千光寺参拝を終えて町へ下ります。その途中にある天寧寺は、足利義詮により貞冶6年(1367)に建立された大寺院でしたが、天和2年 (1682)に落雷によって全山が焼失、元禄年間に再興されましたが元の姿には戻れませんでした。
海雲塔とも呼ばれる三重塔は高さ25メートル、嘉慶2年(1388)に建立されました。境内を出て天寧寺坂を上ったところに位置したこともあって天和の災禍にも遭わず、代表的な足利建築として国の重要文化財の指定を受けています。
塔の横をまっすぐ下ると天寧寺本堂ですが、この看板から左に折れて「猫の細道」に入ります。
この赤ネコをはじめ、曲がりくねった細い坂道はネコだらけ。しかも細道両脇の家や店は荒れた感じで不気味な雰囲気です。♀ペンが一緒だときっと通れなかったでしょう。
艮神社の横まで下りて、やっと生活の匂いがする民家の横に来ました。
招き猫美術館です。すぐ先でローウエイ山麓駅横に出ました。
ここから山陽本線と並行する国道2号線脇の歩道を歩いて、浄土寺に向かいます。尾道は山がすぐ海に落ち込むような地形で、狭い山裾の平野部に市街地が細長く連なっています。いわゆる尾道三山(千光寺山、西国寺山、浄土寺山)の寺院は25ケ寺。浄土寺まで歩く間にも線路のガードを隔てて、いくつものお寺が見えました。
歩くこと10分強で浄土寺に着きました。ガードをくぐった石段の上に山門があります。
国宝の本堂と多宝塔の間に見える緑の山は浄土寺山。白く見えるのは巨岩群で、その横には浄土寺奥ノ院満福寺があります。展望台も見えています。
浄土寺は推古24年(616)、聖徳太子の開基と伝えられています。
多宝塔 は 嘉暦3年(1328)建立。鎌倉時代の様式を伝える国宝の建築物です。
2号線を渡って海岸通りを帰ります。通りと水道に挟まれた民家の裏手はすぐ海。波止場を歩くと大釜や漁網が置いてあり、漁船や釣り船が係留されていて汐の匂いが漂います。新旧の尾道大橋が並んで見えます。
尾道の印象は「坂の町」「寺の町」「猫の町」「ラーメンの町」に加えて「芸術の町」でもありました。有名な画家の写生地が点在し、美術館や博物館も多いのですが、ふとした街角の街灯や家の前でも芸術の香りがします。
これは松本病院玄関に置かれたブロンズ像。横の説明「イタリアからやってきた『いのししの像』ポルチェリーノ」によると、オリジナルはフィレンツェ「わら市場」にあるルネッサンス後期の作品。ポルチェリーノは仔豚の意味で鼻をなでると幸福を招くとか…。後ろの白い彫刻はフランス語で「なんとかと愛」…忘れました。
ホテルの個室で4人の宴会。肴は鯛づくし。久しぶりの再会、尽きぬ話にお酒も進みます。
部屋に帰ると、闇の中に大橋の灯りが浮かび上がっていました。明日はあの橋を渡って生口島までドライブします。