マッシュムラムラ(仮) ――クラ鈴が斬る!――

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氷室京介、あぶない刑事、マンガ etc

別冊ベースボール よみがえる1980年代のプロ野球 PART5&6

2020-05-10 13:42:48 | スポーツ

「週刊ベースボール」の別冊、今回は89年と80年です。
まずは89年(PART5)から。
前年、あと一歩のところで優勝を逃した近鉄バッファローズでしたが、二年越しの悲願を達成し、見事、パ・リーグを制しました。
この年も最後まで接戦でしたね。近鉄、西武、オリックスの三つ巴でしたが、最後、近鉄と西武の直接対決におけるブライアントの4連発などをもって、近鉄が“大乱世”を制します。
一方、セ・リーグは、藤田監督が返り咲いた巨人が、ほぼ独走で優勝を遂げました。
正直、個人的には疑問がありました。まだまだ働けるであろうベテランを廃し、若手や新戦力を起用する、その手法に。
若手登用はもちろん、それだけなら問題はないんです。ですが、

西本聖をトレードに出し、中尾孝義を獲得。結果、山倉和博を飼い殺し。

リリーフ陣の鹿取義隆、角三男(当時)も飼い殺し。ストッパーには、三本柱の槇原寛己を先発との兼用。


これは、当時から「違う」思ってましたね。ベテランいっても、山倉も鹿取も角も、長年の疲労は見えても、またまだ引退を考えるほどではなかったし。
まあ、正直、西本はこの年、中日で20勝上げるほど復活するとは思いませんでしたが・・・巨人にいたとしても、使い方次第では、ある程度の復活を遂げたと思う(ノムさんが、全盛期を過ぎた江夏豊をリリーフで起用したように)。
ともかく、鹿取はその後、西武で大活躍し、角も日ハムでそこそこは働きましたからね。山倉だって、まだまだやれたと思うし。
また、槇原の「兼用」についてもね・・・解説者になってた江川卓による「優勝がかかったシーズン終盤ならまだしも、こんなに早い時期からやらせるべきではない」って発言に賛同してました。案の定、シーズン後半、槇原は怪我して、日本シリーズもほとんど投げられなかったと記憶しています。
まあ、話を戻すと、斎藤雅樹、槇原、そして桑田真澄の三本柱を擁して、巨人は優勝を遂げます。前述のように、事実上は戦力ダウンだったはずですが、まあ、横綱相撲といってよいシーズンだったでしょうね。
なお、この年と翌年に20勝を上げた斎藤を筆頭に、槇原、桑田で構成された三本柱は、90年代半ばまで、巨人の投手陣の中枢を担うことになります。
94年の中日との最終決戦で、この三人のリレー(槇原→斎藤→桑田)を見たときは、震えましたよ(笑)。まあ、この年、斎藤は怪我で調子落としてましたし、槇原もこの試合は打たれてましたが。
で、日本シリーズ。下馬評では近鉄が有利だった気がするな。
ただ、





シーズン中はあんなに強かった巨人に三連勝するとは・・・



これは予想外でしたね。巨人としては、藤井寺で連敗、「東京ドームに戻れば」なんて空気があったものの、その本拠地で零封される。
初戦の阿波野と斎藤の投げ合いは、どっちが投げ勝ってもおかしくないとは思ってましたが、正直、桑田まで投げ負けるとは・・・いや、相手の山崎慎太郎も、いいピッチャーではありますが。
まあ、やっぱブライアントにビビッてたトコはあるでしょうね。斎藤も桑田も。翌年のシリーズでは(このふたりに加え、槇原も)秋山幸二、清原和博、デストラーデに明らかにビビッて、結果、四連敗だったし。
その意味では、この年や翌年の斎藤、槇原、桑田は、まだ「絶対的な大エース」になりきれてなかったんだろうね(勝ち星の数はともかく)。「絶対的な強打者」にビビッちゃうってことは。これが江川や西本だったら、「関係ねぇよ」「むしろ、対戦が楽しみ」って感じだったでしょうし。
そして、三戦目。





加藤哲の「巨人はロッテより弱い」発言(笑)。



いや、これ、





実際には言ってないらしいんですが、



似たようなことを言ってしまったがゆえに(『シーズン中のほうがしんどかった』)、マスコミにいいように取られ、そして10数年後には、





シン「地球連合は、ロッテより弱い」

ルナ「うわぁ、完全に調子に乗ってるわぁ・・・」




などと、最新ガンダム(当時)のパロディ・サイトでまで、ネタに使われることに(笑)。
あ、上のシンとルナ(ルナマリア)というのは、そのときのガンダムの主人公(?)とヒロイン(?)です。「?」としたのは・・・わかる人なら(オレはこのふたり、好きですよ/笑)。
ちなみに、この加藤と巨人の斎藤は同い年(同学年)らしいです(笑)。
ともかく、ここまで近鉄の三連勝。この時点でね、ウチの親父が買ってたスポーツ新聞に、野村克也が解説コラムを持ってたんですが、ノムさんとしては、

「ローテーションを崩して、斎藤を第四戦の先発に推す声もあるらしいが、それで勝っても、その後のローテーションが苦しくなる」





「やはり(当初から第四戦の先発を予想されていた)香田で勝って、ようやく“奇跡”の可能性が生じる」



みたいなこと言っててね。
この“奇跡”というのは、「三連敗後の四連勝」を指します。日本シリーズは全七戦で、先に四勝したほうが勝ちです。運や勢いに左右される短期決戦において、「三連敗後の四連勝」というのは非常に困難であるため、“奇跡”などと言われます(プロ野球史上、やってのけたのは数チームだけです)。
まあ、オチとしては、この年の巨人は“奇跡”を起こすんですが、まさにノムさんが言ったとおり、四戦目、香田が好投(完封)し、巨人に白星がついたことで、流れが変わりましたね。
先日、ノムさんが亡くなった際、「真っ先に」というわけではありませんが、やはり89年のこの記事を思い出しましたね。やっぱノムさんは偉大でしたよ。
それはさておき。
五戦目は斎藤の完投と、不調だった主砲・原辰徳の満塁弾、六戦目は桑田と宮本和知の粘投、そして第七戦は駒田徳弘、原、そしてこの年に引退が決まっていた中畑清のホームランなどで、巨人が日本一に輝きます。
そういえば、駒田もいい選手だったよなぁ。この数年前からレギュラーに定着してたものの、ブレイクしたのはこの89年といっていいでしょうね。
彼がホームラン打った相手が前述の加藤でね。ベーランのとき、「バーカ」って、加藤のほうを見ながら、ね(笑)。
後に、落合博満が巨人に加わったとき、同じファーストをやってた駒田は弾き出される形になってね。「駒田は外野もできるだろ」「いまはちょっと調子落としてるだけだって」なんて、疑問に思ってましたね。事実、横浜に行ったあとも活躍したし。
巨人はそういうところがあるんですよね。まあ、長年、巨人ファンだったオレがいうのも何ですが(いまでも、『巨人が嫌い』ってことはないですが)。

で、80年(PART6)。


さすがに、この年のことはよく覚えてません(笑)。翌年の81年辺りからのことは結構、覚えてるんですが。
長嶋監督ラストイヤーでしたね。まあ、10数年後に返り咲きますが。
正直、私は世代的に、長嶋茂雄にとくに思い入れがあるわけではないんですよ。
物心ついて、プロ野球を見始めたころはすでに監督だったし(現役時代は、リアルタイムでは知らない)、返り咲いた後の采配や、選手の使い捨ては、疑問に思うことも少なくなかったし。
ただ、人間・長嶋茂雄は、おもしろいエピソードばかりなんで、大好きですけどね(笑)。
もちろん、映像や数字(成績)を見る限り、あるいは私らより上の世代の話を聞く限りでは、やはり凄いプレイヤーであったことは理解できます。「上の世代の話」というのは、たしかに思い出は美化されがちですが、一方で、“本物”でない限りは美化されることもないわけでね。
ともかく、私らはまだ子供だったこともあり、長嶋さんの退任はピンと来なかったかな。大人たちが大騒ぎだったのは、何となく覚えてますが。
ただね・・・後に成長して野球をやるようになってからは、「もう少し、やらせてあげたかった」とは思うようになりましたね(この時点では、後の采配のことなんかはまだわからないわけですし)。
前年オフの地獄の伊東キャンプで、有望な若手を徹底的に鍛え上げてね。
で、この年、伊東キャンプ参加者である江川、西本、鹿取、角、山倉、中畑、篠塚利夫、松本匡史はもちろん、不参加ではあっても定岡正二なんかも戦力になりつつあってね。まあ、江川、西本辺りは前年から物になってたけど。
事実、彼らが主力になって、翌81年は日本一になってるし、80年代の巨人はBクラスで終わったことが一度もなかったんですが、その原動力でもあったわけだし。
ですんで、「若手を物にした本人である長嶋さんに、その成果、恩恵も・・・」というのは、ありましたかね。
ちなみに、その長嶋監督と、とある試合で完封した江川が試合終了直後に握手しているシーンは何となく覚えてたんですが、同時に「デーゲームで、巨人主催ではあるけど地方球場」ってのも記憶にあってね(江川、デーゲームが苦手だったはずなのに/笑)。
今回のPART6で記録を読んでみると、札幌丸山球場の広島戦っぽいね。このころの、めちゃめちゃ強い広島に「イチゼロ完封」(1-0の完封)なんですから、やっぱ江川ってすげぇな(この年の最多勝でもあるし)。
あと、王さんがホームラン打ったシーンも、かろうじて覚えてますね。ナゴヤ球場で打ったのを、テレビ中継で見てた光景が、オレの記憶にある。
また、その王さんがこの年のオフに引退したんですが、それを知ったオレがクラスで「王さん、引退するんだってね」いったら、「違うよ、助監督になるんだよ」なんて返ってきたことも、おぼろげながら。
まあ、小学校低学年にとっては、スーパースターの引退は、そう簡単に受け入れられないもんなんでしょう(『助監督になるんだよ』いわれたオレも、それで納得してしまった気が/笑)。
そうそう、この年の優勝はセが広島、パが近鉄で、日本一は広島です。
双方、名将と呼ばれた古葉監督西本監督ですね。西本監督は、私にとっては、後の「プロ野球ニュース解説者」のイメージがありますが(笑)。
ちなみに、「江夏の21球」は、前年の79年です。二年連続で広島と近鉄によるシリーズになったということですね。日本一は(二年連続で)広島です。

それと、この年の高校野球、夏の甲子園を制したのは愛甲猛率いる横浜高校でね。
地元の代表が優勝したんで、母親や親戚のおばちゃんなんかと、盛り上がった記憶もあります(笑)。

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