時遊人~La liberte de l'esprit~

優游涵泳 不羈奔放 by椋柊

ツリーオブライフ 31

2011-08-25 | 映画
1950年代半ば
中央テキサスの小さな田舎町

幸せな結婚生活を送るオブライエン夫妻と
彼らの子供である3人の兄弟

父・オブライエンは
信仰に厚く
男が成功するためには
「力」が必要だと考え
強権的な存在として子供たちを
完全に支配されていた

母は
自然を愛で
子供たちに対しては
精いっぱいの愛情を注ぎこむ優しい女

夢のように美しい
風景に包まれながら暮す3人兄弟

しかし
長男ジャックの心は
相反する両親に挟まれ
常に葛藤していた



そして現在

仕事で成功し
中年にさしかかったジャックだったが
その心は
子供時代のトラウマに
囚われていた

父さん、あの時の僕はあなたが嫌いだった

深い喪失感の中
自分の人生や生き方の根源となった
テキサスの小さな街で
家族とともに過ごした少年時代に想いを馳せる
ジャックは
心の平安にたどりつけるのか…



小生には難解でした
非常に難解でございました


一神教的発想が根底にある作品かと思いきや
それだけじゃ~ない!
オブライエン一家の物語と平行して登場する
自然・そして宇宙の映像は
多神教的な倫理感や概念を彷彿させます

と同時に
科学的な生命の起源にまで
言及している気が致しました

冒頭
暗がりの先に見える光に向かって
進んでいくと言うカメラアングルは
赤ん坊が
母親の子宮を通り
この世に誕生する有様を彷彿させ

無限の宇宙で
繰り広げれる膨張・収縮
爆発によるきらめき
そして闇は

生命の起源から
終わりの瞬間までを彷彿させる



唯一無二の神の御心に従い
その教え・導き(いわゆる愛)に従い生きようとする母

神の存在を意識しつつ
意思をもった独立した‘人’として
強くあろうとする(力)を持ってして行きようとする父

両極極端な両親の愛情表現の狭間で
長男であるジャックは己の生き方が出来ないことに
次第にフラストレーションを蓄積させていく

幼少期から少年期にかけ
そのフラストレーションの捌け口として
ターゲットにされる次男

父・オブライエンの姿は
次第に
長男であるジョンとリンクしていく

そして‘現代’

オブライエン夫婦の元に
次男の死が
父・オブライエンと同じ年代にたっしたジョンの元に
弟の死が伝えられる

それぞれの立場で
それぞれの視線で
過去を振り返る



何が正しく
何が誤りだったのか
何が懸命な選択で
何が愚かな選択だったのか

人は
人間特有の不確定な感情に翻弄され
誰しもが悩み苦しみ
後悔し悔恨の念に駆られる
何かに誰かに救いを求める

その一方で
人は‘感情’によって
愛し慈しみ想いを寄せ
何かを誰かを救う

矛盾に満ちた不可思議な世界に生きる人間
その存在は
大いなる宇宙の中では
とてつもなく小さな存在であり
その寿命は
一瞬に終わる

如何様な人生を生きようと
平等に訪れる‘死’

それを自覚した時訪れる心の救済
心の平安?

ここの寿命は短くとも
親から子へ
子からまたその子へと
生命は引き継がれ永遠の時を刻む
無限の宇宙に抱かれながら…



親との関係が
トラウマとなったことについては
理解出来ます

ですが
少年期のジョンが
自分の好きなことだ出来ない
やりたい事が出来ないと苛立つあたりは
個人的に
共感できませんでした

お門違いでしょ

親に養って貰っている段階で
好き勝手出来る訳がにゃい
(今どきの家族は違うみたいですけど)

自立して
稼げるようになってから
自分の好きなこと
やりたい事をやるもんじゃないんでしょうか

route道家では
それが当たり前です



親とて
初めて親を実体験しながら
手探り状態な訳で
育て方の善し悪しに関しては
子供がどんな人生を歩んだかで
決まるよな気がする
ですが
それも正論とは言い切れないけれど…

己が親の立場になった時
親や他人からされて不快に思ったことを
しないよう
繰り返さないよう
心がけることくらいではないでしょうか…

っと
支離滅裂な文章になっておりますが
雰囲気だけでも
感じ取って頂ければ幸いです

正直
どう解釈すればいいのやら…

面目にゃい