たまごのなかみ

千葉県北西部在住。映画・観劇、近隣のこと。毎日 元気に機嫌良く♪

閉店...だって!

2005年03月02日 22時16分25秒 | 千葉県北西部と その近郊
マルエツ取手店(取手駅東口 カタクラショッピングセンター B1)
3月13日 閉店...だそうです。

マルエツ撤退後のテナントは 未定のようです。

          カタクラ ピーンチ!
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東西 食文化の違いについて「長命寺 と 道明寺」

2005年03月02日 00時40分02秒 | 東西 食文化の違い
           上段左『道明寺』 上段右『長命寺』
           下段『長命寺』の本家 (山本や)
                 ──桜の葉が三枚も!
               

『長命寺』と『道明寺』...
もちろん 桜餅の話です。

ご存知の通り桜餅にも 関東風と関西風があります。
今どき首都圏在住の人なら『道明寺』の桜餅を見ても
「???...」という方は ほとんどいらっしゃらないと
思いますが 西日本では『長命寺』の桜餅を見かけることは
あまりないのではないでしょうか。

かくいう私も 未だに桜餅といえば『道明寺』信仰が強く
自分から『長命寺』の桜餅を買ったことは ついぞありません。
すみません...。<(_ _)>

ただ、“わざわざ買う”という感の強い 和菓子ですから
「桜餅を買おう」と思うときは『道明寺』の“つぶつぶ感”を
欲しているところもあり ちょっとこれは譲れないことの
ひとつです。

つまり、『長命寺』と『道明寺』、二つの桜餅の大きな違いは
というと 餡を包むお餅(皮?)にあります。
練った小麦粉をクレープ状に薄く焼くのが『長命寺』、
もち米を乾燥させ砕いた粉を蒸して餅を作るのが『道明寺』。

さてさて 東日本でもすっかり顔なじみになってきた『道明寺』
ではありますが、ここで 二つの桜餅の由来などを軽く...



【長命寺】桜餅の誕生は、徳川吉宗(暴れん坊将軍?マツケン?)が
八代将軍となった翌年の 享保2年(1717)年、
当時 長命寺の門番だった『山本や』創業者の山本新六が、
隅田川に植えられた桜の落葉の処理に困り考案したと伝えられています。
それまで公家や武家だけのものだった花見を庶民に広げたのが ナント!
時の将軍 徳川吉宗。数千本の桜を隅田川堤をはじめ江戸の各所に植え
江戸庶民に一大行楽地を提供したわけです。
これがきっかけとなり、桜の下で飲めや歌えの庶民的な花見が広まります。
『長命寺の桜餅』は、そんな流れの中で大ヒットしたわけです。


【道明寺】もち米を一度蒸して乾燥させ 粗く砕いた粉のことを
『道明寺』といいます。
これは大阪の道明寺という寺から付いた名前ですが 
道明寺は戦国時代に武士の携帯食として糒(干し飯)を
作ることで有名でした。
そこで 寺の名をとり糒のことを『道明寺』または『道明寺粉』と
呼ぶ様になったわけです。
お湯や水に浸せば すぐ食べられる『道明寺』は
   (フリーズドライの ご先祖だぁ~)
備蓄用の食糧として重宝されたようです。

                   
で、どちらが元祖かというと.....
考案の由来や販売記録が文献に残っている『長命寺』が有力で、
それが関西に伝わる際に、道明寺粉にアレンジされたのではないか
.....と。
(ちょっとくやしい...)
                                                                                                         
現在 桜の葉は 塩漬けにしたときの色、味、香りなどから
『オオシマサクラ』が好まれ 全生産量の八割は西伊豆の松崎町で
生産されています。残りの二割も南伊豆産。


シリーズ次回は「メロンパン」。 つ・づ・く...
コメント (20)
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