ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

私の関西百山(35) 局ヶ岳

2013-12-15 09:23:12 | 私の関西百山

局ヶ岳(1029m)  <高見山地>
【つぼねがたけ】この山も高見山地東端部にあり、伊勢三星の一つである。「昔、美しい局が険路を踏んでこの山に入り、奥ノ宮に参籠して再び帰らなかった」のが山名の由来である。



登山口のある宮前から見上げる局ヶ岳は、名前の由来となったお局が十二単を拡げた姿のように、主峰の左右に盛り上がる稜線を従えて堂々としている。

茶畑の多い木地小屋集落を走り抜ける。惟喬親王を祖とする木地師の村だが、小屋跡の立札でそれと知れるだけの、どこにでもあるような平凡な山麓の風景だ。道端に「怪力センコ(専固?)の墓」への道標や、石に窪みのある「センコの足跡」を見る。センコはもと大の弱虫だったが、局ヶ岳へ日参して百人力を授かり、紀州候の行列の邪魔をする牛を片付けた等の伝説の主である。墓という、もっともらしい証拠のあるのも微笑ましい。

さらに山に近づくと、狭い道の両側に桜が並び、倒れ掛けた鳥居と小さい社がある。局神社だった。車は少し下の村外れに停める。

神社から川沿いにけっこう勾配のある舗装路を5分ほど行くと、左手にブリキの標識と鉄梯子、横に登山者ノートの入ったポストがある。ここから山腹に取り付く。最初から薄暗い杉林の中の厳しい登りだが、苔蒸した石や杉の落ち葉を踏んで行く道は、意外によく整備され、はっきりしている。おまけに一本道で迷うこともない。時々、右手はるか下に白い石が積み重なったような涸れ沢を見下ろし、ぐんぐん高度を上げる。

神社から川沿かなり登って沢を離れ山腹を捲くように左へ、大きなジグザグを何度か繰り返す。ようやく尾根に出た処が小峠で、樹林はやや疎らになり、木の間越しに稜線が見えるようになる。再び勾配が強まり露岩も出てきた道を、短いジグザグを何度か繰り返して、急に頂上に飛び出す。

頂上は、思ったより広い空間で、三角点と20cm程の古い石標、それに山名や山岳会の名を書いた札を連ねた枯れ木が一本。しかし周囲が切り立っているだけに、360度の展望は実に素晴らしい。まず、西に三峰山から学能堂に続く山波、奥に高見山、その右には古光山から倶留尊山、ここからは見馴れた形とは違って見える大洞山、秀麗な尼ヶ岳と並ぶ。三峰山の左には大峰と大台、台高の山々が紫に霞んでいる。

昼食を済ませ、名残を惜しみながら山頂を後にする。登ってきた時よりも急勾配に感じる同じ道を下る。結構、厳しいとは言うものの登りに比べるとやはり楽で、ノンストップの1時間で登山者名簿のポストに帰り着いた。
<参考コースタイム>駐車地点8:00 …登山者名簿のあるボスト8:15…小峠9:30…頂上9:55~10:50(昼食)…ポスト11:50 (1991.11.17)
 


私の関西百山(34) 白猪山

2013-12-13 08:43:43 | 私の関西百山

白猪山(820m) <高見山地>
【しらいさん】高見山地東端、松阪市と飯南町の境にある。堀坂山、局ヶ岳とともに伊勢三星といわれ、伊勢湾航行の船の目印であった。登山道は北側の坂内からと南側からは松阪市都、矢下、夏明からの3コースがある。

1998年1月30日に都登山口から二人で登った。都集落は江戸時代に豪雨による大災害があったことを教訓として、各家も段々畑も立派な石垣で守られている。砂防ダム下に駐車する。舗装の急坂を上り、最後の民家の建つちいさな峠からようやく山道になる。

雑木林の中の道は良く整備され、要所では地元青年会の標識がある。歩き始めて40分で矢下から来る道との合流点。

 

消え残った雪がうっすらと積もっているヒノキ植林の急坂を登っていくと、視界が開け、すぐ左手に局ヶ岳の鋭鋒が見えた。

 二ノ峰から山頂を仰ぐ

台地の左、林の中に石尊大権現社、右手には草原状の小さな丘がある。二ノ峰である。丘に登ると素晴らしい展望が待っていた。南西すぐ近くに局ヶ岳、その向こう遠くに雪を頂いた大台・大峰の山々、局の右(西)に三峰山、高見山の頭部、倶留尊から大洞山、尼ヶ岳に続く曽爾火山群、東に伊勢湾、南には獅子ヶ岳から牛草山に続く伊勢の山と熊野灘、目の下は櫛田川に沿う町々と、素晴らしい眺めだ。北の方だけはこれから向かう山頂に続く斜面が立ちはだかっている。「白猪山へ410m」の標識がある。

 (ここまでの写真は1999年撮影)

カヤトの原の中に杉や松の大木が散在する最後の急斜面を登ると立派な丸太組みの展望台があり、更に右に折れて続いている。傾斜が緩くなり杉林の中に三角点があった。

 二ノ峰からの展望(Feb.2007)

山が見え、海が見え、そして町が見える二ノ峰に帰り、ゆっくり昼食をすませて元の道を下った。(登り1時間半、下り40分)

2007年2月25日、「干支の山」に低山徘徊派の仲間と4人で夏明から登る。夏明集落からコンクリートの急坂を登り、御所平への分岐に着く。「御所平」という地名は何か南朝とゆかりがあったのだろうか。

次第に谷が近づき不動小屋を過ぎると、傾斜が緩み左に小さな滝を落とす谷を見下ろすようになる。やがて小さな祠のある広場に出た。祠の屋根には「菊のご紋」がついている。

再び急坂のジグザグの登りになり石尊神社に着く。不動尊を本尊として地元の尊崇を集める神社である。横の草地の丘(二の峰)からは、素晴らしい展望が開ける。目の前に聳える急坂を登ると懐かしい展望台があり、右に折れるとすぐ先に819.7mの二等三角点があった。

前に来たときに比べると、ずっと展望が良くなって目の前に堀坂山、東に伊勢湾が見える。特に北側は良く晴れて鈴鹿の山々が美しく望めた。昼食をとり、食後のコーヒーで暖まる。

正午に頂上を後にする。二の峰からは南に溝状に掘れた道を下る。往路のコンクリート道と違って、ふかふかの落ち葉に覆われた土の道が足に優しい。立派な標識に導かれて、雑木林やスギとヒノキの植林帯を行くと路面にコンクリートが現れ、新しい道で直接、夏明に帰れた。

【参考コースタイム】夏明登山口09:37…御所平分岐10:03…二ノ峰<石尊大権現社>10:45~10:56…白猪山山頂 11:08~12:00…矢下・都分岐12:23…夏明登山口12:50


初冬の東山散策(2013.12.8)

2013-12-10 15:41:27 | 旅日記

「三味洪庵」での食事会を終えて、イノッチさんの案内で東山の散策を楽しみました。
白川沿いに北へ歩いて神宮通りの平安神宮鳥居を右に折れます。

京都市動物園のフラミンゴを横目に見て…

琵琶湖疎水記念館横から南禅寺へ…

歌舞伎・楼門五三桐の石川五右衛門の「絶景かな絶景かな」で名高い三門(普通は山門と書くが、これが正しい…と登楼券に書いてありました)に登りました。

門上から北の眺め。右端に大文字山、その上に比叡山…中央遠くに金毘羅山方面。

東側に並ぶ塔頭を見下ろしたところです。

その塔頭の一つ・南禅院から疎水橋へ歩きます。

琵琶湖から京都へ流れる清らかな水です。

南禅寺を出て北へ歩きます。永観堂のモミジはまだ真っ赤でした。

境内はモミジの絨毯を敷き詰めたようです。

熊野若王子神社の前に「新島譲と八重の墓」への道標がありましたが、片道20分かかるので今回はお預け。哲学の道を少し歩きました。横を流れる疎水には10cmを越えるニゴイが何匹も泳いでいました。

歩数計の数字が1万歩を超えたところで、白川通へ出てバスで京都駅へ。渋滞もあって結構いい時間になって駅前のビルの大きな居酒屋で夕食をとりました。色々なお摘みとお好みのドリンクでまたまたお腹いっぱい幸せ一杯。

京都タワーの灯りに見送られて、楽しい一日を終えました。若い頃から何度か二人で訪ねた懐かしいスポット巡りでした。
イタ友の皆さん、ありがとうございました。またお会いしましょう。


京のおぞよ

2013-12-09 20:42:15 | 旅日記

穏やかな師走の日曜日、二人で京都へ行きました。二年前のちょうど今頃、イタリア・ツァーで知り合ったお友達とは、それから一年に二、三度顔を合わせ、食事会やハイキングなどを楽しんでいます。

今回は京都東山・三条通りにある文久元年創業の「三味洪庵」で昼食会です。



すぐ傍らを白川のせせらぎが流れ、カモたちが遊んでいます。(イノッチさん撮影)

食事に先立って参加者全員で記念撮影。後列左端、和服姿の「ちい姫さん」が今回の手配から当日のお世話、前列左端のイノッチさんが食事後、周辺散策の案内をしてくださいました。

食事は口取り二段重で始まりました。

次は蓋物

季節の野菜

西京みそ焼きは鮭、鱈、鰈から選べます。そしておぞよ、白味噌仕立、白ご飯。
「おぞよ」とは京の「おばんざい」のことですが、さりげない普段の食べ物に京都らしい繊細な味と彩りを感じます。
飲み物はやはり日本酒が似合いです。

そしてデザートに丹波黒豆豆乳プリンを頂きました。少量づつですが結構お腹一杯になり、楽しくおしゃべりしながらの昼食会を終えました。 


私の関西百山(33) 堀坂山

2013-12-07 16:23:08 | 私の関西百山

堀坂山(757m) <高見山地>

【ほっさかさん】高見山地の東端、三重県松阪市の西10kmにある。地元の人には「伊勢富士」と呼ばれ、古くから信仰の山として親しまれている。伊勢湾を通る舟びとたちが航海の目印とした山でもある。

1997年12月24日に登った。伊勢自動車道松阪ICから約30分、大きな鳥居と「堀坂大権現」の石柱のある堀坂峠に着く。大きな缶に杖代わりの木の枝が何本も差し込まれ、信仰の山らしい雰囲気だ。大きな杉やヒノキ林の中の道ははっきりしているが、結構、急な登りだ。その代わり面白いようにグングン高度を稼ぐ。薄暗くひんやりしたヒノキ林を抜け、クヌギ、クリなどの雑木林となる。枝越しに矢頭山方面の山稜が望まれる。



30分足らずで道の両側に巨岩をいくつか見るようになり、少し平らな所に大きな大日如来の銅像と役行者石像が祀られている。ここで頂上まで半分の道のりを来たことになる。更に登ると、左手に目指す堀坂山の斜面が見えて道が二股になる。左は尾根通しの急坂、右はその尾根を捲く道である。妻は左、私は右の道に分かれて登る。捲き道が左に曲がるところで声をかけると、意外に近くの頭上で返事があつた。すぐ左手、木の階段の上にもう一つ大日如来像が見える。



ここが二ノ峰で、妻が降りてきて合流する。どちらをとっても、時間的には殆ど差がなかったことになる。目の前に頂上台地が見えた。

山頂は平坦で広く、枯れた芝生に燦々と陽が降り注いでいる。三角点と平らな石で囲われた祠がある。前にある石の手水鉢には氷が張っていた。少し離れてかなりの人数が入れそうなトタン屋根の石室が二つ。おそらく元旦は初日の出を待つ人で埋まるだろう。展望はまさに遮るものなし。

 左から雨乞岳、髷山、矢頭山

眼下に津、松阪の市街と伊勢湾の海岸線、その向こうに知多半島が霞んでいる。北に観音岳、北西に矢頭山、西に髭山、そのかなたに室生の山々、南西の局ヶ岳の右に三峰山、その奥に高見山の三角錐が聳えている。どっしりした白猪山は南方すぐ近くだ。


 南西の眺め

無風快晴で暖かい陽を浴びて、時の経つのを忘れるような山頂だった。帰りは妻の登ってきた二の峰(大日如来像の所)の稜線を下る。凄い急坂だがあっという間に分岐に出て、頂上から20分ほどで駐車場所に帰着できた。時間が早いのでもう一山稼ごうと、伊勢山上に向かう。

<コースタイム>堀坂峠(9:15)~大日如来像(9:40-945)~堀坂山〈757.4m〉(10:00-10:45)~堀坂峠(1105)→ 伊勢山上ヘ


私の関西百山(32) 鎧岳・兜岳

2013-12-05 08:16:45 | 私の関西百山

奈良県宇陀郡曽爾村にあり、室生火山帯に属している。青蓮寺川に面した南側に大岩壁を露わにして偉容を誇る。鎧・兜の名称は、形状を武具に見立てたものである。

 葛より鎧岳(Oct.1962)

鎧岳(894m)
【よろいだけ】隣り合う兜岳より標高は低いが、やや背を傾げて屹立する姿はよく目立ち、兜岳の雌岳に対し雄岳と呼ばれた。『大和名所図会』に「雄嶽。葛(かつら)村にあり。一名鎧嶽という」とある。露出した柱状節理の岩肌を鎧のくさずりに見立てた名称である。岩壁は南に面して三段からなり、この辺りに多い柱状節理の中でも屈指の大岩壁で、特に青蓮寺川沿いの岳見橋から仰ぐと、鎧をまとった偉丈夫を思わせる堂々たる姿である。

 逢坂峠(Nov.1996)

西側の兜岳との間が峰坂峠である。この峠を北に越すと布引谷に出合う。谷を左に遡ると落差30mに近い布引滝がある。また右(北東)に下ると、県道81号の通る落合にでる。ここから1㎞弱南にある小太郎岩は、幅約700m、高さ約200mの垂直の岩壁。「小太郎落とし」の伝説が残り、かつては岩登りのゲレンデとしても有名であった。

 葛から兜岳(May.1996)

兜 岳(920m)
【かぶとだけ】鎧・兜に屏風岩を加えて「曽爾三山」と呼び、1934年、国の天然記念物に指定されている。兜岳、鎧岳とも、急峻な東側に反して西側は比較的緩やかで雑木に覆われている。青蓮寺川沿いには柱状節理の岩が多いが、1000万年前の室生火山の爆発によるマグマの痕跡という。兜岳の西側を、県道784号が走っている。かつての今井林道、更に古くは椿井越えといわれ、曽爾と名張を結ぶ重要な道であった。

 目無地蔵(May.1996)

曽爾村横輪から赤目掛線を北へ45分で、目無し地蔵がある。ここが登山口で、右へ露岩混じりの急坂を登る。

 兜岳(May.1996)

途中に大岩があり右側の展望が開けるが、頂上は雑木林の中で無展望である。頂上まで目無し地蔵から45分。

兜岳と鎧岳を結ぶ道は、1962年(昭和37)にはヤブ漕ぎとルート探しにかなり苦労して、なんとか尾根通しに歩くことができた。

 縦走路より鎧岳(Nov.1996)

96年11月に34年ぶりに登ったときには、稜線にしっかりした踏み跡があった。

 目無地蔵(May.
2003)

3度目の2003年5月には登山道の随所に立派な道標が設置され、道も広くなって歩きやすくなっていた。


私の関西百山(31) 住塚山・国見山

2013-12-03 09:40:16 | 私の関西百山

 国見山から住塚山を見る

住塚山(1009m) <室生火山群>
【すみつかやま】奈良県宇陀市室生区と宇陀郡曽爾村の境界にある。『大和名所図会』では、屏風嶽として「今井村にあり。山形峭壁し林木叢茂す。屏風の如し。因って名とす」と記されている。今、屏風岩と呼ばれる所は山頂から東に延びる尾根で、南側が鋭く切れ落ち、高さ100~200m、長さ1.5㎞にわたる大岩壁となって続いている。断層活動により生じたもので、石英安山岩より成る柱状節理を示し、国の天然記念物に指定されている。周辺は屏風岩公苑として整備され、桜の名所でもあり花の時期は賑わう。
国見山(1016m)<室生火山群>
【くにみやま】全国に散在するこの名称の山は、為政者が登って自分の勢力範囲を見渡したことから付けられたものと思われる。『大和名所図会』には「国見嶽。伊賀見村にあり。勢・伊の二州に跨(またが)る。山勢高く聳えて巉々(ざんざん)(高く嶮しい)たり」とある。

 国見山頂よりの展望

確かに国見の名にふさわしく、頂上からの展望は雄大である。倶留尊山、古光山など曽爾の山々を初め、台高、大峰、吉野の山々なども遠望することが出来る。

   この二山は同じ稜線上に南北に並んでいるので、いつも同時に登る。屏風岩公苑へは曽爾村長野から約1時間。住塚山頂へは公苑を横切るように屏風岩の裾を西に辿り、ヒノキ林の中を急登して尾根に出て、「一ノ峰」コルから頂上に至る。

 (2005.11.27)

山頂からは国見山、鎧岳、兜岳、倶留尊山、古光山などの曽爾の山々を初め、高見山、三峰山などが遠望できる。公苑から山頂まで45分。山頂から北へ向かう稜線は、ゼニヤタワと呼ぶ鞍部に下る。

 ゼニヤタワから国見山(1990.5.27)

急坂を登り返せば露岩もある痩せた尾根になり、国見山に至る(住塚山から45分)。




ゼニヤタワから左の谷を下れば、室生と曽爾を結ぶ東海自然歩道に出る(山頂から45分)。ここから室生寺へは約1時間30分。

1970年、72年は長野から歩き始め屏風岩、住塚山を経てゼニヤタワから国見山を往復、宇野川橋へ出て室生寺まで歩いた。

 国見山山頂にて (1977.10.27)

77年は国見山からクマタワに下りているが、ブッシュが多くて子供達は手こずっている。 90年は屏風岩公苑まで車で入れるようになって便利になった。しかし屏風岩の稜線はブッシュがひどく歩けなかった。2005年秋、 屏風岩公苑に車を置いて住塚山、国見山、松ノ山、クマタワ、林道川根線をへて若宮峠へ。ここから一ノ峰へ稜線を辿って、屏風岩公苑へと一周した。屏風岩上を通る道は、注意すれば危険なく歩けるようになっている。

 秋の屏風岩(2005.11.27)


松尾寺の紅葉

2013-12-01 16:34:49 | 矢田だより

今日から師走。穏やかな冬晴れの朝です。

斑鳩の里から松尾山に向かいます。

法隆寺ゴルフ場から見上げる松尾山

落ち葉の積もる町石道を登ります。

松尾寺南門

門を潜らずに北門の方へ向かいます。

今日は、お参りは後回しにして先にお山へ登ります。

山門(北門)を見送って林道を登って…

早いので国見台へピストンしましたが展望は今一つでした。ベンチがありますが休まずに引き返します。

山頂への分岐。左へ下ると、さっき登ってきた林道です。

山頂三角点。山名版が増えました。

峰入修行道を通って切通しへ来ました。

三重塔から境内に下りました。大きな岩は神霊岩です。

お参りを済ませ初めて腰を下ろして休んだあと、燃えるような紅葉の境内から元の道を下りました。