ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

私の関西百山(1) 伊吹山

2013-10-20 11:25:42 | 私の関西百山

国土の80%が山地であるわが日本には、どれほどの数の山があるのだろう。三省堂「コンサイス日本山名辞典」には13000(峠を含む)、日本山岳会編「新日本山岳誌」には4000の山が記載されている。勿論これらの書物に取り上げられなかった山も無数にあるだろう。
  
深田久弥氏の「日本百名山」以来、200名山、300名山をはじめとする「名山」を「制覇」することが一時ブームとなって、関西でも1998年に山と渓谷社大阪支局が「関西百名山」を選定した。別に宮崎日出一氏と阪上義次氏が1993 年、「新ハイキング」誌関西に発表された「近畿百名山」があり、この二つで重複する山は68座ある。
 
そもそも 「近畿」の名が文献に現れたのは1889年の国定教科書「地理」で、「大阪、京都、兵庫、和歌山、奈良、滋賀、三重の2府5県」がその範囲とされた。現在は1963年の近畿整備法で福井県が加えられた2府6県となっている。一方、関西は鎌倉時代の「吾妻鏡」にも見られる古い言葉だが、関八州の関東に対して「関」(鈴鹿・不破・愛発)の西というだけの漠然とした言い回しである。一般的には「大阪、京都、兵庫、滋賀、奈良、和歌山の2府4県」を指すことが多いが、行政的な定義ではないので、関西地域振興財団では上の近畿2府6県に鳥取、徳島の2県を加えた広い範囲を「関西」としている。昭文社「関西の山あるき100選」(2000年刊)は奥美濃・奥越、中国・四国までも含めた広い範囲を関西ととらえている。「山には多くの顔があり、楽しみ方も多様であるという考えを基に百山を選んだ」という選定方針は、○○名山を意識しない私にはお誂え向きの本である。以下は上記の各資料を参考にしながらも、あくまでも気まま勝手に選んだ「私の関西百山」の回想記である。

1.伊吹山(1377m)   <伊吹山地>

<頂上からの大滑降>
伊吹山には
何度か登ったが、夏季、高山植物を見るためにバスやマイカーで九合目まで行って頂上周回路に入ることが多い。しかし最初に頂上に立ったのは厳冬期、しかもスキー登山だった。山を初めて間もない1961年2月19日。山好きな職場の先輩たちと前夜、山麓の民宿で泊り、リフトで4合目へ。シールを付けて八合目まで登り、当初はデポする予定だったがアイゼンに履き替えて、急斜面に息を切らせながら登る。頂上山の家で昼食後、頂上へ。『測候所は一面エビノシッポで覆われて、まるでおとぎの国の城みたい。14~5mの西風は強いが、時々ガスが晴れた時の素晴らしい眺望に満足』していよいよ滑降。五合目までは斜滑降、キックターンの連続。ここから快晴となって長い斜滑降とボーゲンで滑り下る。数えきれぬほど転倒したが楽しかった。

<夜間登山>
1970年代に勤めていたT高校では毎年、山岳部主催で一般生徒を対象にした夜間伊吹登山の行事があった。1977年9月23日、近江長岡駅を22時50分に出発。登山口の神社境内で夜食を喰って、秋分の日の24日0時45分出発。
『一合目のスキー場を過ぎると、ススキの原の急坂の登り。二合目で休憩。吹き降ろす夜風に汗ばんだ肌が心地よい(2時)。五合目から七合目までは町々の灯りを見下ろし、いい調子で登る(3時)。七合目を過ぎて、岩がゴロゴロしているところでは、ムカデの幼虫らしい奴がビッシリ岩には張り付いていて気味悪い。このころからガス。…』4時15分、ようやく小屋に入り、夜食の残りを食べ、ウィスキーを飲み、キルティングをかぶって時間ほど仮眠する。明け方の冷え込みで目を覚まし外へ出たが、濃いガスで殆ど視界ゼロ。6時過ぎ、下山開始。『三合目の広場で朝食をしていると快晴になって、山頂も青空にくっきりと浮かび上がっていた。』

<親切な山小屋>
2004年7月18日、町内と近郊の人で作っている山の会17人で翌月の夏山(白馬岳)のトレーニングに行ったが、ゴンドラ駅前の駐車場に着くと、あいにく雨になった。三合目から雨具をつけて、雨に濡れた花を見ながら登る。『八合目からの岩のゴツゴツした急登になる頃から、霧も出てきて、まるで夕方のように暗くなってきた。…下りてくる人が、流れる雨水に足を滑らせて難渋している。』

頂上に着き、日本武尊像の前でこれからの行動を思案していると『親切なメキシコ人の小屋アルバイトがいて、三角点まで案内して記念写真のシャッターを押してくれた上、高山植物の説明までしてくれた。彼の働いている小屋主の奥さんも「気にしないで、空いたところを使って…」と言ってくれたので、ご好意に甘えて靴を脱いで上がり込んで弁当を使わせて貰う。おかげで雨に濡れず食事が出来たが、別に買い物を強制するわけでなく、実に気持ちのいい応対だった。』ゆっくり食事をさせて貰って、山頂の遊歩道を巡り終えるころ雨は止んだ。ガスの中を元の三合目に下る。下は強風でゴンドラは運転休止になっていたので、薄日に光る琵琶湖の湖面を見下ろしながら駐車場へ歩いた。(『』内は当時の山日記から引用)

高山植物の宝庫・伊吹山の名を持つ植物も多い。写真はイブキジャコウソウ
他の花の写真はこちらにあります。http://mountainpenguin.web.fc2.com/flowers/ibuki/ibuki.htm