はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

うたいましょう こえをあげ♪

2007-06-11 12:35:42 | アカショウビンのつぶやき





 歌いました ♪♪
昨日は「リナシティかのや」オープン記念・コーラスフェスティバルでした。
曲は
  うたいましょう 訳詞・編曲 黒沢敬一 / 曲 モーリー 
  Sometimes I feel like a motherless child 編曲・横山青児
  水の上 浅井淑江 作詞 / 大中恩 作曲
  初冬 高田敏子 作詞 / 篠原真作曲

4月にメンバー2人が転出、そして直前、更に3名が出演できない! というハプニングのなかでのステージでした。
残念ながら
「本番が恐怖…」の表情が出ちゃったようで、
「笑顔が足りなかったよ」と言われてしまいました。
当日は、夫の召天記念会でもあり、親族一同集まった席で
「それで結果はどうだったの…」と。
80歳をすぎても張りのあるソプラノの姉は大ベテランですが、私は歌い始めてやっと7年。
初めて伯母と母親の合唱を聞いた2人の子供たちは…

息子は「ウーン」と唸ったきり、何も言いません。
娘は、控えめに「思ってたより、うまかったよ」。
姪っ子はなんと「もう少し歌えるのかと思ってたんだけどなあ」と厳しいご意見でした。

それでも良いんです(*^_^*)
フェスティバルなんですから。
もうすぐ卒寿を迎える、姪っ子のお姑さんは、シルバーコーラスのメンバーで、とっても楽しそうに歌われました
お姑さんの発表には涙を流して感動していた姪っ子ですが、私たちには手厳しかった、でも本音を聞けて嬉しかったよ、ありがとう!

今朝は久々に夫の夢をみました。
音には厳しく口の悪い彼のこと、きっと辛口の批評をしたかったんだろうなあ…。

忘れ得ぬ人

2007-06-11 10:16:20 | はがき随筆
 モンマルトル、小さなシャンソニエ、白いピアノがポツンと置かれていた。好きなシャンソンにも増して魅せられた。
 少女みたい。
 いいえ、まとっている雰囲気のしっとり深いことといったら……。
 見つめている私に気づき、その人はほほえんだ。
 ピアノのふたが閉じられ、歩くのももどかしい高齢の紳士にエスコートされて、彼女は紳士以上にもどかしい歩みでパリの夜に消えて行った。
 30代前半に晩夏のこと。あんなに老いていきたいと思ったのは。
   鹿屋市 伊地知咲子(70) 2007/6/10 毎日新聞鹿児島版掲載

輝いて老いる

2007-06-09 05:43:34 | はがき随筆
 健康づくり、仲間づくりにと誘われ、ゼロから始めたグラウンドゴルフ。すっかりはまってしまって15年になる。北は秋田から、南の沖縄・宮古島まで全国各地の交流試合にも、県予選を勝ち抜いて、参加した頃の勢いも加齢と共に失せ、年相応に地域に根ざしたホームグラウンドで、気心の通い合う仲間同士、伸び伸びとすテックを振れる幸せ感は、かけがえのないもの。過日、創立記念大会で思いがけず、「ダイヤモンド賞」(1ラウンド3個のホールインワン達成)を受賞。久々の快打は老いを意識する日々に、ささやかな希望の「灯」となった。
   鹿屋市 神田橋弘子(69) 2007/6/9 毎日新聞鹿児島版掲載
 

思い出の宝島

2007-06-08 07:29:25 | はがき随筆
 鹿児島県の十島村に「宝島」という素晴らしい名前の島がある。私は昭和60年4月から3年間、この島の中学校と小学校に、兼務の教頭として勤務した。当時、島の人口は約160名。児童生徒数は20名位の小さな島である。当時は500㌧の十島丸が、鹿児島港から6日おきに出港し、約20時間かかった。でも、冬になって海がしけると、欠航もたびたびあったが、島での生活はそれなりの知恵があり、そんなに困ることはなかった。私は教師として10校を経験したが、この学校が最も懐かしい。貴重な経験をさせてもらったと、とても感謝している。
   南さつま市 川久保隼人(72) 2007/6/8 毎日新聞鹿児島版掲載

蛍のやさしさ

2007-06-07 07:46:29 | はがき随筆
 蛍の夕べに誘われ妻と出掛ける。もう家族連れの人影が暗い中で静かに見守っている。着いた途端に待っていたように、妻の差し出した手のひらに止まる。「あっ、嬉しい」。弾む声にニッコリ。しばし手のひらの蛍火に和む。近くの女の子にそっとあげる。小さい声で「ありがとう」。蛍は樹間や草むらに初夏の短い命の灯を燃やしている。蛍火と闇と静寂に包まれ、忘れかけていた優しい心根に安息する。男の子が妻の手のひらに蛍火のプレゼント。ありがとう。闇を置いて夕蛍は闇の中に優しさを残し消え去った。
 蛍火の やさしさを抱き 持ち帰る
   鹿屋市 小幡晋一郎(74) 2007/6/7 毎日新聞鹿児島版掲載

なんじゃもんじゃ

2007-06-06 07:29:51 | はがき随筆



写真は季節の花300さん


 甥の結婚の披露招待に、山あいの青葉の美しい中を車窓から眺め、耳納山の中腹の会場についた。自然と笑みが出る新郎新婦。おいしい料理に満足しての帰り、道路脇に「なんじゃもんじゃ」通りと木札があった。どんな通りかと興味津々。夫が通りにハンドルを切った。と、眼前に真っ白の花が木を被った並木道だった。
 枝先に白色四裂花を多数つけ、花裂片は2㌢程。調べるとヒトツバタゴの別名だった。どんな由来でついたのか。本には果実は楕円形で黒熟するとあった。見たいものだ。秋の頃、訪ねてみたい。
   出水市 年神貞子(71) 2007/6/6 毎日新聞鹿児島版掲載

花の日・子どもの日

2007-06-05 10:27:36 | アカショウビンのつぶやき



















お疲れさまぁ 
ソフトクリーム おいしかったぁ


教会暦では6月第2日曜を「花の日」と定めています。
しかし雨の多いこの季節、鹿屋キリスト教会では1週繰り上げ、第1日曜を「花の日・子どもの日」とし、礼拝に参加する人は一輪ずつお花を持ちより、花の日礼拝を捧げます。

日本では馴染みの薄い「花の日・こどもの日」ですが、子どもたちが「神様の子ども」として祝福されるように祈る日としてアメリカの教会で生まれました。
この日は、過去一年間に生まれた、優花ちゃん、達哉くん、伊織くん3人の元気な赤ちゃんが神様の祝福をいただきました。
礼拝後は日曜学校の子供達が保護者の方や、青年会のお兄さんお姉さんと一緒に病院や施設を訪問してお花を差し上げ、お慰めします。

子供達は、美味しいカレーでお腹を満たし、みんなでお祈りしてから、自宅で闘病生活を過ごしている方、病院に入院中の方や施設で生活する高齢者の方々に美しいお花を渡し喜んでいただきました。
お一人お一人の上に神様の豊かなお癒しと平安と慰めがありますように、そして子どもを取り巻く厳しい環境が改善されますようにと祈る アカショウビンでした。
 


新茶の味

2007-06-05 07:50:32 | はがき随筆
 さわやかな新緑の5月の風。
 夕方、帰宅すると、母が鉄鍋で何やらいっている。
 「お茶を摘んだんだよ。八十八夜のお茶は体にいいって言うからね」
 「10年ほど前までは、腰に籠をぶら下げて朝早くから家族でお茶を摘み、自家用として製造してもらっていたねえ」
 そんな話をしながら、二日がかりで手作りの新茶が誕生した。早速いただく。何とも言えない新茶の香りがほのかに漂う。久しぶりの我が家の新茶の味に、人間の知恵とたくましさを思った。
   出水市 山岡淳子(49) 2007/6/5 毎日新聞鹿児島版掲載

ショパン 心ゆくまで

2007-06-04 15:45:56 | アカショウビンのつぶやき

スクリーンを彩る「名曲アルバム」の美しい映像と
ピアノ演奏で綴る…音楽の旅


〝ピアノの詩人〟ショパンの波乱に満ちた生涯を辿りながら、ショパンの生地ワルシャワ、美しい音楽を紡ぎ出したパリ、恋人ジョルジュ・サンドと過ごしたマヨルカ島などの美しい映像を背景に、NHK古藤田京子アナウンサーの司会で、若きピアニスト、フィリップ・コパチェフスキの演奏する、ショパンの名曲を心ゆくまで堪能しました。
コパチェフスキはモスクワ生まれの17歳、まだ初々しさの残る面差しながら、素晴らしい演奏を披露してくれました。
オープニングは「軍隊ポロネーズ」。そしてノクターン、幻想即興曲、ワルツ、ポロネーズ、マズルカ等々、若きピアニスト・コパチェフスキのショパンは素晴らしかった。
ショパンの告別式には、彼が尊敬して止まなかった、モーツアルトのレクイエムが流されたと。
私は「別れの曲」にしようかなあ。なんて考えちゃった アカショウビンです。

コイの教え

2007-06-04 08:55:02 | かごんま便り
 天気のよい日。短時間の外出でも汗ばむほど蒸し暑くなった。歩いていると、木陰や噴水など涼しく感じられそうな景色を探すようになった。
 鹿児島市の鶴丸城址を歩いている時もそうだった。車の往来が多い国道、舗装した歩道の照り返しも強かった。水をたたえた城址の堀をのぞいた。新鮮なミドリのハスの葉が茂り、その茎の間を数匹のコイが泳いでいた。
 コイを観光の呼び物にしている島根県津和野町のコイに比べて、スマートで色は素朴。コイからして質実剛健だ。津和野町の堀割を泳ぐコイは藩政時代に、非常時の食料用に飼われていた。現在は食べられる心配がなく、丸々と太り、観賞用になっている。
 鶴丸城の堀のコイは、観光客どころか地元の人もほとんど気にもかけないだろうが、存在感があった。外国人もコイには一目置いていたようだ。釣り好きのアイザック・ウォルトンという人が1653年にロンドンで魚の釣り方、生態、料理法などをまとめた本を出版している。
 日本で言えば関ヶ原の戦いの53年後に当たる。私が持っている森秀人さん訳・解説の角川選書「完訳」〓釣魚大全(ちょうぎょたいぜん)に、ウォルトンは「鯉はすべての川魚のなかの女王というべきもので、風格もあるし、非常に鋭敏、かつ狡猾な魚であります」と記している。
 鶴丸城址の堀のコイは鋭敏ではなくけだるい感じで漂うように体を動かしていた。水面近くで口を動かすから空気を飲み込む。何匹もいるからスポッ、ズボッ、シュポと連続した音になる。見ていた私は、いつの間にかくつろいでいた。
 中国の思想家、孔子の子どもの名が「鯉(り)」(字は伯魚)。父の孔子は「仁」を理想の道徳として教えた。仁は「礼にもとづく自己抑制と他者への思いやり」(広辞苑)とある。
 孔子が鯉を諭した場所が庭だった孤児に由来して、家庭教育の場を「鯉庭」という。さしずめ、先輩たちから指導を受ける鹿児島の郷中教育も庭訓の部類に入るだろう。
 最近の殺伐とした事件。自分さえ満足ならぱよいという姿勢もあちこちで目につく。例えば、辺りをはばからない携帯電話で話す大声。ちょっとした周囲への思いやりが忘れられている。城跡の堀のコイは忘れがちな事を私に思い出させ、改めて教えてくれたような気がした。
   毎日新聞 鹿児島支局長 竹本啓自2007/6/4 毎日新聞鹿児島版掲載

赤鉛筆

2007-06-04 08:03:52 | はがき随筆
 父が定期購読していた「中央公論」が届いた。今回で期間満了である。思えば60年以上も愛読していたことになる。
 先日、アルバムを見ていたら私と同年代の父が縁側に座って本を読んでいる写真があった。
 耳に赤鉛筆をはさんで、赤線を引くのが父の読み方だ。
 私は子どものころ、大人とは難しい本を読むものなのだと思っていた。
 青春時代のほとんどを戦争に費やした父は、空の上で心ゆくまで本を読んでいるかしら。
   鹿児島市 川崎泰子(51) 2007/6/4 毎日新聞鹿児島版掲載

半ドン

2007-06-03 07:53:53 | はがき随筆
 ある日、若い女性が先輩から、今日は半ドンだと言って半日休みと知ったと私に告げた。私は昔なつかしいこの半ドンにカレンダーの土曜のブルーが昔と何らかわらず、そのままなのに気がついた。今は週休2日制になり土、日は休みになった。本来なら休みは赤色で表示するはず。でも私は、このブルーの土曜の半ドンになぜか心ウキウキした記憶がある。金曜日になると、明日は土曜日、早く学校から帰って友達の遊べるという期待だった。今の人はわかるまい。今、暦だけが半ドン表示。ドンは蘭語のドンタク、休みの意。今は空しきブルーの日。
   鹿児島市 吉利万里子(60) 2007/6/3 毎日新聞鹿児島版掲載

華麗なるオペラとフラメンコのコラボレーション

2007-06-02 19:27:26 | アカショウビンのつぶやき
 オペラの名曲と日本のうたのしらべを
    ~オペラ「カルメン」ハイライト~





当地では本格的なオペラを観る機会はなかなかありません。
今日はビゼー作曲のオペラ「カルメン」ハイライトを楽しんできました。
久し振りに勇壮な「闘牛士のうた」や、ホセを慕うミカエラのアリア、更に情熱的なダンス・フラメンコも初めてでした。
出演者は数々のオペラの舞台で活躍している、地元鹿児島の若手の歌手が揃い、素晴らしい舞台となりました。
アンコールは出演者全員の合唱で「千の風になって」を爽やかに歌ってお別れ。
まだ余韻に浸っている アカショウビンです。

クスの木

2007-06-02 07:38:13 | はがき随筆
 樹齢何百年はあろうかというクスの大木が近くにある。ミツバチがほこらに住みつき、鳥の巣もいくつか。夜はフクロウの声がする。この木の下では毎年、十五夜すもうや六月灯がにぎやかに行われる。最近、この巨木に宿り木のアコウが取りついて、日に日に悲鳴をあげていた。見上げるたびに、私は心を痛めていたら、ある日のこと、市内の縄文の森を守る会の人たちが、大がかりな機材を持ち込み、見事に取り除いてくださった。同じ思いをしている人たちがいたんだ。嬉しかった。人も木も地球の生き物。風に揺れる若葉。今年は余計すがすがしく感じる。
   指宿市 有村好一(58) 2007/6/2 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はマグナさんからお借りしました。

ホームホスピス

2007-06-01 13:18:19 | アカショウビンのつぶやき

終末期を見つめて かあさんの家から 2007/6/1毎日新聞掲載
ホームホスピス「かあさんの家」



 庭の白紫陽花が咲き始めました。
この花が咲くと夫の最期のときを思い出します。
彼が最期を過ごした「リスニングルーム」には、いつも白紫陽花を活けていました。
 13年前、夫はベッドから起きられなくなっても、病人らしくなりたくないと、おしゃれに身繕いし、リスニングルームにベッドを入れ、好きなモーツアルトやブラームスを聴きながら過ごしました。病院嫌いを貫き通した彼は、最期の三ヶ月、病院の訪問看護、ヘルパーさんの援助、親族や友人の助けを頂きながら自宅で過ごし、安らかに我が家で看取りました。これもホームホスピスだったのでしょうか。
 
 3人に1人が癌にかかると言われる今、医師に余命を告げられた場合、本人はもとより、家族にとっても辛い時期を過ごさなければなりません。その悲しみは当事者でなければ分からない深いものです。

 今日の毎日新聞に、宮崎のホームホスピス「かあさんの家」の記事がありました。

「人は死の瞬間まで、その時間がたとえわずかであっても、その人なりの生活が尊重される事を願っています。そして、誰もがいずれ迎える死の悲しみを、癒し慰めたい」

との思いから立ち上げた「かあさんの家」は、大きな施設でなく住み慣れた我が家のような雰囲気です。ここが多くの人々の真の慰めを与える場となりますよう切に祈ります。

ブログに書くには余りにも重いテーマでしたが、多くの方々に知って頂きたいと願い、あえて書いている アカショウビンです。