩、なにげなく東京タワーを見たら、いつもと色が違って見えます。
 いつもはオレンジ色なのに、ブルーのような色で・・・。

 ネットで調べてみたら、9月に新しくライトアップされた「ダイヤモンドヴェール」というひかりのテーマだそうです。
「ダイヤモンドヴェール」というのは、全部で17段ある光の階層それぞれが、七色に変化する機能をもって、色ごとにメッセージが込められているのだそうです。
 メッセージの中心となっているのは、愛、地球、環境、平和を守る心。
 
 これは、東京タワー開業50周年を記念してスタートしたライトアップなのだそうです。
 ピンクリボン運動のときは、ピンクいろに染めたり、東京タワーも折々にいろいろな表情を見せてくれます。

 でも東京タワーのある浜松町は、あいにく我が家のベランダからはちょっと離れているので、せっかくの「ダイヤモンドヴェール」がくっきりと見えません。
 東京タワーって近くで見ると、ほんとうにきれいなのですが、残念です。
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枯れたひまわり

2009年09月06日 | Weblog
 道ばたに、枯れかけたひまわりを見つけました。
 真夏のひまわりは、太陽にしゃんと顔を向け、輝きにみちています。
 けれど、枯れたひまわりほど無残で、悲しいすがたはありません。

 その枯れたひまわりをみるたびに思い出す絵があります。
 創画会に所属していらっしゃる、ある日本画家の方の絵です。

 その方の絵のテーマが、この20年、いえ、もっと長きにわたり、すっかり枯れてしまったひまわりなのです。というより、朽ちかけたひまわりだけを探求し続けた画家といっても過言ではありません。
 秋になると私は、この数十年、来る年も来る年も上野の都美術館で行われる「創画展」を見にいっています。
 創画会は、加山又造や秋野不矩や上村松篁など、たくさんの著名な日本画家たちが所属する会で、古くさい日本画の画風にこだわらず、フレキシブルで自由な画風の団体です。

 その画家の「枯れたひまわり」は、「今年は吹っ切った明るさがあった」、あるいは、「今年はさらに厭世的な匂いがする」など、同じ「枯れたひまわり」が描かれているのに、その年によって微妙に違った印象を与えるのです。
 それが不思議であり、また魅力でもありました。
 まるでその画家の、折々の精神状態を垣間見るようで・・・。
 私はそんなふうに、まるで一種マニアのように、創画展を見に行くと必ずその画家の「枯れたひまわり」を広い会場から見つけ出したものでした。

 いまでも道ばたに枯れたひまわりを見つけると、あの絵を思い出します。
 そして、その人はなぜ、数十年ものあいだ、「枯れたひまわり」ばかりを描き続けたのかしらという、いまも解けない疑問を、ちょっぴり切ない気持ちを抱きながら考えているのです。
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黄葉

2009年09月05日 | Weblog
 桜の葉が黄葉しはじめています。
 水面には、落ち葉が浮かんでいます。

 桜が水面に浮かぶ様子を「花いかだ」といいますが、浮かぶ落ち葉のことはなんと言うのでしょう。

 花は風流で優雅という印象から、うつくしいレトリックやメタファーなどで書き表されますが、落ち葉はどうでしょう。
「濡れ落ち葉」なる言葉も、いわゆる「定年後、粗大ゴミになった夫」の俗名と化しています。

 道の片隅の朽ちた落ち葉を見るにつけ、「夏には木陰をありがとう」という気持ちから、なにかすてきな言葉を見つけ出してあげたくなります。 
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読み語り

2009年09月04日 | Weblog
 娘夫婦の赤ちゃんの○くんは、今月の21日に、一歳のお誕生を迎えます。
 とにかく絵本が大好きで、私も会うたび絵本の読み語りをしています。
 何冊も、何冊も。

 かなりストーリー性のあるお話でも、お膝の上でじっと聞いています。
 そして気に入った絵本は、何度も何度も、こちらが疲れ果ててしまうくらい、「もういっかい読んで!」とせがんできます。
 赤ちゃんの根気に、大人のほうが根負けするくらいに。

 そんな様子を見ていると、こんなふうに赤ちゃんに愛され、手放すことさえしないような絵本を、いつか一冊くらいは書いてみたいものだと思ってしまいます。
 絵はかけませんが、文章を。
 そんな日がいつか来たらいいなとの願いをこめて、私は会うたび、○くんに読み語りをしています。
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「きらきら宝石箱」

2009年09月03日 | Weblog
 かねてより、雑誌『日本児童文学』誌上でも告知しておりました、来年、文溪堂から出版予定の「きらきら宝石箱」(全五巻)シリーズの応募が締め切られました。
 応募総数につきましては、まだ事務局発表になっておりませんので、こちらで書くことはできません。
 たくさんの皆さまのご応募、ありがとうございました。
 これから選考へ向けての取り組みがはじまります。
 
 通常のアンソロジーですと、一冊につき、おおよそ10名くらいで書くことが多いのですが、このシリーズは一冊につき5名です。
 ですから一作一作、かなり読み応えのある作品が揃っていると思います。
 楽しみに読ませていただきたいと思っております。
 
 今月は他にも、くもん出版と、日本児童文芸家協会と、日本児童文学者協会で主催しております「子ども創作コンクール」の締め切りもあります。
 こちらの締め切りは、9月10日。
 
 また、たくさんの原稿たちと向き合う季節がやってきました。
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お誕生日

2009年09月02日 | Weblog
 今日、9月2日は夫のお誕生日です。

 お誕生日の今日も仕事で単身赴任先にいます。
 ですからこの場所から・・・「お誕生日おめでとう!」
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九月

2009年09月01日 | Weblog
 今日から九月です。
 
 今年も残り、あと4ヶ月。
 そんなことを考えると気持ちが急いてきます。
 けれど私はこの「九月」という季節が、とても好きです。
 月はうつくしく、すがすがしく・・・。
 現実には台風が来たりいわゆる9月の雨。長雨が続いたりと・・。そういった季節ではありますが。
 でも暑かった八月がおわり、九月という言葉を聞いたとたん、またなにかが新しくはじまるような、そんなすがすがしい気持ちになるのです。

 先日、朝日新聞の土曜版に「埴生の宿」の歌詞が載っていました。
 竹山道雄の小説『ビルマの竪琴』については、いろいろありますが、ここではそれはさておき、埴生の宿の歌詞の二番について。

 書よむ窓も わが窓、
 瑠璃の床も、うらやまじ。
 清らなりや、秋の夜半、 
 月はあるじ、むしは友。
 おーわが窓よ、たのしとも、たのもしや。

 ジョン・ハワード・ペインの作詞です。
 二番を読みながら、ペインってカッコいいなと思いました。
「うらやまじ」と言い切るところなんて。
 私も、こんなふうに自分にストイックになりたい。
 そんなことを考えている、九月、秋のはじまりです。
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